日韓の「友好」の違いを認識しよう
さて、一体何のために発表したのかさっぱりわからない菅談話ですが、案の定と言うか当然と言うか、日本はもちろん、韓国でも不評の上に、中国や北朝鮮や韓国内の親北朝鮮勢力に対しても、日本に対する余計な非難材料を与えるという無駄な成果を発揮している模様です。
まことに無駄であっただけではなく、マイナスでさえあった菅談話ですが、ひとつ思うのは、この菅談話で言う「未来志向の日韓関係」や「日韓の絆」「パートナーの関係」とは、具体的にどのようなものを想定しているのだろうかということです。
以前から弊ブログでご紹介しているように、韓国人の考える韓日友好とは、日本が韓国のためだけに全面的且つ片務的に協力し援助し配慮することです。
具体的には、日本が持つ資本や技術を全て韓国に無償で与え、日本に与えられた評価や賞賛は全て韓国に譲るか、少なくとも韓国と共有し、韓国人の日本への入国滞在は無制限に自由にし、日本にいる韓国人はその居留資格に関わらず日本人と同じ権利を持つが義務は全く負わなくとも良いというものです。
更に具体的な内容を知りたい方はこちらのブログをご覧になれば、韓国人の考える韓日友好というものが大変よく理解出来るのではないかと思います。
菅談話で語る「未来志向の日韓関係」や「日韓の絆」「パートナーの関係」とは、このようなものを想定しているのでしょうか。
もしそうだとすれば、菅政権とは日本人のための政権ではなく、韓国人のための政権であることは疑う余地がありません。そうでないとすれば(と言うか、そうであるはずがないと思いたいのですがw)、菅談話で語る「日韓の絆」とか「パートナー関係」というのはおそらく、小学校辺りで言う「同じクラスのオトモダチ同士なんだから仲良く協力しましょうね」的関係のことではないかと思います。
「同じクラスのオトモダチなんだから、オトモダチにお勉強を教えてあげたり、オトモダチが教科書を忘れたら見せてあげたり、消しゴム貸してあげたりするぐらいは当たり前」程度の考えで日韓友好を考えているのは、実は菅政権に限ったことではなく、多くの、特に韓国をよく知らない日本人も同様だと思います。
いくら親韓でも、まさか「同じクラスのオトモダチなんだから、オトモダチに自分のおやつや食事、おもちゃや服を相手が望むだけ分け与えてあげたり、オトモダチがテスト中にわからない部分があれば自分の解答用紙を見せてあげたり、自分がテストで100点取ったら、それはオトモダチの成績になるのが当たり前」とまで考えている日本人は、おそらくいないでしょう。
しかし、韓国人は「韓日友好」をそのように考えています。しかもそれを韓国側が何も言わなくても、日本側が自ら進んでそのようにすることこそが、本当の韓日友好だと思っています。ですから、韓国側から見ると日本人の考える日韓友好は、常に薄くて歯痒く物足りないものになります。
その結果、日本人的には友好を促すつもりでしたり言ったりしたことが、韓国人的には友好どころか、不満を募らせるだけだったということになるのは、今回の菅談話を見ても明白です。
要は、日本側に韓国側が望み求めるだけの「友好」を与えるつもりがあるのかどうかということです。それがないのであれば、日本人の中途半端な「友好」は、逆効果にしかなりません。そのつもりがあるとすれば、韓国人的友好は成立するかも知れませんが、それは客観的には日本人の韓国人に対する一方的な隷属でしかありません。
日本人が「韓国人の望む韓日友好」を理解すれば、それを目指そうと考える日本人はおそらく圧倒的少数派になるでしょうけれど、その前に「韓国人の望む韓日友好」というものを、俄かに信じることが出来ない日本人が圧倒多数でしょう。
しかし、「韓国人が望む友好」が具体的にどのようなものかも知らずに「日韓友好」を唱えることは愚の骨頂であるということをまず、日本人は理解するべきではないかと思います。
もちろん逆に、韓国人に「日本人の考える友好」を理解させるという手も無くはないのですが、そんな努力をするぐらいなら、犬に代数を教える方が余程楽で現実的だと思います。