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「知れば知るほど・・・」をお忘れなく

8月も明日で終わりですが、相変わらず猛暑の日々です。しかし、夜風はずいぶん冷涼になりました。酷暑に散々うんざりさせられた今年の夏でしたが、ピークを過ぎると何となく物寂しい気持ちになるのは、不思議なものです。

さて、昨日29日は日韓併合条約発効100周年の日だったそうですが、読売新聞では「日韓併合条約発効100年、大規模デモ見られず」という見出しを付けて、「大規模な反日デモなどは見られず、韓国メディアの報道ぶりも総じて抑制的だった」と、一所懸命印象操作していたのが笑えました。

こんなのは言ってみれば、「酒を飲んでは大声でわめき散らし猛り狂って暴力を振るい、周囲の人たちに精神的にも物理的にも迷惑をかけていた酒乱が、最近は酒を飲んでもブツブツわけのわからない独り言を言って周囲の人たちを睨んで唾を吐きかけるだけで、以前のようにキチガイじみた大暴れをすることは少なくなった。ずいぶんおとなしくなったもんだ」というようなもので、決してその酒乱がまともになったわけではありません。

それをさも「現在、韓国の反日は消滅し、普通の国になりつつある」と印象づけようとする報道は、一体何を意図したものなのかと勘繰ってしまいます。

当該記事では、「東亜日報は28日付社説で、「世界の潮流をとらえ、侵略を許さない国防力と経済力を持っていれば、日韓併合はなかった」とし、「100年前の恥辱を繰り返さぬよう過去を教訓にする」ことを訴えた」と、韓国の東亜日報日本語版の社説の一部を紹介して、韓国の反日が抑制的であったことを強調しようとしておりますが、この社説の全文を読めば、彼らの反日は相変わらず健在で旺盛なことを確認出来ます。

「知らない国は好きな国」なのが日本人ですから、韓国を知らない日本人にこのような印象操作は、実に効果的だろうと思います。

「知らない国は好きな国」の日本人ですが、その日本人から見た韓国は、「知れば知るほど嫌いになる国」です。「嫌い」というネガティブな感情よりは、「好き」というポジティブな感情を持つ方が、精神衛生的に良いことは十分わかっていますが、それでもなお、日本人が韓国を知らないままでいることは断じてお勧め出来ません。

もし日韓が完全に縁切り出来るならば、あるいは完全ではないにせよ、在日の完全総帰国と日韓国交断絶が実現するならば、韓国を知らないがために好きであっても、とりあえず短期的には問題ないでしょう。長期的には「韓国を知らない」→「知らないから、韓国は好きな国」→「日韓国交再開運動勃発」となる可能性が非常に高いので、「韓国を知らないまま」では、結局元の木阿弥になると思いますが。

しかし問題は、「日韓が縁切り出来るならば、日本人は韓国を知らないままで居ても良いか否か」ではなく、「日本が韓国と完全に縁切りすることは、現状では不可能である」という現実です。この現実から目を背けて、単に韓国との縁切りだけを望むのは、お空のお月様を取ってくれろと泣く子供と同じです。

日韓チャットに連日通い、三日に一度はこうしてブログで韓国についての考察記事を書く私を見て、知人の中には「よっぽど韓国が好きなんだなwwww」と揶揄する人もいます。本当に嫌いなら、韓国関連について見るのも考えるのも嫌なはずだという理屈は、十分理解します。実際嫌ですからw

ただ、「嫌いだから見ない聞かない言わない考えない」では、日韓間にある諸問題は解決するどころか、爆裂増殖しかねません。それも、日本側に望ましくない形で。

例えば、韓国に対して見ざる聞かざる言わざる考えざるを貫いた結果、竹島は現在どのようなことになっているでしょうか。竹島問題が発生するのとほぼ同時に韓国が言い続けている対馬の領有主張ですが、多くの日本人はこれを、ごく一部の極端で過激な反日韓国人が騒いでいるだけで、それに対して嫌韓日本人が大袈裟に反応しているだけだと思っているという現実を見ても、「韓国を知らないし、知ろうとしない」、「韓国が嫌いだから見ない聞かない言わない考えない」ということが如何に日本(人)にとって危険なことか、弊ブログをご覧の皆様にはご理解いただけるのではないかと思います。

また、韓国からしばらく目を離すと、「韓国人も(良い意味で)変わった」という与太に引っかかりやすくなることも、韓国が嫌いなのに韓国ウォッチと考察を続ける理由のひとつでしょう。

前述の日本マスコミの「韓国の反日は薄らいでいる」という印象操作報道などは、「韓国人も(良い意味で)変わった」という与太の典型的な例と言えます。

韓国人は、絶望的なほどに変化しません。もちろん、薄くて浅くて上っ面な連中ですから、表層部分は変幻自在です。顔面でさえ平気で歪曲捏造する彼らですから、彼らの口先が変化することは、確かに頻繁です。しかしその薄くて浅くて上っ面から透けて見える彼らの本質部分は、今も100年前も全く変わっていません。

私が日韓チャットを始めて8年余、ブログを始めてまもなく丸5年になります。今では、私が日韓チャットを始めた頃のように、出会い頭に「謝罪しろ!」という韓国人は、確かに皆無と言って良いほど激減しました。しかし、だからと言って、彼らにそう言わせていたものが消滅したわけではないのです。

弊ブログを見て、「また同じようなことを書いてやがるwww」と思われる方は多いと思います。書いてる私自身にしても、目新しいことを書いて読者の皆様のご期待に応えたいのは山々なのですが、彼らは悪い意味で全く変わらないために、目新しいことがありませんから、書けません。弊ブログが同じことを繰り返し書くのは、「彼らは、(悪い意味で)変わっていません」というアナウンスにもなっているのではないかと思います。

この「(悪い意味での)変わらなさ」も、韓国人を構成する重要な要素のひとつです。それを知らなければ、「彼らも変わった」あるいは「彼らも変わり得る」という与太に、ころりと騙されるわけです。

日本が韓国と縁を切ることが現実的に可能かどうかはともかくとして、それを目指すためには、まずその土壌を作らなければなりません。「知らない国は好きな国」の日本人に、「韓国と縁を切りましょう!」と言っても、日本人の多くが韓国を知らなければ、そんな主張が受け入れられるはずもありません。

まずは韓国を知ること、それも韓流捏風のような歪んだ恣意の混ざったものではなく、ありのままの韓国を知ることが重要だと思います。

日本と韓国が縁切り出来るかどうかは、その周知徹底が完了してからの議論になるでしょう。



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