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韓国人が「お互いに誤解がありましたね」という時は

2ヶ月前の今頃の大阪は、終日室温計が30度より下がらなかったなんて信じられないぐらい突然寒くなりました。11月に入るまで我慢しようと思っていた暖房も、とうとう我慢出来ずに稼働させ始めました。

読者諸姉諸兄におかれましては、この急激過ぎる気温変化で体調など崩されておられませんでしょうか。そうでなくとも季節の変わり目は風邪など引くことが多いものです。くれぐれもご自愛くださいませ。

さて、例によって日韓チャットですが、私が作るチャットルームには、対話可能な常連韓国人は別として、量産型の常連韓国人が居ることはほとんどありません。そのわけは、彼らが最初から自主的に私の部屋に近寄らないか、そうでなければ入った瞬間に私に蹴り飛ばされるからです。

という訳で、私の部屋に来るのは、日韓チャットに初めて来たとか、極めて最近日韓チャットに来るようになったという韓国人が必然的に多くなります。

多くなると言っても、昔のように引きも切らずということはもはや全くありません。ですから、私の部屋に来る韓国人を、貴重な韓国人サンプルとして鄭重にもてなせば、ネタになることが期待出来るのかもしれませんが、どうも連中のほとんどが、最初から目一杯もてなせよがしの態度で来るものですから、ついつい私も反射的につっけんどんな態度になってしまいます。

それでも、時々は虫を抑えて彼らの相手をしてやるのですが、たいていの韓国人が、自分から上手く話をスタートさせることが出来ません。

韓国人は一般におしゃべりが大好きです。どうでも良いことや要らんことなら、本当にべらべらといつまでもよくしゃべり立てます。あるいは、現在進行中の話の腰をへし折ったり、無理やり割り込んで自分に注目を集めようとするのも、本当に好きです。しかし、何かテーマを決めて、それに沿ってそれぞれの知識を持ち寄り、人の話を聞き、またそれに沿って話を進めていくということはものすごく苦手です。

そんな彼らですから、日韓チャットに初めて来た韓国人はほとんどが、こちらが話題を決めてやらないと、なかなか話を始めることが出来ません。かと言って、こちらが話題を決めてやっても、それが彼らの気に入らないと、やはり話が始まりません。ですので私は基本的に、時間がかかっても彼らに話題を決めさせることにしています。

しかしたいていの韓国人が、いくら時間をかけてやっても、話題と言えばこちらの個人情報を詮索するか、部屋名の意味を聞くぐらいのことしか出来ませんので、最近しかたなくこちらから「日韓チャットで何を話そうと思って来ましたか?」と水を向けるようになりました。すると、今までの例で言うと100%が「そのまま日常の出来事をなんとなく話せれば良いと思います」と言います。

私が「そういう話なら、日本人と話す必要はないのでは?」と言うと、だいたいは「最近日本語を学習し始めたので、その練習のために」とか「日本の芸能情報に関心があるので、それを聞くために」などと言います。

「ああ、つまり、あなたの日本語学習と日本の情報収集のために日韓チャットに来ましたか?」と言うと、鈍い韓国人の場合は素直に「はい♪」なんて答えますが、多少なりともこちらの言葉のトゲに気づける韓国人だと、「もちろん、私はあなたに韓国語を教えてあげることが出来ますし、韓国の情報もお知らせしますよ」と慌てて付け足します。

前者の韓国人はともかく、後者のような韓国人を見ると、韓国人にも「お互いさま」という概念があるのかな、なんてお人好しな日本人は勘違いするのだろうなと思います。

基本的に韓国人には、「お互いさま」という概念はありません。何故なら、「お互いさま」という概念は、他者との関係において「対等」という概念がないと発生しないからです。

以前から何度も申し上げておりますとおり、韓国人にとって、対人関係は上か下か、同一の三種類しかありません。韓国人の対人意識においては、上の相手には自分が尽くすのが当然であり、下の相手からは尽くされるのが当然です。これに対して、上の相手は下の相手に恩恵を施し、下の相手は上の相手からの恩恵を期待することで多少のバランスを取ってはいるようですが、その恩恵の授受に関してはそれぞれの恣意や相互の思惑が大きく作用しますし、当然ですがそこに「対等」という概念の入り込む余地はありませんので、「お互いに」という意識も成立しません。

日本人が勘違いしやすいのは、韓国人の考える「同一」という対人意識についてでしょう。

日本人の「対等」は、自分とは別個の、独立した存在としての他者に対する意識であり、如何に親しくとも、それぞれのテリトリーは相互に尊重し合います。が、韓国人の「同一」は、まるで相手が自分と融け合ってしまっているかのように考えることです。当然、相互にテリトリーが存在するなどという意識は皆無です。日本人で言うなら、「距離無し」と言われるタイプの人がそれに当たるでしょう。

よく「韓国人は親しくなると勝手に相手の家の冷蔵庫を開ける」と言われます。あるいは平日の深夜2時に突然「今、みんなで飲んでるから、お前も今から出て来い」と電話がかかってきます。あるいは「○月○日○時の便でソウルに着く予定」などと何気なく言った日には、当日仕事を休んで空港まで出迎えに来て、そのまま食事をおごってくれたり観光に連れて行ってくれたり、家に泊めてくれたりする可能性もあります。

これらは全て、「自分なら(自分に)こんなことをされても全然気にしない」とか「自分なら(自分に)こうしてもらったら嬉しい」と考える「同一」意識に基づく行動であって、「自分が相手にこんなことをされたらどう思うだろう?」と考える「対等」という意識とは、全く相容れるものではありません。

そんな彼らですが、時に「お互いに」という言葉を好んで口にすることがあります。

これは日韓チャットでは大変よくあるパターンのひとつですが、日韓チャットの私の部屋でオイタをした韓国人を咎め、叱ることがあります。叱られた韓国人はほとんど例外なく減らず口で口答えをするのですが、その減らず口をひとつひとつ丁寧に問い、その真意をただし、理非を分けていくと、最後には渋々ですが自らの非を認める韓国人も、いるにはいます。

「で、誰が間違えましたか?」と私が駄目押しに問うと、その韓国人が「私が間違いました」と答えるまでは良いのです。

「そうですね、あなたが間違えましたね」と私が言うと、その韓国人は「はい、お互いに誤解がありましたね^^」と言います。

いやいや、「お互いに」じゃないから。私は一切誤解してないから。誤解があったとすれば一方的にあなただけだからと再び懇々と言葉と時間を費やして説明し、さらに今話した内容を復唱させて、「わかりましたか?」と言うと、その韓国人は素直に「はい、申し訳ありませんでした」と言います。

「わかればよろしい」と言うと、「はい、お互いに誤解がありましたね^^」

また別のパターンとしては、先述した「日本語学習と日本の情報収集のために日韓チャットに来た」という韓国人が言うような、「お互いの言葉やお互いの国の情報を教え合って」という場合です。これなどは一見本当に「お互い」に見えますが、その欺瞞(当の韓国人がそれを「欺瞞」と意識しているかどうかはわかりませんが)を見抜くポイントは、その韓国人が「相手がそれを望んでいるかどうか」ということを全く考慮していない点でしょう。

結局のところ、彼らが「お互いに」と進んで言うのは、自分だけに非があるということを認めないためか、相手が望むか望まないかわからないが自分が与えても惜しくないものを与えること(場合によっては、最初から持ってないために与えることも出来ないものを与えると言うこと)で、自分が得をするためなのでしょう。

彼らの「お互いに」という言葉は、彼らが言う「配慮」や「思いやり」と同じで、全て「全面的に自分の利になる為に」行なわれるべきものです。その言葉には、断じて「他人の利になること」を考慮に入れているわけではないことを、韓国人と接する日本人はすべからく理解してから韓国人と向き合うべきだと思う次第です。



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韓国人が犬肉食を誇れないのは

F1韓国グランプリは、さまざまなトラブルやアクシデントを繰り返しつつ、タフなドライバーやスタッフの努力で何とか無事と言おうと思えば思えなくもないレベルで終えることが出来たようです。何はともあれ、人身に関わる大きな事故がなかったのは幸いです。

韓国インターナショナルサーキットの観覧席は、全席指定にも関わらずガラガラだったというのに加えて、最も売れた一番安い席は完成してさえおらず、その席を買った人たちは完成していたひとつ上のグレードの席に無償で交換してもらったそうです。しかも、より高い席に勝手に移ろうと思えば容易に移れたようで、実質全席自由席のような状態だったとか。

また某巨大匿名掲示板にあったF1韓国グランプリ決勝のまとめによりますと、
決勝のまとめ
・開催期間中の夜中に突韓工事
・10日前に降った雨水がコース脇の溝に残っている
・前座レースは第2コーナーで3台クラッシュ。5速だったらしい。
 コースに不凍液をぶちまけ、SCが早々と登場。
 そのまま周回を重ねるが事故車が片づかないのでSC先導のままゴール。
・水はけが悪く雨がほぼ止んでいても視界ゼロ
・アロンソ「人生で最悪のコースコンディション。もうやめようぜ・・・」
・SC先導スタートも4周で赤旗中断
・50分中断をはさんでSC先導でリスタート
・リスタート後はすぐに雨がやんだのに、結局40周以上ウエットコンディション
・日没時間を過ぎて真っ暗(照明設備なし)でもレース強行
・ドライバーがナイトレース発言
・優勝車の平均速度は151.3 km/h (大雨の2007年富士は151.978km/h)
・24台中9台リタイア(マシントラブル1台)
・SC走行距離123.530m=5,615m × 22Lapsでおそらく歴代最長
 (2007年富士は79,200m=4,400m × 18Laps)
 SCは自己ベストタイムを更新したらしい。
・レース中コントロールタワー停電で連絡取れないことが頻回
・SC出てるのに緑旗振ってたマーシャルにFIA職員が直接言って辞めさせた
・目の前でクラッシュあってもマーシャルはちんたら歩く
・マシンが火を噴くもマーシャル来ずドライバー自ら消火
・なぜかドライバーにスクーター運転させマーシャルは2ケツ
・レッカーがレース中に赤土まき散らしながらコース内走行
・コースに赤土が自然に流れ込む
・ルマンの終了後を思わせるほどマシーンが泥だらけ
・チェッカーフラッグが何故か停止旗
・表彰台3名の国旗は陰、だが台下の大極旗だけには照明を当てる

・韓国軍まで導入したが仮設スタンド間に合わず。
・規定数作れなかったスタンドはガラガラで馬鹿でかい国旗でスタンドを隠す必要あり。
・スタンドは空席だらけだが、渋滞がひどくレースが始まっても入場できない観客多数
・無秩序に停めたドロドロ駐車場&近隣の道路に1重2重路肩駐車の列
・しかし、レースを見るのに最も適してるのはサーキット外のハゲ山
・大渋滞の為、レース終了前に多数の観客帰宅
・駐車場まで徒歩二時間。街灯ないので懐中電灯必須。

何事もなく無事に終わったニダ韓国大勝利!


とのこと。

あるいは
F1誘致したのは前大統領の盧武鉉
盧武鉉の地元をF1で活性化させるのが目的だった
しかし盧武鉉が大統領辞めて、おまけに死んで
韓国は「ウリは知らないニダ」と投げ出してしまった

しかし開催中止にしたら謝罪と賠償を要求される
ならば反対に向こうに開催中止にさせて謝罪と賠償を要求すりゃいいと
バーニーもそれはお見通し、だから開催中止にはさせなかった
どちらが中止と言うか、チキンレースの結果、どちらも崖に真っ逆様

などというまことしやかな話もあります。

ただし、盧武鉉の地元は慶尚南道であり、韓国インターナショナルサーキットのある全羅南道は、金大中の地元です。まあ、金大中と盧武鉉がズブズブだったのは周知の事実ですが。

とりあえず、F1韓国グランプリについて、比較的客観的で正確なレポートはこちらではないかと思いますので、関心のある方は各自で御覧ください。

ところで、韓国人がモータースポーツを好むと思っている方もいらっしゃるようですが、日常的に韓国全土の公道で「何ぴとたりとも俺の前に出るんじゃねえ」とルール無用のレース「のようなもの」を繰り広げてはいても、彼らがルールに則ったスポーツとしてのカーレースやバイクレースを好むということは全くありません。

彼らは、たとえプロスポーツ選手であっても、そのスポーツ自体を愛し、のめりこんでいるというわけではなく、そのスポーツによってもたらされるであろう利益や栄誉を愛しているだけです。同様に、韓国人が韓国人スポーツ選手を支持し、そのスポーツに熱狂するのも、そのスポーツを愛するからではなく、その韓国人スポーツ選手によってもたらされることが期待される栄誉を、自分のもののように誇りたいからです。ですから、韓国人レーサーがいないモータースポーツを、韓国人が愛するわけがありません。実際日韓チャットでも「F1?何それ?美味しいの?」状態な韓国人が珍しくありませんでした。そもそも彼らにとって自動車とは、究極的には「他人に運転させて、自分は後部座席でふんぞり返っているもの」です。

さて、終わったF1韓国グランプリの話はここまでにしておきまして、前回記事でふと思ったことなどを。

先日から、【韓国人がノーベル賞を取れない理由】という、今からまるっと2年前の記事に、韓国人からのコメントが続いて入っております。

弊ブログでは、韓国人だからと言ってコメントを禁止したり制限することはありません。しかし韓国人でなくとも、弊ブログのコメント欄を私物化しようとする人には徹底的に対処します。私が「寄生虫」のニックネームを進呈した韓国人は、意見を述べるのは良いとしても、異論反論に対し極めて不誠実な対応をするのみならず、当該記事からはみ出して、本来無関係なポジャギの話題にまで我が物顔でしゃしゃり出てきて、コメント欄を私物化しようとしたので相応の対処をしたわけです。

次にまた、同じ2年前の記事にコメントしてきた韓国人氏がいます。先の「寄生虫」氏は、「韓国 ノーベル」という検索ワードでヤフー検索からお越しになったわけですが、次においでの韓国人氏も何故か、「ノーベル賞 韓国」という検索ワードで、やはりヤフー検索からお越しになっておられるのは、単なる偶然の一致でしょうか?w それとも韓国人は、そういう検索ワードで検索をすることが盛んなのでしょうか?w

まあ、それはさておき。

今回不思議に思ったのは、ポジャギについては頼まれもしないのに嬉々として食いついた韓国人が、次に語られている犬肉食については、まるで近寄ろうとさえしないことです。

韓国人は果たして、そこまで犬肉食を恥じているのかと言えば、実際には韓国人同士や、あるいは外国人であっても極めて親韓的な人であれば、彼らは平然と犬を食いに行こうと誘うようです。おそらくは、チャット内で犬肉食について必死で「韓国では例外的な食文化である」と主張する韓国人でさえ、「初伏だから犬を食いに行こう」と言う韓国人に向かって「お前らのような韓国人がいるから、韓国人が誤解されるのだ!」と怒鳴りつけたりは、絶対にしないでしょう。

2006年の中央日報の記事では、韓国における犬肉の消費量と共に、韓国人の犬肉食に対する意識についても言及しております。それによれば、「回答者の75%が食用犬肉の禁止に反対しており、政府の政策も動物保護よりは衛生管理を優先すべきとの回答が多かった」とのことで、これは一般的に韓国人の犬肉食に対する抵抗感が少ないことを示唆していると思います。

「つまらない下位文化」とまで言われた(しかも、現在でも韓国ではほとんど注目されていない)ポジャギなら減らず口全開で誇るのに、韓国人の多くが受け入れ、親しんでいるポシンタンについては、誇るどころか近寄ろうともしないのは何故でしょうか?

これについて、日韓チャットの常連日本人会員によれば「それは日本人が高く評価しているか否かの違いだ」ということでした。

犬肉食については、日本人は案外激しい拒否反応を示しはしません。もちろん、「人間の友達を食べるなんて!!」と激しい拒否反応を示す日本人もおられるとは思いますが、その反面、好奇心の強い日本人なら、話の種に食べてみたいと思う人も結構いるでしょうし、実際に話の種や韓国人との付き合いで食べてみたことのある方も、そこそこおられるのではないかと思います。

しかしその反面、日本人が韓国の犬肉食を積極的に取り上げて絶賛するということは皆無に近く、賞賛や推奨にしてもどちらかと言えば腰が引けた意見や、遠まわしであっても批判がましい意見、単純に「ワンちゃん可哀想」な意見の方が多いわけです。

それが、韓国人が犬肉食を自信を持って誇れない根本的な理由なのではないかということです。

つまり、「日本人が裏書してくれたこと」でないと、韓国人は自信が持てません。日本人は、犬肉食を非難はしませんが、裏書もしてくれません。だから彼らは、自信を持って犬肉食を誇ることが出来ないのです。

ポジャギは違います。韓国人が見向きもしなかった「小汚いボロ布」を、日本人は大喜びで集めたり、自分なりにアレンジして作ったりします。それが韓国人にとっては、ポジャギを誇る何よりの自信の根拠となったのではないでしょうか。ノーベル賞にしても、彼らがあれほどまでに切実に欲するのは、アジアでは日本人が比較的多く受賞しているがためだとしか考えられません。

それほどまでに「日本人の価値観」を自信の拠り所にしていながら、当の日本と日本人を無条件全面肯定することは絶対に出来ないということが、韓国人のねじれの所以であり、根源的な悲哀なのかも知れません。



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パペクトな韓国人に欠点や短所などない

F1グランプリ韓国が22日に開幕しました。既に始まったフリー走行によってさまざまな問題が明らかになっているようです。関心のある方は「韓国 F1」でニュース検索されれば、その時々の面白い話が見れると思います。

一説によると韓国インターナショナルサーキットは22日の開幕時点で99%の完成率との由。8割でパペクトの韓国人からすれば、完璧に19%も上乗せしているわけですから、口では殊勝なことを言ってますが、韓国人的にはこれ以上はないほど完璧のつもりなのでしょう。

明日24日の決勝レースまでに、さまざまなOINKが見られるであろうことは、韓国ウォッチャーにとってはもちろん想定内です。しかし、その現場で最高速度300km/h超を出してレースをしなければならないドライバーやレーシングチームがどの程度の事態を想定しておられるのか、まことに気の毒な話ではあります。

特に、実際にコースを走るドライバーにとっては、掛け値無しで命懸けの話になります。いくらF1ドライバーが世界有数のドライビングテクニックを誇ると言っても、命は各人ひとつしか持ちあわせていないでしょうし、常人離れした優れた能力を持っていると言っても、もげた手足が再生する能力まで持っているわけではないでしょうから、私たちのように呑気にOINKなどと言ってもいられないでしょう。

加えて、レースとは別の事故が起きる可能性も大いにあります。そうです。韓国名物の建造物大崩落です。

何しろ開催に間に合わせるために、レースコースの建造に全勢力プラスアルファを注ぎ込んだわけですが、それはあくまでレースコースの話です。他の建造物に割くべき労力をレースコース建造に注力せざるを得ず、その結果観客席の裏はこんな状態です。

韓国インターナショナルサーキットのある霊岩は、「ソウルでのF1? いやいや、人里離れた場所から100マイルかけてさらに人里から離れた場所に行く感じだよ」という場所にあります。ここを「ソウル」と言って良いのであれば、「鈴鹿サーキットは大阪にある」と言っても、全く語弊がありません。この、韓国でもドが付くほどの田舎と言って良い地域で、近隣にはF1関係者に提供する宿泊施設さえ満足に用意出来なかったのですから、それ以上の施設や設備が整っているはずなどありません。万が一にも大量の負傷者が出るような事態が発生すれば、どんな惨状が展開されるやら、想像するのも恐ろしい話です。

とりあえずサーキットの内外を問わず、人死にだけは出ないことを心から祈ります。

さて、毎度毎度の日韓チャットですが、先日「日韓チャットで、日本人の友達が出来て日本語学習が出来て嬉しい」とノタマウ韓国人が来ました。

しばらくは普通に話していたのですが、その韓国人が言い出した【韓国人の冗談】という話がきっかけで、韓国人の犬肉食に話題が移りました。

一般的に韓国人は、会話の展開が非常に散漫で、ひとつの話題に集中することが出来ません。韓国人が今話していたことと、次の瞬間に話すことの脈絡が全くないのは、日韓チャットでは非常にポピュラーです。その上、展開された話題に関心がなかったり、避けたい話題であれば、その傾向は意図的になり、更に激しくなります。

韓国人にとって、犬肉食の話はなんとしても避けたい、あるいは存在そのものを否定したい話題のひとつのようで、この話題が出ると、その韓国人は必死で話題をそらそうとしました。しかし日本人側はそれを全く意に介さず、淡々と犬肉食の話を続けました。

話が避けられないと察すると、次は話の否定を始めました。その韓国人は「韓国人は犬肉を食べる」という話題に対し、「韓国人が犬を食べると言うのは正しくない」と言い出しました。何を言うのかと思って黙って見ていると、「韓国人全てが犬を食べるわけではなく、韓国人の中に犬を食べる人がいると言うのが正しい」と言います。

「その表現はおかしい。それでは韓国人全てがキムチを食べるわけではなく、韓国人の中にキムチを食べる人がいると言うのが正しいのか?」と私が言い、同室の日本人が韓国で食用として200万頭分の犬肉が消費されているという数字を出すと、今度は「犬肉を好んで食べる韓国人は極少数だが、食用以外に漢方薬の原料としても使うから、大量消費されているような数値が出るだけだ」と言い始めました。

極めて僅かな量しかないことを「薬にするほどもない」と言うぐらいです。漢方薬にするために犬肉を大量消費するとは、この韓国人の屁理屈を真に受ければ、犬肉由来の漢方薬がどれほど韓国には溢れかえっているのやらと呆れるばかりです。

日韓チャットの韓国人がこのような穴だらけの反論をするのは毎度のことですが、その穴はたいていの場合、彼ら自身の墓穴になります。結局この韓国人も例外ではなく、散々に論破され、話を逸らすためにこちらを見下すような態度に出たのを機に蹴り飛ばされると、当初の親日的な態度は何処へやら、最後には日本猿と連呼しながら病身舞を繰り広げるという、至って量産型らしい所業を披露してくれました。

犬肉食の是非については、私はこれまでに何度も申し上げておりますとおり、これをもって韓国人を非難しようとか卑下しようという考えは皆無です。ただ、犬の屠殺方法と精肉、及び犬肉の流通に問題があるとは思っているのですが、韓国人とはほとんどそういう話になりません。

何故なら、彼らにとって犬肉食とは「一部の極少数の例外的な韓国人がイカモノ食いで食べているだけで、一般的な韓国人は犬の肉など食わない」ということになっています。年間200万頭の犬が食用として消費されており、何十軒あるのか知りませんが、少なくとも日本におけるゲテモノ屋よりは多いであろう補身湯屋の経営が成り立つほど客がいるのですが、それらは韓国人の意識においては、ないことになっています。即ち、犬肉食そのものの存在を否定し、あるいは無視しているために、それに付随する問題の存在も、彼らは認めないわけです。

この構造は、例えば韓国の反日についても同様です。と言うか、韓国人が対外的にカッコ悪い、あるいは都合が悪いと感じるもの全てにおいて、この姿勢は貫かれます。

韓国人が対外的にカッコ悪い、都合が悪いと感じるものはたいていの場合韓国人の欠点や短所なわけですが、彼らがその欠点や短所について、それが欠点や短所であることは理解していても、またそれらが韓国に存在することを認めたとしても、それがほかならぬ彼ら自身のものであるということを絶対に認めないことが、彼らがいつまで経っても欠点や短所を是正出来ない最も大きな理由だと、私は思っています。



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日韓問題における日本人の不幸

先だってから話題にしておりましたポジャギについて、日韓チャットで韓国人にインタビューしてみました。

その回答は、(あなたの家にポジャギはありますかという問いに対して)「家にはあるが、普段は誰も使わない」、(では何故家にあるのですかという問いに対して)「祭祀や節日に使う」、(ポジャギとは、古い小さい布を集めて縫い合わせて作るものですかという問いに対して)「古い小さい布を集めて縫い合わせて作るポジャギはない」「ポジャギ専用の布がある」「結婚式などで使うポジャギは派手で可愛い」という回答でした。

このように、韓国人の認識としても、「ポジャギ=韓国パッチワーク」ではありません。では何故日本では「ポジャギ=韓国パッチワーク」として紹介されるようになったのでしょうか。

朝鮮語で「布切れ」のことを、「チョガク」と言います。これを縫い合わせて作ったポジャギを「チョガッポ(チョガク褓)」と言います。つまり「ポジャギ=韓国パッチワーク」というのは、実はこの「チョガッポ」のことを言ってるわけです。ですから本来ならば「韓国パッチワーク=チョガッポ」と言うべきなわけです。

ところが韓国人自身ポジャギやチョガッポについてさしたる興味も関心もないためか、彼ら自身もポジャギとチョガッポを峻別していません。日本の趣味人がチョガッポの存在を知り、それに巧まざる美を見い出した時、韓国人から「これはポジャギである」という説明を受けたのでしょう。その結果、日本では「ポジャギ=韓国パッチワーク」となったのではないでしょうか。

あるいは、「チョガッポ」という名称があまりにもダイレクトに「「布切れ(を集めて作った)包み布」という意味であるために、見栄っ張りの韓国人としては、そのような貧乏臭い名称を、韓国風包み布の代表的名称に用いたくなかったのかもしれません。そうだとすれば、西洋パッチワークが明快に「端切れ仕事」と名乗ってるのと比較して、実に対照的でもあります。

さて、ポジャギ談義についてはこれぐらいにしておきまして、先だってからの寄生虫祭りに紛れ込んだ自称10代の方からのコメントを読んで、少々思うことがありました。

自称10代の方のコメントに曰く 「知ってしまうことで何人であろうと同じ人間を「寄生虫」と呼ぶようになってしまうなら、わたしは、何も知らない無知な阿呆のままでいいです。ゆとりだとか、平和ボケしているとか、どう思われても構いません。」とのことです。

私はこれを読んで、ああ、なるほどなあと思いました。

知ることとは、言わば真っ白なノートに知り得た知識を書き込んでいくことです。それは言葉を変えれば、真っ白なノートを汚していくことでもあります。

中には、まるで市販の参考書のように綺麗に書く人もいるでしょうけれど、字が汚い人や、添え書きや書き足しをする人のノートなどは、他人が見れば到底綺麗とは言えないでしょう。真っ白なノートをそんな風に汚してしまうのは、なんともったいないという価値観もあるのでしょうけれど、では真っ白なノートに、何の意味があるのでしょうか。ノートとは、知り得た知識を書き込んでこそのノートなわけです。

この自称10代氏のコメントを、朝鮮人的だと叱咤された方が多かったようですが、私はこの「知ることで汚れるぐらいなら、綺麗なままの無知でいたい」という感覚は、【美】を絶対善とする、実に日本人的な感覚だと思いました。

ところで、この「知ることで汚れるぐらいなら、綺麗なままの無知でいたい」と主張する日本人は、その意識があろうとあるまいと、日韓問題において、日本人にとっては内部からの攻撃者となり、韓国人にとっては格好の好餌であり、且つ絶好の内通者となり得る存在であることは、今回の自称10代氏のコメントでも見事に体現されております。

日本人にとって【美】は絶対善であり、【穢れ】が無条件で悪であるために、意外にこういう日本人は少なくありません。日本人が韓国を知れば、韓国そのものが【穢れ】であることが理解出来るようになるはずなのですが(だからこそ「知れば知るほど嫌いになる国」なわけです)、「知ること」を「汚れること」と認識する日本人は、前述の自称10代氏のように、韓国を知ることそのものを忌避しようとします。

結果としては、「何も知らない無知で阿呆なままでいれば、それに付け入る韓国人に更に汚されることになる」ということさえ知らないまま、韓国を知るが故に韓国に対する警戒を発する日本人を汚いと唾棄し、穢れそのものである韓国人に親しむという本末転倒なことになるわけです。

本人がそれで幸せなら、他人がとやかく言うことではありません。しかし問題は、そういう考え方の人が、周辺の日本人にも多大な影響を及ぼすことです。

つまり自分が汚れるぐらいなら、無知で阿呆のままでいたいということは、それで自分だけが幸せでいられるなら、周囲の人がどれだけ不幸になっても構わないという考え方なわけです。そんな考え方が、朝鮮人を寄生虫と罵るよりも素晴らしく美しいとは、私は微塵も思いません。

日韓問題の多くは、これまで何度も述べておりますとおり、実は日本人側に問題があることが少なくありません。韓国人と対峙する前に、【美】を盾に汚れることを恐れさせ、思考を停止させられ、その結果として、自らのみならず周囲の人々までも汚すことになると気づかぬままに、「友好」や「友愛」、「親善」などという美辞麗句に目をくらまされ、韓国人側の先兵となる日本人とまず対峙せねばならないことが、日韓問題における日本人の不幸のひとつではないかと思います。



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朝鮮工芸を通しての韓国人考察

寄生虫祭りも収束傾向ですが、今回は本当に、下手なチャットログよりもわかりやすかったのではないかと思います。そう考えると、自ら醜態を晒すことでサンプルとなってくれた寄生虫には幾許かの感謝を捧げるべきかと思わなくもありません。まあ、此方が蒙った不快や迷惑と差し引きすれば、プラスマイナスでマイナスになりますけれどw

今後寄生虫のコメントは、告知通り全て寄生虫用隔離記事へ転載します。ちなみに寄生虫用隔離記事掲載後に、寄生虫のコメントが別の記事に追加されていたので転載しておりますので、興味のある方はご覧ください。もっともその内容は、今まで以上に希薄と言うか、ナントカの一つ覚えを繰り返しているだけすが。

さて毎度毎度の韓国考察ですが、今回はポジャギから、朝鮮工芸を通しての韓国人考察です。

自然が生み出す巧まざる美というものがあります。

例えば春霞をまとうが如き満開の桜。真っ青な夏空に湧き上がる純白の入道雲。秋の夕日に照る山紅葉。音さえ消え失せ、まるで墨で描いた絵の中に迷い込んだような心持ちになる、冬の雪景色。

あるいは、蜘蛛が織り成す紋様。それに連なる朝露の玉。疾駆する馬の姿。路傍に咲く埃をかぶった名も知らぬ花。訪れる人もない山の中にある、見事な枝振りの松の大樹。

これらはいずれも、自ら美しくあろうとか、他者、ことに人間に、美しいと思わせようとしているわけではありません。単に必要に迫られて、あるいは自然の摂理や合理性に基づいて、そのような様子や形態を示しているだけです。たまたまそれを見た人間側が、そこに美しさを見い出し、それを賞賛し、愛でるだけです。

巧まざる美は、自然だけが生み出すものに限りません。人が作るものでも、非常によく見られます。

例えば自然石を積み上げて築いた石垣。煙を吐いて走る蒸気機関車。山の斜面を埋め尽くす棚田が描き出す風景などは、美しさを第一に意識して作られているわけでもないのに、見る者を惹きつける美しさがあります。あるいは、幼児が描き殴った絵にも、その大胆な筆致や色使いに見るべきものを見い出すことがあります。

日本で評価される朝鮮の工芸品には、そういうものが多いように思います。

先だってから話題にしているポジャギにしても、近代の西洋パッチワークの影響を受ける以前のものは、明らかにデザインの意識がありません。しかし趣味の方には、その無為な素朴さが喜ばれるようです。

また李朝白磁の下手物(読みは「げてもの」で、作家が作る一点物の上手物(じょうてもの)に対し、大量生産される大衆用の日常雑器のこと)にも、鑑賞用でないが故に、鑑賞者に媚びない素朴な美を見い出す愛好家は、少なからずいるようです。

もちろん、最初から観賞用に美を意識して製作された朝鮮工芸もありますし、その中にはそれなりのものが皆無というわけではありません。しかし日本や中国と比較すると、朝鮮工芸が質量共に貧弱であることは、動かしがたい事実です。

その理由は色々あるでしょうけれど、ひとつには彼らに理解出来る美の範囲が、日本人や中国人と比較すると極めて狭く浅いということがあると思います。

例えば以前にも述べたことがありますが、韓国人は一般に花を区別しません。もちろん韓国人も、綺麗な花を見れば美しいと思うようですし、恋人に美しい花を贈ったりもらったりすることは、日本人よりずっと好きです。しかし彼らにとって、花は単に花でしかなく、それがどんな花かとか、何の花かということは、ほとんど意識されないようです(ただし、贈られた花の価格には強い関心を示すようですが)。

あるアンケートによれば、韓国人が最も好きな花はバラであるという調査結果があったと何かで見たことがあります。しかしそれは「バラの花だから好き」と言うよりは、韓国人にとってバラの花が、花として最もわかりやすい花だからではないかと思います(あるいは、「値段が高いと思われている花」だからかも知れませんw)。

それは花に限ったことではありません。彼らは基本的に「わかりやすい美しさ」を好みます。好むと言うよりは、「わかりやすい美しさ」でなければわからないと言った方が正しいでしょう。色ならば原色や金ピカが好きですし、物なら小さいよりは大きい方が無条件で良いと考えます。そう言えば韓流ドラマも、「わかりやすい状況と展開」で構成されていると仄聞します。

そんな彼らにとって「巧まざる素朴な美」というものは、理解以前に、認識することさえ難しいようです。

朝鮮白磁については、20年ぐらい前の韓国の骨董屋では「白磁なんて漬物入れに使うもので、美術工芸品として鑑賞するようなものじゃない。青磁にしなさい、青磁に」と言われたと、骨董蒐集を趣味とする方が話していたのを聞いたことがあります。

ポジャギについても実際に蒐集されていた方のコメントにありましたように、つい最近まで韓国人がこれを「ただの小汚いボロ布」と考え、軽んじていたことは、韓国刺繍博物館の館長が「(ポジャギは)つまらない下位文化だった」と明言していたことからも明白です。

このように、韓国人にとって「巧まぬ素朴な美」というものは、認識が難しかった反面、それが逆に「巧まぬ素朴な美」を生み出す余地を作ったとも言えるのではないかと思います。

しかしそれは、彼らが意図しないからこそ生じるものであって、彼らが(彼らの理解出来る)美を意識し、それを表現しようとすると、途端に日本人に見い出し得る「巧まざる美」は消滅します。残るのは、わかりやすいけど薄くて浅くて上っ面だけの美しさと、稚拙さとあざとさと下品さになります。

それは、時にナチュラルボーンコメディアンと言われるほど笑える彼らが、意識して他人を笑わせようとした途端、全く笑えなくなるだけでなく、周囲に不快や困惑、憤りを撒き散らすのと同じことなのでしょう。



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寄生虫用隔離記事

せっかく人が優しく言ってやってるのに、やはり寄生虫だからか、いつまでも寄生し続けるくせに自分で専用記事を申請することも出来ないようなので、こちらで隔離記事を作ってやりました。当分、この記事をトップに置いときますね^^

ついでに、これまでの寄生虫コメントもこちらにまとめておきますので、寄生虫観察及び寄生虫弄りをしたい方は、どうぞこの記事のコメント欄で思う存分やってくださって構いません。

なお、2010年10月16日日本標準時の午前0時をもって、寄生虫はこの記事以外の記事にコメントすることを厳に禁じます。他の記事にコメントした場合は、すべてこの記事内に転載し、当該記事のコメントは管理者権限で削除します。他の記事のコメント欄で寄生虫のコメントに反応した方のコメントも、基本的には削除するつもりですので、予めご了承ください。

では以下、寄生虫コメント。背景色は寄生虫の好きな茶系統です^^ この色を、寄生虫は何色と表現するのでしょうねw

※2010年10月17日追記
寄生虫のコメントが視界に入るだけで不快に感じる方もいらっしゃるようなので、コメント部分は畳んでおきます。ご覧になりたい方は「続きを読む」で開いてご覧ください。
また同様の理由で、この記事をトップにするのは、寄生虫の新規投稿があった時にします。


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【続きを読む】

今ここにある対日工作活動

ブログのコメント欄が盛況なのは、ブログの管理人として大変嬉しいことです。ですから弊ブログでは、節度と誠意のあるコメントの応酬をする分には、文章の巧拙や長短、投稿頻度は一切問いません。以前から申し上げておりますとおり、異論反論も歓迎しております。

しかし歓迎するのはあくまで「節度と誠意のあるコメント」です。更に、弊ブログで、まるで自分が執筆管理するブログの如くコメント返しをするならば、ブログの本来の管理人も十分納得出来るだけのクオリティのコメントでレスポンスするべきです。量産型全開の朝鮮話法でコメント欄を汚染されることは、弊ブログの管理人として全く歓迎しておりません。

例えば、自分で述べた内容の論拠を提示しろと言われて、ググれとか朝鮮語や英語のサイトを自分で調べろなどという態度は、弊ブログでは全く認めておりません。自分の主張の論拠が朝鮮語や英語のサイトにしかないのであれば、当該サイトの論拠に該当する部分とその訳文を、求められる前に提示するべきです。

と言うか、他人のブログのコメント欄を我が物顔で汚してまで言いたいことがあるなら、他人のブログに寄生などせずに、自分でブログを立ち上げれば良いのにと思います。

現在弊ブログのコメント欄に寄生している寄生虫は、韓国が今年もノーベル賞を受賞出来なかったことに劣等感を爆発させて今回の行動に及んだようです。韓国がノーベル賞を取れないことなど、最早当然過ぎてネタにすらならないことなので、弊ブログではあえて取り上げなかったのに、わざわざ昔の記事にアクセスして火病るのですから、まったく不快で迷惑な寄生虫です。

ただ、他人に不快や迷惑をかけることで自分の存在の優位性を主張しようとする朝鮮人らしい所業をリアルタイムで観察出来たことは、一応の収穫と考えられなくもありません。

また、弊ブログはレベルの高い方が多くご来訪になっており、寄生虫相手でも質の高いコメントを投稿してくださっている方が多いのは、少なくとも管理人にとってはまことに嬉しいことで、これも収穫のひとつと言えます。

いずれにしても、弊ブログのコメント欄に湧いた寄生虫がとことん寄生虫体質なのはよくわかりました。せっかく一所懸命公開自慰にふけってるのですから、ご希望なら今回は特別に「寄生虫だけど何か質問ある?」という専用記事を作ってさしあげようかと思います。

専用記事を希望する場合は、氏名欄に「寄生虫」と記入して、コメント欄に「大変お手数をおかけしてまことに恐縮ですが、専用記事の件、ご好意に甘えたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます」って書いて申し込んでください。ただし、せっかく専用記事を作るのですから、必ず誠実な回答をするように。いつまでも朝鮮話法でコメントを続けるようなら、アクセス禁止措置も検討します。もちろん、寄生虫のリモートホストはちゃんと確認していますから、名無櫓から突然「寄生虫」を名乗っても本人確認は可能です。どうぞご安心を。

というわけで、寄生虫を構いたい方は、隔離記事が出来ましたら、そちらで思う存分構ってやってくださって結構です。隔離記事のコメント欄に限ってであれば、節度も誠意もかなぐり捨てていただいて結構です。もっとも、寄生虫は所詮量産型ですから、量産型のマニュアル通り、正々堂々と専用記事で討論に応じるなどということはなく、早晩捨て台詞を吐いて逃げ出す可能性の方が圧倒的に高いとは思いますがw

朝鮮人との討論は、たいてい今回の寄生虫が実演して見せた通りの展開になることがほとんどです。即ち朝鮮議論とは、議題について議論する人々と互いに理解を深め合い、知識を共有しようとするものではありません。「お前らには理解出来ないこんなにすごい知識をウリは持ってるニダ♪」というのを一方的に見せびらかすことなのです。

その「すごい知識」が本当に「すごい知識」であったとしても、本人がそれを正しく理解していることはあまり多くありません。ほとんどの場合、どんなに「すごい知識」であっても、彼らの理解は薄くて浅くて上っ面です。だからわずかでも突っ込まれると、たちまち返答出来なくなります。

例えば今回の「ポジャギ」についても、「ポジャギ」とは何か?という問いには、およそ答えがありません。誇らしげにサイトを提示して、「これは博物館の資料であり、近代のものではない事を断わって置く」などとほざいていましたが、その「博物館」とは、韓国の淑明女子大学という私立大学内にある小さな博物館で、その上当該展示は常設のものではなく、2008年9月に行なわれた「韓国のポジャギ展」という特別展です。

提示されたサイトはその博物館や特別展の公式サイトでも何でもなく、単にその特別展を見に行ったという個人のブログです。その上、展示物の詳細についての解説や注釈は全くと言って良いほどありませんので、「近代のものではない」などと断言出来る根拠は皆無です(裁縫用のものさしらしきものの画像に「19th ce」という字が見えるので、それが19世紀の物だろうということぐらいしか確認できません)。おまけに、「ポジャギ」が日本では「韓国パッチワーク」として知られている割に、提示されたサイトにはパッチワークではなく、刺繍の画像が幾つもあります。

要は「ポジャギ」とは本来「包む布」ぐらいの意味でしかなく、朝鮮では日本の風呂敷のような大きな1枚布を、物を包むためだけに生産することが出来なかったために、継ぎ接ぎ布で包まざるを得なかったというのが、「ポジャギ」=「継ぎ接ぎ布」=「パッチワーク」となったのでしょう。

染色技術についても「茶系統の染物技術は中国にも輸出された技術的に高度な状態であった。」などと吹いていますが、茶系統の色は、最も容易に染められる系統の色です。服や布にいつのまにか付いた染みが、たいてい茶系統の色になってるのを見れば、染色技術についての知識が全くない方でも、茶系統の色が染めやすいことは容易にご想像いただけるでしょう。

百歩譲って、朝鮮における「茶系統の染物技術」が高度であったとしても別に良いのですが、その色にはどういう名前が付けられ、どこでどのように用いられたのでしょうか。それを提示しない限り、何の説得力もありません。

朝鮮人が白衣民族だったのは、彼らが白を好んだからというのが事実であるなら、何故韓国の伝統的結婚式における衣装や飾りが、これでもかというぐらい色の洪水状態なのか、朝鮮時代のドラマの衣装が、鮮やかな色に溢れているのか、是非とも説明していただきたいものです。

と、彼らの薄くて浅くて上っ面に、いちいち真面目に突っ込んでも良いんですが、実際のところコメント欄での応酬のように、のらりくらりとはぐらかすばかりで、彼らが説明責任を全うすることは、ほとんど望めません。

彼らにしてみれば、「言ってやった」という事実があれば良いのです。「チョッパリにこんなふうに言ってやったぜ」とさえ言えれば、それで満足なのでしょう。たとえその結果として、けちょんけちょんに論破されたとしても、もしかすると閲覧者の中の幾人かは、騙されてくれるかもしれません。

今回、弊ブログに涌いた寄生虫もそうですが、討論に応じる人に真面目に答えて議論を展開するということがないのは、彼らの目的が議論による相互理解ではなく、自分たちの主張を一方的に押し付けるためと、その一方的な主張に素直に騙されてくれるバカを探索するためのものだからでしょう。

この「朝鮮論法に騙されてくれるバカ日本人の選別や探索」もまた、彼らの対日工作活動のひとつではないかと、私は考えています。



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これも対日工作のひとつです

先日、ひょんなことから、韓国の「ポジャギ」というものが日本に入ってきていることを知りました。

「ポジャギ」とは何かを知ってる人は、あまり多くないと思います。これは漢字で「褓子器」と書き、物を包む布のことだそうで、機械翻訳ではナチュラルに「風呂敷」と翻訳されます。

しかし、日本で単に「ポジャギ」と言えば、「韓国の伝統的パッチワーク」を意味することが多いようです。

洋の東西を問わず、天然素材から糸を紡ぎ、それを布に織ることは、機械紡績が普及するまでは大変な手間と時間のかかることでした。故に、布は今の感覚では想像も出来ないほど高価で貴重なものでした。

平安時代頃だったかの日本の文献資料には、役所勤めの人が、服を洗濯するために休暇を申請する旨がしたためられているものがあります。文字通りの一張羅であるために、洗濯すれば替えがなく、乾くまで勤めに出ることが出来なかったのです。布や服が非常に高価なものだったために、洗い替えを用意することが難しい人は、珍しくなかったのでしょう。

布は、贈答品に用いられることはもちろん、税として納めたり、褒美や謝礼に用いられることも極めて一般的でした。故に、洋の東西を問わず、布や布製品が徹底的に使い尽くされることは、極めて一般的だったと思います。

だから韓国にも、布を継ぎ接ぎする習慣や技術が全くなかったとは、私も思いません。しかし、それを韓国の伝統工芸であると言うならば、それにはオブジェクションを唱えたいと思います。

朝鮮は、布の染色技術に乏しく、故に彼らは、紡いだ糸をそのまま織った生成の布で服を作らざるを得ませんでした。彼らが白衣民族と呼ばれた所以です。

工芸的パッチワークは、単に古布をランダムに継ぎ接ぎするだけはなく、用いる布の色や形の違いを利用して、新たなデザインを構成するところに意味があります。染色技術に乏しい朝鮮で、多様な色の布を用いる伝統工芸としてのパッチワークが発生する余地は、普通に考えて多いとは思えません。

また朝鮮人にとって、倹約は必ずしも美徳ではありません。それどころか、倹約を強いられることは、屈辱と言っても言い過ぎではないかもしれません。無くても有るふりをする彼らが、古布を継ぎ接ぎにした布を堂々と用いたかということにも、大きな疑問があります。誇りを持って行なわれなかった工芸が、伝統となることは考えられません。

そもそも韓国では、裁縫は昔から実用一辺倒で、趣味を兼ねるということはありませんでした。これは日韓チャットで韓国人にも確認したことですが、韓国では自分で服を作ることは、貧乏臭いことと思われているそうです。裁縫は、必要に迫られれば嫌々やらなくもない、というもので、もっと言えば、そもそも裁縫などは仕立て屋や下女等の、他人にやらせるものという意識があるそうです。

ところがこれが日本に入ってくれば、何故か韓国の由緒ある伝統工芸になります。当の韓国では、ほとんど無視されているにも関わらずです。

更にそれが韓国に逆輸入されると、「つまらない下位文化に過ぎなかったポジャギが、今や全世界から普通名詞で使われるほどに私たちの文化の優秀性を知らせる大事な文化遺産に位置づけした」(これは韓国刺繍博物館館長談だそうです)ということになります。

これは、何もこのポジャギに限った図式ではありません。テコンドーや韓国茶道なども、あるいは韓国の大衆芸能なども、これと全く同じ図式です。

即ち、韓国ではさほど価値も認められず注目もされていないものを、日本人(在日やザパ、帰化人等も含む)が認め、日本で「韓国では貴重で価値のあるもの」として宣伝流布します。その後「日本で宣伝流布した」ということを「日本人が価値を認めた」ということにして、それを事実として付加し韓国へ再配布するという、例のパターンです。

これは芸能人やオリンピック競技となったテコンドーのように、派手な分野で大々的に行なわれることも多いのですが、今回ご紹介したポジャギや韓国茶道のように、関心を持つ人がそれほど多くない分、気づかれにくく、一旦浸透するとなかなか修正がきかない分野でも、静かに精力的に行なわれているようです。このようなニッチな分野にさえこういう工作が浸透しているのは、韓国人が概ね(本人にその意識があるかないかに関わらず)対日工作員であるからこそ、可能なことでしょう。

こういう韓国人の工作活動に対し、日本人はもっと切実な危機感を抱くべきとゴマメがどれだけ歯ぎしりしても、韓国を知らない日本人には聞こえないし、仮に聞こえてもおそらく理解出来ないのだろうなと思うと、なんともやるせない気分になります。

それでも、一人でも多くの理解してくれる日本人が増えることを願って、ゴマメは今日も歯ぎしりを続けています。



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朝鮮と書いて「似て非なるもの」と読む

秋たけなわ、金木犀の香りに包まれる季節になってまいりました。その昔、金木犀の香りはトイレの芳香剤の香りとして盛んに用いられたために、「金木犀の香り=トイレの香り」という条件反射が成立してしまった人が多かったようですが、最近は、トイレの芳香剤に金木犀の香りはあまり用いられなくなったようで、その分、金木犀の香りのイメージは回復しているのでしょうか。そうでなくとも金木犀の香りは甘ったるいと嫌う方もいるようですが、私はこの時期にこの香りがないと、寂しい気がします。

ところで先日、日韓チャットで韓国人から「秋は男の季節です」とわけのわからないことを言われました。何故そうなのかという説明は一切なく、「韓国ではそう言います」で終了でした。

「日本ではどうですか?」と聞かれたので、「日本で秋は、収穫の季節です」とだけ答えておきましたが、日本でも「この季節は男の季節」とか「この季節は女の季節」などと言うのでしょうか?どなたかご存知なら教えていただければ幸いです。

さて、この爽やかな季節に爽やかでない連中についての考察です。本日は「朝鮮」という言葉の持つ意味についてです。

一般に「朝鮮」と言えば、地域あるいは国家もしくは民族名として用います。この場合の「朝鮮」は、「韓国」とほぼ同義と言って良いでしょう。

現在の韓国人にとっては、日本人が「朝鮮」「朝鮮人」と言うことには激しい拒否感があります(不思議と日本人以外が「朝鮮」「朝鮮人」と言うことには、あまり拒否感がないようです)。その勢いが余って、中には「朝鮮と韓国は全く違う」「朝鮮と韓国は全然関係がない」などと言い張る者もおりますが、それは単なる減らず口と負け惜しみなので、完全に無視して良いでしょう。

「韓国」という名称は、歴史的には韓国が朝鮮だった時代にも用いられており、単純に「朝鮮」の別称です。ただし南北朝鮮が分断している現在では、単に「韓国」と言えば、「朝鮮半島南半部韓国地区」という意味になり、「朝鮮」よりは意味がかなり狭く限定されることになります。

弊ブログでも原則として「朝鮮」という単語は、韓国に限定しない地域あるいは国家もしくは民族名の意味で用いておりますが、実はそれ以外の意味で用いることもしばしばあります。例えば「朝鮮儒教」、「朝鮮キリスト教」、「朝鮮道徳」などがそうです。

この場合の「朝鮮」を、「(韓国に限定しない)地域あるいは国家もしくは民族名」と理解すると、大きな誤解を生じることになります。なぜなら、この場合の「朝鮮」は、「似非」「擬似」「のようなもの」などの意味に近いからです。

弊ブログにおいて、「朝鮮」という単語が「似非」や「擬似」や「のようなもの」という意味で用いられることがあるという前提を知らない人は、例えば「朝鮮儒教」を、単に行なわれた地域や民族名を冠しただけの「儒教」と考えてしまうかもしれません。それでは、文章の内容を大きく誤解してしまう可能性があります。

それならば最初から「似非」や「擬似」や「のようなもの」という単語を用いれば、そんな誤解は防げるだろうにとお考えの方もいらっしゃるでしょう。しかし、そうすれば今度は、朝鮮における儒教には、真正な儒教と似非儒教があった、あるいはそのように意識されていたという誤解が生じます。これはキリスト教や道徳でも同じです。

「朝鮮的」や「朝鮮風」と書いてニュアンスを表す方法もあるにはあります。しかしそれで表現出来るニュアンスは、如何にも弱いのです。「朝鮮化」とでも書けば、かなり近いかもしれません。

それでも、「朝鮮化儒教」とか「朝鮮化キリスト教」、「朝鮮化道徳」では、これもまたずいぶんニュアンスが弱まります。何故なら、朝鮮人たちにとっては、「朝鮮化した」儒教やキリスト教、道徳こそが真正な本物だからです。

「外国人から見れば似非でも擬似でも「のようなもの」でも、朝鮮人たちにとってはそれこそが本物」というニュアンスは、「化」や「風」「的」では表現し切れません。

表現上どう転んでも誤解が避けられないのであれば、より事実とニュアンスに適合する表現を用いるのが、文章を書く者の良心ではないかと思います。その上で、誤解を減らすべく意味を補足すれば、尚一層良心的でしょう。

「朝鮮」という単語が、地域あるいは国家もしくは民族名以外に、「似非」や「擬似」や「のようなもの」という意味を持つかは、「朝鮮」について知らなければ理解が難しいと思います。弊ブログをご覧の皆様であれば、その辺のご理解は既に十分お持ちの方が多いだろうということに甘えて、文章表現における誤解を減らす努力を怠ったのは筆者の罪です。率直にお詫びし、今回の文章で補足したいと存じます。

ところで今ふと思ったのですが、「朝鮮人」というのも、今回補足した意味での使用例と言えるかもしれません。



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どちらに転んでも

北朝鮮独裁政権の三代目が金正恩に決定したと報道されましたが、今回改めて思ったのは、「朝鮮人から見て、金日成は絶世の美男子」という説はいまだに健在なのだなということです。

ウリナラチラシで「金正恩に業績がないから金日成に似せて整形した」などという説がまことしやかに報道されるのも、朝鮮人には「金日成の容姿は好ましい」というコンセンサスがあるからではないかと思います。

日本人的には、金日成を見て「絶世の美男子」とは全く思えないのですが、朝鮮人には何か心に響くものがあるのでしょう。こういう美的感覚についてもそうですが、日本と朝鮮(韓国)は本当にあらゆる点で異なると思います。

しかし日韓が似ていると言う人は、日韓共に少なくありません。私も、親韓の頃はそう思っていましたので、多分親韓日本人にはそう思っている人が多いのではないかと思いますし、韓国人の多くは、間違いなくそう思っています。

日本人と韓国人は、人種的に黒髪、黒い瞳、黄色い肌という点では確かに共通します。実物を見たことはありませんが、韓国人にも幼児期に蒙古斑があるらしいので、それもまた共通点と言えるでしょう。体格は、日本人に比べると韓国人の方が秀でると言われておりましたが、これも微々たるもので、栄養状態や生活様式の変化で日本人の体格が向上した現在では、目立って韓国人の方が大きいということはありません。

しかしながら思いつく日韓の共通点はそれぐらいです。これらの共通点は、別に日本人と韓国人だけの共通点ではなく、中国人の多くやベトナム人、モンゴル人等の、東洋人一般に共通する点でしょう。

日本語と韓国語が似ていると言う人もよく見かけます。確かに日本語と韓国語の語順は似ていますが、発音は大きく異なります。語順が似ているというだけで「文法も同じ」と誤解している人は日韓共に多いようですが、文法ももちろん日韓では異なります。日本語と韓国語で共通の漢字語はたくさんあり、その中には中国では用いない漢字語、いわゆる「和製漢語」も多くありますが、それらは日本と韓国の共通点と言うよりは、韓国における日帝残滓と呼ぶべきものです。

日本語の祖語が朝鮮語であるという説は、竹島が韓国領土である証拠と同じぐらいの頻度で浮上しますが、竹島が韓国領土である証拠と同じ程度に確信的事実誤認や根拠浮薄な牽強付会に基づいた説で、ほとんどの場合、言語学の専門家ではない人(しかも日本語もしくは韓国語の初学者と言っても良いレベルの人)によって唱えられています。

先に日帝残滓と言いましたが、これが故に日韓で似ているものは、確かにたくさんあります。韓国の電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、皆日帝残滓です。韓国では時々発作的に日帝残滓排斥が叫ばれますが、焼け石に水どころか、煮えたぎる坩堝に水ほどの効果もありません。そもそも現在の韓国から日帝残滓を全廃すれば、韓国は現在の生活レベルを維持出来なくなりますし、日帝統治終了後も韓国は、一所懸命日本文化を取り込んでいるので、おそらく韓国が存在する限り、韓国から日帝残滓が消滅することはないでしょう。

数年前まで韓国では、日本文化の流入を公式には認めていませんでした。故に数年前まで、日本文化は韓国に全く入らなかったかと言えば、そんなことはありません。それどころか、韓国への流入経路が限られているのを良いことに、日本文化をせっせと取り入れては、韓国オリジナルの文化のように韓国民に思い込ませたことは、例えばドラえもんや鉄腕アトムが韓国オリジナルだと思っていた韓国人が少なからずいたことを思えば、容易にご理解いただけるでしょう。

そのせいで、日本文化はより一層韓国に浸透しました。日帝残滓排斥など、ざるで水を汲み出すより甲斐のない活動ですが、汲み出す尻からバケツで更に水を継ぎ足すような真似をしているわけですから、韓国における日本文化が増えることはあっても、減ることは今後もありません。

それをもって「日韓は似ている」と言うのは、違うのではないかと思います。

例えば、「福山雅治のそっくりさん」という人がいたとします。その人が生まれながらに福山雅治にそっくりで、特に意識したわけでもないのに所作や話し方や趣味まで近いのであれば、それは確かに「似ている」と言って良いでしょう。

しかしその人が、整形手術で福山雅治似の顔にして、福山雅治のビデオを擦り切れるほど見て話し方や所作や服装を研究し練習を重ね、その結果として福山雅治そっくりになったとすれば、それは「似ている」のではなく、「似せている」と言うべきだと思います。

韓国の場合も同様です。彼らは一所懸命日本に「似せようとしている」のであって、決して天然自然に「似ている」のではありません。

ところが韓国人は、「日本に韓国を似せようとしている」とは絶対に言いません。日本がオリジナルで、韓国が模造品であることを認めたくないからです。だから彼らは「日本と韓国は似ている」と言います。それだけでは飽き足らず、「日本は韓国に似ている」とまで言おうとします。

もちろんそれは、彼らの序列意識のためでしょう。日本が文化的にも精神的にも、韓国の下流にあることにしなければ、彼らの劣等感は常に爆発し続けることになります。ですから「日本と韓国は似ている」と韓国人が言う時、それは「日本は韓国に似ている」と言っているのと、ほぼ同義になります。これが煮詰まれば、「日本が韓国に似ているのは、韓国人が日本に文化を伝えたからだ」となります。即ち、韓国起源説です。

日本人が韓国人に「日本と韓国は似ている」と言われた時は、即座にそれを否定するか、さもなくば「それは日韓だけでなく、東洋人全体の共通点です」と、より正確に言うべきでしょう。そうしなければ、韓国人の「日本は韓国に似ている」という意識を日本人が裏付けし、助長することになってしまい、彼らの意図的勘違いを一層重症化することになります。

こうしてつらつら思うに、交流を持たなければ勝手に日本の文化をコピーしてオリジナルを主張するし、交流を持てば持ったでお人好し日本人を騙してコピーした日本文化を韓国起源と認めさせようとするしで、どちらに転んでも日本にとって韓国という存在は、まことに厄介で面倒な存在です。



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秋の田のかりほの庵の韓国ウォッチ

10月に入り、熱帯顔負けの暑さもなりを潜め、すっかり秋らしい気候になってまいりましたが、韓国ウォッチもすっかり飽きが来ている今日この頃です。正直、チャットで量産型の相手をするのも岩手の西隣です。

何しろ相変わらずの量産型ばかりです。チャットをすると言っても、こちらが何歳で、どこに住んでいるかを明らかにしないと、全く話が始まりません。

彼らがチャットで個人情報を執拗に知りたがることは、今までにも何度か書きましたし、チャットログでも見ることが出来ます。

あまりに執拗に年齢を問い続けるので、何故チャットで年齢を知る必要があるのかと聞くと、彼らはたいてい「年齢によって話題の共通点が探れるからだ」となどと言います。10代なら学校や好きな芸能人の話、20代なら就職や仕事、将来の夢の話、30代なら家庭の話なんだそうです。

しかし実際に年齢を明かしても、そんな会話が始まった例は一度もありません。なぜなら、彼らが年齢を知りたがる理由はみなさまも既にご承知の通り、共通の話題を探るためではなく、年齢による【序列】を明確にするためだからです。

先日チャットで、「相手の年齢を知らずに、どのように対人関係を維持しますか?」と言った韓国人がおりました。その韓国人曰く、「年齢を確認するのは、年少者が年長者に半言葉を使えば失礼だからです」との由。

「それならば、相手の年齢にかかわらず、丁寧な言葉を使えば良いのではないか?」と問うたのですが、実はこの問いは、嫌がらせとまでは言えませんが、韓国人にとって答えにくい問いなのです。

韓国では一般に、年長者が無条件で上位者になります。上位の者は下位の者に対して、横柄でぞんざいな態度を取ることが認められているというか、むしろそのように求められているようです。

言葉遣いもそれと同様で、年長者が年少者に向かって丁寧語で話すことは、韓国人にとってはあまり居心地の良いものではないらしく、韓国語留学の体験談などでも、年下の知人から「あなたは私より年上なのですから、どうぞパンマル(半言葉=ぞんざい語)でお話しになってください」と、極めて丁寧な言葉遣いとイラついた口調で言われたという話を目にすることがしばしばあります。

日本語には、タメ語と呼ばれる対等の友人同士で用いる言葉がありますが、これは決してフォーマルな言葉ではありません。しかし韓国語のパンマルは目下の相手に用いる言葉で、必ずしもインフォーマルではないようです。それは、彼らの硬直した序列意識においては、年長者に丁寧な態度や言葉遣いを用いられると、年少者はそれ以上の丁寧な態度と言葉遣いをしなければならなくなるからでしょう。

この「長幼の序」は、朝鮮儒教に基づく韓国人の常識ですが、朝鮮儒教思想と言えば韓国では少々古臭いイメージがあり、特に若い韓国人にとって「長幼の序」は窮屈ということもあってか、これを積極的に誇る若い韓国人はあまり見ません。その上「年齢に関わらず、初対面の他人を尊重して丁寧な言葉遣いをするのは当然ではないのか?」という道徳的正論をぶつけられると、「長幼の序」という朝鮮儒教思想にこだわって年齢を聞くのが何だか格好悪いように思うらしく、なんだかんだと言い訳を並べながら誤魔化すのが一般的です。

住んでいる場所についても、彼らは年齢以上に執拗に知りたがります。これも彼らの弁によれば話題を探るためなのでしょうけれど、実際は彼らが関心を持っているところに住んでいる日本人かどうかを確認するためです。

例えば東京に住んでいると答えれば、たいていの韓国人は大喜びします。大阪と答えても、彼らは喜ぶでしょう。北海道と言っても、多分好反応が返ってくるでしょう。しかし、例えば滋賀や三重と答えれば、彼らの反応は非常に寒々しいものになります。まず絶対に「日本一大きな湖のあるところですね!」とか、「伊勢神宮で有名ですね!」などという言葉は聞けません。

というか、そもそも東京や大阪、北海道と答えても、彼らが一方的に喜ぶだけで、そこから話が弾むということはほとんどありません。韓国人にとっての東京は新宿や原宿、お台場であって、それ以外の東京はほとんどわかりません(小笠原諸島が東京都内にあることを彼らが知らないことは、昔のチャットログでご覧に入れたことがあります)し、大阪と言えばタコヤキとオコノミヤキです。北海道が韓国と大差ない大きさということさえも、もちろん知りません。せいぜい行ったことがあるとか行きたいとか言うだけで終了です。

ですので、私は住んでるところも韓国人には明らかにしません。執拗に問い詰められれば、「あなたの知らない地域です」と答えます。ところが、私がそう答えると、韓国人の10人に8人ぐらいは「私の知らない地域はありません」と壮語します。

普通、外国の地名を言われて、俄にわかるのはかなり有名な一部の地域と都市だけです。日本人にしては、韓国についてかなり詳しいと自負する私にしても、韓国の全ての道名(日本で言うところの都道府県名)や、主要都市名全てを熟知しているわけではありません。日本に関心があるといった程度の韓国人が、日本全土全ての都道府県名や主要都市名を知っているなどということがあり得るはずがありませんが、韓国人は平然と壮語します。

以前、そのように壮語する韓国人に、ものは試しと言うことで「そうですか、では私は枚方に住みますが、枚方はわかりますか」と言ったことはあります。

枚方市は都道府県で言えば大阪府下にあるのですが、あえて市名で言ったのは、「大阪」では彼らが大喜びして終了するだけということが分かっていたのと、枚方市には韓国通の日本人なら名前ぐらいは聞いたことのある百済王神社や伝王仁墓などがあり、韓国人が本当に歴史に詳しいならば、知っていても不思議はないところだからです。

ところが、やはりと言うか当然と言うか、その韓国人は枚方という地名も、それが大阪府下に存することさえも知らなかったわけです。それでもなお「私が知らない日本の地名があることを初めて知った」などと、最後まで壮語をやめませんでしたが。

本当に「知らない地名があることを初めて知った」と思うなら、それがどこにあり、どのような特徴のあるところなのかを話題にしても良かりそうなものですが、これも当然ながら、それ以上の追及は全くありませんでした。

そりゃ自分が知らない地名があることを知らないままにしておけば、私が知らない地名はないと言えるわなって言うか、韓国人の知識全般に対する姿勢って、常にそうだよなと改めて思った次第でした。



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月見櫓 韓国 日韓