平成22年年末ご挨拶
今年もいろんなことがありました。個人的に今年最大と思うニュースは、はやぶさの帰還です。
半島関連では、すわ朝鮮戦争再開かと思われた延坪島砲撃事件が最大のニュースでしょう。12月31日現在で、朝鮮戦争はいまだ再開されておりませんが、かと言ってその可能性がなくなったわけではありません。
もし朝鮮戦争が再開されれば、日本としても他人事全開というわけにはいかず、多少なりとも影響を受けるのは必至でしょう。
戦争経験のない私としては、出来れば未経験のまま一生を終えたいというのが正直なところではあります。ただ、「そうなってほしい」という願望を、韓国人がそのまま何の根拠もなく「そうなるだろう」と決めつけ、さらにそれを「そうなるに違いない」と発展させて思い込む愚を犯してきたのを笑った立場としては、同じことをするわけに行きません。
このことに限らず、韓国ウォッチをしていると、自らの身を省みさせらることがよくあります。
これは実は、結構苦しいものがあります。聖人君子でない身であれば、いけないとわかっていてもしてしまうこともありますし、だめだとわかっているのになおせないこともあります。そういう時に、「聖人君子じゃないんだから、しかたないよね」と言って自分を許してしまえれば、どれほど楽でしょうか。
しかし長年韓国ウォッチをしているせいか、自分を許してやりたくても、頭の片隅で「お前は韓国人かw」と私を嘲笑う私がいます。これが実に苦しい。いっそ本当に韓国人であれば、どれほど楽でしょうか。
しかし、「韓国人だったら楽だろうな」とは思っても、韓国人になりたいとか、韓国人だったら良かったのにとは微塵も思えません。
日本人なら誰でも共感いただけると思いますが、日本人であることは、結構しんどいし苦しい。それでも私は、日本人として生まれてきたことを全く悔やんではいないし、死ぬまで日本人であり続けたいと思います。おそらく、日本人の多くが同じことを思うでしょう。
日韓チャットをしていなければ、またブログを書いていなければ、こんなことは多分考えなかっただろうと思うと、苦しいなりに得るものはあったのだなと思います。今後もそれを、弊ブログをご覧の方に少しでもお伝え出来ればと思っております。
ともあれ今年も1年間、なんとか続けることが出来ました。これもひとえに皆様のご支援の賜物です。本当にありがとうございました。
それでは新しい年が皆様にとって良い年でありますように、そしてまた来年も弊ブログにご指導ご鞭撻と、ほんの少しでもご声援を賜れますよう祈って、年末のご挨拶とさせていただきます。
日韓チャットの最終目的
さて一年の締めくくりとして、日韓チャットに限らず、日韓翻訳掲示板でも、某巨大匿名掲示板のハングル板でも、あるいは在韓日本人のブログを通してでも良いのですが、韓国ウォッチの最終目的について考えてみたいと思います。
日本人の韓国ウォッチの最終目的と言ってもいろいろあると思いますが、そのひとつは、日本を振り返ることではないかと思います。
明ければ、私がブログを始めてから6年目になります。この間、弊ブログでは一貫して、日本にとっての日韓友好は単に不要であるだけでなく、その促進はデメリットの多いものであるという意見を表明し続けてきました。これについて、異論・反論を受け付けていることも、未だ変わらぬ方針です。しかしながら現時点で、日本にとっての日韓友好促進の有用性を具体的に説いてこられた方は、皆無です。来年も引き続きお待ちしておりますので、ご意見をお持ちの方は是非お越しいただきたいと存じます。
日韓友好促進は日本にとってデメリットが多いと言うと、途端に「では今すぐ日韓断交すべきと言うのか」と気色ばむ人がいます。「日本は韓国との貿易でどれだけ儲けてると思っているのだ」と言い出す人もいます。こういう人は、環境保護と聞けばすぐに「では人間は今すぐ原始生活に戻れと言うのか!」と脊髄反射する人と同種なのでしょう。
個人的感情論で言わせていただけるならば、速やかな日韓断交の実現を、望ましいと思ってはいます。しかし、俄にそれが無理なことも、熟知しております。だからこれまでも、「今すぐ直ちに速やかに日韓は断交すべきだ」などとは言っていないはずです。弊ブログで私が主張しているのは、まずは現在促進されている韓国的な発想の日韓友好を止め、日本の国益を主眼に置いた節度ある交流に戻すべきということです。
弊ブログをご覧の方であれば、韓国的な発想の日韓友好とは何ぞやということは既に十分ご存知だと思います。が、もしかすると一見さんもおられるかもしれませんので、くどいようですが改めて「韓国的な発想の日韓友好」について、ごく簡単に説明しておきます。
「韓国的な発想の日韓友好」とは、ものすごく簡単に言えば、互いに融け合うように一体化することです。もっと分かりやすく言えば、韓国が頭と胴体で、日本が手足となることです。一般的な日本人が考えているような、独立した二国が信頼に基づいて互いに互いを尊重し合い、助け合い、補い合い、支え合うという関係ではありません。
韓国が感じ思うままに日本が動き、その口に食べ物を運び、その腹を満たすことが、韓国的発想の日韓友好なのです。
「韓国的な日韓友好」がどのようなものかを知れば、それが日本人にとって絶対に望ましくないことは、並の知能があれば容易に理解が出来るでしょう。ところが現実には、日韓友好を口走る日本人が少なくありません。その理由が、並以下の知能の日本人が多いためでないならば、日本人が日本的な発想で韓国人を理解している、あるいは理解しようとしているからではないかと思います。
この「日本的な発想」を、当たり前ではありますが、私たち日本人はあまり意識しません。外国人から、「日本の常識は世界の非常識」などと言われて初めて、「え?そうだったの?」と驚くぐらいです。
日本が日本人のものだった時代は、それで特に問題ありませんでした。もし問題があったとしても、日本的発想で解決が可能でした。しかし今は違います。日本に多数の特亞人が紛れ込むのみならず、日本は日本人のものではないと公言し、日本を破壊し、切り売りしようとする人々が、日本の中枢にまで入り込んでいる時代です。
もし今、日本人が自らを省み、日本を日本人の手に取り戻すための決心と努力を始めなければ、遅くとも今世紀の終わりまでに、日本は消滅してしまうでしょう。日本の消滅を望む勢力は、そのための努力を今も怠りなく続けているのです。
しかし、いざ具体的に日本と日本人を振り返って見ようとしても、あてどもなく振り返っていては焦点が合いません。日本を侵食しようとしている最大勢力は特亞三国だと思いますが、その中でも、韓国(人)は非常に優秀な反面教師となり得ます。また日本と日本人を考えるための触媒としても、韓国(人)は有用だと思います。
中国が一番問題じゃないか?というご意見もあるかと思いますが、一言で中国と言っても、人種も地域も言語も非常に多様です。その点、韓国は極めてコンパクトで均質で、しかも情報が入りやすく、扱いやすいと思います。
そういう意味で、韓国ウォッチとは日本人が日本を振り返るための材料収集に、最も良い方法ではないかと思います。
明ければ21世紀が始まって10年目です。日本人が日本を振り返り、この国が日本であり続けるために私たち日本人はどうすれば良いかについて真剣に考える節目の年になればと願って、2010年の締めくくりとしたいと思います。
肯定的に考えることのリスク
精神衛生上はよろしかったのですが、弊ブログの執筆上はあまりよろしくなく、そうでなくても最近は韓国人について、些細なネタならありますが、ブログでご覧に入れるほどのことはあまりありません。
先日も申し上げました通り、最近よく考えるのは韓国人そのものよりも韓国人に対する日本人についてです。
韓国(人)に対する考察や批判について、悪いところは注目せずに、出来るだけ良いところに注目する等、相手や物事を肯定的に受け止めることが、接する自分の精神衛生上も良いと主張する人が、親韓日本人には少なからずいます。
それは確かに、一面の真実ではあります。相手や物事の悪いところに注目し、あるいは常に疑い、警戒心を持ち続けることは、精神的に非常に疲労します。何より、そんなことをしている自分が汚れているような気がして嫌になります。
韓国ウォッチは、常にそのまま韓国批判になりがちです。少しは良いように見てやれんのかと、苦々しく思っている人もきっといるでしょうけれど、こちらとしても、言わせんなそんなことのオンパレードでうんざりしています。
だから本当なら、自分の精神衛生のためにも、韓国の悪いところよりは良いところを見てやりたい気持ちはなくもありません。そもそも良い悪い自体が解釈次第だったりすることもよくあります。ですから、彼らの良いところを見つけることは、全く不可能なことではありません。
ですが、彼らの良いところ(あるいは、あえて良いように解釈出来なくもないところ)を取り上げることで、私たち日本人が得るものはあるでしょうか。
例えば、彼らの親切さについて取り上げてみるとしましょう。韓国を訪れる欧米人ならば、「韓国人は親切である」と言うことがよくあります。しかし彼らの親切は、彼らが好ましいと思っている相手のみに限られるということは、以前韓国のテレビ局が行なった実験の動画からも明らかです。
この場合、欧米人であれば「韓国人は親切である」と考え、そのような理解を持つことについて、さほどの問題はないでしょう。何故なら彼らは欧米人に対しては、たいていそのように接するからです。
逆に東南アジア人(おそらくは黒人の場合も)であれば、「韓国人は不親切というより無礼だ」と考え、そのように理解することも問題ないでしょう。何故なら大抵の韓国人が、東南アジア人(あるいは黒人)に対してはそのような態度だからです。
ところが日本人は、実に微妙な立場にあります。もちろん日本人は、見た目からして欧米人ではありません。しかし韓国人が殊更に蔑む東南アジア人(あるいは黒人)でもありません。欧米人も東南アジア人も黒人も、韓国人から見れば明白に外国人なのですが、何故か日本人に対してだけは「外国人」という意識が薄いようです(これは日韓チャットでも非常にしばしば感じることです)。
彼らは、韓国にいる日本人をほぼ100%の確率で見分けると言います。同国人ではないが、外国人という意識も希薄な日本人に対する韓国人の民族的意識は、間違いなく反日です。しかし個人の意識としては親日であることも珍しくありませんというか、親日が多いぐらいです。以前も述べたように、日本人は何が何でも騙さねばならないと思っている韓国人も多いのですが、同時に日本人からは良い評価を得たいと切実に思っている韓国人もまた、非常に多いのです。
こういうアンビバレンツな対日意識を反映して、日本人に対する韓国人の態度も複雑で安定しません。ですから日本人は韓国では必要以上に親切にされることもありますが、必要以上に攻撃的な態度を示されることもあります。彼らがどちらの態度を示すかは、日本人側からは全くコントロール出来ません。おそらくですが、韓国人自身にもコントロール出来ないのではないかと思います。
この場合、日本人としてはどちらの態度を重視するべきでしょうか。言うまでもなく、「必要以上に攻撃的な態度を示されること」を重視し、それに備えるべきでしょう。運良くリスクが現実にならなければそれに越したことはありませんが、もしリスクが現実になった場合、それに対する備えがなければ悲惨なことになるからです。
もちろん、可能ならば彼らの複雑で安定しないモザイクのような意識を、全てそのまま理解するに越したことはありません。しかしそれには、膨大な時間と根気が必要になります。そこまでして彼らの複雑で安定しないモザイク意識を理解したとしても、彼らがどういう態度に出るかをこちらからコントロールすることは出来ません。結局日本人にとってリスクの高い方の態度を警戒しておくに越したことはないという結論に至るわけです。
韓国人の良いところを殊更に取り上げたり、肯定的に解釈したりするのは、精神衛生的には良いことかもしれません。韓国人をよく知る人ほどそうでしょう。しかしそれを他の日本人に広めるのは、リスクを説明せずに、メリットだけを説明して先物取引を勧めるのと同じようなものだと私は思います。
メリットだけを説明する方が、説明する方としてもそれを聞く方としても、精神的には楽です。リスクは、説明する方も聞く方もあまり愉快なものではありません。だからと言って、リスクを説明せずにメリットだけを説明するような相手を通して、先物に手を出せばどうなるでしょうか。先物取引についてよくわからない人は、お父さんかお母さんに聞いてみましょう。
先物取引の怖さをご存知の方ならば、メリットだけを説明してリスクを一切説明しないということがどれほど極悪な行為か、よくおわかりいただけるのではないかと思います。
韓国人の場合も、見切りを間違えば人生を狂わすほどのリスクを負う可能性があります。これを「大袈裟な」と笑う人は、韓国(人)を全く、あるいは中途半端にしか知らないか、あるいはよく知っているがそのリスクの回避法もよく知っている人か、さもなくば韓国人そのものだと断言します。
私はそのいずれにも該当しません。故にやはり、私は韓国(人)に対して、今までどおりのスタンスを維持するべきなのでしょう。
身中の虫
日本的クリスマス行事とも一切無縁な私ですが、別にあえて拒否もいたしません。日本においては鶏受難の日となる本日、皆様方におかれましては、良いクリスマスをお過ごしでしょうか。
さて、日韓チャットの過疎が激しくなってから既にもうずいぶん経ちます。もっとも、それでなくとも量産型の連中ですから、目新しい発見というものはもうあまりありません。もちろんそれは、チャットから見れる部分だけの話ですので、あるいはチャットからは見えない韓国人像というものがあるのではないかと、チャット以外の韓国人観察アプローチも、実はいろいろ画策しております。
その際に、意外に参考にならないのは生韓国人との接触です。というのも、一人の人間が直接実際に接触することの出来る韓国人の数というものには、自ずから物理的限界があるからです。
一人の人間が接触可能な限られた数の生韓国人から、韓国人という集団の最大公約数的共通点を模索することは可能かもしれませんが、逆に限られたサンプルを以て韓国人全体を語ることは、当の韓国人からも「一部を見て全体を判断しないでください」と厳に戒められております。そういう意味でも、ネットというのは実に手軽に、いろんな方面からたくさんのサンプルに触れることが出来る、極めて便利な手段だと思います。
特にブログという個人の意見をダイレクトに発信する道具は、これまで新聞の投書欄ぐらいしか個人のダイレクトな意見発表の場がなかった(しかも、送られた投書全てが無作為に公開されるわけではなかった)ことを思うと、情報の受け手としても送り手としても、大変便利な時代になったものです。
何しろ韓国人自身が韓国人をよく理解しておりません(というか意図的に誤解している)ので、もしネットがなければ韓国や韓国人、及び朝鮮半島と朝鮮人全般というものを知ることは、非常に困難だったと思います。
そうやってネットを通して韓国(人)を観察していて痛感するのは、何故韓国人はああなのか、ということではありません。いや、最初はそうでした。日本を目の敵にしてある事ない事をあげつらい、全て悪く解釈して侮り蔑み罵り謝罪と賠償を求めるくせに、彼らは決して日本から離れていこうとしないだけでなく、必死で擦り寄り、というか貪るように接触を求めて来るのは何故だろうと、そういうことを一所懸命考察していた時代も、私にはまちがいなくありました。
しかし現在では、「何故韓国人はああなのか」ということは少なくとも、私たち日本人にとってはさほど大した問題ではないと思うようになりました。単にそのまま、彼らはそういう生き物である、ということだけを知ればそれで十分であって、何故彼らはそうなのだろう?ということまで考えても、仮にその考察に納得のいく結論が出たとしても、私たち日本人にとってはあまり意味のあることではありません。
逆にそれは、人によっては害毒になる可能性さえあります。「何故韓国人はああなのか」という考察によって、「韓国人がああなのは仕方ないのだ」という結論が出たとして(はっきり言ってこういう結論しか出ませんw)、それが「だから日本人はそれを理解すべきだ」というところまでで止まれば良いのですが、「日本人はそれを許容すべきだ」とか「日本人は韓国人の立場で考え、韓国人の望むように行動すべきだ」という思考へと飛び跳ねる可能性が低くないからです。
あるいは「韓国人がああなのは仕方ないのだ」という結論に満足出来ず、「彼らも変わり得るはずだ」から「我々が彼らを変えるべきだ」という方向へ飛び跳ねることもあります。
チャットにも、稀にそういう日本人や在日が来ることがありますが、そういう日本人や在日はなかなか私たちの話を聞いてくれませんし、また率直に意見を言おうともしません。こちらが彼らの意見を聞こうとしても、良くてとぼけたりはぐらかしたりする程度で、悪ければ韓国人と全く同じような論理を述べ、それに反論すれば韓国人と同じような論理で私たちを非難します。何故なら、そういう人は大抵が思考を硬直、あるいは停止させているからです。
そういう日本人や在日は、韓国人に取っては絶好の餌です。韓国人の歪んだ意識は、そういう日本人や在日によって「日本人も認めた」というお墨付きを与えられ、肥大します。実際、韓国人はそういう日本人を発見すると、積極的に近づき取り込みます。
逆に私たち日本人にとっては、在日はともかくとして、そういう日本人は癌にもアキレス腱にもなります。
「住めば都」というように、他人から見ればかなり望ましくない環境であっても、一度そこへはまりこめば、意外に快適ということはよくあります。韓国や韓国人との付き合いも同様のようで、産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘氏はこれを「ソウルの二度泣き(日本人がソウルに赴任になると悲しんで泣くが、いざソウルを離れることになる頃には離れがたくなって泣くこと)」と表現しておられます。
反日であっても、韓国人は一人だと寂しくて死んでしまうウサギです。彼らは一人になることを恐れるあまりに、非常に粘度の高い人懐こさを見せます。それを好感出来る人や、好感までは行かずとも同情したり受容することの出来る人にとって韓国人との人間関係は、人肌のゲルに包み込まれるような安心感をもたらすものなのかもしれません。そのゲルが何で出来ているかを全く考えなければ、それはそれで快適なのでしょう。
しかしそれは同時に、彼らの集団意思との同化を求められることでもあります。それを十分理解しないまま韓国人に取り込まれると、身体も国籍も日本人なのに、精神が韓国人になってしまう人は少なくないだろうとは漠然と思っておりました。が、少なくないどころか意外に多いということが、ネットを通して韓国や韓国人を見ている内に痛感されるようになりました。
私が監視している韓国人には、日本語のブログをいくつも(私が把握しているだけで7つ)発信している対日工作員とおぼしき韓国人がいます。韓国人に取り込まれた日本人はその工作員とほぼ同じ働きをすることになるのですから、韓国人にとってこれほど便利な存在はないでしょう。
中には心の底まで韓国人と同化し、日本に対する悪意の工作活動と十分理解して情報発信を行なっている日本人もいるようですが、おそらく大半は無邪気に日韓友好を願う善意の日本人でしょう。しかしこの善意の日本人は、悪意の対日工作員よりも数が多いという点で、ずっと始末に負えません。
何故なら、そんな彼らにとって「日韓友好」とは、言わば宗教における神だからです。その実現は絶対普遍の幸福であり、その意義や存在や正当性を疑うことそのものが、彼らにとっては大きな罪なのです。
ネットで韓国人を見ている内に、そういう日本人が少なからずいること、意図的で有る無しに関わらず、韓国人がそういう日本人を求め、そういう日本人を彼らの代用工作員として利用しようとしているということが見えてきました。
日韓問題において、私たち日本人が最も警戒し対処すべきは、韓国人や在日よりも、そういう日本人ではないかと強く思うようになってきた今日この頃です。
朝鮮戦争再開が回避されるとすれば
しかし今度は逆に、北朝鮮がへたれ気味。
延坪島での韓国軍による射撃訓練に対して、事前には散々威勢の良いことを吹き散らかしていたくせに、いざ本当に訓練が実施されると、「ウリはあんな幼稚な火遊びなんかに気を使わないニダ」とか、日韓チャットで常連日本人から十字砲火を浴びて満身創痍になった韓国人が、「チョッパリはこんなことしか言えないのですか。幼稚ですねkkkkkk」と必死で虚勢を張る姿とオーバーラップします。まことに、朝鮮人の品質の均一性は、かくも高いものかと改めて感心いたしました。まあ、北朝鮮の場合は韓国にビビってんじゃなくて、そのバックで睨みを利かせてるアメリカにビビってるんだと思いますが。
ただ、このへたれっぷりも北朝鮮の撹乱のひとつという可能性は十分に考えられます。ないものをあると言うのは朝鮮人全般に共通した習性ですし、今までの実績からも、北朝鮮はやることはやらないと言い、やらないことはやると言うことがしばしばあります。そう言えば北朝鮮が突然核査察を受け入れると言い出しましたが、これに対してアメリカが強く懐疑的なのも、そういう過去の実績があるからです。
とにかく、現在の朝鮮半島情勢は予断を許しません。
朝鮮戦争の再開に関しては、韓国から仕掛けるということは絶対にありませんが(これは断言します)、国際情勢あるいは周辺国の情勢によって、北朝鮮がわずかでも好機と判断し得る事態が発生したり、あるいは北朝鮮内部の事情で戦争を起こす方が良いと判断し得る事態に至った場合に、北朝鮮が(周囲からすれば唐突に思えるタイミングで)仕掛ける可能性は十分にあります。
何しろ北朝鮮には韓国ほど失うものがありません。国民にしても、戦争で死ぬのも餓死するのも死ぬのは同じというところまで追い詰められている北朝鮮人と、使い回しが当然なぐらいふんだんに残飯を出し、ダイエットに頭を悩ませるほど飽食している韓国人とでは、戦争に対するモチベーションの高さがまるで違います。
朝鮮半島内部で朝鮮人同士が食い合い殺し合うだけなら、思う存分(願わくは最後のひとりが息絶えるまで)やれば良いと思いますが、日本にとってこの対岸の火事は、飛び火の可能性も十分にある火事です。ましてや日本には、当事国に忠誠を誓った反日民族が合法的定住者だけで数十万もおります。さらに一時的滞在者や不法滞在者を入れると、その数は百万を軽く超えるでしょう。彼らが本国での有事勃発に合わせて、日本国内で何らかの行動を起こさないという保証は全くありません。私は起こすに決まっていると思っています。以前も申し上げておりますのでくどいと思われるでしょうが、私たち日本人はそれに対しての、少なくとも心の準備ぐらいはしておくべきです。
という訳で、延坪島砲撃以後、朝鮮半島有事について韓国の現状や韓国人の考えを聞いてみたいなと思ってはいるのですが、現在の日韓チャットはまず韓国人があまり来ない上に、来ても朝鮮戦争再開については彼らが可能な限り目を逸らしていたい話題ですから、とぼけたりはぐらかしたりで全く話になりません。
常連韓国人の中には、真面目に受け答えしてくれる韓国人もいないわけではありませんが、有事に対する危機感は日本人である私の方が上だったりします。
何しろ先だって大きく報道された民間防衛訓練にしても、在韓日本人が訓練をぶっちぎって勝手に街の様子を写真を撮りまくり、得意げにブログで紹介していたのを見つけ、そのあまりの酷さに私が激しく呆れて、韓国人にそのブログを見せたのですが、私がそれを何故酷いと言っているのか、韓国人にはまるでわかっていませんでした。
私が初めて韓国を訪れたのは1990年ですが、その当時は、みだりに街の風景を撮影することは厳に慎むようにと、はっきりガイドブックに書いてありました。当時の韓国は「間諜(スパイ)申告113」という貼り紙を随所で見かけましたし、街角には軍装の兵士が銃を構えて立哨しておりました。
知らずにでも軍事施設や防衛上の要所に関わるところを撮影したり、たとえ撮影してなくても撮影したと思われて通報されれば、スパイ容疑で連行されることも十分あり得ました(記憶が定かではないのですが、確か妹尾河童さんが、韓国で市場をスケッチしていて、間諜容疑で連行されたことがあったのではなかったかと思います。もしかしたら妹尾河童さんの知り合いだったかな?)。
民間防衛訓練にしても、先だっての日本の報道は、まるで朝鮮戦争後初めて行われたかのような報道だったようですが、あれも私が韓国を初めて訪れた頃は毎月1度、必ず行われていたものです。もし運良く(悪く?)「民防の日」にかち合えば、旅行者だろうが外国人だろうが関係なく訓練参加を強制されますし、指示に従わなければ逮捕されたり連行されることも十分ありました。
即ち、民間防衛訓練実施中に、訓練を無視して勝手気ままに街の様子を写真に撮りまくるなどという行為は、朝鮮半島情勢が緊迫している現在、単に無神経であるだけでなく、その場でスパイ容疑で逮捕されても文句が言えないほどの危険な行為ですし、韓国にとっても、防諜上甚だしく問題のある行為です。にも関わらず、当の韓国人は「その行為は防諜上甚だしい問題がある」ということに全く気づきませんでした。
それほどに現在でも韓国人は、北朝鮮に対する防諜意識が低く、朝鮮戦争に対する危機意識がありません。
ウリナラチラシには、【市民「戦争になれば志願入隊する」】などという勇ましい記事もありますが、言ってる韓国人は果たしてどこまで本気で言ってるのか、というかどこまで事態を現実的にイメージ出来ているのか激しく疑問です。もっとも赤化韓国市民に言わせりゃ中央日報は「信用出来ない新聞のひとつ」ですし、それを差し引いても、対外的には常に彼らの妄想上の模範的韓国人を装う韓国人が、街頭インタビューで「戦争が始まったら逃げます」などといった本音を言うはずもありませんが(ちなみに、日韓チャットで数少ない韓国人にインタビューしたら「戦争が始まったら逃げます」と言う韓国人ばかりでしたw)。
しかし、北朝鮮を攻撃することについては強い躊躇を見せる韓国人ですが、韓国の大統領府である青瓦台を攻撃することについては全く躊躇しません。その辺りに、韓国における北朝鮮の赤化工作の浸透っぷりが伺えます。
朝鮮戦争の再開が回避される可能性もゼロではありませんが、それは今までのように韓国や周辺諸国による現在の北朝鮮独裁政権の維持、即ち「問題の先送り」以外にあるとすれば、韓国内の赤化勢力による統一工作が奏功し、韓国人自ら青瓦台を襲撃して韓国大統領を血祭りにあげ、「平和統一」の美名の下に、戦わずして韓国が北朝鮮の支配を受け入れる場合だろうと思います。
毒になる国
しかし実際はそうでもありません。常連日本人だけで「韓国(人)の悪口」を言って盛り上がることなど、ほとんど無いと言っても良いほどです。
何故なら私たち日韓チャット常連日本人は、もう既に韓国人がどのような生き物なのか、うんざりするほど知っているからです。だからオイタをする韓国人に対しては、淡々とお仕置きをした後、歎息程度の愚痴を言うことはありますが、いつまでもそれを話題にすることはありません。それを話題にすることそのものが、不快だからです。
後から入ってきた常連韓国人が目ざとくお仕置きの痕跡を見つけて、「また韓国人が暴れましたか?」と聞くこともありますが、それに対して私たちが恨み言を言ったり嘆いてみせたりすることはほとんどありません。「いつものことです。慣れてます」と言うぐらいです。
そもそも、私に韓国人を矯正しようとか善導しようなどという考えは皆無です。
韓国人が二枚舌で疑り深く無礼で傲岸不遜で恥知らずで卑怯で狡猾で無節操であっても、それで彼らは幸せなのだから、私がとやかく言うことではありません。
むしろ私が日本人的価値観や道徳を振りかざして、それを韓国人に押し付けることの方が彼らにとって不幸でしょう。何故なら、それは彼らの価値観や道徳と完全に相容れません。それを押し付けることは、彼らの本質的な習性に逆らい、ねじれを生じさせ、彼らを苦しめることになります。
現在の韓国人を苦しめている最大の日帝残滓は、日本人的価値観や道徳であると断言しても良いでしょう。
かつて私たちの先人が朝鮮を併合した際に、この日本人的価値観や道徳を彼らに押し付けたのは、無論悪意があってのことではありません。むしろ、彼らに良かれと思ってのことでしょう。
泥と糞尿にまみれ、異臭の充満する不潔な環境で、絶対権力者から理不尽な虐待と搾取を受けるのみの生活は、日本人から見ればどう考えても不幸でしかありません。
と言えば公衆衛生はともかく、「理不尽な権力者から虐待と搾取を受ける」というのは、日帝統治期も同様であったと言う向きもおられるでしょう。しかし、日帝統治期の日本人権力者による支配は、李朝末期の王族や両班によるものよりも、格段に穏やかであったことはさまざまな資料が物語っています。オイタをすればそれに応じたお仕置きはあったでしょうが、それは断じて「理不尽な虐待」ではありません。少なくとも、「日本人的」には。
「理不尽な虐待や搾取」の具体例は、ロシア大蔵省が調査した朝鮮の資料を日本の農商務省山林局が抄訳した「韓国誌」に次のように紹介されています。
「強請を為すの方式は驚くべき簡単にして、彼らはその助手を伴い、昼間もしくは夜間に富裕なる商業或いは工業家に侵入し、その主人を捕獲して、顕官の家もしくはその他危険なき場所に引致して、従順にして要求を承認するものは遅滞なく放免し、もし要求せらるる額を払わざる者ある時は、笞杖もしくは絶食の苦を与え、これを払うまではその苦痛を免れざらしむ。多少廉恥心ある両班はこの如き略奪を借用の名義において行うと雖も、之を返済したる例なきにより、一人としてこれに信おく者なし」
要するに「(両班は)富裕な商人や職人を拉致監禁して身代金を要求する。多少なりとも恥を知る両班であれば、借用という名目で金を巻き上げるが、それが返済されたためしはないので、誰もそれを信じない」ということです。
身代金目的の誘拐は日本人的感覚であれば立派な重犯罪であり、もし日帝統治期にこれを行なう者がいれば、日本人であれ朝鮮人であれ、厳しく処罰されたでしょう。このことだけでも、朝鮮人の多くは日帝統治期の方が李朝末期よりも格段に安心して生活出来たはずです。
「日本人的感覚」で考えれば、李朝末期の王族や両班による理不尽で過酷な虐待や搾取がなくなった、あるいは取り締まられるようになったことで、至福とまでは言えなくとも、不幸の要素をひとつ取り除くことが出来たことになり、当時の朝鮮人をわずかでも幸せに近づけることが出来たと思います。
しかし現実の韓国人は、全くそうは思っていません。日帝統治は「人類歴史上最も残忍な帝国主義侵略」であったといまだに言っております。
これは、李朝末期の悲惨さを知らず、誇張された日帝統治の残虐さを信じることで、反日の正当性を維持するための減らず口なんだろうと、「日本人的感覚」では思えます。
けれど、それはあくまで私たち「日本人の感覚」によるもので、韓国(朝鮮)人的感覚では、李朝末期の朝鮮人は日本による支配を受けるよりも、そのままの方がずっと幸せだったというのが事実かもしれません。
北朝鮮が、その仮説を裏付けます。
日本とアメリカの干渉によって、朝鮮人としては極めてねじれてしまった韓国人と比べ、北朝鮮人は李朝時代をそのまま継承しています。経済的には確かに北朝鮮の方が韓国よりもずっと困窮していますが、韓国人と比べると、北朝鮮人はねじれの度合いが極めて軽度です。韓国人と比べると、精神的に安定していると言えます。北朝鮮で最も精神的に不安定なのは恐らく、帰国同胞(帰国事業によって日本から北朝鮮へ帰った元在日朝鮮人)でしょう。何故なら彼らは、「日本的価値観や道徳」に汚染されているからです。
飢餓に耐えかねて脱北した北朝鮮人は、現在韓国に2万人以上いますが、彼らの多くは幸せではないようです。中には、北朝鮮へ帰りたいと言う者さえいると言います。それは北朝鮮と比べると韓国全体が「日本的価値観や道徳」に汚染されているからでしょう。即ち、「日本人的価値観や道徳」は、韓国(朝鮮)人にとって毒でしかありません。
私は優しいので、毒とわかっているものを韓国人に与えようとは全く思いません。
同時に、日本人にとっても朝鮮人的価値観や道徳は猛毒であると痛感する今日この頃です。毒と言っても、口にすればたちまち人を殺す毒もあれば、穏やかに緩やかに少しずつ身体を蝕む毒もあります。日本人にとって朝鮮人的価値観や道徳は、まさに後者の毒でありましょう。
最近の日本には、この毒に犯された者が増えているように思えます。しかも、日本を動かす人々にまで、その毒が蔓延しています。
日韓チャットで私たちが話すことは、この毒に侵された日本人のことや、毒の汚染範囲の拡大を憂い嘆くことの方が、韓国のことなどよりも実はずっと多いのです。
日本人は騙さねばならないという韓国人の強迫観念
韓国人不正アカウントの取得には色んな方法がありますが、かつて日韓チャットや日韓翻訳掲示板が盛んだった頃によく言われていたのが、不正な住民登録番号による不正アカウントの製造です。
韓国は国民総背番号制になっており、韓国人なら誰でも住民登録番号を持っています。これは逆に言えば、住民登録番号を持たざる者は韓国人にあらずと言っても良いほどです。在日韓国人のパスポートを幾度か見たことがありますが、彼らの場合は仮の住民登録番号のようなものを付与されているようです。ただしこれは仮の番号のようなもので、男女の別こそあれど、皆一律の番号であったと記憶しています。なので事実上、在日韓国人にも韓国人住民登録番号は付与されていないと言って良いようです。
何故住民登録番号を持たざる者は韓国人にあらずとなるのかと言えば、韓国で生活するためには、この住民登録番号がなくてはならないものだからです。韓国では何をするにせよこの住民登録番号が必要で、これがない在韓外国人や在韓中の在外韓国人(ああややこしい)は大変な不便を強いられます。
インターネットの使用においても、それは例外ではありません。日韓チャットも当然、韓国人の会員登録にはこの住民登録番号が必須です。
そのため不正な複数のアカウントを取得するには、本名ならぬ本住民登録番号以外の、不正な住民登録番号が必要となります。
以前は住民登録番号ジェネレータと呼ばれるソフトがあって、これを用いれば架空の住民登録番号が製造出来ました。もちろん、クレジットカードなどの公式な申し込みには使えませんし、もし用いれば明白な犯罪になってしまいますが、チャットの会員登録程度であればケンチャナヨと考える韓国人は一般的です。
そのため日韓チャットには、不正な複数アカウントによる韓国人が溢れかえっていました。
そもそも韓国人は、どこを切っても金太郎です。なので不正な複数アカウントによる撹乱は、面倒だから全部同じ量産型と思ってしまえば、受ける方としてはさほどの被害ではありません。しかし「被害を受ける日本人の考え」は、加害韓国人たちにはどうでも良いことなのです。彼らからすれば、「日本人を騙せた」という事実があれば良いのです。日本人がそれをどう思うかなど、最初から思慮の外です。
ところが、現在の日韓チャットではそれが出来なくなったそうです。もちろん、8割でパペクトの韓国人がやることですからぬかりはあるらしく、特殊な条件をそろえれば抜け道や裏口を使用して複数アカウントを取得することは出来るようですが、その特殊な条件を満たすことそのものが難しく、実質上現在の日韓チャットで韓国人の新規な不正アカウントは取得出来ないようです(ただし、自分以外の他人の住民登録番号を使用して複数のアカウントを取得することは、本人の承諾の有無に関わらず厳密には犯罪ですが、多分今でも可能で、やっている韓国人はいると思います)。
その結果として、現在の日韓チャットの過疎化が促進されたと見る向きもあります。
これが事実かどうかを確かめる術は、今のところ私にはありません。ありませんが、少なくとも現在の日韓チャットが往年と比較すると凄まじいまでに激しく過疎っており、それは単にブームが過ぎ去っただけと言うには、あまりにも極端であるということは、皮膚感覚でも疑いありません。
不正な複数アカウント使用に限らず、彼らはとにかく日本人を騙そうと考えています。それはどんな些細な事でもかまいません。実際には騙せてなくても、彼らの主観的に騙せたと考えることが出来れば十分なのです。
彼らが呼吸するように嘘をつくのも、そのためでしょう。聞かされる日本人的には、その嘘で何をどうしようと言うのだろう?というような、本当にどうでも良い嘘を、彼らはするりつるりと吐きます。何をどうするわけでもないのです。「自分が日本人を騙せた」という感触を味わうことが、彼らの大きな目的なのですから。
先日、大倉集古館所蔵の利川五重石塔について韓国の国会議員が「日本がよく保管してくれた。ありがとう」と言ったことについて、韓国国内でこれを強く非難する声があがりました。
このこと自体は韓国ウォッチャーにとってはさほどに目新しい話ではありません。韓国において日本は絶対悪であるから、その絶対悪を手放しで認めたり褒めたりすることは、例えそれがわずかであっても決して許されることではないからです。もしどうしても彼らが日本を認めたり褒めたりしなければならない時は、それを補って余りある罵倒や非難をまず述べてからでなければなりません。
今回非難の対象となった韓国議員もご多分に漏れず、「発言当時、日本の文化財略奪を強く批判した後に利川五層石塔還収の雰囲気が熟し‘リップサービス’(話を相手の気持ちに合わせること)次元で言ったまで」と釈明しました。
これなども彼らの「日本人は騙さなければならない」という強い意識を、如実にあらわしていると言えるでしょう。
彼らがそう考える理由は、幾つも考えられます。しかしその理由よりもまず私たちが熟知するべきは、「日本人を騙すこと」が韓国人の対日行動原理となっているということだと、私は考えています。
日本の政治に朝鮮人が関わればどうなるか実験中
彼らの圧倒的多数が、違う個体であっても同じような考え方や言動をするのは、彼らの共有するイメージとして、個を超越した妄想上の韓国人(あるいは朝鮮人)というのが存在するせいだと私は思っております。
彼らの自己イメージは、個人の中ではなく民族の中にあります。即ち、彼らが妄想上で構築している「理想の韓国人」です。その「理想の韓国人」は、聡明にして賢俊、世界一礼儀正しく、見目麗しく、誰からも無条件の尊敬と羨望を受ける存在です。
実際にはそれらを全て兼ね備えている韓国人など、南北在外全ての朝鮮人を合わせても片手の指の数ほども存在するかどうか極めて怪しいのですが、少なくとも日韓チャットの韓国人の99%ぐらいは、意識的無意識的に他者から自分がそう思われるべきであると考えております。
黙っていればあるいは、そういうイメージを崩さずにいられるかもしれませんが、何らかの期待を抱いていれば、その期待通りの言葉を相手に言ってもらいたくて黙っていられないのが韓国人と言うか、朝鮮人という生き物です。
結果として彼らは、量産型を露呈して日本人の嘲笑を買うことになります。
彼らの持つこの「理想の韓国人」という絶対的共有イメージが、彼らの画一性を構築する要素のひとつではないかと私は考えております。
こういう「自己と掛け離れた理想の自己イメージ」を持つのは、自己イメージがまだ上手に把握出来ない(というか形成中の)幼児や青少年に有りがちで、それが韓国人を見ていると幼稚に見える理由のひとつになっていると思います。
幼児や青少年に自己イメージの把握不十分な者が多く存在するのは当然として、ある程度の年齢を重ねても、上手く自己イメージを把握する能力を獲得出来ない人は、実は日本人でも存外珍しくありません。こういう人は、力を持たなければ周囲に迷惑をかける存在になったり、その度が過ぎれば犯罪者になったりしやすく、力を持つと無能で横暴な独裁者になりやすいようです。
という訳で前振りが長くなりましたが、今日はその「力を持った韓国人のような日本人」について。
何かもう、日本の現政権を見ていると、韓国ウォッチをしているような気分になってくる今日この頃です。特に総理大臣の酷さは、前の鳩ぽっぽ総理も日本の歴代総理で一二を争うと思いますが、現在の菅総理もそれに引けを取りません。
緊迫する半島情勢に対し、「有事勃発の際は韓国へ自衛隊を派遣して北朝鮮の拉致被害者を救出する」とかいう発言に至っては、韓国人からさえも「お前は何を言ってるんだ」と言われる始末。韓国にも北朝鮮に拉致された被害者はたくさんいますが、もし戦争が再開されたら、その被害者たちの救出に余力を割いている場合ではないということぐらい韓国人にもわかっているのに、日本の現政権の現職総理大臣にはわかっておりません。
いくら日本が戦争当事国ではないとは言え、戦場になる韓国をわざわざ経由して北朝鮮領内へ「国際紛争を解決する手段としての交戦権」を持たない日本の自衛隊が邦人拉致被害者の救出とか、具体的に考えてないとしても、イメージ的に何を考えていたのでしょうか。これは要するに、「非常時のどさくさに紛れてなら何をやってもケンチャナヨ」という考えに基づいた、火事場泥棒予告と言っても良いのではないかと思います。
更には菅総理の「これまでは仮免だった」宣言。この政権の「明日から本気出す」は毎度のことですが、これは酷過ぎます。
普通自動車一種免許をお持ちの方なら誰でもご存知だと思いますが、仮免許による路上教習は、仮免許を取得すれば勝手気ままに行えるわけではありません。資格を有する同乗指導者を乗せ、所定のサイズの「仮免許練習中」標識を練習車両の前後の見え易い位置に掲示しておくことと定められています。言うまでもなく、法規に則った運転を行わなければならないことは、本免許取得者同様です。
現政権が政権を取った際、あるいは鳩から菅に変わった時、「仮免許練習中」の標識を掲示するどころか、「今から仮免練習します」とおくびにでも出したでしょうか。政権を取った取ったと大喜びで勝手気ままに国政を運営しておきながら、失策を連発すれば「仮免だったからしかたない」とはどういうことでしょうか。
また国政を仮免気分で運営してたということ自体が問題と言えば問題なのですが、半万歩譲って、菅総理の期待通り仮免運転中だったことを国政を誤ったことの免罪符にするならば、本免許の発行は当然のことながら拒否されます。
にも関わらず抜け抜けと「明日から本気出す」とほざくとは、本場の朝鮮人もビックリの厚顔さです。
ここまで朝鮮人臭が酷いと、この発言に対する言い訳も余裕で想像出来ます。「そういう意味ではありません」「そんなつもりではなかった」「肯定的に考えてください」等、韓国人が言うような類のことを言うのではないかと思います。
「朝鮮人のような人」が政治に関わればどうなるのかを、具体的に見せてくれている現政権。外国人参政権が実現して、本物の朝鮮人が日本の政治に関与してくるようになればどのようになるかを、現在実地で検証してると思って、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでいる今日この頃です。
って言うか、これで目が覚めない日本人が少なくないなら、日本はやはり永眠する運命にあると思わざるを得ません。
友達の友達が友達とは限りませんので
しかし韓国も立候補していたとは全然知らず、更に韓国が開催地に落選したのは日本のせいだと言ってるというのも、【厳選!韓国情報】さんで見て、初めて知ったぐらいでした。
韓国(人)は、何故か日本(人)は絶対に韓国(人)の味方をするべきだと信じております。ところが同時に彼らにとって日本とは絶対悪であり、常に韓国の邪魔をする存在でもあります。
即ち、彼らの中では「日本は韓国の味方であるべき。→でも日本は絶対悪で、だから常に韓国の邪魔をする。→あらゆる韓国の失敗は、全て日本が邪魔をするせい。→日本はその贖罪として無条件全力で韓国の味方をするべき。→でも日本は(以下略)」というループが成立し、彼らが日本を見るときは必ず稼働しております。
まともな思考能力があれば「日本は絶対悪」と考えるならば、「だから日本とは与するべきではない」となるはずですが、そうならないどころか、真逆とも言える「だから日本は韓国の味方をするべき」と考えるのが韓国人の韓国人らしい点と言えましょう。
さて、最近の日韓チャットは、ほとんど韓国人がいません。ですので現在のところ、日韓チャットを通しての韓国(人)のリアルタイムな情報は、常連韓国人からのものに限られています。その常連韓国人から漏れ聞く現実の韓国人は、報道などで聞こえてくる韓国人と同様、相変わらず現実から必死で目を逸らしているようです。
朝鮮半島は現在、戦争再開が現実のものになるかどうかの瀬戸際に立っているわけですが、その当事者たる韓国人はと言えば、全力で「戦争は起きない」と自ら固く信じ、また他人も自分と同じように固く信じるべきだと思っているようです。その姿はまるで、自分が目をつぶれば外敵から見つからなくなると信じて、ひたすら目を閉じ身を竦めている被捕食動物のようです。
中にはある種の開き直りなのか、戦争が始まっても恐ろしくないとうそぶく韓国人もいると、日韓チャットの常連韓国人が教えてくれました。その理由を聞くと、「自殺するより戦争で死ぬ方が楽だ」とのこと。
朝鮮戦争が始まって北朝鮮兵が韓国全土を蹂躙していた頃、北朝鮮兵が韓国人を虐殺する光景は頻繁に見られたらしく、多くの韓国人が「人間が人間を殺すのに、あれほど残酷な殺し方が出来るとは思わなかった」という感想を残しています。これと同様のことを、日韓チャットの常連韓国人も、朝鮮戦争を体験した祖母から直接聞いたことがあると言っていたほど、それは頻繁にあった光景だったようです。
生きるのが苦しいが自殺も恐ろしいという気持ちはわかります。が、だからと言って、筆舌に尽くせぬ殺し方をする北朝鮮兵に殺される方がマシだと本気で思えるとは、現実逃避と平和ボケにもほどがあると思います。
あるいは漠然と、突然砲弾が自分の頭の上に直接落ちてきて、自分の身に何が起きたか理解する前に死んでいるという状態を想像してのタワゴトかもしれませんが、望む人に望むような死に方をさせてくれる戦争などありません。
昨今の日本人の中にも「いっそ戦争が始まれば良いのに」と言う人がいるようですが、それはWGIPによって徹底的に戦争に対する罪悪感を植えつけられ、その結果とことん平和ボケしたせいで、逆に戦争にカタルシスを求めるようになったためとも考えられます。
しかし韓国は自称戦勝国です。韓国民は戦争に恐怖感を抱いていることはあるかもしれませんが、罪悪感を感じていることなど全くありません。それがここまでボケにボケ倒しているのは、韓国でWGIP並の洗脳工作が行われたからではないでしょうか。その洗脳工作が、どこの誰によって何のために行われたものなのかは、最早言う必要もないでしょう。
そんなこんなで韓国人は必死に戦争は起きないと思い込もうとして、そう言い募っておりますが、事態は全然収束しておりません。それは日本に対して、米軍統合参謀本部議長が、米韓軍事演習への参加を一度ならず求めてきたことからも伺われます。それが必要と思われるほどに、朝鮮半島の事態は緊迫しているということです。
しかしこれは正直、米軍の無茶振りだとは思います。日本とアメリカは同盟国で、アメリカと韓国も同盟国ですが、日本と韓国は同盟国ではありません。更に日本の自衛隊が韓国軍の仮想敵とされているのは、既に公然の秘密となっております。
そもそも朝鮮半島有事に際し、日本が無条件で韓国をバックアップしなければならないという理由は、現在のところほとんどありません。あえてあると言うならば、北朝鮮より韓国の方に滞在している日本人や日系企業が多いということと、半島有事に際し日本が韓国に加担する理由が限りなくゼロに近いとすれば、北朝鮮に加担する理由は果てしなくマイナスということぐらいでしょう。
その上、WGIPによって日本人は戦争を罪悪だと固く強く信じています。ですから、いくら朝鮮半島情勢が緊迫しているとわかっていても、日本がアメリカ軍の無茶振りに応じないのは当然です。韓国が自ら進んで日本に頭を下げて頼むのであればまだしもですが、少なくとも表面上は、韓国も消極的です。
しかし冒頭で述べた通り、韓国は何故か日本が韓国を全面的にバックアップするのが当然だと信じているとは思います。自分たちが進んで頭を下げて頼まなくても、日本から頭を下げてバックアップさせてくれと言ってくるに違いないと思っているでしょう。更に同時に、彼らは日本を絶対悪視しており、常に韓国を失敗させようと企んでいると思っているでしょう。
そんな捻れた相手と、戦争という極限状態で組めばどうなるかは、先の大戦で私たちの先人が嫌というほど味わっております。いくら同盟国アメリカの要請といえども、聞くわけにはいきません。
というか、WGIPを私たち日本に押し付けた張本人はアメリカなのですから、朝鮮半島の戦争に日本を巻き込まないで頂きたいものです。
補正が掛かってるのを知って読めば貴重な情報源
執筆者は仕事による広義の強制連行の人もいれば、自主的に韓国人と結婚して韓国に移住している人もおり、韓国にやや批判的な人からアバタもエクボな人まで様々です。共通しているのは、とにかく「韓国だけを一方的に悪く言ってはならない(=韓国を批判したら、それと同じかそれ以上に日本を批判する)」という強いバイアスが掛かっていることです。もっともこれは在韓に限らず、日本人ならたいてい誰でもそうなのかもしれません。
更に共通するのは、「在韓日本人といえども、意外に韓国のことを知らない」ということです。もちろん、今、その場で起きていることのレポートは比較的正確で詳しいのですが、話が韓国の歴史や文化関連になると途端に心許なくなるのです。
それは恐らく、元々韓国のことを詳しく知ってから韓国に住むようになったわけではなく、何も知らないまま韓国に住むようになったためでしょう(何も知らないからこそ韓国に住めるという説もありますw)。
以前から申し上げておりますとおり、韓国人は意外に韓国のことを知りません。もちろん彼らの生活習慣などは現地韓国人の方が断然に詳しいでしょうけれど、韓国の伝統文化や歴史等の韓国概論については、彼らは本当に知りません。これは韓国の歪で偏った教育や言論のためですが、それは彼ら自身がそういう教育や言論を好むためです。どちらが先かはニワトリ・タマゴの論争になりますが、私個人としては「韓国人自身が、歪で偏った教育や言論を好むため」というのが先だと確信しております。
例えば、アメリカで出版されている「竹の森遠く」という本の内容について、以前から韓国人が文句を言っておりましたが、いまだに言ってるというのがごく最近ニュースになっておりました。
このニュースでは韓国人の子供が親に「何故韓国人は日本人を困らせたの?」と聞いたことが紹介されておりますが、このことについて韓国人の親は子供に詳しい話を説明するのではなく、「竹の森遠く」という本そのものをなかったことにしようとしております。このように韓国人は自身に都合の悪い事実があれば、それは全て否定し、あるいは歪曲したり捏造したりします。彼らが何かにつけ日本に向かって歪曲の捏造のと喚き散らすのは、ある意味彼らの自己紹介でもあるのです。
更に言えば、先述の記事でも紹介されているとおり、彼らは彼らの歪で偏った教育や歴史観を、盛んに他者に押し付けます。彼らの教育や歴史観の押し付けを他国の教育機関に対してでもほとんど躊躇しないのですから、自国に住む外国人に対してなど、一切躊躇するはずがありません。
何も知らない状態で韓国に住むようになり、韓国人配偶者や配偶者の家族、職場の同僚等、極めて限られた韓国人からの情報だけをよすがにすれば、韓国のことをよく知らないままでもしかたありません。何しろ、韓国人自身が、韓国の歴史や文化を知らないか、あるいは誤って理解しているのですから、その韓国人に直接教えられた在韓日本人が、歪で偏った韓国知識を持つようになるのは、ある意味当然かも知れません。
日韓チャットでは韓国関連の話をして韓国人をけちょんけちょんに言い負かすことがよくあります。すると言い負かされた韓国人は「お前は韓国に来たことがあるの?!」と叫ぶことがしばしばあります。これに「ある」と答えればその韓国人は「韓国に住んだことがあるの?!」と叫ぶでしょう。もしこれに「ある」と答えれば、次は「お前は韓国人なの?!」と叫ぶでしょう。
つまり彼らは「韓国に来たことがあって、韓国に住んだことのある韓国人でなければ、韓国のことはわからない」と言いたいわけですが、残念なことに韓国に生まれ育った韓国人ほど、韓国のことがわかっていないのです。
歴史でも文化でも、悪い点を取り払って良い点だけを集めるということは出来ません。何でもそうですが、良い点悪い点で裏表になっているものが多いからです。あるいは悪い点を「なかったこと」にすれば、それを反省することもありません。即ち、同じ過ちを何度も繰り返すことになります(韓国人はその「同じ過ちを何度も繰り返す」という過ちさえも、「なかったこと」にしてしまいます)。
そんな韓国人に取り囲まれて暮らす韓国について何も知らない日本人が、韓国について日本人韓国ウォッチャー以上に詳しくなるのが難しいのはしかたのないことでしょう。
ただ困ったことに、在韓であるというだけで、少なくとも在韓ではない日本人よりも韓国に詳しいと、本人も在韓ではない日本人も勘違いしていることが少なくありません。そこから日韓の様々な齟齬が発生することも多いのではないかと思います。
例えば、とある在韓日本人が韓国人の犬肉食について「韓国では犬は夏バテ防止のために特別な時にだけ食べて、しかも食べるのは一部の犬が好きな(?)人たちに限られる」「犬の肉はものすごく栄養価が高く、また高い肉は非常においしい」などと書いておりました。これら全てが嘘っぱちなのは日本人韓国ウォッチャーには常識なのですが、在韓日本人は韓国人から直接聞いたことだからと、疑うことはもちろんのこと、更に詳しく調べるということもしません。
これを何も知らない日本人が聞けば、「在韓日本人が韓国人から直接聞いたことなのだから事実だろう」と鵜呑みにするであろうことは想像に難くなく、それを日本人韓国ウォッチャーが訂正しようとしても、「だって在韓日本人がそう言ってたもん」と言って聞かないことも、十分に考えられます。
在韓日本人の発信する情報は時に韓国ウォッチャーとしても貴重な情報があるのですが、時に「日本人の看板背負った人がこういう韓国人じみたネタを発信するのは困るなあ」ということもあり、痛し痒しという感じです。彼らの誤謬や誤認識を直接に指摘しても良いのですが(実際したこともあるのですが)、ほとんどの場合証拠を提示して反論するでもなく、かと言って誤りを認めて訂正するでもなく、ただのらりくらりヘラヘラと受け流されるだけなのです。
もっとも、韓国に住むには精神的に韓国人化する方が楽でしょうし、更に言えば、そうしなければ韓国で生きていくことは出来ないだろうということは、韓国を知っているだけに十分理解出来ます。
ですから在韓日本人がスタンスを改めるということは、今後も望めません。ならば「在韓日本人だからと言って韓国や韓国人に詳しいとは限らない。そもそも韓国人自身が、韓国や韓国人に詳しいとは限らない」ということを、韓国ウォッチャーは共通認識として持つべきだとしみじみ思う次第です。
米韓合同軍事演習は終了しましたが
その韓国で現在口蹄疫が発生、蔓延の兆しを見せているとの由。もし仮に本当に宮崎県の口蹄疫の感染源が韓国人だとすれば、何というか「自爆乙」としか言いようがありません。韓国人ならこういう自爆をやっても全く不思議に思われないというのも、笑うべきか呆れるべきか、態度に困るところです。
牛や豚を飼っている農家の皆様及びそこへ出入りする可能性のある皆様は、間違っても韓国旅行をしないこと、及び知り合いに韓国旅行をした人がいれば近寄らない近づけないということを徹底するのは当然として、穿った見方をするならば、来春再び日本に口蹄疫を持ち込もうとする韓国人がいるかもしれません。そうでなくとも、たとえ単なる観光客であったとしても、韓国人の接近は厳に警戒することを進言申し上げたいと存じます。
日韓チャットで実験済みですが、韓国人は「韓国人立ち入り禁止」と書くと、より一層入り込みたがります。これは恐らく、彼らが天邪鬼ということもありますが、同時に常に「自分は特別扱いされるのが当然(=韓国人の立ち入りが禁止されていても、自分だけは特別扱いされて当然だから大丈夫)」と考えているからということも、大いにあるのではないかと思います。
ですので、下手に「韓国人立ち入り禁止」などと書けば、逆に韓国人を呼び寄せることにもなりかねないので、これもまたご注意ください。ネットが普及している昨今、なんとなく立ち寄っただけの韓国人観光客が「韓国人立ち入り禁止」の札を見れば、それを韓国全土にアナウンスすることも十分考えられますので。
さて米韓合同軍事演習が終了し、朝鮮半島有事は今のところ新たな動きがありません。これを韓国観光公社などは「収束傾向」などと言って日本人観光客を誘致しておりますが、事態が収束する根拠はどこにもありません(仮に有事が勃発しても、韓国観光公社が責任を取るはずがありませんから、言ったもん勝ちですよねw)。むしろ、今回の延坪島砲撃が、突発的とも言える状態で発生した経緯を見る限りでは、半島情勢は常に緊張状態であると考えるべきです(延坪島砲撃は突発的ではなく、事前に警告があったと主張する人は少なくないようですが、韓国で軍事訓練が行われる時には、北朝鮮から必ず「警告」が行われますが、毎回北朝鮮からの砲撃があるわけではありません)。
前回記事でご覧に入れたハンギョレの記事にあるとおり、親北朝鮮の盧武鉉が韓国大統領に就いている間、さほど大きな南北衝突は起きておりませんでした。しかしそれは、盧武鉉が徹底して北朝鮮の尻を舐める政策を取り続けていたからです。
確かに、それを続けていれば半島情勢が緊張することはなかったかもしれません。ただし対等な関係ではなく、ぶっちゃけ韓国の北朝鮮隷従であり、将来的には韓国が北朝鮮の属国状態になるでしょう。その過程において、北朝鮮を擁護するあまり、韓国は同盟国である米国の手を咬み、国内の不満を逸らすために反日カードを切り続けなければならなくなるでしょう。
半島情勢の緊張を緩和するためだけに北朝鮮に従って韓国も世界から孤立するか、あるいは半島情勢が緊張するとしても、韓国は世界との協調を重視するのかの選択肢を考えた時、まともな思考能力があり、韓国の将来を真剣に真面目に考えている政治家ならば、まず後者を選ぶでしょう。
もちろん、北朝鮮がまともな国であれば、南北融和政策という選択肢も有りです。しかし北朝鮮がまともな国でないのは最早国際常識ですし、そのまともでない国に対して、金大中・盧武鉉と2代10年続いた親北朝鮮大統領(私はこの2名は、北朝鮮の工作員だったと思っています)によって行われた韓国の北朝鮮への隷従政策は、韓国が北朝鮮に吸収されてしまわない限り、北朝鮮の増長促進と南北問題の先送りにしかならなかったことは明白です。
朝鮮半島情勢の緊張は、半島に二つの国家が存在する限り、解けることはありません。これは誰もが認めるところでしょう。
では半島が統一されるためには、どのような手続きが必要でしょうか。特に何もせずとも、自然に穏やかに南北が融和統合されると夢想している韓国人は結構いるようですが、それはあまりにも現実離れした妄想です。現実的に考えるならば、南北統一の方法は話し合いか殺し合いしかあり得ません。
話し合いについては、既に朝鮮戦争停戦から60年近くが経っており、幾度も対話が行われていますが、毎回毎回決裂しているようです。それは当然でしょう。なにしろ朝鮮人には「お互いさま」や「Win-Win」という発想はありません。自分だけが常に一方的に得をしたいと願い、それが当然であると考え、もし他人が少しでも得をすれば、それが自分に関係ないことでも、自分が損をしたと憤り、不当であると考える連中です。そういう連中同士がそれぞれ自国側の利ばかりを求めれば、話し合いが成立する方が不思議です。
ならば選択肢はひとつしかありません。
仮に北朝鮮の独裁政権が三代目継承に失敗して自己崩壊したとしても、それで韓国が安々と平和裡に南北統一を成し遂げられるとは考えられません。何故ならまず第一に、韓国に自力で崩壊した北朝鮮を「お片付け」出来る能力があるとは思えないこと。次に現独裁者の係累以外にも野心を持つ北朝鮮人がいないはずもなく、それが一人や二人ではなければ、いくつもに分散した勢力があるいは国内で互いに殺し合い、あるいはゲリラ化して韓国や近隣諸国へ飛び火する可能性も十分考えられます。日本においては、在日がそれに呼応すれば、今よりずっと厄介なことになるでしょう。
「半島情勢は収束傾向」とか「朝鮮戦争は再開されない」と言ってるのは、ほとんどが韓国人だったり、在韓だったり、韓国人の係累を持つ人だったりするのを見れば、おそらく願望が思考に大きく作用しているのだろうと思いますが、冷静に朝鮮半島情勢を観察すれば半島の緊張が緩和されるなどということはあり得なく、またその影響を免れ得ない我々日本人は、うかつな楽観をするべきではないと思う次第です。
韓国と比べても
私の発言に必死で迎合して、「韓国人の一般的な意見として、韓国は南北統一に反対です」と言ってみたり(これは嘘の2回ひねりが入ってるので、ある意味事実なのですがw)、韓国では日本人に犯罪を行なっても大丈夫で、それは韓国の文化だからしかたないが、韓国の文化は清くて良い文化だから是非遊びに来いと言ったりと、おそらくは私を懐柔するためなのでしょうけれど、釣り針が大き過ぎて飲むふりさえ出来ませんでした。
そんなこんなでここ2日ほど日韓チャットはサボっておりますが、その分ニュースサイトをめぐりながら朝鮮半島情勢関連をウォッチしておりました。
28日に突然中国が「本日午後4時30分に重大な発表を行なう」と思わせぶりなことを言い出し、それを受けてネット雀がおそらくそれは北朝鮮に関連した話だろうけれど、発表までに数時間も待たせるほどだから、きっと本当に重大なことなのだろう、もしかすると北朝鮮を全面的にバックアップしての、朝鮮戦争再開容認宣言か、いやこの機に乗じて尖閣出兵だ、待て慌てるなこれは孔明の罠だ等々、発表までの間にあらゆる推測が飛び交いましたが、フタを開けてみればただの「6カ国会議再開しませんか?」という提案だったという、何とも人をバカにした話でした。
まず韓国は即座にこれを拒否。次いで日米も否定的な反応をしました。まあ、これは当然でしょう。このタイミングで6カ国会議を開いても、実りある話し合いになるはずがありません。
この「重大発表」に、中国のどんな思惑が込められているのかという分析と解説は中国通な方にお任せするとして、延坪砲撃以後一連の韓国側の反応を見て思ったことなどを。
まず一番最初に思ったのは、李明博は今このタイミングで韓国が持ち得る最良の大統領ではないかということです。
李明博は、2007年12月の大統領選挙で、次点にほぼダブルスコアの大差をつけて圧勝。にも関わらず就任直後から、燭火デモに悩まされることになります。これは名目上は狂牛病問題に関連する米国産牛肉の輸入再開反対のデモとされておりますが、実際は2代10年続いた親北朝鮮政策が、李明博によって改められることに対抗するデモでもあったことは明白です。
燭火デモによって、大統領という、韓国における絶対権力者への直接的影響力行使が可能ということを知った韓国人は、何とかの一つ覚えを続け、燭火デモは1年以上も続きます。最初のうちはこれを政治とはあまり関係のない【祭り】として楽しんでいた参加者も多かったようですが、1年以上も続けば【祭り】も日常になります。【祭り】は、非日常であるからこそ日常を中断して非現実的な狂騒に浸ることも出来ますが、これが日常になれば、テンションも持続しませんし、本当の日常に弊害が発生し、自滅的に規模が縮小して行きました。
その後もリーマンショックや龍山惨事(ソウルの龍山地区での再開発のためにビルからの退去を求められていた人々が、これに反抗してビルにたてこもり、鎮圧に向かう警官隊に火炎瓶などで応戦。その結果火災が発生し、警官1名を含む死者6名が出た事件。これもその実は、再開発とは直接関係のない反李明博の活動家が関与していたという)等、国内外の様々な困難に遭遇しながらも、反日カードをほとんど切ることなく、韓国人にしては焦らず着実に実績を積み上げていると言えるのではないかと思います。控えめに評価するとしても、前と今の日本の首相よりは、一国の首長として有能と言っても良いでしょう(日本が酷過ぎると言うべきかもしれませんがw)。
しかし、「韓国が有能な指導者を得ること」は北朝鮮から見れば非常に面白くないことだと思います。折角2代10年かけた対南赤化工作が、李明博によって、少しずつではありますが着実に潰され、排除されているのです。
更に先月、韓国で開催されたG20も北朝鮮にとっては極めて苦々しいことだったでしょう。日韓チャットでそう言うと、「たかがG20、しかも加盟国が持ち回りでやるもので、今回韓国で開催されたのは単にその順番が回ってきただけ。その上大した内容でもなかったのに?」と言う日本人会員もおりましたが、韓国人にとってG20の開催は「韓国が世界の中心になった」ぐらいの受け取り方だったのです。それほどまでに韓国人が嬉しく誇らしく思うことですから、それを見た北朝鮮人が何とも思わぬわけがありません。朝鮮には「自分が食えない飯なら、灰でも入れてやる」ということわざがあるのです。
そこへもってきて、金正日の寿命が尽きかけているという問題もあります。金正日の寿命が尽きる前に、北朝鮮人民が納得する、あるいは納得させることが出来る手腕を持つ三代目を確立しないと、北朝鮮の命運に関わります。
ここで次に思ったのが、韓国内の親北朝鮮派です。韓国では「進歩派」とか言うらしいですが、名称は何であれ、とにかく北朝鮮は無条件で良いに決まっており、悪いのはみんな韓国、という、日韓関係の認識を南北朝鮮にスライドさせたような連中が、韓国内には少なくないようです。
その代表的言論がハンギョレ新聞です。若い韓国人に聞くと異口同音に、「朝鮮日報、中央日報、東亜日報(韓国の三大言論紙)は信用出来ない。信用出来る言論はハンギョレ」と言うので目を通すようにしているのですが、どう見ても北朝鮮の広報誌です本当にありがとうございました、な内容ばかりが目につきます。
今回も、延坪島砲撃直後には一応北朝鮮を非難するような意見を載せていたハンギョレですが、喉元過ぎるとたちまち旧に復しております。ことに先日の対国民大統領談話についての社説は、実に韓国人らしい欺瞞を駆使したもので、失笑を禁じ得ませんでした。
李明博は対国民談話で、「過去20余年の間、我々は対話と協力を通じて、北の核問題解決のために努力してきたし、人道的支援も惜しまなかった。しかし我々に帰ってきたものは、核開発と天安艦撃沈に続いて、延坪島砲撃だった」と述べたそうです。
これに対してハンギョレは「あたかも前任政府の対北朝鮮和解協力政策が今日北朝鮮の挑発を招いた原因のように曖昧に言葉を濁すが、李明博政府スタート以後、人道的支援を含んだ主要対北朝鮮和解協力措置らが中断されてすでに三年が経つ。 李大統領の言及は現政権がした仕事をごっそり取り除いて、前任政府らに責任を転嫁しようとするという点で卑怯で不正直だ」と断じます。
まあ、この辺はそれぞれの思想に基づく見解の相違と言っても良いかなと思って読み進めていた私は、次の段で吹きました。
「実際、和解協力政策が繰り広げられた時期には、北朝鮮は今のように武力挑発を行わなかった。端的な例として盧武鉉政府の5年間、西海北方境界線(NLL)を巡り発生した交戦や死傷者はなかった。」
これは確かに事実ではあります。しかし盧武鉉が大統領になるまさにその直前、日韓共催ワールドカップで韓国が浮かれに浮かれ切ってきた時に、韓国側に6名もの死者が出た西海交戦がありました。となれば、ハンギョレは盧武鉉の前の大統領である金大中が提唱し、実行していた北朝鮮に対する太陽政策に瑕疵があったと言わねばならないはずです。しかしそんなことはおくびにも出さず、まるで北朝鮮懐柔政策(実際には北朝鮮迎合政策)が正しかったと印象づけようとする記述こそが、「卑怯で不正直」ではないでしょうか。
北朝鮮による武力攻撃が現実として始まっている韓国で、こういう身中の虫とも言うべき連中を抱えながらの国家運営を、曲がりなりにもこなせる人材が大統領に就いているのは、韓国にとっては相当な幸運ではないかと思います。
翻って日本はというと、中国による現実的な武力攻撃がいつ始まってもおかしくないのにアレかと激しくトホホな気分になり、その上「あの韓国と比べても」という事実に、更に落ち込む今日この頃なのでした。