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身中の虫

ヨーロッパの冬至祭りが起源とされるクリスマスよりも、今上陛下の誕生日を祝い奉る方が、「聖誕祭」という意味では、日本人として正しいのではないかと思う今日この頃。

日本的クリスマス行事とも一切無縁な私ですが、別にあえて拒否もいたしません。日本においては鶏受難の日となる本日、皆様方におかれましては、良いクリスマスをお過ごしでしょうか。

さて、日韓チャットの過疎が激しくなってから既にもうずいぶん経ちます。もっとも、それでなくとも量産型の連中ですから、目新しい発見というものはもうあまりありません。もちろんそれは、チャットから見れる部分だけの話ですので、あるいはチャットからは見えない韓国人像というものがあるのではないかと、チャット以外の韓国人観察アプローチも、実はいろいろ画策しております。

その際に、意外に参考にならないのは生韓国人との接触です。というのも、一人の人間が直接実際に接触することの出来る韓国人の数というものには、自ずから物理的限界があるからです。

一人の人間が接触可能な限られた数の生韓国人から、韓国人という集団の最大公約数的共通点を模索することは可能かもしれませんが、逆に限られたサンプルを以て韓国人全体を語ることは、当の韓国人からも「一部を見て全体を判断しないでください」と厳に戒められております。そういう意味でも、ネットというのは実に手軽に、いろんな方面からたくさんのサンプルに触れることが出来る、極めて便利な手段だと思います。

特にブログという個人の意見をダイレクトに発信する道具は、これまで新聞の投書欄ぐらいしか個人のダイレクトな意見発表の場がなかった(しかも、送られた投書全てが無作為に公開されるわけではなかった)ことを思うと、情報の受け手としても送り手としても、大変便利な時代になったものです。

何しろ韓国人自身が韓国人をよく理解しておりません(というか意図的に誤解している)ので、もしネットがなければ韓国や韓国人、及び朝鮮半島と朝鮮人全般というものを知ることは、非常に困難だったと思います。

そうやってネットを通して韓国(人)を観察していて痛感するのは、何故韓国人はああなのか、ということではありません。いや、最初はそうでした。日本を目の敵にしてある事ない事をあげつらい、全て悪く解釈して侮り蔑み罵り謝罪と賠償を求めるくせに、彼らは決して日本から離れていこうとしないだけでなく、必死で擦り寄り、というか貪るように接触を求めて来るのは何故だろうと、そういうことを一所懸命考察していた時代も、私にはまちがいなくありました。

しかし現在では、「何故韓国人はああなのか」ということは少なくとも、私たち日本人にとってはさほど大した問題ではないと思うようになりました。単にそのまま、彼らはそういう生き物である、ということだけを知ればそれで十分であって、何故彼らはそうなのだろう?ということまで考えても、仮にその考察に納得のいく結論が出たとしても、私たち日本人にとってはあまり意味のあることではありません。

逆にそれは、人によっては害毒になる可能性さえあります。「何故韓国人はああなのか」という考察によって、「韓国人がああなのは仕方ないのだ」という結論が出たとして(はっきり言ってこういう結論しか出ませんw)、それが「だから日本人はそれを理解すべきだ」というところまでで止まれば良いのですが、「日本人はそれを許容すべきだ」とか「日本人は韓国人の立場で考え、韓国人の望むように行動すべきだ」という思考へと飛び跳ねる可能性が低くないからです。

あるいは「韓国人がああなのは仕方ないのだ」という結論に満足出来ず、「彼らも変わり得るはずだ」から「我々が彼らを変えるべきだ」という方向へ飛び跳ねることもあります。

チャットにも、稀にそういう日本人や在日が来ることがありますが、そういう日本人や在日はなかなか私たちの話を聞いてくれませんし、また率直に意見を言おうともしません。こちらが彼らの意見を聞こうとしても、良くてとぼけたりはぐらかしたりする程度で、悪ければ韓国人と全く同じような論理を述べ、それに反論すれば韓国人と同じような論理で私たちを非難します。何故なら、そういう人は大抵が思考を硬直、あるいは停止させているからです。

そういう日本人や在日は、韓国人に取っては絶好の餌です。韓国人の歪んだ意識は、そういう日本人や在日によって「日本人も認めた」というお墨付きを与えられ、肥大します。実際、韓国人はそういう日本人を発見すると、積極的に近づき取り込みます。

逆に私たち日本人にとっては、在日はともかくとして、そういう日本人は癌にもアキレス腱にもなります。

「住めば都」というように、他人から見ればかなり望ましくない環境であっても、一度そこへはまりこめば、意外に快適ということはよくあります。韓国や韓国人との付き合いも同様のようで、産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘氏はこれを「ソウルの二度泣き(日本人がソウルに赴任になると悲しんで泣くが、いざソウルを離れることになる頃には離れがたくなって泣くこと)」と表現しておられます。

反日であっても、韓国人は一人だと寂しくて死んでしまうウサギです。彼らは一人になることを恐れるあまりに、非常に粘度の高い人懐こさを見せます。それを好感出来る人や、好感までは行かずとも同情したり受容することの出来る人にとって韓国人との人間関係は、人肌のゲルに包み込まれるような安心感をもたらすものなのかもしれません。そのゲルが何で出来ているかを全く考えなければ、それはそれで快適なのでしょう。

しかしそれは同時に、彼らの集団意思との同化を求められることでもあります。それを十分理解しないまま韓国人に取り込まれると、身体も国籍も日本人なのに、精神が韓国人になってしまう人は少なくないだろうとは漠然と思っておりました。が、少なくないどころか意外に多いということが、ネットを通して韓国や韓国人を見ている内に痛感されるようになりました。

私が監視している韓国人には、日本語のブログをいくつも(私が把握しているだけで7つ)発信している対日工作員とおぼしき韓国人がいます。韓国人に取り込まれた日本人はその工作員とほぼ同じ働きをすることになるのですから、韓国人にとってこれほど便利な存在はないでしょう。

中には心の底まで韓国人と同化し、日本に対する悪意の工作活動と十分理解して情報発信を行なっている日本人もいるようですが、おそらく大半は無邪気に日韓友好を願う善意の日本人でしょう。しかしこの善意の日本人は、悪意の対日工作員よりも数が多いという点で、ずっと始末に負えません。

何故なら、そんな彼らにとって「日韓友好」とは、言わば宗教における神だからです。その実現は絶対普遍の幸福であり、その意義や存在や正当性を疑うことそのものが、彼らにとっては大きな罪なのです。

ネットで韓国人を見ている内に、そういう日本人が少なからずいること、意図的で有る無しに関わらず、韓国人がそういう日本人を求め、そういう日本人を彼らの代用工作員として利用しようとしているということが見えてきました。

日韓問題において、私たち日本人が最も警戒し対処すべきは、韓国人や在日よりも、そういう日本人ではないかと強く思うようになってきた今日この頃です。



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