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変節内閣発足

昭和生まれとしては、どうしても今日は成人の日という意識が拭えません。可動式祝日、いわゆる「ハッピーマンデー」という制度が施行される際、私は職業柄それに賛成する立場に立たざるを得ませんでした。というか、業界丸ごと賛成の立場でしたので、賛否を表明することさえ出来ませんでした。正直なところ、明白に反対と言うほど強く反発するだけの材料はないのですが、無条件で賛成側に立たされるのに不満を感じる程度には、この制度に疑問を抱いています。

というわけで本日は、制度上は普通の土曜日なわけですが、旧の祝日に従って新成人の皆様にはお祝いを申し上げます。満二十歳以降は本人の自覚の有無と無関係に、否応無く大人としての義務と権利と責任が発生しますので、お祝いよりは、慰めと励ましの方が良いのかもしれませんが。

あ、それから本年も恒例の「竹島プロジェクト」が始まっております。今年もどうぞよろしくお願いいたします<(_"_)>

さて、昨今韓国関連で気になること(口蹄疫とか日韓軍事連携強化とか)もチラホラないわけではありませんが、それよりも気になるのは只今現在の日本の政治です。

以前、弊ブログのコメント欄で暴れた方に「このブログを政治ブログにするつもりか!」などとほざいた方がいらっしゃいました。確かに弊ブログは本来、政治ブログではなく韓国ウォッチブログです。しかし「何のために韓国ウォッチをするのか」という観点から、「日本と日本人」というカテゴリも設けており、日本の政治に対する韓国ウォッチャー的懸念を述べることがあります。ことに現在の政権与党は、韓国を含んだ特亞関連に対する阿諛迎合が甚だしいので、どうしても注目せざるを得ません。

というわけで新内閣発足なわけですが、新内閣発足までの経緯を見ていると【変節】という言葉が脳裏にちらつきました。

【変節】とは、漢字の意味の通り「節を変えること」で、「節」とはこの場合、主義や主張のことです。ころころと変節すれば、「変節漢」などと罵倒されます。

ですが個人的には、表層上の変節はあっても良いと思います。何故なら、人は成長するものだし、万物は流転するものだからです。人が成長したり状況が変われば、それに合わせて主義や主張が変わることがあるのは、ある程度しかたのないことでしょう。

例えば、昨今何かと話題の坂本龍馬ですが、彼もめまぐるしく変節した人物です。何しろ若い頃は攘夷を唱えており、開国派であった勝海舟の暗殺さえ目論んでいた彼ですが、勝との面会で直ちに変節し、後には維新回天の立役者となっています。

彼の変節っぷりを端的に示したものに、後世の創作と言われておりますが、次のようなものがあります(Wikipedia「坂本龍馬」より引用)。

「当時、土佐藩士の間では長刀をさすことが流行していた。あるとき龍馬の旧友の檜垣清治が龍馬と再会した時、龍馬は短めの刀を差していた。そのことを指摘したところ「実戦では短い刀のほうが取り回しがよい」と言われ、納得した檜垣は短い刀を差すようにした。次に再会したとき、檜垣が勇んで刀を見せたところ龍馬は懐から拳銃を出し「銃の前には刀なんて役にたたない」と言われた。納得した檜垣はさっそく拳銃を買い求めた。三度再会したとき、檜垣が購入した拳銃を見せたところ龍馬は万国公法(国際法)の洋書を取り出し「これからは世界を知らなければならない」といわれた。もはや檜垣はついていけなかったという」

坂本龍馬は今でこそ相当美化され、伝説化された逸話も多い人物ですが、活躍していた当時は、案外多くの志士から変節漢と罵られ、嫌われていたのではないかと思います。しかし結果として、彼は信じる理想を追求するという一点において、決して揺らぐことがありませんでした。いくら表層が変わっても、主張が遷ろっても、軸がブレなかったことが、彼をただの変節漢にしなかったのだと思います。

あるいは、月見櫓的卑近な例えを引くならば、親韓から嫌韓になるのも変節とみなされるかもしれません。しかし、何故親韓であったか、何故嫌韓に変わったかを考えれば、一概に変節と言うのはどうでしょうか。親韓の時に「親しみを感じていた韓国」という存在が、実は単なる幻想あるいは願望であったと気づいた時、それでもその幻想あるいは願望にすがりついて「親韓」という節を守るべきなのか、それとも現実を直視し事実を知り、それによって発する嫌悪感に従うべきなのかと考えた場合、親韓から嫌韓に移行するのは、私は変節ではないと考えます。

最もこだわるべきは、表面上の「韓国に対する親愛の情」ではなく、その基となる「何故韓国を好ましいと思ったか」という考えのはずです。それに忠実であれば、今まで抱いていた幻想あるいは願望と、新たに気づいた現実との間に大きな相違があった場合、守るべき本来の節が何かは、自ずから答えが出るはずです。

例えば、極端な話、その人の守るべき節が「自分の信じたものが、自分が信じたかったものではなかったということを認めたくない」というエゴイズムであっても良いと思います。誰が何と言おうと、守るべきは自分が正しかったと信じたい、自分の間違いは絶対に認めないというその点だけで、例え世界中が自分に異を唱えても、真実が自分の信じたものでなかったと十分に理解していても、徹頭徹尾「自分が信じた」「自分は正しい」ということそのものを守るのだと言うならば、賢明とは思えませんが、それもひとつの「節」だと私は評価します。

しかし、もし「真実を知りたい」という【自分】がいることに気づいており、自分の信じたものが、実は自分の信じたものとは違っていたことに気づいているにも関わらずなお、それに気づかないふりをして「節」を守るのは全く評価しません。ましてや、節を守るために自分を曲げるならば、本末転倒も甚だしいと思います。

最も恥ずべき変節漢とは、【自分】を曲げる変節漢だと断言します。

表層の「節」をいくら変えようと、周囲からどれほど変節漢と罵られようと、芯の部分の【自分】を曲げなければ、それは変節ではなく成長あるは進化、発展と言い得るでしょう。けれど周囲に阿り流され、自分自身を見失い、あるいは自ら自分自身を滅するならば、たとえどれほど頑なに表層上の節を守ろうとも、それは愚であり、恥であり、ついでに特亞人のつけいる隙となります。

新たに発足した内閣に入った連中を眺めると、そういう人物がいるなあとか、もともと現政権与党がそういう政治家の吹き溜まりだよなあなどと、色々考えさせられる今回の内閣再編でありました。


※お知らせ※
2月22日の「竹島の日」に向けて、弊ブログでは、ブログ「さくら日和」執筆者の佐倉純様主催「2011年竹島プロジェクト」に参加しております。
2月22日の「竹島の日」までの期間限定で、弊ブログでは竹島プロジェクトに賛同し、竹島は日本領土であることを改めて強く主張し、島根県の「竹島の日」を応援します。


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