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韓国人の漢字語破壊例

韓国人が日本の剣道をパクってでっち上げた「海東剣道」というものをご存知でしょうか。動画検索すると、日本人が見れば素人目にも滑稽な棒振りダンスを見ることが出来ます。

が、欧米人の目には、あんなのでも東洋の神秘的な剣術に見えるのでしょう。漢字の「海東剣道」で検索すると約20,200件しかヒットしないのに対し、英字表記の「HAIDONG GUMDO」で検索すると約111,400件もヒットします。

韓国人がでっち上げたものだけに、ハングル表記の「해동검도」で検索すると約416,000件と、さすがに最多のヒット数ではありますが、動画検索してみると面白いことに「海東剣道」でわずかに約17件、ハングルで約985件に対し、「HAIDONG GUMDO」では約1,480件もヒットすることからも、欧米では一定の勢力を確保していると考えられます。

もちろん、本家本元である日本の剣道の方が、比較にならないほど圧倒的にポピュラーではあります。ですが、彼らの狙いが、この圧倒的にポピュラーな本家本元を乗っ取ることにあるのは言うまでもありませんし、たとえ乗っ取ることが出来なくても、その権威にタダ乗りするだけで十分美味しいのでしょう。

それは別に剣道に限ったことではありません。日本に関する大抵のものに対して、韓国が同様のスタンスを取ることは、弊ブログを長らくご覧の方なら言わずもがなのことだと思います。

それらに対する日本の対応について、様々なご意見や議論があると思いますが、今回はそのことではありません。

ちょっと前から、フランスで行なわれるジャパンエキスポ2011に参加するのしないのと話題になっていたり、アメリカで大規模なセミナーが行なわれたとのニュースがあったりと、韓国の「コムド」については視界の隅にチラホラしていました。その際、「コムド」に関する動画をいくつか見たのですが、「HAIDONG GUMDO」の文字列が目につきました。

「GUMDO」が、「コムド」の英字表記であることはわかります。ハングル表記に忠実であれば、本来は「GEOMDO」と表記するべきなのでしょうが、この程度の改変ならまだわからなくもありません。しかしその前についている「HAIDONG」という文字列の意味がわかりませんでした。しかし「HAIDONG GUMDO」の画像をいくつか見る内に、どうやらこれは「海東」と対応する文字列らしい、ということが判明しました。

「海東」は「東海」をひっくり返したものになっておりますが、日本海表記問題で「東海」の朝鮮語音をご存知の方は多いのではないかと思います。そう、「トンヘ」です。ローマ字表記にすれば「TONGHE」になります。ならばこれをひっくり返した「海東」は、素直に読めば「ヘトン」「HETONG」となるはずです。

日本語の場合でも、本来は清音の単語が語中に入ると濁音化する場合があります。例えば「柿」は、普通なら「カキ」と発音しますが、「渋柿」「甘柿」と言うときは「シブガキ」「アマガキ」と発音するというのが、分かりやすい例になるでしょう。

だから「ヘトン」「HETONG」が「ヘドン」「HEDONG」になるだけなら、その変化については理解できなくもありません。ところが彼らは、これを堂々と「HAIDONG」と表記しているのです。これは、どう読んでも「ハイドン」になります。

これと同じ現象は、韓国の自動車メーカー「現代」の英字表記でも起きています。「現代」は、ハングル表記をローマ字表記に置きかえるならば「HYEONDE」であり、カタカナ表記にすれば「ヒョンデ」あるいは「ヒョンデェ」が最も近くなります。どう逆立ちしたって「HYUNDAI」や「ヒュンダイ」にはなりません。

より厳密に言うならば、「現代」の「代」や「海東」の「海」は「DE」や「HE」ではなく「DAE」や「HAE」と表記されるというのが、教科書的には正しいのですが、日韓チャットで韓国人に確認したところ「海」の字はローマ字表記にすると「HE」と書くという回答を得たので、今回はそれに従います。

彼らに出来る限り好意的に考えるとして、「HEDONG」と書けば欧米人には「ヒドン」と読まれてしまうかもしれないからだ、という理由は考えられなくもありません。ですが、仮にそうだとしても、今度は逆に韓国人がこれを読んだ際、「海東」という漢字語に変換出来るでしょうか。たとえ漢字をある程度習得した韓国人であっても、「HAIDONG」が「海東」であると理解出来る者はいないでしょう。

文化の普及のために欧米人の便宜を図ることを悪いとは言いませんが、そのために韓国人にとって意味不明な文字列になってしまうのでは、本末転倒というものではないでしょうか。

なるほど彼らはこうやって、自分自身で自らの漢字語をせっせと破壊しているのであるなあと改めて思った次第です。

余談ですが、日韓チャットで「海」の朝鮮語音を尋ねた際に、単に「海」と書けば翻訳機は自動的に朝鮮固有語の「パダ」と翻訳してしまうので、「海」という漢字を含んだ熟語をあれこれ考える必要がありました。この時思ったのが、彼らに「パダ」という音が漢字の「海」とリンクしているという意識があるかどうかでした。

その意識が彼らにもしあれば、韓国語にも「訓読み」の概念が発生することになるのですが、原則としてひとつしかない音読みさえ蔑ろにしている彼らに、わずかでもそんなことを期待する方が間違ってると言われれば、返す言葉もありません。



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韓国も独裁統治が相応しいと思う理由

朝鮮人には独裁統治が似合うということを、以前に幾度か書いたと思います。何故彼らには独裁が似合うと思うのかと言えば、それは彼らが、極めて均質だからだと私は考えます。

古諺に「三人寄れば文殊の知恵」などと言います。人間、一人では知識にも思考範囲にも限界がありますし、二人で議論すればいくらか広がりがあるでしょうが、双方がそれぞれ主張することの正誤や善悪と言った二次元的な議論にとどまりがちです。

しかし三人で議論すれば、白でも黒でもない灰色の論点が浮上し、それが突破口になって議論や思考の幅が大きく広がることが期待出来るでしょう。その灰色にしても、白に近い灰色から、黒に近い灰色まで、多くのバリエーションが期待出来ます。

弊ブログで異論反論を歓迎しているのも、そのためです。同じ考えを持つ者同士で、その考察を深めていくことを悪いことだとは思いません。しかし異なる視点からの考察が提示されれば、より立体的で多様な考察が可能になり、ひいては考察の対象に対する理解もより深まるはずだと、私は考えています。

これは、民主主義の考え方にもつながるでしょう。

民主主義による政治は、現在多くの人が感じているように、決して万能でもなければ最良でもありません。誤解を恐れずに言い切ってしまえば、独裁政治の方が良い場合もあります。

「独裁」という言葉には悪い印象がつきまといますが、もし独裁者が全知にして全能であり、絶対無謬の神の如き人物であれば、独裁という統治の形は、実は理想的な統治の形と言って良いでしょう。

しかし、人間は人間であって、決して神の如くにはなれません。人間が神の如くになれない限り、必ず間違います。その時、独裁者が自らの間違いに気づき、直ちに是正出来ればまだ良いでしょう。ですが、これもまた人間故の悲しさで、誰でも自らの過ちには気づき難いし、もし気づいても、直ちにそれを認めることは更に難しいものです。ましてやそれを改めることは、至難の業です。それが難なく出来るぐらいならば、誰も最初から間違ったりしないでしょう。

そこで独裁者以外の視点からの意見が必要になります。もちろん、その意見も必ずしも絶対無謬ではありません。というか、社会が複雑化すればするほど、問題に対する確たる答えなどないのが当然です。

背の高い人には長いベッドを、背の低い人には短いベッドを支給するのが公平か、それとも個人の背の高さに関わらず一律の長さのベッドを支給するのが公平かと聞かれて、即座にどちらが公平だと答えられる人はいないでしょう。どんな選択肢を選んでも、いかなる回答を提示しても、その対象となる人が多ければ多いほど、何処からか不平や不満、批判や苦言は来るものです。

それでもたった一人の人間が独断で行なうよりは、出来るだけ多くの意見を集めて擦り合わせ、その結果を行なう方が無難と言えば無難です。故に、世界には民主主義による政治を選択する国が多いのでしょう。

ただし、これは、「多くの人々がそれぞれの知見を持つ」ということが前提になります。その上で、互いが互いの意見を提示し、それを相互に吟味するだけの余裕が必要になります。議論が膠着した時には、中立的な意見や妥協案、次善策を提示出来る人も求められます。

ところが、これまで幾度も述べたように、全ての韓国人はたった一人の「理想の韓国人」を内包しています。彼らが公に言う意見は、全てこの「理想の韓国人」が言う意見と考えて良いと思います。

「理想の韓国人」は絶対無謬ですから、それに対する異論や反論などあり得ません。批判や助言も当然不要です。もし「理想の韓国人」に対して異論や反論を言う者があれば、その者自体が間違いなのです。

即ち、韓国人が幾人集まろうと、どんな議論を展開しようと、彼らの意見がたった一人の「理想の韓国人」の意見でしかない以上、「異なる視点からの考察が提示され、より立体的で多様な考察が可能になり、ひいては考察の対象に対する理解もより深まる」などということは、絶対に期待出来ないのです。

何十人、何百人、何千万人の韓国人が居ても、彼らの意見がたった一人の「理想の韓国人」のものである限り、議論の多様性などは望むべくもありません。それならば最初から「理想の韓国人」を具現化した独裁者に統治させた方が、少なくとも無駄な議論と混乱が省け、効率的な統治が出来るだろうというのが、私が韓国でも独裁統治が相応しいと考える理由です。



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日本に帰化するということ

私が、在日の存在を知り、彼らが日本においてさまざまな権利を主張するのを知って以来、ずっと思っていることは、「日本に住むなら日本の法律に従え」「日本の法律に従うのが嫌なら祖国へ帰れ」「日本の法律を変えたいなら日本に帰化しろ」の三点です。これは、今も変わりません。

と言うと、「朝鮮人が日本に帰化することを認めるのか!」と非難がましい口調で言われることが幾度かありました。

確かに、これまで何度か述べてきたように、何代日本に住んでも朝鮮人は朝鮮人だと思います。それどころか、ほとんど日本人血統なのに、何分の一か朝鮮血統が入るだけで、全身全霊で朝鮮人になってしまう例さえ、いくつか見たことがあります。

張景子にしても、白眞勲にしても、日本に帰化していながら結局は朝鮮人かと思う言動をする帰化日本人はいます。そんな連中に対する嫌悪と、そんな連中が日本に増えることを憂慮する感情は、もちろん私にもあります。

だからと言って「朝鮮人である」という理由だけで日本への帰化を拒むことは、現実問題として可能でしょうか。

日本では、どれほど嫌韓が台頭しようと、「朝鮮血統を持つ者には帰化の権利を与えない」などと条文に明記することは出来ないでしょう。生まれながらにその国の国籍を持っていても、血統上敵国の人種ならば問答無用で強制収容所へぶち込んだり、64分の1でも黒人の血統が混じっていれば黒人とみなすことを法律に明記している国のような真似は、日本には絶対に出来ないと思います。

ならば帰化を希望する外国人には、日本人以上に日本人となることを求め、帰化した以上血統が何であれ思想がどうであれ、徹底的に日本への忠誠と日本人としての義務と責任を求め続ける方が、よほど現実的ではないかと思うのです。

たとえ便宜のためであろうと、帰化日本人は、基本的には全て自ら望んで日本人となった人です。故に、生まれながらに、本人の希望の有無とは全く無関係に日本人で、そのために日本人としての意識が薄弱な日本人などよりも、ずっと日本人たるべき意識を強く硬く持っているはずですし、また日本国と国民から、そうであることを強く求められるのも当然でしょう。

もちろん、かつての祖国に対し、好意や共感を持つのは各人の自由です。生まれながらの日本人でも、ある国に強い好意を持ち、「ドコソコ国は俺の第二の故郷」と言う人はいるでしょう。「だから俺は、日本とドコソコ国の友好のために尽力したい」と言う人もいるでしょう。そう言ったからとて、直ちに「さてはお前、ドコソコのスパイだな」などと言う人はいないと思います。

しかしそう言う日本人がドコソコ国の利益のために、あえて日本国の不利益になるようなことをすれば、これは立派な売国行為です。本人の意識や実態がどうあれ、スパイと呼ばれるに相応しいと思いますし、日本国と国民から強く非難され、程度や場合によっては処罰の対象とされるべきだと思います。

それと同じことを、帰化日本人にも求めれば良いだけのことだと思うのです。

かつての祖国に好意や共感を持つことまでは咎めないが、日本とかつての祖国の間に利害がある場合は、疑うことなく迷うことなく日本の利益を優先するのが、帰化日本人ならば当然です。何しろ彼らは自ら望んで帰化した日本人なのですから、生来の日本人よりも更に強くそれを求められるべきでしょうし、日本に帰化した当人も、他人から求められるまでもなく、その姿勢を明確に周囲に示すべきです。

しかし現在の日本では、「帰化したとはいえ元々朝鮮人だから」という主張が、何故かまかり通ります。これは帰化日本人側が一方的に主張するだけではなく、在来日本人側も、それを認め受け入れてしまっています。

生まれながらの日本人が反日的な言動をしたり、主義主張や行動がどれほど朝鮮人のようであっても、決して「国籍や血統は日本人でも、思考が朝鮮人だからしかたない」などと言わないでしょうに、元々が朝鮮人の帰化日本人に対しては「国籍が日本でも、血統が朝鮮人だからしかたない」などと言って納得してしまいます。

それではその帰化日本人は、いわゆる「在日特権」を持ったまま、日本国籍も得られたようなものです。それを日本人側から認めてしまってどうするのでしょうか。

日本に帰化する以上、生まれながらの日本人よりも強く深く硬い日本への忠誠の提示を求めるべきですし、それを拒否する外国人は、日本への帰化を認めないと宣言することは、たとえ日本であっても十分可能なはずです。

ところが現実は真逆です。

かつては、帰化に際し日本への帰化を希望する作文(帰化の動機書)を、申請時に係員の前で音読する必要があったと言います。しかしそれは、朝鮮人などの特定外国人にとっては極めて屈辱的であるということで、現在音読は行なわれなくなっています。更に特別永住資格を持っていれば、その作文の提出さえ免除されます。

つまり現在の日本では、帰化を受け付けるに当たって、その外国人の日本に対する忠誠心など、全くと言って良いほど確認していない=求めていないのです。

それで反日意識を濃厚に持ったままの朝鮮人が日本に帰化しまくってると言っても、これは朝鮮人側の問題と言えるでしょうか。私はそうは思いません。結局は日本人側の意識の問題だと思います。

先にも述べましたが、日本において、特定の国家の国民であることを理由に帰化を拒否すると明記した法律を作ることは、まず不可能でしょう。しかし反日思想や、日本に害意を持つ者の帰化を拒むことならば、十分に可能なはずです。帰化を希望する以上、その条件に日本に対する絶対的な忠誠の提示を求めることを法律に明記し、その確認を実行することも、決して不可能ではないはずです。

日本に帰化するということは、そういうことであるということを誰よりもまず日本人側が強く意識し、帰化を希望する外国人に対しては、断固としてそれを要求し続けることこそが重要なのであって、感情論で「朝鮮人の帰化など認めるな」と叫ぶことは逆効果になることはあっても、得られるものは皆無だと私は思っています。



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一般化で判断出来る例

ネット上だけでなく、リアルでも韓国批判を普通に平気でする私が、やはりネットだけでなくリアルでも知人からよく言われることに「個人の韓国人はあなたが言うほど変じゃない」とか、「実際に会ったことのある韓国人は普通だった」などという事があります。

曰く、個人的に接触したことのある韓国人はまともだった火病らなかった反日じゃなかった韓国の反日を謝ってくれた日本を肯定して韓国を批判してたetc.etc.

これらのご意見は、ものすごくよくわかります。その情景が、瞼に浮かびさえします。

長年日韓チャットにいれば、韓国人の知り合いの一人や二人は嫌でも出来るものです。その中には、本当に心から日本を尊重し、日本人の考え方を賞賛し、自分を含む韓国人の悪い点を省みる韓国人も、全くいないわけではありません。私が韓国や韓国人について批判する時、そういう韓国人のことが脳裏をよぎるのは、常と言っても良いぐらいです。

けれどそういう人々が韓国のスタンダードになることは、決してありません。何故そう言い切れるかと言うと、韓国人は「理想の韓国人」が言いそうなことしか公言出来ないからです。

個人的にであれば、まともだったり火病らなかったり反日じゃなかったり韓国の反日を謝ってくれたり日本を肯定して韓国を批判してたりする韓国人は確かに存在します。しかし、それはあくまで私的で限定的で非公式の場合に限られます。

逆に彼らが何か意見を公言する時、必ず彼らは「理想の韓国人」として公言します。それが最も顕著に見られるのは、韓国の言論でしょう。

個人の韓国人は、それほど賢くないこともあり得ますし、知識が少ないこともあり得ます。だから間違うこともあり得ます。しかし「理想の韓国人」は絶対無謬です。「理想の韓国人」であるからには、絶対無謬でなければなりません。絶対無謬の「理想の韓国人」が唱えることが間違っているなどということはあり得ませんし、韓国における「親日派」が「売国奴」や「民族の裏切り者」を意味する限り、「理想の韓国人」としては日本を肯定どころか、理解を示すわけさえいきません。

日韓チャットで韓国人に意見を求めると、「これは私の個人的な意見だが」とくどいほど念を押してから、やっと自分の意見を述べ始めるということがしばしばあります。

こちらからあらかじめ「あなたの個人的な意見を聞かせてください」と促した場合でさえも、彼らは意見の最初と最後に「これは私の個人的な意見です」と付け足します。そう断らずに意見を述べて、うっかり間違ったことや批判の対象になりそうなことを言ってしまって、彼らの中にいる絶対無謬の「理想の韓国人」に傷をつけることになるのを恐れているのでしょう。

逆に、あまりの馬鹿馬鹿しさに聞かされるこちらの方が赤面しそうな素っ頓狂な意見であっても、彼らは迷いなく疑うこともなく堂々と大声で繰り返し唱えることがあります。ドクトウリタンなどは最も典型的な例と言って良いでしょう。

そういう時は、彼らはそれを決して「これは私の個人的な意見である」とは言いません。それどころか、万一その意見に同意しない韓国人を見つければ、その韓国人に向かって「お前は本当に韓国人か」と詰め寄りさえします。

そういう彼らを観察して思うのは、全ての韓国人の意識の中に存在する「理想の韓国人」とは、彼らの考える「ウリ」の一部、あるいは主部と考えて良いのではないかということです。

彼らが迷いなく疑うこともなく堂々と大声で繰り返し唱えるようなことは、彼らの口を借りて「理想の韓国人」が唱えていることであり、「ウリ」であれば既に当然に同意しているようなことと思って差し支えありません。韓国人が100人いれば120人が言う「一部を見て全てを判断しないでください」というのもまた、そのひとつでしょう。

あらゆる考察において「一部を見て全体を判断する」という「性急な一般化」は危険です。私もそれを否定はしません。

実際前述したとおり、日本人から見てまともだったり火病らなかったり反日じゃなかったり韓国の反日を謝ってくれたり日本を肯定して韓国を批判したりする韓国人は、言うほど珍しくはありません。その韓国人をもって、「全ての韓国人はまともで火病らず反日じゃなく韓国の反日を謝ってくれたり日本を肯定して韓国を批判する」と考えるのは、「性急な一般化」以外のなにものでもないでしょう。

ですが、韓国人と話している時に、彼らがあらかじめ「これは個人的な意見だ」とくどいほど念を押すこともなく、迷いなく疑うこともなく堂々と大声で繰り返し言うようなことであれば、それがどんなに荒唐無稽で聞いて恥ずかしいようなことであっても、全ての韓国人がそう考えて、あるいは考えるべきだと思ってることだと理解して良いでしょう。

と言うか、国際標準で考えればあまりにも馬鹿げていて、何処に出しても恥ずかしいほど荒唐無稽なことなのに、韓国人が自信満々でそれを口走ることは、その時点で既にそれが考えるまでもなく「ウリ」の間では常識になっていることだと思っても良いほどです。

その判断の基準は意見の内容などではなく、彼らがどういう態度でその意見を述べるか、です。

即ち、たとえたった一人の韓国人であっても、その韓国人が迷いなく疑うこともなく大声で繰り返し言うようなことは、それがどんなに素っ頓狂で、耳を疑うようなことであったとしても、全ての韓国人がそう考えていることだと理解する方が、より正しい判断と対応が可能です。

逆にそれを「一部の韓国人の失言や世迷言」などと考えてしまうと、その後長く、韓国人に対する判断や対応を誤ることになるでしょう。



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夢想から現実へ

長年日韓チャットをやってきて思うことは、日韓問題は日本人側の意識が変わらない限り、少なくとも日本側にとって良いようには変化しないだろうということです。

何度も申し上げておりますが、韓国人は変わりません。

個体ごとの微小な変化は当然あり得ますし、覚醒する韓国人の出現確率も、ゼロとは言えないでしょう。朝鮮の歴史を振り返れば、過去にもそういう朝鮮人がまったくいなかったわけではありません。そういう、例外でしかない個体をピックアップして、「韓国は変わり得る」と叫ぶ日本人が出てくるのも、どの時代においてもお約束です。

しかし朝鮮という社会において、そういう人々は全て排除され淘汰されました。これは誰が、あるいは何処の国が強制したわけでもなく、朝鮮人自身が進んでそうしてきたのです。

韓国建国六十有余年の歴史においても、その性向はほとんど変わりません。

2008年に起きた燭火デモを、当時の韓国人は「過去に例を見ない文化的で民主的で平和的なデモ」と自ら絶賛しておりました。しかし実際には、過去に起きた暴力的なデモ、有り体に言えば暴動と見分けが付かないものだったのです。それは、1919年に起きた三一独立運動と呼ばれる現象も、おそらくは同様のものであっただろうと思わせるに十分な光景でした。

韓国建国から数えて60年以上、韓国人が自由に海外を往来することが出来るようになって20年以上、インターネットの普及によって、居ながらにして世界中の情報を閲覧することが出来るようになって10年以上経ちますが、韓国人は相変わらずです。

もちろん、今後韓国人が劇的に変化する可能性が皆無だとは言いません。しかし、今までこれだけの変化要因を与えられていながら、彼らがほとんど変化していないという現実を鑑みれば、「今後彼らが劇的に(良い方向に)変化する」と予測するのは、余りにも希望的観測が過ぎると言わざるを得ません。過ぎる希望的観測はすなわち、ただの夢想です。

その点日本人が、理に適っていれば変化をさほど厭わないことは、歴史に鑑みても明らかです。韓国人に対し、どのように接するのが日本人にとって合理的であるかを周知徹底出来れば、日本人の意識と行動を変えることは、少なくとも韓国人の意識と行動を変えるよりはずっと現実的だと私は考えております。

そのためには、何故韓国人にはそのように接しなければならないのかを、日本人が、個人ではなく社会のコンセンサスとして理解する必要があります。

ブログ月見櫓では、これまでそのことをくどくしつこく縷縷として述べて参りました。弊ブログをご覧になって、「同じこと何回言ってやがんだこの野郎」と思った方は、きっと多いと思います。

しかし、弊ブログでこれだけ何度も重ねて同じようなことを書き、それを毎回またかと思いながら読んでおられる方であっても、実際に日韓チャットで韓国人と言葉を交わすと、それはもう驚くほど簡単にコロコロと転がされまくるのです。

月見チャットでは、日韓チャットを体験してみたいと仰る方にリアルタイムサポートを行なっていることがあります。そうやって実際に日韓チャットで韓国人と会話をしてみると、ブログ月見櫓をかなり読み込んでおられるはずの方でも、気づかぬ内に韓国人のペースに乗せられてしまう方がほとんどです。チャットでさえそうなのですから、現実社会で人の皮を被った韓国人を目の前にすれば、尚更というものでしょう。

つまり弊ブログで、韓国人について学習出来ることが多少あったとしても、それは所詮机上の空論であり、畳の上の水練です。実戦に臨むにあたり備えていればないよりマシ程度のものであって、弊ブログをどんなに読み込んでいても実際に韓国人と対面すれば、大抵の日本人はすっ転がされてしまうのです。

彼らの日本人転がしの巧みさは、かつて日韓チャットで長年韓国人を観察して、嫌と言うほど韓国人がどのような生き物かを見ていながら、朝鮮人配偶者を得た結果、特亞の思想工作に加担するようになってしまった人物が実在することからも、おわかりいただけるのではないかと思います。

しかし、「韓国人に容易に転がされる」ということは、逆に言えば日本人の思想の柔軟性を示すものでもあります。つまり、「転がされぬように」さえ出来れば、知識に経験をプラスすることは日本人の対韓意識の向上に、間違いなく大きく寄与すると思います。

某巨大匿名掲示板の定番コピペに次のようなものがあります。

日本人はな、お互い様やねん。相手に一回譲ってもうたら、今度は自分が譲るねん。そうやって、うまいこと回っていくねんけど、『あの人ら』は違う。一回譲ったら、つけこんできて、こっちはずっと譲らなあかん羽目になる。それでも『あの人ら』は平気なんや。カドたてんとことおもて譲り合うのは、日本人同士だけにしとき。そうせんと、『あの人ら』につけこまれて『ひさしを貸して母屋を盗られて』、日本がのうなってしまうからな。

あるいは、実際に年長者から「朝鮮人のような真似をするな」と言われた経験を持つ方もおられるでしょう。

これらの言葉は、それだけを聞けば、それこそ【日本人的】には「なんてサベツ的なんだろう」としか思えません。それは「和」を尊ぶ日本人としては、まことに好ましからざる姿勢です。

しかし実際に韓国人を知れば、彼らこそが日本の「和」を乱し、日本人を不当に差別する人々であり、前述した先人の言葉が決して「不当な差別意識」から出たものではなく、現実的な防衛意識からのものであることを、嫌でも思い知ることになります。

だからと言って、全ての日本人が、知識だけでなく経験として韓国人を知ることは難しいですし、そんなことをすれば転がされてしまう日本人も多く発生しかねません。ですので今後の日本人の課題としては、「韓国(朝鮮)人とはどのような生き物か」を正しく知ることと、「そのような生き物にはどのように接するべきか」の社会的コンセンサスを形成することでしょう。

その過程において、在特会のような過激なやり方に嫌悪を覚える方もいれば、弊ブログのような迂遠で隔靴掻痒なやり方に苛立ちを感じる方もいると思います。

ですが多くの日本人が様々なアプローチを試すことによって、結果的にこれまでほとんど意識されなかった「日本人は、韓国人にどのように接するべきか」を模索していくことになるのではないかと思います。

その結果として日本人の対韓意識が、現在の夢想的なものから、現実的なものに変化すればと願う次第です。



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想像を絶する韓国人

以前から幾度か申し上げておりますが、長年日韓チャットをやっていても、いまだに出るのが、「韓国人は何故ああなんだろう」という慨嘆です。これは私だけではなく、日韓チャット常連であればほとんどの日本人会員と、一部の韓国人会員が思うことでしょう。

彼らの素っ頓狂さは、「そのまま理解するしかない」と、頭では十分過ぎるほどわかっています。弊ブログで記事にしたことさえあります。にもかかわらず、彼らの素っ頓狂さに遭遇する度に唖然となり、「何故韓国人はああなんだろう」という言葉だけが無意味に頭の中を駆け巡ります。

先日も、日韓チャットで韓国人が入ってくるなり、「何の話をしましたか」と聞くので、「伊勢神宮と比叡山延暦寺のどちらが良いかについて話していました」(本当)と答えると、その韓国人が「難しいお話です」と言います。

伊勢神宮や比叡山延暦寺を韓国人が知らないと言うのは、むしろ当然でしょう。ならばやはり、日韓チャットという場所柄、これを説明しないわけにはいくまいということで、私は普通に「何が難しいですか?」と聞きました。

その韓国人が、「伊勢神宮が何でしょうか?」と聞くので、「伊勢神宮は、三重県伊勢市にある神社で、世界的に有名です。内宮と外宮があり、五十鈴川という川が流れています。日本人なら誰でも、一生に一度は参拝したいと願う神社ですね」と、かなり大雑把に答えました。

もちろん、これだけではあまりに大雑把過ぎて、俄に理解が得られるとは思っていません。韓国人から追加の質問があるに違いないと待ち構えていると、韓国人が再び「難しいですね」と言いました。

そこで「何が難しいですか?説明しますよ」と私が答えると、その韓国人は「歴史的なことは難しいです」と言います。

伊勢神宮は、確かに歴史と深い関わりのある神社ではありますが、そういう話は一切していません。ですので、「歴史的なことではありません」と答えると、韓国人は「まるで先生みたいです」と言います。

こちらが「何が難しいですか?説明しますよ」と言うのに対し、「まるで先生みたいです」と言われれば、韓国人が難しいと思っているのはそのことかと思うのも無理はないでしょう。ですので「あなたが難しいと思っているのは「まるで先生みたいです」ということですか?」と問い返すと、その韓国人は「職業が何ですか?」と言います。

更に重ねて、「それが、あなたが「難しい」と思っていることですか?」と聞くと、その韓国人は「酷いですね」と吐き捨てて、ぷいっと部屋を出て行きました。

この場合、「酷い」のは普通にこの韓国人の方でしょう。この時私は、韓国人の質問に真正面から誠実に答えています。煙に巻くでなく、韓国人を馬鹿にするわけでもなく、出来るだけ簡潔明瞭に説明し、更に質問があれば受け付けるという姿勢を示しているのです。それを「酷い」と言われるのでは、韓国人と会話など出来ません。

もちろん、この韓国人が、本心からその時行なわれていた話題について関心を持って「何の話をしましたか」と尋ねたわけではないのは、最初の第一歩から十分理解しています。韓国人が、現在進行中の話の腰をへし折って、自分に注目を向けさせようとするのは、日韓チャットでは極めてありふれた風景です。

また、彼らが常に「被害者さま」の立場に立ち、相手を加害者と決め付けることで、債権者が債務の弁済を求めるかのように、加害者に見立てた相手に賠償を求めるのも至って普通の光景であることは、韓国について3日ほど調べれば誰にでもわかるでしょう。

しかし、この2点を熟知していても、こちらに非がないことが明白であるばかりか、少なくとも表面上は相手に利便を提供しているのに、韓国人が自ら隠す本心の要求を察しないからと言って、唐突に「酷いですね」と非難されれば、さすがに面食らいます。

日韓チャットという、ナマよりナマな韓国人を観察出来る空間に年単位でとぐろを巻いていてもそうなのですから、現実の世界で韓国人と接する日本人に、彼らのかぶる人間の皮に目をくらまされる人が多いのは、致し方のないことなのかもしれません。

ですが、日本人と韓国人の接点が広がっているという現実を鑑みれば、「致し方ない」で彼らに翻弄されるがままでは進歩がありません。韓国人が進歩出来ないのは、それこそ日本人にとっては致し方のないことではありますが、日本人は日本人として、韓国人に対する処し方を習得出来るよう進歩する努力は必要でしょう。

韓国人への処し方は理屈では会得出来ませんし、「想定」というものが、往々にして「自分にとって都合の良い想像」を基準にするものである以上、人間の想像力で対処出来るものでもありません。

あらかじめどんなに覚悟していても、想定出来ないから「想定外」と言うわけで、いざ直面すれば面食らってしまって、思考が停止するのは、至って当然の反応です。

けれど、「想定外」を想定しているのとしていないのとでは、「想定外」に遭遇した時の思考停止から立ち直る速さが違うと思います。思考停止から立ち直る時間が短ければ短いほど、対応する時間と選択肢は増えます。

韓国人と接する機会のある日本人が備えておくべきタシナミとして、「彼らは日本人の想像を絶する」ということを肝に銘じて接するのが、実利的にも精神衛生上でも、「想定外」に接した際のダメージに対する抵抗力となり得ると、自身の経験を踏まえた上で、申し上げたいと思います。



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韓国を褒める気にならない理由

私は、韓国(人)について、褒めたり認めたり良い評価を下したりすることに極めて慎重です。それはおそらく、韓国(人)についてある程度知見のある人なら、たいてい同じではないかと思います。

韓国(人)について、褒めたり認めたり良い評価を下したりすることについて、本来私はやぶさかではありません。本当に良いことならば、いくらでも褒めるし認めるし良い評価を下すつもりはあります。

何事であれ、悪いことだけということはありません。どんなに悪いことであっても、探せばひとつぐらいは良いところがあるものです。仮に、良いところがどうしても見つからないという場合でも、それこそ韓国人が言うように「肯定的」に見たり考えたりすることは可能なわけです。

ですから、韓国がどんなにアレでも、その気になれば褒めて褒められなくはありません。が、そうすることが自分にとっても相手にとっても、建設的な結果につながるとはあまり考えられません。それどころか、よろしくない結果を生じさせる可能性の方が圧倒的に大きいと思います。

以前、「ソウルに学ぶ安心・安全国家」などと吹き散らかした、朝鮮人配偶者を持つ日本人のブログを紹介したことがあります。

そのブログではソウルの地下鉄の、ホームドア導入率が高いことを取り上げて、「このことについては韓国好き嫌いを乗り越えて素直に評価すべきであり、日本もソウル市に学び、同様な施策を行うべきであると思う」などとぶち上げました。

確かに、ソウルの地下鉄の駅に積極的にホームドアを導入することによって、自殺や、誤って線路に落下して怪我をしたり亡くなったりする事故の発生を未然に防いだということは、褒めたり認めたり評価したりすべき点かもしれません。

しかし、殊更にその点【だけ】を【排他的且つ定量的に】取り上げて絶賛するのは、余りにも浅慮ですし、片手落ちでもあります。

実際問題として、ソウルの地下鉄でホームドアを導入することによって、地下鉄への飛び込み自殺は確かに減った反面、漢江への飛び込み自殺は増加したという報道もあります。つまりホームドアは、地下鉄への衝動的な飛び込み自殺を防ぐことは出来ても、自殺防止の根本対策にはなっていないのです。

また自殺以外の不慮の事故についても同様です。ソウルのホームドアは確かに線路への転落事故防止には貢献しているかもしれませんが、同時にホームドアと列車の間に挟まる事故や、ホームドアに感電する事故が発生するようになったのも揺るがぬ事実です。これでは転落事故がホームドア事故に姿を変えただけです。

事故ではありませんが、停止する列車のドアの位置がホームドアの位置と合ってない(=当然安全面で問題がある)ことや、開閉の不具合でホームドアを開けっ放しにしている(=ホームドアの意味がない)という事例も少なからずあるようです。

ホームドアについて、一切の批判なく韓国のやり方を賞賛し、盲目的にそのやり方に学ぶと言うのであれば、否応もなくそういうマイナス部分もセットで付いてくるわけです。

ホームドアに限らず、韓国のやり方を無定見に賞賛して自己満足するだけではなく、それに学ぶべしと言うならば、盲目的にそのやり方を学ぶのではなく、良い部分は伸ばし悪い部分は改めるという努力が必要になるでしょう。そのためにも、批判は当然必須となります。

つまり、良い部分だけでなく悪い部分も見なければ、正しい評価は出来ませんし、それに学ぶことも出来ません。言うのも恥ずかしいほど当たり前のことですが、良い面悪い面を合わせ見て初めて、総合的な判断を下すことが出来、自分の糧にすることが可能なのです。

ところが韓国人の場合、以前にも述べたとおり、何事につけ「肯定的」に見るべきだと主張します。

過去記事でも述べたことがあると思いますが、悪い点には一切触れず、良い点だけに注目することや、一部を褒められたら全部を褒められたと理解するのが、韓国人の言う「肯定的」な見方です。韓国人に迎合する人々は、当然彼らの「肯定的」にも迎合しますし、またそれを他人に押し付けるぐらいですから、韓国人自身の自己判断も「肯定的」であるのを良しとするのは、至って当然でありましょう。

また、彼らは何事につけパリパリ(朝鮮語で「早く早く」という意味)です。他者から評価を受ける際にも、自分が望むとおりの評価を、一秒でも早く受けたがります。その勢いが余って、非常にしばしば「他人から受けるべき評価を、自分で勝手に言ってしまう」とか、「いまだ最終的な結果が出ていないのに、既に成功裡に達成されたと何の根拠もなく確信して自賛して満足する」ということになるのは、韓国ウォッチャーには実にお馴染みのパターンでもあります。

結局のところ、彼らを褒めることは彼らの自尊心を満足させる以外には、ほとんど何の役にも立ちません。彼らの自尊心を満たしてやることで、何か良い結果につながるのであれば、それも検討の余地がなくもありませんが、残念ながらそういう可能性もほとんど見込めません。

なぜなら彼らの自尊心を満たしてやることによって、「一部を褒められれば全体を褒められたと理解する」彼らが思い上がらないわけがないからです。更に彼らは、成果よりも評価の方を欲するのが常ですから、成果に対して、前払いで望むとおりの評価が得られた以上、成果の完成に関心を持つわけがありません。彼らの成果に対する追求は、評価が得られた時点で、たとえ未完であっても終了するのです。

その結果として、それに関わる人々に対する被害は、大小はさておき確実に発生するでしょう。

そういうことを鑑みると、彼らを迂闊に褒めたり認めたり良い評価を下すことには、慎重であるべきだと思わざるを得ないのです。



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偽善ではなく擬善

今回の日本の震災には、世界中から慰問と激励と支援が寄せられました。それは朝鮮半島からも、例外ではありませんでした。

情報が少ない北朝鮮の方はよくわかりませんが、韓国では日本の震災直後に、日本への募金熱風が吹き荒れたのは、どうやら事実のようです。

それをもって、韓国人も変わったと言う人は、少なからずいました。阪神淡路大震災の時と比べれば、韓国人も成熟した姿勢を見せたと言います。何より、韓国人自身がまるで絶叫するように自賛していました。

ですが、それらは間違いなく錯覚、あるいは願望に基づく幻想と、私は断言します。

阪神淡路大震災が起きたのは1995年です。あれからまだわずか16年しか経っていません。もし、この16年で韓国人が変わり得たならば、日帝36年の間には、2倍変わり得たはずです。しかし現実は歴史が示すとおりです。彼らが変わるとすればその時間は、生物の進化の速度で計るしかないでしょう。

韓国人に変わって欲しいと願う人の気持ちはわかります。誰だって、隣に住んでいるのがキチガイだなんて現実は認めたくありません。それが人の皮をかぶってりゃ、中身も人間だと思いたいものです。ましてや、多少なりとも韓国人に親しみを抱いた日本人なら尚更でしょう。

一度自分が好意的に判断した相手の正体を知ったからと言って、俄に自分が相手に下した評価を覆すことが出来る人は、そんなにたくさんいないと思います。だからと言って現実から目を逸らしても、事態は何も改善されません。それどころか、普通に悪化するでしょう。

自分が信じたことを否定することは、自分自身を否定することとほぼ同じだと思います。それは、確かに苦しいことだと思いますが、間違いを信じ続けても、それが真実になることは永遠にありません。嘘やごまかしから目を逸らす限り、その上にどれだけ真実を塗り重ねようとも、それは永遠に嘘かごまかしでしかないのです。

今回の震災に対する韓国人の募金を見ていて、私はそう確信しました。

前述したとおり、日本震災の報に触れるや否や、韓国人の間では日本への募金熱風が吹き荒れました。これは、いろんな方面の情報から見ても、事実と思って間違いないようです。

韓国のいくつかの学校では、勢い余って募金ではなく、強制徴収を行なったところさえあると仄聞しました。これはかつて日本が統治していた頃の朝鮮で、日本語学習を推進する勢いが余って、朝鮮語で話すことを禁止したり、朝鮮語で話せば罰を科す学校があったことを彷彿とします。

ともあれ、日本の震災に対する韓国での募金が偽善だったとしても、その時点では、募金した人々の気持ちが被災者支援にあったことは、幾許かの事実でありましょう。

ところが、その後発表された日本の教科書検定において、合格とされた中学校の社会科教科書全てに竹島領有主張の記載があると報じられたことから、韓国の態度は一変しました。

その時点から、韓国の募金額が激減するのは問題ないと思います。いくら気の毒に思えても、気に食わないことを言う相手には募金したくないと思うのは、自然な感情でしょう。日本が竹島領有を主張する限り、韓国人は日本人を助けたいと思わないと明言するなら、私はむしろ歓迎したいぐらいです。それを日本人に周知出来れば、韓国人のおためごかしな募金などよりも、ずっと日本の国益につながるでしょう。

しかし、既に集めた募金の使途を変更することとは、別の問題です。なぜならそれらは、募金が行なわれた時点では、「日本人を助けたい」という意志に基づいて行なわれたものだからです。

日本の態度や言い分が気に食わないから募金を渡したくないと言うのであれば、筋としては募金をした人それぞれに改めて募金の意志を確認し、「やっぱり募金したくない」と言う人には全額を返金するべきでしょう。けれど現実問題としては、募金した全ての人にそれを確認することは不可能でしょうし、いくら募金したのかも、客観的に判断できない場合が多いと思います。それでも返金するとなれば、100%以上の確率で募金返金詐欺が発生するでしょう。

あるいは、最初から領土保護事業や生活困難者への寄付と謳っていれば、もっとたくさん募金したのに、という人もいるかもしれません。

そういう意味でも、募金後の使途変更は、募金した人の善意を踏みにじる行為でしかないのです。

ですから、たとえ日本の態度に腹を据えかねたとしても、募金として集めた金は、それを募った際に謳った名目通りに使うべしというのは、改めて言うのも恥ずかしいほど当然のことです。

それなのに、この「改めて言うのも恥ずかしいほど当然のこと」が、韓国ではまるで通用しないのです。募金の使途変更に対しての抵抗感が、びっくりするほどありません。それに抵抗感を示す人の方が間違ってるというのが、韓国での一般的な雰囲気のようです。

韓国人らが、募金に対する日本からの見返りを期待していたということは、以前にも書きました。標榜する主義は異なっても、やはり同じ朝鮮人、北朝鮮も震災支援に対して見返りを期待していたことが、最近の報道によって明らかになっております。

募金や支援に対して見返りを求めるならば、それは募金や支援ではなく投資、あるいは便乗商売です。募金や支援の美名に隠して行なうのであればそれは最早、偽善ですらありません。音は同じですが、擬善と書く方が相応しいと思います。

その上、自分たちに都合の良いことは「肯定的」に考え、都合の悪いことは速やかに忘れ去るのが韓国人という生き物です。今後彼らが、実際に募金が名目通りに使われたかどうかや、使途が変更されたことなど全く意に介さず、「募金したこと」だけを殊更に強調して、日本(人)に譲歩を求めるだろうことは、想像に難くありません。

韓国はかつて、2002年のスマトラ沖地震の際に、世界各国の支援合戦に乗せられて、巨額の支援を表明したにも関わらず、結局ろくすっぽ払わずにばっくれた前科もあります。

彼らの擬善に騙されないためにも、彼らの行動、特に彼らが必要以上に見せつけたがる行動については、その結末までをきっちり監視し続けてから、判断を下す必要があると思います。

そのためには、かなりの不快・不愉快に耐えなければならないのがつらいところではありますが。



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望まぬ現実ではありますが

弊ブログでは、コメントは異論反論を含めて大歓迎しておりますが、基本的に筆者からのコメント返しは差し上げておりません。ただ、ネタがないときやネタになりそうなご質問の時は本記事にて取り上げることも、実は結構よくあります。

というわけで今回はコメントにて頂戴したご質問へのご回答を差し上げたいと存じます。

まず最初のご質問、「すみませんがここの過去の記事 日付指定などして見ることはできないでしょうか?」というご質問を頂戴いたしておりますので、簡単にご回答申し上げます。

出来ます。右サイドバーにカレンダーがありますので、記事が公開された日付をクリックすれば、その日の記事へ飛ぶことが出来ます。また、同じく右サイドバーに、折りたたんであるので少々見づらいかもしれませんが「人気記事ランキング」「全記事」「月別アーカイブ」「カテゴリー」なども設置しており、そちらから飛ぶことも可能です。どうぞご活用ください。

それからもうひとつ、同じく前回記事へのコメントで頂戴した質問にお答えします。

前回記事において【現在の日本と韓国という国家同士の関係が、まさにその「社会的には付き合わざるを得ない」関係と言えます。】と書いたところ、次のようなコメントを頂戴いたしました。

嫌で嫌でたまらないアレら

>しかし、世の中はそんなに簡単ではありません。個人的に親しくならないようにしても、社会的には付き合わ
>ざるを得ない場合も多々あります。そもそも、現在の日本と韓国という国家同士の関係が、まさにその「社会
>的には付き合わざるを得ない」関係と言えます。

それこそ思い込みなのではないでしょうか?
なにゆえ国家的には付き合わざるを得ないのか、どの辺りにその必要性があって付き合っているのか、
自分は知りたい。
付き合いがない方が、数百倍数千倍もそれ以上も、日本にとって益なのだと思います。
アレと付き合わないことで出る損益とは何があるのか?本当にわかるのであれば、羅列して教えていただきたい。

2011/05/06-03:17 | URL | 名無櫓 #Ob.Cx8Rc[ Edit]

このご質問について、回答よりもまず申し上げたいことは、私の考えが「日韓が「社会的には付き合わざるを得ない」関係と言えるから、日韓は付き合うべきなのだ」ということではないということです。

既に過去記事で幾度も述べている通り、私が望ましいと考えているのは日韓の発展的関係解消であり、日本が韓国と友好関係を構築することで、日本側にどんなメリットがあるのか、具体的に例を挙げて示して欲しいということは、長年私がこのブログで求め続けていることでもあります。

ならば何故あえて【日韓が「社会的には付き合わざるを得ない」関係と言える】と書いたのかと言いますと、それが動かぬ現実だからです。

いくら私が、日韓友好など、少なくとも日本にとっては害にこそなれ何らの益にもならないと、何年も延々喚き散らし続けたところで、政権与党の幹事長が日韓図書協定の衆院本会議採決において、自民党が反対したことに対し「日韓関係の重要さを考えれば、気持良く賛成してほしかった」などと公言し、それに誰も表立って突っ込みを入れない(おそらくこの発言について、国会でも誰もその真意を問い質さないでしょう)というのが現実なわけです。

その現実を鑑みれば、私などがいくら日韓の発展的関係解消を望んだとて、その実現どころか、そのための議論さえ始まらないのもまた、もうひとつの動かぬ現実です。

私には、日韓友好の促進が日本にとって益よりも害をもたらすという確信はあります。が、日韓が友好関係を深めることで少なからぬメリットを享受する人々は、確実に日本に存在します。先ほど述べた現政権与党の幹事長などは、まさにそのひとりと言えます。

日本という国家の政権を担う政党の幹事長という立場で、単に「日韓関係の重要さ」と言えば、「日韓関係の重要さって具体的に何?」という疑問を覚えるのは私だけではないと思います。

しかし日本の大手流通企業イオングループ創業者の次男であり、現イオングループ社長の実弟としての立場で、「イオングループにとっての」というワンフレーズを、先に述べた「日韓関係の重要さ云々」の前に付け足せば、その是非はさておき、誰もが素直になるほどと思うでしょう。イオングループのような私企業だけではなく、対馬市のような、日本人観光客よりも韓国人観光客を多く誘致したい自治体も、同様でしょう。

小は韓国人に取り込まれた日本人個人から、大は経団連や世界展開を行なう大企業や韓国人観光客を誘致したい自治体や省庁に至るまで、「自分の目先の利益のため」に、日韓友好を望む日本人や日本の団体は、案外少なくありません。現実として、そういう日本人と、日本を蝕むことで利益の獲得を目論む韓国人とが手を組んでいるわけです。私のように韓国に批判的な立場の者から見れば確かに望ましくないどころか、何とかして食い止め根絶したいことではありますが、それが現実です。

日韓関係が深化することで短期的には、あるいは局所的には利益を得ることは十分あり得ます。しかし、長期的かつ日本国全体として日韓関係を見れば、韓国との関係の深化は害多くして益少なしということを、歴史ははっきりと物語っております。

だからこそ、私は日韓の発展的関係解消を唱え続けているわけですが、現実が私の主張に反するからと言って日本が国家として、韓国との関係を積極的に深めようとしているという事実から目を逸らすことまではしないだけです。

何故なら、自分の望みどおりの現実ではないからと言って現実から目を逸らすことは、まさに「朝鮮人のような真似」のひとつであるばかりではなく、それこそ日韓友好を促進したい人々の思う壺ではないかと思うからです。

現実と言えば、韓国について詳しく知れば知るほど、うんざりするのも現実のひとつです。

そのうんざりから逃れるために韓国から目を逸らし、韓国にとって都合の悪い事実やニュースは見ざる聞かざる言わざるを貫いていれば、これはもう素晴らしく快適です。日韓関係が深化すればするほど、日本のどこかで日本人の誰かが韓国からの害を被るでしょうが、それが自分に直接降り掛かってこない限りどうでも良いと思えたら、どんなに気が楽になるでしょうか。

知っているにも関わらず韓国から被る害や危険性について目を逸らし耳を塞ぎ口を閉じることは、メリットと言うことは出来るでしょう。少なくとも、精神衛生上大きなメリットがあることは間違いありません、短期的且つ個人的には。

つまり、短期的且つ個人的あるいは限定的なメリットを追求するのであれば、日韓友好の一層の構築やその維持に協力すること及びそれらに積極的に反対しないことは、実は私のような嫌韓にとっても、案外悪いことではないと言えなくもありません。

日本全体がそういう姿勢になれば、日韓友好は自ずから加速するでしょう。

その結果として、韓国人がほしいままに日本を侵食しても、日本人はひたすら望ましくない現実から目を逸らし耳を塞ぎ口を閉ざし続けたとします。

その果てに現れるのは、日本人として望ましい未来でしょうか。

そういう意味で、今の日本が日韓友好促進に傾いているという現実を望ましいと思わない人ほど、その現実から目を逸らさず、警鐘を鳴らし続けなくてはならないと、私は思っています。



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韓国人の欺瞞の手法とその対策

ゴールデンウィーク真っ盛りですが、ウサマ・ビンラディン殺害のニュースに驚いていたら、韓国がその懸賞金の行方に注目しているというニュースを見かけ、浅ましい連中であるなあという思いを新たにいたしました。ま、韓国人らしくて宜しいとは思いますが。

さて先だって、月見チャットで話題になったのですが、韓国人と話す際に、彼らが実にナチュラルに用いる手法があります。韓国人の会話パターンに慣れている人ならば、それを見抜くことはさほどに難しくはありませんが、あまり慣れていない人だと非常に簡単に転がされます。

その手法とは、「韓国人的決定事項を前提として、話題を展開しようとする」という手法です。

以前、「こんな韓国人と親しくなってはいけない」、という記事を書きました。そこで述べた「こんな韓国人」、即ち「私は日本が過去にやらかした我が国への蛮行を忘れることはないが、今の日本人を悪いと思わないし、日本の文化も好きだ。だから、これからは過去にこだわらないで、未来指向の関係を築いていきたい」などという常套句をべらべらと口走る個体が、その典型例と言って良いでしょう。

韓国人に慣れない日本人ならば、「日本が過去にやらかした我が国への蛮行」という前提に微妙な違和感を覚えたとしても、言ってること自体は前向きだし、何より誠実そうだし、日本に対する好意も明言しているので、わざわざ「日本が過去にやらかした我が国への蛮行」という部分について突っ込まない方が穏便だろうと思う人が多いのではないかと思います。

日韓の過去の歴史なんて全然詳しく知らないけど、言われてみればなんとなく、学校で日本が戦争中にアジアに酷いことしたって教わったような記憶があるし、相手もそう思ってるみたいだから多分そうなんだろうし、だいたい過去にこだわらないって言ってるんだから、あえてそこをつっついて話をややこしくさせてもしょうがないよな、と思うのは、日本人的には至って自然な考え方でしょう。

韓国人は、日本人がそういう考え方をすることをよく知っています。

「私は日本が過去にやらかした我が国への蛮行を忘れることはないが、今の日本人を悪いと思わないし、日本の文化も好きだ。だから、これからは過去にこだわらないで、未来指向の関係を築いていきたい」というフレーズにおいて、普通の日本人なら「未来」に言及した部分を重視しますが、韓国人は「過去」に言及した部分を最重要と考え、「日本が過去にやらかした我が国への蛮行」などという、日本に対する正体不明の罪状を、勝手に且つ一方的に、決定事項にしているのです。

だから彼らは「日本が過去にやらかした我が国への蛮行」というフレーズを、絶対に強調します。それは「ウリがそれを忘れないように、お前らチョッパリもそれを忘れんなよ」という念押しなのです。その他の台詞は上っ面を装うための飾りであり、「決定事項」に対する反論を封じるためのものでしかありません。

そもそも大抵の日本人は、歴史について詳しくありません。

ちなみに日本人の言う「歴史について詳しくない」というのは、同じく日本人の言う「英語を話せない」というのとほぼ同じです。日本人の「英語を話せない」が、「ネイティブスピーカーのように英語を話せない」という意味であるのと同様、「歴史について詳しくない」というのは「史学者を名乗れるレベルではない」という意味です。

大抵の日本人なら、歴史については学校で習った記憶はあるけど、年代とか事件の名前とか内容とかまで詳しく覚えてないし、そもそも明治大正昭和なんてものすごい駆け足だったし、韓国のことなんてほんのちょっぴりだったもんなーなどと、ほのかに思うぐらいでしょう。

実は、歴史に詳しくないのは韓国人も同様だったりします。しかも、それは日本人の比ではありません。10年20年どころか、1年2年前のことさえ(下手をすれば1ヶ月2ヶ月前のことさえ)覚えていられない韓国人が、100年単位の昔を覚えていられるわけがありません。彼らが覚えているのは、「日本は過去ウリナラに酷いことをした」などのイメージだけです。

だから実は、「日本が過去我が国にやらかした蛮行」の部分を問いただしても、ほとんどの韓国人は正確に答えられません。

もしそれについて問いただされれば、「日本の蛮行」と勝手に決めつけた事柄(時にそれは、彼らの空想上の事柄だったりすることさえある)を内容も経緯も説明せずだらだら列挙するか、不機嫌そうに「私は歴史に興味ないから、詳しいことはわからない」と言い逃れるか、酷い場合は「日本が過去我が国で蛮行をやらかしたのは動かすことの出来ない事実なのに、どうしてそれをを認めませんか!」と火病ります。

日本人に対して「私は日本が過去にやらかした我が国への蛮行を忘れることはないが、今の日本人を悪いと思わないし、日本の文化も好きだ。だから、これからは過去にこだわらないで、未来指向の関係を築いていきたい」と韓国人が言うのは、「未来指向の関係を築いていきたい」ということを言うためではなく、「日本が過去にやらかした我が国への蛮行」を事実として、日本人に共有させるためと言っても良いでしょう。

ですから、それに対して日本人が、「そうだね、私たちは未来指向で仲良くしようね」などと言えばしめたものです。何故なら、日本人がそう答えたということは、韓国人的には「日本が過去に我が国にやらかした蛮行」を事実と認め、受け入れたことになるからです。

でも実際歴史なんか詳しくないし、そう言われたらどう答えりゃ良いんだよ、と思う方もおられるでしょう。

一番良いのは、「そういうことを言う韓国人とは、親しくならないこと」ということは、以前の記事でも述べました。

しかし、世の中はそんなに簡単ではありません。個人的に親しくならないようにしても、社会的には付き合わざるを得ない場合も多々あります。そもそも、現在の日本と韓国という国家同士の関係が、まさにその「社会的には付き合わざるを得ない」関係と言えます。

そういう時は、にっこり笑って「日韓の過去については詳しく知らないので、あなたの仰る「日本が過去にやらかした蛮行」について、是非詳しく教えてもらえますか?教えていただければ、私も調べてみますので」とでも言っておけば良いと思います。

つまり、彼らが突きつける「決定事項」をただちに否定はしないが、ただちに認めもしないという姿勢を見せ、確認と検証を求めれば良いのです。その「決定事項」を韓国人が提示した場合はもちろん、韓国人と一緒にひとつひとつじっくり検証をする必要があります。その韓国人が、本当に誠実に日本との関わりを深めていきたいと思っているのであれば、日本人のその姿勢に誠実に応じるでしょう。

そうでない韓国人ならば、こちらから拒絶しなくとも、相手の方から避けてくれるようになるのは、以前のチャットログでご覧に入れたとおりです。



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月見櫓 韓国 日韓
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