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韓国を褒める気にならない理由

私は、韓国(人)について、褒めたり認めたり良い評価を下したりすることに極めて慎重です。それはおそらく、韓国(人)についてある程度知見のある人なら、たいてい同じではないかと思います。

韓国(人)について、褒めたり認めたり良い評価を下したりすることについて、本来私はやぶさかではありません。本当に良いことならば、いくらでも褒めるし認めるし良い評価を下すつもりはあります。

何事であれ、悪いことだけということはありません。どんなに悪いことであっても、探せばひとつぐらいは良いところがあるものです。仮に、良いところがどうしても見つからないという場合でも、それこそ韓国人が言うように「肯定的」に見たり考えたりすることは可能なわけです。

ですから、韓国がどんなにアレでも、その気になれば褒めて褒められなくはありません。が、そうすることが自分にとっても相手にとっても、建設的な結果につながるとはあまり考えられません。それどころか、よろしくない結果を生じさせる可能性の方が圧倒的に大きいと思います。

以前、「ソウルに学ぶ安心・安全国家」などと吹き散らかした、朝鮮人配偶者を持つ日本人のブログを紹介したことがあります。

そのブログではソウルの地下鉄の、ホームドア導入率が高いことを取り上げて、「このことについては韓国好き嫌いを乗り越えて素直に評価すべきであり、日本もソウル市に学び、同様な施策を行うべきであると思う」などとぶち上げました。

確かに、ソウルの地下鉄の駅に積極的にホームドアを導入することによって、自殺や、誤って線路に落下して怪我をしたり亡くなったりする事故の発生を未然に防いだということは、褒めたり認めたり評価したりすべき点かもしれません。

しかし、殊更にその点【だけ】を【排他的且つ定量的に】取り上げて絶賛するのは、余りにも浅慮ですし、片手落ちでもあります。

実際問題として、ソウルの地下鉄でホームドアを導入することによって、地下鉄への飛び込み自殺は確かに減った反面、漢江への飛び込み自殺は増加したという報道もあります。つまりホームドアは、地下鉄への衝動的な飛び込み自殺を防ぐことは出来ても、自殺防止の根本対策にはなっていないのです。

また自殺以外の不慮の事故についても同様です。ソウルのホームドアは確かに線路への転落事故防止には貢献しているかもしれませんが、同時にホームドアと列車の間に挟まる事故や、ホームドアに感電する事故が発生するようになったのも揺るがぬ事実です。これでは転落事故がホームドア事故に姿を変えただけです。

事故ではありませんが、停止する列車のドアの位置がホームドアの位置と合ってない(=当然安全面で問題がある)ことや、開閉の不具合でホームドアを開けっ放しにしている(=ホームドアの意味がない)という事例も少なからずあるようです。

ホームドアについて、一切の批判なく韓国のやり方を賞賛し、盲目的にそのやり方に学ぶと言うのであれば、否応もなくそういうマイナス部分もセットで付いてくるわけです。

ホームドアに限らず、韓国のやり方を無定見に賞賛して自己満足するだけではなく、それに学ぶべしと言うならば、盲目的にそのやり方を学ぶのではなく、良い部分は伸ばし悪い部分は改めるという努力が必要になるでしょう。そのためにも、批判は当然必須となります。

つまり、良い部分だけでなく悪い部分も見なければ、正しい評価は出来ませんし、それに学ぶことも出来ません。言うのも恥ずかしいほど当たり前のことですが、良い面悪い面を合わせ見て初めて、総合的な判断を下すことが出来、自分の糧にすることが可能なのです。

ところが韓国人の場合、以前にも述べたとおり、何事につけ「肯定的」に見るべきだと主張します。

過去記事でも述べたことがあると思いますが、悪い点には一切触れず、良い点だけに注目することや、一部を褒められたら全部を褒められたと理解するのが、韓国人の言う「肯定的」な見方です。韓国人に迎合する人々は、当然彼らの「肯定的」にも迎合しますし、またそれを他人に押し付けるぐらいですから、韓国人自身の自己判断も「肯定的」であるのを良しとするのは、至って当然でありましょう。

また、彼らは何事につけパリパリ(朝鮮語で「早く早く」という意味)です。他者から評価を受ける際にも、自分が望むとおりの評価を、一秒でも早く受けたがります。その勢いが余って、非常にしばしば「他人から受けるべき評価を、自分で勝手に言ってしまう」とか、「いまだ最終的な結果が出ていないのに、既に成功裡に達成されたと何の根拠もなく確信して自賛して満足する」ということになるのは、韓国ウォッチャーには実にお馴染みのパターンでもあります。

結局のところ、彼らを褒めることは彼らの自尊心を満足させる以外には、ほとんど何の役にも立ちません。彼らの自尊心を満たしてやることで、何か良い結果につながるのであれば、それも検討の余地がなくもありませんが、残念ながらそういう可能性もほとんど見込めません。

なぜなら彼らの自尊心を満たしてやることによって、「一部を褒められれば全体を褒められたと理解する」彼らが思い上がらないわけがないからです。更に彼らは、成果よりも評価の方を欲するのが常ですから、成果に対して、前払いで望むとおりの評価が得られた以上、成果の完成に関心を持つわけがありません。彼らの成果に対する追求は、評価が得られた時点で、たとえ未完であっても終了するのです。

その結果として、それに関わる人々に対する被害は、大小はさておき確実に発生するでしょう。

そういうことを鑑みると、彼らを迂闊に褒めたり認めたり良い評価を下すことには、慎重であるべきだと思わざるを得ないのです。



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