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夢想から現実へ

長年日韓チャットをやってきて思うことは、日韓問題は日本人側の意識が変わらない限り、少なくとも日本側にとって良いようには変化しないだろうということです。

何度も申し上げておりますが、韓国人は変わりません。

個体ごとの微小な変化は当然あり得ますし、覚醒する韓国人の出現確率も、ゼロとは言えないでしょう。朝鮮の歴史を振り返れば、過去にもそういう朝鮮人がまったくいなかったわけではありません。そういう、例外でしかない個体をピックアップして、「韓国は変わり得る」と叫ぶ日本人が出てくるのも、どの時代においてもお約束です。

しかし朝鮮という社会において、そういう人々は全て排除され淘汰されました。これは誰が、あるいは何処の国が強制したわけでもなく、朝鮮人自身が進んでそうしてきたのです。

韓国建国六十有余年の歴史においても、その性向はほとんど変わりません。

2008年に起きた燭火デモを、当時の韓国人は「過去に例を見ない文化的で民主的で平和的なデモ」と自ら絶賛しておりました。しかし実際には、過去に起きた暴力的なデモ、有り体に言えば暴動と見分けが付かないものだったのです。それは、1919年に起きた三一独立運動と呼ばれる現象も、おそらくは同様のものであっただろうと思わせるに十分な光景でした。

韓国建国から数えて60年以上、韓国人が自由に海外を往来することが出来るようになって20年以上、インターネットの普及によって、居ながらにして世界中の情報を閲覧することが出来るようになって10年以上経ちますが、韓国人は相変わらずです。

もちろん、今後韓国人が劇的に変化する可能性が皆無だとは言いません。しかし、今までこれだけの変化要因を与えられていながら、彼らがほとんど変化していないという現実を鑑みれば、「今後彼らが劇的に(良い方向に)変化する」と予測するのは、余りにも希望的観測が過ぎると言わざるを得ません。過ぎる希望的観測はすなわち、ただの夢想です。

その点日本人が、理に適っていれば変化をさほど厭わないことは、歴史に鑑みても明らかです。韓国人に対し、どのように接するのが日本人にとって合理的であるかを周知徹底出来れば、日本人の意識と行動を変えることは、少なくとも韓国人の意識と行動を変えるよりはずっと現実的だと私は考えております。

そのためには、何故韓国人にはそのように接しなければならないのかを、日本人が、個人ではなく社会のコンセンサスとして理解する必要があります。

ブログ月見櫓では、これまでそのことをくどくしつこく縷縷として述べて参りました。弊ブログをご覧になって、「同じこと何回言ってやがんだこの野郎」と思った方は、きっと多いと思います。

しかし、弊ブログでこれだけ何度も重ねて同じようなことを書き、それを毎回またかと思いながら読んでおられる方であっても、実際に日韓チャットで韓国人と言葉を交わすと、それはもう驚くほど簡単にコロコロと転がされまくるのです。

月見チャットでは、日韓チャットを体験してみたいと仰る方にリアルタイムサポートを行なっていることがあります。そうやって実際に日韓チャットで韓国人と会話をしてみると、ブログ月見櫓をかなり読み込んでおられるはずの方でも、気づかぬ内に韓国人のペースに乗せられてしまう方がほとんどです。チャットでさえそうなのですから、現実社会で人の皮を被った韓国人を目の前にすれば、尚更というものでしょう。

つまり弊ブログで、韓国人について学習出来ることが多少あったとしても、それは所詮机上の空論であり、畳の上の水練です。実戦に臨むにあたり備えていればないよりマシ程度のものであって、弊ブログをどんなに読み込んでいても実際に韓国人と対面すれば、大抵の日本人はすっ転がされてしまうのです。

彼らの日本人転がしの巧みさは、かつて日韓チャットで長年韓国人を観察して、嫌と言うほど韓国人がどのような生き物かを見ていながら、朝鮮人配偶者を得た結果、特亞の思想工作に加担するようになってしまった人物が実在することからも、おわかりいただけるのではないかと思います。

しかし、「韓国人に容易に転がされる」ということは、逆に言えば日本人の思想の柔軟性を示すものでもあります。つまり、「転がされぬように」さえ出来れば、知識に経験をプラスすることは日本人の対韓意識の向上に、間違いなく大きく寄与すると思います。

某巨大匿名掲示板の定番コピペに次のようなものがあります。

日本人はな、お互い様やねん。相手に一回譲ってもうたら、今度は自分が譲るねん。そうやって、うまいこと回っていくねんけど、『あの人ら』は違う。一回譲ったら、つけこんできて、こっちはずっと譲らなあかん羽目になる。それでも『あの人ら』は平気なんや。カドたてんとことおもて譲り合うのは、日本人同士だけにしとき。そうせんと、『あの人ら』につけこまれて『ひさしを貸して母屋を盗られて』、日本がのうなってしまうからな。

あるいは、実際に年長者から「朝鮮人のような真似をするな」と言われた経験を持つ方もおられるでしょう。

これらの言葉は、それだけを聞けば、それこそ【日本人的】には「なんてサベツ的なんだろう」としか思えません。それは「和」を尊ぶ日本人としては、まことに好ましからざる姿勢です。

しかし実際に韓国人を知れば、彼らこそが日本の「和」を乱し、日本人を不当に差別する人々であり、前述した先人の言葉が決して「不当な差別意識」から出たものではなく、現実的な防衛意識からのものであることを、嫌でも思い知ることになります。

だからと言って、全ての日本人が、知識だけでなく経験として韓国人を知ることは難しいですし、そんなことをすれば転がされてしまう日本人も多く発生しかねません。ですので今後の日本人の課題としては、「韓国(朝鮮)人とはどのような生き物か」を正しく知ることと、「そのような生き物にはどのように接するべきか」の社会的コンセンサスを形成することでしょう。

その過程において、在特会のような過激なやり方に嫌悪を覚える方もいれば、弊ブログのような迂遠で隔靴掻痒なやり方に苛立ちを感じる方もいると思います。

ですが多くの日本人が様々なアプローチを試すことによって、結果的にこれまでほとんど意識されなかった「日本人は、韓国人にどのように接するべきか」を模索していくことになるのではないかと思います。

その結果として日本人の対韓意識が、現在の夢想的なものから、現実的なものに変化すればと願う次第です。



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