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韓国も独裁統治が相応しいと思う理由

朝鮮人には独裁統治が似合うということを、以前に幾度か書いたと思います。何故彼らには独裁が似合うと思うのかと言えば、それは彼らが、極めて均質だからだと私は考えます。

古諺に「三人寄れば文殊の知恵」などと言います。人間、一人では知識にも思考範囲にも限界がありますし、二人で議論すればいくらか広がりがあるでしょうが、双方がそれぞれ主張することの正誤や善悪と言った二次元的な議論にとどまりがちです。

しかし三人で議論すれば、白でも黒でもない灰色の論点が浮上し、それが突破口になって議論や思考の幅が大きく広がることが期待出来るでしょう。その灰色にしても、白に近い灰色から、黒に近い灰色まで、多くのバリエーションが期待出来ます。

弊ブログで異論反論を歓迎しているのも、そのためです。同じ考えを持つ者同士で、その考察を深めていくことを悪いことだとは思いません。しかし異なる視点からの考察が提示されれば、より立体的で多様な考察が可能になり、ひいては考察の対象に対する理解もより深まるはずだと、私は考えています。

これは、民主主義の考え方にもつながるでしょう。

民主主義による政治は、現在多くの人が感じているように、決して万能でもなければ最良でもありません。誤解を恐れずに言い切ってしまえば、独裁政治の方が良い場合もあります。

「独裁」という言葉には悪い印象がつきまといますが、もし独裁者が全知にして全能であり、絶対無謬の神の如き人物であれば、独裁という統治の形は、実は理想的な統治の形と言って良いでしょう。

しかし、人間は人間であって、決して神の如くにはなれません。人間が神の如くになれない限り、必ず間違います。その時、独裁者が自らの間違いに気づき、直ちに是正出来ればまだ良いでしょう。ですが、これもまた人間故の悲しさで、誰でも自らの過ちには気づき難いし、もし気づいても、直ちにそれを認めることは更に難しいものです。ましてやそれを改めることは、至難の業です。それが難なく出来るぐらいならば、誰も最初から間違ったりしないでしょう。

そこで独裁者以外の視点からの意見が必要になります。もちろん、その意見も必ずしも絶対無謬ではありません。というか、社会が複雑化すればするほど、問題に対する確たる答えなどないのが当然です。

背の高い人には長いベッドを、背の低い人には短いベッドを支給するのが公平か、それとも個人の背の高さに関わらず一律の長さのベッドを支給するのが公平かと聞かれて、即座にどちらが公平だと答えられる人はいないでしょう。どんな選択肢を選んでも、いかなる回答を提示しても、その対象となる人が多ければ多いほど、何処からか不平や不満、批判や苦言は来るものです。

それでもたった一人の人間が独断で行なうよりは、出来るだけ多くの意見を集めて擦り合わせ、その結果を行なう方が無難と言えば無難です。故に、世界には民主主義による政治を選択する国が多いのでしょう。

ただし、これは、「多くの人々がそれぞれの知見を持つ」ということが前提になります。その上で、互いが互いの意見を提示し、それを相互に吟味するだけの余裕が必要になります。議論が膠着した時には、中立的な意見や妥協案、次善策を提示出来る人も求められます。

ところが、これまで幾度も述べたように、全ての韓国人はたった一人の「理想の韓国人」を内包しています。彼らが公に言う意見は、全てこの「理想の韓国人」が言う意見と考えて良いと思います。

「理想の韓国人」は絶対無謬ですから、それに対する異論や反論などあり得ません。批判や助言も当然不要です。もし「理想の韓国人」に対して異論や反論を言う者があれば、その者自体が間違いなのです。

即ち、韓国人が幾人集まろうと、どんな議論を展開しようと、彼らの意見がたった一人の「理想の韓国人」の意見でしかない以上、「異なる視点からの考察が提示され、より立体的で多様な考察が可能になり、ひいては考察の対象に対する理解もより深まる」などということは、絶対に期待出来ないのです。

何十人、何百人、何千万人の韓国人が居ても、彼らの意見がたった一人の「理想の韓国人」のものである限り、議論の多様性などは望むべくもありません。それならば最初から「理想の韓国人」を具現化した独裁者に統治させた方が、少なくとも無駄な議論と混乱が省け、効率的な統治が出来るだろうというのが、私が韓国でも独裁統治が相応しいと考える理由です。



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