これも自己投影の一種かと
さて前回記事で、「「爆弾発言w」の一言から、ここまでこじつけられるもんですか。 」というコメントを頂戴いたしました。
「ここまで」というのがどこまでなのか、いただいたコメントからはよくわかりませんでしたが、弊ブログでは、毎回のように韓国人にとっては癪に障るようなことをてんこ盛り書いているのに、どちらかと言えば穏やかめな前回記事にわざわざ食いついたということは、あの記事がどうやら彼らの心の琴線に触れたからではないかと思います。
あるいはもしかすると、「こんな拙いこじつけなら勝つる!」と思って勇んでお越しになったのかもしれません。いずれにしても「なぜこじつけだと思ったのか」という具体的な説明が一文字もない以上、あのコメントは異論や反論ではなく、印象操作を目的としたものと判断するしかありません。
この手の印象操作は、韓国人が極めてお得意とするもののひとつです。とにかく一撃離脱式に、どうにでも取れるような言葉をちょろっと放り投げておいて、それを相手が深読みして動揺するのを期待するパターンです。
これは韓国人が日本語でやるプロパガンダブログや、あるいはツイッターなどでよく見られるパターンで、特にツイッターなどは単発短文なだけに深読みの余地が多く、その上拡散効果も絶大なため、傍目に見ているとかなり効果的なようです。
要するに、「この記事はこじつけである」という印象操作を行なうことによって、記事全体、ひいては私そのものを否定しようと思ったのでしょう。これは前回記事中でも述べましたが、「もし韓国に関した事で、それを否定的に言う者がいれば、韓国人はそう言った相手を否定することで、相手の否定的な意見を打ち消そうとする」というのの、まさに典型的実例です。
私の記事を「こじつけだ」と言いながら、わざわざ私がその記事内で述べたことを実証して見せてくださるのですから、もしかすると案外親切な方なのかもしれません。
と言うと、「私は韓国人ではない」などと言い出すのも極めてよくあるパターンです。が、ネット上で実際の国籍を確認することは困難ですし、仮に国籍が日本であっても血統に朝鮮人が混じってるということは珍しくありません。更に言えばたとえ「名実ともに生粋の日本人」であっても、所業は立派な朝鮮人という人も、昨今のネット上では頻繁に見ることが出来ます。
誰から強制されたわけでもなく自ら進んで「朝鮮人のような真似」をしておいてから、どれほど「私は韓国人ではない」とか「私は生粋の日本人だ」と喚き散らしても、果てしなく汚名の挽回になるだけなのは、数カ月前に実演された方がいらっしゃいますのでご参考までに。
それに「こじつけ」と言えば、韓国人の方が甚だしいのではないかと思います。例えば、「李南教の日本語源流散歩」なんかは、こじつけで成立してると言っても過言ではありませんし、ウリナラチラシなんかにもこじつけ記事は頻繁に見られます。
「イシマタラ」とか「日帝の呪いの杭」なんてのもありましたし、あるいは「ソウル市庁舎の建物は「日本」の「本」の字を模したものだからぶっ壊しちまえ」と大騒ぎしたこともありました。そうそう、「日帝が釜山に刻んだ『大日本』の文字~航空写真で確認された「風水侵略」なんていうのもありました。これを問題にするなら、「韓国」の「韓」の字に、「日」が入ってるのは良いのかと思ったものです。
思えば「自分がやるから他人もやる(あるいは「やってる」)に違いない」と邪推するのもまた、韓国人には極めてありがちな思考パターンのひとつです。
それらを考え合わせると、前回記事で「「爆弾発言w」の一言から、ここまでこじつけられるもんですか。 」というコメントを残した方の考えも、なるほどそういうことかと思うことが出来ます。