韓国を褒めるのは構いませんが
もし、コメントしようとしたら禁止ワードに引っかかったという方がいらっしゃいましたら、それはたまたま、コメント内に荒らしやスパムが多用する語彙があったというだけの話です。どうしてもその語彙を含めてコメントしたいとお考えであれば、「禁止ワードに引っかかって投稿できない」とお知らせいただければ、該当しそうな禁止ワードを一時的に解除します。
ただし、「禁止ワードが何か」というお問い合わせや詮索はお控えください。仮にお問い合わせいただいても、お答えいたしません。それを公開してしまうと、荒らしやスパム対策になりませんので。
さて、先だってより、弊ブログに珍妙なコメントを精力的に投稿しておられた方がいらっしゃいました。
精力的にコメントを投稿くださるのはありがたいのですが、肝心のコメントでの主張がよくわかりませんでした。ただ、その中に「それとも南北朝鮮の悪口の書き込みしか受け付けないのですか? 」という発言がありましたので、それについて少々申し上げておこうと思います。
弊ブログでは、南北朝鮮の悪口しか受け付けないなどということは決してありません。あるいは、韓国(人)の長所や美点を述べれば無条件攻撃されるのかと言えば、これもまたそんなことはありません。
逆に、「単に韓国(人)の悪口を言いたいだけ」のコメントなどは、はっきり言って全く歓迎しておりませんし、韓国(人)にも良いところがあると主張する方には、是非その考えるところを開陳していただきたいぐらいです。
ただ、それが短所であれ長所であれ、単に羅列するだけでは意味がないのは同じです。私たちが気に掛け、考察すべき根本的な問題は、韓国(人)の長所の有無や短所の有無や数ではなく、それらが日本(人)に及ぼす影響ではないかと思います。
韓国(人)に長所があるとして、それは彼らの短所をカバーし得るのでしょうか。あるいは、短所との相殺が可能なのでしょうか。最低限、その長所とやらの御利益で、日本(人)に対する悪影響が著しく緩和されるのでしょうか。もしそうなら、韓国(人)の長所だけに注目するのも、そんなに悪いとは思いません。
しかし現実的には、韓国(人)に長所が仮にあるとしても、彼らの豊富な短所がその全てを台無しにしています。それは丁度、どんなに多くのプラスの数を積み上げても、最後にゼロを掛けたら全てがゼロになったり、あるいはどんなにプラスの数字を足し込んでいっても、最後にマイナスの数字を掛けたら、全てがマイナスになるのに似ています。
しかも、韓国(人)の場合、「最後にたったひとつだけ、ゼロやマイナスを掛けたら」なんてものではありません。腐るほどあるゼロやマイナスの中に、稀に、もしかしたら、運が良ければ、何かの間違いで、プラスの数字が見つかることもあるというレベルなのです。
もしそうと気づいてない人なら、韓国(人)の長所を語るレベルにあるとは思えませんし、そうと気づいている人ならば、あえてゼロやマイナス(=短所)を度外視し、プラスの数字(=長所)だけに着目し、それを強調して周知することに何の意味、あるいは何の意図があるのかを説明するべきだと思います。
彼らのゼロやマイナス(=短所)が、彼らだけを害したり滅したりするなら、私たち日本人が気にする理由はありません。が、現実には非常にしばしば、彼らのゼロやマイナスは、私たちにもとばっちりを食らわします。
例えば、隣の家の人に盗癖や虚言癖があり、所有物に対する自他の感覚が希薄で、自分の思い通りにならなかったり気に入らないことがあるとたちまち憤り、一旦憤りを発すれば自らが傷つくことも顧みず、火を着けたり激しく暴れ狂ったりして、周辺の人や物に危害を加える恐れが極めて強い場合、その人は歌や踊りがとても上手なのだからと言って、非難したり警戒したりせずに、親密で濃厚なご近所付き合いをするべきだと考える人など、いるはずがないでしょう。
ところが、隣の家の人が「盗癖や虚言癖があり(中略)周辺の人や物に危害を加える恐れがある」という人だということを知らなければどうでしょうか。その上更に、「あなたのお隣さんは、歌や踊りが上手な陽気な人だよ」ということだけを、殊更に強調されればどうでしょうか。
隣の家の人のことを、「歌や踊りが上手な陽気な人だ」と言ってはいけないとは言いません。ですが、それを言うことで「盗癖や虚言癖があり(中略)周辺の人や物に危害を加える恐れがある」ことをどの程度カバー出来るというのでしょうか。あるいは、「盗癖や虚言癖があり(中略)周辺の人や物に危害を加える恐れがある」ということをあえて伏せ、あるいは極めて過小評価し、隣の人は良い人であるという印象を、私たちに植えつけようとする意図は、何なのでしょうか。
韓国人を観察することで知り得た日本人に対する韓国(人)の危険性を周知し、警戒を促し、日本人側の姿勢と思考を今一度省みることを勧めているのが弊ブログです。
その性質上、韓国に対する好印象を強調することそのものは特に非難しませんが、その意図を明確にしようとしないことを責められることは、当然にあるということを、どうぞご承知おきいただきたいと存じます。