最悪の敵対者とは
確かに彼らは、日本人とは相容れることのない敵対的存在です。ですが彼らだけなら、そんなに対処に苦しむことはありません。取り扱い方法を知っていれば、案外彼らは御し易いのです。
実は彼らへの対処で最も厄介なのは、彼らそのものよりも、彼らに加担し、支援する者どもです。
彼らに加担する者は、案外少なくありません。何故彼らは、何度も国を滅ぼし、民を損ない、やることなすこと8割でパぺクトを続けてきたのに、今日まで存在し続けてこられたのでしょうか。歴史を振り返れば明白ですが、必ず彼らに加担し、援助する者がいたからです。
その援助はもちろん、必ずしも無私無償の善意とは限りません。それどころか、その援助が韓国人にとって屈辱的だったり、強い痛みを伴ったりするものであったことも多かったのが事実だと思います。そもそも韓国人は、たとえ無私無償であっても「支援を受ける」ということそのものに劣等感を抱き、それを「恨」とします。しかし、たとえ韓国人にとって屈辱的であろうと痛恨であろうと、その援助があったからこそ、あの彼らが今まで存続し得たと私は考えています。
実際に韓国人と接することがあれば、その危険性と共に対処の仕方も、嫌でも学習します。慣れれば彼らへの対処は、それほど難しいものではないというのは、先に述べたとおりです。しかし情報の伝達方法が限られていた頃に、彼らがそういう生き物であることを知ることは、実際に接する機会がない人には困難であったでしょう。ですから、彼らがそういう生き物であることを知らずに援助するのは、ある程度しかたのないことだったと思います。
ですが今は違います。少なくともこのブログをご覧の方なら100%、彼らを知るための情報を探し、知識を蓄えることが可能です。それをしないで韓国に加担する者、それをしても尚韓国に加担する者は、日本にとって韓国以上の敵対者と考えて良いのではないでしょうか。
例えば象使いが象を操るのに手鈎を用いるように、馬を調教する際に鞭や拍車を用いるように、韓国人を扱うには厳格なルールを定め、その順守を徹底し、それに逆らったり背いたりすれば、痛みを伴うペナルティを科せば良いのですが、それを行なう者に必要な事は、「自分のことは棚に上げる」という意識です。
「棚に上げる」と言う表現に抵抗があるならば、「日本人と韓国人は立場や思想が違うのだから、同列同等に考える必要はない」と思っても良いでしょう。
日本人の対人関係は、基本的には「対等」から始まります。もちろん、背負う看板や団体、地位や実績で、初対面から上下や優劣が明白なことはありますが、相手に対する情報が少ない内は、とりあえずイーブンであると考えるのが普通でしょう。
しかし韓国人の場合、対人関係に「対等」という概念がないのは、これまでに何度も述べてきました。彼らは性別や年令、人種や国籍、住所や出身地、所属する団体や血縁関係、果ては背の高い低いや発音可能な音素数までを動員して、必ず対峙する相手との上下優劣を定めようとします。
あるいは、彼らは自分の落ち度や短所を指摘されると、「日本も同じです」とか、「日本人もそうです」などと言います。これは必ず言います。
日本人は、対人関係における対等の概念があるので、こう言われるとついうっかり「そうかも」とか、「確かに、人のことは言えないな」などと素直に思ってしまいます。酷い場合では、韓国人に聞かれもしないのに、自ら進んで「日本だって悪いところや短所はある」と、初手から韓国人相手に腹をさらけ出すことさえあります。
そう思った瞬間、言った瞬間に、その人は韓国人の下位に自ら立つことになります。上位の者であれば、下位の者からの誤謬や短所の指摘に耳を貸すはずがないからです。それを聞き入れるということは、即ち自らの劣位を認めたということになります。ましてや、自ら進んで自身の欠点や短所を認める者を、韓国人が自分より上位に据えるはずがありません。
象や馬に限らず、犬でも猫でも、自分より下位と思った者の命令(と言うのが「傲慢」と感じるなら、「要請」でも良いですが)を聞くことは絶対にありません。それが韓国人であればなおさらというものです。
日本人同士であれば、腹を晒して敵意のないことを示すことで、積極的な友好の意を示していると理解されるでしょう。しかし韓国人が相手の場合それは、無条件降伏の意思表示にほかなりません。無条件降伏の意思表示をした者の生殺与奪の権は、韓国人的には当然それを示された者の手中にあることになります。生殺与奪の権を握った韓国人が、握られた人の意見や主張など聞くわけがありません。いわんや命令(あるいは要請)をやです。
だから彼らに対峙する時は、傲慢に見えるほど尊大に、不遜に振る舞うぐらいでちょうど良いのです。そうすることで、韓国人は比較的御し易くなります。
しかし、それを知らない者は、そういう態度を非難します。その実例は、弊ブログチャットログのコメント欄でもよく見かけます。そうなると、まず非難する者への説明が必要になりますが、これは一朝一夕で出来るものではありません。弊ブログで6年言い続けても尚、届かない人が少なくない程です。
また、「韓国人に対し傲岸不遜な態度を取ったこと」が非難の対象になったことを韓国人が知れば、彼らはそれによって自分が相手の下位ではなくなった=上位になったと理解します。つまり、対峙する相手の態度や意見が変わらなくても、立場が逆転したと考えます。
日本人の場合、韓国を知る者よりは知らない者の方が圧倒的に多いのが実際でしょう。それは、日本人的には韓国を対等に見る人が多いということになります。これを韓国人の立場から考えれば、自ら進んで韓国の下位に立つ日本人が多いということを意味します。つまり韓国人は、優位に立ち且つ、多勢を得たことになるわけです。
韓国を知る日本人の立場から見ればそれは、同じ日本人から足元をすくわれ、背後から撃たれるも同然なのですが、韓国を知らない日本人にその自覚はありません。
そういう連中が、一所懸命韓国人の尻を拭き散らかして回るので、韓国人はいつまで経っても、自分で尻を拭かねばならないということが覚えられません。それで韓国人だけが汚物まみれになるのなら、それは彼らの問題だから放っておけば良いのですが、彼らは必ず汚物まみれで他者にすがりつきます。
韓国人が汚物まみれであるということを知れば、誰だって韓国人に近寄りたくありません。しかしそれを知らない人は、韓国人に近寄りたくない、近寄らせたくないと言う人をサベツだと言って非難し、韓国人がすがりついてくるなら受けとめるべきだ、いやむしろ、こちらから積極的に抱きしめろなどと言います。
最悪の場合こういう人には、韓国人にまぶされた汚物を認識できないことさえあり、そういう人は韓国人から自分になすりつけられた汚物を再配布することもあるから、更に厄介だったりします。
これらの点から、韓国人が厄介なのは当然として、それよりも更に、彼らに加担する者の方がより厄介で、日本人にとっては最悪の敵対者と言い得ると思います。