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平成23年年末ご挨拶

とうとう今年も本日限りとなりました。思い返せば平成23年という年は、震災前と震災後に分けられると思います。

震災前の私は、今日という日は昨日からの続きで、今日という日の時間が過ぎれば、大きな変化もなくのんべんだらりと明日になるものだと無意識に思っていました。

震災があろうとなかろうと過去に戻ることなど出来はしないのですが、それでもなんとなく、振り返ればそこには「昨日までの日本」があって、手を伸ばせば簡単に届くような気がしていたのです。

尋常ならざる力で破壊された街を、テレビカメラを通してではなく、実際にその場に立って目の当たりにした阪神淡路大震災の時でも、その気持ちは損なわれませんでした。

しかし3月11日の東日本大震災の時、私はまるでそれ以前の時間の流れからざっくり切り離されたような、振り返ると手が届くような気がしていた「昨日までの日本」が、もう絶対に手の届かないところに行ってしまったような、強烈な喪失感を味わいました。

それと同時に「これからの日本」を否応もなく強く意識することになりました。「私たち日本人には、この日本しかないのだ」ということも、痛烈に実感することになりました。多分、多くの日本人も同じようなことを感じたのではないでしょうか。

そういう意味であの大震災は、「日本人が日本人として今後の日本をどうするか」ということを、そんなことは政治家とか、誰か知らないけどどっかの偉いさんとかがいつの間にかしてくれることで、自分たちには直接関係ないんだと無意識で思っていたことを、「日本人ひとりひとりがやらねばならないこと」としてつきつけられた出来事だったと思います。

震災は、日本と日本人を大きく傷つけました。その痛みも失ったものも背負わなければならなくなったものも、あまりにも巨大です。そのことを私たち日本人は、実感として共有することになりました。

ある意味私たちは、日本と日本人であることから逃げることなど出来ないということを、すなわち、「日本人としての覚悟」を、震災を契機に持たされたと言っても良いでしょう。

その点震災直後に、日本にいた韓国人どもが雪崩を打つように韓国に逃げ帰ったのは、実に象徴的でした。

もちろん大災害の時ですから、韓国人に限らず、外国人に帰っちゃならんなどとは決して言いません。それどころか、こと韓国人にはむしろ、是が非でも国に帰れと言いたいぐらいです。韓国に帰って、二度と日本に来るなと。

しかしその後、日本がどうにか落ち着きを取り戻すと、逃げた韓国人どもは再び何食わぬ顔で戻って来ました。

その上、日本の震災には韓国が一番最初に支援しただの、それなのに日本が竹島の領有をいまだに主張するのはけしからんだのと喚き散らし、とうとう竹島問題について調査するために鬱陵島を訪れようとした日本の国会議員の入国拒否までする始末。

まことに韓国という国は、日本にとって害毒でしかないということを改めて確認することになったのも、今年でした。

もっとも、日本にとって韓国が害毒であるということは、弊ブログの読者諸姉諸兄にとっては今更感溢れる話でしょう。

そもそも弊ブログは韓国について概ね言い尽くしており、今更感だらけです。目新しいネタを提供したいのは山々ですが、元来が薄くて浅くて上っ面な連中ですから、掘り下げるにもその余地が既にありません。

それでも弊ブログが更新を続けているのは、ひとりでも多くの日本人に、少しでも韓国についての真実を広めたいという思いからです。

真実と嘘を並べれば、真実の方が強いのは間違いありません。でも、どんなに強い真実であっても、それを人に見せることが出来なければ、嘘に敵わないのは当たり前です。相手が何度打ち破っても同じ嘘を繰り出してくる限り、こちらも何度でも同じことの繰り返しであっても、真実を提示し迎え撃たなければ、嘘は堂々とまかり通ってしまうのです。

だからこれからも同じことの繰り返しだろうが何だろうが、とにかく更新を続けて、ひとりでも多くの日本人に韓国に関する真実を共有していただきたいと思っております。

それこそが韓国が放つ嘘と、それに協力する人々に対抗するため、私に出来る最大の方策と信じて。

例年と同じく、過ぎてしまえばあっという間という思いももちろんありますが、それでも今年は長い長い一年でした。震災の影響が残るであろう来年も、容易な年ではないかもしれません。

ですが新しい年を迎えることは、新しい希望に向かって歩き出すことでもあります。後ろ向きに逃げるのではなく、前を向いての出発です。顔を上げて胸を張って、新しい一歩を踏み出しましょう。

新しい年が、この日本と皆様にとって良い年となりますように、そしてまた来年も弊ブログにご指導ご鞭撻ご声援を賜りますように願って、年末のご挨拶とさせていただきます。


平成23年(西暦2011年)12月31日
筆者敬白
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「良心的日本人」考

金正日が死んだおかげで、朝鮮関連についての注目度は上がったと言えば上がったのですが、北朝鮮にばかり関心が向けられているためか、韓国の影は逆に薄くなった印象があります。

弊ブログはそもそも韓国考察&ウォッチブログですし、速報性を重視したブログでもないので、北朝鮮情勢についてはもう少し情報が出揃うのを待ってからでも良いかなと思っております。

という訳で、今回は基本に立ち返って、韓国語における「良心的日本人」という言葉について考えてみました。

韓国では、韓国側の立場で考え、且つ日本に批判的な日本人のことを「良心的日本人」と呼びます。韓国をある程度知るとしばしば目にするこの言葉、よく考えてみると彼らが「日本人」そのものを無意識にどう見ているかがよくわかります。

辞書によると「良心」とは「善悪・正邪を判断し、正しく行動しようとする心の働き」とあります。また「良心的」とは、「良心に従って誠実に事を行うさま」を意味します。すなわち、「良心的日本人」という言葉を辞書的に解釈するならば、「善悪・正邪を判断し、正しく行動しようとする心に従って、誠実に事を行う日本人」のことと言えるでしょう。

ならば「良心的」という言葉が付かない、ただの「日本人」とは、韓国人的には一体どのような日本人のことなのかと考えた時、それが彼らの素の「日本人観」なのだろうなと思いました。

考えてみれば、私は日本びいきの外国人を、例えば「良心的アメリカ人」とか「良心的中国人」とか「良心的ロシア人」とか言った記憶がありませんし、そう言ってる日本人を見た記憶もありません。

韓国人の謂にならえば、日本の立場で考える韓国人、例えば呉善花女史や鄭大均氏を私たち日本人は、「良心的韓国人」とでも呼ぶべきなのかもしれません。しかし日本人的感覚で言えば、少なくとも私には、韓国人なのに日本の立場で考える者を、「良心的」とは思えないのです。なぜなら、「日本の立場で考えること」が、地球上の全ての人々にとっての「絶対的正義」とか「絶対善」とは思えないからです。

日本人である私にとって、「日本の立場で考えること」はもちろん正しいことだし善いことです。しかし立場が変われば、ものの見方や考え方が異なるのは当たり前です。だから「日本の立場で考える者」を全て無条件に良心的と断じることには、どうしても抵抗があるのです。

私は韓国を嫌ってはいますが、その分彼らについての理解も決して浅くはないと自負しています。なので彼らの日本に対する複合的な意識も、十分理解しています。彼らにとって、少なくとも歴史的経緯における日本とは一切の弁解の余地無き絶対悪であり、日本の立場で考えることは極めて非道徳的なことであることも、納得はしていませんが理解はしています。その韓国人が日本の立場で考えるということは、韓国人としては不正義なことであり、非道徳なことだということも、重々承知しています。

それを知ってる以上、たとえそれが日本に肩入れすることであっても、不正義であり非道徳的なことと思っているのにあえてそれをする人を「良心的」とは、私にはとても言えないのです。

韓国人にとっては「親日」という言葉が、「売国」や「反民族」という言葉とほぼイコールであることを知っている日本人ならば、日本に親しみ、肩入れする韓国人を「良心的韓国人」と呼ぶのには、どうしても抵抗を覚えるでしょう。韓国人でありながら、日本人と同じ視点同じ視界で世界を見渡すようになってしまうことによって生じる葛藤を慮れば、それを「良心的」などと脳天気に持ち上げる気にはなれないのです。

しかし韓国では、韓国を全面的に肯定し、且つ日本に批判的な日本人のことを「良心的日本人」と躊躇なく呼びます。そこには、賞賛の意さえ含みます。これはつまり、彼らが日本を絶対悪とみなしているのは当然のこととして、加えて韓国を絶対的正義、絶対善と定義している証左と言って良いでしょう。それに従おうとする意思が、韓国においては「善悪・正邪を判断し、正しく行動しようとする心」、すなわち韓国人的「良心」なのです。

ところで私も、「良心的日本人」という言葉をしばしば使います。これはもちろん韓国語的表現であって、日本人の立場で「良心的日本人」を語義的に正しく表現するとすれば、「親韓反日日本人」と呼ぶのが本当かもしれません。

そう呼んでも良いのですが(いや、むしろそう呼ぶべきなのかもしれないのですが)、「親韓反日」であることを「良心的」と断言する韓国的浅薄さと傲慢さを端的に表現した「良心的日本人」という言葉こそが、韓国人からそう呼ばれて喜ぶような日本人には、やはりぴったりだと思ってしまうのです。



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異なるのは表皮だけ

金正日が死んだおかげで、このところの日本では北朝鮮関連に対する注目度が上がっているようです。滅多にテレビを見ない私がたまたま出先で見かけたテレビ番組でも、北朝鮮関連の特集をやっているのを目にしました。

ただやはり、北朝鮮に関しては情報ルートが極めて限られている上に、恣意的な情報操作(撹乱と言っても良い)を狙っている者がいるようで、発信された情報は、たとえ大手メディア発であっても、内容の吟味にはかなりの注意を払わなければならないと感じました。

現在の日本では、「北朝鮮は秘密主義のベールに覆われた謎の国」というのが一般的な印象でしょう。多少知ってる人でも、独裁者一族に恐怖で支配され、虐げられ、搾取され、あらゆる自由を制限された満足に食べることも出来ない可哀想な人々の国、という印象でしょうか。そのためか、「北朝鮮の金一族は嫌いだけど、北朝鮮人民は嫌いじゃない」とか、酷いのになれば「北朝鮮の解放のため、北朝鮮人民と共闘出来る」などという日本人は結構いるようです。

韓国人が、実はかなりの親日であるということはこれまで何度も述べてきました。同時に、彼らが単純明快な親日ではなく、非常に捻じれた反日意識を合わせ持っていることも、ご案内して参りました。韓国でそうだということは、北朝鮮も同様であると私は考えております。

北朝鮮には、かつて帰国事業によって元在日が約10万人も帰国しました。今となっては、帰国した人の多くが亡くなっているでしょうけれど、帰国事業によって北朝鮮に戻った元在日朝鮮人たちは、帰国同胞(略して帰胞(キポ))と呼ばれ、被差別的な存在でした。

日本で在日が受ける差別など、彼らが北朝鮮や韓国で受ける差別と比べれば、言い掛かり以外の何ものでもありません。しかも彼らは、日本で受ける差別ならば、目が合った(大阪弁では「メンチ切った」)程度のことでも声高に差別を受けたと喚き散らし、謝罪と賠償を求めますが、不思議なことに本国である北朝鮮や韓国では、あからさまな差別を受けても、たいてい泣き寝入りするようです。

そんな被差別対象である帰胞そのものが、北朝鮮人の親日感情の根源でないのは当然です。北朝鮮人の親日感情の対象は、帰胞がもたらす日本製品でしょう。

私が初めて韓国を訪れた20年ちょっと前であれば、韓国人へのお土産はタイガーの炊飯器が良いと言われていました。山口県の下関と、韓国の釜山をつなぐ関釜フェリーには、ほとんど船内に住み着いている状態の担ぎ屋のおばちゃんたちがおりましたが、彼女らは判で押したようにタイガーの炊飯器の箱を抱えておりました。釜山の国際市場には、新旧大小を問わず、日本製の家電を売る店が多かったのを覚えています。

他にも、日本のマンガ雑誌や芸能関連の雑誌の古本が韓国で、日本円換算にすると一冊約600円ほどで売られていたのを見たこともあります(もちろん、日本文化開放前の話です。それを見て、「マンガ雑誌の古本なんかタダみたいな値段で手に入るんだし、それを韓国で売ったら大儲け出来るんじゃね?」とか思ったのは余談ですw)。

日本ブランドへの憧れは、家電やマンガに限りません。1970年代に韓国に駐在していた人の手記を読むと、日本製の醤油(キッコーマン)が、韓国では大変人気が高かったと言います。

それらは決して昔話ではなく、現在でも日本の有名メーカー製家電を始めとする日本製品は、韓国で大変人気の高いブランドです。そう言えば日本で作出されたイチゴなどの農業品種も、韓国では大人気でしたね。

日本と国交があり、大量の物品が日常的に正規ルートで輸入されている韓国でさえそうなのですから、国交がなく、輸入ルートも量も限られる北朝鮮では、日本製品に対する憧憬は更に高いようです。帰胞の親族や祖国訪問の朝鮮学校修学旅行生によってもたらされる日本製品は大変な貴重品であり、被差別対象であるが故に収入の途が限られている(北朝鮮の食糧配給制度は既に事実上破綻しており、北朝鮮人民は食べるために、本来であればご法度の商業的活動を行なっている)帰胞たちの、日々の食料購入や医療費、薬代、賄賂などに活用されていると伝え聞きます。

また北朝鮮の独裁者である金一族の日本志向も大変高く、金正日の専属料理人が日本人であったことはよく知られていますし、金正恩の母が、本来であれば北朝鮮では被差別対象であるはずの元在日であったことは公然の秘密でした。金正日の家族が日本を度々訪れていたことも判明しておりますし、そう言えば金正日の好物に日本産のメロンがあったことも、一時期話題になっておりました。

それほどまでに北朝鮮人が日本や日本の製品を愛好するのであれば、さぞかし日本そのものにも好意的だろうと思うのは、極めて日本人的な短絡思考です。ある「良心的日本人」が書くブログでは、意図的に読者をこの「日本人的短絡思考」に誘導しようとしているのを見ましたが、これは非常に有効な罠だと思います。

これまでに弊ブログでは、日本の文化や品物について、韓国人が極めて高く評価していると同時に、彼らが日本そのものをどのように見、どのように考えているかをご案内してきました。それはそのまま、北朝鮮人にも適用可能であると、私は確信しております。

先述したとおり、日本人の大半は、韓国以上に北朝鮮のことを知りません。以前から何度も言っておりますが、日本人にとって「知らない国」は、知らないというだけで「好きな国」になるのです。そのため、韓国をある程度知って嫌韓になった人でも、北朝鮮はまだ韓国よりマシだと考えている人は、全く珍しくありません。

しかし、韓国と北朝鮮は、謂わば一卵性結合双生児です。標榜するイデオロギーの違いは確かにありますが、異なるのは掲げている看板だけで、その中身はどちらも同じなのです。もっと言えば、たとえ日本国籍や中国籍その他の国籍であっても、あるいは在日何世であっても、その中身が朝鮮人ならば、それらは等しく朝鮮人だと考えるべきでしょう。

弊ブログで紹介しているのは基本的に韓国関連ですが、それらは北朝鮮や中国朝鮮族、在日にも十分援用出来るものであるということはこれまでにも述べてきました。北朝鮮に注目が集まる今日、改めてそのことを強調しておきたいと思います。



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理想的朝鮮人国家

本日は今上陛下のお誕生日ということで、陛下におかれましては先月末にご入院の報道があり、ご高齢ということもあって少々心配ですが、ともあれ今後の陛下のご健勝と、皇室のますますの弥栄を心よりお祈り申し上げます。

さて、金正日の死亡に伴い、金正恩が三代目を継承することになったのは、前回記事でも申し上げたとおりです。巷でも、その是非や成否について、ちらほらと論じられているようです。

ところで、北朝鮮は現在のところ、初代金日成以後、正日、正恩と独裁体制が世襲されているため、多くの人が「金一族=北朝鮮」と無意識にイメージしているフシがあります。

例えば、ある韓国人は「金日成が死んだ時、「これで統一になるの?」と思った」と言っていますし、日韓チャットの常連韓国人に聞けば「金正日が承諾すれば(南北)統一出来るのではないか?」と言っていた韓国人大学生もいたといいます。

今回も、とある「良心的日本人」による「金正恩の三代目継承は可能」という主張を読みましたが、その理由が「周辺諸国は北朝鮮を崩壊させたくないからだ」であったのには、失笑を禁じ得ませんでした。きっと金一族による権力の継承こそが、すなわち北朝鮮の存続だと思っているのでしょう。

当然のことではありますが、金一族と北朝鮮という国家は、イコールではありません。

北朝鮮が、事実上世襲制によって独裁政権を維持継続しているために、北朝鮮を「金氏朝鮮」と揶揄する人も少なくありませんし、それをもって北朝鮮を王制国家と勘違いしている人もいるかもしれませんが、初代の金日成は、その功績(ただし、伝説的英雄の「金日成」は複数名いたことがわかっており、いわゆる北朝鮮の独裁者としての「金日成」は、その「金日成たち」の功績を独占することによって、そのカリスマ性を確立させた)によって北朝鮮の指導者の地位についたわけです。決して「神」や「王」として君臨したわけではありません。

二代目金正日にしても、血統は後継の正式理由にはなっておりません。建前上はあくまで、「北朝鮮指導者の後継たるに相応しい優秀さ」が、金正日の二代目継承の理由です。

三代目にしても、無意識的な「血統崇拝」は当然あるでしょうけれど、それを前面に押し出して継承の正当性とすることは出来ないでしょう。

北朝鮮は確かに「金一族に私物化された国家」ですが、だからと言って「金一族が無ければ北朝鮮は成立し得ない」というわけではないのです。

想像するまでもなく、金一族を北朝鮮から排除しても、北朝鮮が北朝鮮として存続することは可能でしょう。むしろ今後北朝鮮が正常な国家として自立自存を目指すのであれば、あるいは本気で韓国との統一もしくは連合を目指すのであれば、北朝鮮から独裁者である金一族を排除し、民主化する方が「一般的には」望ましいはずです。

ここでわざわざ「一般的には」を強調したのは、こと朝鮮人に関しては、民主化が必ずしも良いこととは限らないからです。

彼ら朝鮮人は、成長過程において「自ら律する」ということを学びません。ですので、無制限な「自由」を与えられると、たちまち放埒な行動を始め、てんでばらばらに勝手なことをして収拾がつかなくなり、やがて破滅します。その例は、朝鮮や韓国の歴史を振り返れば、いくらでも出てきます。

ですので朝鮮人にとっては、常に誰か強大な者に抑圧され、「強制された」と不平不満を言いながら、与えられたお手本やノルマを何も考えずに写したりこなしたりしていればそれで良いという状態が、最も安心出来る環境なのではないかと思います。

かつて韓国が、今よりずっと抑圧や不自由の多かった国であった頃、確かに不平不満は多く見聞きしましたし、抑圧や不自由に対する内外からの批判も多かったのですが、当の韓国人たちは、今よりも精神的にずっと安定してたように見えます。

そういう意味で現在の北朝鮮は、「朝鮮人にとっては」不自由で抑圧されてはいても、精神的に安定して暮らせる悪くない国と言えます。ただ現在の北朝鮮では、「満足に食えない」ことが大きなマイナス要素だと思います。

もし今後、金正恩が北朝鮮の食糧問題を根本的に解決し、餓死者や栄養不良による病死者を劇的に減らすことが出来れば、金正恩の三代目継承は安泰かもしれません。

しかし報道によると金正恩は、金正日の先軍政治を継承すると言っております。これは言わば、金正日の行なった我と我が身を質にした瀬戸際外交を継続すると宣言したも同然です。となれば、北朝鮮の食糧事情は金正日時代と同様に推移する、すなわち根本的に解決することはないと考えるべきでしょう。

北朝鮮という国は、朝鮮人にとっては日本人が見るほど悪い国ではありませんが、食えないという点が根本的に改善されなければ、金一族による独裁の維持継続は困難だろうと私は考えております。

そういう意味で、そこそこ厳しい自由の制限と、とりあえず健康を維持出来るレベルの食糧供給がある国、すなわち、金日成時代の北朝鮮が、朝鮮人にとっての理想国家であったのではないかと思う次第です。



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金正日死亡に伴う今後の情勢に対する不安

2011年12月17日に、北朝鮮の金正日が死んだそうです。

その知らせは確かに唐突ではありましたが、金正日の体調不良説は数年前からずっと言われており、今回の報に接しては驚くよりも「やっとか」という気持ちの方が勝ちます。

そういう話を月見チャットでしていたら、参加者のひとりが2011年12月19日付の「本日の平壌」という動画のURLを出してきました。そこには、北朝鮮人民が金正日の死に、血を吐くような勢いで慟哭している姿が映し出されています。

しかしそこに映し出される北朝鮮の人々には、そこはかとない違和感を覚えます。それは彼らの、「精一杯着飾った」感です。

赤は共産主義国では特別な意味を持つ色だからと思うことにしても、ピンクや黄色の服ってのは、弔意を表す場でどうなのと思わぬでもありません。

更に何度も映像を見ていると、哀哭しながら時折周囲をちらちらと見ている幾人かいるのに気づきます。それに隣の人と肩が触れ合うほど密集しているのに、誰一人として隣で嘆き悲しんでいる人と抱き合ったり、慰め合おうとしていないのも強い違和感を覚えます。

その姿は嘘泣きと言うよりは、自分がどれだけ嘆き悲しんでいるかをアピールしたり、競い合っている姿のように見えました。

さて、金正日の死亡を受けて、北朝鮮を取り巻く国際情勢に何か変動があるのではないかと思っている方は多いと思います。私もその一人ですが、今の段階では正直、何がどこへどう転ぶか全くわかりません。

三代目を継承するとされる金正恩はまだ歳若く、北朝鮮の指導者として人民が納得するだけの功績を持っていません。昨年の延坪島砲撃事件は、金正恩の立太子に伴い、功績作りのために行なわれたのではないかとも言われていますが、結果としてはとても功績と呼べるものではありませんでした。

振り返ると、初代の金日成は良くも悪くもやり手でした。評価は色々ですし、恐怖独裁を確立させただけの狡猾さと残虐さを持っていた人物であったと思いますが、北朝鮮の指導者として、人民の腹を満たしてやりたいという気持ちは、少なくとも金正日よりも強かったと思います。

金日成は、北朝鮮が中ソに挟まれ脅かされる小国であることを逆手に取って双方から援助を引き出し、一時期とは言え韓国に食糧支援をするほど北朝鮮を豊かにしました。その上、日本人には少々意外に思えますが、朝鮮人の目で見ると金日成は絶世の美男子に映ったそうです。それもあってか金日成は、多少の難や失策も「※ただしイケメンに限る」ばりに人民から許され、愛されていた部分があったのでしょう。

二代目の金正日は父譲りの、いやもしかすると父をも凌ぐ残虐さで、北朝鮮の恐怖独裁体制を維持しました。日本人の目から見れば金日成と大差ないように見えるのですが、北朝鮮関連の書籍でも韓国関連の書籍でも、取り立てて正日の容貌を賞賛している記述を見たことがありません。

ということは朝鮮人の目から見ても、正日は美男子の範疇には入らないのでしょう。「※ただしイケメンに限る」が期待出来ない上に、正日は北朝鮮人民を信用していませんでした。その彼が恐怖独裁体制を強化することはあっても、緩めることがなかったのは当然と言えましょう。

そういう意味で正日は、存在そのものが北朝鮮人民にとって恐怖の象徴でした。ということは、金正日の死去は北朝鮮人民にとっては、恐怖の消滅と同義と言えます。地獄の釜の蓋を押さえ付けていた重石が消滅したと言い換えても良いでしょう。

北朝鮮の中枢部には、正日に仕えつつ虎視眈々と下克上を伺っていた連中がいないとは思えません。三代目の正恩がどの程度父や祖父に似ているのか、どれだけの能力を持っているのかはわかりませんが、仮に祖父や父に匹敵する残虐さ狡猾さの持ち主であったとしても、あまりにも若過ぎます。

何不自由なく育った苦労知らずの三代目のお坊ちゃま(しかも三男坊)が、あの正日に長年仕え、とうとう最後まで殺されずにやりすごし生き残った人々の老獪さを凌ぐことが出来るのでしょうか。もちろん、そういう動きを三代目を神輿に担いでる連中が黙って見過ごすなどということは考えにくいのですが、三代目の神輿を担いでる連中そのものが下克上を企てないとも限りませんし、三代目自身が自らを支える連中を信用し切れずに殺してしまうということも、十分考えられます。

だからと言って、朝鮮半島で戦争が始まったり、北朝鮮がいきなりどこかの国に狙いを定めて核兵器をぶっ放したりするような突拍子もない事態が「ただちに」発生するとは思いません。

今はまだ、北朝鮮中枢部のそれぞれが互いに様子を伺いながら、様々な工作を水面下で行なっている段階でしょう。また米中露が今回の事態にどう対応するか、韓国がどんな下手を打つかで、情勢は複雑多様に変化します。

その情勢の動向に、今の日本政府がどの程度対応出来るかが、今回の事態における私たち日本人にとっては最大の懸念というか、不安材料であると思います。



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執拗にくり返される韓国起源説

弊ブログでは異論反論コメントは歓迎しておりますが、それはあくまでコメントとしてであって、弊ブログのコメント欄を使って、ご自身の主張の連載を始めることは、厳にお断りしております、ということは、以前から何度か申しあげたことがあるはずです。にも関わらず、弊ブログのコメント欄で連載を始めてしまう人というのは、定期的に現れるようです。

今回も、「日本語の水源」と題する一連の寝言を開陳する人が現れました。

弊ブログのコメント欄は、かなりの長文投稿が可能です(12,000文字まで確認しました)。それでも収まり切らぬと言うのであれば、それはコメントとしてではなく、ご自身の主張として、ご自身でブログやホームページを用意するなり、本を書くなりするべきものでしょう。

それに、その場限りのハンドルネームさえ名乗れない無責任な態度でいくら何を述べても、その内容に説得力を感じることは一切ありません。すなわち、意味のない大量の文字列を投稿するコメント欄荒らしと同列とみなされてもしかたありません。

と言うか、「日本語の水源」とやらで始まる一連の寝言は、真面目に突っ込むまでもなく意味のない文字列でしかありません。「言語学のようなもの」を書き散らかす暇があるなら、弊ブログに書いてある文章が読めるだけの読解力を養うのが先ではないでしょうか。

とりあえず「古代朝鮮語」についての御託を述べたいのならば、まずは肝心の「古代朝鮮語」の資料を携えてお越しになるべきでしょう。それもなしに「古代朝鮮語」を何千回何万回連呼しても、説得力がどこからともなく湧いて出るなどということは、永遠にないということを理解出来る脳みそが存在しないなら、身体にでも叩き込むことを心より推奨いたします。

というわけで「日本語の水源」と題する一連の寝言の投稿者の目的は、コメント欄荒らしと認定し、相応の対応をとっております。

しかし韓国人という生き物は、これほどまでに「日本語の起源は朝鮮語」と言いたいのかと、毎度のことながら感心します。

日本人も、日本文化や日本語の起源が何とかだとかどこそこだという話が好きな人は多く、著名無名を問わず、本格的な研究者も多数おられます。が、いずれもその関心の焦点は「日本」そのものであって、起源とされる国ではありません。

日本人が日本を関心の焦点とするのは当然じゃないかと、日本人なら誰でも思います。ならば韓国人は、韓国が関心の焦点なのかと言えばさにあらず。彼らの関心の焦点は何故か日本へと傾きがちです。

もっとも、より正確に言うならば、日本ですら彼らの関心の最終的な焦点とは言い難いでしょう。

彼らの関心の最大にして最終的な焦点は常に「ウリ=自分自身」であって、そのためなら祖国も同胞も、親兄弟でさえ平然と蔑ろにします。それが他国や他民族であれば、蔑ろにすることを躊躇する理由はありません。

何故、彼らは日本に執着するのでしょうか。それは日本が世界的に評価されているからに他なりません。韓国人も、その世界的な評価を否定出来ないのです。

いや、実際には否定したいのです。韓国人は切実に、日本を否定し、貶め、泥に埋めてしまいたいのです。

彼らには、「日本が絶対悪」という民族的真理があります。これは韓国人である限り、絶対に覆すことが出来ません。なのに世界は日本を評価します。韓国人は日本を否定し、貶め、泥に埋めたいのですが、どれほど泥を投げつけても唾を吐きかけても、日本の評価は揺るぎません。それどころか日本を貶めようとすればするほど、自分たちが否定され、軽蔑されるような気さえします。

それに実は、韓国人自身が日本を高く評価してしまっているのです。

「韓国起源説」のターゲットは、日本に限ったことではありません。しかし、何度否定しようとも執拗にくり返されるのは、必ず日本だけです。それはとりもなおさず、彼らの日本評価が異常なほど高いことを意味します。そういう意味で、彼らは激烈な親日と言うことも出来るでしょう。

しかし、同時に彼らは「日本は絶対悪」を民族的真理として信奉する、激烈な反日主義者でもあります。彼らの民族的真理に照らせば、日本を高く評価することは反民族行為にほかなりません。

それを正当化するために、彼らは「日本のものはもともと全てウリナラ起源」と言うのです。

こういう論理の帰結は、まことに歪んでるし、捻じれていると思います。こういう歪みや捻じれを、練り混ぜ捏ねくり倒して人の皮をかぶせたのが韓国人なのです。

1000記事余りもある弊ブログですが、実は結構同じようなことを何度もくり返し述べております。今回もまた、その例に漏れません。

1000記事余りを全て精読するのは、なかなか時間も手間もかかることだとは思います。しかし読み進むうちに「なんだこいつ、また同じこと言ってやがる」と思えるようになった方がおられれば、その方の韓国理解はかなり深まっているのではないかと思います。



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韓国に見習え

「韓国に見習え」という主張は、日本では珍しいものではありません。その内容を読むと、韓国を知らない日本人なら結構騙されるんだろうなということが書いてあります。たいてい「韓国の状況を、日本の環境と日本人の思考で考察し、評価する」ということをやってたりするからです。

先日、月見チャットで「韓国ウォン安誘導説のウソ」という記事が話題になりました。

この著者は、在韓日本大使館に書記官として勤務していた経験があるためか、韓国経済に詳しいと自負しているようです。しかしその論説内容を見ると、酷い欺瞞が散りばめられています。そういう意味では、「韓国らしい主張」だとは思います。

ある程度韓国を知る者ならば、この著者の一連の主張が韓国的欺瞞に満ち溢れているものであることを、誰でも容易に読み取れるでしょう。著者がそういう意味で、「韓国」というものを体現してみせていると言うのなら理解出来なくもありませんが、主張そのものを以て「韓国経済のスペシャリスト」として政治家や経済人のブレーンをしていたり、大学で学生に教授しているとすれば、日本を誤った道へ誘う者と言わざるを得ません。

この手の「韓国を見習え」は、日本では別に今に始まったことでも、珍しいものでもありません。困ったことですが、もはや日本の伝統と言っても良いぐらいです。韓国のことなど何も知らない日本人ならころりと騙されるでしょうし、実際騙されてしまった日本人も多いでしょう。逆に韓国を知ってしまった日本人なら、この手の論説を見ると、韓国に見習うことなど一切ないと脊髄反射したくなります。

ですが「韓国に見習うべきことなど全くない」と言い切れば、それは多少の語弊があるかもしれません。

もちろん、前述のような「韓国的欺瞞」に満ち溢れた御説を鵜呑みにしろという話ではありません。鋭い方なら、もうオチは読めると思います。お察しのとおり、彼らの「反面教師」としての優秀性を、私たちは看過すべきではないというお話です。

嫌韓をやっていると、韓国の悪さ汚さ酷さにはほとほと辟易します。その中で何より酷いのは、韓国人そのものです。韓国人そのものが韓国の悪さ汚さ酷さの根源であり、元凶だと思います。

もちろん「韓国人」と言っても、現在ではおよそ5000万人ほどいるらしいので、中には見るべき韓国人もいるでしょう。と言うか、いて欲しい。

けれど見るべき韓国人がいるかいないかは、この際問題ではありません。先日、日本に留学していたことのある韓国人が慰安婦について、日本側の主張に沿った意見を韓国の掲示板に投稿し、その結果検挙されたという記事がありましたが、これは韓国では珍しいことでも驚くべきことでもないのです。韓国社会が韓国人で形成されている限り、「見るべき韓国人」が仮にいたとしても、その「見るべき韓国人」が表立って声を上げることは不可能というのが、韓国社会の現実なのです。

だから韓国(人)は、変わりません。いや、表層は変わります。彼らが軽々と姓を変え、名を変え、生まれ日を変え、服を変え、顔を変え、思想を変え、言葉を変え、歴史を変えるように。

しかし深層は、昔も今も、これからも変わりません。

私たちが「韓国に見習う」のは、韓国をそのまま「見習う」のではなく、韓国を「悪い見本」として、また自分が「韓国人的所業」をしてしまった時の反省材料として、あるいは韓国人と対峙する際の武器とするためなのです。

日韓チャットで韓国人と話していると、自分が物凄く賢い人のような錯覚に陥ります。30代40代で、大学を出たと言う韓国人でも、日本の10代前半の子供と変わらないようなことしか言えないからです。逆を言えば、日本人でも10代前半程度であれば、韓国人と変わらぬことを言ったりしたりすることもあるわけです。いわゆる「中二病」の時期なら尚更でしょう。その上残念なことに、長じてもなお「韓国人のような真似」をする日本人も間違いなく、しかも少なからず存在します。

韓国人に合わせていれば、その時は楽だし、優位に立ったような気になれるわけですから、気分が良いのはわかります。ですがそれに溺れてしまったのでは、彼らのレベルに落ちることはあっても、上がることは出来ません。

彼らを客観視することで、「人間、ああなっちゃオシマイ」ということを実感し、常に自らの戒めとするという意味で、「韓国に見習え」は必ずしも間違いとは言えないかもしれないと、私は考えています。



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韓国人の反日は永遠に不滅です

今の日本は、韓国人から見ると「韓国のあれやこれやで持ちきり」のように見えるようです。

確かに、日本のマスコミの韓国押しは凄まじいものがあります。わずかな隙間に韓国ネタをねじ込み潜り込ませては、韓流ブームが継続していることを演出しようと必死です。しかし、実際問題として生活感覚で韓国を感じることは、あまり多くありません。

私のように、無理やり韓国をウォッチしている者はともかくとして、普通にしておれば、韓国が目の端にちらつくようなことはあっても(これは、大変鬱陶しいという意味で気になるものではありますがw)、視界全てが韓国で覆われるようなことは全くないと言っても良いでしょう。

ただ気になるのは、ここのところネットの巷で、数年前に話題になった韓国ネタを取り上げてるのが目に付くことです。

韓国関連の書籍を読み漁ると、日本における韓国ブームは、過去幾度もあったことがわかります。その都度、韓国は「再発見」ではなく、「新発見」されました。が、あまりにも底が浅いために深く研究する者も長く関心を持ち続ける者も極めて少なかったのでしょう。韓国に関心のある者にひと通り情報が行き渡ると、たちまち飽きられて忘れ去られました。そうして韓国を知る日本人が極めて少なくなった頃、改めて韓国が「新発見」される、というパターンを繰り返しています。

最近、数年前の韓国ネタが再び持ち上げられているのは、恒例の「韓国新発見」現象が起きているのかもしれません。

しかし情報に関する環境は、この10年で大きく変化しました。インターネットが普及する以前と比べれば、過去の情報を発掘することはずいぶん容易になりました。各人の記憶の中から韓国が消え去っても、インターネットで検索すれば、その当時の情報がかなりの精度で得られます。

それでもいちいち検索しなければ見つけられない知識は、あまり実用的ではありません。韓国人は、私たちが韓国に詳しくないことに付け込むことが大変に上手です。自衛の意味でも、日本人の常識として、ある程度の韓国に関する知識を頭に入れておくことは大切だと思います。

韓国に関する基礎知識として、日本人が最初に知っておくべきことは、彼らの反日でしょう。反日の国は世界にいくつもあるかも知れませんが、韓国の反日は一種独特です。それを端的に表した言葉が、「韓国人は一人なら親日、二人以上で反日」です。反日でありながら親日、親日でありながら反日という、まったくもって鬱陶しいのが、韓国人の反日の特徴です。

日本人にも韓国人にも、「韓国人は反日ではない」とか、「かつては反日だったが、今は違う」などと言う人をよく見ます。特に、「今の韓国人は反日ではない」と言いたがる人が多いようです。

それは近年、日本が韓国人の受け入れを大幅に緩和したために、日本を訪れる韓国人が激増し、あるいは韓流捏風に煽られて、韓国に旅行する日本人も増えたために、韓国人と実際に接触する日本人が増えたためでしょう。

産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘氏が口癖のように書いていることのひとつに、「韓国でテレビや新聞を見なければ、こんな楽しいところはない」というのがあります。意味するところは「韓国のテレビや新聞は毎日のように反日ネタが溢れかえっているが、韓国での生活において、韓国人から露骨な反日意識をぶつけられることはほとんどない」ということです。

それどころか韓国では、日本人だからということで優しくされたり大目に見てもらったり、はっきりちやほやされることさえあるようです。それは私がウォッチしている複数の在韓日本人のブログからも十分伺える話ですし、私の韓国滞在経験から言っても、よくあることだろうと思います。

ならば韓国人は本当は反日ではないのかと言えば、もちろんそんなことはありません。

日韓チャットの常連であり、月見チャットにも時々顔を出す韓国人青年がいます。高校生の頃から日韓チャットに来て日本人の厳しい言動に耐えてきた彼は現在、韓国の矛盾や理不尽に深く悩んでいます。先日、その彼に韓国の反日について意見を聞きました。

彼は「韓国人にとっての反日は、自信の元だ」と言いました。その時に彼がしたのは、以下のような話です。

「皆さん、日本が過去奪った物品が、我が国の勝利品として帰ってきたということは、私達が戦勝国と言う証拠なのはご存知ですか?」
「本当ですか?へー」
「今は日本がよく暮らすが、それは全て我が国の戦争で特需を得たおかげです」
「それでは日本は、我が国の物を拾って食べたのですね?」
「そうです」
「アハハハハハ(全員爆笑)」

基本的に日本人のいる前ではしないようですが、韓国人同士なら彼らはこういう話をして、大いに溜飲を下げているのです。

悩める韓国人青年君は、長年日本人に鍛えられているので、こういう会話が韓国人の愚を表すものだということをよく知っています。しかし彼は、それを同胞に言うことはありません。こういう会話を、死んだ魚のような目で聞いている状態だと言っていました。

韓国の反日が、韓国にとってよろしくない、いやむしろ、はっきり言ってマイナスだとわかっている者がいても、韓国ではそれをオフィシャルに口にすることは出来ないのです。

それでも日本人が、韓国人の機嫌を損なわぬように言葉を選び、気を使っていれば、日本人の前では彼らはその反日性を表出させることはないかもしれません。しかし、ひとたび日本人が韓国人の機嫌を損なえば、彼らは判で押したように画一的な反日意識を剥き出しにして向かってくることは、日韓チャットログで何度もご覧に入れました。

それは即ち、韓国人のほとんどが反日を定型文的に標準装備しており、意識的であれ無意識的であれ、それを極めて有効な対日カードと認識しているという証左です。つまり、いざというときは反日カードを切れば日本人の優位に立てると彼らが認識しており、彼らが優劣上下を常に気にする韓国人である限り、韓国人から反日が消えるということは永遠にあり得ません。

もし韓国人から反日が消滅することがあるとすれば、それは韓国人が絶滅した時だということを、韓国人と接する機会のある日本人は、くれぐれも肝に命じておく必要があると思います。



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韓国人による「嫌韓」の定義

最近、日韓チャットにはほとんど行ってなかったのですが、先日、月見チャットがダウンしたので、避難所替わりに日韓チャットに行ってみました。久しぶりの日韓チャットは相変わらずで、改めて不快で不愉快な場所であることを確認することになりました。

その時は、主に月見チャットから日韓チャットへ避難していた人たちと話をしていたのですが、話の流れで私が、「「今」しか見えなくなったら、朝鮮人を哂えませんぜw」と発言すると、その「朝鮮人」という単語に反応したのか、同じ部屋に居た自称23歳ソウル在住の韓国人男性が横から、「嫌韓ですか?」とくちばしを突っ込んできました。

マンガ「嫌韓流」の影響か、韓国でも「嫌韓」という言葉は既に一般的になっています。日韓チャットでも頻繁に韓国人が口にするのを見かけますが、彼らの言う「嫌韓」は、どうも私たちが用いる「嫌韓」とはいつもニュアンスが異なるように感じておりました。そこで私は、その韓国人に「【嫌韓】の定義は何ですか?」と聞いてみました。

するとその韓国人は、「【嫌韓】というのは、文字通り韓国が嫌いだ」と答えました。その後すぐに、それだけでは足りないと思ったのか、「合理的な理由なしに韓国を嫌っている」と付け足しました。

それに応じて私が「合理的な理由があって韓国を嫌いな人は嫌韓ではないのですか?」と尋ねると、その韓国人は即答で「そうです」と答えました。

なので私は、「なるほど。では私は嫌韓ではありませんね」と返しました。

以前にも書いたことがあったと思いますが、韓国を嫌いな韓国人は案外珍しくありません。韓国を嫌いと言うよりは、韓国の悪いところや至らないところを指摘したり非難することが好きな韓国人は多いというのが正しいでしょう。

韓国人はいつもどこでもどんな時でもウリナラマンセーだと思っている人がいるかも知れませんが、案外そうでもありません。ただ、日本人に韓国の悪いところや至らないところを指摘されたり非難されると、たとえそれが事実でも激昂してしまうので、日本人から見ると韓国人はいつでもどこでもどんな時でもウリナラマンセーに見えてしまいがちなだけなのです。

実際、韓国の進歩的言論と言われるハンギョレなどは、現在の韓国や韓国政権に対する非難を軸として作られてると言っても良いほどです。韓国を否定的に言うという意識は、韓国人の主観的には、「嫌う」という意識と峻別することが出来ないのでしょう。だからその韓国人は、単に「韓国を嫌っている」だけでは、それを「嫌韓」と定義することが出来なかったのではないかと思います。

私が「では私は嫌韓ではありませんね」と答えた時、その韓国人は「合理的な理由があるというのですね?」と突っ込もうとしました。しかしその前に、全然冗談になってない冗談を口走り、他の韓国人からその冗談に突っ込まれ、それに対する答えに、更に私が突っ込んだことで量産型を露呈し、まもなく撃沈しました。

あの韓国人はおそらく私に、韓国を嫌いな合理的理由があるなら、それを言えと言いたかったのだと思います。

韓国を嫌いな合理的理由はいくらでもありますし、時間が許すなら言っても構わないことではありましたが、私はあえてそれに進んで答えようとはしませんでした。だって、どうせ何を言っても、「それは違います」とか「それは誤解です」とか、「それなら日本は」と言って認めないに決まっているのですから。

いずれにせよ、「合理的な理由があれば、韓国を嫌っても嫌韓ではない」という意見に、同室していた別の韓国人が全く異議を唱えなかったところを見ると、この意見は韓国人的には正しいようです。彼らが常々、「我々は反日ではない」というのも、きっと彼ら的には、「日本を憎み貶め蔑むに足る合理的理由」があるからという理屈なのでしょう。

私は、自分を嫌韓ではないとは言うつもりはありません。確かに間違いなく揺ぎなく韓国を嫌っているのですから、それこそ文字通りの嫌韓だと思いますし、自らそう名乗りさえします。しかし、韓国人が「合理的な理由があれば、韓国を嫌っても嫌韓ではない」と言うならば、それにあえて逆らう気もありません。

今後韓国人に「あなたは嫌韓か」と聞かれれば淡々と、それを聞いた韓国人共がどんなに泣こうと喚こうと、「韓国を嫌うに足る合理的理由」を並べ立て、「だから私は韓国が大嫌いだが、あなた方韓国人から見れば嫌韓ではないはずだ」と主張してやろうと思った次第です。



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くだらないトリビア

コメントでいただいた「くだらない」の語源について、非常にしばしば、「「くだらない」の語源は「百済ない」である」という言説を見聞きします。

昔、私が韓国に行く前に購入した90年版「地球の歩き方 韓国」にも堂々と、「百済にないものはくだらないものだというのが、「くだらない」の語源である」などと明記されていました。

ですが、既にコメント欄でご指摘の通り、「くだらない」には明白な語源があります。

かつて「上方(=京都・大坂などの畿内)から江戸へ送られるもの」を「くだりもの」と呼んでいました。落語にも「くだり酒」が出てくる噺がありますが、「上方」というブランドに加えて、輸送費という経費が上乗せされることもあり、当時「くだりもの」と言えば高級品の代名詞でもありました。

これに対して、「上方から江戸へ送る値打ちもないもの」「上方ブランドではないもの」を「くだらないもの」と呼び、「つまらないもの」の意としたわけで、「百済」とは全く関係がありません。要するに「くだらない」を「百済」と関連付けるのは、単なる駄洒落なのです。

そもそも、「百済」を漢字の音の通り素直に「ヒャクサ(ザ)イ」あるいは「ハクサ(ザ)イ」と読んでおれば、こういう駄洒落は生じなかったでしょう。

「高麗」「高句麗」「渤海」などは基本的にそのまま読んでいますし(高麗をコマと読む例はありますが)、「新羅」の「シラギ」も少々不思議な読み方ではありますが、「百済」ほど原音から遠くはありません。

何故「百済」だけが「クダラ」という、漢字の原音からかけ離れた音で読むのでしょうか。

「百済」は、素直に読むなら「ヒャクサ(ザ)イ」あるいは「ハクサ(ザ)イ」であるということは既に述べました。中国語では「Bǎi jì(バイジー)」であり、朝鮮語では「baegje(ベグジェあるいはペクチェ)」と発音します。いずれも現代語音なので、百済国が存在した頃の音と全く同音ではないかもしれませんが、それでも「クダラ」につながる音ではありません。

このことは日韓の歴史や朝鮮関連のことを記した書籍でも、単に「謎」として放置され、本腰を入れて解明しようとしているものを見たことはありませんでした。ところが少し前、日本の氏姓を調べていた時に、この「謎」の答えにかなり近いと思われる説を目にしました。

上代の日本では、百済との交流は比較的盛んでした。それは物に限りません。人の往来もです。

何しろ当時の日本では、百済国王の実子を質として預かるほどでした。それに伴って、その従者や縁者、あるいは商人や食い詰め者、奴婢などが大量に日本に渡来したことは想像に難くありません。

更に質として預かった百済国王の子二人のうち一人は、百済国が滅亡に瀕した際、再興のため朝鮮半島へ戻りましたが、残る一人はそのまま日本に帰化し、百済王(クダラノコニキシ)家の祖となったぐらいです。名もない百済人ならば、どれほど日本に流入し、定着・帰化したことでしょうか。

百済が朝鮮半島で勢力を保っていた頃、肥後の国に火葦北国という地がありました。現在の熊本県八代郡坂本村久多良木とされます。当地は大伴金村に仕えた当時の豪族、葦北阿利斯登の本拠地であったといいます。

この葦北阿利斯登の子である日羅は、百済国で達率という高官(百済の官制においては佐平に次ぐ第二位の高位)に着くほどでしたから、この地と百済国との関わりは相当に濃密であったことが伺われます。当然その地には、百済国から帰国した日本人や、百済国から渡来した百済人が少なからずいたことでしょう。

そういう関わりから、この「久多良木」という地名が「百済」に掛かって、「久多良木の百済」となり、やがて「百済」をそのまま「クダラ」と読ませるようになったという説です。

こういう例は、案外珍しくありません。「飛ぶ鳥」と書いて「アスカ(明日香)」、「春日」と書いて「カスガ(霞掛)」、「日下」と書いて「クサカ(草香)」、「長谷」と書いて「ハツセ→ハセ(初瀬)」と読ませているのは、概ねその類例といいます。

さて、上記「何故百済をクダラと読むのか」とについては、実は調べた内容のかなりの部分を端折りました。何故なら、詳細に調べれば枝葉はどんどん広がり、収拾がつかなくなると言うか、付け焼刃の知識では追いつかなくなったからです。それでも、上に書いた「相当に端折った分」を居酒屋談義で話せば、大演説となるでしょう。

それに引き比べると、「「くだらない」の語源は「百済ない」だ」という駄洒落は、実に簡単明瞭です。小学校低学年の子でも、駄洒落としてなら十分理解出来るでしょうし、健忘症でもない限り、一度聞いただけで記憶出来ます。それ故に、広く人口に膾炙しているのでしょう。

これを単なる駄洒落と承知の上で用いる分にまで野暮は言いたくありませんが、どうも朝鮮関連については、無邪気な駄洒落にまで不純な思惑を絡ませ、話をややこしくさせる輩が多いという現実があります。

故に野暮は十分承知の上で、「くだらない」の語源を「百済ない」だと言う人を見かけたら、いちいち以上の「何故百済をクダラと読むか」というトリビアで対抗してみようと思っています。



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拡散される朝鮮印象操作に与せぬために

日本人は古来より、他国の文化を受容し、それを消化吸収して独自の文化とする能力に長けています。私はこれこそが、日本文化の真髄ではないかとさえ思っています。言語も、例外ではありません。故に日本語に外国語由来の言葉が混ざることは、何も珍しいことでも新しいことでもありませんし、日本語に混ざる外国語の中に朝鮮語があることもまた、別に不思議なことではありません。

それを良い事に、日本語の起源は朝鮮語だと言いたがる連中は日韓双方に、常に存在します。

有名なのは「奈良は、朝鮮語の「国(ナラ)」という語が由来だ」という説でしょう。この説では、かつて日本に移民した朝鮮半島出身者が奈良の都を築き、その地に自国の言葉で「国」と名付けたのだと謂います。韓国にさほど興味も関心も接点もない人でも、この説を一度ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。

しかし、「奈良」という日本語地名の朝鮮語起源説は、「音が共通する」という以外の根拠を持ちません。これを根拠として良いなら、英語の「Boy」や「Name」は、日本語の「坊や」や「名前」が語源だと言っても許されるでしょう。

そもそも「奈良」という地名は、日本書紀に曰く「踏みならす」の「ならす」を由来とすると明記されています。日本書紀と同時期の文献資料は、朝鮮半島には存在しません。

それでも「奈良」という語は朝鮮語由来なのだと言い張る者が時々いますが、他国に移民した者が新居住地に「国」という一般名詞を付けた例は、ワールドワイドでも聞いたことがありません。移民が新天地に地名を付ける場合、通常は自らの国家名や出身地名、部族や氏族名を付けるものです。事実、日本各地に「百済」や「高麗」、「新羅」という地名は存在します。

もし「奈良」という日本語が朝鮮語と関連することがあるとすれば、私は従来言われている説とは逆ではないかと思います。即ち、日本の「奈良の都」を見た朝鮮半島人が、「これこそ「国」というものである」と思い、朝鮮半島に戻って吹聴する内に、「ナラ」という音に「国」という意味が付されたのではないでしょうか。

もちろんこれは、何の根拠もない私個人の妄想です。が、「奈良」朝鮮語起源説も、私の「朝鮮語のナラは日本語の奈良が起源」という妄想と同じレベルで根拠がない説だということを、強調しておきたいと思います。

「自転車」を意味する「チャリンコ」が、朝鮮語の「チャジョンゴ」という説もよく聞きますが、これも眉唾です。そもそも朝鮮半島における自転車は、日本由来でしょう。それにバイク談義の際にもちらっと言いましたが、韓国における自転車は、現在でも日本ほど一般的ではありません。そういう物の名称が、何をどうすれば日本に流れ込んでくるのでしょうか。仮に「チャリンコ」が朝鮮語であるならば、自転車同様に日本から朝鮮に伝播した「自動車」が、朝鮮語由来の俗語で呼ばれないのは何故でしょうか。

更に言えば、かつて「チャリンコ」という日本語の俗語には、「自転車」とは全く異なる意味が付されていました。第二次世界大戦勃発年生まれの私の母などは、私が高校生ぐらいの頃に「自転車」の意味で「チャリンコ」という言葉を使っているのを聞くと、眉をひそめて「その言葉は良くない。あまり使わない方が良い」とたしなめたものですが、全く同音ですからその「チャリンコ」も朝鮮語由来なのでしょうか。

他に私が聞いた例では、「チョッキ」が朝鮮服の「チョゴリ」を由来とするなどという説もあります(最近の若い人の中には「チョッキ」と言われても何のことかわからない人がいると聞きますので、「ベスト」と言った方が通りが良いかもしれません)。それから「股引」「ズボン下」のことを大阪弁で「パッチ」と言いますが、これも朝鮮服のズボンを「パジ」と言うことからだと聞きます。日本語で「背が高い」という意味の「のっぽ」は、朝鮮語の「高い(ノップダ)」を由来とするなどという説も聞いたことがあります。

こういった語呂合わせに過ぎないこじつけは、「李南教の日本語源流散歩」を当たればいくらでも出てきますし、過去記事でもちらっと言及したことがありますが、「万葉集は朝鮮語で読める」などと主張する本が過去に何冊も出ました。

これらは居酒屋談義としてならば、非常に面白いネタだとは思います。あるいはホラ吹き合戦の題材にしても、楽しいでしょう。困るのはこれを大真面目に、学説として主張する連中が少なからず居ることです。

「学説」と言っても、正式な言語学会などで発表されることはまずありません。何故なら、古代朝鮮語側の文献資料は極めて貧弱だからです。

古代朝鮮にも、わずかに「吏読」「郷札」「口訣」といった、漢字を借りた朝鮮語の表記法があるにはありました。が、それらから法則を見出し、言語学的に構築するには、その資料の数があまりにも少ないのです。故に日本語との関連性以前に、ハングル創製以前の古代朝鮮語研究は、闇夜でカラスを探すより困難とされています。日本語の朝鮮語起源説においては、日本語のホニャララは古代朝鮮語のナンタラカンタラだなどとよく言われますが、その「古代朝鮮語」自体がよくわかっていないのです。

それに言語学は地味で儲からない学問です。目立ちたがりで拝金主義者の韓国人ですから、そんな学問を喜んでやる者が多いはずもなく、必然的に韓国人の朝鮮語学者というのはあまり多くありません。その上、現代韓国語さえもハングル専用によって激しく崩壊を続けています。1000年前どころか、100年前の言葉をたどるのさえ、今の韓国では困難なのです。

韓国では、しばしば発作的に「日帝残滓排斥」を唱え、日本語由来の言語を排除し、全て朝鮮固有語に改めようと喚き散らす者が出てきますが、実際に現代韓国語から完全に日本語由来の言葉を排除すれば、韓国人の意思疎通は極めて困難なものになるでしょう。

翻って日本はと言えば、朝鮮語由来の日本語など全て排除しても、おそらく日常会話に何の支障もありません。

韓国人としてはそれが悔しくて悔しくてしかたないというのもあって、「日本語のホニャララは朝鮮語由来だ」と言いたがるのだと言えば、あまりに穿ち過ぎでしょうか。

いずれにしても、韓国人が日本語の朝鮮語起源説を唱えたがるのは迷惑だし鬱陶しいけれど、しかたがありません。彼らはそういう生き物だからです。

しかし、日本人がそういう生き物に与するのはいかがなものかと思います。コメント欄に「日本語化した朝鮮語」などと題してみっつほど例が上げられていましたが、少なくとも前者ふたつは明らかにこじつけです(最後の「ちゃっそー」とやらは、その言葉自体が初耳です)。

当該コメントを書かれた方は、純粋にそうだと信じておられるのかもしれませんが、やっていることは朝鮮人の印象操作に与することでしかありません。もしかすると、弊ブログのコメント欄に書けば、選択的に韓国に関心を持つ人に読ませ、あわよくば騙すことが出来ると踏んでの所業と勘繰ることも出来ます。

韓国及び朝鮮関連に関しては、書いた人が意図するしないに関わらず、こういう罠が随所に仕掛けられていることがよくあります。こういう罠を見抜く勘を養わなければ、たちまち韓国に絡め取られてしまう可能性は低くありません。

どこに書かれていようと、誰が言ったことであろうと、言うまでもなくたとえ弊ブログに書かれていたことであっても、その内容や整合性に少しでも違和感を覚えれば、根拠や原文を確認することを強くお勧めしたいと思います。

こういう「人を見れば盗人と思え」的意識を持つことはあまり気分の良いことではありませんし、現実問題として面倒きわまりないことですが、韓国および朝鮮関連の罠にハマるということは、単に自分一人が騙されるだけでなく、今度は自分が騙す立場になることもあるのですから。



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