fc2ブログ
管理画面

拡散される朝鮮印象操作に与せぬために

日本人は古来より、他国の文化を受容し、それを消化吸収して独自の文化とする能力に長けています。私はこれこそが、日本文化の真髄ではないかとさえ思っています。言語も、例外ではありません。故に日本語に外国語由来の言葉が混ざることは、何も珍しいことでも新しいことでもありませんし、日本語に混ざる外国語の中に朝鮮語があることもまた、別に不思議なことではありません。

それを良い事に、日本語の起源は朝鮮語だと言いたがる連中は日韓双方に、常に存在します。

有名なのは「奈良は、朝鮮語の「国(ナラ)」という語が由来だ」という説でしょう。この説では、かつて日本に移民した朝鮮半島出身者が奈良の都を築き、その地に自国の言葉で「国」と名付けたのだと謂います。韓国にさほど興味も関心も接点もない人でも、この説を一度ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。

しかし、「奈良」という日本語地名の朝鮮語起源説は、「音が共通する」という以外の根拠を持ちません。これを根拠として良いなら、英語の「Boy」や「Name」は、日本語の「坊や」や「名前」が語源だと言っても許されるでしょう。

そもそも「奈良」という地名は、日本書紀に曰く「踏みならす」の「ならす」を由来とすると明記されています。日本書紀と同時期の文献資料は、朝鮮半島には存在しません。

それでも「奈良」という語は朝鮮語由来なのだと言い張る者が時々いますが、他国に移民した者が新居住地に「国」という一般名詞を付けた例は、ワールドワイドでも聞いたことがありません。移民が新天地に地名を付ける場合、通常は自らの国家名や出身地名、部族や氏族名を付けるものです。事実、日本各地に「百済」や「高麗」、「新羅」という地名は存在します。

もし「奈良」という日本語が朝鮮語と関連することがあるとすれば、私は従来言われている説とは逆ではないかと思います。即ち、日本の「奈良の都」を見た朝鮮半島人が、「これこそ「国」というものである」と思い、朝鮮半島に戻って吹聴する内に、「ナラ」という音に「国」という意味が付されたのではないでしょうか。

もちろんこれは、何の根拠もない私個人の妄想です。が、「奈良」朝鮮語起源説も、私の「朝鮮語のナラは日本語の奈良が起源」という妄想と同じレベルで根拠がない説だということを、強調しておきたいと思います。

「自転車」を意味する「チャリンコ」が、朝鮮語の「チャジョンゴ」という説もよく聞きますが、これも眉唾です。そもそも朝鮮半島における自転車は、日本由来でしょう。それにバイク談義の際にもちらっと言いましたが、韓国における自転車は、現在でも日本ほど一般的ではありません。そういう物の名称が、何をどうすれば日本に流れ込んでくるのでしょうか。仮に「チャリンコ」が朝鮮語であるならば、自転車同様に日本から朝鮮に伝播した「自動車」が、朝鮮語由来の俗語で呼ばれないのは何故でしょうか。

更に言えば、かつて「チャリンコ」という日本語の俗語には、「自転車」とは全く異なる意味が付されていました。第二次世界大戦勃発年生まれの私の母などは、私が高校生ぐらいの頃に「自転車」の意味で「チャリンコ」という言葉を使っているのを聞くと、眉をひそめて「その言葉は良くない。あまり使わない方が良い」とたしなめたものですが、全く同音ですからその「チャリンコ」も朝鮮語由来なのでしょうか。

他に私が聞いた例では、「チョッキ」が朝鮮服の「チョゴリ」を由来とするなどという説もあります(最近の若い人の中には「チョッキ」と言われても何のことかわからない人がいると聞きますので、「ベスト」と言った方が通りが良いかもしれません)。それから「股引」「ズボン下」のことを大阪弁で「パッチ」と言いますが、これも朝鮮服のズボンを「パジ」と言うことからだと聞きます。日本語で「背が高い」という意味の「のっぽ」は、朝鮮語の「高い(ノップダ)」を由来とするなどという説も聞いたことがあります。

こういった語呂合わせに過ぎないこじつけは、「李南教の日本語源流散歩」を当たればいくらでも出てきますし、過去記事でもちらっと言及したことがありますが、「万葉集は朝鮮語で読める」などと主張する本が過去に何冊も出ました。

これらは居酒屋談義としてならば、非常に面白いネタだとは思います。あるいはホラ吹き合戦の題材にしても、楽しいでしょう。困るのはこれを大真面目に、学説として主張する連中が少なからず居ることです。

「学説」と言っても、正式な言語学会などで発表されることはまずありません。何故なら、古代朝鮮語側の文献資料は極めて貧弱だからです。

古代朝鮮にも、わずかに「吏読」「郷札」「口訣」といった、漢字を借りた朝鮮語の表記法があるにはありました。が、それらから法則を見出し、言語学的に構築するには、その資料の数があまりにも少ないのです。故に日本語との関連性以前に、ハングル創製以前の古代朝鮮語研究は、闇夜でカラスを探すより困難とされています。日本語の朝鮮語起源説においては、日本語のホニャララは古代朝鮮語のナンタラカンタラだなどとよく言われますが、その「古代朝鮮語」自体がよくわかっていないのです。

それに言語学は地味で儲からない学問です。目立ちたがりで拝金主義者の韓国人ですから、そんな学問を喜んでやる者が多いはずもなく、必然的に韓国人の朝鮮語学者というのはあまり多くありません。その上、現代韓国語さえもハングル専用によって激しく崩壊を続けています。1000年前どころか、100年前の言葉をたどるのさえ、今の韓国では困難なのです。

韓国では、しばしば発作的に「日帝残滓排斥」を唱え、日本語由来の言語を排除し、全て朝鮮固有語に改めようと喚き散らす者が出てきますが、実際に現代韓国語から完全に日本語由来の言葉を排除すれば、韓国人の意思疎通は極めて困難なものになるでしょう。

翻って日本はと言えば、朝鮮語由来の日本語など全て排除しても、おそらく日常会話に何の支障もありません。

韓国人としてはそれが悔しくて悔しくてしかたないというのもあって、「日本語のホニャララは朝鮮語由来だ」と言いたがるのだと言えば、あまりに穿ち過ぎでしょうか。

いずれにしても、韓国人が日本語の朝鮮語起源説を唱えたがるのは迷惑だし鬱陶しいけれど、しかたがありません。彼らはそういう生き物だからです。

しかし、日本人がそういう生き物に与するのはいかがなものかと思います。コメント欄に「日本語化した朝鮮語」などと題してみっつほど例が上げられていましたが、少なくとも前者ふたつは明らかにこじつけです(最後の「ちゃっそー」とやらは、その言葉自体が初耳です)。

当該コメントを書かれた方は、純粋にそうだと信じておられるのかもしれませんが、やっていることは朝鮮人の印象操作に与することでしかありません。もしかすると、弊ブログのコメント欄に書けば、選択的に韓国に関心を持つ人に読ませ、あわよくば騙すことが出来ると踏んでの所業と勘繰ることも出来ます。

韓国及び朝鮮関連に関しては、書いた人が意図するしないに関わらず、こういう罠が随所に仕掛けられていることがよくあります。こういう罠を見抜く勘を養わなければ、たちまち韓国に絡め取られてしまう可能性は低くありません。

どこに書かれていようと、誰が言ったことであろうと、言うまでもなくたとえ弊ブログに書かれていたことであっても、その内容や整合性に少しでも違和感を覚えれば、根拠や原文を確認することを強くお勧めしたいと思います。

こういう「人を見れば盗人と思え」的意識を持つことはあまり気分の良いことではありませんし、現実問題として面倒きわまりないことですが、韓国および朝鮮関連の罠にハマるということは、単に自分一人が騙されるだけでなく、今度は自分が騙す立場になることもあるのですから。



人気ブログランキング FC2ランキング

本日もクリックありがとうございます<(_"_)>
スポンサーサイト




月見櫓 韓国 日韓