平成23年年末ご挨拶
震災前の私は、今日という日は昨日からの続きで、今日という日の時間が過ぎれば、大きな変化もなくのんべんだらりと明日になるものだと無意識に思っていました。
震災があろうとなかろうと過去に戻ることなど出来はしないのですが、それでもなんとなく、振り返ればそこには「昨日までの日本」があって、手を伸ばせば簡単に届くような気がしていたのです。
尋常ならざる力で破壊された街を、テレビカメラを通してではなく、実際にその場に立って目の当たりにした阪神淡路大震災の時でも、その気持ちは損なわれませんでした。
しかし3月11日の東日本大震災の時、私はまるでそれ以前の時間の流れからざっくり切り離されたような、振り返ると手が届くような気がしていた「昨日までの日本」が、もう絶対に手の届かないところに行ってしまったような、強烈な喪失感を味わいました。
それと同時に「これからの日本」を否応もなく強く意識することになりました。「私たち日本人には、この日本しかないのだ」ということも、痛烈に実感することになりました。多分、多くの日本人も同じようなことを感じたのではないでしょうか。
そういう意味であの大震災は、「日本人が日本人として今後の日本をどうするか」ということを、そんなことは政治家とか、誰か知らないけどどっかの偉いさんとかがいつの間にかしてくれることで、自分たちには直接関係ないんだと無意識で思っていたことを、「日本人ひとりひとりがやらねばならないこと」としてつきつけられた出来事だったと思います。
震災は、日本と日本人を大きく傷つけました。その痛みも失ったものも背負わなければならなくなったものも、あまりにも巨大です。そのことを私たち日本人は、実感として共有することになりました。
ある意味私たちは、日本と日本人であることから逃げることなど出来ないということを、すなわち、「日本人としての覚悟」を、震災を契機に持たされたと言っても良いでしょう。
その点震災直後に、日本にいた韓国人どもが雪崩を打つように韓国に逃げ帰ったのは、実に象徴的でした。
もちろん大災害の時ですから、韓国人に限らず、外国人に帰っちゃならんなどとは決して言いません。それどころか、こと韓国人にはむしろ、是が非でも国に帰れと言いたいぐらいです。韓国に帰って、二度と日本に来るなと。
しかしその後、日本がどうにか落ち着きを取り戻すと、逃げた韓国人どもは再び何食わぬ顔で戻って来ました。
その上、日本の震災には韓国が一番最初に支援しただの、それなのに日本が竹島の領有をいまだに主張するのはけしからんだのと喚き散らし、とうとう竹島問題について調査するために鬱陵島を訪れようとした日本の国会議員の入国拒否までする始末。
まことに韓国という国は、日本にとって害毒でしかないということを改めて確認することになったのも、今年でした。
もっとも、日本にとって韓国が害毒であるということは、弊ブログの読者諸姉諸兄にとっては今更感溢れる話でしょう。
そもそも弊ブログは韓国について概ね言い尽くしており、今更感だらけです。目新しいネタを提供したいのは山々ですが、元来が薄くて浅くて上っ面な連中ですから、掘り下げるにもその余地が既にありません。
それでも弊ブログが更新を続けているのは、ひとりでも多くの日本人に、少しでも韓国についての真実を広めたいという思いからです。
真実と嘘を並べれば、真実の方が強いのは間違いありません。でも、どんなに強い真実であっても、それを人に見せることが出来なければ、嘘に敵わないのは当たり前です。相手が何度打ち破っても同じ嘘を繰り出してくる限り、こちらも何度でも同じことの繰り返しであっても、真実を提示し迎え撃たなければ、嘘は堂々とまかり通ってしまうのです。
だからこれからも同じことの繰り返しだろうが何だろうが、とにかく更新を続けて、ひとりでも多くの日本人に韓国に関する真実を共有していただきたいと思っております。
それこそが韓国が放つ嘘と、それに協力する人々に対抗するため、私に出来る最大の方策と信じて。
例年と同じく、過ぎてしまえばあっという間という思いももちろんありますが、それでも今年は長い長い一年でした。震災の影響が残るであろう来年も、容易な年ではないかもしれません。
ですが新しい年を迎えることは、新しい希望に向かって歩き出すことでもあります。後ろ向きに逃げるのではなく、前を向いての出発です。顔を上げて胸を張って、新しい一歩を踏み出しましょう。
新しい年が、この日本と皆様にとって良い年となりますように、そしてまた来年も弊ブログにご指導ご鞭撻ご声援を賜りますように願って、年末のご挨拶とさせていただきます。