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日韓の差別意識の違い

今日で1月も終わりです。各地ではずいぶん冷え込んでいるようで、雪になっているところも多いとか。風邪やインフルエンザに気をつけるのと同じく、どうぞ雪の事故にもお気をつけください。

さて、日本の大手メディアでは全く報道されておりませんが、先日、アメリカのダラスで在米韓国人か韓国系アメリカ人だかのガソリンスタンド店主が黒人客と口論になり、客から「国へ帰れ」と言われたのを受けて、店主が客に「それならお前はアフリカに帰れ」と言い返したことから、人種差別問題として騒動になっているという報道がありました。

ロス暴動の一因となったとされるラターシャ・ハーリンズ事件から20年が経ちますが、今も在米韓国人の意識はあまり変わっていないようです。

そもそも、一般的に言って韓国人の差別意識は極めて旺盛です。特に、薄くて浅くて上っ面の連中ですから、外見による差別は甚だしいものがあります。弊ブログでも幾度かご紹介したことがありますが、欧米系外国人と東南アジア系外国人に対する韓国人の態度は、露骨に異なります。あるいは、韓国のスーパーマーケットに黒人客が訪れたら、テロリストに襲撃されたような騒ぎになったという報道もありました。しかもほとんどの韓国人は、自らのそういう意識を自覚も理解もしていません。

ただ、これらをもって韓国人には人種差別意識があると言うのは、少々語弊があると私は思っております。

韓国人は、黒人だからとか、東南アジア人だから差別するのではありません。彼らは、一目見てわかるほど明らかに自分たちと異なる外見をしており、しかもそれを劣っていると確信した相手を差別するのです。白人に対して韓国人が極めて慇懃なのは、彼らが白人を自分たちと同じか、それ以上に優れていると思っているからでしょう。

だから彼らは、たとえそれが同胞であっても、自分より劣っていると認識した相手に対しては、それはそれは酷い差別をします。

それは、血統的には韓国人と同じであるはずの在日が良い例になります。在日どもが「日本でサベツされた(されている)」と喚き散らすのは、うんざりするほどよくあることですが、その彼らが韓国で、同胞たる韓国人から受ける差別は、日本で受けるものの比ではありません。

不思議なことに在日どもは、日本人から差別されれば、それがどんなに些細なことでも大騒ぎしたり、いつまでも根に持ったりするのですが、韓国人からの差別には、たいてい泣き寝入ります。それはおそらく、韓国で差別を受けたと認めることは、自分が(韓国人の主観的に)劣った存在であると認めることになるからでしょう。

日本であれば、差別を受けたと騒げば、被差別者の方が有利な立場を確保出来ます。なぜなら日本の社会には、不当な差別は許されないという意識が浸透しているからです。日本ではそれが行き過ぎて、差別と名がつくものは如何なる差別も許されないと思い込んでいる人さえ少なくありません。だから日本では、自らの「尊厳」を不当に傷つけられた無過失の被害者となることで、被差別商売が成立します。

ところが、韓国では「被差別者は劣っている存在」という社会的コンセンサスが成立しています。だから被差別は、さほど商売になりません。自ら徹底的に卑屈になり、自分が酷く劣っていることをアピールすることで他者に優越感を与え、その代償としての施しを受けることぐらいしか、被差別を商売にする術はないでしょう。韓国では被差別者に「尊厳」など、最初から最後まで自他ともに認めていないのです。

ことあるごとに日本で差別されていると言いたがる在日が、一向に韓国に戻ろうとしないどころか、5世代6世代と外国人のままで平穏に住み続けられているという事実が、日韓の差別意識を如実に表しているのです。

韓国のことを知らない、知りたいとも思わない日本人は、韓国も日本と同じなどと意識的あるいは無意識的にイメージしているようですが、このように社会的コンセンサスからして、日本と韓国は大きく異なります。社会的コンセンサスが異なるということは、個々人の意識も当然異なるということです。それを正しく認識しないで韓国を判断しようとすることは、間違った前提で考察を始めるのと同じです。

この「間違った前提」に日本人を誘導しようとするのが韓国の対日工作のひとつであり、意識的であろうと無意識的であろうと、また日本人であろうと韓国人であろうとそれ以外の国籍を持つ者であろうと、それに加担する者は対日工作員とみなして対応するようにしなければ、気がつけば今度は自分が韓国の対日工作員として活動していたなどということになりかねないことを、最後に警告しておきたいと思います。


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是是非非とは、是と非をマジェマジェしないこと

今回コメントで戴いて思い出したのですが、韓国について語ると、ちょくちょく見かけるのが「是是非非」という言葉です。

この言葉は荀子の修身が出典で、原文は「是是非非、謂之智、非是是非、謂之愚(是を是とし非を非とする、之を智と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う)。」といいます。

意味するところは「肯定すべきことは肯定し、否定すべきことは否定するのが智であり、肯定すべきことを否定し、否定すべきことを肯定するのが愚である」でしょう。

この言葉が何故韓国関連について語るとしばしば出てくるのかというと、まず前提として、韓国について知識も関心もない人が日本人には多いということがあるでしょう。

日本人の多くが韓国について知識も関心もないが故に、韓国の【是】と【非】はあまり広く知られておらず、知ろうとする人も多くありません。それがために、韓国については「是是非非」という言葉で説明したくなる人が結構いるのではないかと思います。

「知らない国は好きな国」の日本人ですから、韓国について知識も関心もない時点で韓国に対して持つ意識は、無関心ながらやや好感寄りなのが一般的です。是か非かで言えば、なんとなく是と言ったところでしょうか。

ところが一度韓国を知ると、今度はその余りの酷さに一気に【非】に傾く人は珍しくありません。

そもそも韓国関連では、非の部分があまりにも多いという現実があります。しかもそれらは、ちょっと韓国に注意を払うとかなり目につき、日本人にとっては実害も少なくありません。ですから、どうしても韓国関連について知り始めると、【非】のあまりの多さに嫌悪感が先立つものです。

それが高じれば、韓国については一切全く認めない、認めたくないという意識になる人は少なくないでしょう。誰だってキチャナイものには触りたくないし近寄りたくないものです。ただ、それがあまりにも行き過ぎると、今度は弊害も出てきます。

例えば、韓国について一切全く認めない余りに、キムチは絶対に買わない食わないというぐらいなら、それは個人の自由です。

ところが、他人がキムチを食ったり買ったりするのを見て、「キムチを買うなんて非国民だ!」とか「キムチを食う奴は売国奴!」とか言い出すと、これはもう嫌韓厨の誹りを免れないでしょう。

これは別にキムチに限りません。以前お話しした暁星バイクでも同様です。以前述べたような理由で、私個人としては暁星バイクを他人にお勧めする気には全くなれません。が、「だがそれが良い」と言って暁星バイクに乗る人がいたとしても、それだけでその人を非国民だとか売国奴だとは、私は思いませんし言いません(物好きだとか、命知らずだとは思いますw)。

あるいは、ソウルの地下鉄の駅にホームドアが導入されたことを、良いことだと言うのも構わないでしょう。

世の中には「美味しいキムチ」というものもきっと存在するでしょうし、特別美味しくなくても、味覚のバリエーションとして選択肢のひとつに載せても悪いことだとは思いません。

暁星バイクの上っ面のデザインや、デフォルトのポンコツさ加減が気に入る人も、変人の多いバイク乗りの中にはいるでしょう。

鉄道会社が乗客の安全を図ろうとすることは、たとえ上っ面だけでも悪いことだとは思いません。

ただ、それをもって、例えば「キムチは万能食」とか「暁星バイクは世界一ィイイ!」とか、「ソウルの地下鉄の駅にホームドアが導入されたから、韓国は安全国家。日本はそれを見習うべき」とか言い出せば、話は別です。

それらは明らかに「是」と「非」をごちゃ混ぜにしているからです。

韓国について語る際に、是是非非を唱えることが悪いことだとかいけないことだとは思いません。むしろ進んで是と非を分けて語るべきでしょう。

しかし問題は、韓国関連においてこの言葉が出てくると、非常にしばしば「是」と「非」をごっちゃにしたり、「韓国にも是があるのだから、非については目をつぶるべき」とか、「韓国にも是があることを以て非と相殺すべきだ」などという理屈が展開されることです。

是是非非とは、厳格に是を是とし、非を非とすることであって、「誰にだって良いとこ悪いとこがあるんだから、悪いとこばっかり見ないで良いとこも見るべき」などと言って、是と非を曖昧にすることではありません。

何度でも言いますが、韓国について認め得るものは皆無ではありません。しかし、どんなに良いもの、認め得るものがあると思っても、最後で全てにゼロを掛けるような真似や、あるいは是も非も全部マジェマジェしてしまうのは、たいてい韓国人自身や、在日、親韓日本人だったりします。

それがために、韓国に良いもの、認め得るものがあったとしても、安易に是とすることが出来ないという現実があることだけは、最後に強調しておきたいと思います。


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韓国を認める意見について

ここ数日の冷え込みはずいぶん強く、関東で雪になったと聞きます。大阪はみぞれ混じりの雨が降る程度で、まだ雪らしい雪が降るのは見ておりませんが、寒いのはご同様です。インフルエンザも流行っていると聞きますので、読者の皆様方におかれましては、どうぞご自愛くださいませ。

さて前回記事のコメント欄で、ある韓国芸能人ユニットを褒めた人がいましたが、それに対してかなり厳しいコメントがいくつも付きました。それを見た日韓チャット常連日本人が「(月見の読者は朝鮮人に関しては)一切100%何も認めないという姿勢なのかな?」と言いました。

長年、日韓チャットをしていれば、韓国や朝鮮に関する諸事を嫌でも見ることになります。その中には、極めて稀ではありますが、見るべきものの存在も皆無ではありません。手放しで褒める程ではないにせよ、韓国にもある程度認め得るものが存在することは、韓国ウォッチ歴の長い人ほどよく知っています。

ですから、如何に極悪倭人といえども「朝鮮に関して一切100%何も認めない」ということはなかったりしますので、「韓国芸能人を認める意見」に対して厳しい意見がついたことに、少々同情的になったのでしょう。

その気持ちは個人的にはわからなくもありません。

例えば、よく韓国人の長所としてあげられる「人懐っこさ」「情の深さ」ですが、これは実際に被曝してみるとなかなかに侮れません。韓国人の接待を受ければ、嫌韓の10人中8人が篭絡されるであろうというのも、あながち誇大表現ではないでしょう。私にしても、このブログで韓国人について酷評している時に、知人の韓国人のことが脳裏をよぎることはしばしばあります。

ですが、それは私個人の感情です。それに私と親しく話す韓国人にしても、ただに人懐っこいとか情が深いだけではなく、韓国人や韓国社会の歪みを理解してもいますが、彼らが韓国社会全体にそれをフィードバックすることが全く出来ないことも、私は知っています。

あるいは、日本人と親しい韓国人や、日本そのものに強い親しみを感じる韓国人は、実は大変に多いということは、これまでに何度も述べてきました。もしかすると、韓国人の半数以上がそうかもしれません。しかし、私たち日本人が注目すべきは、「韓国人が日本に親しみを感じるかどうか」という部分ではなく、そこから先なのです。

それをあえて「韓国人が日本に親しみを感じるかどうか」の部分だけに日本人の意識を集め、そこに留まらせてその先を考えさせないようにするというのは、韓国人が日本人を篭絡する手法のひとつでもあります。

その手法を日本人(と思しき人物)が行なえば、何も知らぬ日本人なら、韓国人に言われるよりもなお一層容易に篭絡されるでしょう、というようなことを、弊ブログでは何度となく述べているはずです。

その弊ブログでは「韓国にも見るべき点がある」ということを言いたい人がいるならば、それを言ってはならないとは言いませんが、それだけで終わらせてはならないとは言います。

「韓国にも見るべき点がある」と言いたいのであれば、最低でもその「見るべき点」がどんな点なのか、どうしてそう思うのか等を具体的に説明して、まずはその主張に理解と共感を求めるべきでしょう。別に理解や共感が欲しいわけじゃないしと言うのであれば、そんなことは嫌韓ブログのコメント欄ではなく、チラシの裏にでも書けば良いのです。

「韓国にも見るべき点がある」ということに理解と共感を得られたら、是非そこに留まらず、そこから「それなのに何故、韓国社会はそれを生かすことが出来ないのか」という考察に進めて欲しいと思います。そうすることで、「日本人としての韓国観」というものが確立出来ると思います。

「日本人としての韓国観」無しに無防備に韓国賛美をするのは、韓国の対日工作に寄与する効果はあるかもしれませんが、日本の対韓防衛には何らの効能もありません。

という訳で、弊ブログのコメント欄では韓国芸能人を認めたり褒めたりするご意見も、全くご法度というわけではありません。ご法度なのは、自ら自分の考えを公開しておきながら、他人が読むということを意識せず、自分の感情を感情のままに垂れ流して憚らないという、「朝鮮人のような」態度なのです。


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真実・事実を流布しよう

このところ、月見チャット常連参加者から繰り返し繰り返し言われているのが、「真実・事実の流布」です。

ブログを始めて数年の間、私は「一度でも過去に書いたことは、読者には了解済みのこと」と思っていました。だから、同じ事を重複して書くのはよろしくないと、頑なに信じていました。

時々訪れる踊り子さん(※荒らし行為を働く者の愛称。ただし、弊ブログにおける全ての荒らしを踊り子さんと呼ぶとは限らない。だいたい管理人の気まぐれで決める)に対しても、「過去記事読んでから出直して来い」と突き放していたものです。

しかし記事数が800を超えたあたりから、「とにかく過去記事読め」ってのはちょっと酷かもしれない、と思うようになりました。ましてや現在では、記事数は1000を超えてしまっています。踊り子さんでなくとも、これを全部読むのは大変です。書いた当人でさえ、今から全部読み返せと言われたら、ごめんなさいと言うかもしれませんっていうか、多分言います。

ですが、過去記事を全部読まなくても、弊ブログでは一応ブログ内検索が可能です。その気になればお目当ての記事を探すことは、そんなに難しくはありません。問題は、「その気になってまで過去記事を探して読む気にならない」という人が一般的ということでしょう。

更に言えば、弊ブログがテーマとしている韓国及び朝鮮関連については、「嘘・大げさ・紛らわしい」ことが「多い」と言うのさえ控え目な表現になるほどです。むしろ韓国及び朝鮮関連については、「嘘・大げさ・紛らわしい」で出来ていると言った方が、誤解が少ないかもしれません。

その上韓国及び朝鮮関連における「嘘・大げさ・紛らわしい」を流布する連中は、幾度論破してもほとぼりが冷めれば再び何度でも同じ事を言い始める習性を持ちます。

それが既に論破されているものだと知っている人は、また始まったと呆れ、相手にしません。実際、「嘘・大げさ・紛らわしい」と最初からわかりきっていることなど、馬鹿馬鹿しくて聞いていられないのです。

ところが、それを知らない人には、それが衝撃の新事実として刷り込まれてしまうのです。韓国及び朝鮮関連における「嘘・大げさ・紛らわしい」を流布する連中が狙っているのは、むしろそういう人々なのです。

コメント欄で言及がありましたが、最近の大手メディアの特亞、ことに朝鮮系関連情報についての偏向報道は、凄まじいものがあります。あれほどまでに執拗に、大手メディアという権威による印象操作が行なわれれば、何も知らない人がそれを疑う理由はありません。

それに対抗する手段があるとすれば、「真実・事実の流布」だけです。それを、相手が「嘘・大げさ・紛らわしい」ことを言う限り、何度でも繰り返し行なうことです。だから、弊ブログでは同じことでも構わず、何度でも書いていこうと思っております。

ですが、これも弊ブログだけでは、それこそゴマメの歯ぎしりです。どこにも聞こえず、誰にも何の影響も及ぼしません。ですので、この「真実・事実の流布」を、ひとりでも多くの日本人に行なって欲しいのです。もちろん、あらゆることの真実・事実を知るのは事実上不可能ですから、弊ブログがそうであるように、各自が知り得た範囲の「真実・事実」で良いのです。

今日で「竹島の日」までちょうど一ヶ月になりましたが、数年来ブロガー有志で行なっている竹島プロジェクトもまた「事実・真実の流布」の一環です。「漠然と「真実・事実の流布」って言われても、何をしたらいいのかわからない」という方は、「竹島プロジェクト」の参加から始めてみては如何でしょうか。

もちろん、別に竹島プロジェクトに限りません。他のことでも良いのです。韓国及び朝鮮関連の「嘘・大げさ・紛らわしい」ことなど、韓流捏風を始め、いくらでもあります。

個人レベルの日韓友好についても、絶対するなとは言いません。ただ、韓国人と、例えば竹島関連の話になれば、毅然と「竹島は日本領土だ」と答えれば良いだけの話です。こちらが毅然としていれば、韓国人は案外おとなしいものです。むしろ、下手に相手の意を迎えるようなことを言えば、韓国人は「こいつは迎合する奴だ」と思います。長い目で見れば、その方が間違いなく危険です。

あるいは韓国人に「韓国が好きか」と聞かれれば、正直に思うところを言えば良いと思います。好きなら好き、嫌いなら嫌いで良いのですが、もし韓国のことをあまり知らないので、好きか嫌いかよくわからないのであれば、正直に「よく知らないからわからない」と答えるべきでしょう。韓国のことを知らないのに「韓国が好きだ」と言う(韓国のことを知らないのに「韓国が嫌いだ」と言う人は、多分いないと思います)のは、真実でも事実でもなく、ただの阿諛です。

韓国の芸能人が好きなら好きでも、それは個人の趣味です。いけないとは言いません。ですが、「韓国の芸能人を好き」ということと「韓国という国家」「韓国人という民族」を好きということは、別問題です。そこを誤解せぬようされぬよう、正しく自ら理解し、相手にそう言えば良いだけです。

真実・事実はシンプルで強い。嘘は複雑で脆い。いずれを鎧い広めるべきかと言われれば、真実や事実の方だと私は確信しています。


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朝鮮人は擬態する

前回記事で、少し中国朝鮮族について触れたので、昨年も書いたことがありますが、この機会に中国朝鮮族についてもう一度書いておこうと思います。

皆様既にご承知のとおり、中国はいわゆる漢民族だけではなく、様々な人種や民族が存在します。朝鮮族はその中国の少数民族のひとつで、主に中国東北部に棲息します。

私が昔勘違いしていたように、中国朝鮮族を現在の朝鮮半島に生息する朝鮮人の祖と勘違いしている人は案外多いのではないかと思いますが、事実は逆です。中国東北部、かつての満洲国に移民した朝鮮半島の朝鮮人が、現在の中国朝鮮族の祖です。

当時、日本本土から満洲国に移民した人々は20~30万人ほどと言われていますが、同じく当時日本領であり且つ満洲国と地続きであった朝鮮半島からは、更に多くの朝鮮人が移民しました。

中国における朝鮮人の蔑称「高麗棒子」の由来には諸説ありますが、その中に「旧満洲で警察官として採用された朝鮮人が、事実上の支配国である日本国の威を笠に着て、何かにつけ警棒を振り回すような横暴を働くので、それを揶揄して朝鮮人を「高麗棒子」と呼んだ」という説があります。

実際、私も戦争体験を持つ中国老人の談として、「当時の中国大陸で横暴な行ないをするのは、たいてい日本人のふりをした朝鮮人であった」という話を聞いたことがあります。

だからと言ってもちろん、当時の中国大陸における全ての日本人が品行方正だったなどとは、私も思っていません。

現在の日本でも、朝鮮人のような真似をする日本人は一定数存在します。人生の活路を求めて異国に移り住む人々の中には、山師や無頼の徒も少なからずいたでしょうし、言葉や習慣が違えば、何かにつけ感情の齟齬は当然に生じるものです。

ですがそれを勘定に入れても、当時の中国における朝鮮人の横暴は凄まじかったということだと思っています。

何しろ虎の威を借らせたら、世界広しといえども朝鮮人の右に出る民族はそうそうおりますまい。普通の狐ならばただに虎の威を借るだけですが、朝鮮人は一旦虎の威を借れば、自分を虎そのものだと思い込むのですから。

やがて戦争が終わり、日本が威を失うと、旧満洲国の朝鮮人はとっとと新しい虎の威に乗り換えました。それが現在の中国朝鮮族というわけです。

つまり元はと言えば彼らは新付の日本人であったのですから、日本の文化や習慣に親しみを持っていたり、日本語の素養がある人々が多かったのは当然なのです。

そんな彼らの子孫が、今は中国人の立場に立って、したり顔で日中戦争時における日本の非をあげつらうのですから、失笑を禁じ得ないと同時に、強烈な不快感を催すのは、日本人ならばどなたでも共感いただけるのではないでしょうか。

前回でも書きましたが、まことにその時その時で、強い者や都合の良い方に節操無く靡き擦り寄り、ひょいひょいと立場や主張を変えることに躊躇のない連中です。

それに対する日本人はと言えば、どうしても「知らない国は好きな国」であり、「知らない人はみんな良い人」と思い込みたがる人々が今も主流です。無闇と人を疑うことは良くないことだと、幼い頃から叩きこまれているせいでしょう。

ですから、韓国人を知らない日本人ならば、「韓国人も日本人と同じ人間だ」などと本気で思っているのが普通ですし、韓国人をある程度知った日本人でも、「北朝鮮人ならば、あのキチガイじみた韓国人よりは良い人たちだろう。少なくとも韓国人よりマシだろう」と思っている人は、私が想像する以上に多いようです。

ましてや中国朝鮮族などと言われれば、普通の日本人にはイメージさえ湧かない存在であろうことは、私がそうでしたから、極めて容易に理解出来ます。

そこで私たち日本人が覚えておくべきことは、前回申し上げた「朝鮮人は朝鮮人でしかない」ということと、「朝鮮人は擬態する」ということです。

朝鮮半島が日本領土だった頃、朝鮮人たちが「俺達は日本人だ」と言って中国で横暴を働いていたように、朝鮮人は常に様々なものに擬態します。

現在、朝鮮人は世界中に分散しておりますが、その多くが日本人あるいは日系人に擬態していることは、弊ブログの読者諸姉諸兄におかれては既にご承知のことでしょう。ですが彼らの擬態は、日本人あるいは日系人だけとは限りません。

今回取り上げた中国朝鮮族というのもやはり、朝鮮人の擬態のひとつだと理解すれば、日本人の中国朝鮮族に対する理解はかなり深まると私は確信しております。


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朝鮮人は朝鮮人でしかないという実例がまたひとつ

昨日、韓国の仁川沖でタンカーが爆発したという報道がありました。「爆発」と聞いたのでまた中国かと思ったら韓国で、それならまた北朝鮮による魚雷攻撃かと緊張したら単なる事故だったので、二重に拍子抜けさせられました。

また中国かと言えば、昨年末に靖国神社に放火し、年明けには在韓日本大使館に火炎瓶を投げ付け、韓国で逮捕拘束されている中国人ですが、留置場では「大韓民国万歳」と叫んだり、韓国国歌を歌ったりしているそうです。

報道された限りではこの中国人には不可解な点が多々あり、また当人の言ってることもどこまで事実なのか、現時点では全くわかりません。

普通の中国人であれば、朝鮮語が話せるというのはかなり特殊です。何故なら、中国語と朝鮮語は文法体系がまるっきり異なっており、かなり意識的に学習しなければ話せるようになるものではないからです。国歌にしても然りで、いくら隣国でも、他国の国歌をソラで歌える人というのは、かなり珍しいと言って良いでしょう。

仮に歌えたとしても、求められたわけでもないのに誇示するのは奇妙です。ましてやそれが韓国の留置場内なのですから、そうすることによって件の中国人容疑者が何をアピールしようとしているのか、実に興味深いものがあります。

現時点で確実に言えることは、件の中国人容疑者が中国籍であるということ(おそらく中国のパスポートを所持していることが確認されているのでしょう)と、中国籍であるにも関わらず、韓国に対して韓国人以上の強烈な愛情と共感を抱いていることを誇示していることです。

実は韓国の警察当局では、この中国人容疑者が日本で靖国神社に放火したと主張する人物であることを、昨年末の時点で把握していたらしいのですが、だからと言って特に拘束もせず、韓国内を自由に行動させております。その結果として、この中国人容疑者による在韓日本大使館への火炎瓶投擲事件が起きたことになります。

国際常識的には、外国で犯罪を行なったと自ら主張する者が入国してきたのであれば、その人物を野放しにするなどというのは道義的にどうかと思いますが、警察と言っても所詮韓国です。日本を侮蔑したり危害を加えようとする人物ならば、犯罪者であっても危険人物とはみなさないのでしょう。韓国なんかに国際常識や道義を期待する方がマヌケと言うものです。

ところで中国籍の朝鮮人と言えば、真っ先に思い浮かぶのが中国朝鮮族です。この中国人容疑者も、朝鮮族ではないかと個人的には強く疑っておりますが、現時点では件の中国人容疑者が中国朝鮮族であることを示す情報はありません。

中国朝鮮族に詳しい人の中には、中国朝鮮族には親日家が多いから、靖国神社に放火したり日本大使館に火炎瓶を投げたりなんかするはずがないと思う人もいるのではないかと思います。また中国朝鮮族のアイデンティティは北朝鮮や韓国等の朝鮮半島国家にはなく、明確に中国にあると言われております。実際、中国朝鮮族自身も、朝鮮人とは名乗らず中国人と名乗ることが多いのです。が、これもやはり、所詮中身は朝鮮人なのです。

そもそも中国朝鮮族が親日と言われるのも、中国内では少数民族の立場である彼らには、団結する明確な理由と目的があり、韓国人のように反日アイデンティティにすがりつく必要がなかったのと、もともと日本語を母国語として教わった世代を祖に持つ彼らにとって、日本は取り入り易い国だからというだけのことです。

その時その時で、強い者や都合の良い方に節操無く靡き擦り寄り、ひょいひょいと立場や主張を変えることに何の迷いもないのが朝鮮人ですから、件の中国人容疑者が朝鮮族であったとしても、私個人としては驚きません。

ただ、この中国人容疑者が朝鮮族かどうかについては、あまり重要な問題とは思っておりません。報道されている犯行動機がもし事実であるとすれば、かの中国人容疑者には、少なくとも4分の1の朝鮮血統が入っていることになります。中国朝鮮族であってもなくても、4分の1しか朝鮮血統が入っていないとしても、件の中国人容疑者が朝鮮人であることはほぼ確実でしょう。

今回の一連の事件に、どのような事実が隠されているかはいまだほとんど明らかになっておりませんが、現時点で確実に明らかになっていることがあるとすれば、それは【国籍が何であれ、育ちがどこであれ、朝鮮人は朝鮮人でしかない】という実例が、またひとつ増えたということです。

それを踏まえた上で、この事件の今後の展開を見守りたいと思います。


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学ぶべきは上っ面ではない

韓国人の意識とか考え方を知ると、不思議だとか異常だとか理解出来ないとか死ねば良いのにと思うことは珍しくありませんが、その中のひとつに「不本意だがそうせざるを得ない」という意識があります。

無論、日本人でも「不本意だがそうせざるを得ない」と考えることはよくあります。ですがその場合は、「そうせざるを得ない」ということを十分納得した上で行なうはずです。もし、何が何でもどうあっても、それをすることは不本意だと言うのであれば、それをしないことによる不利益も甘受するのが普通ですし、周囲の人々もそれで当然と思うのが普通です。

しかし韓国人の場合は、「それをすることは不本意だが、それをしないことによる不利益も甘受したくない。よって、不本意だがそれを行なう。だが、それをするのは何が何でもとことん不本意だ」という意識であり、周囲もそれを疑問視しません。

例えば、狂牛病騒ぎの時の韓国人の言い分がまさにそうでした。当時の韓国では、韓国人は狂牛病に罹りやすいなどという風評が流れ、牛肉だけでなく、牛由来成分の入ってるものなら紙オムツからでも感染すると大騒ぎしていたということは、以前にも書いたことがあります。

その当時、日韓チャットで「そんなに狂牛病が心配なら、牛肉を食べなければいいし、牛由来成分は成分表示を見ればわかるから、それも避けられるのに、何故そうしないのか」と私が言えば、韓国人は憤然として、「売っていれば買わないわけにいかないし、買えば食べないわけにいかない、使わないわけにいかないじゃないか」と答えるのです。

そんな馬鹿な話はありません。何であれ、品名が明示されていれば、それを買う買わないは消費者の自由意志です。ただ品物を売り場に並べておくだけで、買いたくないと考えてる者にも買わせることが出来るなら、テレビCMも新聞広告も折込チラシもネットの広告バナーも必要ありません。

こういう話は、韓国においては枚挙に暇がありません。

最近見た在韓日本人のブログで、「KTXの安全性に疑問を感じる」という話がありました。KTXの安全性に疑問があるのは、嫌韓や韓国ウォッチャーの間では運用開始前からの常識ですが、どうやら一般的な韓国人は、比較的最近までKTXの安全性にほとんど疑問を持っていなかったようです。

しかし運用開始以来、毎日のように何らかのトラブルが起きていることが報道され、つい最近、一歩間違えれば大惨事になりかねない事故があり、韓国人もやっと心配になってきたのでしょう。

ところが、KTXの安全性に疑問を感じるならば、状況が改善されるまで別の交通手段を考えるのかと言えば、一般的な韓国人のマインドでは、「ソウルからプサンに行くのにはやはりKTXが速いので、乗らないわけにいかない」と言って、相変わらずKTXに乗り続けるようなのです。

それでKTXに自分が乗っている時に大事故が発生しても、その場合はしかたないという覚悟で乗り続けるのであればいっそ天晴れです。が、「乗客として出来る安全対策はほとんどない」「運を天に任せるしかない」ということで、結局は「それほど深刻な問題でもないのか?」と感じなくもないと言いますから、実際に大惨事が発生するまで韓国人が問題を直視することはないのでしょう。

そう言えば、大きな台風が来るという予報されていても、ほとんどの韓国人が対策らしい対策をせず、結果酷い被害が出るというのも、韓国では秋の風物詩のようなものです。

そうし続ければ、問題が起きたり事故の可能性があると十分予見されていても、それが現実のものとなるまではケンチャナヨで継続し、いざそれが現実化して自分が被害を受けると、「だからそれをするのは不本意だったのだ」と喚き散らすのは、ある意味朝鮮の伝統的な行動様式ですが、21世紀が始まってから干支が一回りした今日も、その様式は健在のようです。

どんなに優れた安全対策を講じても、それを実行するための完璧なマニュアルを作成しても、実際に運用する連中がこれでは全く意味がありません。こんな国に安全対策を学べなどと言う愚か者の目には、ウリナラマンセコンタクトレンズでも入っているのでしょうか。

私たちが彼らから学ぶべきことがあるとすれば、上っ面をどれだけ立派に整えるかということなどではなく、上っ面をどれほど立派に整えても、中身が伴っていなければ何の意味もないということであると、くどいようですが改めて強調しておきたいと思います。


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韓流は韓国の政治的ツールです

時々思うことに、日本人の韓流ファンがどの程度韓国と韓国人を理解しているのだろうか、という疑問があります。

韓国がどんなに反日であっても、ご贔屓の韓国芸能人がどれほど猛烈な反日思想の持ち主であっても、私が好きなのは韓国芸能人の「芸」であって、韓国芸能人本人の中身やバックグラウンドではないので、全く気にしないと断言出来る日本人の韓流ファンは、どの程度いるのでしょうか。

以前から何度も言っておりますが、全ての(厳密に言えば初等教育以上の教育を受けた)韓国人は反日です。ただしそれは、日本人から見た場合の話であって、韓国人の主観としては反日ではありません。

韓国では、「日本が絶対悪」ということが真理であり戒律です。それこそが日本人から見れば反日なのですが、韓国では道徳です。ですから、日本を糾弾したり罵ったり、あるいはどれほど日本が悪くて間違ってるかということを、無知な日本人に懇切丁寧に粘り強く説明して、ひとりでも多くの日本人に日本が絶対悪であることを認めさせ、生まれながらに悪い日本人としての自覚を持たせ、悔い改めさせることは、韓国人にとっては「反日」などではなく、極めて道徳的な行為なのです。

更に言えば、韓国人の希薄なアイデンティティは、日本を否定することで保たれています。それは、日本に出稼ぎに来ているような韓国芸能人ならば、なおさらです。

ネットが普及した今日、日本での発言だからと言って韓国に聞こえないということはありません。うっかり日本を肯定するようなこと(韓国人にとって「日本を肯定するようなこと」は、「韓国人的に正しい条件」を付さない限り「韓国を否定するようなこと」になります)を言えば、それはほぼリアルタイムで韓国に伝わります。一度「あいつは日本に媚びを売っている」というレッテルを貼られると、韓国では凄まじいバッシングを受けることになるでしょう。

ですから、日本人のファンにどれほど親日的な態度を見せても、韓国芸能人は100%反日思想を持っています。持っていなければならないのです。

そういう部分も込みで、韓国芸能人を受け入れ、好んでいるという日本人韓流ファンというのは、どの程度存在するのでしょうか。

私見では、極めて少ないと思います。

まず、韓国芸能人なんかにハマる連中のほとんどは、たとえ生粋の日本人であっても、中身は朝鮮人と大差ありません。つまり、薄くて浅くて上っ面です。ちょっと昔の言葉で言えば、「ミーハー」という言葉がぴったりの連中です。

そんな連中ですから、韓国芸能人の見た目や音楽などの上っ面に惹かれているだけで、その中身やバックグラウンドに関心など、最初から最後までありません。韓国芸能人が反日であるかどうかなど知らないでしょうし、知ろうともしないでしょうし、知りたくもないでしょう。

そういう人々が、韓流ファンの大部分を占めるのではないかと思います。

そもそも「韓流」とは何でしょうか。

私はあまり韓流芸能に詳しくありませんが、仄聞するに、韓国らしさをほとんど感じさせない音楽やダンス、時代考証を完全に無視した時代劇、ご都合主義でワンパターンのドラマなどが、今日の「韓流」だそうです。

単に韓国芸能人が歌ったり踊ったり芝居をしたりするだけの話で、そこに「韓国らしさ」というものはあまり見当たりません。多少あっても、そのほとんどは嘘や偽物だったりします。

そういう「嘘や偽物を見せること」が「韓国らしさ」であると理解し、且つ好んでいると言うのなら、それは正しく韓流ファンと言えるかもしれません。が、ほとんどの「韓流ファン」は、そういう「嘘や偽物」にまんまと騙されているだけなのです。

蓼食う虫も好き好きと言います。一億二千万余りもいる日本人の中に、「嘘や偽物」であっても、そういうものを好む人が一定数いるのはしかたありません、と言いたいところですが、韓国に関しては、たとえ芸能という嗜好品であっても、日本人が無邪気に近寄るのは危険という現実があります。

嫌韓をやっていると、親韓や韓流ファンの言動を目にすることが時々あります。

最もよく見かけるのが、「私たちは純粋にホニャララ(お好きな韓流芸能(人)の名前を入れてください)が好きなだけで、日韓問題には関心がないし、関係ないことだ。韓流を日韓の政治的問題と結び付けられるのは迷惑だ」という御託です。

それは確かにそうでしょう。日韓問題に関心があれば、韓流芸能人になどご執心になれるはずがありません。韓流ファンであると自他共に認めるということは即ち、日韓問題に極めて無関心であるという証左と言って良いのです。

しかし、韓流と日韓問題は無関係だなどというのはあくまで日本人側の一方的な解釈であって、韓国側の考えは全く違います。韓国側は積極的且つ確信犯的に、韓流を政治的に利用しています。日本人側は、単にそれに対抗しているだけなのです。韓国側が韓流を政治利用しているのに、日本人側に「韓流を政治と結びつけるな」と言うのは、韓国側の攻撃に対して日本側は無防備になれと言うに等しいでしょう。

日本人が韓流にハマるということは、韓流にハマった日本人側の思惑が何であれ、韓国側ではそれを政治的なポイントとしてカウントするということになりますし、日韓が対立した時、ご贔屓の韓国芸能人が韓国側への加担を求めれば、深く考えずに韓国に利する日本人韓流ファンというのの割合は、結構高いのではないでしょうか。実際、日本人に向かって「韓流を政治や日韓問題と結びつけるな」と言うだけで、十分韓国に利することになるのです。

日本各地で慰安婦問題のポスターをゲリラ的に掲示しようと煽動する韓国歌手などはまちがいなく、日本における韓流を頼みにしているはずです。

韓流にハマるということは、韓国側から韓国に加担することを期待されるようになるということ、刺激的な言い方をすれば、韓国側の工作員となることを期待されることだということを、日本人韓流ファンは知っておくべきだと結びたいところですが、おそらく韓流にハマるような連中には、言っても理解出来ないだろうとも思います。

ですので、韓流ファン当人たちはしかたないとしても、その周辺の方々は、韓流ファンから発せられる工作に巻き込まれないよう、どうぞお気をつけください。


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日本人には理解し難い韓国人の対日感情

2月22日の「竹島の日」に向けて、弊ブログは本年も「竹島プロジェクト」に参加します。ご自身のブログをお持ちの方、あるいはSNS日記などをご利用の方で、主旨にご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、是非ご参加をお願いしたいと思います。

難しいことは全くありません。「竹島プロジェクト」で参加表明をして、ご自身のブログや日記に「竹島プロジェクトに参加します」と表示するだけでOKです。嫌韓や政治と全く無関係でも問題ありません。音楽や料理、アニメや旅行など、どんな分野のブログでも全く問題ありません。むしろそういう人にこそ、ご参加をお願いしたいと思います。

さて、本日の御題に入りたいと思います。

親しい韓国人がいるとか、韓国人にも尊敬出来る人がいるとか言う日本人がいるとします。嫌韓意識の全くない人なら、「( ´_ゝ`)ふーん」と思う程度でしょうけれど、嫌韓(※弊ブログでは、【嫌韓】と【嫌韓厨】は峻別しております)の人がそれを聞けば、不快感というほどではなくても、何かしらもやっとした気持ちになるのではないでしょうか。

私も親しく話す韓国人がいますし、韓国人にも尊敬し得る人がいる可能性があることを知ってはいますが、他人がそう言ってるのを聞いたり、そう書いてるのを見れば、何か腹の底に黒い靄が掛かるような気がします。

その心持ちを数倍して更に煮詰めたものが多分、日本に出稼ぎに来ている韓国芸能人などが日本を褒めたり認めたりするようなことを言うのを聞いた時の、韓国人の感情と似ているのではないかと思います。

日本人の場合は、相当激しい嫌韓でもそれだけでいきなり激怒したりするほどのことはありませんし、ちょっと嫌韓感情があるという程度なら、あからさまにその感情を表に出すこともないでしょう。何故なら、日本では他者を嫌うことは、あまりよろしい感情ではないというのが共有感覚としてあるからです。

日本では、うっかり誰かを嫌いだと言えば、嫌われてる人よりも嫌ってる人の方を非難する傾向が強いと感じております。条件次第では、誰かを嫌いだという意識を複数の人々に共有してもらうことも可能ではありますが、そういう意識を共有した人々を何も知らない人が見れば、それは「いじめ」に見えてしまうこともあり、そうなるとやはり非難の対象になります。

ところが韓国では、「日本が絶対悪」という「真理」があります。これは共有感覚などというゆるいものではありません。天が上にあり、大地が下にあるのと同じぐらいの常識、あるいは戒律と言って良いでしょう。韓国人にとってそれを破ることは禁忌であり、それを守らぬ者は民族の敵なのです。ですから韓国人が「日本を嫌いだ」と公言してもそれは、韓国では全く非難の対象にはなりませんし、TPO次第では賞賛さえされます。

もちろん、現実には日本や日本人に好意的な韓国人はたくさんいます。しかし、それは彼らなりの正当化が行われた結果なのです。例えば、「日本に学べ」という意識があります。これは韓国人の民族的意識と言っても良いほどですが、その意識は「日本の文化は、元はといえば韓国が伝えたもの」という、これまた彼らの民族的意識によって正当化されております。

日本人を見ると、「私は日本が好きです」と言ってくる韓国人も珍しくありません。ですが、そんな彼らに対して日本人が「私は韓国が嫌いだ」と答えると、彼らは天が落ちてきたかのように驚愕します。

基本的に日本人は、他者や他国を嫌いだと明言しない傾向が極めて強いということもありますが、同時に、韓国人はほとんど無意識に、「日本人が韓国を好きなのだから、韓国人も日本を好きになってやっても良い」と考えているからなのです。

もし韓国人が「日本を好きだ」と言えば、韓国人は日本人がサッカー部のキャプテンから思いがけず告白された不細工でぱっとしないドジでノロマな女子高生みたいな反応をすると、強く期待しているのです。

ですから例えば、日本人ファンに対する韓国芸能人の態度は、決して悪くありません。韓国芸能人らは、皇帝に貢物を持って三跪九叩頭する臣下を見るような目で、日本人ファンを見ているのです。日本人ファンが韓国芸能人に恭順の態度を示す限り、彼らは徳に満ちた慈悲深い支配者のような心持ちで日本人ファンに接するでしょう。

その意識は、別に韓国芸能人に限りません。日本人が日本人としては常識的な態度、すなわち他者を尊重し、自らはへりくだるという態度を見せれば、それは韓国人の目には、支配者に対する臣下の恭順の姿勢に映るのです。

そこでもし日本人が、韓国人と対等以上の意識や態度を見せれば、彼らの親しげに見えた態度が実は、徳の高い支配者を装っていた態度だということを露呈するでしょう。

本心から日本を認める韓国人も、少数ですが存在します。ただ、それはそれでまたややこしいのです。

韓国人にとって、日本人を認めることは、すなわち韓国を否定することになるからです。また、そういう韓国人は生半可な嫌韓日本人以上に激しく韓国と韓国人を貶めます。普通の日本人が聞けば居心地が悪くなるぐらい日本を褒めそやし、日本を無条件で認めない韓国や韓国人を馬鹿にします。そういう韓国人は、そうすることで自らが否定する韓国を脱し、自らが認め賞賛する日本人の仲間入りが出来ると考えているのです。

この辺りの感覚は、日本人には俄にわかりづらいでしょう。実際に韓国人と接してみても、なかなか気づくことは出来ません。時々感じる違和感や引っ掛かりも、文化差だと思ってしまうでしょう。実際それは、一種の文化差と言えなくもないものですし。

この辺りの感覚は、在日が「我々は韓国人でもなく、日本人でもなく、在日という民族である」と言うのと通じる部分があると思います。どちらも、「アイデンティティの確立のためには、日本を徹底的に否定しなければならないが、そのために日本という存在が絶対的に必要不可欠である」という矛盾を抱えています。

日本人が韓国人と接するということは、彼らが抱えるその矛盾に直に接触することになります。それを十分理解していれば、彼らの奇妙な意識や態度も多少は理解出来なくもないでしょう。仮にそれを理解出来たとしても、韓国人のそういう意識や態度から感じる不快感まで許容出来るかどうかは別問題です。

その不快感を許容してまで付き合わねばならない必然性がある場合はしかたありませんが、もしその必然性がないのであれば、可能な限り日本人と韓国人は接触しない方が、少なくとも日本人側の精神衛生にとって良いということは断言しておきます。


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おせちに飽きたら雑煮を食べよう

先だって、コメント欄で教えていただいた伊豆下田市の田坂市議のブログで見たのですが、年が明けてからのテレビでは「おせちに飽きたら韓国料理」と言ってるそうです。かつて「おせちも良いけどカレーもね」というCMが受けたので、二匹目のドジョウを狙っているのでしょう。

カレーはからいし、独特の香りも強い。一般的に韓国料理もからいし、やはり独特の臭いがあります。カレーが受けたんなら、韓国料理だってと考えたのかもしれませんが、そもそも韓国料理とは何でしょうか。

日韓チャットで韓国人と話してて盛り上がらないテーマはたくさんありますが、その中でも食べ物話は筆頭クラスです。

彼らの食に対する関心は、基本的に「食べたかどうか」であって、あとは自分がそれを好きか嫌いか、食べて美味しかったか不味かったかまでです。その料理の材料が何だとか作り方がどうだとか、どこの店のが美味いとかこんな調理法で作ってみたとか作ってみようとか、そういう話になることはほぼありません。

なので日本人があれこれ突っ込むと、彼らはみるみる不機嫌になります。細かいことを気にする肝の小さいチョッパリめと思っているのが丸わかりの態度を見せるのです。

だから韓国人から、韓国料理とはどういうものかを聞けた例はありません。

個人的には「韓国料理」という言葉にも強い抵抗を覚えます。

「韓国」は建国からまだわずかに60年余であり、その内の30年ぐらいはとにかく食えるものがあれば御の字という状態だったのですし、更に言えば今でも韓国では料理人を蔑む傾向が強いのです。

韓国で飲食店を営む韓国人は多いのですが、儲かればすぐに店を畳んでしまいます。韓国にも30年続いていると自称する店は多々あるでしょうが、本当に創業以来の伝統を引き継いでいる店は、韓国全土でも数えるほどしかありますまい。

つまり韓国では「伝統」の料理があったとしても、非常に受け継がれ難いのです。そんな国で、「韓国料理」などと銘打てるような料理が成立するのかどうか、甚だ疑問なのです。

日本では、「韓国風」と名付けた料理にはたいてい唐辛子、ごま油、にんにくが用いられます。赤くてからくてにんにく臭ければ、だいたい「韓国風」になります。特に「からい」というのは最も強調されるポイントです。それも必ず塩辛さではなくピリ辛の方です。だからピリ辛でない韓国料理にはわざわざ「これはからくありません」と前置きするほどです。

ですが、ご存知の通り唐辛子は南米原産であり、秀吉の大陸進出に伴って朝鮮半島に伝わったとされます。それまでの朝鮮半島には唐辛子はありませんでした。つまり、唐辛子は伝統的な朝鮮半島の食材ではありません。実際、李朝の宮廷料理と言われるものに、ピリ辛料理はなかったはずです。

何故韓国で、唐辛子が盛んに用いられるようになったのでしょう。理由は幾つもあるでしょうが、やはり味を「ごまかす」のに、最も効果的だったからではないでしょうか。

塩を入れ過ぎた料理は食べられたものではなくなりますが、唐辛子なら相当入れ過ぎても、からさに耐えらる者ならば食べられます。それどころかからさで舌が麻痺してしまうので、多少難のある食材を用いてもわかりにくくなります。ですからもしそういう素材を使うのであれば、唐辛子を入れ過ぎるぐらい入れた方が食べやすくなるかもしれません。

更に「ビビンバ」で顕著に見られる、彼らの混ぜ混ぜ癖があります。彼らは「混ぜることで美味しくなる」と言い張りますが、それが事実であれば何故最初から混ぜて提供しないのかという話になります。

そういうと韓国人は、それは各自で好みの混ぜ加減があるからだと減らず口を叩きますが、ならば日本人がビビンバを混ぜずに食べようとすると、その器を奪ってでも混ぜようとするのは何故なのでしょうか。彼らには各自の好み以前に、「絶対に混ぜなければならない」という強迫観念があります。

それは混ぜることで、多少難のある食材を用いていても、わからなくなるからだと以前にも述べたことがあります。

つまり唐辛子と言い、彼らの混ぜ混ぜ癖と言い、要は「韓国料理」というものは「ごまかし」料理と言っても良いかもしれません。

おせちは、新年を寿ぐ意味を持つと同時に、三が日程度ならばこの時期の常温下にあっても傷みにくいように工夫して作られたものです。対する「韓国料理」は、半ば腐りかけた食材や、食材として適切でないものであってもごまかすことで食べられるようにしたものです。

おせちは作り置きですから変化がありません。ですので3日も食べれば確かに飽きますが、だからと言ってその代わりに「ごまかし」料理を食うのは、正月早々験の悪いことだと思う次第です。



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「今の韓国・北朝鮮」がわかる本を読んで

新年あけましておめでとうございます。本年も、ブログ月見櫓をよろしくお願いいたします<(_"_)>

年末年始にかけて私は、何気なく70~90年代のフォークソング・ニューミュージック系を聴き漁っております。たかじん、歌うめえ(本業歌手なんだから当たり前ですがw)。

さて年初から、オウム真理教の元幹部で監禁致死事件の容疑者平田信が出頭したとかいうニュースが飛び込んできました。オウム真理教の教祖麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が朝鮮系ということや、金正日死亡直後というタイミング的なものもあって、北朝鮮との関連を疑う人も結構いるようですが、個人的にこの件と朝鮮半島との関わりは、あまりあるとは思っていません。

朝鮮半島関連というものは、何事につけ「陰謀」や「奸計」との親和性が高いので、謎の多い事件で、しかも多少なりとも朝鮮関連の要素があると、ついそういう疑いを持って見てしまう気持ちになってしまうのは、とてもよくわかります。

ただ、「陰謀」という言葉は、魔法の呪文のようなもので、みだりに使い過ぎるとそこで思考停止してしまう危険性の高い言葉でもあると思います。

日本人が韓国を見ると、こんなに無茶苦茶で理不尽で自分勝手で非道徳的で図々しい不快で非合理的な国もないと思います。ところが、並べて見ると韓国がまともに見えてくるほど輪をかけて無茶苦茶なのが、北朝鮮です。陰謀論でも持ち出さないと、到底説明がつかないことも少なくありません。

実際のところ、北朝鮮に関しては多くの「陰謀」があると思います。ですが、それらを正確に把握することは、少なくとも普通の民間人にはまず不可能でしょう。国家規模の「陰謀」が、普通の民間人に得られる情報の範囲内でわかるようなお粗末さでは、とても「陰謀」とは言えません。

基本的に「陰謀」というものは、明らかになるまでは推理するしかありません。推理は、十分な材料が揃っていれば、「陰謀」に対する有効な対策になり得ます。あるいは、シャーロック・ホームズ並の卓越した推理力があれば、少ない材料からでも、的確な推理を行なうことが可能でしょう。

けれどそのどちらも不十分な場合、つまり少ない材料と貧弱な推理力で陰謀について考察すれば、それは「疑心暗鬼を生ず」という状態になります。木を隠すならば森と言いますが、陰謀を隠すならば疑心を抱く者が撒き散らす妄想の中が最も最適でしょう。

仮にその中にたまたま「陰謀」について的確に言い当てているものがあるとしても、大量の的はずれな推理や考察に基づく妄想がそれを覆い隠してくれます。それは「陰謀」を企てる側にとっては、大変望ましいものだろうと思います。ある意味、「陰謀」を企てる側に加担することと言えなくもありません。

私はごく普通の、無名で無力な民間人ですから、情報もそれに見合うレベルと量のものしか手に入りません。推理力はと言えば、シャーロック・ホームズの爪の垢ほどもないでしょう。

そんな人間が下手に「陰謀」について語れば、妄想を撒き散らすことになるのは火を見るより明らかです。ですので、私はあまり「陰謀」を前提としたお話はしないようにしております。気をつけていないと、つい言いたくなるものなんですけどねw

そういうわけで、少しでも情報を集めて考察のよすがとするため、先日買った本が重村智計著【最新版「今の韓国・北朝鮮」がわかる本】です。

この本は金正日の死亡が明らかになる前に書かれたもの(2011年6月10日第一刷発行)ですが、北朝鮮関連についてはそれを踏まえて読むと、かなり興味深いものがあります。

内容は非常に盛りだくさんです。私もまだ詳しいレビューを書けるほど読み込んではおりませんが、今後の朝鮮情勢をウォッチするための基礎知識を得るには、かなり良い本ではないかと思います。

最終章で著者は、「韓国と北朝鮮の取材は、現地の新聞が書けない真実と、政府が発表しない事実を捜し出す作業だ。報道され、公に知られた情報は、疑わしかった。どうしたら、真実を取材できるのか。本当の事実を知ってる人を、見つけ出すことだ。これが、韓国・北朝鮮取材のやり方だった」と述べています。

また「真実を知る人は「書かない」と約束すると、話してくれる。ストレート・ニュースでは書けないから、解説を書く時に記事の中にもぐりこませた。「書くなよ」といって話す人もいる。これは「書いてもいいが、自分に迷惑をかけないでくれ」との意味だ。だから、ニュース・ソースがわからないように、記事を工夫した」と赤裸々に述べます。

つまるところ、朝鮮半島関係の情報というのは、情報そのものと共にこういう機微が必要ということでもあります。それを正直に書いてる点に、誠実さを感じました。

ただひとつ、この本の最終章では、著者の韓国人・北朝鮮人に対する親愛の情も隠さず披露していますが、この点については、私は批判的にならざるを得ません。

現実問題として、その国を知るためには、その国の人と親しくならなくては不可能です。私にしても、親しく話す韓国人の知人はいます。

しかしそういう韓国人ひとりに巡り会うまでに、どれほど多くの量産型韓国人に翻弄され困惑させられたことでしょうか。それもまだ、チャットというインターネットを介した邂逅であっただけマシだったと思います。現実であれば、更に酷い思いをする羽目になったであろうことは、極めてリアルに想像出来ます。

チャットであれリアルであれ、普通の韓国人なら最初のうちは「良い人」を装うものです。ですから知人に紹介された韓国人とちょっと一緒にメシを食いながらとか、酒でも飲みながら話す程度なら、「なんだ、韓国人でも良い人多いじゃん」と感じる方が普通でしょう。

しかしそんな韓国人と100人200人会って話をしても、彼らの腹の底が見えることなどあるはずがありません。彼ら自身でさえ、自分たちの腹の底にあるものを見ないようにしているのですから。

韓国人・北朝鮮人とは、何があっても断じて親しくなるなとは言いません。ただ韓国人・北朝鮮人と親しくなるならば、彼らの性癖を十分理解してからにしなければ、あまりにも危険だと思うのです。彼らは、上っ面だけ見れば日本人に近似しているように見えますが、一皮剥くとあまりにも私たち日本人と何もかもが異なる生き物なのです。それを理解せずに彼らに近付くことは、家庭犬に接するのと同じ心づもりで野生の狼に近付くのと等しいものがあると思います。

この「親しくなるならば、彼らの性癖を十分理解してから」ということも、「朝鮮半島関係の情報に接する際の機微」のひとつであり、韓国人・北朝鮮人に対する親愛の情を最終章で披露したのも、この本をここまで読んだ人ならその機微に気づくだろうという著者の思惑なのかもしれませんが、果たしてこの本を一読した程度でそこまで読み切れるようになるだろうか、そこまでを読者に期待するのは酷ではあるまいか、ということが、この本を一読し終えた現在の感想です。



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