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日本人には理解し難い韓国人の対日感情

2月22日の「竹島の日」に向けて、弊ブログは本年も「竹島プロジェクト」に参加します。ご自身のブログをお持ちの方、あるいはSNS日記などをご利用の方で、主旨にご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、是非ご参加をお願いしたいと思います。

難しいことは全くありません。「竹島プロジェクト」で参加表明をして、ご自身のブログや日記に「竹島プロジェクトに参加します」と表示するだけでOKです。嫌韓や政治と全く無関係でも問題ありません。音楽や料理、アニメや旅行など、どんな分野のブログでも全く問題ありません。むしろそういう人にこそ、ご参加をお願いしたいと思います。

さて、本日の御題に入りたいと思います。

親しい韓国人がいるとか、韓国人にも尊敬出来る人がいるとか言う日本人がいるとします。嫌韓意識の全くない人なら、「( ´_ゝ`)ふーん」と思う程度でしょうけれど、嫌韓(※弊ブログでは、【嫌韓】と【嫌韓厨】は峻別しております)の人がそれを聞けば、不快感というほどではなくても、何かしらもやっとした気持ちになるのではないでしょうか。

私も親しく話す韓国人がいますし、韓国人にも尊敬し得る人がいる可能性があることを知ってはいますが、他人がそう言ってるのを聞いたり、そう書いてるのを見れば、何か腹の底に黒い靄が掛かるような気がします。

その心持ちを数倍して更に煮詰めたものが多分、日本に出稼ぎに来ている韓国芸能人などが日本を褒めたり認めたりするようなことを言うのを聞いた時の、韓国人の感情と似ているのではないかと思います。

日本人の場合は、相当激しい嫌韓でもそれだけでいきなり激怒したりするほどのことはありませんし、ちょっと嫌韓感情があるという程度なら、あからさまにその感情を表に出すこともないでしょう。何故なら、日本では他者を嫌うことは、あまりよろしい感情ではないというのが共有感覚としてあるからです。

日本では、うっかり誰かを嫌いだと言えば、嫌われてる人よりも嫌ってる人の方を非難する傾向が強いと感じております。条件次第では、誰かを嫌いだという意識を複数の人々に共有してもらうことも可能ではありますが、そういう意識を共有した人々を何も知らない人が見れば、それは「いじめ」に見えてしまうこともあり、そうなるとやはり非難の対象になります。

ところが韓国では、「日本が絶対悪」という「真理」があります。これは共有感覚などというゆるいものではありません。天が上にあり、大地が下にあるのと同じぐらいの常識、あるいは戒律と言って良いでしょう。韓国人にとってそれを破ることは禁忌であり、それを守らぬ者は民族の敵なのです。ですから韓国人が「日本を嫌いだ」と公言してもそれは、韓国では全く非難の対象にはなりませんし、TPO次第では賞賛さえされます。

もちろん、現実には日本や日本人に好意的な韓国人はたくさんいます。しかし、それは彼らなりの正当化が行われた結果なのです。例えば、「日本に学べ」という意識があります。これは韓国人の民族的意識と言っても良いほどですが、その意識は「日本の文化は、元はといえば韓国が伝えたもの」という、これまた彼らの民族的意識によって正当化されております。

日本人を見ると、「私は日本が好きです」と言ってくる韓国人も珍しくありません。ですが、そんな彼らに対して日本人が「私は韓国が嫌いだ」と答えると、彼らは天が落ちてきたかのように驚愕します。

基本的に日本人は、他者や他国を嫌いだと明言しない傾向が極めて強いということもありますが、同時に、韓国人はほとんど無意識に、「日本人が韓国を好きなのだから、韓国人も日本を好きになってやっても良い」と考えているからなのです。

もし韓国人が「日本を好きだ」と言えば、韓国人は日本人がサッカー部のキャプテンから思いがけず告白された不細工でぱっとしないドジでノロマな女子高生みたいな反応をすると、強く期待しているのです。

ですから例えば、日本人ファンに対する韓国芸能人の態度は、決して悪くありません。韓国芸能人らは、皇帝に貢物を持って三跪九叩頭する臣下を見るような目で、日本人ファンを見ているのです。日本人ファンが韓国芸能人に恭順の態度を示す限り、彼らは徳に満ちた慈悲深い支配者のような心持ちで日本人ファンに接するでしょう。

その意識は、別に韓国芸能人に限りません。日本人が日本人としては常識的な態度、すなわち他者を尊重し、自らはへりくだるという態度を見せれば、それは韓国人の目には、支配者に対する臣下の恭順の姿勢に映るのです。

そこでもし日本人が、韓国人と対等以上の意識や態度を見せれば、彼らの親しげに見えた態度が実は、徳の高い支配者を装っていた態度だということを露呈するでしょう。

本心から日本を認める韓国人も、少数ですが存在します。ただ、それはそれでまたややこしいのです。

韓国人にとって、日本人を認めることは、すなわち韓国を否定することになるからです。また、そういう韓国人は生半可な嫌韓日本人以上に激しく韓国と韓国人を貶めます。普通の日本人が聞けば居心地が悪くなるぐらい日本を褒めそやし、日本を無条件で認めない韓国や韓国人を馬鹿にします。そういう韓国人は、そうすることで自らが否定する韓国を脱し、自らが認め賞賛する日本人の仲間入りが出来ると考えているのです。

この辺りの感覚は、日本人には俄にわかりづらいでしょう。実際に韓国人と接してみても、なかなか気づくことは出来ません。時々感じる違和感や引っ掛かりも、文化差だと思ってしまうでしょう。実際それは、一種の文化差と言えなくもないものですし。

この辺りの感覚は、在日が「我々は韓国人でもなく、日本人でもなく、在日という民族である」と言うのと通じる部分があると思います。どちらも、「アイデンティティの確立のためには、日本を徹底的に否定しなければならないが、そのために日本という存在が絶対的に必要不可欠である」という矛盾を抱えています。

日本人が韓国人と接するということは、彼らが抱えるその矛盾に直に接触することになります。それを十分理解していれば、彼らの奇妙な意識や態度も多少は理解出来なくもないでしょう。仮にそれを理解出来たとしても、韓国人のそういう意識や態度から感じる不快感まで許容出来るかどうかは別問題です。

その不快感を許容してまで付き合わねばならない必然性がある場合はしかたありませんが、もしその必然性がないのであれば、可能な限り日本人と韓国人は接触しない方が、少なくとも日本人側の精神衛生にとって良いということは断言しておきます。


※お知らせ※
2月22日の「竹島の日」に向けて、弊ブログでは、ブログ「さくらのみや日記」執筆者の佐倉純様主催「2012年竹島プロジェクト」に参加しております。
2月22日の「竹島の日」までの期間限定で、弊ブログでは竹島プロジェクトに賛同し、竹島は日本領土であることを改めて強く主張し、島根県の「竹島の日」を応援します。


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