学ぶべきは上っ面ではない
無論、日本人でも「不本意だがそうせざるを得ない」と考えることはよくあります。ですがその場合は、「そうせざるを得ない」ということを十分納得した上で行なうはずです。もし、何が何でもどうあっても、それをすることは不本意だと言うのであれば、それをしないことによる不利益も甘受するのが普通ですし、周囲の人々もそれで当然と思うのが普通です。
しかし韓国人の場合は、「それをすることは不本意だが、それをしないことによる不利益も甘受したくない。よって、不本意だがそれを行なう。だが、それをするのは何が何でもとことん不本意だ」という意識であり、周囲もそれを疑問視しません。
例えば、狂牛病騒ぎの時の韓国人の言い分がまさにそうでした。当時の韓国では、韓国人は狂牛病に罹りやすいなどという風評が流れ、牛肉だけでなく、牛由来成分の入ってるものなら紙オムツからでも感染すると大騒ぎしていたということは、以前にも書いたことがあります。
その当時、日韓チャットで「そんなに狂牛病が心配なら、牛肉を食べなければいいし、牛由来成分は成分表示を見ればわかるから、それも避けられるのに、何故そうしないのか」と私が言えば、韓国人は憤然として、「売っていれば買わないわけにいかないし、買えば食べないわけにいかない、使わないわけにいかないじゃないか」と答えるのです。
そんな馬鹿な話はありません。何であれ、品名が明示されていれば、それを買う買わないは消費者の自由意志です。ただ品物を売り場に並べておくだけで、買いたくないと考えてる者にも買わせることが出来るなら、テレビCMも新聞広告も折込チラシもネットの広告バナーも必要ありません。
こういう話は、韓国においては枚挙に暇がありません。
最近見た在韓日本人のブログで、「KTXの安全性に疑問を感じる」という話がありました。KTXの安全性に疑問があるのは、嫌韓や韓国ウォッチャーの間では運用開始前からの常識ですが、どうやら一般的な韓国人は、比較的最近までKTXの安全性にほとんど疑問を持っていなかったようです。
しかし運用開始以来、毎日のように何らかのトラブルが起きていることが報道され、つい最近、一歩間違えれば大惨事になりかねない事故があり、韓国人もやっと心配になってきたのでしょう。
ところが、KTXの安全性に疑問を感じるならば、状況が改善されるまで別の交通手段を考えるのかと言えば、一般的な韓国人のマインドでは、「ソウルからプサンに行くのにはやはりKTXが速いので、乗らないわけにいかない」と言って、相変わらずKTXに乗り続けるようなのです。
それでKTXに自分が乗っている時に大事故が発生しても、その場合はしかたないという覚悟で乗り続けるのであればいっそ天晴れです。が、「乗客として出来る安全対策はほとんどない」「運を天に任せるしかない」ということで、結局は「それほど深刻な問題でもないのか?」と感じなくもないと言いますから、実際に大惨事が発生するまで韓国人が問題を直視することはないのでしょう。
そう言えば、大きな台風が来るという予報されていても、ほとんどの韓国人が対策らしい対策をせず、結果酷い被害が出るというのも、韓国では秋の風物詩のようなものです。
そうし続ければ、問題が起きたり事故の可能性があると十分予見されていても、それが現実のものとなるまではケンチャナヨで継続し、いざそれが現実化して自分が被害を受けると、「だからそれをするのは不本意だったのだ」と喚き散らすのは、ある意味朝鮮の伝統的な行動様式ですが、21世紀が始まってから干支が一回りした今日も、その様式は健在のようです。
どんなに優れた安全対策を講じても、それを実行するための完璧なマニュアルを作成しても、実際に運用する連中がこれでは全く意味がありません。こんな国に安全対策を学べなどと言う愚か者の目には、ウリナラマンセコンタクトレンズでも入っているのでしょうか。
私たちが彼らから学ぶべきことがあるとすれば、上っ面をどれだけ立派に整えるかということなどではなく、上っ面をどれほど立派に整えても、中身が伴っていなければ何の意味もないということであると、くどいようですが改めて強調しておきたいと思います。
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