韓国人は嘘つきだが正直?
私はこれまで歴史通を読んだことがなかったのですが、月見チャットの参加者から、2012年3月号で古田博司氏が「あの、朝鮮民族と付き合う方法」という稿を寄せているという話を聞いたので、購入して読んでみました。
古田博司氏は、北朝鮮の専門家ですが、北朝鮮専門家ということは、必ず韓国に関しても深い造詣があるということです。朝鮮半島関連の資料を一定量読んだことのある人ならば、一度はこの人の書いたものを読んでいるのではないでしょうか。
まず「あの、朝鮮民族と付き合う方法」という記事が月見チャットで話題になった時、最初に言われたのは「韓国人は嘘つきだが正直なのです」というのが面白かったという感想でした。
その時点で私はまだ、「あの、朝鮮民族と付き合う方法」という記事を読んでいなかったのですが、「韓国人は嘘つきだが正直だ」というのは確かに言い得て妙な表現だと思いました。もっともこれは、韓国人の習性をある程度知った者にはなるほどと思わせることができる表現ですが、一般的にはかなり語弊のある表現でもあると思いました。
次に思ったのは、「あの、朝鮮民族と付き合う方法」というお題であれば、まず最初に「可能であれば付き合わないのが一番」と書いておくべきだろうということです。
また、当該記事中で古田氏は「韓国人との口喧嘩のやり方」についても述べておられます。それは氏が「全面肯定反転畳み返し」と名付けたやり方です。
月見チャットで話題になった時点で私たちは、「全面肯定反転畳み返し」という話法の詳しい内容については全く聞かなかったのですが、ネーミングからその手法は容易に想像が付きました。ですので、「ある程度韓国人を知れば、そういう遊び方も出来るけどね。生兵法は大怪我するから、オススメしないw」と半ば茶化して答えました。
ともあれ、古田氏の話であればきっと何か参考になるものがあるだろうと思い、私も歴史通の3月号を購入して読んでみました。
「あの、朝鮮民族と付き合う方法」という記事は、講演か何かを文字に書き起したものだろうかと思わせる文体のものです。内容はいくつかの項目に別れており、それぞれ含蓄に富んだお題が盛られておりますので、関心のある方は是非歴史通3月号を購入するなり立ち読みするなりして、一度目を通されても良いのではないでしょうか。今回お題にさせていただいた記事以外の記事も大変興味深いものがあり、韓国関連に関心のある人ならば、読んで損はしないと思います。
ともあれ「あの、朝鮮民族と付き合う方法」という記事を読んで思ったことは、「これは朝鮮関連エキスパートの朝鮮人取り扱い説明である」ということです。例えば前述の「全面肯定反転畳み返し」という韓国人との対話法ですが、これはやはり「僕は韓国人には絶対に負けないので。」と豪語する古田氏ならではの対話法であって、一般的には全くお勧め出来ません。難易度がかなり高く、失敗すると間違いなく大怪我をします。
今回のお題にさせていただく「韓国人は嘘つきだが正直」という表現にしても同様です。
この「韓国人は嘘つきだが正直」というフレーズは、「あの、朝鮮民族と付き合う方法」という稿の中で何度も出てくる言葉ですが、多少なりとも韓国人を知った人ならば理屈ではなく体感的に理解出来る言葉ではないかと思います。
とにかく韓国人は嘘をつきます。嘘をついていないと窒息するのだろうか思うぐらい、必要不必要に関わらず嘘をつきます。韓国人と話していると、何故そこでそんな嘘を?とか、何のためにそんな嘘を?と思うことは頻繁にあります。
韓国人のつく嘘は、往々にして極めて幼稚で単純です。いわゆる「見え透いた嘘」なのです。その嘘があまりにも見え透き過ぎていて、「まさかここまで見え透いた嘘を、仮にも文明国人然としたある程度の年齢の人が、こんなにも堂々とつけるはずがない」と思って、信じてしまいそうになるほどです。実際、それがために韓国人に騙されてしまう日本人は少なくないと思います。
これを韓国人に対する愛情にあふれた表現で言うならば、「嘘つきだが正直」となるのでしょう。嘘であることを隠しもせずに嘘をつくのですから。
私は韓国人を「嘘つきだが正直」表現することが間違っているとは言いません。しかし、これは多分に誤解を招くと言うか、危険な表現でもあるとは思います。これを聞いて単純に「韓国人は嘘つきだが正直なのか」などと早飲み込みしてしまえば、相変わらず日本人は韓国人に煮え湯を飲まされ続けることになるでしょう。
ならば、「韓国人は根が単純で嘘も隠し事もからっ下手だが、徹底した嘘つきだ」と説明する方が、一般的な日本人には親切ではなかろうかと思った次第です。
韓国と関われば煮え湯を飲む羽目になる
しかしいまだに、韓国に希望や期待を持つ日本人の方が圧倒的多数派なのでしょう。
何度煮え湯を飲ませても日本人は一向に懲りないのだから、日本人に煮え湯を飲ませようとする韓国人は絶えることがありません。
日本人が韓国人に転がされる場合、一番よくあるパターンで、被害も比較的軽いものとしては、「韓国はもう反日ではない」という主張でしょうか。
韓国の反日は、韓国人の主観で言えば抗日であり克日です。朝鮮戦争によって荒廃し、食べる物着る物にさえ事欠いた時代は、既に韓国人自身でさえ忘れ果てています。今の韓国は、世界でも上位の豊かさとされています。少なくとも上っ面は。
韓国の大学進学率は公式発表で100%を超えています。このため、韓国の知的水準は世界トップクラスだと、誰よりも韓国人自身がそう信じ込んでいます。
韓国が貧しく知的水準も低かった頃は反日でもしかたなかったが、今の韓国は豊かで知的レベルも上がったのだから、もはや日本なんかに反抗する理由はないというのが、「韓国はもう反日ではない」という主張の根拠とされることがよくあります。「もはや日本なんかに」という時点で既に反日(というか、侮日?w)なのですが、もちろん彼らにその自覚は全くありません。
それに韓国の反日は、今も昔も裏表が甚だしく、表立って日本人に反日意識をぶつけてくる韓国人は、実は極めて少数派です。そもそも彼らの反日は、原則的には日本や日本人に向けてのものではなく、同じ韓国人に向けての愛国アピールである場合がほとんどです。だから他に韓国人がいないところでは、彼らは日本人に対して非常にフレンドリーなのが一般的です。これを私たちは以前から「韓国人は一人なら親日、二人以上で反日」と表現しております。
また、たいていの韓国人は呼吸するように嘘をつきます。しかし、だからと言って嘘しかつかないわけではありません。嘘しかつかないのであれば、まだ対処のしようもありますが、彼らは常に虚実をない混ぜにするから厄介です。その上彼らの嘘には、彼ら自身が嘘だとは微塵も思っていない嘘が少なからず含まれています。
例えば韓国人の多くは、日本が現在のような文明国になれたのは、韓国が文化や技術を伝えてやったおかげだと、意識的無意識的に信じています。韓国の学校では、子供たちに「ウリナラが日本に文化を伝えてやった」と教えており、韓国人のほとんどはそれを全く疑っておりません。これは、日本が歴史的に渡来文化を受容してきたという事実と呼応するために、ほとんどの日本人もすんなり騙されてしまうのですが、実は日本から朝鮮半島に流れた文化や技術の方が、質も量も時間的にも圧倒的に多いのです。
しかし日本人は、そんなことを知らない人が多いし、仮に知っていても、韓国人にそれを誇ったりする日本人はあまりいません。なぜなら、韓国に文化や技術を伝えたのが自分と同じ日本人だとしても、それは自分とは全くの別人なのです。
例えば、福沢諭吉が朝鮮にハングルを普及させる足がかりを作ったのは歴史的事実ですが、それを自分の手柄の如く誇るのはお門違いというものだろうと、たいていの日本人なら考えるものです。
もし仮に、韓国に文化や技術を伝えた日本人のことを、自分のことのように誇れば、韓国人は「お前が偉かったの?」と心底馬鹿にしたように言います。そう言われれば、たいていの日本人は恥じ入るでしょう。その韓国人自身が、韓国の偉人や権威のことを、まるで自分のことのように誇ったとしてもです。
まことに韓国人から見れば、日本人ほど御し易い人々はいないでしょう。
しかし彼らは、日本人をとことん舐めてかかっていると同時に、日本人に対する抜きがたい恐怖心も持っています。それが故に、尚更に彼らをして日本人を何が何でも舐めて馬鹿にしてやりたいと思う動機づけになっているという側面もあるのでしょう。
また、ネットで多少韓国人を知っていても、実際に対面してみると生の韓国人の多くは、ブログ月見櫓で語ってるほどキチガイじみた反日意識を見せることはありません。それどころか「韓国はおかしいです」などと言って日本人の主張を迎える韓国人の方が多いかもしれないほどです。
しかしそれさえも、彼らが意図しているかどうかはわかりませんが、日本人を転がすための戦略になっているのです。
韓国企業による日本人技術者の引き抜きは、今も昔も絶えることがありません。「韓国企業による」と言っても、実際に引き抜きを行なうのは当然韓国人です。韓国人が巧みに甘言を弄して、日本人技術者を引き抜いていることは想像に難くありません。
そうやって引き抜かれた日本人技術者が、国は違えど自分の技術と能力を最大限に評価され、最高の環境を与えられ、幸せな技術者生活を保証されて一生を過ごせるのであれば、日本の国益としてはともかく、個人の幸福基準で考えれば良いことと言えるかもしれません。
ですが、かつて故本田宗一郎氏が「向こう(韓国)へ行って、オートバイを作るのを教えた。それで、一通りできるようになったら、『株を全部買いますから、帰ってくれ』と言われた。『どうしましょうか』と下の者が聞いてきたから、『そんなことを言われるところでやることはねえよ』と言って、金を返してもらった」と語ったように、韓国では一通りの技術を吸収したと判断すれば、技術の提供者を使い捨てることに躊躇はありません。
あらかじめそれを覚悟の上で行くのであれば良いのですが、そうでないならば、韓国企業に引き抜かれた日本人技術者は、やはり煮え湯を飲まされることになるでしょう。
そろそろ日本人は、韓国と関われば煮え湯を飲まされることになるということを学習しても良いのではないかと、このニュースを見て思った次第です。
再度「嫌韓であれば尚更に正しく知るべき」
ということは、竹島問題が日本でクローズアップされると、韓国人の来日が抑制されるということでしょうか。だったらもっとやらなきゃなりませんねw
さて以前、「嫌韓であるならば尚更に正しく知るべき」と題した記事を書きましたが、その記事のコメント欄を見ると、「何が何でもどうしても、朝鮮に試し腹はあったのだ」という印象操作を行ないたい方は、案外いらっしゃるようです。
当該記事をUPしたのは2010年7月28日ですが、2011年にも数件、更に今年、2012年に入ってからも1件のコメントが入っております。
その2012年に入った最新のコメントでは、
実際にドイツ人学者の調査で、 遺伝子の塩基配列が 近親者との間でしか 生まれないような遺伝子が非常に高確率で韓国で見つかるみたいですよ…。 文字が書けない身分の層や奴隷たちの風習だったから、 それは当然歴史書には残ってないでしょうね。 処女性は貴族の子女同士との婚姻の話。 2012/02/18-13:30 | URL | 名無櫓 #-[ Edit] |
などと、これまた「まことしやかに」仰っておられますが、その「ドイツ人学者」とは誰でしょうか。どういう「調査」でそのような検査を行なったのでしょうか。その調査資料は何に載っているのでしょうか。是非教えていただきたいと思います。
また、「文字が書けない身分の層や奴隷たち」が、嫁入りやら輿入れやらをしたのでしょうか。「試し腹」では、それによって生まれた子供は奴隷になるとされておりますが、文字が書けない身分の層や奴隷が、更に奴隷を持つのでしょうか。
私は「試し腹」という「文化」あるいは「制度」については、存在そのものを強く疑っておりますが、「韓国では近親相姦が多い」という主張については、それを否定しません。何しろ韓国人は「情が厚い」と自負する人々です。家族に対してでも「サランヘヨ(朝鮮語で「愛してます」の意)」と口走ることに全く抵抗がなく、むしろそう言わない人は「情がない」と非難されます。スキンシップも、少なくとも日本人と比較すればかなり濃厚ですし、下半身に関することを家族内で話題にすることも、日本人よりは抵抗がないようです。
確か「ママ・ボーイの韓国
ですから韓国においては、近親相姦が少なくないだろうという憶測は、私にもあります。しかし近親相姦という現象は、性質上その実態をつかみにくいものです。当事者や家族からの告発によって発覚した数の多さや、彼らの習性や対人意識から、「多分韓国では、近親相姦が比較的多いんだろうな」と推し量るしかありません。
わざわざそんな曖昧で不正確なものを引き合いに出さずとも、人を驚かせる韓国ネタは他に幾らでもあります。それなのに何故にそこまで近親相姦ネタや「試し腹」に固執するのか、私には全く理解出来ません。おそらく、よほどその現象に執着や魅力を覚えていらっしゃるのでしょう。
とまれ、ご自身の発言が既に破綻していることに気づいているのかいないのかわかりませんが、やってることは朝鮮侮りに基づく印象操作と同じです。弊ブログにおける朝鮮侮りに基づく印象操作は、ネタの提供以外の役に立たないことに早めに気づかれた方が良いのではと、老婆心ながらご忠告申し上げます。
「嫌韓であるならば尚更に正しく知るべき」という記事を書いた理由は、当該記事内にある通り、「誤った認識に基づいて韓流捏風に浮かれる人々に反発して嫌韓が増えたように、誤った認識に基づいた嫌韓主張は、朝鮮関連について何も知らない人々に対して、嫌韓自体が間違っているという認識を広めることになるかもしれません。」という危惧からです。
韓国人に嫌悪感を持ち、それを広めたいがために、その存在も定かでない「試し腹」を持ち出すということは、「日本は悪」と言いたいがために、韓国人が破綻した主張や捏造話を繰り広げるのと同じです。
韓国人のそういう言動を私たちがどのように聞き、どのように感じているかを思い出し、それと同じようなことを日本人がすれば、日本人韓国人はもとより、それを見た他国人が日本人をどのように判断するかを、今一度よく考えていただきたいと思います。
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韓国人の対日複合意識
と言っても、三日に一度は韓国考察をするように自分で決めたわけですから、今日も今日とてお約束の韓国考察を行おうと思います。
さて、タラだかエラだかよく知りませんが、韓国のテレビ局がフランスで行なったイベントに出席した韓流アイドルユニット(?)が、日本語の挨拶をしたとかいうことが、先日韓国で、一瞬話題になっていたようです。
YouTubeに動画があったので見てみましたが、0:24辺りからが問題の映像だそうです。確かに0:37辺りではっきりと、「ありがとございましたぁ」という日本語が聞こえます。
これについて、ウリナラチラシの記事によると韓国では、「見た目の良い行動ではない」などと否定的な反応をしているようですが、長年日韓チャットで韓国人の行動を見てきた者としては、何を今更という感想しか覚えません。
何しろ最盛期の日韓チャットでは、日本人のふりをする韓国人がいない日はないという状態でしたし、韓国人同士が「李sang」「金sang」と呼び合ったり、韓国人同士なのに日本語で話そうとすることが珍しくなかったぐらいです(日本語の敬称「さん」は、韓国人が聞くと「sang」に聞こえる模様)。
当時、日韓チャットを訪れるたいていの韓国人は、日本人や日本語に対して濃密な憧れを抱いてました。日韓チャットに訪れるぐらいなんだから、そんなの当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、同時に彼らは、自分がそういう意識を抱いていることを、他の韓国人には知られたくなさそうでした。
彼らは「日韓チャットに訪れる韓国人は、日本や日本人に濃密な憧れを抱いていて当然」という意識を持ちながら、「でも自分はそうじゃない」という態度を誇示しようとするのです。
自分も明白に「日韓チャットに訪れる韓国人」の一人でありながら、「自分だけは他の韓国人と違い、日本に憧れてなんかいない」と、ほとんどの韓国人が思っていたのではないかと思います。つまり韓国人にとって「親日意識」とは、他の韓国人に持っていることを悟られてはいけない意識ということがよくわかります。
いろんな意味で、韓国人にとって「日本」はどうしても必要な存在ですが、同時に韓国人の多くが、「日本」をどうしようもなく必要としていることを恥ずべきこと、隠すべきことと考えているのが、いみじくも今回の件で露出してしまったのではないかと思います。
韓流芸能人の売り出しパターンとしては、一旦韓国でデビューした後、いきなり日本でイベントなりミニコンサートなりを行ない、「日本人を陶酔させた」とかなんとかいう煽り文句を引っさげて帰国、あるいはその煽り文句を携えて日本以外の外国に売り込んだりすると仄聞します。今や、その過程を経ずに韓国外に売り出す韓流芸能人の方が珍しいのではないでしょうか。
つまり「日本」は、韓流の販売戦略においても非常に重要な要素なわけですから、その戦略に則って売り出している韓流アイドルが日本語で挨拶する程度のことなど、本来なら不思議でも何でもないはずです。なのに、たった一言「ありがとございましたぁ」と言っただけで、釈明しなければならないほどの不祥事扱いになるのです。
今回に限っては、「日本語を話すことで、日本人になりすまそうとしたのか」という憶測もあまり妥当とは思いません。そもそも主催が韓国のテレビ局で、他の出演者たちもこぞって韓国人なのですし、出演者や司会者の話す言葉の大半が朝鮮語なのですから、「ありがとございましたぁ」のたった一言だけで、そう言ったタレントを日本人だと思う人は、まずいないでしょう。
むしろ「ありがとございましたぁ」と言ったタレントが、堂々と日本語を使ったことで、「他の韓国人たちを出し抜こうとした」「差を付けようとした」と感じたのが、ネチズンたちの不快感の理由ではないでしょうか。もちろん、この場合の「他の韓国人」とは、「一緒に出演していた他の韓流芸能人」だけではなく、このニュースを見聞きした韓国の一般人たちも含みます(余談ですが、弊ブログで「ネチズン」と言えば、例外なく「韓国人ネットシチズン」の意味です)。
韓国人の対日意識は、ある時は押し付けがましいほどの好意に、ある時は剥き出しの敵意になりますが、それらの根底にあるのはいずれも、日本に対する複雑にねじれもつれからみあった複合意識であることを、その意識の向く先にいる私たち日本人は知っておいた方が良いでしょう。
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一部で十分
最近のウリナラチラシでは、韓国のぼったくりタクシーについての報道がありました。昔の韓国では、普通のタクシーがぼったくってたのですが、88年のソウルオリンピック以降辺りから外国人観光客が増え、それに伴って普通のタクシーのぼったくりが問題化しました。これを是正するために韓国では「模範タクシー」と呼ばれる高級タクシーを配備しました。
すると今度は「コールバン」と呼ばれる貨物タクシーが、この「模範タクシー」や、「模範タクシー」とよく似た「ジャンボタクシー」に偽装して、かなり組織的且つ計画的にぼったくり営業をするようになったようです。
もちろんこの「ぼったくりタクシー」は韓国のタクシー全体の中ではごく「一部」なのですが、外国人旅行者、ことに「日本人」をターゲットとしておりますので、日本人旅行者がこの「ぼったくりタクシー」に遭遇する確率は、決して低くないと思います。
韓国の「ぼったくりタクシー」は、最近突然始まったものではなく、韓国にタクシーという職種が発生して以来、手を変え品を変えて延々問題になっていたものですが、実は韓国における「ぼったくり」は、タクシーに限ったことでもありません。韓国の観光地の飲食店では、日本語で書かれたメニューがある店は珍しくありませんが、そういう店では、日本語メニューとハングルで書かれたメニューとで価格が違うということもよくあるようです(もちろん、日本語メニューの価格の方が高い)。
これもまた、全ての韓国の飲食店の話ではありませんが、店頭に「日本語メニューあります」と書いてあれば、それに日本人観光客が引っかかる確率は間違いなく高いでしょう。
「一部」といえば韓国でのトンデモ犯罪やビックリ事件がニュースになるたびに、日韓チャットで韓国人にそのネタを振ると、これまた「それは一部です」という定型文が返ってきます。
日本外務省の「海外安全ホームページ」には世界各国の渡航情報が載っています。もちろん、韓国のものもあります。それによると、ちょっと古い数字ですが、2008年の犯罪発生総件数は206万3737件とあり、人口10万人当たりに換算すると約4246件になるそうです。韓国の総人口の25%はソウルに集中しており、当然ソウルの犯罪発生件数はかなり高くなっております(韓国全土で第二位。ただし一位の京畿道は、かつてソウル特別市を包含していた)。ちなみに日本の10万人当たりの犯罪件数は、2008年の全国平均で約1420件です。
しかもこれらは、韓国警察が犯罪として認知した事例の統計です。日本人が韓国で犯罪被害に遭っても、韓国警察は取り合わないと巷間まことしやかに囁かれていますが、私がこれまで個人的に韓国について見聞きした経験から考えても、それはあながち根も葉もない嘘とは思えません(なお、韓国で犯罪被害に遭った場合は、警察ではなく日本大使館あるいは領事館に行く方が何かと捗ると思います)。
女性のレイプ被害などは、たとえ日本であっても泣き寝入りすることが多いと仄聞します。それが外国旅行中であれば、尚更でしょう。更に韓国では、数年前にレイプ被害に遭った女性が、その後も次々とレイプ被害に遭うという事例がありました。
もちろん、こんな事例が韓国では毎日のように頻発しているとか、日常キムチ飯並に一般的だとまでは言いません。ですが、「一度レイプ被害に遭った女なら、更に自分がレイプしてもケンチャナヨ」と考える韓国人男性は(少なくとも日本と比べれば)、一般的ということは出来るでしょう。そうでなければ、これほどまでに立て続けに同じレイプ被害者がレイプされるものではありません。
ちょっと前にも述べたことがありますが、韓国では弱者は被差別対象者であり、被差別対象者は弱者です。少しでも弱みを見せる者がいれば、即座にそこに付け込もうとするのは、彼らの本能とも言えます。
韓国人は日本人よりも本能に忠実な傾向があるのは確かですが、それでも日常的に本能を全面的に剥き出しにしている者は、さすがの韓国でも「一部」でしょう。しかし韓国において、そういった「一部」に当たる確率は日本よりも遥かに高いし、そういった「一部」の存在を許容する社会意識の高さは、日本の比ではありません。
もし韓国で、自分がそういう「一部」に遭遇しても、「これは韓国の一部だから」とか「これが韓国の全てじゃないから」と言って許容出来る人ならどうかわかりませんが、普通の人にとっては、どんなに低い確率であろうと、自分が遭遇してしまえばその時点で100%、それが全てになるものです。ましてや、その確率の高さは、韓国においては決して低くないのです。
韓国に旅行するなとまでは言いません。しかし、韓国に訪れるのであれば、韓国はそういう国でありそういう国民性であることを、がっつり肝に命じて行くべきでしょう。韓国人は情が深いなどというおためごかしを信じたり、韓国ドラマのようなご都合主義的展開を期待して行くのは、韓国人から見れば鴨がネギと鍋と七輪と炭を背負って飛んでくるようなものです。
ところで、こういう話をすると韓国人やそれに類する連中が「日本も同じです」「日本人にもそういう人はいます」と叫ぶのが様式美になっています。「一部」という言葉は便利なもので「100万分の1」でも「10分の1」でも、同じ「一部」という言葉で括ってしまうことが出来ます。日本の「一部」と韓国の「一部」を、同じ「一部」で括って良いのかどうか、私は甚だ疑問です。
仮に半万歩、いや地球七周半分ぐらい譲って、「割合はともかく、そういう人がいるということは、日本も同じ」としても、それが韓国の「一部」に対する免罪符になるわけでも、そう言うことによって韓国の「そういう人」が減ったり消滅したりするわけでもないということを、私たちは忘れてはならないと思います。
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均質だからこそわかりやすい
まことに仰るとおりです。中国人も起源を主張することはあります。例えば在日中国人の陳舜臣氏などは、刺身を気味悪がる中国人の親戚に、「刺身は元々中国のものだったのですよ」と懇々と説明して食べさせる話を書かれていたことがあったと記憶します。
ですが、陳舜臣氏がそう言ったからと言って、中国が国を上げて「刺身の起源は中国」と主張するでしょうか。政府が主張するだけではなく、世界中の中国人が判で押して鋳型で抜いたが如く、同じことを主張するでしょうか。
更に、「中国人」と一言で言っても、非常に多様です。私たちがイメージする中国人像は、主に漢人と呼ばれる人々でしょう。
Wikipediaによると、漢人とは漢民族のことを指し、中華人民共和国の全人口の94%を占めるといいます。しかしこの「漢人」も、実は極めて多様な人種・民族を内包しています。同じくWikipediaによると、漢民族は北方民、広府民系、呉越民系、贛府民系、湖湘民系、客家民系、閩海民系、巴蜀民系、台湾民系等に分類され、それぞれの言語も異なるといいます。
これだけ多様な人々を「漢人」という一言でくくってしまっているのですが、それさえも中華人民共和国全人口の94%であり、残る6%の人々もまた、漢人と共に「中国人」という一言でくくられる人々なのです。例えば、弊ブログで時折取り上げる中国朝鮮族も、血統と文化と行動様式は明白に朝鮮人ですが、彼らの持つアイデンティティは中国人なのです。
私が中国を思うとき、そのイメージはまるで大きな渦のようで、掴みどころがありません。北京人と知り合い、北京に暮らせば、中国がわかるでしょうか。上海人と知り合い、上海を訪れれば、中国がわかるでしょうか。広東人と知り合い、広東語を話せるようになれば、中国がわかるでしょうか。
いくら考えても、それらの答えがYESになる気がしません。
それに私は、中国本土に行ったことがありませんし、ネットでもリアルでも、中国人と腹を割って話したこともありません。台湾や香港なら行ったことがありますが、台湾や香港を見て中国全体を語れるとは到底思えません。横浜中華街や神戸南京町、長崎の中華街を訪れたこともありますが、日本国内の中華タウンを見て中国を知ったり感じたつもりになるほどの、底の抜けた慌て者でもありません。
だから弊ブログでは、中国についての詳しい考察や論評は差し控えております。
翻って韓国はと言えば、まことにコンパクトであり、均質です。対日意識においては、特に甚だしい均質性を示します。
もちろん韓国にも、と言うか朝鮮半島にも、日本の県民性みたいな地域による住民性はあります。地方には方言もあります。でもそんなものは誤差と思って良いぐらい、韓国人は文化的にも民族的にも人種的にも、更には意識の上でも、均質なのです。
ソウル人を見て韓国人と思っても、釜山人を見て韓国人と思っても、ほぼ間違うことはありません。朝鮮では最も朝鮮文化から遠いとされている済州島人であっても、更には日本で生まれ育った親から生まれ、ハングルも読めず朝鮮語も話せない在日韓国人でさえ、きっちり韓国人である例が珍しくないほどです。
彼らの均質性の高さは、韓国人自身が自分の意見に肯わない韓国人に対し、「お前はそれでも韓国人なの?」と詰問したり、「お前は韓国人ではない」と言って排斥しようとしたりすることからも明白です。韓国人ならば韓国人である自分の意見に従うのが当然であり、そうでない者は韓国人ではない、という意識が、韓国人には普遍的なのです。
韓国人が一人の時ならば、個人として比較的自由な意見を述べたり、考察をしたりすることは意外によくあります。しかしその時、もしそこにもうひとりの韓国人が現れれば、たちまち彼らは「個人」から「韓国人」となるのです。
私が韓国人を中国人と比較するのは、韓国人のそういった均質性を浮き彫りにするためであって、中国について何か論評や考察をしようとしているわけではありません。逆に、中国もそうだとか中国ならこうだとか言い始めることによって、弊ブログのメインテーマである韓国の問題点に対する焦点が呆けてしまうことを憂慮します。
日本人が気を付けなければならないのは、韓国だけではないという意見に私は反対しません。特亞三国は、いずれも日本人が最も気を付けなければならない相手です。
ただその中で、高い均質性と、強い侵食の意図を明白にしている韓国人が、特亞三国に対する理解を得るための取っ掛かりとしては、最もわかりやすいと考えています。
その「わかりやすい韓国人」にさえ、簡単に転がされる日本人が少なくないということが骨身にしみてわかるようになれば、更に複雑怪奇な中国人への対応も、上手くは出来なくとも、何も知らないままよりはマシになるのではないでしょうか。
例えるなら、韓国はプールで、中国は海です。プールでも、位置によって多少の水深や水の流れの違いはありますが、それでもどの位置でもほぼ同じような感じで泳ぐことが出来ます。しかし海は、場所によっては流れが強かったり波が高かったり、水深が大きく異なったりして、どこでも同じように泳ぐことは出来ません。
プールで泳げる者なら全て、海のどこでも泳げるとは限りません。しかし、プールでさえ泳げない者は、海でもほぼ泳げないでしょう。
泳ぐことについて語る時、いきなり「海には流れや波があって、水深も場所によって大きく違って、泳ぎ方も当然それに従って臨機応変に変えていかねばならない、場合によっては「そこでは泳がない」という判断も重要なのだ」などという解説をするのも悪いとは言いませんが、どうせならまずはプールで泳げるようになった者に解説する方が良いのではないでしょうか。
と言うか、私自身、プールでならそれなりに泳げる自信はあるのですが、だからと言って海でも同じように泳げるとは思えません。そんな私に、海での泳ぎ方についても漏らさず語れと言うのは、ムチャぶりと言うものですw
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韓国人のパクリ
さて、韓国と言えばパクリと言っても良いぐらい、韓国人によるパクリは甚だしいものがあります。韓国語ではベンチマーキングって言うらしいですがw
パクリと言うか模倣は、ある程度の知能を持った動物であれば、本能的に行なうものなのかもしれません。好ましいとか望ましいとか憧れと言った感情が伴うほどの知能を持った動物ならば、尚更でしょう。
好意や羨望、憧憬の表れとしての模倣は、される方としても悪い気はしません。それは、ある意味尊敬の表現の一種でもあるからです。
しかし、されて嫌な気分になる模倣というのも、もちろんあります。その「されて嫌な気分になる模倣」こそが、「パクリ」と呼ばれる行為でしょう。
パクリの語源は、朴と李からだという駄洒落にほのかな信憑性が伴う程、韓国人のパクリは酷いものがあります。
パクリに関しては中国も決して負けてはいませんが、何しろ中国は多民族多文化多人種国家です。何かパクったとしても、それを中国固有のものだとか、中国が考案したものだと主張することは、あまり聞いたことがありません。
確か「中華的生活「多少銭?」」ブログであったと記憶しているのですが、そちらで中国人と韓国人のコピー商品に対する違いを次のように説明されておられました。
これ日本のコピーでしょう?と聞くと、中国人は「そうです、これは日本のコピーです。だから低価格でも高品質なのですよ」と胸を張って言うそうです。
これと同じ質問を韓国人にすると、「こ、こ、これはウリのオリジナルだ!日本のコピーだなんて失礼だ!謝罪汁賠償汁!!!!!1!!」と烈火の如く怒り出して手が付けられなくなるといいます。
同じようにコピーされても、中国人のように「日本のコピーだから高品質だ」と抜け抜けと言われてしまうと、思わず苦笑いしてしまいますが、韓国人みたいにあからさまにコピーしているのに「日本のコピーなんかじゃない!!」と火病られると、苦笑いどころか嫌悪感と軽蔑しか覚えません。
つまり、韓国人のパクリは、パクリ元に対する敬意がないのです。それが、韓国のパクリを「酷い」と形容せざるを得ない最大の理由でしょう。
「模倣」は世界中で行なわれます。もちろん、日本人だって例外ではないどころか、模倣に関しては筆頭クラスと言って良いかもしれません。
ですが日本人の「模倣」は、常に模倣元に対する敬意を忘れません。と言うか、模倣元に対する敬意や憧憬が、日本人の「模倣」のモチベーションなのです。
韓国人の場合、パクろうとする出発点では、パクリ元に対する好意や羨望、憧憬、もしかすると敬意もあるかもしれません。
しかし彼らは、一旦パクってしまうと、自分が抱いていたパクリ元に対する好意や羨望、憧憬、敬意なども全てセットで、パクった自分に向けられることを期待し、また向けられるべきだと確信します。
以前にも書いたことがありますが、彼らは虎の威をただに借るだけでなく、虎の威を借りれば即ち、自分が虎そのものになったと考える生き物であり、この意識はパクリの際にも遺憾なく発揮されます。
トラと言えば先日話題になった「現在、極東ロシアの沿海州の野生生息地に住む約400頭のアムールトラが他国のではなく、まさに我々のトラということになる」というのも、彼らのそういう意識の表れですし、来月には毎年恒例の、ソメイヨシノの韓国起源主張が始まるでしょう。
要するに彼らがパクるのは、単にパクった物そのものだけではなく、それに付随するあらゆるメリットと思しきもの全てなのです。
更に韓国人に親しみ、韓国人から好意や敬意を持たれるということは、即ち彼らに取り込まれ、彼らと一体になり、自分が受ける好意や敬意の全てをその韓国人に捧げるということ、この記事の流れで言えば、我と我が身をもろともに韓国人にパクらせることなのです。
韓国人が歌うというだけで、日本語の歌でも韓流だと言い、鹿児島の物産でキムチを作りそれがコンテストで賞を得れば、韓国全てが評価されたかのごとくはしゃぐのが韓国人です。
そういった「軒を借りたら母屋を貰ったも同然」という発想が、韓国人には本能的に備わっているということを肝に銘じず韓国に親しむ人が、日本には今も少なくありません。
韓国人に親しむことによってパクられるのが物だけなら幸運と言って良いぐらい、それは危険なことだと、私は今後も機会あるごとに警鐘を鳴らしていきたいと思っています。
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韓国とステルスマーケティング
「ステマ」とは「ステルスマーケッティング」の略で、「消費者に宣伝と気づかれないように宣伝行為をすること」だそうです。私が見た実例は、特定の口内洗浄液を複数の芸能人がブログで「推薦」するというものでした。並べて見ればなるほど、問題視されても当然なぐらい不自然な記事ですが、単独で見れば俄に気づかない人の方が普通だと思います。
日本では、ステルスマーケティングは違法ではありません。ステマをやるような企業は、違法じゃないから問題ないと考えているのでしょう。
ですが、法律とは基本的にモラルに則したものです。法律で禁じていなくても、モラルに反していること、モラルから逸脱するようなことはするべきではありません。それに、法律で禁じていないからという理由でモラルに反することをする人間が増えると、やがて法律によって禁じざるを得なくなります。
そうなれば、中学校の校則みたいに「靴下の色は白または淡色の無地に限る」とか、「髪の毛の長さは後ろ髪が襟に、前髪が眉毛にかからない程度。それより長くなる場合はゴムでまとめる」とか、「色付リップクリームは禁止」などというような、馬鹿げたことまで法律として明文化し規制することになります。そうなれば、まことに煩わしいことになります(実際、そうなっている事例は少なくありません)。
これがアメリカのように、多民族多人種多文化国家であれば、ちょっとびっくりするような法律があってもしかたない部分があります。民族や人種、文化によってモラルが異なることはよくあることだからです。しかし日本では、人々のモラルは比較的均質と言えますので、あえて法律として明文化せずとも、各人がモラルに従うことで秩序を保つことが出来るはずなのです。
それが最近、個人どころか公人や法人レベルで、違法ではないがモラルに反することを平然とやってのける事例が目に付くようになりました。
ステマに類似した行為には、「サクラ」や「ヤラセ」があります。日本でも露天商などが「サクラ」を使う例は昔からありましたが、常設の店では一般的に行なわれません。露天商は、その時その場所でどれだけ売れるかが勝負であって、店としての継続的な信用など必要ないからです。ところが継続的な信用が必要な常設店はそうは行きません。あの店は「サクラ」を使ってるという風評が立てば、店の信用は大きく損なわれます。
「ヤラセ」も同様です。エンターテインメント番組で行なわれる「ヤラセ」は、「演出」と言うことも可能です。何故なら、エンターテインメント番組においては、面白いかどうかが最も重要視されるからです。そこで放映される内容が事実かどうかは、面白いかどうかと比べれば重要な問題ではありません。その場合はもちろん、「これはフィクションです」という断りを入れるという「モラル」は求められますが。
しかしそれが報道とかドキュメンタリーと銘打った、あるいは視聴者にそう思わせている番組であれば、「ヤラセ」は大きな問題になります。それは報道する内容に対する信用を大きく損なうからです。
なぜ「ステマ」や「サクラ」「ヤラセ」がモラルに反するのでしょうか。それは、これらが「詐欺的行為」だからです。
「詐欺的行為」は、「詐欺」ではないので、犯罪ではありません。「ステマ」や「サクラ」「ヤラセ」はいけないと言うのは、「嘘をついてはいけません」というのと同じなのです。
ところで、「嘘をつくこと」に極めて抵抗のない民族が存在します。朝鮮人です。そんな彼らが「ステマ」や「サクラ」「ヤラセ」を行わないはずがありません。
日本における【韓流ブーム】においても、韓国による国をあげての「ステマ」が行なわれていることは明らかです。単に「ステマ」のみならず、韓流関連では「サクラ」や「ヤラセ」なども日常的に行なわれていることは、韓国ウォッチャーであればたいていの方がご存知だと思います。
ステマの問題は、その対象が非常に広範囲であることと、被害者が宣伝に加担することによって二次的加害者となり得ることです。
そうならないためにも、各人が情報に対するリテラシーを高める必要があるのは言うまでもありませんが、更にその上で、斯様な詐欺的行為を許さないという意識を各人が持ち、それを表明することも、詐欺的行為を働く者に対する強力な牽制になるでしょう。
ところで最近、異なる複数の在韓日本人ブログで、立て続けに同じ韓国製インスタントラーメンが紹介されているのを見ました。これを、在韓日本人ブロガーによる日本人向けのステルスマーケティングではあるまいかと疑うのは、私の勘繰り過ぎかもしれません。
ですが韓国は、あらゆることで常に疑われて当然の行ないをしています。ですから、韓国に関する疑わしいと思ったことは、どんなに疑っても過ぎることはないと、私は考えています。
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今こそ脱亞論を
さて、かつて、脱亞論で福澤諭吉翁は、「悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり 」と結びました。このことをもって韓国では、「(西洋に対する)事大主義だ」などと素っ頓狂なことを言っておりますが、脱亜論の論旨はもちろんそんなものではありません。
福澤諭吉翁が朝鮮に深く関わっていたことは、韓国ウォッチャーであれば一度は聞いたことがあるでしょう。
翁が創設した慶應義塾では、1881年から朝鮮人留学生を受け入れており、また李朝末期の官僚にして開明派であった金玉均との交流もありました。朝鮮最初の近代新聞「漢城旬報」は福翁の出資と支援によるものであり、ハングルの普及にも多大な功がありました。
それほどまでに朝鮮に肩入れしていた翁ですが、やがて朝鮮に深く絶望することとなります。
絶望の理由は、ただに翁が肩入れしていた朝鮮の改革が成らなかった故ではありません。どれほどに肩入れしようとも、自ら動こうとしないばかりか、数少ない動く者、動こうとする者の足を引っ張り、陥れるための穴を掘ることに血道を上げる輩の方が朝鮮には多く、しかもそういう輩の方が朝鮮人には支持されたからでしょう。
朝鮮を知れば知るほど、関われば関わるほど嫌いになるという伝統は、昨日今日の話ではなく、少なくとも福澤諭吉翁の時代からの話なのです。
福翁の時代から百年以上が経ちますが、今も朝鮮人は微塵も変わりません。上っ面だけならば変えられるし、実際大きく変わりましたが、中身は北朝鮮も韓国も、百年以上前の朝鮮人と同じです。
むしろ文明の利器の恩恵を受けるようになった分、現在の朝鮮人は当時の朝鮮人よりずっと質が悪いと言えます。
インターネットの普及などは、その最たるものと言えるでしょう。日本でも、分別のない者のインターネット利用は様々な弊害や犯罪被害をもたらしておりますが、韓国では分別のない者が日本より多いと言うか、日本基準で言えば韓国人は分別がないのが標準というレベルです。そんな韓国人がワールドワイドウェブを利用して、世界中のインターネット空間で好き勝手なことをするのですから、本当に迷惑でもあり、目障りでもあります。
それでもネットの中というバーチャル空間だけであれば、まだしもというものですが、まことに残念なことに、現実の世界でも航空機の発達普及によって、朝鮮人は拡散しております。
福翁の時代であれば、朝鮮人は朝鮮半島の中にほぼ押し込められていて、海外に出る者は極めて少数でしたが、現在では少なくとも、日本人のいるところには、必ず朝鮮人がいると思って良いでしょう。
外国に移り住み、その国の人となってその国のために生きるのであれば、それを悪いこととは思いません。あるいは、単に一時居住者や旅行者であっても、訪れた国とそこに住む人々を尊重して行動することが出来るならば、多少トラブルが起きても深刻な事態になることは、さほどありません。
ですが朝鮮人はどこを訪れても、どこに居ても、どこに住んでも、どこの国籍を持っていても、酷い場合は何代かの混血を経ても、頑なに朝鮮人であろうとする者が多いのです。常に利己的であれという意識は、朝鮮人にとってはよほど心地良いものなのでしょう。
朝鮮人の基本は、徹底した自尊他卑です。如何なる理由や条件があろうとも、彼らにとって最も尊重されるべきは常に自分自身だけであり、そのためなら他者を傷つけても損なっても、全く当然と彼らは確信しています。それが彼らの揺るがぬ差別意識の根幹であると、私は考えています。
そこに彼ら特有の「ねじれ」が加わると、まことに隣人としては最低最悪のパーソナリティが成立します。即ち、自分が世界で一番尊重されるべきと確信しているくせに、強いと思った相手には、傍で見ている方が恥ずかしくなるほどおもねり媚びへつらうけれど、もしその相手が隙を見せれば、たちまち裏切り襲いかかることを躊躇しないとか、弱いと思った相手には徹底的に虐めにかかるという、「朝鮮人と一緒に仕事をして困ったこと」では毎度お馴染みのパターンです。
その彼らが、朝鮮半島外に出れば、単に文化差では片付けられないレベルのトラブルが起きるのは必然でしょう。実際、アメリカでは韓国人によるトラブルや犯罪が頻発しているようです。
問題は、韓国人による犯罪が発生すると、彼らは必ずその批判や憎悪を「韓国人」から「アジア人」全体にすりかえようとすることです。そうすることで、韓国人に対する風当たりを少しでも分散し薄めようという魂胆なのは明白です。
実際、「アジア」で一括りにされてしまえば、韓国人に起因する悪名を、日本人も免れることは出来ません。ましてや、韓国人が日本人を装うことは、海外では非常に多いのです。
アメリカで韓国人による犯罪やトラブルの報道がある度に、日本をアジアから外すか、さもなければ特亞を正しく特定アジアとして、単なるアジアとは厳密に峻別することを、これからの日本は世界に主張するべきだと強く思う今日この頃です。
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