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日本人側に問題がある

前回記事で鼻炎話を枕に振ったら、たくさんのお見舞いとアドバイスを頂戴し、本当にありがとうございます。医者には行ったことがあるのですが、発症状況から言って花粉症ではないだろうと言われております。

というのも、花粉が多く飛散すると言われる日中・晴天・高温時にはあまり症状が出ず(むしろそういう時の方が調子が良い)、花粉の飛散が少ないと言われる夜間・雨天や曇天・寒さのぶり返しなどの低温時に症状が悪化するからです。

おそらくはコメントでも指摘をいただいた、「血管運動性鼻炎」あるいは「寒冷アレルギー」ではないかと思います(寒風が直接当たった部分に蕁麻疹が出来たこともありますので)。幸い、さほど重症ではなく、毎年季節が変われば必ず寛解するので、対症療法でやり過ごしております。

さて、ある程度韓国ウォッチを重ねると、日韓間における揉め事は、日本人側に問題があるという結論に至る人は多いようです。私もそのひとりです。

と書くと、また文字面しか読めない人が出てきて「日本人だけが悪いって言うのか!」と火病るかもしれません。

言うまでもなく、日韓間のイザコザやグダグダは、日本側だけの責任ではありません。日本人として言うならば、韓国人側に問題があり過ぎるのが悪いのだと言いたい気持ちは、とてもよくわかります。

実際、韓国人側の問題も決して小さくはないと言うか、極めて大きいと思います。それは、弊ブログでこれまで縷々述べてきたことでもあります。

ならば何故、「日本人側に問題がある」などと言うのだといぶかる方もいるかもしれません。

以前にも述べたことがありますが、韓国人は今も昔も、おそらくこれから先も変わらないでしょう。彼らがどれほど人がましいことを言い、またどれほど人がましく見えたとしても、それは薄くて浅い上っ面だけの話であって、芯の部分で彼らが変わることはありません。少なくとも種の進化の速度でしか、彼らが変わることは期待出来ないと、私は確信しています。

これをきちんと理解していれば、韓国人とどのように接すれば良いのかは自ずから理解出来るはずです。ところが、日本人にはこれが理解出来ない人が多いのではないでしょうか。

それはある面では日本人の愛嬌だったり美徳だったりするかもしれません。

例えば、家畜や野生動物などに対しても、日本人は非常にしばしば、まるで人間に接するような態度を取ることがあります。ペットの犬や猫を、まるっきり人間扱いするのは日本人にはかなり顕著です。

これまでにも述べたことがありますが、愛玩犬を人間と同じように扱うことで、犬自身が自分のことを家族のボスと勘違いする「アルファ症候群」があります。

家族のボスになれればその犬は幸せなのかと言えば、決してそんなことはありません。ボス犬は群れのメンバーを服従させる代わりに、群れの安全を保証する義務と責任を負います。もし群れが外敵に襲われれば、ボス犬は命を賭してでも外敵に立ち向かわなければなりません。

正しく実力でボスとなった犬であっても、そのプレッシャーは小さくないでしょう。ましてや何の根拠もなく、ただの勘違いによって自分をボスだと思い込んでしまった犬の精神的プレッシャーの大きさはいかばかりでしょうか。

彼らが人語を話さない生き物だけに、そのプレッシャーの大きさは推し量ることしか出来ませんが、その結果として犬が「症候群」と呼ばれるような、病的とも言える異常行動を発するようになるわけですから、かなり大きなプレッシャーであろうことは確かです。

飼ってる犬が自分をボスだと勘違いすれば、飼い主である人も飼われている犬も、大なり小なり不快を感じ、最悪の場合は双方が不幸になります。

この場合、問題は人間の方にあるのでしょうか。それとも犬の方にあるのでしょうか。

たかが愛玩動物の分際で、家族から可愛がられることを自分に対する服従だと勘違いし、自分をボスだと思い上がる犬が悪いと言うことは出来ます。ですが、犬はそういう生き物なのです。犬には犬の習性とルールがあって、それに従って生きるしかないのです。

もちろん、人間にも人間の習性とルールがあります。それは人間も犬も同じです。しかしそれを理解出来るのは人間側だけなのです。犬に人間の習性とルールを理解しろと求めるのは、無理であり無茶というものです。

このように、いくら日本人が動物を見境なく人間扱いすると言っても、例えば相手がきちんと犬ならば、「犬に人間の習性とルールを理解しろと求めるのは無理」ということは十分理解出来るでしょう。

ところが相手が犬ではなく、人の形をした人語を解するらしい直立二足歩行の生き物だと、日本人はまるっきりグダグダになってしまう人が少なくありません。

さらにその生き物が、黒い髪黄色い肌ならば、もはやそれが「日本人とはまるで異なる生き物」ということさえ失念してしまうのでしょう。その上、その生き物がたどたどしくとも日本語を話したりすれば、もはや致命的です。日本人から見ればそれは、「日本人と同じ」にしか見えなくなり、「日本人と同じ」という前提で接し、また考えてしまうのです。

その結果として、日韓間に存する揉め事はいつまで経っても解決せず、また絶えることなく発生するわけです。この現象を「日本人側に問題がある」と言わずしてどう評すれば良いのか、私には全く言葉が見つかりません。

日本人が現在の韓国(人)に対する意識と姿勢を改めなければ、日本人は韓国に不快を感じ続け、韓国人は日本に不満を抱き続けるでしょう。最悪の場合、双方が不幸な結果になることも十分考えられます。少なくとも、日本人が現在の対韓意識と姿勢を続けることによって、日本人側だけにでも良い結果をもたらすなどということは、全く考えられません。

一日でも早く、多くの日本人がそのことを常識として備え、それに基づいた行動が出来るようになることを願って、今回の記事とします。



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クリエイトはしないがコリエイトはするのが韓国

まもなく桜の便りが聞こえてくるこの時期になって寒さがぶり返してくるのは例年のことなのに、毎年律儀に驚く筆者です、こんばんは。

寒さのぶり返しが原因なのか、それ以外の原因があるのか定かではありませんが、ここ半月ほどずっとアレルギー性鼻炎に悩まされており、脳みそが溶けて鼻から垂れてるんじゃないかと思うぐらい思考がまとまりません。何しろ滂沱のごとき鼻水で、ティッシュの消費量が凄まじく、高分子吸収体を内蔵した鼻栓があれば多い日でも安心なのにと思うぐらいです。

鼻炎でなくとも、体調を崩しやすい時期ということもあります。読者の皆様方におかれましても、どうぞご自愛くださいませ。

というわけで、本日も更新時刻が大幅に遅れた割に内容あっさりめですが、ご容赦ください<(_"_)>

さて、韓国人が妄想を元に、予想の斜め上に飛び跳ねたでっち上げを行なうのは、韓国ウォッチャーの間では既に常識です。

これを英語の「クリエイト」をもじって「コリエイト」などということもありますが、その反面、実際にゼロから何かを創り出すことはあまり得意ではないようです。

日本人はその点、何かを創り出すことを好む傾向が強いと思います。ただ、他人と違うことをするのを憚る傾向も強いので、他人と違った突飛な発想からくる画期的な発明は、やや弱いかもしれません。

しかし一旦ヒントを与えられると、それを元にして各人が様々な創意工夫を凝らし、技を競い、無駄を削り、隙間を埋めていくように改良に改良を重ねて元になる物とは別物のような製品を作り出すのは、世界に誇れるレベルと言って良いでしょう。

しかも日本人は、その過程をも楽しみます。その過程における失敗さえも、より良い改良、より高い技術への糧としてしまうのです。それが料理であれ木工であれ何であれ、ものづくりを嗜んだことのある人ならば、試行錯誤もまた、ものづくりにおける楽しみのひとつということは、お分かりいただける感覚と確信します。

以前にも述べたことがありますが、韓国人は一般に過程を極めて軽視します。ものづくりを始めれば、一切の無駄なく最短距離最短時間で完成品を作り上げることが、韓国人にとっては重要です。また韓国人にとって失敗は敗北と同義です。敗北は、死とまで言えばやや言い過ぎかもしれませんが、韓国人にとってはそれに近いイメージのようです。ですから「試行錯誤」などというものは、彼らを焦らせ、苛立たせる効能しか持たないでしょう。

また韓国人がものづくりをやる場合は、必ず「お手本」が必要です。彼らはその「お手本」を完璧に再現しようとします。そこに、製作者自身の創意工夫などが入る余地はありませんし、仮にそんなものを入れて「お手本」と違うものを作れば、それだけでもう韓国人的には失敗作なのです。

韓国には職人を蔑視する風潮があるからそうなのか、それともそういう韓国人だから職人を蔑視するのかはニワトリ・タマゴの話になりますが、いずれにしても韓国人が「コリエイト」することはあっても、「クリエイト」することはありません。

日本を猛追する韓国」というネタは、今も昔も、日本からも韓国からも、絶えることなく湧いて出てくるネタですが、「クリエイト」出来ない韓国人が、日本を技術で凌駕する日など、韓国が消滅するまで待っても来ないと私は確信しています。

だからと言って、日本は安心していて良いなどとはもちろん思いません。たとえ8割であっても、日本の技術を盗まれることは日本にとって損失になりますし、更に言えば、再現率が8割の方が起源を名乗るに好都合とも言えます。

日本人相手に日本由来の技術の起源を唱えることが出来なくても、日本以外の国で日本人以外の人々を相手に日本由来の技術の起源を唱えれば、おそらく容易に通用するでしょう。と言うか、既にそういうことが行なわれている可能性は限りなく高いと思います。

ですからこういう論説が出た時は、韓国が日本を猛追するために何をするのかを考え、日本側はそれに対する警戒意識を高めるようにするのが肝要だと思う次第です。



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実態や事実がどうあれ

韓国について考察する際に、いつも悩まされるのが、韓国人にとって都合の悪い「実態や事実」を隠蔽しようとする意識です。これは、過去だけの話ではなく、現在でも同じです。

例えば、呉善花女史や黒田勝弘産経新聞ソウル支局長などがインタビューした韓国人には、飲み屋やキャバレーの女が多かったそうです。自身の心境や現実を赤裸々に語る彼女たちの言葉は綺麗でも上手くもありませんでしたが、リアルではありました。

ところが、それらの本が出版されると、著者のもとには韓国人からの苦情が届くようになったといいます。曰く【なぜわたしたちの意見を聞かないのか。彼女らに韓国を代弁させてもらっては困る、筆者の筆はかたよっている!】というものだったそうです(黒田勝弘著「ぼくのソウル白書」より)。

ここに登場する「わたしたち」とは、韓国で一二を争う名門女子大学「梨花女子大」の学生のことです。

似たようなエピソードは、確か呉善花女史の「スカートの風」シリーズのどれかでも見かけた記憶があります。

韓国で一二を争う名門女子大学というからには、「梨花女子大生」は明らかに韓国における絶対的少数派でしょう。にも関わらず、「梨花女子大生」の意見こそが韓国を代表する意見であり、市井の泥にまみれたような飲み屋の女や下宿のおばちゃんの意見などは、どれほど多かろうとも「韓国を代表する意見」には絶対になり得ないというのが、韓国人の主観なのです。

当然その基準は、知識階級であるか否かでしょう。しかもその意識は、知識的上層階級である梨花女子大生の主観だけではありますまい。飲み屋の女や下宿のおばちゃんたちの意見を韓国人全般の意見として紹介しようとすれば、飲み屋の女や下宿のおばちゃんたちはきっとそれを拒否するはずです。

これまた前述の黒田氏著「ぼくのソウル白書」で次のように書いています。
 本にもしばしば引用させてもらった延世大近くの「新村」の行きつけの飲み屋にいったとき、店のマネージャー氏も「クロダ氏よ、これから本を書くときはわれわれのことを書いてはいけないよ。本の品格が下がるからね」というのだった。

これを黒田氏は本の中で「韓国の伝統的な知的風土」と評していますが、「知的」かどうかはともかく、「伝統的」であるのは事実でしょう。

日韓チャットでも、いろいろ寝言レベルの発言をする韓国人に「それは韓国では一般的な意見か」と問えば、10人中9人ぐらいまでが尻込みします。逆に、自分の意見が韓国を代表する意見であるという自信のある韓国人ならば、こちらから聞かずとも自分の意見がどれだけ素晴らしいのかを、学歴や権威によって裏付けようとします。

今も昔も、韓国において発言可能であり、且つ「韓国の記録」として残れるのは、韓国人の主観的に【誇らしい】と感じ得た人や物事に限られます。

だから李朝期以前の朝鮮庶民の記録などというものは、極めて少ないのです。また、韓国人自身も積極的それらを探そうとはしませんし、それを研究しようとする韓国人もあまりいません。それが何かの弾みで外国(ことに日本)から高く評価されでもしない限り、まさに「眼中にあらず」「存在ごと無視」という扱いなのです。

しかもそれは黒田氏が記したように、見下す「上層階級」の人々の意識だけではなく、見下される「下層階級」の人々も同じ意識なのです。見下される「下層階級」の人々がそのまま自分たちを誇ることは、ほぼありません。「下層階級」の人々が自ら誇るためには「下層階級」のままでは不可能で、どうしても、たとえ嘘でもでっち上げでも、自分を「上層階級」であることにしなければならないのです。

李朝期の身分制度など消滅している現在も、彼らのほぼ全てが元両班であることを名乗っているのはそのためでしょう。自ら常奴や白丁の出身であることを認めれば、彼らは自分自身を誇ることは絶対に出来なくなるのですから。

よって「実態や事実がどうあれ」、彼らは常に彼らの理想的な韓国や韓国人を語ります。

もちろん韓国人も韓国の理想ばかりではなく、悪く言うことはあります。しかも結構しょっちゅうです。が、それは「韓国を的確に分析し批判出来る賢く正しく偉いウリ」と言いたいだけですから、うっかりその内容に同意すれば、後々それを根に持たれる可能性は高いのでご注意ください。

韓国人は韓国人自身によって複雑にねじれ、かき混ぜられています。韓国の「実態や事実」の調査や考察ももちろん重要ですが、それを韓国人がどのように扱っているのかが、韓国人考察においては最重要だと、私は考えています。



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自分の破倫は大丈夫だが、他人の破倫は許さないのが朝鮮人

弊ブログでは異論反論は歓迎しておりますと何度も述べておりますが、それは「戴いた異論・反論には無条件で迎合します」と言ってるわけではないと、これまた何度も申し上げております。

にも関わらず、自分の異論反論が受け入れられないと火病る方が、不定期的に弊ブログには訪れます。

三日おきのブログ更新日が近づくにつれ今度は何書こうかなあと思い悩んでいる身にとっては、ネタになってありがたい反面、鬱陶しいのも正直なところです。

既に読者の皆さんがずいぶん反論してくださっているの私としてもあまり言うことはないのですが、今回の踊り子さん、一体何が気に入らないのかと思いきや、どうやら「朝鮮人に処女崇拝があった」というのを「朝鮮人は貞淑であった」と主張していると勘違いされておられるようです。試し腹にしてもそうですが、その存在を否定すると、それを「朝鮮人は清く正しく美しかった」と主張しているのだと誤解あるいは曲解する方が時々現れます。

残念ながら、私は今も昔も朝鮮人が貞淑であったとは思っていません。また弊ブログにおいて、朝鮮人は貞淑であったなどと書いた記憶もありません。それは今の韓国人を見れば、それこそ誰にだってわかることでしょう。私が昔から主張していることは、彼らのスタンスが今も昔も「自分の破倫は大丈夫だが、他人の破倫は絶対に許さない」ということです。

「意味不明と言われたコメント主」氏は、弊ブログを一通りお読みのようですが、どうも何らかのフィルターを通してご覧になっているようです。あるいは、過去にもいらっしゃいましたが「記事の題名だけ読む」とか「恣意的に記事の一部分を抜粋して読む」というようなことをなさっているのでしょうか。

そもそも、弊ブログを一通りお読みであるにも関わらず、あえて無記名でコメントを投げたということは、無責任であることの誇示以外にどういう意味があったのでしょうか。

「無責任発言であることをを誇示した」覚えはありません。
あなたが合理的な回答をするかどうかを見極めるために、あえて詳しく書かなかった部分はありますが、むしろ、このように膨大なコメント量になるので控えたという理由の方が大きいですね。
あなたなりに調べて回答されると思っていたのですが、その期待は裏切られ、納得できるものはほとんどなかったので、こんな長いコメントになってしまいました。
と、私に責任をなすりつけようとしてはおられますが、無記名コメントをした理由には全くなっておりません。言い逃げするつもりならば別ですが、膨大なコメントでしかも返答を望むのであれば尚更に、誰が読んでも発言者が特定出来るようにあらかじめ記名するのが、発言責任というものではありませんか。

どうでもいいことはグダグダダラダラ書く割に、無記名でコメントしたことの説明もしくは釈明がこれではお粗末にもほどがあります。「あなたが書いた文章に私が責任を負う筋合いのものではありません」などとドヤ顔が目に浮かぶような調子で書いておられますが、他人が書いた文章の責任云々を言う前に、自分が書いた文章の責任を仰っていただきたいものです。

もっとも、前回前々回の無記名コメントの投稿者と、「意味不明と言われたコメント主」と名乗る方が同一人物であるかどうかは、前回記事でも申し上げたとおり私以外には確認のしようがありません。また、それを証明することは私にも出来ません。

別にIP晒しても構わないとおっしゃいますが、私がIPを晒したとして、それが事実であるかどうかの証明は出来ませんし、IPが同じだからと言って、投稿者が同一人物である証拠にはなりません。それに、私の言うことを信用出来ないと仰っているのに、私がコメントのIPを晒して「これがそうです」と言えば、無条件でそれが事実であると信じるのでしょうか?w

このブログの管理責任者として、管理画面を晒して「意味不明と言われたコメント主」を名乗る方が投稿したコメントがどれであるかを証明するということは、断じてお断り申し上げます。ついでに、このブログを「私の家」とまでは言いませんが、「私が借りてるスペース」であるとは言います。このブログは確かにFC2が運営しているブログシステムを私が無料でレンタルしているものですが、このブログの管理権限とそれに付随する責任、記事本文の文責及び著作権は、FC2ではなく私に存在します。それこそ、「FC2利用規約」にそう書いてあります。

そもそも、無責任発言と言われてから慌てて投げやりなハンドル名を付けても、無責任発言をした履歴が消えるわけではありませんし、無記名で書いたコメントに今更責任を付与出来るわけでもありません。それこそ、後の祭りというものです。

というわけで、今回は「意味不明と言われたコメント主」と名乗っているコメントに対してお返事差し上げることといたします。と言っても、当該コメントは無駄に長文なため、書かれたコメント全体にレスポンスすれば記事の方も無駄に長文になってしまいます。

ですので今回は、「意味不明と言われたコメント主」氏が最もこだわっておられる「朝鮮における処女崇拝の有無」に焦点を絞っていきます。それ以外のマジェマジェに関しては、次回以降で気が向いたらやるかもしれませんが、既にコメンテータの方々が指摘されておられることと重複するものも多々ありますので、あまり期待しないでください。

どうしてもその他のマジェマジェ話がしたければベルサイユ月見チャットへいらっしゃい。

まず、かつての朝鮮における「処女崇拝」について、「儒教思想が徹底されていた上層階級では処女崇拝があった」ということに異論はないようですので、「朝鮮の一般庶民」がどうであったかが論点になると思います。その場合、「朝鮮の一般庶民」とは、「貴族=両班」以外の人々ということと定義されておられますのでそれに従います。

ソースソースとうるさいので、一応手元にあった本を適当にめくったらあった資料を提示しておきます。

韓国社会の文化人類学」という書籍に収められた「韓国における女性と儒教」(著者片山隆裕)という論文には、
「李朝以降、儒教倫理を積極的に学びまたこれを実生活の中でよく実践した上流支配層の両班社会において儒教は特に徹底していたし、常民層においても少なくとも儒教倫理の建て前は尊重されてきた。なかでも「男女有別」の秩序原理は「長幼有序」、「孝道」と並んで、社会において特に重要視されてきた側面の一つである。儒教の「男女有別」原理は、「内外(ネウェ)」という概念の中に明確に表れている。(中略)社会的地位の高い夫婦を指すのに用いられる場合もあるが、基本的には男女の行動や活動領域を二分することを指している。例えば家屋構造について見てみると、両班層の場合、大門から屋敷内に入ると通常手前に男性の生活領域である舎廊棟(サランチェ)が、そして中門と中庭を隔てた奥のほうに女性の生活領域である内棟(アンチェ)があり、男女とも互いの生活領域への出入りは制限されていた。この性の社会的区分は屋敷内に限られるものではなく、屋敷を基準とした「内」と「外」の区分にも拡大される。すなわち、男性が自由に外出し、公的な社会活動に従事するのに対して、女性は戸外への外出を制限され、内室に閉じ籠って世情から隔離されているのが理想的であるとされていた。かつての上流両班社会では、女性がやむを得ず外出する際には、他人に顔を見せないように四人轎または轎車という屋根のある乗り物を使い、下僕を伴って外出するか、あるいは被り物で顔を覆って歩いたという。性による社会的区分は、一般の民衆の間では両班層ほど徹底したものではなかったようであるが、社会生活や家庭内外における仕事の役割分業などに、男女有別の原理が関わりを持つことも多かったといわれる。
とあります。

この論文にあるように、朝鮮の一般庶民が内棟を持つような家を持っていたとは考えにくく、その階層の女性が「よその男性に顔さえ見せない」ということは現実的にはなかったでしょう。しかしそのことをもって、「朝鮮の一般庶民の間では、処女崇拝は存在しなかった」というのは短絡に過ぎます。

【上流支配層の両班社会において儒教は特に徹底していたし、常民層においても少なくとも儒教倫理の建て前は尊重されてきた】わけです。そういう社会において、「よその男性に顔を見せずに過ごすことが出来ない」階層の女性は、最初から「尊ぶべき処女性を持たない女」とみなされるということでもあったと考える方が、よほど自然ではないでしょうか。

最初からそんな女だと社会的に認められるのであれば、売春しても何が減るわけじゃなし、むしろ元手なし技能なしでも利益率100%の商売になるのです。そりゃホイホイ売春するでしょう。「意味不明と言われたコメント主」氏が提示した資料にも、「売春が白昼いたるところで行なわれ」とありますが、それはむしろ当然のことと言えます。

しかしこうやって私が資料を出しても、いろいろ難癖つけて認めないでしょうから(既に「朝鮮人の朝鮮人による資料ならば、私なら信頼できません」と伏線を張っておられますしねw)、疑義を提起した「意味不明と言われたコメント主」氏から、「朝鮮の一般庶民は奔放な性の自由を謳歌していた」という資料の提示をされてはいかがでしょうか。

売春の横行は朝鮮で処女性が軽んじられた証左にはなりませんし、子供が夏の間半裸や全裸でうろちょろしてることが、性の奔放さを示すことにもなりません。それこそ日本の源氏物語などで見られるような、肉体的交渉を含む婚姻外自由恋愛が朝鮮の一般庶民の間では普遍的に行なわれていたことを伺わせる資料があれば、私もぜひ見てみたいと思います。

あと、少々蛇足ながら
何が言いたいかと言うと、あなたがこだわる「未婚女性のことを「処女」と言うことからも明白」ですが、それも最初からその形で流用されたか、変化してそうなったという可能性を指摘しておきたいからです。

日本語では(韓国語にもありますが)、未婚女性を意味する語彙は何通りかあります。
処女を意味する語彙も何通りかあります。
例えば、前者なら女子・子女・娘・娘子・小娘・お嬢さんetc
後者なら、生娘・乙女・未通女etc
外来語も含めればもっと増えますが、この時代ですからそれは現代ほど考慮しなくてもいいでしょう。
いずれにしても、これだけの語彙があるわけですから、経緯はともかく未婚女性のことを処女と決めたとか後に変化したとかということは十分考えられます。少なくとも、その可能性は排除はできないはずです。
について、それこそ何を根拠にそうおっしゃっているのか確認したいと思います。

現在の韓国語において、日本語からの借用や日本語を起源とする言葉が多いのは事実です。それは「意味不明と言われたコメント主」氏が仰るとおり当時の朝鮮になかったものや概念を表すためでした。

では「処女」という概念も言葉も日本語文化が流入する李朝期以前の朝鮮にはなかったのでしょうか。

そんなはずはありません。「処女」という概念は人種や文化、宗教を超えて世界中で普遍的に存在しますし、既にコメントで述べている方がいらっしゃいますが、「処女」という語彙自体が漢語由来であって、日本語より先に朝鮮に存在していた可能性の方が圧倒的に高いと考えるのが自然でしょう。

「処女」という言葉の意味を調べると、「処」とは「居る」という意味であり、本来の語義は「(結婚前で実家に)居る女性」という意味だと言います。即ち、韓国語の「未婚女性=処女」という用法は日本語でいう「乙女」などよりずっと本来の語義に近く、この点からも朝鮮語の「処女」という言葉が日本語由来とは考え難いものがあります。

【資料が少ない中でも推論は極力限定的に留め、歴史的事実を重んじた結論です。】などともっともらしく仰っておられますが、そもそもの「処女という言葉が日本語由来である可能性」という前提が推論でしかなく、全く無意味です。

最後に
「ウリの質問に答えずに逃げるニカ?」これは何でしょう?
私は朝鮮人が嫌いですが、それは差別とは別物だと自信を持って言えます。しかし、このレベルの表現は蔑みとか小馬鹿にした行為と言われても仕方のない範疇のものですよね?
日本語のできる朝鮮人の多くが目にする可能性も十分にありますので、私が1人の日本人として代わりにここでお詫びしておきます。
いくら朝鮮人が嫌いで日本には関わるなと思っていても、日本人としての矜持は保っておきたいので。
それとも、私が朝鮮人だと言いたかったのでしょうか?
についてですが、「意味不明と言われたコメント主」氏が朝鮮人だとは言いませんし思っていません。しかし「朝鮮人のような真似をする輩」とは言いますし、思いっきり思っていますw

不躾な回答の強要は朝鮮人の十八番ですし、当人でもなく責任を取る気もないくせに代わってお詫びしたり、求められてもいないのに日本人らしさを必要以上に誇示強調するのは、朝鮮人には非常に頻繁に見られる行動様式ですからw



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日本を基準にして朝鮮を考察する愚

弊ブログでは今月初めに、「コメント投稿の際、記名無記名は任意ですが、無記名でのコメントについては全て無責任発言とみなし、そのコメントはそれなりの扱いをされるということをご納得いただいているものと判断します」というお断りをしております。ですので、その後の弊ブログにおける無記名コメントは全て、それをご了解ご納得の上での無記名コメントであると考えております。

その後も無記名のコメントは普通にありますし、無記名であることそのものについて咎めるつもりは、今も今後も毛頭ありません。

ただ先日、無記名コメントの中に、日本の事情や事例を基準に朝鮮の事情を考察した、弊ブログへの質問なのか批判なのかよくわからない意味不明なコメントがありました。

質問とも取れるそのコメントをあえてそれをスルーしたのは、意味不明な無責任発言を晒し上げない親切心のつもりだったのですが、残念ながらその親切心は全くご理解いただけなかったようです。

前回と同じ方からかどうかは(特に読者側からは全く)わかりませんが、それをうかがわせる方よりまたもや無記名コメントにて、回答の強要督促と受け取れるコメントを頂戴いたしました。既に親切心を行使する気も失せておりますので、リクエストにお応えして晒し上げご回答申し上げます。

ご質問と思われるコメントでは、朝鮮において処女崇拝があったかなかったかという点について、日本の事例を引き合いに出し、「以上のような日本の風俗史を総合的に考えると、歴史上、日本より豊かな時代はほとんどなかった朝鮮において、一般人までが強い処女崇拝を持っていたという説には首を傾げざるを得ないのです。」と結んでおられます。

「日本ではこうであった」ということが調べられて、「朝鮮ではどうであったろうか」という疑問をお持ちになったのであれば、何故それをご自身で調べてみようと考えられないのでしょうか。

朝鮮において、「未婚女性」=「処女」であることが当然であったのは、現在の朝鮮語でも未婚女性のことを「処女」と言うことからも明白ですし、朝鮮儒教においても女性の貞操の堅持を強く求めていたことは、文献資料や朝鮮関連書籍においても数多く確認出来ます。

実態や事実がどうであれ、儒教が深く浸透していた李氏朝鮮時代において、「未婚女性の処女性」はどんなことがあっても、たとえ命を落とすようなことになっても、必ず堅持されるべきものという意識が浸透していたことは、「ちょっと調べれば誰にでも容易にわかること」です。

そんなのは朝鮮のごく一部の上層階級だけの話であって、朝鮮の一般庶民がどうであったかについて質問しているのだと仰るのであれば、まず朝鮮の一般庶民をどのように定義付けるかを逆にお尋ねしたいと思います。

仮に朝鮮の一般庶民という人々を、文献資料にも残らない、自ら残すことも出来ないほどの階層、即ち家畜同然の扱いであった白丁や常奴と定義するのであれば、彼らの風俗や文化を正確に探ることは、確たる記録がろくすっぽ残っていない以上、出来るはずもありません。

ですが、現在の韓国人たちがほぼ例外なく両班階層出身であることを名乗っているのを見れば、当時の白丁や常奴が両班の風にならうことはあっても、その逆などあり得るはずもないとは断言出来ます。

文献資料が存在しないので、たとえばタイムマシンで当時の朝鮮に訪れて、当時の朝鮮の一般庶民と仮定した白丁や常奴に朝鮮文化についてインタビューすることが出来たとすれば、彼らはそれをどのように語るでしょうか。彼らの風俗や文化を、朝鮮の文化として語るでしょうか。そもそも、そういう人々の間で、確立され共有された「風俗」や「文化」があったのかどうかからして疑問ですが、それを差し引いても、白丁や常奴が自らの習慣や考え方をありのままに述べ且つそれを朝鮮文化と明言するとは考えにくいものがあります。

それは、「朝鮮の一般庶民」と仮定した白丁や常奴でなくとも同じことです。

今も昔も老いも若きも男も女も富めるも貧しきも病めるも健やかなるも上に立つ者も下に立たされる者も、朝鮮では破倫する者が後を絶ちません。破倫しない者の方が珍しいと言っても過言ではないほどです。

では破倫した彼らに、それが朝鮮の風俗であり文化であるのかと尋ねれば彼らがどう答えるかなど、極めて容易に想像がつきます。もし想像できないなら、現代の韓国人に実際にご自身で尋ねてご覧になれば良いのです。

朝鮮人の多くが、自身の下半身から生じる欲求に正直に行動するとしても、彼らの上半身はそれを朝鮮の文化だとは断じて認めないでしょう。彼ら自身認めないようなものが彼らの「文化」や「風俗」として、彼らの間で確立され共有されることなどあるはずがありません。

そもそも日本の事情や事例を元に、「日本がこうであったのだから、朝鮮もこうであったに違いない」と考えるのは、日本人の朝鮮に対するさまざまな誤解の根源であるということを弊ブログでは何度も述べております。今回のご質問ではまさに、「日本でさえもこうだったのだから、日本より豊かでなかった朝鮮なら尚更にそうだったはずだ」という前提でお考えのようですが、その前提からして全くボタンを掛け違えているとしか申し上げようがありません。日本を引き合いに出すのであれば、前述した通り「日本はこうだったが、朝鮮はどうだっただろうか」という考察のよすがとするべきでしょう。

以上をもちまして、回答とさせていただきます。

ついでながら、無責任発言であることをを誇示した上で、過去に何度も弊ブログで述べていることを無視し、前提からしてずれている意味不明なコメントを投げ、更にそれを不問にした私の親切心を無にした挙句、「ウリの質問に答えずに逃げるニカ?」というニュアンスを含ませたコメントで回答を迫られるのは、個人的に大変不快であったことを付け足しておきます。

なお、今後「あのコメントをした者です」などと名乗ってコメントを投稿されても、それを確認する術は私にしかなく、しかもそれが真実であることを証明する術は私にもないことも、今一度強調しておきたいと思います(ブログの管理画面を晒せば別ですが、それは厳にお断りしますw)。



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言葉がわかっても気持ちがわかるとは限らない

日本人がハングルを習えば、韓国人の反日感情に気づくようになるかどうかというご質問をコメントで頂戴しました。

結論から言えば、ハングルの読み書きが出来て、日常会話程度の朝鮮語が出来るようになっても、日本人が韓国人の反日感情を含む対日複合意識を理解するのはかなり難しいでしょう。

朝鮮語を習い始めると、早い段階で日韓間のタブーのようなことも習います。例えば日本人が韓国人の前で「朝鮮」という言葉を日本語で言うのは良くないとか、「親日派」という言葉は韓国ではネガティブな意味を持つからみだりに韓国人に対して使わない方が良いということなどは、かなり早い段階で教わります。

つまり、ハングルや朝鮮語を習う人は、例外なく韓国人に一定の反日意識があるということを知っていると考えて良いのです。

問題は、それをどの程度深刻に考えているかでしょう。

以前から弊ブログでは何度も言ってるように、韓国人は日本を悪だと心の底から思っている癖に、日本が大好きであり、日本を強く恐れているくせに、日本を思いっきり侮ってもいます。こういった韓国人の対日複合意識は、なかなか日本人には理解が難しいのです。

日本人は、外国人を心の底から憎悪するという習慣がありません。だから韓国人の反日感情というのも、実際にはあまりピンと来ない人が多いのではないでしょうか。更に韓国人の対日複合意識に至っては、朝鮮半島関連の書籍でも明確に言及しているものは少ないのです。

言うまでもなく、韓国人の反日感情や対日複合意識について、韓国人に直接聞いても、まず真っ当な答えは返ってきません。「今はもう、韓国の反日は消えました」とか、「韓国の反日はおじいさんおばあさんだけです。韓国の若者は日本が好きです」という答えが90%以上でしょう。

稀に「韓国は反日です」と言う韓国人もいなくはありませんが、何故韓国が反日なのか、韓国の反日とは具体的にどういうものなのかの説明を求めても、これは100%まともに答えられません。ただ「かつて日本は韓国に酷いことをしました」と言って、「だから日本人は韓国に謝罪してください」と言うばかりです。

日本人は、日本が悪いと言われることに慣れています。褒められると、何か落とし穴があるのではないかと身構えるくせに、貶されると安心するのですから、日本人も大概変な民族です。

そんな日本人ですから、韓国の反日感情に全然ピンと来てなくても、韓国人が日本が悪いとか日本人は謝れと言うなら、素直に謝っとけば丸く収まるのだろうと安易に考えて、とりあえず謝ってしまう人が結構います。本当に、日本人の悪い癖だと思います。

もちろんそうすれば、その場は収まります。その日本人が韓国に住んでいるわけでなければ、その場限りの話で終わるでしょう。

しかし日本人を謝らせた韓国人の方はそうではありません。3月1日や8月15日などの反日特異日や、日韓間の問題が紛糾する都度、日本人を謝らせた経験のある韓国人は「謝る日本人もいるのに、何故日本はちっとも反省しないのか」と苛立ち、一層自覚なき反日感情を深刻化させるのです。

そんな韓国人が反日をハングルで書き散らかしたり、朝鮮語で喚き散らすのは、日本人に韓国の反日が分からないようにするためという気持ちも皆無ではないと思いますが、それよりずっと強いのは、同じ韓国人に自分の感情を訴えたいという気持ちの方でしょう。

韓国では悪口のことを「辱(ヨク)」と言いますが、それはもう凄まじいことを言います。日本人なら、一言でもそんなことを言っちゃったら、お互い一生二度と顔も合わせられないようなことを、一言どころかマシンガンのように投げつけます。

以前日韓チャットの韓国人に聞いたことがあるのですが、韓国人の「辱(ヨク)」は「自分がどれだけ怒っているか」を相手に伝えるためのものだそうです。だから、自分の怒りがどれだけ凄まじいかを相手に分からせるために、思いつく限りの凄まじい悪口を相手に叩きつけるのです。

それを聞いた相手がどのように感じるかなどということは全く考えません。相手がどのように考えているかではなく、自分がどのように考えているか、どのように感じているかを、相手が無条件且つ全面的に理解するべきというのが、韓国人にとっては当然の意識なのです。

日本人には大変理解が難しい(と言うか鬱陶しい)韓国人の意識ですが、韓国人の気持ちを理解すればしたで、今度は彼らに同情してしまう日本人が少なくないのも厄介です。

親韓日本人でも、韓流捏風に吹かれて上っ面に惑わされてるような連中はどうかわかりませんが、古田氏や黒田氏と言った筋金入りの親韓日本人は、韓国人の「情」を理解したが故に同情してしまった人々でしょう。特に黒田氏のように、韓国に何十年と住むレベルになれば、ある程度韓国人化していないと、神経が焼き切れると思います。

いずれにしても、日本人がハングルの読み書きと日常会話程度の朝鮮語を習得したからと言って、それだけで韓国の反日を含む対日複合意識を理解出来るとは全く思えません。

何しろ、韓国人配偶者を持ち、韓国に居住している日本人でさえ、その辺りを正確に理解しているとは到底思えない人が結構いるのですから。



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「韓国の秘密」を暴露してしまった韓国人

3月11日、東日本大震災一周忌に絡めて、韓国人が日本を揶揄・侮辱した動画がYouTubeにあげられました

当然、あっという間に炎上し、今もまだ燃え盛っているようですが、日本の大手メディアはほぼこれをスルーしています。韓国に関する、良いと思われることなら針小棒大にいつまでも触れ回るくせに、韓国に関するネガティブなことは黙殺するという日本メディアの姿勢が如実に現れていると言えましょう。

情報検索には一定のスキルと言うか、センスのようなものが必要らしく、インターネットに接続出来る環境にあっても、自ら情報検索が出来ない人は意外に多いものです。結果として、ある程度選択され整えられた情報を一方的に与えてくれるテレビや新聞などを情報源にすることになりますが、その情報に一定の作為が入っていれば、それを頼りにする人が情報弱者になってしまうのは当然の成り行きかもしれません。

当の炎上韓国人ですが、別の動画と、それに添えられた本人の言い訳によると、日韓翻訳サイトで日本人にやっつけられたのを恨み、その意趣返しとして動画を作成、公開したと言います。

日韓チャットでも、日本人にけちょんけちょんにやられた韓国人が、あれに類するような発言をすることは、まったく日常キムチ飯事でした。

以前も書いたことがありますが、2002年日韓共催ワールドカップの頃、韓国人が異口同音に「Again Hiroshima 1945」と言うのには驚かされました。

それはネットだけの話ではありません。当時、日本大使もいるパーティの場で、広島への原爆投下を揶揄するようなことを、ある程度の社会的地位のある韓国人が堂々と放言し、しかもそれをテレビで面白おかしく報じたのです。

つまり「日本への原爆投下」に関する揶揄や侮蔑は、韓国人一般に通用する「ジョーク」として韓国内で堂々とまかり通っていることがありありとわかります。

今回の、韓国人による東日本大震災に対する揶揄や侮辱動画も、実際に韓国では一般に通用する「ジョーク」なのでしょう。

そんなことはない、韓国人もあの動画を非難してたと言う人もいるでしょうが、彼らは「東日本大震災を揶揄・侮辱した韓国人」を非難したのではありません。日本人に「韓国の秘密」を悟らせた韓国人を非難しているのです。

数年前、韓国に行った際にソウルの老人会館を訪れたことがあります。そこには、日帝時代を経験した80代のお年寄りたちがたくさんいました。私たちが日本人だと知ると、老人たちは嬉しそうに日本語で話し、楽しそうに日本語の歌を歌いました。

そこへ日帝時代を知らないであろう60代ぐらいの老人がやってきました。彼は私たちが盛り上がっているのを見ると、怒り出し、韓国語で怒鳴り始めたのです。何故日本人がこんなところにいるのだ、出て行けと。

日帝時代を経験した老人の一人がバツの悪そうな、申し訳なさそうな顔で、「もう行きなさい」と私たちを促しました。そしてぽつりと言いました。「韓国には秘密が多い」。

韓国を観察していると、日帝老人が言ったとおり、「韓国の秘密」はまことにたくさんあります。今回の動画も、またその秘密のひとつを暴露したものと言って良いでしょう。

今回の何が「韓国の秘密」かと言うと、「韓国(人)は反日」ということです。

これまた何を言うかと思う方もいらっしゃるかもしれません。韓国が反日ということなど、とっくに知れ渡っているじゃないかと。

しかし、これまた以前から何度も言ってるように、韓国人の主観においては、韓国は反日ではありません。彼らが日本に対してネガティブなことを言うのは、韓国人の主観においては「教育的指導」なのです。道徳的に間違っている悪の日本を、道徳的に正しい善なる韓国が教え導き、正しい道へと立ちかえらせるための叱咤であり苦言なのです。

それは、昨今再燃している「いわゆる従軍慰安婦問題」にも如実に現れています。「元慰安婦がこのまま世を去ったら、日本はこの問題の解決の機会を永遠に失う」という韓国側の言い分は、明らかに道理のわからない子供(=日本)に対し、賢く正しく厳しい教師(=韓国)が説教をしているという意識で行われています。

ですが今回の韓国人による炎上動画は、明らかに道理も何もありません。ただただ、ひたすらに日本を貶め、侮辱し、蔑ろにしたいという欲望に衝き動かされてやったということが、ありありと現れてしまっています。

実は韓国の反日とは、こういうものなのです。それが韓国では一般的と言っても良いでしょう。

昨年、竹島問題を調査するために自民党議員が鬱陵島を視察しようとして入国拒否された際の、韓国人たちの反応がそれを明確に物語っていました。

あの時、訪韓自民党議員たちに対する抗議のプラカードや横断幕のほとんどが、ハングルで書かれていたことを覚えておられるでしょうか。日本人に訴えかける抗議であるなら、日本語で書くのが当然です。日本語が難しいと言うなら、韓国人が自慢する英語でも良いでしょう。

しかし、彼らはハングルで書いたのです。朝鮮語で叫んだのです。その中には「あなた達にバナナを与えよう」などと、日本人を猿扱いする文句もありました。日本人を猿扱いするのは、昨年、サッカーのアジアカップ準決勝の日韓戦で、奇誠庸選手が猿の真似をしてみせたように韓国では極めて一般的な日本侮蔑の表現ですが、このように彼らにとっての反日は、実は理屈抜きの娯楽であり、愉悦なのです。それを韓国人(=ウリ)同士だけで共有し、共鳴させたいからこその、ハングルプラカードであり、朝鮮語シュプレヒコールなのです。

しかし「韓国人にとって反日は娯楽であり愉悦」ということは、日本人には決して知られてはならない「韓国の秘密」のひとつです。「韓国には反日などない。あるのは、間違った日本を正すための行動や言論である」という韓国人の反日に対するエクスキューズが実は大嘘だということは、何が何でも隠し通さねばならないのです。

今回の韓国人は、そのことを日本人のみならず、ワールドワイドに晒してしまったことになります。

今回の韓国人が今後韓国で非難されることがあるとすれば、表向きは「非人道的・非道徳的言動」を非難するということにするでしょうが、実際には、彼が「韓国の秘密」を暴露してしまったということが非難の対象なのです。更にこの「韓国の秘密を暴露したことを非難する」ということそのものもまた、「韓国の秘密」のひとつだったりします。

まことに「韓国には秘密が多い」。



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何故韓国人と親しくなる日本人が後を絶たないのか

明日で東日本大震災から丸一年です。亡くなられた方々に改めて深い哀悼の意を捧げ、被災された方々や復興に尽力されている方々を、今後も精一杯応援したいと思います。

さて本日のお題ですが、弊ブログではこれまで「日本人と韓国人は決して相容れない」ということを散々述べて参りました。しかし韓国人と親しくなる日本人は、一向に少なくなりません。

その理由は、まず日本人が韓国人と接触する機会が年々増大しているということが挙げられるでしょう。

2012年現在、韓国人の来日査証は短期(90日以内)の商用、会議、観光、親族・知人訪問等を目的とする場合、免除されています。これは2006年から施行されており、以来年間の来日韓国人数が150万人を下回ったことはありません。

また、日本人が海外に行くと、何故か韓国人と遭遇することが多いのです。しかも、たいていの場合韓国人の方から近づいてきます

以前にも述べたことがありますが、朝鮮人は擬態する生き物です。言うまでもなく、韓国人も朝鮮人の一種ですから、もちろん擬態します。擬態の効果は、擬態した対象と一緒にいる方が高まるでしょう。

しかも日本人にとっては極めて不幸なことに、韓国人の外見は、パッと見日本人に近く見えます。少なくとも西洋人や、彫りの深い系のアジア人よりは。

普段、周囲の人との人種の違いをほとんど意識せずに生活している日本人にとって、異なる言語や異なる文化ばかりではなく、見た目の明らかに異なる人種の人々の中にいると、韓国人の黒い髪と黄色い肌と平たい顔は、無意識に親近感と安心感を催すものなのかもしれません。

それにちょっと立ち話をする程度であれば、韓国人は案外良い人です。これまでにも何度かご覧に入れたことのある西洋人と東南アジア人に対する韓国人の態度の違いについて実験した動画で、西洋人に対する韓国人の態度が極めて親切であったことを思い出していただければ、「韓国人が結構良い人に見える」というのは容易にご理解いただけると思います。

日本を訪れる韓国人が増えているばかりではありません。日本人の韓国旅行も、安定して高い数字を出しているようです。韓流捏風の後押しもあって、目に鱗の入った日本人が喜んで韓国を訪れているのでしょう。

韓国を訪れた日本人に、韓国人は大変親切です。正確には、親切を装います。笑顔で近づいて来て、頼みもしないのに色々世話を焼こうとすることもよくあります。たいていその後、騙されたりボラれたりするのですが。

これまでに何度も述べてきましたが、上っ面を装うことにかけては韓国人は筋金入りです。韓国や韓国人に対してある程度の知識があり、それなりに警戒心を持っている人であっても、生身の韓国人と向かい合うと、自分の知識の方が間違っているのではないかと思いそうになります。あるいは、「もしかしてこれが伝説の稀少種か」と思いたくなるものです。

筋金入りという意味では、日本人のお人好しっぷりも韓国人の上っ面に負けていないかもしれません。

韓国についてある程度の知識や警戒心があってもそうなのですから、韓国についてあまり知識がないとか、韓流捏風に基づいた歪んだ知識の持ち主だったりした日には、イチコロどころか、韓国人が手を下さなくとも自分から転ぶでしょう。

自分の判断が間違っていると思われたい人はいません。一度韓国人は良い人だと思ってしまったら、その後どれほど疑問符が飛び交うようなことがあっても、なかなか最初の判断を訂正することは出来ないものです。

その結果、かなり酷い身体的精神的被害や金銭的な被害を受けることになるまで、「韓国人は良い人だ」と思いこみ続け、周囲の人にもそう言いふらすことで、自分を納得させようとしてしまう日本人が多いのだと思います。

稀にそういう段階を大きく超えて、猛獣に抱きつき舐め回すムツゴロウさんのような韓国人取り扱い名人もいるにはいます。彼らも、韓国人を「良い人」のように印象づけるような言動をしがちですが、あれはムツゴロウさんのような人であるから言えることであって、もし素人がそれを真に受けて真似をすれば、翌日その人は、その猛獣の排泄物になっていてもおかしくないということを、私たち素人は知っておく必要があるでしょう。

とにかく韓国人の上っ面は筋金入りです。どんなにバーチャルでそのことを学習し、知悉したつもりになっていても、現実に目の前に生の韓国人が立てばころりと騙される可能性は、私自身が自分を顧みても、相当高いと思います。

韓国人と親しくなる日本人が後を絶たないのは、おそらくそのためでしょう。韓国人の上っ面に騙されない自信がない人は言うまでもなく、騙されない自信のある人でも、可能な限り韓国人には直接接触しないという心構えが、最良の韓国人対策ではないかと思います。



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過程を軽視する韓国人

日韓チャットでは、諸処の事情からチャットルームに入室制限を設けることがあります。日韓チャット常連日本人の場合であれば、そのパスワードを解読するためのヒントを部屋名に付すのが一般的です。例えば「月見櫓【大化の改新】」という部屋名であれば、パスワードは「645」といった感じです。

韓国人に入ってきて欲しくない時は、「日本人ならだいたい誰でもわかるが、韓国人にはまずわからない」というヒントを元にパスワードを考えれば良いわけです。ですのである意味、入室パスワードは、それを解読する者の常識レベルを判定するテストにもなってると言えます。

それを逆用すれば入室制限としてのパスワードではなく、入室希望者の常識テストとしてパスワードを設置することも出来るわけです。実際、日韓チャットではそれを実行している常連日本人会員がいます。

その常連日本人会員の談によれば、最初は「2の平方根」というのをパスワード解読のヒントとしたそうです。日本人であっても、小学生ぐらいでは知らない子供もいるかもしれませんが、中学生以上なら「ひとよひとよにひとみごろ」という語呂合わせで、たいていの人が知っているでしょう。

ところがそのパスワードでは、ある韓国人が全く入って来れなかったそうです。韓国では、日本のような語呂合わせ的記憶術で平方根を覚えるということはしないのかもしれません。そこで徐々にパスワード解読の難易度を下げていった結果、現在では「1辺が3cmの正方形の面積」という設問になっているそうですが、その韓国人は一向に正解を出せないのだそうです。

もちろん、その韓国人は小学生などではありません。世界中どこの国に出しても成人で通用する年齢を大きく超過している大の大人です。韓国人の中でも飛び抜けてキチガイじみてはいますので、精神障碍はあるかもしれませんが、まがりなりにも自らネットに接続し、チャットサイトの会員登録を行ない、ハングルを用いてチャットをすることが出来ているのですから、深刻な知的障碍はないでしょう。

その韓国人一人をもって、全ての韓国人がそうだと言うつもりは毛頭ありません。いくら韓国人でも、正方形の面積を求める公式程度の問題など、容易に解く韓国人の方が多いでしょう。と言うか、多いと思いたい。しかし韓国人全般に、「そういう傾向」がある感は否めません。

「そういう傾向」とはどういう傾向かというと、「基礎的な学問」をとことん軽視しているという傾向です。1辺が3cmの正方形(韓国人には「正方形」ではなく「正四角形」と言わないとかなり通じにくいということも、この入室テストで判明しました)の面積を求める公式などといった、それこそ小学校で習うようなことを、韓国人は極めて軽視しているように感じることが非常にしばしばあります。

習熟した上で軽視するならまだしもですが、彼らの価値観では、軽視しているものに対しては、習熟のための時間や努力を費やすことさえないのです。その結果として、1辺3cmの正方形の面積を求めることさえ出来ない韓国人の成人が存在するのでしょう。

これは別に、数学的(というか算数レベルの)知識に限りません。日韓チャットにいれば韓国人の発言の翻訳率の低さに悩まされるように、「ハングルの綴り」「正書法」「標準語」という、韓国人ならば当然習熟しているべき、極めて基本的な作文技術さえ満足にマスター出来ていない韓国人が珍しくないのです。

この「基礎的な学問」を軽視するということは、韓国人に極めて強く見られる「何かにつけ結果だけを重視し、そこへ至る過程を極めて軽視する」ということに通じているように思います。

例えば、韓国人とスポーツなどの競技を行なうと、勝っても負けても嫌な思いをすることが少なくありません。それも彼らが結果のみに執着して、そこへ至る過程を極めて軽視しているためでしょう。

彼らは「勝つ」という結果のためならば、如何なる卑怯な手段や反則行為も躊躇なく行ない、そのことに何らの羞恥も後悔も反省もありません。彼らにとって「如何に戦ったか」という「過程」など、「勝ち負け」という「結果」の前では何の意味もないのです。

竹島問題にしても「いわゆる従軍慰安婦」問題にしても、あるいは日韓間の歴史問題にしても、彼らにとっての「結果」は最初から決まっており、そこへ至る「過程」は軽視というか、全く無視されています。

そんな彼らを相手に、「話せば分かり合える」などと考えて向き合うのは愚の骨頂も甚だしいとしか言いようがありません。「話し合う」という「過程」は彼らにとってほとんど意味がないのです。彼らには最初から、彼らにとっての「結果」が存在しているのですから。



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某有名アニメの「機械の身体」みたいなもの

先日、ある在韓日本人ブログで、「日本の「みんな」はソトで、韓国の「ウリ」はウチだ」と言っていたのを見ました。

在韓日本人のブログは、「リアルタイムの韓国情報」を知るには全くと言って良いぐらい役に立ちませんが、「韓国人に取り込まれた人間(≒韓国人)の心境を日本語で知る」には、まことに便利です。この「韓国の「ウリ」はウチ」というのも、日本人には非常にわかりやすい表現だと思いました。

韓国の「ウリ」は一人称の複数形、すなわち「私たち」「我々」などと翻訳されることが多いのですが、そう訳すと違和感を覚えることが時々あります。

「ウリナラ(我が国)」「ウリオモニ(私たちの母)」「ウリチプ(我が家)」などは「私たち」「我々」の意味で訳しても全く違和感がありませんが、「ウリアネ(我が妻)」と来ると、「おいおい、お前の奥さんは誰かと共有してるのか?」と突っ込みたくなります。

日韓チャットでは「ウリプッカン(我が北韓(=北朝鮮)」と口走る韓国人までいました。もちろん即座に「お前は北朝鮮人か?」と突っ込んだのですが、後日別の韓国人にその話をしても、私が抱いた違和感がまるで伝わらなかったことを強く覚えています。

韓国人は、とにかく何に対しても「ウリ」「ウリ」言いたがります。それは「自分とは別なるもの」に対して連帯感を求めているというよりは、「自分とは別なるもの」を「自分と同一のもの」に変質させて、自分自身の中に取り込もうとしているようです。

だから私は常々、韓国人の「ウリ」は「私たち」や「我々」ではなく、「自分自身」と理解する方が良いと思っていました。

つまり、「ウリ」という言葉は、先述の在韓日本人ブログで言われるように、「我々」や「私たち」といった外へ向かう広がりを持った言葉ではなく、「自分自身」という内側に向かって集約していくような言葉なのでしょう。そう考えると、「ウリアネ」や「ウリプッカン」で抱いた違和感は少なくなります。何故なら、「ウリ」になったものは、意識の上で自分の手足や内臓になったようなものだからです。

病気や怪我で自分の身体が自分の思い通りに動かなくなると、自分の身体なのに何故自分の思い通りに動かないのかと無性に腹立たしい気持ちになることがあります。自分の手足や内臓なら自分のために、自分の思うとおりに動くのが当然だと私たちは思っています。それが韓国人の、「ウリ」に対する意識に近いのだろうと思います。

韓国人が「ウリ」と言う時、その意識は完全に内側を向きます。それも「背を向けた反対側」という意味の内側ではなく、自分自身や自分自身の内面に向くのです。ですから韓国人に「ウリ」と呼ばれるということは、先述したように彼らに付随する器官のひとつとして取り込まれてしまうことと言って良いでしょう。

だから「ウリアネ」と言っても、「ウリプッカン」と言っても、そう言う韓国人にとっては何の問題もありません。「ウリ」の主体は常に自分自身なのですから、「ウリアネ」と言ったところで、言った相手と自分の妻を共有しようと思っているわけでもありませんし、「ウリプッカン」と言っても、自分が北朝鮮に所属することになるなどと思っているわけではないからです。

日本人と韓国人は、何につけ考え方や基準が逆さまであることがよくありますが、これもまた日本人の意識や発想とは完全に真逆と言って良いでしょう。

私たち日本人が「私たち」と言う時、それは「自分を含んだ人々」という意味ですから、必ず自分以外の他者の存在を意識します。しかし韓国人が「ウリ」と言う時、それは「自分に含まれた人々」という意識ですから、「他者」の存在やその意向などは、全く考える必要がなくなるのです。

韓流ブームにしてもそうですが、韓国人にとって望ましいものである場合、わずかでも韓国の人や物が絡むと、あるいは何一つ関係なければ無理やり韓国を絡めてでも、その全てを韓国のものにしてしまおうとすることに違和感と嫌悪感を覚える人は多いでしょう。

彼らにとってそれは、「ウリ」として当然の行為であり、そうしないことなど考えられないのです。だからどれほど他国人から非難されても揶揄されても、彼らのその習性は一向に改まらないどころか、自重しようとする気配さえありません。

韓国人から「ウリ」と認定されることは、「ウリ」の内部に取り込まれ、一体化し、彼らの中のひとつの器官として、彼らの意のままに動くことを当然と思われることですが、それを望む者にとっては、韓国の「ウリ」という意識は温かく情愛に満ちあふれたものかもしれません。

しかしそれを望まぬ者から見れば、「ウリ」という意識は、蠕動しながら近づいてくる無定形の肉食生物のように、おぞましく嫌悪に満ちあふれたものでしかありません。しかも、「ウリ」に取り込む取り込まないを決めるのは「ウリ」の方ですから、「ウリ」に取り込まれることを断じて望まない者にとっては、なおさらにおぞましいものがあります。

韓国人から「ウリ」として望まれないのであれば、むしろそれは幸いと言って良いかもしれませんが、日本人は日本人であるというだけで、韓国人にとっては「ウリ」に取り込みたい存在です。ですから「ウリ」に取り込まれたくない日本人は、迂闊に韓国人に近寄らない近寄せないことが肝要ではないかと、強く思う次第です。

「ウリ」に取り込まれたい日本人は、好きにすれば良いと思いますけどね。



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頭に見える部分が頭とは限りませんから

コメント投稿時の記名無記名について、ちらっと話題になっていたようなので、以前も申し上げたことがございますが、改めて申し上げておきたいと思います。

基本的に、弊ブログにおいてコメント投稿時の記名無記名は任意です。名乗りたくない人は名乗らなくて構いません。ただし、以前からも申し上げております通り、無記名によるコメント投稿は、発言の責任を取らないという意思表示であると弊ブログではみなします。

すなわち弊ブログにおいては、どんなに良いことを仰っても、無記名コメントである限りそれは無責任発言とみなします。

後から「あのコメントをした者です」などと追加でコメントされても、それを確認する術は、少なくとも閲覧者には全くありません。また最初に無記名で発言し、その後で「実はあのコメントは私です」と言ってコメントを投稿するやり方は、「なりすまし」や「自作自演」という、一般的には「荒らし」が行なうとされる行為や、それを誘発する行為でもあります。

もちろん、管理者画面から見れば、コメント投稿者の分別や確認はある程度可能ですが、それは基本的に荒らし対策として行なうことですので、全てのコメントでその作業を行なうということはしておりません。

ですので、以前から申し上げております通り、ご自身の発言に多少なりとも責任を持つ意思のある方は、弊ブログコメント欄限定の使い捨てハンドルネーム、いわゆる「捨てハン」で結構ですので、お名前のご記入をお願いいたします。

ご自身の発言に一切の責任を持ちたくないとお考えの方は、今後も引き続き無記名で構いませんが、そのコメントはそれなりの扱いをされるということをご納得いただいているものと判断します。

自分の書いた物に対するご意見は広く多く戴きたいというのがブログ執筆者としての切実な願望です。ですので、責任とかあまり考えず気楽にコメントしていただきたいのはやまやまですが、一旦ネットに公開した文章というものは、それがブログの記事であろうと、その記事に対するコメントであろうと、どうしても一定の責任というものはつきまといます。

ブログとかコメントとか、あるいはチャットでもそうですが、ネットに文章を公開するということは、それに伴う思慮分別も一緒に公開することになるということを、改めて申し上げておきたいと思います。

さて韓国ですが、先日月見チャットで、次のような記事がちらっと話題になりました。

【グローバルアイ】試練の韓日関係(1)
【グローバルアイ】試練の韓日関係(2)
朝鮮語原文記事はこちら

例によって日本に対する上から目線でグダグダ書いておりますが、最も目を引いたのは(2)のこの部分です。
 原因は明らかだ。 まず韓国に対する日本国内の負債意識が消えた。 韓国の目覚ましい経済発展もそれを後押しした。 「お前たちがした行為を忘れたのか」「良心も雅量もないのか」と叫ぶ外交はもう通用しなくなった。 残念だが、それが現実だ。 もう一つ、日本指導層の韓国に対する切実さが消えた。 一緒に歩む同伴者というより、「信頼できない競争者」という認識が目立つ。 「日本は中国を牽制するために韓国を重視する」という通説に安住できる雰囲気ではない。

以前から弊ブログでは、韓国人が「日本は韓国に債務があり、韓国は日本に対する債権者である」と考えているという話を幾度もしておりますが、ここまであからさまに「韓国に対する日本国内の負債意識が消えた」などと書かれると、わかっていても唖然とします。

「韓国の目覚しい経済発展」云々と言ったお約束の自画自賛はともかくとして、「「お前たちがした行為を忘れたのか」「良心も雅量もないのか」と叫ぶ」ことが韓国のこれまでの対日「外交」であり、しかもそれが「もう通用しなくなった」ことを、「残念だ」と言ってしまっているのです。

前回記事に登場した古田博司氏が、
日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかー!」と怒鳴る(笑)。
さらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
と、どこかで仰っておられたことは、韓国ウォッチャーの間では広く知られおります。それが決して誇張表現ではなかったということが、韓国人自身が書いたこの中央日報のコラムから、ありありと伺うことができます。

中央日報のコラムでは、
両国関係はいまゼロからの再出発を強要されている。 パラダイムシフトが必要な時期だ。 胸ではなく頭でする韓日外交に対応する時がきた。
と結んでおりますが、これはすなわち、韓国人の大半がいまだ日韓の外交は「頭(理性)でなく胸(感情)でするものだと考えているという証左でもあります。

実際、李明博大統領が今日の三一節の記念式典でも述べたように、「いわゆる従軍慰安婦問題」について日本に対し執拗に「人道的配慮」を求め続けているのも、「頭ではなく胸でする対日外交」を望む韓国内の輿論に抗い切れなくなったからでしょう。

それに、韓国人に「考える頭」があるならば、「頭でする外交」などというものも実現可能かもしれませんし、そうすることで日韓関係改善の期待も持てなくはないかもしれませんが、彼らの首の上に乗ってる物は考えるための物ではないというのが、私の日韓チャットでの長年の経験による結論です。

ですから、仮にこの中央日報のコラムの提言の通り、「頭でする外交」とやらを韓国人が実行出来るようになったとしても、彼らの対日外交意識や態度が変わることはないだろうと、私は考えております。



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月見櫓 韓国 日韓
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