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頭に見える部分が頭とは限りませんから

コメント投稿時の記名無記名について、ちらっと話題になっていたようなので、以前も申し上げたことがございますが、改めて申し上げておきたいと思います。

基本的に、弊ブログにおいてコメント投稿時の記名無記名は任意です。名乗りたくない人は名乗らなくて構いません。ただし、以前からも申し上げております通り、無記名によるコメント投稿は、発言の責任を取らないという意思表示であると弊ブログではみなします。

すなわち弊ブログにおいては、どんなに良いことを仰っても、無記名コメントである限りそれは無責任発言とみなします。

後から「あのコメントをした者です」などと追加でコメントされても、それを確認する術は、少なくとも閲覧者には全くありません。また最初に無記名で発言し、その後で「実はあのコメントは私です」と言ってコメントを投稿するやり方は、「なりすまし」や「自作自演」という、一般的には「荒らし」が行なうとされる行為や、それを誘発する行為でもあります。

もちろん、管理者画面から見れば、コメント投稿者の分別や確認はある程度可能ですが、それは基本的に荒らし対策として行なうことですので、全てのコメントでその作業を行なうということはしておりません。

ですので、以前から申し上げております通り、ご自身の発言に多少なりとも責任を持つ意思のある方は、弊ブログコメント欄限定の使い捨てハンドルネーム、いわゆる「捨てハン」で結構ですので、お名前のご記入をお願いいたします。

ご自身の発言に一切の責任を持ちたくないとお考えの方は、今後も引き続き無記名で構いませんが、そのコメントはそれなりの扱いをされるということをご納得いただいているものと判断します。

自分の書いた物に対するご意見は広く多く戴きたいというのがブログ執筆者としての切実な願望です。ですので、責任とかあまり考えず気楽にコメントしていただきたいのはやまやまですが、一旦ネットに公開した文章というものは、それがブログの記事であろうと、その記事に対するコメントであろうと、どうしても一定の責任というものはつきまといます。

ブログとかコメントとか、あるいはチャットでもそうですが、ネットに文章を公開するということは、それに伴う思慮分別も一緒に公開することになるということを、改めて申し上げておきたいと思います。

さて韓国ですが、先日月見チャットで、次のような記事がちらっと話題になりました。

【グローバルアイ】試練の韓日関係(1)
【グローバルアイ】試練の韓日関係(2)
朝鮮語原文記事はこちら

例によって日本に対する上から目線でグダグダ書いておりますが、最も目を引いたのは(2)のこの部分です。
 原因は明らかだ。 まず韓国に対する日本国内の負債意識が消えた。 韓国の目覚ましい経済発展もそれを後押しした。 「お前たちがした行為を忘れたのか」「良心も雅量もないのか」と叫ぶ外交はもう通用しなくなった。 残念だが、それが現実だ。 もう一つ、日本指導層の韓国に対する切実さが消えた。 一緒に歩む同伴者というより、「信頼できない競争者」という認識が目立つ。 「日本は中国を牽制するために韓国を重視する」という通説に安住できる雰囲気ではない。

以前から弊ブログでは、韓国人が「日本は韓国に債務があり、韓国は日本に対する債権者である」と考えているという話を幾度もしておりますが、ここまであからさまに「韓国に対する日本国内の負債意識が消えた」などと書かれると、わかっていても唖然とします。

「韓国の目覚しい経済発展」云々と言ったお約束の自画自賛はともかくとして、「「お前たちがした行為を忘れたのか」「良心も雅量もないのか」と叫ぶ」ことが韓国のこれまでの対日「外交」であり、しかもそれが「もう通用しなくなった」ことを、「残念だ」と言ってしまっているのです。

前回記事に登場した古田博司氏が、
日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかー!」と怒鳴る(笑)。
さらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
と、どこかで仰っておられたことは、韓国ウォッチャーの間では広く知られおります。それが決して誇張表現ではなかったということが、韓国人自身が書いたこの中央日報のコラムから、ありありと伺うことができます。

中央日報のコラムでは、
両国関係はいまゼロからの再出発を強要されている。 パラダイムシフトが必要な時期だ。 胸ではなく頭でする韓日外交に対応する時がきた。
と結んでおりますが、これはすなわち、韓国人の大半がいまだ日韓の外交は「頭(理性)でなく胸(感情)でするものだと考えているという証左でもあります。

実際、李明博大統領が今日の三一節の記念式典でも述べたように、「いわゆる従軍慰安婦問題」について日本に対し執拗に「人道的配慮」を求め続けているのも、「頭ではなく胸でする対日外交」を望む韓国内の輿論に抗い切れなくなったからでしょう。

それに、韓国人に「考える頭」があるならば、「頭でする外交」などというものも実現可能かもしれませんし、そうすることで日韓関係改善の期待も持てなくはないかもしれませんが、彼らの首の上に乗ってる物は考えるための物ではないというのが、私の日韓チャットでの長年の経験による結論です。

ですから、仮にこの中央日報のコラムの提言の通り、「頭でする外交」とやらを韓国人が実行出来るようになったとしても、彼らの対日外交意識や態度が変わることはないだろうと、私は考えております。



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