fc2ブログ
管理画面

某有名アニメの「機械の身体」みたいなもの

先日、ある在韓日本人ブログで、「日本の「みんな」はソトで、韓国の「ウリ」はウチだ」と言っていたのを見ました。

在韓日本人のブログは、「リアルタイムの韓国情報」を知るには全くと言って良いぐらい役に立ちませんが、「韓国人に取り込まれた人間(≒韓国人)の心境を日本語で知る」には、まことに便利です。この「韓国の「ウリ」はウチ」というのも、日本人には非常にわかりやすい表現だと思いました。

韓国の「ウリ」は一人称の複数形、すなわち「私たち」「我々」などと翻訳されることが多いのですが、そう訳すと違和感を覚えることが時々あります。

「ウリナラ(我が国)」「ウリオモニ(私たちの母)」「ウリチプ(我が家)」などは「私たち」「我々」の意味で訳しても全く違和感がありませんが、「ウリアネ(我が妻)」と来ると、「おいおい、お前の奥さんは誰かと共有してるのか?」と突っ込みたくなります。

日韓チャットでは「ウリプッカン(我が北韓(=北朝鮮)」と口走る韓国人までいました。もちろん即座に「お前は北朝鮮人か?」と突っ込んだのですが、後日別の韓国人にその話をしても、私が抱いた違和感がまるで伝わらなかったことを強く覚えています。

韓国人は、とにかく何に対しても「ウリ」「ウリ」言いたがります。それは「自分とは別なるもの」に対して連帯感を求めているというよりは、「自分とは別なるもの」を「自分と同一のもの」に変質させて、自分自身の中に取り込もうとしているようです。

だから私は常々、韓国人の「ウリ」は「私たち」や「我々」ではなく、「自分自身」と理解する方が良いと思っていました。

つまり、「ウリ」という言葉は、先述の在韓日本人ブログで言われるように、「我々」や「私たち」といった外へ向かう広がりを持った言葉ではなく、「自分自身」という内側に向かって集約していくような言葉なのでしょう。そう考えると、「ウリアネ」や「ウリプッカン」で抱いた違和感は少なくなります。何故なら、「ウリ」になったものは、意識の上で自分の手足や内臓になったようなものだからです。

病気や怪我で自分の身体が自分の思い通りに動かなくなると、自分の身体なのに何故自分の思い通りに動かないのかと無性に腹立たしい気持ちになることがあります。自分の手足や内臓なら自分のために、自分の思うとおりに動くのが当然だと私たちは思っています。それが韓国人の、「ウリ」に対する意識に近いのだろうと思います。

韓国人が「ウリ」と言う時、その意識は完全に内側を向きます。それも「背を向けた反対側」という意味の内側ではなく、自分自身や自分自身の内面に向くのです。ですから韓国人に「ウリ」と呼ばれるということは、先述したように彼らに付随する器官のひとつとして取り込まれてしまうことと言って良いでしょう。

だから「ウリアネ」と言っても、「ウリプッカン」と言っても、そう言う韓国人にとっては何の問題もありません。「ウリ」の主体は常に自分自身なのですから、「ウリアネ」と言ったところで、言った相手と自分の妻を共有しようと思っているわけでもありませんし、「ウリプッカン」と言っても、自分が北朝鮮に所属することになるなどと思っているわけではないからです。

日本人と韓国人は、何につけ考え方や基準が逆さまであることがよくありますが、これもまた日本人の意識や発想とは完全に真逆と言って良いでしょう。

私たち日本人が「私たち」と言う時、それは「自分を含んだ人々」という意味ですから、必ず自分以外の他者の存在を意識します。しかし韓国人が「ウリ」と言う時、それは「自分に含まれた人々」という意識ですから、「他者」の存在やその意向などは、全く考える必要がなくなるのです。

韓流ブームにしてもそうですが、韓国人にとって望ましいものである場合、わずかでも韓国の人や物が絡むと、あるいは何一つ関係なければ無理やり韓国を絡めてでも、その全てを韓国のものにしてしまおうとすることに違和感と嫌悪感を覚える人は多いでしょう。

彼らにとってそれは、「ウリ」として当然の行為であり、そうしないことなど考えられないのです。だからどれほど他国人から非難されても揶揄されても、彼らのその習性は一向に改まらないどころか、自重しようとする気配さえありません。

韓国人から「ウリ」と認定されることは、「ウリ」の内部に取り込まれ、一体化し、彼らの中のひとつの器官として、彼らの意のままに動くことを当然と思われることですが、それを望む者にとっては、韓国の「ウリ」という意識は温かく情愛に満ちあふれたものかもしれません。

しかしそれを望まぬ者から見れば、「ウリ」という意識は、蠕動しながら近づいてくる無定形の肉食生物のように、おぞましく嫌悪に満ちあふれたものでしかありません。しかも、「ウリ」に取り込む取り込まないを決めるのは「ウリ」の方ですから、「ウリ」に取り込まれることを断じて望まない者にとっては、なおさらにおぞましいものがあります。

韓国人から「ウリ」として望まれないのであれば、むしろそれは幸いと言って良いかもしれませんが、日本人は日本人であるというだけで、韓国人にとっては「ウリ」に取り込みたい存在です。ですから「ウリ」に取り込まれたくない日本人は、迂闊に韓国人に近寄らない近寄せないことが肝要ではないかと、強く思う次第です。

「ウリ」に取り込まれたい日本人は、好きにすれば良いと思いますけどね。



人気ブログランキング FC2ランキング

本日もクリックありがとうございます<(_"_)>
スポンサーサイト




月見櫓 韓国 日韓