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自分の破倫は大丈夫だが、他人の破倫は許さないのが朝鮮人

弊ブログでは異論反論は歓迎しておりますと何度も述べておりますが、それは「戴いた異論・反論には無条件で迎合します」と言ってるわけではないと、これまた何度も申し上げております。

にも関わらず、自分の異論反論が受け入れられないと火病る方が、不定期的に弊ブログには訪れます。

三日おきのブログ更新日が近づくにつれ今度は何書こうかなあと思い悩んでいる身にとっては、ネタになってありがたい反面、鬱陶しいのも正直なところです。

既に読者の皆さんがずいぶん反論してくださっているの私としてもあまり言うことはないのですが、今回の踊り子さん、一体何が気に入らないのかと思いきや、どうやら「朝鮮人に処女崇拝があった」というのを「朝鮮人は貞淑であった」と主張していると勘違いされておられるようです。試し腹にしてもそうですが、その存在を否定すると、それを「朝鮮人は清く正しく美しかった」と主張しているのだと誤解あるいは曲解する方が時々現れます。

残念ながら、私は今も昔も朝鮮人が貞淑であったとは思っていません。また弊ブログにおいて、朝鮮人は貞淑であったなどと書いた記憶もありません。それは今の韓国人を見れば、それこそ誰にだってわかることでしょう。私が昔から主張していることは、彼らのスタンスが今も昔も「自分の破倫は大丈夫だが、他人の破倫は絶対に許さない」ということです。

「意味不明と言われたコメント主」氏は、弊ブログを一通りお読みのようですが、どうも何らかのフィルターを通してご覧になっているようです。あるいは、過去にもいらっしゃいましたが「記事の題名だけ読む」とか「恣意的に記事の一部分を抜粋して読む」というようなことをなさっているのでしょうか。

そもそも、弊ブログを一通りお読みであるにも関わらず、あえて無記名でコメントを投げたということは、無責任であることの誇示以外にどういう意味があったのでしょうか。

「無責任発言であることをを誇示した」覚えはありません。
あなたが合理的な回答をするかどうかを見極めるために、あえて詳しく書かなかった部分はありますが、むしろ、このように膨大なコメント量になるので控えたという理由の方が大きいですね。
あなたなりに調べて回答されると思っていたのですが、その期待は裏切られ、納得できるものはほとんどなかったので、こんな長いコメントになってしまいました。
と、私に責任をなすりつけようとしてはおられますが、無記名コメントをした理由には全くなっておりません。言い逃げするつもりならば別ですが、膨大なコメントでしかも返答を望むのであれば尚更に、誰が読んでも発言者が特定出来るようにあらかじめ記名するのが、発言責任というものではありませんか。

どうでもいいことはグダグダダラダラ書く割に、無記名でコメントしたことの説明もしくは釈明がこれではお粗末にもほどがあります。「あなたが書いた文章に私が責任を負う筋合いのものではありません」などとドヤ顔が目に浮かぶような調子で書いておられますが、他人が書いた文章の責任云々を言う前に、自分が書いた文章の責任を仰っていただきたいものです。

もっとも、前回前々回の無記名コメントの投稿者と、「意味不明と言われたコメント主」と名乗る方が同一人物であるかどうかは、前回記事でも申し上げたとおり私以外には確認のしようがありません。また、それを証明することは私にも出来ません。

別にIP晒しても構わないとおっしゃいますが、私がIPを晒したとして、それが事実であるかどうかの証明は出来ませんし、IPが同じだからと言って、投稿者が同一人物である証拠にはなりません。それに、私の言うことを信用出来ないと仰っているのに、私がコメントのIPを晒して「これがそうです」と言えば、無条件でそれが事実であると信じるのでしょうか?w

このブログの管理責任者として、管理画面を晒して「意味不明と言われたコメント主」を名乗る方が投稿したコメントがどれであるかを証明するということは、断じてお断り申し上げます。ついでに、このブログを「私の家」とまでは言いませんが、「私が借りてるスペース」であるとは言います。このブログは確かにFC2が運営しているブログシステムを私が無料でレンタルしているものですが、このブログの管理権限とそれに付随する責任、記事本文の文責及び著作権は、FC2ではなく私に存在します。それこそ、「FC2利用規約」にそう書いてあります。

そもそも、無責任発言と言われてから慌てて投げやりなハンドル名を付けても、無責任発言をした履歴が消えるわけではありませんし、無記名で書いたコメントに今更責任を付与出来るわけでもありません。それこそ、後の祭りというものです。

というわけで、今回は「意味不明と言われたコメント主」と名乗っているコメントに対してお返事差し上げることといたします。と言っても、当該コメントは無駄に長文なため、書かれたコメント全体にレスポンスすれば記事の方も無駄に長文になってしまいます。

ですので今回は、「意味不明と言われたコメント主」氏が最もこだわっておられる「朝鮮における処女崇拝の有無」に焦点を絞っていきます。それ以外のマジェマジェに関しては、次回以降で気が向いたらやるかもしれませんが、既にコメンテータの方々が指摘されておられることと重複するものも多々ありますので、あまり期待しないでください。

どうしてもその他のマジェマジェ話がしたければベルサイユ月見チャットへいらっしゃい。

まず、かつての朝鮮における「処女崇拝」について、「儒教思想が徹底されていた上層階級では処女崇拝があった」ということに異論はないようですので、「朝鮮の一般庶民」がどうであったかが論点になると思います。その場合、「朝鮮の一般庶民」とは、「貴族=両班」以外の人々ということと定義されておられますのでそれに従います。

ソースソースとうるさいので、一応手元にあった本を適当にめくったらあった資料を提示しておきます。

韓国社会の文化人類学」という書籍に収められた「韓国における女性と儒教」(著者片山隆裕)という論文には、
「李朝以降、儒教倫理を積極的に学びまたこれを実生活の中でよく実践した上流支配層の両班社会において儒教は特に徹底していたし、常民層においても少なくとも儒教倫理の建て前は尊重されてきた。なかでも「男女有別」の秩序原理は「長幼有序」、「孝道」と並んで、社会において特に重要視されてきた側面の一つである。儒教の「男女有別」原理は、「内外(ネウェ)」という概念の中に明確に表れている。(中略)社会的地位の高い夫婦を指すのに用いられる場合もあるが、基本的には男女の行動や活動領域を二分することを指している。例えば家屋構造について見てみると、両班層の場合、大門から屋敷内に入ると通常手前に男性の生活領域である舎廊棟(サランチェ)が、そして中門と中庭を隔てた奥のほうに女性の生活領域である内棟(アンチェ)があり、男女とも互いの生活領域への出入りは制限されていた。この性の社会的区分は屋敷内に限られるものではなく、屋敷を基準とした「内」と「外」の区分にも拡大される。すなわち、男性が自由に外出し、公的な社会活動に従事するのに対して、女性は戸外への外出を制限され、内室に閉じ籠って世情から隔離されているのが理想的であるとされていた。かつての上流両班社会では、女性がやむを得ず外出する際には、他人に顔を見せないように四人轎または轎車という屋根のある乗り物を使い、下僕を伴って外出するか、あるいは被り物で顔を覆って歩いたという。性による社会的区分は、一般の民衆の間では両班層ほど徹底したものではなかったようであるが、社会生活や家庭内外における仕事の役割分業などに、男女有別の原理が関わりを持つことも多かったといわれる。
とあります。

この論文にあるように、朝鮮の一般庶民が内棟を持つような家を持っていたとは考えにくく、その階層の女性が「よその男性に顔さえ見せない」ということは現実的にはなかったでしょう。しかしそのことをもって、「朝鮮の一般庶民の間では、処女崇拝は存在しなかった」というのは短絡に過ぎます。

【上流支配層の両班社会において儒教は特に徹底していたし、常民層においても少なくとも儒教倫理の建て前は尊重されてきた】わけです。そういう社会において、「よその男性に顔を見せずに過ごすことが出来ない」階層の女性は、最初から「尊ぶべき処女性を持たない女」とみなされるということでもあったと考える方が、よほど自然ではないでしょうか。

最初からそんな女だと社会的に認められるのであれば、売春しても何が減るわけじゃなし、むしろ元手なし技能なしでも利益率100%の商売になるのです。そりゃホイホイ売春するでしょう。「意味不明と言われたコメント主」氏が提示した資料にも、「売春が白昼いたるところで行なわれ」とありますが、それはむしろ当然のことと言えます。

しかしこうやって私が資料を出しても、いろいろ難癖つけて認めないでしょうから(既に「朝鮮人の朝鮮人による資料ならば、私なら信頼できません」と伏線を張っておられますしねw)、疑義を提起した「意味不明と言われたコメント主」氏から、「朝鮮の一般庶民は奔放な性の自由を謳歌していた」という資料の提示をされてはいかがでしょうか。

売春の横行は朝鮮で処女性が軽んじられた証左にはなりませんし、子供が夏の間半裸や全裸でうろちょろしてることが、性の奔放さを示すことにもなりません。それこそ日本の源氏物語などで見られるような、肉体的交渉を含む婚姻外自由恋愛が朝鮮の一般庶民の間では普遍的に行なわれていたことを伺わせる資料があれば、私もぜひ見てみたいと思います。

あと、少々蛇足ながら
何が言いたいかと言うと、あなたがこだわる「未婚女性のことを「処女」と言うことからも明白」ですが、それも最初からその形で流用されたか、変化してそうなったという可能性を指摘しておきたいからです。

日本語では(韓国語にもありますが)、未婚女性を意味する語彙は何通りかあります。
処女を意味する語彙も何通りかあります。
例えば、前者なら女子・子女・娘・娘子・小娘・お嬢さんetc
後者なら、生娘・乙女・未通女etc
外来語も含めればもっと増えますが、この時代ですからそれは現代ほど考慮しなくてもいいでしょう。
いずれにしても、これだけの語彙があるわけですから、経緯はともかく未婚女性のことを処女と決めたとか後に変化したとかということは十分考えられます。少なくとも、その可能性は排除はできないはずです。
について、それこそ何を根拠にそうおっしゃっているのか確認したいと思います。

現在の韓国語において、日本語からの借用や日本語を起源とする言葉が多いのは事実です。それは「意味不明と言われたコメント主」氏が仰るとおり当時の朝鮮になかったものや概念を表すためでした。

では「処女」という概念も言葉も日本語文化が流入する李朝期以前の朝鮮にはなかったのでしょうか。

そんなはずはありません。「処女」という概念は人種や文化、宗教を超えて世界中で普遍的に存在しますし、既にコメントで述べている方がいらっしゃいますが、「処女」という語彙自体が漢語由来であって、日本語より先に朝鮮に存在していた可能性の方が圧倒的に高いと考えるのが自然でしょう。

「処女」という言葉の意味を調べると、「処」とは「居る」という意味であり、本来の語義は「(結婚前で実家に)居る女性」という意味だと言います。即ち、韓国語の「未婚女性=処女」という用法は日本語でいう「乙女」などよりずっと本来の語義に近く、この点からも朝鮮語の「処女」という言葉が日本語由来とは考え難いものがあります。

【資料が少ない中でも推論は極力限定的に留め、歴史的事実を重んじた結論です。】などともっともらしく仰っておられますが、そもそもの「処女という言葉が日本語由来である可能性」という前提が推論でしかなく、全く無意味です。

最後に
「ウリの質問に答えずに逃げるニカ?」これは何でしょう?
私は朝鮮人が嫌いですが、それは差別とは別物だと自信を持って言えます。しかし、このレベルの表現は蔑みとか小馬鹿にした行為と言われても仕方のない範疇のものですよね?
日本語のできる朝鮮人の多くが目にする可能性も十分にありますので、私が1人の日本人として代わりにここでお詫びしておきます。
いくら朝鮮人が嫌いで日本には関わるなと思っていても、日本人としての矜持は保っておきたいので。
それとも、私が朝鮮人だと言いたかったのでしょうか?
についてですが、「意味不明と言われたコメント主」氏が朝鮮人だとは言いませんし思っていません。しかし「朝鮮人のような真似をする輩」とは言いますし、思いっきり思っていますw

不躾な回答の強要は朝鮮人の十八番ですし、当人でもなく責任を取る気もないくせに代わってお詫びしたり、求められてもいないのに日本人らしさを必要以上に誇示強調するのは、朝鮮人には非常に頻繁に見られる行動様式ですからw



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