朝鮮人待日本人六條は今も健在
もっとも韓国語悪口は、嘘と並んで彼らの吐く息のようなものです。韓国人的には、悪口は「自分がどれだけ不快を感じたか」を表現するものであって、語彙そのものの意味をきちんと理解して使っているとは限りません。言葉の意味よりも、それを聞いた相手に、自分が望むだけの強さの不快を感じさせることが確信出来るかどうかが重要なのです。
北朝鮮の悪口は韓国ほど酷くないそうです。しかし北も南を同じ朝鮮人ですから、「どれだけ相手を自分の思った通りに感じさせるか」ということに血道を上げるのは同じです。
だからこその、無慈悲だの容赦無きだのとやたら大袈裟で過剰な形容詞を散りばめ倒した独特の言い回しなのでしょう。全身の毛を逆立てて爪先立ちになれば、相手が自分を大きく見てくれると思う猫と変わりません。
さて、最近の韓国と言えば、半島有事の懸念が絶賛増大中なのもそっちのけで、IHO総会での東海表記に躍起になっておりました。結果としては日本海表記は従前と変わらずでしたが、日本が提案した「日本海単独表記についての議論」を阻止したと、何故か韓国は勝利宣言をしております。
日本としては、「日本海という表記に議論の余地がある」と主張する韓国に配慮した提案だったのではないかと思いますが、韓国自身がこの議論に反対の票を投じているので、今後は「日本海の単独表記に関する議論は行なわない」ということになってしまっております。
結果としては、日本海の単独表記は今後も維持され、しかも今後日本海単独表記に関する議論を行なわないことで合意が成立しているのですから、事実上の韓国大敗北なのです。が、彼らが自分たちに都合の悪い現実を認識出来ないのは、日本海表記問題に限ったことではありません。
日本海呼称問題について、日本が負ける気は全くしません。何しろ韓国の主張で一貫しているのは、「日本海表記を止めるジマ」というただ一点のみ。呼称については、今のところは「東海」を押し付けていますが、韓国側の形勢が不利になってきたのを感じてか、「いややっぱり韓国海だ」、「平和の海という名はどうか」、「いやいや、緑海が良い」と、意見がふらついてきているようです。要は「日本」という文字が消せさえすれば、何でも良いのです。
どうせこうやって「東海」が国際社会から否定されたら、第二第三の名称候補を繰り出して、また議論を振り出しに戻すつもりなのでしょうけれど、ここまで韓国の魂胆があからさまになっている以上、よほどのメリットが見込めない限りそれに乗る国はないでしょう。
ですので日本海呼称問題については、「日本が」韓国の主張に賛同・合意しない限り、改定されることはないと思っております。
しかしながらこの「日本が韓国の主張に賛同・合意しない限り」というのが、実は曲者です。何しろ日本は非常にしばしば韓国に対し、「配慮」という名目で彼らの主張に迎合することがあります。
韓国はそれを熟知しているので、どうにかして日本から「配慮」を引き出そうとします。時にはへりくだって見せ、時には卑屈になって同情を誘おうとし、時には憤り恨み言を言います。あるいは弱みを握って脅したり、機会に乗じて翻弄したり、突然態度や意見を変えて、こちらの困惑や狼狽を誘います。
すなわち、以前にも述べたことのある、「朝鮮人待日本人六條」です。江戸時代中期の作と言われる朝鮮人の対日交渉術が、21世紀の今日も健在なのです。
朝鮮人は昔も今も変わりませんが、日本人もその変わらぬ朝鮮人に、いまだに騙され利用され翻弄され続けております。
ネットの普及で、最近はようやく朝鮮人の本性というものが日本人の間にも知れ渡りつつありますが、まだまだそれが日本人の共通感覚というレベルにまでは至っていないようです。しかも韓流捏風などの洗脳工作もあり、うかつに韓国人に近づいたり近づかれてしまったりすると、取り込まれてしまう日本人もまだまだ多いというのが現実なのでしょう。
あるいは逆に、何かにつけ日本の後追いをしている韓国を自分に都合の良いように利用出来ると思ってしまう日本人も、案外多いのかも知れません。確かに日本の物というだけでありがたがる韓国人も少なくありませんし、日本の文物をパクって儲けてる韓国人が多いのも事実です。
しかし韓国の土俵で日本人が日本の相撲を取ろうとしても、そう簡単に勝てるものではありません。それが日本の相撲ではなく、韓国の相撲なら、尚更に勝てないでしょう。何しろ連中は、反則や審判の買収は当然として、自分たちが負けそうになれば会場の電源を落としてしまうことも厭わないのです。
ですので、韓国の土俵ではなく日本の土俵で、韓国人が泣こうが喚こうが断固として日本の相撲を取らせる自信があり、かつ彼らとがっぷり四つに組んだ日には、目に沁みるようなニンニク唐辛子臭に耐えなければならないという覚悟をしっかり持った上であれば、韓国人に近付き、利用することが出来るかもしれません。
しかしそこまでの自信と覚悟を持って韓国人を利用したとしても、それに見合うだけの見返りが得られるかどうかは、難しいところでしょう。
あくまでエンタテイメントとして、見返りなど期待せず観察するぐらいならさほど大きな問題はないと思いますが、ビジネスであれプライベートであれ、韓国人と実際に手を結ぶのは、どう転んでも日本人には望ましからぬ結果になる可能性が極めて高いのです。
今後の日本人はそれを常識として備え、以て「朝鮮人待日本人六條」に対抗していかなければと考えております。
ね、亀田製菓さん。
そろそろ狼が来ても良い頃
日本に外国人が滞在する場合、その許可は「在留資格」を所持あるいは取得した者が対象となるからです。詳しくは出入国管理及び難民認定法第二条の二をご参照ください。
もうひとつ、同じ記事に「wikiの「朝鮮籍」にも詳述してありますが、日本は北朝鮮を国家として承認していませんから、「北朝鮮籍」なるものは存在しません」と断言するコメントもいただいており、「ブログ主が知らなかったとは思えないのですが?」という質問なのか馬鹿にしたかっただけなのかよくわからないお言葉もいただいておりますので、こちらにもお答えしておきます。
確かに、日本は北朝鮮籍を公式に認めてはおりません。日本の外国人登録証において「北朝鮮籍」という表示がないということは知ってますし、前々回の記事を書くにあたって、ご提示いただいた「Wikiの「朝鮮籍」」のページも当然参照しております。
ですが「日本が北朝鮮籍を認めていない」というのは、あくまで日韓基本条約で韓国を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」と認めた日本政府としての表向きの立場の話です。北朝鮮側の立場では当然「北朝鮮籍」は厳然と存在します。これは例えば台湾も同様ですが、「「北朝鮮籍」なるものは存在しません」と断言された方は、「台湾籍」なるものは存在しませんとも仰るのでしょうか。
その上日本国としても、北朝鮮を国家承認しないまま北朝鮮の国連加盟に賛成したり、あるいは「六カ国協議」などというように、事実上北朝鮮を国家として扱うこともある玉虫色の対応をしているのが現状です。
在日問題に限らず、朝鮮関連は万事複雑怪奇です。前々回の記事では、その複雑怪奇を厭うがために、在日を「在日」と略す理由を出来るだけわかりやすく説明しようとしたわけです。複雑怪奇をわかりやすく説明するためには、当座不要な尾ひれ枝葉の部分の説明をある程度省く必要が生じます。
日本政府が何故北朝鮮籍を認めていないのかを説明するには、日韓基本条約を出す必要が出てきます。更には、「それなのに何故日本は北朝鮮を国家として認めているような対応をすることがあるのか」などということも説明する必要が出てきます。
そうなれば話はどんどん広がり膨らんでしまい、肝心の「朝鮮と北朝鮮の違いについて」という主旨が霞んでしまう恐れが強かったので(と言うか下書き段階で実際膨らんじゃったのでw)、当該記事ではあえてその点についての詳細な説明を省いたのです。
それでも自分はそこまで突っ込んで聞きたいのだと仰るのであれば、気が向かなかったらお返事しない可能性もある上に、お返事するにしても三日に一度しか書かないブログのコメント欄よりは、月見チャットをご利用になった方がいろいろ捗ると思いますので、今後は是非チャットの方をご活用ください。コメントの目的が本当に「質問」であるならば、ですがw
さて、北朝鮮による、戦争やるやる詐欺が活発になってきましたが、やるやる言ってる間はやらないんだろうなと思いつつ、どこかで期待している私がいます。
今回、北朝鮮は李明博大統領を「ネズミ」と呼んで罵っているのですが、この「ネズミ」呼ばわりは、韓国では李明博大統領だけを指す罵倒語として用いられることが多いようです。
通常、朝鮮で悪口として使われる動物は、よく知られているように「犬」です。「犬」を朝鮮語で「ケ」と言いますが、これに幼稚で未熟なものと見下す意味で「セッキ(動物などの子のことですが、ニュアンス的には「ガキ」と訳す方が近い)」という意味の朝鮮語を付け足し、喧嘩を売りたい相手に向かって「ケッセキ(犬の子)」と言えば、まず確実に買ってもらえるでしょう。
しかし燭火デモの時から、李明博大統領に対する罵倒語は何故か「ネズミ」でした。正確には、「明博(ミョンバク)」という名前に「ネズミ」という意味の朝鮮語「ジュイ」をくっつけて、「ジュイバク(鼠博)」と呼んでいたのです。
「明博(ミョンバク)」と語呂が合うわけでもないのに、何故ネズミ呼ばわりだったのかはよくわかりませんが、2008年の燭火デモの際、政府側は暴徒を食い止めるために光化門の交差点にコンテナを積み上げバリケードを築いたのですが、暴徒側が大統領を「バリケードに隠れて引きこもるネズミ」と嘲笑していたことはよく覚えています。
それから4年近くが過ぎ、韓国人自身も燭火デモのことなんか忘れ切っている今頃になって、北朝鮮が李明博を指して「ネズミ」と罵っているわけです。
朝鮮の罵倒語で「ネズミ」を用いるのが一般的ではないのに、この合致は単なる偶然の一致なのか、それとも燭火デモの際に李明博を「鼠博」と罵っていたのは実は北朝鮮の工作員たちだったのか、あるいは韓国の燭火デモで韓国人たちが李明博を「鼠博」と罵っていたのが北朝鮮に何らかのルートで伝わって北朝鮮が用いるようになったのか、何とも想像力を掻き立てられる現象だと思います。
個人的には、李明博を指す罵倒語が南北共に「ネズミ」になったのを偶然の一致だなどとは、微塵も思っておりません。李明博大統領を「ネズミ」と罵るのが北朝鮮発なのか韓国発なのかまではわかりませんが、韓国で李明博大統領を「ネズミ」と呼ぶ人々と北朝鮮とが通じているからこその、今回の北朝鮮による李明博大統領ネズミ呼ばわりなのだと、ほぼ確信しております。
天安艦を沈められた時も延坪島を砲撃された時も、韓国人の反応や危機感は薄かったのですが、今回の「挑発の根源の焦土化」についても、李明博大統領と(おそらくは保守系)韓国メディアを名指ししているために、「(北朝鮮に親近感を抱いている)韓国民は大丈夫」と思っている韓国人は多そうです。
また最近北朝鮮がやたらと活発な動きをしているのは、三代目金正恩の威厳を北朝鮮人民に示し、同時に具体的な敵を作ることで国内の不満を逸らすためのもので、今回も北朝鮮は韓国を武力攻撃などしないだろうという憶測も、今までの北朝鮮の行動から十分説得力があるとは思いますが、それでもそろそろ本当に狼が来る頃じゃないかなとも思っております。
ところで、月見チャットで話題になったのですが、北朝鮮「特別行動で四分もかからず韓国を焦土化させる」 海外の反応から
「北朝鮮、韓国を四分もかからず灰と化すると発言」 へえ~、北朝鮮のミサイルって「韓国」って言うのか?」 (North Korea says, "it would reduce South Korea 'to ashes' in less than four minutes." Was "South Korea" the name of their missile?) |
工作員などいないと思わせる工作
しかし現在の日本に外国人工作員は、確実にいます。中でも厄介なのは、特亞三国の工作員でしょう。その中でも最も厄介なのは、朝鮮人の工作員です。
かつて北朝鮮による拉致が社会問題になった際、在日たちは「そんなことはあり得ない」と断言していました。理由はこうです。
「共和国(総連系在日は北朝鮮をこう呼ぶことが多い)が日本人を拉致するはずがない。もし共和国で日本語や日本の習慣を知る必要があれば、危険を冒して日本人を拉致しなくとも、我々在日僑胞を使えばいいのだから」と。
即ち、彼ら在日には、日本に対する北朝鮮の工作に加担する意思があったわけです。
だからと言って、在日全てが職業的、あるいは専業工作員であるはずはありません。むしろ職業的、あるいは専業工作員というのは極めて少数だろうと思います。ほとんどは潜在的な工作員であるだけで、普段は普通の生活を送る一般人です。これは本国韓国人も全く同じです。
日韓チャット常連日本人の間では、韓国人のほぼ全てが潜在的な工作員であると考えられています。何故なら、彼らは隙あらば必ず、日本人に「韓国的思考」を植え付けようとするからです。もちろん、それが対日工作であるという意識を持って行なっている韓国人ばかりではありませんし、そうしろという指令がどこからか出ているというわけでもありません。しかしその動機をどこからかの指令と表現するならば、韓国人社会(=ウリ)の同調圧力と言うことは出来ます。
韓国人が対日工作をしたからと言って、彼らに何かしらの具体的な報酬が与えられるわけではありませんし、おそらくは彼ら自身に、「対日工作をしている」という自覚さえないでしょう。しかし彼らに自覚があろうとなかろうと、対日工作をすることで、彼らは「ウリ」との一体感を改めて確認することが出来ます。
対日工作をしなければ韓国人社会から排斥されることを恐れなければなりませんが、対日工作をすれば具体的な報酬はなくとも、自分が「ウリ」の一員であることを確認出来、ひいては自分自身こそが「ウリ」そのものであるという錯覚と安心感を得られるのでしょう。
あるいは張景子のように、「中国のパスポートよりも、日本のパスポートのほうが都合が良いから日本国籍を取ったが、自分はあくまでも中国人であり、日本人になったつもりはない」と言い張る朝鮮人(※張景子は中国朝鮮族)もいます。これもまた、自覚なき対日工作員の一例と考えて良いでしょう。
もちろん、中にははっきりと自覚のある工作員もいます。しかしそういう工作員であっても、いかにも誰が見ても工作員とわかるような真似はしません。いかにも誰が見ても工作員とわかるような工作員は、映画やマンガ、小説の中にしか存在しないのです。工作員の多くは、出来るだけ目立たないように努め、一般市民に埋もれて、極めて普通に生活しています。当然、派手な工作を単独で行なうこともないでしょう。
何故なら、もし工作員であることがバレれば、工作活動に支障を来たすのは当然として、自身や家族に生命身体の危険が及ぶことも十分に有り得るからです。
昭和48年に、北海道出身で埼玉県上福岡市に住む主婦とその子供二人が失踪しました。この主婦の夫は朝鮮人で、主婦は夫が北朝鮮の工作員であることを周囲に漏らしていたと言いますが、おそらくその時点では誰も本気で聞こうとはしなかったのでしょう。
工作員である夫が消息を絶ち、夫を探すために主婦は、夫が勤めていた会社を訪れます。実はその会社こそが、北朝鮮の対日工作の拠点だったのです。
その後、主婦はその会社の工作員らによって殺害され、子供二人は北朝鮮に送られたと見られています。
この事件で殺害されたと見られる主婦の遺体は発見されておらず、いまだ不明瞭な点の多い事件ですが、それでも明るみに出ただけまだマシな方で、闇から闇へ葬られた事件は私たちが想像する以上にたくさんあるのではないかと思います。
先述の主婦の周辺の人々がそうであったように、日本人は工作員の存在を全く意識していないか、あるいは「工作員とは即ち都市伝説である」という刷り込みが入っているために、たとえ眼の前で明らかな工作活動が行なわれていても、それを工作活動だと認識出来る日本人は多くないのかもしれません。「そんな映画や小説の中のような出来事が、自分の眼の前で起こるわけがない」という、全く何の根拠もない確信を持っている日本人が圧倒的多数を占めるのでしょう。
なんと日本は、工作員にとって都合の良い国でしょうか。
しかし日本人がどう思おうと、既に日本には多数の工作員が潜入しています。警察庁は毎年のように、北朝鮮を含む諸外国からの対日工作に関する報告を行なっています。
普段の工作員は、全く普通の生活をしていて、一般人と何ら変わりがありません。先述の朝鮮人工作員のように、日本人と結婚して、普通の家庭を持っている者も少なからずいるでしょう。けれど一旦指令が下れば、彼ら工作員は躊躇なく工作活動を開始します。
日本にいる全ての外国人が工作員だとまでは言いません。日本にいる外国人のほとんどは無邪気な観光客であり、真面目な滞在者でしょう。しかし外国人の中には、確実に工作員が存在することは間違いありません。中でも特亞三国人は、更にその中でも朝鮮人は、そのほとんどが潜在的な工作員と思った方が早いぐらいです。
とりわけ友好の美名を冠して、日本人に謝罪や反省や賠償を求めたり期待したりする特亞三国人は、本人にその自覚があろうとなかろうと、工作員とみなすのが妥当です。今後そういう認識を日本人自身が持たなければ、日本は工作員たちの、ひいては彼らの本国のほしいままにされてしまうでしょう。
日本で工作活動を行なおうとする者にとっては、日本人が「日本に工作員などいない」と思い込めば思い込むほど好都合です。ですから、日本人にそう思い込ませ、またその思い込みが揺るがぬようにすることも、工作員の日本と日本人に対する重要な工作活動のひとつと言えます。
日本人に対して「日本に工作員などいるはずがない」「仮にいるとしても、そんなのはごく少数で、自分たちには全く関係がないし影響もない」という意識を広め、そう思い込むように誘導しようとする者は、工作員そのものか、あるいは工作員に工作されてしまった者なのだという意識を、私たち日本人は今からでも持つようにするべきではないかと思います。
特別永住資格で日本に住む朝鮮人を在日と略す理由
前回記事でも申し上げた通り、弊ブログでは、日本において特別永住資格を得ている朝鮮人を、便宜上「在日」という略称で呼んでいます。その理由は、まず彼らの国籍がバラバラで、色々面倒だからということがあります。
在日の中で最も多いのが韓国人でしょう。次に多いのが北朝鮮人だと思います。それから、あまり知られていないようですが、日本には韓国籍でもなく北朝鮮籍でもなく、もちろん日本に帰化したわけでもない朝鮮人がいます。それが在日朝鮮人です。
太平洋戦争の終結に伴い、朝鮮半島は日本の領土から分離され、朝鮮人の国籍も日本ではなくなりました。その後朝鮮半島には、ふたつの国家が出来ます。北朝鮮と韓国です。戦前から日本にいた朝鮮人たちは、このふたつの国家のいずれかの国籍を選択することとなります。
ところがその中に、韓国籍を取得せず、北朝鮮籍にもならなかった朝鮮人がいます。彼らは便宜上、日韓併合時の朝鮮半島出身者という意味合いで「朝鮮籍」とされていますが、「朝鮮」という国は現在の朝鮮半島には存在しないので、これは国籍ではありません。
在日にカテゴリする朝鮮人の中はこういう曖昧な存在もあり、単に「在日朝鮮人」と表記すると、その「朝鮮」が民族としての総称なのか、「朝鮮籍」を意味しているのかの判別が文脈的にも困難な場合が大いに考えられるために、必ずしも適切な語彙と思っているわけではありませんが、弊ブログでは便宜上「在日」という略称を使用することにしている理由のひとつです。
ならば「在日コリアン」という言葉を使えばどうかというご意見もあるかもしれません。しかしどうもこの「在日コリアン」という言葉には何らかの思想が混入されている印象が強く、個人的に嫌いなので使いたくありません。それに日本語と英語のチャンポンというのも中途半端だと思いますので、どうしても英語で言いたいなら、正確に「Koreans resident in Japan」と言えば良いと思います。しかしこの語彙も、常用するにはやや冗長に過ぎるきらいがあります。
それに英語で「Koreans resident in Japan」と言えば、日本語の「在日」に含まれるニュアンスは完全に失われます。それを聞いた人は、「この人は何故国籍だけではなく、わざわざ居住国まで言うのだろうか?」と不思議に思うでしょう。
それは「日本人ですか?」と問いかけたら、「いいえ、韓国人です。韓国は日本の植民地でした」と答えられてしまったドイツ人の心境に似ているのではないかと思います。
英語と言えば、在日のことを「Korean Japanese」と言う人がたまにいます。これは大変な誤解を招く表現であることを強調しておきたいと思います。英語で「Korean Japanese」と言えば、これは明白に「朝鮮系日本人」の意になります。
中にはわざと誤解させるために、「Korean Japanese」と名乗る在日もいるらしいのでくれぐれも注意して下さい。ある意味これは、「アイムザパニージュ」のバリエーションのひとつと考えた方が良いかもしれません。
もちろん、本来の意味での「Korean Japanese」も日本にはたくさんいます。ここ数年は減少傾向にはありますが、それでも日本に帰化する外国人の中で朝鮮・韓国人は最も数が多く、1995年から2005年の間は年間約1万人のペースで日本に帰化していました。民団のページに載っている統計によれば、1952年から2010年までの間に約33万5千人の朝鮮人が日本国籍を取得しております。
この「Korean Japanese」を「在日」にカテゴリするかどうかについては、悩ましい部分も大いにあります。日本に帰化を認めたのは日本であり、その結果法律上は明白に日本国籍になっているわけですから、原則として朝鮮系日本人は在日ではなく日本人とみなすべきだろう、とは思います。
思いますが、彼らは服を着替えるように国籍を変える連中でもあり、「Korean Japanese」本人はもとより、「Korean Japanese」を親として、生まれながらに日本国籍を持っているはずの子や、更には孫までもが、朝鮮人丸出しの考え方や行動様式を見せるという例も目立ちます。ですので正直言って「Korean Japanese」に対しても、「やはり在日と同じだな」と思うことはしばしばあります。
朝鮮半島に居住する朝鮮人も北と南で呼称を変えねばならず、日本に居住する朝鮮人も、北か南かそのいずれにも属さないのかでやはり呼び方を選ばなければならず、帰化してもしなくてもどこに居ても、まことに存在するだけで鬱陶しい連中です。しかもその鬱陶しい要求は、日本人に対してのみなのです。
終いには自らのアイデンティティを祖国ではなく居住国に求めるようになり、「我々は北朝鮮人でも韓国人でもなく、在日という新しい民族なのだ」などと口走る在日まで出てくる始末です。ならば彼らのアイデンティティのよりどころである居住国に対する忠誠心、とまでは行かなくとも敬意ぐらいは持ってるのかと言えば、猫の毛の先ほどもありません。
そんな彼らの思いつきやわがままにどこまでも付き合ってやるほど、私の心は広くありません。どこか適当なところでけりをつけたいというのが、多少の語弊があるのは承知の上で、弊ブログであえて「在日」という略称を使用する理由のひとつです。
蛇足になりますが弊ブログで時々取り上げている中国朝鮮族は、本来は「在中朝鮮人(ただし国籍は中国)」であり、特別永住資格で滞在している中国朝鮮族はいないはずですので、日本に居住していても在日にはカテゴリしません。
同じ朝鮮人でも共存出来ないのだから
毎度思いますが、彼らのナチュラルボーンコメディアンっぷりは本当に優秀です。これで彼らが地球の裏側に棲息する緑色の肌をした人々であれば、これほど面白く眺められる連中はいないのではないかと思います。
さて、最近の韓国では中国朝鮮族による凶悪犯罪が社会問題になっていると言います。大手ウリナラチラシでは「(韓国にいる)外国人の中で朝鮮族が最も悪質だ」という声さえあると報じられました。
その反面、中国朝鮮族が韓国人から受ける侮蔑は激烈です。中国朝鮮族だけではありません。北朝鮮から韓国に脱北した北朝鮮人も、やはり韓国人からの強烈な蔑視に苦しんでいると言います。
しかし韓国人にも言い分はあるようです。だいぶ前ですが、日韓チャットで韓国にいる朝鮮族や北朝鮮人の話になった時、脱北者はろくに働かないで国から給付金を受けて暮らしているくせに、韓国に対する不満が多いから嫌われるのだと聞きました。
これによく似た話は、どこかの国でも聞いたことがあります。ただその「どこかの国」の場合は、ろくに働かずに生活保護で暮らしているくせにその国に不平不満を言うのがその国の人々とは全くの別民族であるのに対し、韓国の場合は国籍はともかくとして、血統的には同じ民族なのです。
韓国人に不当な差別を受けるのは北朝鮮人と中国朝鮮族だけではありません。韓国を多少なりとも知るようになった人にはよく知られていることですが、韓国人の在日蔑視も極めて甚だしいものがあります(註:弊ブログでは便宜上、「在日朝鮮人」「在日韓国人」「在日北朝鮮人」等をひっくるめて「在日」と呼んでおります)。
生まれて初めて韓国を訪れた在日が、韓国入国の最初の第一歩である入国審査で、係官からベコベコに凹まされるという話は非常によく聞きます。
もちろんそれは入国審査だけの話ではありません。韓国でタクシーに乗った時に、運転手さんに韓国語で話しかけると、「日本人?韓国語上手いね」とお愛想を言われたので、「いいえ在日僑胞ですよ^^」と正直に答えたら、途端に「なんだって?韓国人なのに何故そんなに下手な韓国語なんだ?!」と罵られたという話も聞いたことがあります。
不思議な事に、日本で日本人に対してならば、箸の上げ下ろしにまでサベツと言いかねない在日が、韓国では明らかに不当な差別を受けても、そのことを韓国や韓国人に向かって抗議する例は稀で、大抵の場合泣き寝入りするようです。
では在日の方は韓国人に対して敬意を持って接しているのかと言えば、実際はそういうわけでもないようです。北朝鮮人も中国朝鮮族もやはり、韓国人に敬意を持って接しているわけではないのでしょう。
韓国人の対人意識は「上」「下」「同一」の三種類ですが、最後の「同一」はある程度互いのことを知ってからの話になりますので、初対面から当分の間の対人意識は常に「上」か「下」しかありません。これは韓国人だけの話ではなく、全ての朝鮮人に共通の意識なのではないかと思います。故に、「あまりよく知らない相手に敬意を持って接する」=「自分が相手より下であることを認める」となってしまうために、彼らは特に知らない相手や初対面からしばらくの間は尊大に振る舞う傾向があります。あるいは自分がとても素晴らしい存在であると思わせようとして、就職面接でもないのに自分の経歴を誇大に吹聴する韓国人は一般的です。
同じ民族どころか、同じ韓国人同士でもそれで問題や騒動が起きることは珍しくありません。同じ民族であっても、他国や他域から移って来た人々との間に悶着が起きるのは、ある意味当然かもしれません。
それは、彼らが自分を冷静に見つめ、相手の非を穿つよりも自分の落ち度を反省し、互いに相手を慮り、ほんの少しずつ譲歩するだけで解決するようなことです。しかし朝鮮人の場合、「自分を冷静に見つめる」「自分の落ち度を反省する」「相手を慮る」「譲歩する」ということが出来ず、また全く学習しようとしません。
だから彼らはどこの国に行っても共存出来ない人々と言われてしまうわけですが、それが同じ朝鮮人の国であっても例外でないというのは、何とも凄まじいではありませんか。
韓国人が同じ言語を用いる同じ民族の朝鮮人を「共存出来ない凶悪な人々」であると言うのは、鏡に写った自らの姿を指して「あいつは共存出来ない凶悪なやつだ」と言ってるようなものでしょう。
同じ言語を用いる同じ民族の朝鮮人同士が、互いに蔑み罵り、奴らとは共存出来ないと言うのです。異なる言語を用いる異なる民族である私たち日本人ならば、尚更に共存出来る訳がありません。出来るとすれば、共存ではなく共依存でしょう。
しかし共依存はその関係にある両者のみならず、周辺の人々までをも必ず不幸にする関係です。そういう関係に、望んでなる人がいるとすれば、それ自体が既に自らの周辺の人々に対する加害行為と言っても過言ではありません。
他者と共存出来ず、親しくなった人を共依存に引きずり込むような相手には近寄らない、近づけないのが一番だと、私は確信しております。
日本国民の望み
「月見櫓がコピペをしている」という意味であれば、弊ブログにおいて引用部分は確かにほぼコピペです。しかし引用したものはきちんと引用であることを明白にするよう努力しております。それ以外の部分は基本的に私の頭の中からひねり出したものです。
私がウォッチしているブログには、よそからコピペした文章を自分が書いた文章であるかのごとく誤認させているブログもあります。そういう場合、それがコピペかどうか判断するのは極めて簡単です。コピペと思しき文節を抜粋して、それをキーワードに検索すれば、コピペである場合は必ず全く同じ文章がヒットします。もし弊ブログで怪しいと思う箇所があれば是非お試し下さい。
「月見櫓のコピペがある」ということであれば、どこでコピペされているのかお教えいただかない限り、これは私にはどうしようもありません。ネット上ではコピペしたりされたりはある程度避けられないものです。それがきちんと引用であることを明示している限り、むしろ弊ブログの宣伝になりますので歓迎です。
最後の「吉野家コピペ」のような「月見櫓コピペ」があるということでしたら、どんなコピペなのか知りたいと思います。書いてる当人としては、あまり定型的にならないように気をつけてはいるのですが、書いてる人が一人ですから、どうしても書き癖はあるでしょう。それが「月見櫓コピペ」と名付けられるほどのものであれば、それを書いた本人として知っておきたいと思いますので、是非ともお知らせ下さい。
そんなことより聞いてくれよ>>1よ、というわけで本日のお題です。
北朝鮮のミサイル発射失敗に関しては、確かに意外でした。というのも、朝鮮人が素直に失敗を認めるのは大変珍しく、嘘でも「人工衛星の打ち上げは成功したニダ」とか言って、北朝鮮以外どこの国にも確認出来ない人工衛星からの、北朝鮮以外どこの国にも聞こえない通信を傍受するのではないかと思っていたからです。
あの北朝鮮がそれをしなかったということは、嘘も言い訳も通用しないぐらいに明らかな失敗をやらかしてしまったのだろうかと思います。
しかしそんなことは正直どうでも良くて、問題は今回の北朝鮮ミサイル発射に対する日本側の危機管理対策のお粗末さでしょう。
今回日本政府は、北朝鮮のミサイル発射に備えて沖縄県石垣島にPAC3を配備すると共に、北朝鮮がミサイルを発射すればただちに全国瞬時警報システム「Jアラート」を作動させるはずでした。
しかし実際には、北朝鮮のミサイルが発射されたにも関わらず日本政府はJアラートを発信しなかったのです。
その理由を日本政府は、「北朝鮮のミサイルがレーダーに映らなかったから」などと説明しているようですが、Jアラートはミサイルが発射されれば発信するはずだったものです。レーダーに映ろうと映るまいと、発射されたことが確認出来ていれば遅滞なく発信しなければ何の意味もありません。それを日本政府の恣意的判断で発信しなかったのですから、まことに現在の日本政府は日本国民の生命・財産を守る意思が極めて希薄なのだとしか考えようがありません。
なお、自衛隊の名誉のために申し上げれば、自衛隊は北朝鮮のミサイル発射直後に信号弾を発射して、早期警戒を知らせていたことが確認されております。
東日本大震災の時もそうでしたが、現場はやるべきことをきちんとこなしていても、中枢でそれを阻害しているというのが、現在の日本の状態と言えます。
今回のように事前に予告されていたミサイル発射でさえこの醜態ですから、もし日本に対して予告なしの攻撃が行なわれれば、どれほどの被害が出るか想像するのも恐ろしいほどです。
前回も申し上げましたが、北朝鮮も韓国もさほどに恐ろしくはありません。恐ろしいのは、日本国内の中国や北朝鮮、韓国に加担する反日勢力であり、その彼らが決して小さくない権力や権威を既に手中にしていることです。
しかもこの期に及んで、日本の防衛副大臣は韓国軍との連携や情報共有体制の構築が必要だという認識なのですから、手のつけようがありません。
何度でも繰り返し申し上げますが、北朝鮮と韓国は標榜する主義が異なるだけの一卵性結合双生児です。更に言えば、韓国は既に北朝鮮による赤化工作が浸透しており、韓国内には北朝鮮の工作員が多数潜伏しているのは、恐らく間違いないでしょう。もちろん韓国軍も例外ではありません。
そんな韓国軍なんかと連携した日には、今でさえグダグダの日本の危機管理対策が更にズタボロになるのは必至です。
昨年の東日本大震災と今回の北朝鮮ミサイル発射で、日本の現政府には万一に備えることも、万一が到来した場合の対応も、全く期待出来ないことが明らかになりました。それでも日本国民がそれに否やを唱えないのであれば、日本国内の反日親特亞勢力に、それが日本国民の望みだと思われても仕方ないのではと思います。
北朝鮮のミサイルよりも脅威
日本と違って議会よりも大統領に権力が集中している韓国では、議席数そのものより、年末の大統領選に向けた影響力の方が重要視されるようですので、議席数を減らしたことはあまり問題ではないようです。
私は今回、韓国の総選挙についてはあまり関心がなかったのですが、月見チャットで「北がおっかないと、ハンナラが勝つねw」と言われて、なるほどそうかもしれないと思いました。
韓国経済は数年前から依然として逼迫し続けており、李明博大統領の手腕でどうにか持ちこたえているわけですが、大統領の任期終了が近づくとグダグダになるのは韓国ではお約束。今回の総選挙で、与党劣勢と言われたのもそのためでしょう。
韓国経済が依然として逼迫しており、頼みの綱の米韓FTAも韓国に利するところは少なく、そのため韓国民に不満が溜まっているのは事実でしょう。それでも現在の北朝鮮情勢が、韓国にとっても予断を許さない状態であることは韓国人でも理解出来ると言うか、理解したくはないのでしょうけれど、見ないふりも出来ないと言ったところでしょうか。
かつて金大中と首脳会談をしたというだけで金正日に親しみを持っていた韓国人は少なくなかったようですが、現在三代目の足固めをしている金正恩は、韓国人にとっても海の物とも山の物ともつかぬ人物です。
その上、ここ数年は金正恩主導と言われる韓国への武力行使も実際にあり、民間人の死者も出ていることから、いくら韓国人がニワトリ頭で赤化していて北朝鮮に親しみを感じていると言っても、さすがに多少の危機意識はあったのかもしれません。韓国の野党には親北朝鮮派が少なくありませんので、それが今回の韓国総選挙に反映されたのではないかと思います。
いずれにせよ、これで年末の大統領選挙に向けて、与党セヌリ党の朴槿恵が俄然有力候補になったわけです。彼女は朴正熙の長女という生まれから、女性ながら政治家としてのキャリアも長く、また韓国人は男性よりも女性の方が比較的まともな人が多いという傾向が強いので、個人的に彼女が韓国大統領になればと期待する部分はあります。
さて、韓国の政治についてはこの程度にしておきまして(正直言えばどうでも良いw)、日本として現在大変気になるのは北朝鮮のミサイル発射です。
本日12日に行なわれると言われていた発射はどうやら延期されたようですが、例によって北朝鮮のやることですから、今後素っ頓狂な展開になることは十分予測されます。しかしそれ以上に興味深いのは日本国内の反応でしょう。
既に北朝鮮のミサイル発射予告に伴い、日本は石垣島にPAC3を配備して警戒態勢を敷いておりますが、それにいたく不満を感じる人々の存在が明確になっております。これは日本にとって良いことだと思う反面、恐ろしいことでもあると思います。
良いことだと思うのは、こういうことがなければそういう人たちは明るみに出ず、見えないところで地味な印象操作に励んでいたのではないかと思うからです。
恐ろしいことだと思うのは、そういう人たちが特にマスメディアに多く存在するらしいということが明らかになってきたからです。もちろん、今までもその気配は濃厚にありました。かつては「一発だけなら、誤射かもしれない」などと紙面で堂々と放言した新聞もあったほどです。
しかし、これまでに北朝鮮から日本に向けて発射されたミサイルは、一発どころの騒ぎではありません。どんなに親北朝鮮日本人が擁護しようとも、北朝鮮に悪意があることは明白です。しかもその「悪意」が一体どういう意図に基づくものなのか、日本人にはなかなか理解が難しいのです。つまり、日本人には「北朝鮮が何を考えてるのかわからない」わけです。
にもかかわらず、依然として親北朝鮮・親韓・反日日本人がマスメディアには少なくなく、マスメディアという権威を背景にした発言に影響される日本人が多いことを考えると、その恐ろしさに慄然とします。
そういう意味で今回のような騒動は、その発言者が日本人として日本のことを考えているのかどうかを示すリトマス試験紙のような役割を果たしてくれていると言うことも出来るでしょう。
北朝鮮も韓国もさほど怖くはありませんが、日本国内に居る反日・親北朝鮮・親韓日本人や、日本人になりすましている特亞人の存在と、その煽動に軽々と振り回され、尻馬に乗って踊る人々の存在の方が、私にとっては北朝鮮のミサイルなんかよりも遥かに脅威なのです。
自分では食えない物を他人に食わせようとする悪意
さて、韓国に日本人村が出来るらしいというのは、月見チャットでも結構以前から時々話題になっていました。しかし、韓国の日本人村に住みたいと言う人が全くおらず、話が全然弾まないので、いつも泡沫的な話題で終わっていました。
最近これを、中国朝鮮族の配偶者を持つ親韓日本人がブログで取り上げているのを見ました。過去にあれだけ韓国を持ち上げ誉めそやしていたのですから、さぞや大喜びで韓国の日本人村構想を宣伝するのかと思いきや、案に相違して非常に懐疑的な筆致です。
その最たる理由は、親韓日本人当人がそこへ移住することを想定して考察しているためでした。あれだけ日本を腐し韓国を絶賛していた癖に、いざ自分がそこに住むとなると、全く考えられないと言うのです。
私は、日本への大量移民受け入れを強く反対する者ですが、私の知る人に日本への大量移民受け入れに強く賛成している人がいました。その人と日本への大量移民受け入れの是非について議論したことがあります。
長々と大量移民受け入れについて賛否両論を戦わせていたのですが、最後に私が「ならばまず、移民受け入れ実験を賛成派でやって、利害のデータを出してみろ」と言ったところ、その移民受入促進賛成派は「それは(大量移民受け入れ賛成派に対する)嫌がらせだ!」と言ったのです。
もとより、嫌がらせで言ったつもりは欠片もありません。日本への大量移民受け入れを議論するのであれば、それによってどういう利害が発生するのかを探るために、移民受け入れ実験をやってデータを取ることは、今も本心から必要だと思っています。
しかし大量移民受け入れ反対派世帯にその実験をしてみせろというのは酷に過ぎます。それに反対派が取ったデータであれば、移民受け入れに否定的な見解しか出ないでしょう。ならば、大量移民受け入れ賛成派世帯にその実験をやってもらえば良いと考えたのです。大量移民受け入れ賛成派がデータを取れば、賛成派に有利なデータになるでしょうし、もともと移民受け入れ賛成派なのですから、まさか自分の家や敷地内に移民を受け入れることを嫌がるとは思わなかったのです。
ところが、あれほど「日本への大量移民受け入れは必須」と言ってた人物が、「じゃあお前んちでその実験をやってみれ」と言われた途端、「それは嫌がらせだ!」と言い放ったのです。
私は正直驚きました。むしろ反対派からそんなことを言われる前に、賛成派が進んで喜んで自分たちの家や敷地内や、自治体ぐるみで移民を受け入れ、移民を受け入れることによる利害のデータを集め、反対派の説得に使うと思っていたぐらいだからです。
実は日本において、移民を自分の家や敷地内や、自治体ぐるみで受け入れるというのは、既に多くの実例があります。外国人を配偶者として迎えた場合などは、その最小単位の例と言っていいでしょう。大きい例では、群馬県の大泉町が有名です。横浜の中華街や東京の新大久保、大阪の鶴橋なども、その例に含めて良いかもしれません。
こういう実例がありながら、日本への大量移民受け入れ賛成派がこれを実例として取り上げもせず、そのデータを集めようともしないのは、大量の移民を受け入れることによって描かれている夢物語が、全くの夢物語でしかないことを示しているからです。
大量移民受け入れ賛成派が「じゃあ移民受け入れの実験をお前んちでやってみれ」と言われるのを「嫌がらせだ」と受け取るのは、彼らが移民受け入れによって期待される利益の陰に、被る損害が少なからずあることを熟知していながら、彼ら自身はその損害を引き受ける気が皆無であるということを示すとしか考えられません。
先述の親韓日本人もこれと同じです。あれほど日本を腐して韓国を誉めそやしていたくせに、「自分は韓国には住みたくない」と平然と言い放つことの無責任さをまるで自覚していないのです。自分では食えない、食おうとも思わないくせに、それを旨いと絶賛し、他人に是非食えと勧める行為の裏には、何らかの悪意があるに決まっています。
在日韓国人もやはり、日本を腐し韓国を誇る傾向が強いのに、ならば韓国に帰れと言うとたちまち激怒する不思議な人々です。
親韓・擁韓・反日日本人や在日韓国人たちは、自分では絶対に食おうとしないものを絶賛し、私たち日本人に食わせようとします。彼らの口車に乗ってとんでもないものを口に入れてしまう前に、何故彼らがそれを私たちに食わせようとするのかを、まず考えた方が良いと思った次第です。
日韓は相容れないということを認めることから始めよう
しかし、それらの中で「何故日本と韓国が共に手を取り合っていかねばならないのか」という理由を明確に述べているものは、極めて少ないのです。少なくとも、私は見たことがありません。
かつて日本が開国した頃は、西洋列強による植民地支配を免れるために、朝鮮半島を含む東亜と団結しなければならないという名分は確かにありました。それは名分というよりは、極めて切迫した現実であったことは容易に想像出来ます。
その後、日本が朝鮮を併合した期間において日鮮融和が議論の要無き当然の前提であったことも、やはり理解が可能です。何故なら、その期間の朝鮮半島は日本だったからです。
さらにその後、第二次世界大戦が終結した後も、日本が韓国を防共の砦として必要としたのは確かに事実であったと思います。
ですが、現在はどうでしょうか。
日本が他国に植民地とされる心配は、現在ではほとんどありません。あるとすれば、ならず者国家が国際批判や制裁もものかはの、なりふり構わぬ攻撃を仕掛けてきて、それに日本国内の反日勢力が呼応した場合でしょう。しかしこれは、他国と手を取り合って解決出来る問題ではなく、むしろ日本の現状から言えば他国からの干渉によって悪化する可能性の高い問題です。ましてや、その手を取り合う「他国」が韓国であった日には、寸毫も良い結果につながるとは全く思えません。
次に、日韓併合時における日鮮融和論ですが、これはわざわざ言うまでもないことだと思います。日本が朝鮮を併合していたがための日鮮融和必要論は、日本が朝鮮半島の領有を放棄した時点で意味を失っています。
最後の韓国防共砦論だけは、今も結構根強い論者が多いのではないでしょうか。もっとも現在では「防共」の意味が変化しているかもしれません。
かつて防共と言えば、「共産主義思想の侵入と拡大を防ぐもの」でしたが、現在韓国に期待される「防共」は、中国共産党による物理的な武力侵攻を食い止める役割でしょう。
かつての「防共」は、韓国にもそれを行なう意思がありました。当時の韓国にとって最も明確な脅威であった北朝鮮が共産主義思想に染まっている以上、韓国としては反共を国是とせざるを得ないという事情があったからです。
今はどうでしょうか。
率直に言えば、現在の韓国は既に赤化していると考えた方が良いでしょう。即ち、本来の意味での「防共」はもはや韓国には全く期待出来なくなっています。もちろん韓国人自身にその自覚は皆無でしょうけれど。
ならば、韓国に「中国共産党軍を防ぐ」という意味の「防共」を期待することは出来るでしょうか。どう韓国に贔屓目に考えても、私には全く期待出来ません。
まず韓国が中国から攻められた場合、必然的に「背水の陣」になります。「背水の陣」とは、普通は「水(河川や湖水、海など)を背後に構えた陣地では、兵隊は後退すれば溺れ死ぬしかないから、死にもの狂いで戦う」というものですが、先月朝鮮日報の名物記者鮮于鉦が書いた記事によると、太閤秀吉による朝鮮征伐において「小西行長が引き連れた先発隊だけで2万人だった。一方の朝鮮は申リプ(シン・リプ、リプは石へんに立)率いる兵士約8000人が弾琴台(忠清北道忠州市)で背水の陣を敷いたものの川で水死して兵力を欠き、街道を平壌城まで一気に明け渡すことになった。」と言いますから、朝鮮人は背水の陣を敷いても戦うよりは逃げることを考える者が少なくないのでしょう。
今の韓国人ならそんなことはないと言う方もいるかもしれません。ならば半万歩譲って、仮に韓国人が背水の陣を敷くことで中国共産党軍と死にもの狂いになって戦うとしても良いのですが、また別の懸念があります。
韓国人を含む朝鮮人に濃厚な習性として「弱きをくじき、強きにへつらう」というのがあります。もし中国共産党軍が韓国を足がかりに日本へ侵攻しようとすれば、韓国人が命を賭けてそれを防ぐなどということは考えられません。むしろ韓国軍が自ら進んで中国共産党軍に日本侵攻の道案内するでしょう。これはかつて、日本が朝鮮半島を足がかりに明を攻めようとした時、朝鮮人が日本軍の道案内をしたとしか考えられない日数で京城を攻め落としていることからも、確実だと断言します。
更に半万歩譲ってそんなことはないとしても、中国共産党軍が日本を攻める際、「韓国を足がかりにして」などというまどろっこしいことをするでしょうか。現在の軍事技術ならば、そんな必要などあまり考えられません。
即ち、今日においては日本が韓国を必要とする地政学的理由はほとんど消滅していると言って良いと思います。
ならば地政学的理由ではなく、経済的理由ではどうでしょうか。日韓友好必須論者には、「嫌韓は簡単に日韓断交などと言うが、日本が韓国からどれだけの利益をあげているのかわかっているのか」と言う人が少なくありません。
なるほど、確かに韓国の工業品は日本からの原料や資材、技術を必要としている物が多いようです。韓国が貿易で儲ければ儲けるほど、日本が儲かるということから、日本を鵜匠に見立てて、韓国を「鵜飼の鵜」と言うのもむべなるかなという側面があるのは、私も否定しません。
しかし、鵜匠と鵜の間にあるのは主従関係であって、友好関係ではありません。少なくとも、日本が明確に鵜匠としての自覚を持って韓国を鵜として使役しているのであればともかく、現在の日韓関係は鵜匠と鵜の関係とも言えないのではないでしょうか。
更に言えば、日本は韓国から一方的に利益をあげているだけなのかという疑問もあります。日本が韓国から被る損害は、有形無形さまざまなものがあります。日本はそれらを、正しく厳密に集計し分析し、韓国から得る利益と天秤に掛けているのでしょうか。
ギャンブルで負ける人は必ず、自分が勝った分しか勘定しません。負けた分や勝つために要した費用は、決して収支計算に入れません。日韓友好必須論者の日韓間における損得勘定も、それと同じではないでしょうか。
考えれば考えるほど、日韓間に友好が必要とは到底思えないのですが、いまだに「日韓は何が何でも友好関係を築かなければならない」と主張する人が絶えません。
それは地政学的理由でも経済的理由でもなく、「仲良き事は美しき哉」という日本人的な道徳観からではないかと思います。
そこで日本人は、韓国人と決して相容れないということを認めることから始めてはどうだろうかと思います。それを認めないからこそ、「仲良き事は美しき哉」で日韓友好を唱える人が絶えないのではないかと思うのです。
どれほど日本人が韓国人との友好を望んでも、また韓国人がどんなに日本人との友好を望んでも、それぞれが望む「友好」の形そのものが、双方にとって相容れないものなのです。
そのことを、とりあえず日本人側が悟るべきではないかと思う今日この頃です。
何度論破されても同じネタで攻撃してくる韓国人
韓国人が既に論破されている話を平気で何度も蒸し返すのは、別にソメイヨシノに限った話ではありません。竹島問題にしても日本海呼称問題にしても「いわゆる従軍慰安婦問題」にしても、概ねパターンは同じです。
日本人感覚では、基本的に一度結論が出た話を蒸し返すことはありません。もちろん、再検証を要する新事実が出てくれば話は別ですが、そうでない限り、一度結論が出た話はその結論に則って進めるのが当然であり、マナーであるとも言えます。
ところが韓国人は違います。日韓チャットでも日常的にあったことですが、一度結論が出た話を何度でも蒸し返します。当然、その都度論破するのですが、また別の日に別の韓国人が同じネタを携えて意気揚々とやってきます。時には、一度論破された当人が再び同じ内容の論争を挑んでくることもあります。もちろん、人や日時が変わっても、彼らが持ってくるネタは概ね同じものです。これを繰り返していくうちに、日本人側の知識はどんどん蓄積され、韓国人との討論手法はいよいよ研ぎすまされていきます。
対する韓国人たちはと言えば、討論手法に関しては基本的にまるで学習しません。彼らは、自分の主張に都合が良いと言うか、彼ら的に心地良く感じる資料やデータを与えられ、あるいは自ら探し、それがなければ捏造したり歪曲して、とにかく自分の主張をそのまま通そうとします。これは自称幼い学生からソウル大学の教授に至るまで、多くの韓国人が同じような行動様式を見せます。彼らを量産型と呼ぶ所以のひとつです。
このことは、韓国人にとって真実がどうであるかなど、どうでも良いということを示していると言えます。例えば、今旬のソメイヨシノ韓国起源説にしてもそうです。韓国人の関心はソメイヨシノそのものにも、済州島原産と言われる王桜そのものにもありません。
あるのは、サクラに対する好ましいイメージを我が物にしたいという欲望です。彼らが真に欲しているのは、ソメイヨシノに象徴されるサクラの好ましいイメージであり、ひいては日本の良いイメージなのです。ですから、彼らにとってソメイヨシノが王桜であるかどうかなど、どうでも良いことなのです。
それが証拠に、韓国人がソメイヨシノ韓国起源説で主張するのは常に「ソメイヨシノは韓国のものである」ということだけであって、それを立証するための諸要素はそれを唱える人や時によってコロコロと変わります。真面目に応じていると、イライラしてくるぐらいです。
もっとも韓国人を知る人ならば、彼らのこういう習性は逆に御しやすいとも言えるでしょう。彼らが何度論戦を挑んでこようとも、常に同じやり方で論破出来るからです。古田博司氏が、韓国人とのディスコース(discourse)において「僕は韓国人には絶対負けないので」と豪語するのも、氏が既に韓国人の習性を熟知しているからでしょう。
しかしそれでも韓国人は、何度でも同じやり方で主張を続けます。彼らの狡猾なところは、論破された相手だけではなく、別の相手に同じ主張をぶつけることです。一度論破された相手に同じ主張をぶつけても、同じように論破されるだけに決まっていますが、相手が変わればそうとは限りません。しかも日本人の中には、朝鮮人と互換性の高い人も少なくないのです。
日本人の底辺層と朝鮮人は互換性が高いと喝破した日韓チャット常連日本人がいましたが、その朝鮮人と互換性の高い日本人が韓国人の狙い目とも言えます。あるいは、「いわゆる従軍慰安婦問題」で見せたように、日韓の事情に疎い外国人に訴えかける手法もあります。
その結果、たとえ消極的であろうとも同意を得られればしめたものです。同意が得られなくとも、否定されなければ良いのです。韓国人にしてみれば「私の知ってる日本人(あるいは外国人)も私に賛同しました」と言えれば、それで良いのです。ひとたび投じられてしまえば、それを投じた人がどういう人物であろうと、一票は一票としてカウントされる選挙の票と同じです。
日本人がこれに対抗するには、韓国人が同じネタを出してきても、「またか」などと言ってあしらわず、何度でも丁寧に粉砕していくしかないでしょう。そうすることで、韓国人が音を上げるのを期待するのではありません。日本人に、韓国人からの攻撃に対する迎撃パターンを周知するのです。韓国人がどういうパターンで攻撃を仕掛けてくるのか、それに対してどのように応じれば良いのかを日本人が常識として備え、使いこなせるようになるまで。
それが今後の日韓の発展的関係解消に向けてのステップになると信じる次第です。