日韓は相容れないということを認めることから始めよう
しかし、それらの中で「何故日本と韓国が共に手を取り合っていかねばならないのか」という理由を明確に述べているものは、極めて少ないのです。少なくとも、私は見たことがありません。
かつて日本が開国した頃は、西洋列強による植民地支配を免れるために、朝鮮半島を含む東亜と団結しなければならないという名分は確かにありました。それは名分というよりは、極めて切迫した現実であったことは容易に想像出来ます。
その後、日本が朝鮮を併合した期間において日鮮融和が議論の要無き当然の前提であったことも、やはり理解が可能です。何故なら、その期間の朝鮮半島は日本だったからです。
さらにその後、第二次世界大戦が終結した後も、日本が韓国を防共の砦として必要としたのは確かに事実であったと思います。
ですが、現在はどうでしょうか。
日本が他国に植民地とされる心配は、現在ではほとんどありません。あるとすれば、ならず者国家が国際批判や制裁もものかはの、なりふり構わぬ攻撃を仕掛けてきて、それに日本国内の反日勢力が呼応した場合でしょう。しかしこれは、他国と手を取り合って解決出来る問題ではなく、むしろ日本の現状から言えば他国からの干渉によって悪化する可能性の高い問題です。ましてや、その手を取り合う「他国」が韓国であった日には、寸毫も良い結果につながるとは全く思えません。
次に、日韓併合時における日鮮融和論ですが、これはわざわざ言うまでもないことだと思います。日本が朝鮮を併合していたがための日鮮融和必要論は、日本が朝鮮半島の領有を放棄した時点で意味を失っています。
最後の韓国防共砦論だけは、今も結構根強い論者が多いのではないでしょうか。もっとも現在では「防共」の意味が変化しているかもしれません。
かつて防共と言えば、「共産主義思想の侵入と拡大を防ぐもの」でしたが、現在韓国に期待される「防共」は、中国共産党による物理的な武力侵攻を食い止める役割でしょう。
かつての「防共」は、韓国にもそれを行なう意思がありました。当時の韓国にとって最も明確な脅威であった北朝鮮が共産主義思想に染まっている以上、韓国としては反共を国是とせざるを得ないという事情があったからです。
今はどうでしょうか。
率直に言えば、現在の韓国は既に赤化していると考えた方が良いでしょう。即ち、本来の意味での「防共」はもはや韓国には全く期待出来なくなっています。もちろん韓国人自身にその自覚は皆無でしょうけれど。
ならば、韓国に「中国共産党軍を防ぐ」という意味の「防共」を期待することは出来るでしょうか。どう韓国に贔屓目に考えても、私には全く期待出来ません。
まず韓国が中国から攻められた場合、必然的に「背水の陣」になります。「背水の陣」とは、普通は「水(河川や湖水、海など)を背後に構えた陣地では、兵隊は後退すれば溺れ死ぬしかないから、死にもの狂いで戦う」というものですが、先月朝鮮日報の名物記者鮮于鉦が書いた記事によると、太閤秀吉による朝鮮征伐において「小西行長が引き連れた先発隊だけで2万人だった。一方の朝鮮は申リプ(シン・リプ、リプは石へんに立)率いる兵士約8000人が弾琴台(忠清北道忠州市)で背水の陣を敷いたものの川で水死して兵力を欠き、街道を平壌城まで一気に明け渡すことになった。」と言いますから、朝鮮人は背水の陣を敷いても戦うよりは逃げることを考える者が少なくないのでしょう。
今の韓国人ならそんなことはないと言う方もいるかもしれません。ならば半万歩譲って、仮に韓国人が背水の陣を敷くことで中国共産党軍と死にもの狂いになって戦うとしても良いのですが、また別の懸念があります。
韓国人を含む朝鮮人に濃厚な習性として「弱きをくじき、強きにへつらう」というのがあります。もし中国共産党軍が韓国を足がかりに日本へ侵攻しようとすれば、韓国人が命を賭けてそれを防ぐなどということは考えられません。むしろ韓国軍が自ら進んで中国共産党軍に日本侵攻の道案内するでしょう。これはかつて、日本が朝鮮半島を足がかりに明を攻めようとした時、朝鮮人が日本軍の道案内をしたとしか考えられない日数で京城を攻め落としていることからも、確実だと断言します。
更に半万歩譲ってそんなことはないとしても、中国共産党軍が日本を攻める際、「韓国を足がかりにして」などというまどろっこしいことをするでしょうか。現在の軍事技術ならば、そんな必要などあまり考えられません。
即ち、今日においては日本が韓国を必要とする地政学的理由はほとんど消滅していると言って良いと思います。
ならば地政学的理由ではなく、経済的理由ではどうでしょうか。日韓友好必須論者には、「嫌韓は簡単に日韓断交などと言うが、日本が韓国からどれだけの利益をあげているのかわかっているのか」と言う人が少なくありません。
なるほど、確かに韓国の工業品は日本からの原料や資材、技術を必要としている物が多いようです。韓国が貿易で儲ければ儲けるほど、日本が儲かるということから、日本を鵜匠に見立てて、韓国を「鵜飼の鵜」と言うのもむべなるかなという側面があるのは、私も否定しません。
しかし、鵜匠と鵜の間にあるのは主従関係であって、友好関係ではありません。少なくとも、日本が明確に鵜匠としての自覚を持って韓国を鵜として使役しているのであればともかく、現在の日韓関係は鵜匠と鵜の関係とも言えないのではないでしょうか。
更に言えば、日本は韓国から一方的に利益をあげているだけなのかという疑問もあります。日本が韓国から被る損害は、有形無形さまざまなものがあります。日本はそれらを、正しく厳密に集計し分析し、韓国から得る利益と天秤に掛けているのでしょうか。
ギャンブルで負ける人は必ず、自分が勝った分しか勘定しません。負けた分や勝つために要した費用は、決して収支計算に入れません。日韓友好必須論者の日韓間における損得勘定も、それと同じではないでしょうか。
考えれば考えるほど、日韓間に友好が必要とは到底思えないのですが、いまだに「日韓は何が何でも友好関係を築かなければならない」と主張する人が絶えません。
それは地政学的理由でも経済的理由でもなく、「仲良き事は美しき哉」という日本人的な道徳観からではないかと思います。
そこで日本人は、韓国人と決して相容れないということを認めることから始めてはどうだろうかと思います。それを認めないからこそ、「仲良き事は美しき哉」で日韓友好を唱える人が絶えないのではないかと思うのです。
どれほど日本人が韓国人との友好を望んでも、また韓国人がどんなに日本人との友好を望んでも、それぞれが望む「友好」の形そのものが、双方にとって相容れないものなのです。
そのことを、とりあえず日本人側が悟るべきではないかと思う今日この頃です。