工作員などいないと思わせる工作
しかし現在の日本に外国人工作員は、確実にいます。中でも厄介なのは、特亞三国の工作員でしょう。その中でも最も厄介なのは、朝鮮人の工作員です。
かつて北朝鮮による拉致が社会問題になった際、在日たちは「そんなことはあり得ない」と断言していました。理由はこうです。
「共和国(総連系在日は北朝鮮をこう呼ぶことが多い)が日本人を拉致するはずがない。もし共和国で日本語や日本の習慣を知る必要があれば、危険を冒して日本人を拉致しなくとも、我々在日僑胞を使えばいいのだから」と。
即ち、彼ら在日には、日本に対する北朝鮮の工作に加担する意思があったわけです。
だからと言って、在日全てが職業的、あるいは専業工作員であるはずはありません。むしろ職業的、あるいは専業工作員というのは極めて少数だろうと思います。ほとんどは潜在的な工作員であるだけで、普段は普通の生活を送る一般人です。これは本国韓国人も全く同じです。
日韓チャット常連日本人の間では、韓国人のほぼ全てが潜在的な工作員であると考えられています。何故なら、彼らは隙あらば必ず、日本人に「韓国的思考」を植え付けようとするからです。もちろん、それが対日工作であるという意識を持って行なっている韓国人ばかりではありませんし、そうしろという指令がどこからか出ているというわけでもありません。しかしその動機をどこからかの指令と表現するならば、韓国人社会(=ウリ)の同調圧力と言うことは出来ます。
韓国人が対日工作をしたからと言って、彼らに何かしらの具体的な報酬が与えられるわけではありませんし、おそらくは彼ら自身に、「対日工作をしている」という自覚さえないでしょう。しかし彼らに自覚があろうとなかろうと、対日工作をすることで、彼らは「ウリ」との一体感を改めて確認することが出来ます。
対日工作をしなければ韓国人社会から排斥されることを恐れなければなりませんが、対日工作をすれば具体的な報酬はなくとも、自分が「ウリ」の一員であることを確認出来、ひいては自分自身こそが「ウリ」そのものであるという錯覚と安心感を得られるのでしょう。
あるいは張景子のように、「中国のパスポートよりも、日本のパスポートのほうが都合が良いから日本国籍を取ったが、自分はあくまでも中国人であり、日本人になったつもりはない」と言い張る朝鮮人(※張景子は中国朝鮮族)もいます。これもまた、自覚なき対日工作員の一例と考えて良いでしょう。
もちろん、中にははっきりと自覚のある工作員もいます。しかしそういう工作員であっても、いかにも誰が見ても工作員とわかるような真似はしません。いかにも誰が見ても工作員とわかるような工作員は、映画やマンガ、小説の中にしか存在しないのです。工作員の多くは、出来るだけ目立たないように努め、一般市民に埋もれて、極めて普通に生活しています。当然、派手な工作を単独で行なうこともないでしょう。
何故なら、もし工作員であることがバレれば、工作活動に支障を来たすのは当然として、自身や家族に生命身体の危険が及ぶことも十分に有り得るからです。
昭和48年に、北海道出身で埼玉県上福岡市に住む主婦とその子供二人が失踪しました。この主婦の夫は朝鮮人で、主婦は夫が北朝鮮の工作員であることを周囲に漏らしていたと言いますが、おそらくその時点では誰も本気で聞こうとはしなかったのでしょう。
工作員である夫が消息を絶ち、夫を探すために主婦は、夫が勤めていた会社を訪れます。実はその会社こそが、北朝鮮の対日工作の拠点だったのです。
その後、主婦はその会社の工作員らによって殺害され、子供二人は北朝鮮に送られたと見られています。
この事件で殺害されたと見られる主婦の遺体は発見されておらず、いまだ不明瞭な点の多い事件ですが、それでも明るみに出ただけまだマシな方で、闇から闇へ葬られた事件は私たちが想像する以上にたくさんあるのではないかと思います。
先述の主婦の周辺の人々がそうであったように、日本人は工作員の存在を全く意識していないか、あるいは「工作員とは即ち都市伝説である」という刷り込みが入っているために、たとえ眼の前で明らかな工作活動が行なわれていても、それを工作活動だと認識出来る日本人は多くないのかもしれません。「そんな映画や小説の中のような出来事が、自分の眼の前で起こるわけがない」という、全く何の根拠もない確信を持っている日本人が圧倒的多数を占めるのでしょう。
なんと日本は、工作員にとって都合の良い国でしょうか。
しかし日本人がどう思おうと、既に日本には多数の工作員が潜入しています。警察庁は毎年のように、北朝鮮を含む諸外国からの対日工作に関する報告を行なっています。
普段の工作員は、全く普通の生活をしていて、一般人と何ら変わりがありません。先述の朝鮮人工作員のように、日本人と結婚して、普通の家庭を持っている者も少なからずいるでしょう。けれど一旦指令が下れば、彼ら工作員は躊躇なく工作活動を開始します。
日本にいる全ての外国人が工作員だとまでは言いません。日本にいる外国人のほとんどは無邪気な観光客であり、真面目な滞在者でしょう。しかし外国人の中には、確実に工作員が存在することは間違いありません。中でも特亞三国人は、更にその中でも朝鮮人は、そのほとんどが潜在的な工作員と思った方が早いぐらいです。
とりわけ友好の美名を冠して、日本人に謝罪や反省や賠償を求めたり期待したりする特亞三国人は、本人にその自覚があろうとなかろうと、工作員とみなすのが妥当です。今後そういう認識を日本人自身が持たなければ、日本は工作員たちの、ひいては彼らの本国のほしいままにされてしまうでしょう。
日本で工作活動を行なおうとする者にとっては、日本人が「日本に工作員などいない」と思い込めば思い込むほど好都合です。ですから、日本人にそう思い込ませ、またその思い込みが揺るがぬようにすることも、工作員の日本と日本人に対する重要な工作活動のひとつと言えます。
日本人に対して「日本に工作員などいるはずがない」「仮にいるとしても、そんなのはごく少数で、自分たちには全く関係がないし影響もない」という意識を広め、そう思い込むように誘導しようとする者は、工作員そのものか、あるいは工作員に工作されてしまった者なのだという意識を、私たち日本人は今からでも持つようにするべきではないかと思います。