繰り返し見聞き考えることの大切さ
さて、長らく韓国に関するブログを書いていると、書くネタに詰まることは一度や二度ではありません。
めぼしい時事ネタがあればそれを取り上げたり、他所の韓国ウォッチブログや在韓日本人のブログ(但し親韓在日日本人、親日韓国人のブログはほとんど見ておりません)を読んで、思いついたことをネタにすることもありますが、それでもネタがない時は、自分のブログの過去記事を読み返すことがあります。
何か言い足りなかったことや、その時は気づかなかったことを付け足すようなことがあればと思って読み返すのですが、期待するほど過去記事がネタになることはありません。それどころか、1年前2年前に書いたことがつい先日のことのように思えるぐらい、韓国は変わり映えがしないのです。
今回も、時事関連さえめぼしい韓国ネタが無かったので、昨年同月と一昨年同月の過去記事を読み返しておりましたが、言い足りないどころか、「このまま日付だけ変えてもう一度掲載しても全然不自然に感じないんじゃないだろうか?」と思えるほどでした。
昔、日韓チャットで常連日本人たちが韓国について談義していると、その光景を見て常連韓国人青年が嘲笑混じりに言いました。「毎日のように同じことを同じメンバーで言い合っているあなたたちは、進歩がない」と。
日韓チャットにいれば、量産型韓国人のサンプルは比較的容易に観察出来ます。量産型韓国人を見れば、私たち日本人は飽きもせず(いや、実際はかなり飽きてるんですがw)何度でも何故韓国人はああなのだろうと慨嘆します。確かに、傍目にはいつも同じことを言ってるようにしか見えません。
それはまるで螺旋階段を昇っているときに見える風景のようです。幾度回っても、巡る景色は以前に見たものとそっくりなのです。しかし、きちんと誠実に昇っていれば、必ず上に向かっています。目に映る風景は、一周回二周回前とそっくりに見えても、ずっと前に昇り始めた時に見えた風景とは全く異なっているはずです。
韓国や韓国人について、何度も何度も繰り返し話したり聞いたり読んだり考えたりすることは、一見進歩がないように見えるかもしれません。そんな暇があるならば、韓国や韓国人に関する新しい情報を仕入れたり、それまでとは異なる主題で討議する方が建設的という意見もあるでしょう。
しかし、日韓チャットでそう言って日本人をさらっとひとわたり見て話して理解したつもりになって去っていく韓国人たちと、韓国人を見て話して、なんでこいつらはこうなんだと、何度も何度も問い合い答え合い考え続けてきた日本人とでは、相手に対する洞察と理解に桁違いの差がついてしまったことを、後に件の日韓チャット常連韓国人青年は認めざるを得ませんでした。
しかもその知識や見解は、少なくとも日本のネットユーザーの間ではかなり広く共有されつつあると言って良いでしょう。最近では、親韓寄りの日本人の間にも、私たちが唱え続けてきた韓国人観を唱える人を見ることがあって、かえってこちらが驚くぐらいです。
書籍などでも、一度読んだだけで著者の訴えたいこと全てを理解することは凡人には不可能です。一度聞いただけで、その時は全てわかったようなつもりになっても、実際には半分もわかっていなかったということに気づいたことは、私には幾度もあります。多分、今でもその癖は治っていませんw
だから、同じ対象について何度でも何度でも繰り返し見聞き考えることは、多分良いことなのではないかと思います。そうすることで、早飲み込みや早とちり、薄くて浅くて上っ面な、早く言うと「朝鮮侮り」的理解を回避出来るのではないかと思うのです。
韓国は、何度でも言いますが薄くて浅くて上っ面です。だから弊ブログでは、言いたいことは既に概ね言い尽くしました。それでも、弊ブログではまだ韓国を見て聞いて話して考えて書き続けています。
弊ブログの膨大な過去記事を最初から律儀に追い掛けている方もそれなりにおいでのことと思いますが、読破を急がなくても大丈夫です。多分、ブログ2年目以降からは、半分ぐらいは同じことを言っています。
その上で、同じことを繰り返し述べることの大切さも、これまた何度でも述べたいと思います。何度も繰り返し述べ、また読むことで、韓国の薄さ浅さ上っ面さを、より一層正確に理解出来るようになるでしょう。最新の韓国ニュースで見た韓国人の奇矯な思考の根源や理解に苦しむ行動の原理を、弊ブログの過去記事の中に見つけることもきっと出来るはずです。
そうやって一人でも多くの日本人が、韓国について侮らず深く正しく理解し、彼らにどのように対応すれば良いかを判断出来るようになることが、日本を韓国の侵食から守ることにつながり、ひいては日本と日本人について真摯に誠実に考えることにつながっていくのだと、私は固く信じています。