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韓国人にとって「恨」は良い感情か

10月も明日で終わり、今年も余すところあと2ヶ月となりました。さすがに霜月間近ともなれば、朝晩はずいぶん寒くなってきておりますが、皆様方におかれましてはどうぞお風邪など召されませぬよう、くれぐれもご自愛ください。

さて今回は、非公開コメントで朝鮮人の「恨」についてご質問をいただきましたので、それをお題にしたいと思います。

ある韓流ファンのブログで、「恨」について以下のようなメッセージがあったそうです。
以前、更新されていた記事の中でユノ君が「勝負の神」で涙を流した時の韓国記事、『恨ハンがあるから…』という発言がありましたよね。ワタシ、通訳をしている方に意味を聞いてみました。『過去の傷や悔しさ悲しさなどの辛い記憶を土台にして決して同じことを繰り返さない様に次は必ず成功させてみせると決意する思いの表現として使われるそうです。マイナスの出来事を燃料に大きなエネルギーを爆発させる感情~日本人は字面のせいか韓嫌などに物騒な国民性だと叩きのネタになるが、決して悪いものではなく寧ろいい意味なんですって。簡単にいえば悲壮な覚悟。『情念』と訳すがこれも完全ではなく、例えば『 去年の受験の失敗をハン恨に思って頑張ります』という使い方をするそうです。

このメッセージを受けて、「韓国人の「恨」とはこのようにポジティブに解釈出来るものなのか」というご質問を、非公開コメントで頂戴いたしました。

「恨」は、「ウリ」と並んで、韓国と韓国人を考える際の最重要キーワードであると私は考えております。ですのでこれまでにも弊ブログで度々述べたことがありますが、今回ご質問を頂戴したのを機に、「恨」について今一度申し上げておこうと思います。

韓国人の「恨」とは何かと言うと、一言ではと言うか、言葉ではなかなか表現が難しいのですが、誤解を恐れずものすごく大雑把に言ってしまえば、「押し殺したまま抱き続けている負の感情」が「恨」です。

先述のメッセージにあるとおり、「恨」が発奮材料として機能することも、時と場合によってはあるかも知れません。しかし「恨」とは基本的に「負の感情」であって、韓国人自身がそれを抱いていることを良いとか好ましいなどと思っているということは、絶対にあり得ません。

これも以前に書いたことがありますが、韓国人は基本的に自分の望みは全て余すところなく叶えられて然るべきだと考えています。しかし現実的には、韓国人に限らず、その人の全ての望みが余すところなく叶えられるなどということは絶対にあり得ません。傍目にどれほど恵まれていても、不満がないように見える人でも、心の中には叶えられなかった望み、叶わぬ望みというものが必ず幾つもあるものです。

自分の望みが叶えられないと知った時、韓国人でなくとも、悔しく悲しく憤ろしい感情に苛まれるものです。それは間違いなく「苦」です。しかしその「苦」を理解し、受け入れ、その原因を探り、場合によっては反省し、今後の教訓とするのが人間の智慧というものでしょう。この智慧を仏教用語で「諦」と呼んでいるということは、以前にも述べたことがあります。

しかし「恨」にそういう働きはありません。あるのは、幼児が欲した玩具や菓子を買ってもらえなかった時のような、望みが叶わなかったことに対する悔しさ悲しさ憤ろしさだけです。

前述のメッセージ内にある「過去の傷や悔しさ悲しさなどの辛い記憶を土台にして決して同じことを繰り返さない様に次は必ず成功させてみせると決意する思い」とか「マイナスの出来事を燃料に大きなエネルギーを爆発させる感情」というのが、全く根も葉もないデタラメだとまでは言いません。結果として「恨」がそういう働きをする可能性はあると思います。

しかし韓国人の場合、「恨」を抱けばそれを「解く」ことに意識が行ってしまうために、何故望みが叶わなかったのかという原因を探ったり、望みを叶えるために自分に足りなかったことを反省したりということがありません。ですので「恨」が発奮材料になるとしても、それが必ずプラスの方向に働くとは限らないのです。

むしろ正しく原因を見つめるということをしないために、何故そのような結果になったのかが理解出来ず、また反省が自分に向くことがないので、往々にして同じような失敗や間違ったやり方を繰り返し、その都度新しい「恨」を募らせていくことになります。韓国の歴史を顧みれば、随所でそれが見事に反映されているのを見て取れますし、最近の例で言えば、韓国の人工衛星打ち上げロケット羅老号の度重なる発射失敗に対する反応が好例と言えるでしょうか。

客観的に「恨」がネガティブなものであるのは明白ですが、韓国人の主観的に言っても、「恨」は「解かれるのが望ましいもの」であって、いつまでも心の中に蓄えておいたり、ましてや多量に持っている方が良いとか、たくさん持ちたいなどというものでは決してありません。

韓国人にとって「恨」を持つことがとてもつらく悲しく苦しいことであるからこそ、多くの「恨」を持っていても、それに負けないガッツをアピールすることは出来るかもしれませんが、だからと言って「恨」そのものを無理やり良い意味に解釈するのは、贔屓の引き倒しと同じことではないかと私は考えます。

尚、最初に引用したメッセージの【過去の傷や悔しさ悲しさなどの辛い記憶を土台にして】云々という記述の前置きに「ワタシ、通訳をしている方に意味を聞いてみました。」とありますが、実際はどうやら、某巨大匿名掲示板難民板の【東方神起の雑談避難所5678 レス番143】を改変したものと思われます。



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