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内閣府の「外交に関する世論調査」を見て

内閣府が11月26日に発表した「外交に関する世論調査」によると、39.2%の日本人が韓国に対して「親しみを感じる」と答えたそうです。この調査に関する報道では、日本人の中国に対する非親近感の増大の方がクローズアップされていましたが、この「中国に対する非親近感の増大」の所以は、先般中国各地で大規模な反日暴動が発生し、莫大な人的物的被害が発生したことに対する怒りと嫌悪感と反発からでしょう。

韓国では、中国で発生したような大規模な反日暴動は起きていません。ですが韓国人の対日侮辱行為は、個人から国家規模に至るまで、倦まず弛まず間断なく、執拗に続けられてきました。

それに対し、日本はとにかく徹底して穏便に対応してきました。謝れと言われれば謝り、賠償しろと言われれば諾々とカネを払ってきました。韓国の良いところばかりを探して、無ければ捏造してでも報じ、韓国の悪いところは出来る限り報じぬよう、報じても目立たぬようにしてきました。

日本側のそういった姿勢は、日韓の友好に何ら寄与せず、そればかりか韓国側の増長を促しました。結果、現役の韓国大統領が、日本固有の領土である竹島に不法上陸し、更に公然と天皇陛下を侮辱する発言を行なうに至ったのです。

中国の反日暴動は、反日を隠れ蓑にした反政府暴動という側面があると指摘されていますが、韓国の反日行動は、全て純粋な反日であり侮日です。そういう意味で、韓国の反日度は確実に中国よりも高いと言えるでしょう。

そんな韓国に対し「親しみを感じる」と答えた人は、1838人中39.2%もいるという集計結果が出ています。その内訳を見れば、韓国に対して「親しみを感じる」と答えた人9.7%、どちらかというと親しみを感じると答えた人は29.4%とあります。

これを見て、「韓国に対して親しみを感じる人が日本に4割もいるのか」と見るか、「日本では6割の人が韓国に対して親しみを感じないのか」と見るのかは、人それぞれでしょう。

私は、「韓国に対して親しみを感じると答えた4割の人々の内、韓国についてきちんと知っている人は何割いるのだろうか」と思いました。

日本では、今日でも韓国はあまり知られていません。韓流捏風吹き荒ぶ日本のメディアからの情報を鵜呑みにしている韓流ナントカさんたちにしても、どの程度きちんと韓国を知っているでしょうか。

私は見たことがありませんが、韓流ドラマを見ていても、韓国の真実を見出すことは出来るかもしれません。ですがそれも、ちゃんと韓国について知っていればの話です。韓国についてちゃんと知っていなければ、虚飾にまみれた韓流ドラマの中に、韓国の真実が垣間見えることにさえ気づくことが出来ないのではないでしょうか。

いくら「知れば知るほど嫌いになる国」と言っても、韓国を知った人全てが例外なく韓国に親しみを感じなくなるとまでは、もちろん言いません。蓼食う虫も好き好きということわざもあります。人が毛嫌いするものを好む人は、どこでも常に一定数存在します。

それに、日本には在日という身中の虫が十万単位で存在します。その中には、日本人に擬装する者も少なくありません。ですから、韓国に親しみを感じる人の存在は、日本では決してゼロにはならないでしょう。

しかしそれにしても、4割が韓国に親しみを感じるというのは多いように感じます。そこで前述の、韓国に「親しみを感じる」と答えた人の割合と、「どちらかというと親しみを感じる」と答えた人の割合を見ていただきたいと思います。

韓国に、「親しみを感じる」と答えた人9.7%に対し、「どちらかいうと親しみを感じる」と答えた人は29.4%です。この「どちらかというと親しみを感じる」と答えた人のほとんどは、韓国をほとんど知らない人ではないでしょうか。

韓国を知らない人ほど、大手メディアからのサブリミナルやステルスマーケティングで押し付けられる、韓国に対する親近感に無防備であることは間違いありません。韓国について積極的に知りたいとは思わないし、実際知ってるわけでもないけれど、日本のテレビやラジオ、新聞、雑誌を見ると、韓国関連の話題が常にちらつきます。

ネットが普及した今日でも、「テレビで見た」「テレビでこう言ってた」「新聞にこう書いてた」と言えば、それだけで強い説得力を感じる人の方が多数派でしょう。それら大手メディアが、韓国を好ましいと思わせるような情報ばかり執拗に流せば、韓国に対して関心がない人ほど、その影響を強く受けるに決っています。

また「韓国を知っている」と思っている人でも、どの程度「韓国を知っている」のか非常に疑わしいと思います。例えば、「近所に韓国人がいた」とか、「同級生が韓国人」とか、「会社の同僚が韓国人」とか、「配偶者が韓国人」とか、あるいは「韓国に長期の滞在経験がある」という人でも、韓国をちゃんと知らない例は珍しくありません。

何しろ、先祖代々韓国人の両親から生まれて、韓国から一歩も出たことがない大人の韓国人でさえ、韓国をちゃんと知らないということが珍しくないのです。よほど意識して韓国を見つめていないと、どんなに韓国に近づいても韓国は見えません。下手に近づけば、韓国の「薄くて浅くて上っ面」に視界全てを奪われてしまいます。

韓国に「親しみを感じる」と答えた人の中には、そういう「韓国を知っているつもり」の人も少なからず含まれているのではないでしょうか。

そう考えると、この「韓国に対する親近感」は、概ね日本人の「韓国に対する理解度」に近いと考えて良いのかもしれません。

即ち、現在の日本には、韓国をある程度知っているか、何らかの関わりがあって積極的な好意を抱いている人が1割程度、韓国について積極的な興味も関心も知識もないがために、積極的な嫌悪感や忌避の必要性を感じていない人が3割程度、韓国に関する理解度は不明だが、韓国に対する明確な嫌悪感を抱いている人が6割程度と読めば、なんとなく納得出来ます。

いずれにせよこの調査結果から、日本には韓国に対して無邪気な好意を抱くことそのものが危険ということさえ知らない人が、3割程度は存在するらしいと読むのに異論を唱える人はありますまい。

その3割の人たちに、韓国に対して無邪気な好意を抱くことがどれほど危険なことかを広めることが、弊ブログの願いです。



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日韓相互誤解

韓国では反日教育が行なわれていると言うと、たいていの韓国人が「韓国では反日教育なんかしてない」と反論します。それならばと、韓国での反日教育と思われる映像や資料を見せても、韓国人は「これは反日教育ではない」と言い張ります。

長らくそれは、韓国人の減らず口だと思っていました。

今の若い韓国人にとって、反日感情を露わにすることは、どうやら「カッコ悪い」ことのようです。彼らにとって「反日」とは、日本で言えばかつての学生運動みたいな、時代遅れの感情的政治感覚というイメージがあるのかもしれません。

だから彼らは、「韓国では反日教育なんてやってない」と言い張るのだろうと思っていました。しかし最近になって、もしかして彼らは、本気で「韓国では反日教育などやっていない」と思っているのかもしれないと思うようになってきました。

以前、日韓チャットで韓国人が、あまりにも執拗に他人の個人情報を詮索するので、面倒臭くなって職業詐称していたことがありました。その時の私の肩書きは、「ソウル大学文学部反日思想学科客員教授」でした。もちろん嘘です。と言うかそもそも、ソウル大学に反日思想学科など存在しないでしょう。あったらびっくりです。

当初、私がそう名乗れば、韓国人からは即座に「ソウル大学にそんな学科があるはずがないニダ」というツッコミがあるに違いないと思っていました。ところが案に相違して、私がそう名乗っても、韓国人の誰一人として「ソウル大学にそんな学科があるはずがない」と言わなかったのです。

例えば、日韓チャットで韓国人が「ウリは東京大学文学部嫌韓思想学科客員教授ニダ」などと言えば、それを聞いた日本人は、東大の諸学部について全く知識がなくても、わざわざ調べるまでもなく東大にそんな学科があるはずがないと断定するでしょう。

嫌韓思想というものが、そもそも日本では広く認知されていません。少なくとも大学で教壇に立つ人の間では、嫌韓は思想とは考えられていないでしょう。確認したことはありませんが、おそらく人種または民族差別や、自身の劣等感を韓国人に投影したものだとイメージしている人が多いのではないかと思います。

ですから現在のところ、日本で「嫌韓思想学」などという学問が成立するはずもなく、東大でなくともそんな学科を設置している大学は、多分日本にはないでしょう(もしあったらお知らせください)。

そこまで具体的に考えなくとも、日本人の一般常識では、「嫌韓思想学」という学問そのものの存在を直感的に疑うはずです。

しかし韓国人は、「反日思想学」という学問の存在を疑いませんでした。それは彼らが「反日思想学」という単語を理解出来なかったか、あるいは「反日思想学」という学問の存在が、韓国では有り得ると考えられているからのどちらかではないでしょうか。

「反日思想学」という言葉が理解出来ないというのは、日本人にはなかなか実感として理解しづらいものがあります。日本においても韓国でも、「反日」や「思想」は難しい語彙ではなく、使用頻度も低くありません。日本人なら「反日思想学」という合成語がどういう意味かを、一目で理解出来るでしょう。

けれどこれが「ハンニチシソウ学」と書かれていればどうでしょうか。字面からとっさにその単語の意味を理解するのは、一気に難しくなるでしょう。それでも漢字を知っている私たちは、頭の中で漢字を当ててみて意味を類推することが出来ますが、韓国人にはその能力がありません。そのため彼らは「反日思想学」と言われてもとっさにその語彙の意味やイメージが浮かばなかったという可能性はあります。

ただそれにしても、「反日感情」や「反日意識」「反日教育」などの合成語はほとんどの韓国人が理解しておりましたので、「反日思想」+「学」という言葉を、たいていの韓国人が理解出来ないと考えるには無理があります。

ですから、可能性としては後者、即ち「反日思想学」という学問の存在が、韓国人のイメージでは有り得ると考えられている可能性の方が高いでしょう。

韓国では、反日は正義であり道徳です。その背景には韓国の歴史がある、と韓国人は心から信じています。韓国では、自国の歴史教育に力を入れていることは夙に有名です。故に「反日思想学」という学問が存在するというイメージは、私たち日本人が思う以上に、韓国人にとっては自然なのかもしれません。

そこで話が最初に戻ります。たいていの韓国人が、「反日教育など行なわれていない」と言い張るのは何故なのでしょうか。

それは韓国人が、「反日思想学」という学問が存在するというイメージに違和感を覚えないように、「反日教育」と言われれば、「反日」という教科が存在するというイメージを持っているのではないかということです。

「国語」「算数」「理科」「社会」「反日」という風に、「反日」という科目が存在し、その授業を受けることを、韓国人は「反日教育」と思っているのではないでしょうか。

そう考えると、韓国人が一様に「韓国では反日教育など行なわれていない」と言い張るのもすんなり理解出来ます。いくら韓国が反日国と言っても、学校の授業に「反日」と銘打った教科を設定しているとはさすがに思えません。

韓国人にとっての「反日教育」のイメージとは、「反日」という科目があって、教科書があって、それ専用の授業が教育課程に組み込まれているもの、というものなのでしょう。ですから、反日教育を受けたことがないと韓国人が言うのも、韓国人的には嘘ではないのでしょう。

何事につけ日本人と韓国人の話は食い違うことが少なくありません。それは日本人が、何事につけ掘り下げて理解しようとするのに対し、韓国人が上っ面だけの理解で済ませようとするとか、韓国人が呼吸するように嘘をつくという性質などに依るところも多いでしょう。

しかしそれ以上に、今回取り上げた「反日教育」のように、双方が同じ事柄について話しているつもりでも、日本人と韓国人ではその事柄に対する認識が全く異なっていることが多いためではないでしょうか。

更に、それよりももっと恐ろしいのは、日本人と韓国人で認識が一致していると思っている事柄が、実は双方の認識が異なっていることに気づいていないだけということも、案外たくさんあるのかもしれないということです。

相互理解のつもりで相互に誤解しあっているというのは、日本と韓国の関係を象徴するものではないかと思った次第です。



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韓国擁護は易く、批判は難し

こういうブログを書いていて時々思うのは、日本における韓国批判の難しさです。

韓国を嫌いと言うだけで白眼視されかねなかった10年前と比べれば、ここ数年で日本における韓国に関する批判的な論調への許容度は確かに増しました。しかしそれでも、韓国擁護と比べればまだまだ茨の道と言って良いでしょう。

対する韓国擁護は、実に楽に見えます。確かに、親韓や擁韓主張は嫌韓から攻撃される恐れはあります。ですがそれ以上に、親韓・擁韓に対するバックアップは潤沢です。

日本では、大手メディアのほとんどが親韓ですし、日本の経済界も、どんなに韓国に煮え湯を飲まされても甘い顔を続けています。何より日本政府が、どんなに韓国に舐められても毅然とした態度を示せません。

韓国では、国を挙げて自国のブランドイメージ向上に取り組んでいます。その一環として韓国を擁護し、韓国のブランドイメージ向上に寄与するパワーブロガーを、韓国は全面的にバックアップしているようです。在韓日本人が書く韓国紹介ブログの中には、それを匂わせるブログがあります。

これまでにも何度も述べてきましたが、韓国にとって日本という存在は、非常に大きいものがあります。日本がなければ、韓国は夜も日も明けないと言って過言ではありません。日本を憎み呪い恨みながら、同時に彼らは、何事につけ日本から評価されなければ自信が持てないほどに、日本という存在に依存し切っています。

そんな彼らにとって、日本人の書く親韓・擁韓ブログというのは、本当に嬉しく心強いものなのでしょう。

更に日本では、嫌韓よりは親韓・擁韓の方がマシと思われているフシがあります。少なくとも、日本のメディアはそう発信しています。

どんなに極悪非道な相手でも、自分に直接の被害がなければ、それをあからさまに指摘することを日本人は嫌います。そういう人々は、必ずしも極悪非道な人間を擁護するのではありません。「そういう極悪非道な人間がいるという(自分にとって不快な)事実を知らしめること」を嫌うのです。

それは自分に直接の被害がなければ、悪いこと、汚いこと、醜いことを見たくない、聞きたくない、知りたくないという人々が多いと言い換えても良いでしょう。そういうことをあえて知らしめようとする人がいれば、「そういう事実の存在」を憎むのではなく、「そういう事実の存在」を知らしめる人を嫌うことで、「そういう事実の存在」から目を逸らそうとするのかもしれません。

その気持ちは、わからなくもありません。私自身、もう何年も韓国批判を書き綴っていますが、正直言って、神経が焼き切れそうな心持ちがしたことは何度もあります。何が楽しくて、私はこんな醜怪な連中のことを自ら進んで書いて、自分の神経をささくれ立たせているのかと思ったことは、数え切れません。

自ら好き好んで進んで書いている当人がそうなのですから、そんなブログを読んでいる人の中にも、そういう気分になる人は当然いるでしょう。何が嬉しくて、こんな「不快な事実の存在」を知らなければならないのかと。

それでも、日本にとって韓国という存在が脅威であることを知り、その対策に意を注ぐ志のある人ならば、まだ我慢して読むことも出来ます。しかしそういう志のない人にとって韓国に関する批判や警告は、悪臭漂う醜怪な物体を、無理やり鼻先に突きつけられるに等しいのかもしれません。

その点でも、親韓・擁韓は楽だと思います。それが嘘でも誇張でも捏造でもデタラメでも、韓国に関しては綺麗で美しく快適で便利で優れていることだけ書いていれば良いのです。たまにわずかに韓国に関する批判的なことを書くことがあっても、それは韓国擁護にメリハリを付けるためのスパイスです。危険も不安も不快も不潔も隠して、安全で平穏で快適で楽しいことばかり書いていれば、書く人の精神衛生にも良いでしょうし、読む方だって気分が良いに決まっています。

日本人の行動規範は「美」と書いたことがあります。そういう日本人にとって、韓国の正体が悪臭漂う醜怪なものであることを暴露し広報することは、「不正義」であり「非道徳」としか捉えられないのでしょう。実際、それがたとえ事実であっても、他人の悪口を聞いて楽しめる日本人は多くありません。「他人の悪口を言わないこと」が美徳である日本では、韓国批判が受け入れられ難いのは当然です。

ここでも、韓国は楽です。韓国において、日本への悪口雑言は正義であり道徳です。どれほど日本を嘲り罵っても、それを不快に思う人は少ないし、不快だと言えばそう言った人が非難されるでしょう。「お前はそれでも韓国人なの?」と。

韓国では、たとえ日本人であっても、日本を蔑み韓国を称えれば賞賛されるし、立ち回り方によってはインセンティブさえ望めるのです。日本では、韓国という災厄に対する警鐘を鳴らすだけで後ろ指さされかねないのと比べれば、本当に雲泥の差としか言いようがありません。

日本人が韓国批判ブログを書き、あるいは読むモチベーションは、直接韓国からの被害を受けている人以外では、ひとえに損得抜きの公憤しかありません。韓国擁護やそれとセットになった日本批判には、公的なバックアップが期待出来る親韓・擁韓と比較すると、日韓いずれの国においても、韓国批判を継続的に行なうにはまことに厳しい環境です。

日本における韓国批判に、韓国におけるディスカウントジャパン運動のような公的支援をとまでは望みません。ただせめて、公憤に基いて警鐘を鳴らす人々の背中を撃つことがなくなる日本になればと望むばかりです。



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続・毒になる国

弊ブログでは、これまで日本にとって韓国という国は災厄に等しいということを申し上げてまいりました。ネットの普及によって、その理解も徐々に拡がってはいます。

しかし、頑なに韓国と誼を通じるべしと主張する勢力は、いまだ日本人の中に一定数存在します。何故彼らは、韓国との友好に固執するのでしょうか。

ひとつには、利権が考えられます。役得と言い換えても良いでしょう。

日本と親密であることで、韓国は日本から多くの援助を期待できます。そのおこぼれを狙う連中は、日韓友好を促進することに前向きでしょう。

また韓国は、国家ブランドイメージを向上させるために多額の国家予算を組んでいます。韓国の国家ブランドイメージ向上に協力すれば、私腹を肥やすことは容易です。日本と韓国が親密であればあるほど、その余地は拡がりますから、そういう人たちが日韓友好に固執するのは当然です。

あるいは、製造業の技術者から芸能人に至るまで、日本で多少落ち目になっても、韓国でなら十分通用する技術や能力を持っている人にとって日韓友好は、非常に望ましいのではないでしょうか。

もしくは、結婚などで韓国人と濃厚な関係を持っている人にとって、日韓の関係はダイレクトに自身の人間関係に影響しますから、出来る限り良好な日韓関係を望まない人はいないでしょう。

言うまでもなく、在日や日本国籍を得た朝鮮人にとっても、日韓友好は極めて重要です。日本と韓国の関係が良好であれば、コウモリのようにどちらの国にも良い顔が出来て、いいとこ取りが出来ますし、また双方からも比較的暖かく受け入れられます。ですが、日韓関係が剣呑になれば、双方から邪険にされ、排斥されてしまうでしょう。

そういう人々にとって、日韓友好の促進が重要課題であるのは理解出来ます。しかし、そうではない日本人にとって、日韓友好の促進によるメリットとデメリットのバランスはどうでしょうか。

何度でも言いますが、日本にとって韓国との付き合いは間違いなく災厄です。メリットとデメリットのバランスをはかれば、明らかにデメリットに傾きます。

故司馬遼太郎氏は生前、何度も「日韓併合は日本にとって、持ち出しばかりでちっとも儲けにならない、そろばんの合わない商売だった」と言っておられましたが、実はそろばんが合わないのは、日韓併合に限ったことではありません。日韓国交正常化以後の日韓間の収支を厳密に弾き出せば、確実に日本側の大赤字でしょう。

それでも、韓国が防共の砦として機能していた間は、日本側の差損を必要経費と考えて目をつぶることは可能でした。しかし北朝鮮による対南工作の完了によって、今の韓国には防共の機能さえ望めないのです。それどころか、韓国自身による日本への敵意や工作が暴露されつつあります。

日韓併合前夜、日本の保護下にあった朝鮮は、裏では日本に対する敵対行為に勤しんでいました。その最も顕著な例が、ハーグ密使事件です。

この卑劣な陰謀を知った伊藤博文公は、高宗に謁見して「斯くの如き陰険な手段を以って日本保護権を拒否せんとするよりは、寧ろ日本に対し堂々と宣戦を布告せらるるには捷径なるに如かず(こんな陰険なやり方で日本の保護権を拒否しようとするぐらいなら、むしろ日本に対して堂々と宣戦布告なさった方が手っ取り早いですぞ)」と激怒したといいます。

李明博韓国大統領の竹島不法上陸から天皇陛下侮辱発言とその言い訳に至る一連の流れを見た私たちは、この時の伊藤博文公の憤りを実感として理解出来るはずです。

日本がどれほど韓国に手を差し伸べ、友好を深めようとしても、韓国人たちは常にその裏で私たちを陥れようと画策します。それは100年前からおそらくこの先未来永劫変わらぬ、朝鮮人の習性なのです。

毒になる親」という本がありましたが、さしずめ日本にとっての韓国は「毒になる国」です。

この「毒」も、ごくごく少量ならば「反面教師」という薬に出来なくもありませんが、既に日本国内にある「毒」だけで日本が病むには十分な量であり、その上日本を訪れる「毒」の量は、いつ致死量に達しても不思議ではありません。

そうなる前に「毒」との接触を断ち、体内の「毒」を出来る限り排出するように、私たち自身が努めなければ、私たちの未来はない、かもしれません。



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日本人はヌンチがない?

韓国語に「ヌンチ」という言葉があります。

「ヌンチ」の「ヌン」は、どうやら朝鮮固有語で「目」を意味し、意訳すると「目働き」とか「目配り」というニュアンスになるでしょうか。「ヌンチがある」「ヌンチが早い」などという使い方をするそうです。

これを「事態の展開を読んで、先回りして行動すること」と言えば、何やら日本語の「配慮」や「空気を読む」と同じかと早合点しそうになりますが、実際にはそうでもありません。

日本人は韓国では、「ヌンチがない」と言われることが多いそうです。しかし、日本のサービスの質が世界的にも高く評価されているのを見れば、日本人に「配慮」や「空気を読む」能力が欠けているとは思えません。

それどころか、韓国の詩人である金素雲が、かつて日本人の「思いやり」を高く評価し、「韓国に移植したい」とまで言ったように、韓国人から見ても、日本人の「空気を読む」と言うか、「気配り目配り思いやり」のレベルは決して低くありません。

それなのに何故日本人が韓国人に「ヌンチがない」と言われるのでしょうか。あるいは逆に、韓国人に「ヌンチがある」ならば、何故彼らはあれほどまでに思いやりがなく、空気が読めないのでしょうか。

それは日本の「配慮」と、韓国の「ヌンチ」が異なるものだからとしか言いようがありません。

韓国人と接すると、「ヌンチ」を求められることが珍しくありません。もちろん日韓チャットでも同様です

彼らから求められる「ヌンチ」は、日本語で言うところの「気を利かせる」というのに近いのではないかと思います。韓国人が遠回しに回りくどく言うのを聞いて、その本意を察し、更に相手が何を求めているかを推察して、それに適うように応答すれば、韓国人に「あなたはヌンチがある」と言ってもらえるでしょう。

つまり「ヌンチ」は、日本語に訳すならば「小賢しさ」とか「小利口さ」「小知恵」とでも訳した方が、「空気を読む」などと訳すよりもニュアンスは確実に近いと思います。

韓国人は率直であるなどと聞かされて、素直にそれを信じれば、高い確率で「日本人はヌンチがない」と言われてしまうように、韓国人は決して率直ではありません。それどころか韓国人の裏表の激しさは、「ホンネとタテマエがある」と言われる日本人でさえ、比較にならないほどです。しかも彼らは、そのことを全く自覚していないのです。

日本人にも、そういう人は結構います。自分はちっとも他人に気を使わず、他人の感情を逆撫でするようなことをズケズケと言い、それを咎められると「悪気はない」「あなたが気にし過ぎ」などと言って、自分では「竹を割ったようなさっぱりした気性」などと思っています。

そのくせ、自分が他人から気に障るようなことを言われたりされたりするとたちまち憤り、いつまでも根に持ちます。言いたいことをはっきり言わず遠回しに言い、自分の望んでいることを相手が察しないと不平を鳴らしたり非難したり、酷い場合には相手の悪口を周囲の人たちに吹き込んで、外堀を埋めようとします。

こういう人が身近にいれば、どう対処するのが一番でしょうか。常に相手の顔色を伺い、気を使いながら、ひたすら親しみを示し続け、誼を通じさせようと努力すべきでしょうか。そうすれば、いつかはその人にもこちらの真情が伝わって、良い関係が築けるようになるでしょうか。

そういう可能性も、もしかしたらあるかもしれません。しかしその前に、こちらの心が壊れてしまう可能性の方が間違いなく高いでしょう。自分の心を壊してまでも、そういう人にこちらの真情を伝え、親しむ努力をするべきなのでしょうか。

それよりもそういう人とは可能な限り関係を断ち、その努力を心安らかに付き合える人と誼を通じることに注ぐ方が、こちらばかりではなく、相手にとってもよほど建設的で健康的ではないでしょうか。

言葉や習慣が同じ日本人同士でも、そういう人が相手ならば関係を断った方が双方にとって良いのです。言葉も習慣も、それに基づく考え方もまるで異なる日本人と韓国人であれば、尚更というものです。

韓国人相手に、賽の河原で石を積むような努力を続けるよりも、世界にはもっと日本を理解しようとしてくれる国はあります。韓国なんかより、そういう国と誼を通じる努力をした方が、よほど日本の国益に適うと思います。

一番良いのは、日本と韓国が物理的に遠ざかることですが、残念なことに、日本という国ごと韓国の隣から引っ越すことは出来ませんし、当然その逆も不可能です。ですから、たとえ日韓の国交断絶が実現したとしても、韓国との付き合いを完全に封じることは不可能でしょう。それでも、その意思と努力があれば、韓国との付き合いを出来る限り最小限に留めることは可能なはずです。

昨日、衆議院が解散しました。いよいよ、待ちに待った総選挙です。

もちろん、次の選挙で民主党を下野させたとしても、直ちに全てが好転することはありません。大きな船ほど、舵を切ってから向きを変えるまでに時間がかかるものです。ましてや、民主党政権下で日本が被ったダメージは小さくありません。それを取り戻すだけでも、かなりの時間がかかることを、私たちは覚悟しなければなりません。

それでも、民主党政権のままでいるよりはよっぽどマシです。少なくとも、民主党政権のように韓国に歓迎されるような政権でなくなるだけでも、日本にとってはプラスと言えます。

日本にとって韓国との関わりは、災厄に等しいと言っても言い過ぎではありません。韓国に歓迎されるような政権は、日本に災いをもたらす政権と言っても良いぐらいです。それを、次の選挙で改めることが出来なければ、日韓断交など夢のまた夢です。

日韓断交が直ちに実現しなくても、それに向けての積み重ねは怠るべきではありません。そのためにも志ある有権者の皆様は、次の選挙には是が非でも参加して、その貴重な一票を投じ、その意を示して欲しいと願う次第です。



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配慮と尊重

前回記事では、私の中学生時代の体験を踏まえて、日韓関係が「いじめの構図」を示していると書きましたが、実はこういう書き方は要らぬ物議を醸すのではないかと戦々恐々としておりました。

何故なら、いじめ問題は非常に複雑多様だからです。「こういういじめもある」「ああいういじめもある」などと話をマジェマジェされれば、主題が霞んで話が見当違いの方向へ飛んでいく恐れも多分にありました。

ですが、そういう読み違いをする方はほとんどいらっしゃらなかったようで、少なくともコメントを残された方は概ね私の言いたいことをご理解くださっていたと思います。まことに、弊ブログの読者の皆様の読解レベルの高さには、心からの敬意と感謝の念を抱かざるを得ません。今後も、どうぞご指導ご鞭撻の程をよろしくお願いしたいと存じます。

さて、前回記事で日韓関係が「いじめの構図」を示していると書きましたが、日本と韓国を比較すれば、間違いなく日本の方が色んな面で圧倒的に優れています。これはおそらく、韓国人も認めざるを得ないでしょう。

韓国人は、自分より劣っているとみなした相手は徹底的に無視しますので、彼らが非常にしばしば日本の文化の起源主張をするのも、また何かにつけて日本を引き合いに出したり、日本と張り合いたがるのも、彼らが日本の絶対的優位を認めている証左と言えます。

「韓国男は徴兵があるから強くてたくましい」などという駄法螺を韓国人や親韓日本人から聞くことも多いので、意外に思う方ももしかしたらいるかもしれませんが、実は軍事面でも日本の方が優れていることを、多くの韓国人は認めています。

それなのに何故、日本と韓国の関係が、いじめられっ子といじめっ子の関係に似ることになるのでしょうか。力の有る方が無い方をいじめるならわかるが、何故日本の方があらゆる面で優っているのに、韓国にいじめられているように見えるのは解せないと思われる方も、いらっしゃるのではないでしょうか。

答えは簡単です。日本には韓国に対する配慮と尊重がありますが、韓国には日本に対する配慮と尊重がないからです。

いじめは単純な力の優劣では決まりませんし、起こりません。力の強い者が弱い者をいじめるのが一般的と思われていますが、力の強い者が力の弱い者にいじめられるということは、案外あります。いじめは物理的な力関係よりも、互いの相手に対する配慮と尊重の有無に由来すると私は考えています。

物理的な力の優劣に大きな差があれば、強者の何気ない行為が弱者への脅威になることは十分あり得ます。結果的にそれがいじめのようなものになるから、いじめは強者から弱者へ行なわれることが多いと思われているのでしょう。しかし互いに相手に対する配慮と尊重があれば、物理的な力の優劣があってもいじめは発生しません。

ところがどちらか一方だけに相手に対する配慮と尊重があり、片方にはそれがない場合、物理的な力の優劣とは無関係に、配慮と尊重のない方からある方へのいじめは容易に発生します。

前述した通り、そこに単純に物理的な力関係が作用することは往々にしてあります。強者が、意識的であれ無意識的であれ、その強さゆえに弱者への配慮と尊重を欠くことはさほど珍しくはないからです。

ですが逆に、強者がその強さゆえに、弱者への配慮と尊重を自らに厳重に課しながら、弱者に対してはその弱さゆえに、配慮と尊重を求めなかったり、あるいは弱者がその弱さを盾にして、自らへの配慮と尊重を相手に強要しながら、弱者自身は弱さを理由に、相手に対する配慮と尊重を持たない場合、その二者間ではいじめが容易に発生するでしょう。

日本と韓国の場合は、まさにこの「強者がその強さゆえに、弱者への配慮と尊重を自らに厳重に課しながら、弱者に対してはその弱さゆえに配慮と尊重を求めない」というのに該当します。

日本は、常に韓国に対する配慮と尊重を自らに厳重に課しています。また韓国も、日本がそうすることを当然だと考えています。けれど日本が韓国にどれだけ配慮や尊重を示しても、韓国がそれに感謝することは永遠にありません。それどころか、今ある配慮と尊重に満足せず、更なる配慮と尊重を求めてきます。日本がそれに応じても、韓国がそれに感謝することはなく、再び更なる配慮と尊重を求めてくるでしょうし、日本がそれに応じなければ、韓国は日本を激しく非難するでしょう。

そういう、一方的に配慮と尊重を求められ、それに応じなければ非難されることを理不尽だとして、日本が毅然とした対応を取れれば、韓国にいじめられているような構図にはなりません。ですが現実には、韓国からちょっとでも非難されれば、たちまち狼狽えたり韓国の顔色を伺い、最終的には「相手への配慮と尊重」に基いて、韓国の要求に妥協したり迎合したりするから、日本が韓国にいじめられているような構図になるのです。

この状況を打破する方法は、ふたつあります。

ひとつは、完全に韓国との関係を断絶することです。いじめも、ある意味人間関係の一種と言えます。相互の関係そのものが存在しなければ、いじめは起きようがありません。

もうひとつは、日本が韓国に対する配慮と尊重を撤廃することです。最初に書きましたが、いじめは偏頗な配慮と尊重で発生します。こちらに対する配慮と尊重がない相手に、こちらが相手に対する配慮と尊重をもって当たれば、どうしてもいじめは発生しやすくなります。ならばこちらも相手に対する配慮と尊重をなくしてしまえば、少なくともバランスは取れるようになるでしょう。

その結果として、力のある日本が力のない韓国をいじめるような構図になるかもしれませんが、そんなことを気にする「配慮や尊重」は、韓国に対しては無用だということを日本国民に周知徹底出来るならば、日本と韓国の関係を維持しても良いかもしれません。

日韓関係の改善について考える時、「他者に対する配慮と尊重」のある日本人としては、どう考えても前者の方が、日韓双方にとって負担や犠牲が少なく済むでしょう。ある意味、「発展的日韓関係の解消」とは、日本が韓国に示す最後にして最大の配慮と尊重と言って良いと思います。

ところで選択肢はふたつと書きましたが、実はもうひとつあります。「日本に対する配慮と尊重」を韓国が持つようになることです。

しかしこれを韓国に望むのは、弥勒の現世降臨を待つにも等しく、あまりにも非現実的なことなので、あえて選択肢からは除外したことを最後に申し添えておきたいと思います。



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共に悪名を免れないということ

あれは私が中学1年生の頃だったと思います。放課後、仲の良いクラスメイトたち数人と雑談をしていると、教室の後ろの方で同じクラスの男子生徒たちがプロレスごっこを始めました。

繰り出される技は、たいていは絞め技や関節技ぐらいでしたが、時には教室の後ろにあるロッカーの上からの飛び降り蹴りなんかもありました。そういうプロレスごっこは、小学校高学年から中学生ぐらいの男子同士の間では、別に珍しいことではなかったと思います。

しかしその時のプロレスごっこでは、技を掛けられるのはいつも同じ男子生徒でした。三人でプロレスごっこをしているのに、技を掛けられるのはずっとその男子生徒一人だけだったのです。時には、一人がその男子生徒を羽交い絞めにして、もう一人がパンチやキックを浴びせるということもありました。だから、見方によってはそれはいじめに見えなくもありませんでした。

私は、強者が弱者に向ける一方的で理不尽な暴力というのが生理的に嫌いで、小・中学生の頃は生来の身の程知らずも手伝って、自分がターゲットでなくとも、また相手が上級生であっても、そういうことをする相手には食って掛かることがたまにありました。

特に腕っ節に自信があったわけでもありませんし、喧嘩が強そうに見える容姿でもありません。実際大して喧嘩の経験があるわけでもなく、もし本格的に殴り合っていれば、たちまちボコボコにされてしまっていたでしょう。

ですが、逆にそういう奴が身の程知らずにも突っ掛かってくることに相手が興醒めしたのか、あるいはあまりにも無謀な突撃を相手が哀れに思ったのかはわかりませんが、それで案外殴られたり喧嘩になるようなことはありませんでした。

その時の彼らの「プロレスごっこ」は、私から見ると「強者が弱者に向けた一方的で理不尽な暴力」のようにも見えました。ですので、私は彼らの間に割って入って、一方的に技を掛けている男子生徒たちを止めようかと思い、彼らの方を凝視しました。

しかし結局私は、そのいじめにも見えるプロレスごっこを止めることはありませんでした。

何故なら技を掛けられている(=いじめられているように見える)男子生徒が、そこに居たクラスメイトの誰にも、ヘルプのサインを全く出さなかったからです。

そればかりではなく、その男子生徒は終始「僕は友達とプロレスごっこを楽しんでいるのだ」というアピールをしていました。具体的には、絞め技を掛けられて真っ赤な顔でもがいているのに、ギブと呻くように言っても無視されて技を掛け続けられているのに、それでも終始ヘラヘラと笑っていたのです。

私は技を掛けられてばかりの男子生徒が少しでもプロレスごっこを嫌がっている素振りを見せれば、すぐに止めに入ろうと思っていました。その男子生徒がちらりとでも私たちの方を見れば、それをヘルプのサインと思って動くつもりでした。ですが、技を掛けられ続けていたその男子生徒は、絶対に私たちの方を見ようとしなかったのです。

それはその男子生徒の矜持だったのかもしれません。自分がいじめられているということを、彼自身が認めたくなかったのかもしれません。他人に助けられることの方が、彼の自尊心を傷つけることだったのかもしれません。

だから、私はその男子生徒には関わるまいと決めました。その後、少なくとも学年が変わるまでの間、彼はずっとプロレスごっこでは技を掛けられるばかりだったようでしたし、それ以外の時でも傍目に見ればやはりいじめられているか、ゆるく見てもパシリ扱いされているように見えましたが、私がそれに関与しようとすることは、最後までありませんでした。

このことは、今も私の心の隅にわだかまっています。私から見て、それがいじめに見えたのであれば、当事者がどう言おうと止めるべきだったのだろうか、それともやはり、やられている当事者がそれをいじめではないと態度で示す以上、要らぬお節介をしなかったのは正しかったのか、と。

こういう時、「いじめ(のように見えること)をする者が悪い」と言うことも出来るかもしれませんが、それを言ってもあまり意味がありません。仮に「いじめ(のように見えること)をする者」にいじめの自覚があったとしても、馬鹿正直にそう言う者はいません。いじめられている(ように見える)者からヘルプが発せられない限り、それは表面上はあくまでも「仲の良い男の子たちのふざけあいやじゃれあい」でしかないのです。

いじめ問題において、「いじめられている者が悪い」と言えば、まるでいじめている者を正当化するように聞こえるかもしれませんが、この経験を振り返る時の私の気分はまさに「いじめられている者が悪い」です。

言うまでもないとは思いますが、あらかじめお断りしておきますと、いじめ問題においては「常にいじめられている者だけが悪い」と主張する気は全くありません。基本的には、いじめる者が悪いと思います。

ですがいじめられている者が、周囲に助けを求めることもせず、いじめられているという事実を自ら認めず、これはいじめられているのではなく仲良く遊んでいるのだとアピールするのであれば、それはある意味、合意の下に行なわれるSMプレイと同じです。それでいじめられている者が傷ついたり苦しんだりしても、第三者の立場ではプレイの一環と理解して見て見ぬふりをする以外にないでしょう。

あの時、いじめられている(ように見える)者がヘルプのサインをはっきりと示せば、少なくとも当座のいじめ(のように見える行為)をやめさせることは出来たと思います。しかしいじめられている(ように見える)当の本人が、いじめ(のように見える行為)をいじめと認めず、あくまで「仲の良い友達同士のふざけあいやじゃれあい」だとアピールしたのですから、これはもう周囲には手の出しようがありません。

それなのにいじめられていた(ように見えた)者が、後になってから「あの時いじめで苦しんだ」とか「あの時いじめられてるのを周囲の者は知っていたのに助けなかった」などと言えば、私はきっと「それはいじめられていたお前が悪いのだ」と言ってしまうと思います。

この、今となっては遠い昔のことを思い出すのは、私が日韓問題で「日本が悪い」と思う時です。

日韓問題における諸悪の根源のほとんどは、間違いなく韓国です。それは百も千も承知です。ですがそれでも私は、最終的には日本が悪いと思ってしまうのを止められません。

日本が韓国からの嫌がらせやあてつけや侮辱(に見える行為)にろくな不快感や不満を示さずひたすら泣き寝入る、「韓国とは仲良しだし、仲良しであり続けたい」とアピールする、韓国が謝れと言えば謝る理由もないのに謝ってみせる、韓国がカネを無心すれば返ってくるあてもないのにじゃぶじゃぶ貸す、などという態度を示し続けている限り、周囲の国々も日本を助けようとか、韓国の日本に対する態度を糾弾しようとは思わないでしょう。たとえ悪いのは明らかに韓国で、苦しめられているのは日本だとわかっていてもです。

悪人に苦しめられている時に、周囲に手を差し伸べようとする人がいるのを知りながら自分から助けを求めることもせず、あまつさえ周囲の目から悪人の悪行を覆い隠そうとする者は、どれほどその悪人に苦しめられても、周囲から見ればその悪人に与する者でしかないということに、いい加減日本人は気づいても良い頃なのではないかと思います。



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韓国人を理解するということ

弊ブログでは日本人と韓国人は全然違うということを度々述べています。日本人と韓国人では、根本的な考え方が双方全く異なるのです。

日本人と韓国人が同じことを言ってるのに、意味が真逆になるというジョークをときどき見かけます。
日本人「人の嫌がることを進んでやります」
韓国人「人の嫌がることを進んでやります」
というものです。

しかしこのジョーク、韓国人のことを全く知らない日本人が聞いたら、何がおかしいのか全くわからないでしょう。

日本人的な考えでは「人の嫌がることを進んでやります」と言えば、利他的、自己犠牲的な意味で理解するのが普通です。ところが韓国人は、利他や自己犠牲よりも利己や自己中心に走るのが一般的です。更に勝敗や優劣、上下を異常に意識するので、他人を蔑み陥れることを厭わないどころか、むしろ喜んで積極的に行なう傾向が非常に強いのです。

そのためか、彼らは嫌がらせを頻繁に行ないます。韓国語の表現では「嫌がらせ」を「苦しませ」と表現するようですが、他人を虐げ苦しませることで、彼らは自らの優位を主張したり確認したりするのでしょう。特に日本人に対しては、嫌がらせをしてナンボという意識でもあるのか、陰に日向に個人レベルから国家レベルに至るまで、大変熱心に嫌がらせを仕掛けてきます。

そういう韓国人の習性を知って初めて、
日本人「人の嫌がることを進んでやります」
韓国人「人の嫌がることを進んでやります」
というジョークの面白味が理解出来るようになります。

日本人と韓国人は考え方が全く違うので、同じことを言ったり見たり聞いたりしても、同じように感じているとは限りません。むしろ真逆に感じることが十分にあり得るということを知らないと、このジョークは理解出来ないでしょう。

考え方が違うので、日本人が良かれと思ってやったことが韓国人にとっては「恨」になったり、韓国人が親しみを込めてやったことが、日本人には不快なことだったり迷惑になったりします。

日本人は、常に「相手がどう思うか」という「配慮」をする癖があります。もし「相手がどう思うか」をまるで考えない言動を行なえば、それは社会的に激しく非難されるか、最低でも周囲から遠ざけられるでしょう。

対する韓国人には、「配慮をする」という意識がありません。韓国人にとって「配慮」はしてもらって当たり前のことであって、自分がして当たり前のものではないのです。ですから、自分が他人に配慮をしてもらったら、自分も他人に配慮するようにしようという意識さえ芽生えません。

私も嫌韓と言うからには、韓国(人)が嫌いという意識も大いにあります。ですがそれ以上に、私の彼らに対する意識は「共に生きることが出来ない」というものです。

以前も述べたように、彼らが彼らのテリトリー内で棲息・繁殖する分にまで文句を言うつもりはありません。しかし彼らが私たちのテリトリーに入り込んでくるならば、私たちのテリトリーからは、徹底排除するべき対象だと考えています。

これは私だけではなく、韓国人という生き物を知った日本人なら大抵の人がそう思うでしょう。日本人にも「朝鮮人のような人」は時々いますが、韓国人はほとんど全員が「朝鮮人そのもの」なのです。

私は「韓国人を理解しよう」と言い、そのためにこのブログを書いておりますが、これは「韓国人を理解して受け入れよう」と言っているのではありません。日本人が韓国人を理解すれば、水が高いところから低いところへ流れるように、彼らは私たちとは共に生きることの出来ない存在だということを理解出来ます。「韓国人を理解しよう」と言われて、「それは韓国人を受け入れるということか」と考える時点で、その人は韓国人を十分に理解していないということがわかります。

もっとわかりやすく言うならば、「韓国人を理解しよう」ではなく、「日本人と韓国人は相容れないことを理解しよう」と言うべきかもしれません。けれどそう言ってしまうと、「日本人と韓国人は相容れない」という字面だけを早飲み込みしてしまうでしょう。

「何故日本人と韓国人は相容れないのか」を正しく理解するためには、やはりどうしてもある程度の韓国人そのものに対する理解が必要になります。でなければ、韓国人を正しく理解していない親韓・擁韓に「理由もなく人を嫌ってはいけない」と言われたり、「嫌韓は理由もなく韓国人を嫌うレイシスト」などというレッテル貼りの材料とされてしまいます。

逆に、「何故日本人と韓国人は相容れないのか」を正しく理解すれば、「理由もなく韓国人を嫌ってはいけない」と言って来る親韓・擁韓にその理由を説明することが出来ます。

何も言って来ない人に「韓国人を嫌う理由」を勇んで説明しても、相手は聞く耳を持つわけがありませんし、その行為自体を疎ましがられてしまいます。しかし自ら望んで韓国人を嫌う理由を問い詰めに来る相手になら、思う存分説を解くことが出来ます。

繰り返しますが、日本人と韓国人の考え方は全く違います。考え方が違えば、言動も違ってきます。言動が違えば、それによってもたらされる結果も当然違ってきます。そういう人々で構築される社会のありようも、もちろん激しく異なるでしょう。そういう社会で生まれ育てば、当然考え方も異なるのです。

それでも、双方に互いへの配慮があれば、歩み寄りも可能ですが、前述した通り韓国人には「相手への配慮」という意識がありません。彼らには「配慮をすること」を「負け」と考えるので、よほど強いられない限りやりません。やればやったで、それを「恨」とします。即ち、彼らに自主的な歩み寄りは期待出来ませんし、もし歩み寄りを強制すれば、彼らはそれを「恨」にするので、尚更話がややこしくなります。

そんな相手と、どうやって共に生きるということが可能だと思えるのでしょうか。

そういうことを理解することが「韓国人を理解する」ということだと私は考えています。



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一歩前へ

前回記事では、韓国制作のクメール王国のドキュメンタリー番組をきっかけに、「韓国人が弱小国に感情移入した例があっただろうか」という疑問が浮かんだという話をしたかったのですが、前フリが長かったせいか「韓国が作ったドキュメンタリー番組が酷い」という話に受け取られた方が多かったように思います。これはひとえに私の筆力不足に起因するもので、大変申し訳ございませんでした。

ぶっちゃけな話、番組そのものはどうでも良かったりします。そもそも、私自身はその番組を見ておりません。

ただ、当時のクメール王国は周辺の小国を攻め平らげて成長した大帝国でした。チャンパ王国もそのクメール王国から幾度となく侵略を受け、一時は占領されるに至ったこともあります。チャンパ王国のクメール王国首都奪還は、いわば大帝国に虐げられ続けていた弱小国が一矢を報いた痛快な出来事と見ることも出来るはずです。

「大帝国に弱小国が一矢を報いた痛快な出来事」と言えば、韓国ウォッチャーの私としては、すぐに韓国のさまざまな抗日英雄譚を連想します。ですから韓国人がこの番組作成に関わっているのであれば、当然彼らもそれを連想して、チャンパ王国に共感を覚えるのではないかと思ったのです。

この番組の制作陣に韓国人がいても、クメール王国のドキュメンタリー番組という性格上、チャンパ王国に全面的に肩入れするような描写は当然無理でしょう。しかし韓国人の性格から言って、チャンパ王国に共感を覚えていれば、それを蔑むような表現は、可能な限り排除したのではないでしょうか。

ところが実際には、チャンパ王国を蔑むような表現がそのまま放映されたわけです。ということは、韓国人はチャンパ王国に共感を覚えなかったのだろうか、いやそもそも韓国人って、弱小国に共感を覚えたことってあったか?という素朴な疑問が浮かんだのです。

私の知る例では、韓国人が自国を弱小国と言うことは、実は時々あります。しかし、それらは全て「今の韓国は強大国だが」ということを強調するための、いわば韓国のサクセスストーリーを演出するためのものであって、「昔はみにくいアヒルの子と言われて蔑まれたけど、実は俺は白鳥だったのだ」と言うためのものです。

即ち韓国人の主観で言えば、韓国は最初から常に大きく強く美しいものであって、時にそれが「周囲のせいで」損なわれることがあったとしても、「大きく強く美しい」という本質が損なわれることはありません。

しかしそれはあくまで韓国人の主観内の話であって、現実は残酷です。韓国人がどんなに自国を大きく強く美しいと思い、信じようとしても、現実に韓国より大きい国強い国美しい国はたくさんあります。何事も上下か勝敗でしか考えることの出来ない韓国人にとって、韓国よりも大きい国強い国美しい国の存在を認めることは、ある意味彼らの根源的な「恨」そのものなのかもしれません。

その「恨」を晴らすために、彼らは何かにつけて韓国よりも大きい国強い国美しい国を「征服」しようとします。もちろん本当に「征服」することは不可能ですが、韓国起源説などに見られるように「先祖が韓国人だ」とか「韓国が文化を伝えてやった」などと言ったり、国連事務総長に韓国人が就任したら「韓国人が世界大統領になった」と大喜びしてみたり、最近ではK-Poopで見られるように「韓国の◯◯が世界的に流行している」=「韓国が世界を征服した」などと言ったりするのも、その意識の表れと言って良いでしょう。

中でも日本は、韓国人にとって見下しやすい国です。何しろ日本人自らが、自国を小さく弱くみすぼらしい国だと思い込みたがっている上に、韓国人の肥大した自意識をさほど疑うこともなく安易に肯定してくれるのは、世界でも日本だけではないかと思います。

この日本人の卑屈なほどの謙遜癖と、韓国人の夜郎自大は非常に共鳴しやすく、それが日本に対する韓国人の優越意識を煽ります。その反面、現実は冷酷かつ歴然と日本と韓国の差を突きつけるわけで、このギャップが日本に対する韓国人のねじれ意識を生んでいると言えるでしょう。

これは、日本人にせよ韓国人にせよ、物事を正しく明らかに見ようとしないことが互いの勘違いの根源になっているのではないでしょうか。

例えば、韓国や韓国人について考察する時、日本人はどうしても日本人的な考察をしてしまいがちです。例えば韓国人が素っ頓狂な思考や行動をするのを、日本人的に解釈して、日本人的に理解しようとするわけです。

そんなやり方で正しい見方や結論に辿り着けるわけなどあり得ませんが、韓国人に対する正しい見方や結論に辿り着けなくても、「直ちに」困ることはそんなにありません。漠然と「日本人がこう考えるんだから、韓国人もこう考えるに違いない」と思って納得して、それでおしまいにしても、その場で困ることはほとんどないでしょう。

だからと言ってそのまま間違った解釈に基づいて間違った考察を進めれば、辿り着くのは間違った結論以外にありません。そうやって日韓双方が、間違った解釈、間違った考察、間違った結論に基いて互いを認識していることが、現在の歪な日韓関係を育んだ原因のひとつではないでしょうか。

何かを考える時に、日本人なら日本人的、韓国人なら韓国人的な考えになってしまうのは当たり前です。ですが、そこで留まるのではなく、そこから更に一歩踏み出すことで、考察の幅は随分拡がります。更にそうやって得た考察を他人と交換したり共有したりすれば、その数だけ歩数は進むでしょう。

ひとりひとりが一歩前へ進むことで、日本人が変わっていけば、これまでのグダグダな日韓関係に終止符を打ち、ひいては日本をより健全化することが出来るようになるかもしれません。



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韓国人の自意識は「大」そのもの

先日、月見チャットの参加者がNHK教育TV「地球ドラマチック」で、「奇跡の寺院~アンコールワット」という番組を見たという話をしてくれました。この番組は「海外のよりすぐりのドキュメンタリーをお届けする」と銘打った、要するに海外作成の番組を紹介する番組なのだとか。

海外作成の番組ですから、ナレーションなどは当然翻訳されたもので、文法的には間違っていなくても、ネイティブの日本人ならば日本語でそういう表現は用いないだろうという表現が含まれていることもしばしばあるそうで、この「奇跡の寺院~アンコールワット」のナレーションにもそういう微妙な違和感があったと言います。

アンコールワットを擁するクメール王国は周辺国を攻め平らげて、当時としては世界最大級の都を建設するに至るわけですが、アンコールワットを築いた王スーリヤヴァルマン2世が1150年に没すると勢力は衰え、1177年には隣国チャンパ王国に王都を奪われ、亡国の危機に瀕することになります。

この時期のことを当該番組のナレーションでは「当時の記録によれば、チャンバの王が小賢しくも反乱を起こし・・・」と表現したのだそうです。この番組を見ていた人は、それまでのナレーションにも何とも微妙な違和感を抱いていたそうですが、この「小賢しくも」という表現には更に強い違和感を覚え、エンディングロールでその番組の制作が韓国ということを知り、「あ、やっぱし!」と思ったと言います。

ご本人の言をそのまま引きますと、【敵国の王の行動の描写というか、その書き方が、えらく「韓国的」でした。 まさかここで「韓国的」というものを味わうとは思っても見ませんでした。 イギリスかどっかの国の放送を思って見ていたので、ナレーションでの文章の特徴が、突出している感じ】だったそうです。

この話を聞いて私が思ったのは、韓国が弱小国に対して感情移入することがない、ということでした。

クメール王国といえば、、タイ中部、マレー半島、ベトナム南部を版図とする、当時としては大帝国のひとつでした。対するチャンパ王国は現在のベトナムの南半分辺りの、今にも南シナ海に押し出されそうな小国でした。

客観的に見て、クメール王国とチャンパ王国を並べれば、位置的にも情勢的にも韓国が共感を覚えたり感情移入しやすいのは圧倒的にチャンパ王国でしょう。ところが、この番組で韓国が感情移入したのは、クメール王国の方でした。

もちろん、「奇跡の寺院~アンコールワット」と題する番組です。制作者がどこの国の誰であっても、クメール王国側に立った描写になりがちなのは当然でしょう。しかし、この番組を見ていた人が感じた通り、クメール王国に敵対する国の王に対して「小賢しくも」という表現を用いるのは、単に「クメール王国側に立った描写」とするにはあまりにも度が過ぎています。単に「クメール王国側に立った」と言うよりは、完全にクメール王国の主観そのものにならなければ、クメール王国に敵対する国の王に対して「小賢しくも」という表現は出てこないでしょう。つまりこの番組を作った韓国人は、「クメール王国の王または臣民に感情移入していた」と考えるのが自然だと思います。

別に韓国がどの国に感情移入しても構いませんが、普通は自分の過去や境遇等の諸要素が似ているものの方が共感しやすいのではないかと思います。もし、わずかでもこの番組を作成した韓国人に、チャンパ王国に対する共感があれば、その国の王に対し「小賢しくも」という表現は決して出て来なかったのではないでしょうか。

そう考えた時、韓国人が弱小国に感情移入した例があっただろうかという疑問が浮かびました。

朝鮮半島にあった国が強大国であった歴史など、今までに一度もありません。現在でも、韓国は二言目にナントカ強国だのカントカ大国だのと言いたがりますが、言ってるのは韓国人と韓国人に買収された人と、親韓日本人ぐらいなものです。

日本でさえも韓国と比べれば人口でも国土面積でも経済的にも技術面でも大国になりますが、その日本を韓国人は島国と嘲って見下し、何かにつけて張り合おうとします。

よく韓国人のこういう態度を「事大主義」などと言いますが、これはもう「事大(大に事(つか)える)」などという殊勝なものではなく、彼ら自身が自らを絶対的に「大」そのものと考えているとしか考えられません。

まことに彼らの自意識の肥大っぷりは、あらゆるところに行き渡り、思わぬところから顔を出すものだなと思った次第です。

もっとも彼らが彼らそのものと考える「大」が、いわゆる「大きい方」だと言うならば、彼らの性癖と併せてなるほどと思わなくもないのですが。



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