一歩前へ
ぶっちゃけな話、番組そのものはどうでも良かったりします。そもそも、私自身はその番組を見ておりません。
ただ、当時のクメール王国は周辺の小国を攻め平らげて成長した大帝国でした。チャンパ王国もそのクメール王国から幾度となく侵略を受け、一時は占領されるに至ったこともあります。チャンパ王国のクメール王国首都奪還は、いわば大帝国に虐げられ続けていた弱小国が一矢を報いた痛快な出来事と見ることも出来るはずです。
「大帝国に弱小国が一矢を報いた痛快な出来事」と言えば、韓国ウォッチャーの私としては、すぐに韓国のさまざまな抗日英雄譚を連想します。ですから韓国人がこの番組作成に関わっているのであれば、当然彼らもそれを連想して、チャンパ王国に共感を覚えるのではないかと思ったのです。
この番組の制作陣に韓国人がいても、クメール王国のドキュメンタリー番組という性格上、チャンパ王国に全面的に肩入れするような描写は当然無理でしょう。しかし韓国人の性格から言って、チャンパ王国に共感を覚えていれば、それを蔑むような表現は、可能な限り排除したのではないでしょうか。
ところが実際には、チャンパ王国を蔑むような表現がそのまま放映されたわけです。ということは、韓国人はチャンパ王国に共感を覚えなかったのだろうか、いやそもそも韓国人って、弱小国に共感を覚えたことってあったか?という素朴な疑問が浮かんだのです。
私の知る例では、韓国人が自国を弱小国と言うことは、実は時々あります。しかし、それらは全て「今の韓国は強大国だが」ということを強調するための、いわば韓国のサクセスストーリーを演出するためのものであって、「昔はみにくいアヒルの子と言われて蔑まれたけど、実は俺は白鳥だったのだ」と言うためのものです。
即ち韓国人の主観で言えば、韓国は最初から常に大きく強く美しいものであって、時にそれが「周囲のせいで」損なわれることがあったとしても、「大きく強く美しい」という本質が損なわれることはありません。
しかしそれはあくまで韓国人の主観内の話であって、現実は残酷です。韓国人がどんなに自国を大きく強く美しいと思い、信じようとしても、現実に韓国より大きい国強い国美しい国はたくさんあります。何事も上下か勝敗でしか考えることの出来ない韓国人にとって、韓国よりも大きい国強い国美しい国の存在を認めることは、ある意味彼らの根源的な「恨」そのものなのかもしれません。
その「恨」を晴らすために、彼らは何かにつけて韓国よりも大きい国強い国美しい国を「征服」しようとします。もちろん本当に「征服」することは不可能ですが、韓国起源説などに見られるように「先祖が韓国人だ」とか「韓国が文化を伝えてやった」などと言ったり、国連事務総長に韓国人が就任したら「韓国人が世界大統領になった」と大喜びしてみたり、最近ではK-Poopで見られるように「韓国の◯◯が世界的に流行している」=「韓国が世界を征服した」などと言ったりするのも、その意識の表れと言って良いでしょう。
中でも日本は、韓国人にとって見下しやすい国です。何しろ日本人自らが、自国を小さく弱くみすぼらしい国だと思い込みたがっている上に、韓国人の肥大した自意識をさほど疑うこともなく安易に肯定してくれるのは、世界でも日本だけではないかと思います。
この日本人の卑屈なほどの謙遜癖と、韓国人の夜郎自大は非常に共鳴しやすく、それが日本に対する韓国人の優越意識を煽ります。その反面、現実は冷酷かつ歴然と日本と韓国の差を突きつけるわけで、このギャップが日本に対する韓国人のねじれ意識を生んでいると言えるでしょう。
これは、日本人にせよ韓国人にせよ、物事を正しく明らかに見ようとしないことが互いの勘違いの根源になっているのではないでしょうか。
例えば、韓国や韓国人について考察する時、日本人はどうしても日本人的な考察をしてしまいがちです。例えば韓国人が素っ頓狂な思考や行動をするのを、日本人的に解釈して、日本人的に理解しようとするわけです。
そんなやり方で正しい見方や結論に辿り着けるわけなどあり得ませんが、韓国人に対する正しい見方や結論に辿り着けなくても、「直ちに」困ることはそんなにありません。漠然と「日本人がこう考えるんだから、韓国人もこう考えるに違いない」と思って納得して、それでおしまいにしても、その場で困ることはほとんどないでしょう。
だからと言ってそのまま間違った解釈に基づいて間違った考察を進めれば、辿り着くのは間違った結論以外にありません。そうやって日韓双方が、間違った解釈、間違った考察、間違った結論に基いて互いを認識していることが、現在の歪な日韓関係を育んだ原因のひとつではないでしょうか。
何かを考える時に、日本人なら日本人的、韓国人なら韓国人的な考えになってしまうのは当たり前です。ですが、そこで留まるのではなく、そこから更に一歩踏み出すことで、考察の幅は随分拡がります。更にそうやって得た考察を他人と交換したり共有したりすれば、その数だけ歩数は進むでしょう。
ひとりひとりが一歩前へ進むことで、日本人が変わっていけば、これまでのグダグダな日韓関係に終止符を打ち、ひいては日本をより健全化することが出来るようになるかもしれません。