配慮と尊重
何故なら、いじめ問題は非常に複雑多様だからです。「こういういじめもある」「ああいういじめもある」などと話をマジェマジェされれば、主題が霞んで話が見当違いの方向へ飛んでいく恐れも多分にありました。
ですが、そういう読み違いをする方はほとんどいらっしゃらなかったようで、少なくともコメントを残された方は概ね私の言いたいことをご理解くださっていたと思います。まことに、弊ブログの読者の皆様の読解レベルの高さには、心からの敬意と感謝の念を抱かざるを得ません。今後も、どうぞご指導ご鞭撻の程をよろしくお願いしたいと存じます。
さて、前回記事で日韓関係が「いじめの構図」を示していると書きましたが、日本と韓国を比較すれば、間違いなく日本の方が色んな面で圧倒的に優れています。これはおそらく、韓国人も認めざるを得ないでしょう。
韓国人は、自分より劣っているとみなした相手は徹底的に無視しますので、彼らが非常にしばしば日本の文化の起源主張をするのも、また何かにつけて日本を引き合いに出したり、日本と張り合いたがるのも、彼らが日本の絶対的優位を認めている証左と言えます。
「韓国男は徴兵があるから強くてたくましい」などという駄法螺を韓国人や親韓日本人から聞くことも多いので、意外に思う方ももしかしたらいるかもしれませんが、実は軍事面でも日本の方が優れていることを、多くの韓国人は認めています。
それなのに何故、日本と韓国の関係が、いじめられっ子といじめっ子の関係に似ることになるのでしょうか。力の有る方が無い方をいじめるならわかるが、何故日本の方があらゆる面で優っているのに、韓国にいじめられているように見えるのは解せないと思われる方も、いらっしゃるのではないでしょうか。
答えは簡単です。日本には韓国に対する配慮と尊重がありますが、韓国には日本に対する配慮と尊重がないからです。
いじめは単純な力の優劣では決まりませんし、起こりません。力の強い者が弱い者をいじめるのが一般的と思われていますが、力の強い者が力の弱い者にいじめられるということは、案外あります。いじめは物理的な力関係よりも、互いの相手に対する配慮と尊重の有無に由来すると私は考えています。
物理的な力の優劣に大きな差があれば、強者の何気ない行為が弱者への脅威になることは十分あり得ます。結果的にそれがいじめのようなものになるから、いじめは強者から弱者へ行なわれることが多いと思われているのでしょう。しかし互いに相手に対する配慮と尊重があれば、物理的な力の優劣があってもいじめは発生しません。
ところがどちらか一方だけに相手に対する配慮と尊重があり、片方にはそれがない場合、物理的な力の優劣とは無関係に、配慮と尊重のない方からある方へのいじめは容易に発生します。
前述した通り、そこに単純に物理的な力関係が作用することは往々にしてあります。強者が、意識的であれ無意識的であれ、その強さゆえに弱者への配慮と尊重を欠くことはさほど珍しくはないからです。
ですが逆に、強者がその強さゆえに、弱者への配慮と尊重を自らに厳重に課しながら、弱者に対してはその弱さゆえに、配慮と尊重を求めなかったり、あるいは弱者がその弱さを盾にして、自らへの配慮と尊重を相手に強要しながら、弱者自身は弱さを理由に、相手に対する配慮と尊重を持たない場合、その二者間ではいじめが容易に発生するでしょう。
日本と韓国の場合は、まさにこの「強者がその強さゆえに、弱者への配慮と尊重を自らに厳重に課しながら、弱者に対してはその弱さゆえに配慮と尊重を求めない」というのに該当します。
日本は、常に韓国に対する配慮と尊重を自らに厳重に課しています。また韓国も、日本がそうすることを当然だと考えています。けれど日本が韓国にどれだけ配慮や尊重を示しても、韓国がそれに感謝することは永遠にありません。それどころか、今ある配慮と尊重に満足せず、更なる配慮と尊重を求めてきます。日本がそれに応じても、韓国がそれに感謝することはなく、再び更なる配慮と尊重を求めてくるでしょうし、日本がそれに応じなければ、韓国は日本を激しく非難するでしょう。
そういう、一方的に配慮と尊重を求められ、それに応じなければ非難されることを理不尽だとして、日本が毅然とした対応を取れれば、韓国にいじめられているような構図にはなりません。ですが現実には、韓国からちょっとでも非難されれば、たちまち狼狽えたり韓国の顔色を伺い、最終的には「相手への配慮と尊重」に基いて、韓国の要求に妥協したり迎合したりするから、日本が韓国にいじめられているような構図になるのです。
この状況を打破する方法は、ふたつあります。
ひとつは、完全に韓国との関係を断絶することです。いじめも、ある意味人間関係の一種と言えます。相互の関係そのものが存在しなければ、いじめは起きようがありません。
もうひとつは、日本が韓国に対する配慮と尊重を撤廃することです。最初に書きましたが、いじめは偏頗な配慮と尊重で発生します。こちらに対する配慮と尊重がない相手に、こちらが相手に対する配慮と尊重をもって当たれば、どうしてもいじめは発生しやすくなります。ならばこちらも相手に対する配慮と尊重をなくしてしまえば、少なくともバランスは取れるようになるでしょう。
その結果として、力のある日本が力のない韓国をいじめるような構図になるかもしれませんが、そんなことを気にする「配慮や尊重」は、韓国に対しては無用だということを日本国民に周知徹底出来るならば、日本と韓国の関係を維持しても良いかもしれません。
日韓関係の改善について考える時、「他者に対する配慮と尊重」のある日本人としては、どう考えても前者の方が、日韓双方にとって負担や犠牲が少なく済むでしょう。ある意味、「発展的日韓関係の解消」とは、日本が韓国に示す最後にして最大の配慮と尊重と言って良いと思います。
ところで選択肢はふたつと書きましたが、実はもうひとつあります。「日本に対する配慮と尊重」を韓国が持つようになることです。
しかしこれを韓国に望むのは、弥勒の現世降臨を待つにも等しく、あまりにも非現実的なことなので、あえて選択肢からは除外したことを最後に申し添えておきたいと思います。