日韓相互誤解
長らくそれは、韓国人の減らず口だと思っていました。
今の若い韓国人にとって、反日感情を露わにすることは、どうやら「カッコ悪い」ことのようです。彼らにとって「反日」とは、日本で言えばかつての学生運動みたいな、時代遅れの感情的政治感覚というイメージがあるのかもしれません。
だから彼らは、「韓国では反日教育なんてやってない」と言い張るのだろうと思っていました。しかし最近になって、もしかして彼らは、本気で「韓国では反日教育などやっていない」と思っているのかもしれないと思うようになってきました。
以前、日韓チャットで韓国人が、あまりにも執拗に他人の個人情報を詮索するので、面倒臭くなって職業詐称していたことがありました。その時の私の肩書きは、「ソウル大学文学部反日思想学科客員教授」でした。もちろん嘘です。と言うかそもそも、ソウル大学に反日思想学科など存在しないでしょう。あったらびっくりです。
当初、私がそう名乗れば、韓国人からは即座に「ソウル大学にそんな学科があるはずがないニダ」というツッコミがあるに違いないと思っていました。ところが案に相違して、私がそう名乗っても、韓国人の誰一人として「ソウル大学にそんな学科があるはずがない」と言わなかったのです。
例えば、日韓チャットで韓国人が「ウリは東京大学文学部嫌韓思想学科客員教授ニダ」などと言えば、それを聞いた日本人は、東大の諸学部について全く知識がなくても、わざわざ調べるまでもなく東大にそんな学科があるはずがないと断定するでしょう。
嫌韓思想というものが、そもそも日本では広く認知されていません。少なくとも大学で教壇に立つ人の間では、嫌韓は思想とは考えられていないでしょう。確認したことはありませんが、おそらく人種または民族差別や、自身の劣等感を韓国人に投影したものだとイメージしている人が多いのではないかと思います。
ですから現在のところ、日本で「嫌韓思想学」などという学問が成立するはずもなく、東大でなくともそんな学科を設置している大学は、多分日本にはないでしょう(もしあったらお知らせください)。
そこまで具体的に考えなくとも、日本人の一般常識では、「嫌韓思想学」という学問そのものの存在を直感的に疑うはずです。
しかし韓国人は、「反日思想学」という学問の存在を疑いませんでした。それは彼らが「反日思想学」という単語を理解出来なかったか、あるいは「反日思想学」という学問の存在が、韓国では有り得ると考えられているからのどちらかではないでしょうか。
「反日思想学」という言葉が理解出来ないというのは、日本人にはなかなか実感として理解しづらいものがあります。日本においても韓国でも、「反日」や「思想」は難しい語彙ではなく、使用頻度も低くありません。日本人なら「反日思想学」という合成語がどういう意味かを、一目で理解出来るでしょう。
けれどこれが「ハンニチシソウ学」と書かれていればどうでしょうか。字面からとっさにその単語の意味を理解するのは、一気に難しくなるでしょう。それでも漢字を知っている私たちは、頭の中で漢字を当ててみて意味を類推することが出来ますが、韓国人にはその能力がありません。そのため彼らは「反日思想学」と言われてもとっさにその語彙の意味やイメージが浮かばなかったという可能性はあります。
ただそれにしても、「反日感情」や「反日意識」「反日教育」などの合成語はほとんどの韓国人が理解しておりましたので、「反日思想」+「学」という言葉を、たいていの韓国人が理解出来ないと考えるには無理があります。
ですから、可能性としては後者、即ち「反日思想学」という学問の存在が、韓国人のイメージでは有り得ると考えられている可能性の方が高いでしょう。
韓国では、反日は正義であり道徳です。その背景には韓国の歴史がある、と韓国人は心から信じています。韓国では、自国の歴史教育に力を入れていることは夙に有名です。故に「反日思想学」という学問が存在するというイメージは、私たち日本人が思う以上に、韓国人にとっては自然なのかもしれません。
そこで話が最初に戻ります。たいていの韓国人が、「反日教育など行なわれていない」と言い張るのは何故なのでしょうか。
それは韓国人が、「反日思想学」という学問が存在するというイメージに違和感を覚えないように、「反日教育」と言われれば、「反日」という教科が存在するというイメージを持っているのではないかということです。
「国語」「算数」「理科」「社会」「反日」という風に、「反日」という科目が存在し、その授業を受けることを、韓国人は「反日教育」と思っているのではないでしょうか。
そう考えると、韓国人が一様に「韓国では反日教育など行なわれていない」と言い張るのもすんなり理解出来ます。いくら韓国が反日国と言っても、学校の授業に「反日」と銘打った教科を設定しているとはさすがに思えません。
韓国人にとっての「反日教育」のイメージとは、「反日」という科目があって、教科書があって、それ専用の授業が教育課程に組み込まれているもの、というものなのでしょう。ですから、反日教育を受けたことがないと韓国人が言うのも、韓国人的には嘘ではないのでしょう。
何事につけ日本人と韓国人の話は食い違うことが少なくありません。それは日本人が、何事につけ掘り下げて理解しようとするのに対し、韓国人が上っ面だけの理解で済ませようとするとか、韓国人が呼吸するように嘘をつくという性質などに依るところも多いでしょう。
しかしそれ以上に、今回取り上げた「反日教育」のように、双方が同じ事柄について話しているつもりでも、日本人と韓国人ではその事柄に対する認識が全く異なっていることが多いためではないでしょうか。
更に、それよりももっと恐ろしいのは、日本人と韓国人で認識が一致していると思っている事柄が、実は双方の認識が異なっていることに気づいていないだけということも、案外たくさんあるのかもしれないということです。
相互理解のつもりで相互に誤解しあっているというのは、日本と韓国の関係を象徴するものではないかと思った次第です。