南北朝鮮の身分意識の摺り合わせ?
弊ブログで無記名を含む複数のハンドルネームを使いまわしての自作自演を厳しく禁じている理由は、その行為が必ず疑心暗鬼を誘発するからです。
無記名を含む複数のハンドルネームを使いまわす人が一人でもいると、あの無記名コメントは誰それではないのか、あのハンドルネームはこちらのハンドルネームを使っている奴の自作自演じゃないのかと疑い、あるいは決め付けて、見えない敵と戦い出す人が必ず出てきてしまいます。
そうなれば、たとえ意図した工作や動揺に引き込めなくとも、相互不信を発生させて内訌へ導くことが出来ます。それもまた荒らしや工作員にとっては思う壺でしょう。どうかくれぐれも、荒らしや工作員の思う壺にはまらぬよう心していただければと願います。
それから、自分の気に入らないコメントをする人をことごとく工作員呼ばわりする方がしばしばいらっしゃいますが、これは本物の工作員を埋もれさせる行為にもなりかねません。工作員の活動を支援するつもりがあるのならば、その行為は大変に効果的です。ある意味、工作活動に加担する行為と言えるでしょう。
もしこいつは工作員かも知れないと思う人物を見つけたら、慌てず騒がず、ネット上だけでもその人の言動を検索し、発言動向をじっくり観察することです。そういう人の言動をじっくり観察していると、自分の主張と合う合わないとはまた別の、奇妙な意図を感じさせる言動が必ず出て来ます。じっくり観察するテマヒマが惜しい方は、慌てず騒がずスルーして、自分自身が工作に引っかからぬように気をつけるだけで十分です。
某巨大匿名掲示板や個人のブログのコメントで煽動工作する程度の工作員であれば、放置してもそれほど危険ではありません。危険なのは現実でも活動している工作員です。そういう工作員は個人の手には負えませんし、負うべきでもありません。もしそういう工作員を見つけてしまった時は、可能ならば公権力に委ねるか、それが難しければ静かに監視・観察するに留めておくのが無難です。
さて、明後日韓国が三度目の正直の羅老号打ち上げに挑むわけですが、その直前とも言える昨日27日に日本は情報収集衛星を搭載したH2Aロケットを危なげなく打ち上げました。
これで情報収集衛星の運用体制が整ったことになるそうです。この情報収集衛星は1998年の北朝鮮によるミサイル発射を機に導入が決まったものと言われており、今回のH2Aロケットの打ち上げ成功による情報収集衛星の軌道投入が北朝鮮に対するプレッシャーになるのは当然ですが、韓国にとってもタイミング的に「日本が人工衛星を搭載したロケット打ち上げに危なげなく成功した直後」というのは結構なプレッシャーになるのではないかと、少々ニヤニヤしておりますw
この三度目の正直がまだ実行されてもいない内から、韓国では月軌道船の打ち上げを言い出しており、まことにこの民族のナチュラルボーンコメディアンっぷりは筋金入りです。知れば知るほど嫌いになる国なのに、長年観察を続けていられるのは、こういった突拍子もないお笑いが、いつ、どこから飛び出てくるかわからないからかもしれません。
こういうお笑い系の中には、時々あれっ?と思うニュースが紛れていることがあります。
「科挙に受かれば平民でも出世できた朝鮮王朝時代」という記事もそのひとつです(朝鮮語版の機械翻訳はこちら)。
朝鮮は、中国に倣って科挙を導入しましたが、従来の説では、その受験資格は両班に限られていたとされておりました。ところが韓永愚という歴史学者がそれを否定し、李朝期の科挙は平民にも広く開かれていたと主張したのです。
私もこのニュースを見た時は、普通に「嘘だあw」と思いました。と同時に「何故こんなことがニュースになるのだろう?」という疑問が浮かびました。
日本語版に載っているということは、この記事は韓国人的に「日本人にどうしても見せたいニュース」です。日本人に「李朝時代は、身分に関係なく出世が可能なリベラルな社会だった」と言いたいというのはきっとあるでしょう。しかし日本人的には、「それが何?」という話でもあります。
また韓国人的にも「韓教授は1997年に出版した著書『朝鮮時代身分史研究』で、朝鮮の社会では、身分が低い「小川からいでたる竜」たちの身分上昇が活発だったと主張した。しかし具体的な数値を提示しておらず、大きな論争が起こった」とある通り、にわかに受け入れることが出来ない主張でもあります。
何故韓国でこの主張が受け入れられないのかというと、現在の韓国では、ほぼ100%の人が両班の末裔を自称しているからです。例えば先述の記事には「貧しく卑しい一族の出身で領議政(議政府の最高官職)にまで上り詰めた、世祖代の洪允成(ホン・ユンソン)のような人物もいる」などとありますが、洪允成を祖先とする韓国人にこの記事を見られれば、凄まじい苦情が来るのではないでしょうか。
あるいは、この主張に同調して、「私の祖先は貧しく賤しい家系だったが、李朝時代に勉学で立身出世を果たしたのだ」と誇る韓国人が多いとは、どうしても思えないのです。
それなのに何故、この歴史学者はこれほどまでに熱心に、「平民でも勉学で立身出世が可能だった」と主張するのでしょうか。単に「勉強すれば身分に関わらず出世が可能なんだよ」と学生を励ましたいだけなのでしょうか。
しかし現在の韓国では、その勢いが余って多くの大学生が人生に行き詰まっているのです。そういう韓国の現実において、「一所懸命勉強して難関大学に合格すれば、身分に関わらず立身出世が果たせるのだ」と言って励ますのは、自分の体重の何倍もの荷を負って坂道を登る駄馬の尻を鞭でしばきまわすに似たようなものではないかと思わなくもありません。
そこで連想したのが、北朝鮮でした。
韓国とは逆に、北朝鮮では両班出身を名乗る者はそれほど多くありません。何故なら、北朝鮮の出身成分において両班を先祖に持つ者は、動揺階層あるいは敵対階層と言われる下層階級に落とされているからです。
すなわち北朝鮮と韓国では、人々の身分意識がまるっきり逆になっているのですが、北朝鮮人も韓国人も対人関係においては必ず優劣上下を明確にせずにはいられない朝鮮人です。その優劣上下の基準が双方で真逆になっているということは、南北統一に際し、経済格差と共に必ず大きな障壁になるでしょう。
そこでこの「平民でも勉学で立身出世が可能だった」という主張が韓国に浸透すれば、北朝鮮人の身分意識を韓国人に受け入れやすくすることが出来るのではないでしょうか。
つまり、南北統一に向けて、韓国人の意識を北朝鮮人に合わせるための思想誘導なのではないかと私は考えたのです。
もしそうだとすれば、北朝鮮の金一族による独裁体制も相当危機的なところに来ているのかもしれないなどと、病膏肓に入った朝鮮半島ウォッチャーは考え込んでしまうのでした。
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