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朝鮮人は共感を強要する

こないだ年が明けたと思ったところなのに、気がついたら今日で一月が終わります。月日の流れる速さにたじろがされることは年に何度もありますが、毎回律儀にたじろいでしまいます。

ところで三度目の正直の羅老号は、昨日無事に打ち上がったようで、さすがロシアと賞賛の声があがっております。いくら相手が韓国と言っても、三度も打ち上げ損なわれては宇宙強国の一国を自負するロシアさんとしても面子が傷つけられる以前に、ロケット開発技術そのものにミソがつけられかねません。何度も打ち上げを延期して万全を尽くした甲斐があったというものです。

一方韓国はと言えば、自分たちで勝手に作った「10大宇宙クラブ」に入れなかったねと思ってたら、ちゃっかり「11大宇宙クラブ」と定員を広げてたりしておりました。本当にこの連中の「栄誉」と「賞賛」だけを求める貪欲さは、地球上に並ぶものがありません。

これ以外で韓国関連で昨今気になるニュースと言えば、やはり対馬の仏像盗難でしょう。盗まれた物と、窃盗犯の待遇が韓国でどうなるのか、日本がそれにどのように対応するのか、今後の動向を見守りたいところです。

しかし、日本から韓国人が仏像やら何やらを盗もうとするのも大いに困りものですが、盗んだ物を韓国人が大切に保存し管理するならまだ救いがあります。ですがあいつらときたら、「日本から奪った」ということだけに大きな価値を見出して、奪ったブツそのものの価値についてはものすごく無頓着なのです。日本にあれば末永く良い状態で保存出来た文化財を、韓国人に盗まれたばかりに破損したり滅失したりすることになっては、ご先祖様に申し訳が立ちません。

日本の寺刹を狙った韓国人窃盗団が暗躍しているという噂はかなり前からありますが、例によってマスコミはほとんど報じません。安倍政権では国内の治安強化にも力を入れているという話を仄聞しますので、入国管理の強化と併せて、この方面についても期待したいと思います。

さて、最近しみじみ思うことは、人間は共感が欲しい生き物なのだなあということです。自分以外の人と思いが重なれば、それだけで不思議と心強くなれます。それは韓国人も同様です。いや、同様以上でしょう。

日韓チャットでは、韓国人が入ってくるなり挨拶もそこそこに、ハイテンションで「私と友達になりたい人、手(を挙げろ)!」と言ったり、話題が途切れると(時には途切れていなくても)、突然何かの歌詞を延々と書き連ねたり、何の前ふりもなく自作のポエムを披露し始めたり、状況や事情も説明せずに悩み相談や身世打鈴(朝鮮語音でシンセタリョン:我が身の不幸を並べ立てるように唱え嘆くこと)を始めたりすることが珍しくありませんでした。

ものすごく親しい相手や、それほどでなくてもある程度の付き合いがあって、相手の考えもそこそこわかる間柄であればともかく、初対面の、ましてや外国人にそんなことをされれば、驚いたり戸惑ったりしない日本人は滅多にいないでしょう。それが度重なれば、驚いたり戸惑ったりするのを通り越して不快になりますが、韓国人としてはそういう日本人がものすごく冷情に見えるようです。

韓国人が他人の共感をより強く欲する理由は、やはり彼らの「ウリ」意識からでしょう。

彼らの対人関係が、常に「上下」か「同一」で認識されることは以前から何度も述べて来ました。併せて彼らの「同一」は、「対等」ではないということも述べて来ました。すなわち彼らの対人意識において「同一」と言っても、それは対等に同一化するのではなく、必ずどちらが「上」か「下」かの判断が行なわれ、「上」に「下」が吸収される形で同一化するのです。

「ウリ」の概念は、外国人には非常にわかりづらいものがあります。日本語では朝鮮語の「ウリ」を「私たち」や「我々」などと訳すためにしばしば誤解されておりますが、以前にもお話したことがあるように、日本人の「私たち」や「我々」の概念と、韓国人の「ウリ」の概念は真逆と言っても良いほど異なります。

韓国人の対人関係において「ウリ」とは「自分自身そのもの」です。「ウリ」に組み込まれないものは自動的に「ナム(=自分以外の人々)」となります。

「ウリ」=「自分自身」ですから、「ウリ」に組み込まれた人々が「自分自身」の感情を共有するのは当然です。「自分自身」の感情を共有出来ない人は自動的に「ナム」なのです。相手が「ウリ」となり得るかどうかを判別するには、「自分自身の感情を共有出来るかどうか」を試すのが手っ取り早く、だから韓国人は、初対面の相手であっても当然のように自分自身の感情に共感することを強要するのでしょう。

もちろん、それは韓国人だけではなく、北朝鮮人も同様でしょう。そう言えば金正日が死んだ時、北朝鮮人がまるで相競うように哀号していた光景に違和感を覚えましたが、あれとても「ウリ」として「同一の感情を共有する」ための、朝鮮人として当然の振る舞いなのでしょう。おそらく、中国朝鮮族や在日も同様だと思います。

朝鮮人同士が「ウリ」という意識の下に、自分自身に対する共感を他者に強要することで社会秩序を構築するのは勝手ですが、日本では「ウリ」的概念はある意味自他の意識が未発達な小幼児の意識にも似ています。実際、小幼児にはしばしば他者に対する共感の強要が見られます。そのため日本では、他者に共感を強要する行為は小幼児的な行為であるとして、軽蔑の対象となります。

他者の共感を欲するのは日本人も朝鮮人も同じかもしれませんが、他者に共感を強要してしまえば「朝鮮人のような真似」になってしまいます。

「私は朝鮮人のような真似をしていないか」「これは朝鮮人のような真似ではないか」と、我が身を振り返る毎日です。


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