特亞について考える時、一番やってはいけないこと
日本人が日本人の基準で考える特亞人は、どうしても日本人の想像の域を出ません。日韓チャットに入り浸っていた日本人たちは長年、毎日のように日韓チャットでナマよりナマな韓国人の言動を目の当たりにし続けていましたが、毎日のように彼らの言動に驚き呆れていました。
何度彼らの言動を見ていても、どんなに頭でわかっていても、彼らが私たち日本人の言動に慣れるということはありませんが、それ以上に、日本人が特亞人になり切って考えることは難しいのです。
かつて日韓チャットで、韓国人とはあまりにも討論が成り立たないので、日本人同士で日本側と韓国側に分かれて討論を試みたことがありました。
その際、私は韓国人側に立ったのですが、どうしても韓国人のような主張が出来ないのです。「韓国人のような真似」なら、さほど難しくはありません。何も考えず、相手の意見を聞かず、自分だけが正しく、相手は無条件で自分に従うべきと信じ、そのように振る舞うのであれば、これは簡単に出来ます。
ですがその時の目的は「韓国人のような真似」を再現して見せることではなく、韓国人にも韓国人としての意見があるはずだが、彼らの直情径行が討論を成り立たせないから、日本人が代わりに彼らの意見を述べてみようというものだったのです。
同じ事柄であっても、立場が異なれば受け取り方が違うということは普通にあります。日韓間にも、日本人的には良かれと思ってやったことが、韓国人的にはどうしても許せないことだったということは、山のようにあります。あることになっています。
それを冷静に考え、理路整然と述べ、正しく議論することが出来れば、もしかすると建設的な意見に達することが出来るかもしれないという期待が、私にはありました。
しかし、その期待は早々に砕け散りました。どんなに気をつけていても、私には「韓国人として考える」ということが出来なかったからです。気がつけば、「日本人として」考えている自分に気づいたからです。
同じように特亞人にしても、日本人のような考え方をすることは、たとえ頭でわかっていても、そう簡単には出来ません。「日本人のように考えるフリ」をすることは出来ますが、どこまで行ってもそれは「フリ」でしかありません。ちょっとつつけば、簡単にボロが出ます。
日本人として、支那・朝鮮人を理解するというのは、どこまで行っても「日本人として」です。日本人が日本人として朝鮮人のことを考え、彼らにとって良かれと思い、彼らにもそれを説き、彼らもそれを受け容れたように見えた1910年からの足掛け36年を思い返せば、それは歴然としています。
日本人が「もし自分が特亞人の立場だったらどう思うか」「どのような行動を取るか」をどんなに考えても、それは「日本人の考え」でしかありません。特亞人が日本人と同じように考えたり、行動するとは限らないばかりか、日本人には想像も付かないような素っ頓狂なことを考え、それを行動に移すことの方が確実に多いのです。
私たち日本人がすべきは、「日本人には想像も付かないような素っ頓狂なことを考え、それを当然のように行動に移すのが特亞人」という【事実】を知ることです。日本人として「特亞人ならどう考えるか」を考え、その考えに基いて行動することなどでは、絶対に断じて決してやってはいけません。
日本人が特亞人の行動予測を行なう際は、「もし自分が特亞人だったら」という想像に基いてではなく、「日本人には想像も付かないような素っ頓狂なことを考え、それを当然のように行動に移すのが特亞人である」という事実に基いて考察することを、衷心から推奨します。
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