日本人は「ナム」だけど「ウリ」
毎度毎度同じキーワードを持ち出すのもナントカの一つ覚えのようで気が進みませんし、いくら韓国でもたった3つのキーワードで概ね説明出来てしまうほど薄っぺらではないだろうと、手を変え品を変えて、無理やりこねくり回して考察を続けていますが、今のところめぼしい新発見はありません。
韓国に5年以上住むか、韓国人の友人1万人以上を得るほどになれば韓国人に関する本当のことがわかるようになるかもしれぬという御託宣もありましたが、在韓歴5年以上の日本人のブログを見ても、韓国ウォッチの参考になるような情報を発信している人はほとんどいません。
しかも在韓歴が長い人ほど、日本人的な思考能力が衰退する傾向が見て取れます。甚だしくは、日本語の文章さえ朝鮮語風になってしまう人もちらほら見かけるぐらいです。文章は思考と直結しているので、そういう人の思考は朝鮮人寄りになっていると思って間違いないでしょう。
ミイラの本当の気持ちは、ミイラになってみなければわからないということなのかもしれませんが、自分がミイラになってしまったら、ミイラの本当の気持ちをミイラでない人に伝わるように表現することが出来なくなるのに似ています。
ともあれ今回もまた「ウリ」と「ナム」を取り上げようと思います。
「ウリ」と「ナム」を取り上げようと思ったきっかけは、昨晩の月見チャットでした。前々回の記事、「韓国人の地域感情が行き着く先」に絡めて、韓国人は日本に対しても、地域感情を抱いているという話をしておりました。
韓国の地域感情で最も顕著なのは、全羅道に対する地域感情でしょう。韓国人の全羅道に対する地域感情がどういうものかと言うと、まず日本人が考え得る韓国人に対する悪いイメージを思いつく限り思い浮かべてください。それがそのまま、韓国人の全羅道人に対する地域感情であると言えば、その酷さが窺い知れるはずです。
それが度を越して、「全羅道は韓国ではない」と言い出す韓国人も少なからずいるようです。「全羅道に旅行した」というのを、「パスポートを持たずに外国旅行してきた」などという言い回しを使ったスレッドが、まとめサイトにありました。持って回った言い方ですが、要するに韓国人にとって全羅道は、「ウリ」ではなく「ナム」とみなすまでに至っているということです。
韓国人同士がいがみ合い傷つけ合うことに、注文をつける気は全くありません。最後の一個体が息絶えるまで、思う存分やってくれたまえというのが正直なところです。ただ思うのは、韓国人が国内の全羅道を外国扱いするのに対し、明確に外国であるにも関わらず、日本を完全に外国扱いしないという点です。
産経新聞は5月22日の産経抄で、「韓国メディアの笑えないイチャモン 安倍首相攻撃にあきれるばかり」と題して中央日報の論説を取り上げました。
実は韓国では、この手の言論は天皇陛下侮辱発言と共に全く珍しくありません。韓国は、まるで出来の悪い生徒に教える厳しく賢い教師のようなつもりで、日本に向かって内政干渉になるようなことを述べます。これは日本を明確に「外国」と理解していれば、絶対に出てこない論調です。しかし韓国言論は、一切の躊躇なく当然のように、日本に対する内政干渉でしかない論説を語り、韓国民はそれを違和感なく受け入れています。
これをもって韓国人は日本を「ウリ」と考えているのかと言えば、もちろん違います。
この辺が日本人としては理解に苦しむところなのですが、おそらくは【「韓国人から見た日本」は「ナム」だが、「日本人から見た韓国」は「ウリ」であるべき】と考えているのではないかと想像します。
私の経験と照らし合わせると、この考えは実にストンと腑に落ちます。反日剥き出しで口を極めて初対面の日本人を罵っておきながら、それが理由でその日本人から嫌われると、天が落ちてきたかのように驚愕するとか、日本人から「韓国は外国だ」「日本人は韓国人から見れば外国人だ」と言われると、妙に困惑する韓国人が非常に多かったのです。
それは韓国人が「ウリから見れば日本人は「ナム」だが、日本人は韓国と「ウリ」になりたいと思っているに違いない」と考えているからだとすれば、彼らの挙動は合点がいきます。
そう言えば司馬遼太郎の街道をゆくシリーズ2 「韓のくに紀行」
「慕夏」とは読んで字の如く、「夏を慕う」の意です。「夏」は「華」に通じるといいます。華夷思想においては、中国に近いほど華(=文明)に近いとされます。文明から遠い日本人が、文明により近い朝鮮を慕って降ったことから慕夏堂と号したと、「慕夏堂」の伝記である慕夏堂文集には記されているそうです。
その日本武将が本当に華を慕って朝鮮に降ったのかどうかは、今となっては遠い歴史の彼方のことで、確かめる術はありません。ですが「日本人が朝鮮を華と認め、それを慕って降伏した」という記述は、朝鮮人の虚栄心を大いにくすぐったであろうことは、想像に難くありません。
今の韓国人も、韓国芸能人を来日させては、その度「日本中が熱狂した」だの「日本を征服した」だのと煽り立て、食品関連でもキムチだマッコリだサムゲタンだと甚だしい押し付けがありますが、その逆に日本の芸能人が韓国を訪れても、日本食や日本酒が韓国中に広がっても、韓国中が熱狂したとか、日本に征服されたなどとは絶対に言いません。
この差は韓国人が、自らは日本をナムだと思いつつ、日本からはウリと思われたいと思っているからだと考えれば納得がいきます。そう思うことで、韓国人は自分たちを日本より上の存在であると考えることが出来るからです。それは韓国人の無意識の共通感覚と言って良いかもしれません。
そう言えば、しばき隊の「仲良くしようぜ」という不躾な呼び掛けも、この考えで理解が出来ます。在日は日本に居候する外国人なのですから、本来ならは日本人に「仲良くしてください」とお願いする立場のはずで、それが日本人の感覚では当然だと思います。が、彼らは「仲良くしようぜ」とあからさまに上から目線で言うのです。しかも中指をおっ立てながら。
それは、「日本人はナムだが、日本人がウリになりたいと切望するなら、仲良くしてやっても良いぜ」という本国人の意識と寸分違うところがありません。韓国人のそんな意識に迎合してやっても、日本人は何も得るものがないだけならまだマシで、多くのものを失うことになりかねないでしょう。
今後は日本人から、「日本人にとって韓国人は赤の他人で、日本人は断じて韓国人なんかと「ウリ」になんてなりたくない」という明確なメッセージを韓国人に向けて、倦まず弛まず発していくようにしていかなければならないと思う次第です。