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日本は息苦しい

7月28日に長野県の中央アルプスに登った韓国人の登山客が遭難した件で、本日最低3名の死亡が確認された模様です。

2005年に、山形県の蔵王温泉スキー場で、韓国人5人が遭難したことがありました。この時、遭難した韓国人は実名報道されたのドクトウリタンのと騒ぎに騒いで、捜索費用の支払いを踏み倒すだけでは飽き足らず、損害賠償請求さえしようとしておりました。

人命被害のなかった遭難でさえこの有様だったのですから、既に3名もの死亡者が出ている今回の件では、今後彼らがどれほど火病るのかと懸念されます。

日本と比べると韓国の山はさほど高くなく、韓国人はしばしばハイキング感覚で登山をすることがよくあるとは聞いたことがあります。

今回遭難した韓国人登山客たちがその感覚で登ったのかどうかまではわかりませんが、かつて2009年7月に北海道の大雪山系トムラウシ山で9名が死亡する遭難事故があったように、登山はたとえ夏山であっても天候次第で人命に関わる事態になることはあり得ますし、天候が良くても登山道を外れて山中で迷えば、これまた人命に関わる事態になります。

登山という危険を伴うスポーツについては、日本人の登山客であっても自己責任が求められるのは当然ですが、自己責任という概念の稀薄な韓国人登山客には、万一の際の経済的負担を軽減するために、入山に際し山岳保険の加入書の提示を義務付けるか、保険に未加入の韓国人登山客には、遭難費用が発生した場合の支払い負担の念書を取っておくようにした方が良いのではないかと思います。

一番良いのは、韓国人が日本に来ないことですが。

さて、韓国人の多くが、日本は息苦しいと言います。韓国人だけではありません。韓国生活が長い日本人も、日本に戻ってくると同じことを言う傾向があります。彼らは、日本の何が息苦しいのでしょうか。

どうやら彼らは、誰もがきちんと規律や規則を守る日本の几帳面さが息苦しいようです。

例えば日本では、信号が赤になれば、皆ピタリと止まり、おとなしく青になるまで待ちます。ゴミはゴミ箱に捨て、歩きながらみだりに唾や痰を吐き散らかしたりしません。電車は時刻表に記載された通りの時間に出発し、到着し、決められた位置に寸分違わず止まります。テレビでは朝7時のニュースは7時ジャストに始まります。

日本では、誰もが当然のこととしてそういった規律や規則を守ります。もちろん、どんな社会にも規律や規則を守れない者、守らない者はいます。日本も例外ではありませんが、日本ではそういう者に向けられる視線は、韓国よりも遥かに鋭く厳しく冷たいのです。

そのためか、日本で自分だけが規律や規則を破ることは、韓国人といえども心理的な抵抗があるようです。それが韓国人や韓国に慣れ親しんだ者に、「日本は息苦しい」と思わせる要因になっているのでしょう。

その点、韓国では誰もが当然のように規律や規則を破ります。そんなものに縛られる者は馬鹿だと、誰もが思っているのです。

もちろん、規律や規則を破ることがモラルを損なうということは、いくら韓国人でもわかっています。ですから韓国言論や、あるいは韓国人個人であっても、表向きには規律や規則は守るべきだと言いますし、違反者に対しては非難や批判をします。

また、いくら韓国人であっても、規律や規則を守ることによって得られる公共の利益は理解出来ます。ですから他人は皆規律や規則を守るべきだと思っていますが、自分だけは規律や規則という縛りから解放されていたいのです。

韓国人のほぼ全員が、規律や規則を破っても「黙っていればわかりません」「バレなければケンチャナヨ」と心の底で思っています。それどころか、「規律や規則を守れば損をする」「損をするとわかっているのに規律や規則を守る者は馬鹿だ」「規律や規則を破って得をすることは賢明だ」と思っています。そのためか韓国人は、規律や規則を破る必要が特にない時でも、どうにかして違反しようと画策することが頻繁にあります。

おそらく韓国では、規律や規則は「守るもの」ではなく、「守らされるもの」なのでしょう。韓国人は規律や規則を破ることで、ある種の優越を感じるのではないかと思います。そんな彼らにしてみれば、規律や規則の遵守を徹底しようとする日本の社会圧は、とんでもなく高く感じられるのでしょう。

日本人にとっても、日本の几帳面さに息苦しさを感じることはあります。ですが日本にいる誰もがその息苦しさを甘受することによって、社会の安寧秩序と公共の利益という果実が日本にいる人々に分け与えられることが約束されていることも、十分に理解しています。

韓国人は、規律や規則による利便や利益という果実を十全に享受しながら、自分だけは規律や規則から解放されようとします。それが韓国内だけで行なわれていることであれば、私たち日本人が口出しすべきことではありませんが、日本国内に滞留する韓国人が増えるにつれ、彼らは数を頼んで、日本の息苦しさを打破しようとします。

それが割れ窓になり、更に日本人でありながら朝鮮人のような真似をする者が韓国人に同調するようになれば、蟻の一穴から堤防が決壊するように、日本人の規律や規則を守る几帳面さは崩壊していくでしょう。即ち、日本の韓国化です。もしかすると、今現在、既にその崩壊は始まっているのかもしれません。

日本の息苦しさは、日本の社会秩序を維持し、それによってもたらされる果実を得るために必要不可欠なものです。またこれを徹底することで、日本に韓国人を寄せ付けない、日本国内に韓国人を蔓延らせないという効果も望めます。

逆にこれを緩めれば、韓国人はたちまちそこへ付け入り、モラルハザードを引き起こし、あるいは対価を払うことなく他人の分の果実までをも貪ろうとするでしょう。

もちろん、日本人までもが窒息するほどの息苦しさは必要はありません。前述した通り、信号を守るとか、歩きながらみだりに唾や痰を吐かないとか、ゴミはゴミ箱に捨てるという程度のことならば、普通の日本人にとっては負担に感じるどころか、気にしたこともほとんどないはずです。それを保つだけで、日本社会の公共の利益に寄与し、更に韓国人を寄せ付けずに済むのであれば、一石二鳥というものです。

日本は、ある種の人々には息苦しい国かもしれません。ですがそれが、普通の日本人にとってはほとんど負担になるものでなく、しかもそれがあることによって日本の良さが維持され、且つ日本を損なおうとする者を遠ざける効果が期待出来るものであるならば、「日本の息苦しさ」は維持されるべきものだと考える次第です。



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韓国を見たら似非と思え

韓国を説明する際に、最も端的にして明快な単語は「似非」の二字でしょう。とにかく彼らが関わるものは、ことごとく「似て非なる」ものであると断じることが出来ます。

韓国をよく知らない者が韓国を見れば、必ずこの「似非」に騙されます。いや、「騙される」という表現は正しくないかもしれません。「取り込まれる」と言った方が的確でしょう。何故なら韓国人たち自身が、彼ら自身の「似非」を本物と信じている部分があるからです。

例えば、韓国で生クリームたっぷりのショートケーキにトッピングされている赤い実を私たち日本人が見れば、百人が百人、それをイチゴだと思うでしょう。けれどそれは、高い確率でイチゴではなくプチトマトです。

ショートケーキにプチトマトというのは、韓国人が「生クリームに合うのはイチゴではなくプチトマトである」という確信のもとに行なわれていることなのでしょうか。私にはそうは思えません。何しろ韓国人は、イチゴが大好きなのです。好き過ぎて、日本で改良した品種を盗むほど好きなのです

その彼らが、ショートケーキにイチゴではなくプチトマトを載せるのは、どう考えても「ショートケーキにはプチトマトが合うから」でも「プチトマトが好きだから」でもありません。年間を通して安定供給され、比較的価格も安く、ぱっと見だけならイチゴと見間違えるものとして、プチトマトを代用したのでしょう。

プチトマトをイチゴの代用とするのなら、湯剥きしてシロップに漬け込むなどの一工夫を凝らして、イチゴに負けない風味を目指すのであればまだ理解の余地もあります。しかし現実には、ほぼ何の手も入れず、湯剥きどころかヘタさえ取らないことも珍しくないそのままのプチトマトを、ポンと生クリームたっぷりのケーキに載せてあるだけなのです。

韓国では、もはや誰も疑問を抱かぬほどに普及してしまっているトマトショートは、まさに韓国の「似非」を象徴していると言えるでしょう。

あるいは、先だって朝鮮日報で報じられた「韓国の祭り」とやらも、「似非」そのものと言えます。

日本の「祭り」は、本来は神事であり、多くは地域の共同体の行事です。故に日本の「祭り」には、祭るべき「神」の存在と地域の共同体の結び付きが必要不可欠と言えます。祭りに伴う歌も踊りも飲み食いも、基本的には「神に捧げるもの」とされます。

今日の日本では、地域の共同体の結び付きもずいぶん薄くなり、盆踊りやとんど焚きといった行事を行なう地域も少なくなったのではないかと思いますが、それでも日本人が何やら「祭り」的なものをする時は、必ずそれに参加する共同体の、利害を超えた一致団結が必要不可欠となっているのではないでしょうか。

翻って韓国には、日本のような「祭り」は存在しません。韓国では「祭祀」と言えば先祖の法要のことです。これは一族だけの行事であって、地域全体で協力して行なうものではありません。

韓国の祭祀は、一族が宗家に集まり、祭壇をこしらえ、そこに食べ物を山盛りにして供え、一族の男子が作法に則ってこれに礼拝すると、あとはひたすら飲み食いする宴となります。一族の女子はその準備と饗応と後片付けに徹し、祭祀に参加することはありません。

韓国の「祭祀」には、「神」も「地域の共同体の協力」も存在しません。故に、一族ではない共同体による「利害を超えた一致団結」によって行なう「祭り」は、彼らには困難なのでしょう。

そう言えば2008年に韓国で大規模に展開された燭火デモのことを韓国人は「文化祭」と嘯いていましたが、そこでもやはり、参加者の「利害を超えた一致団結」などというものはありませんでした。彼らの「祭り」に対する認識とは即ち、「人がたくさん集まってひたすら大騒ぎすること」でしかないのでしょう。

これほどまでに「祭り」に対する認識が異なる日本と韓国が共同で、「日韓交流おまつり」(該当サイトをリンクしようと思いましたが、韓国人の作ったサイトらしく、開くとポップアップの嵐なのであえてリンクしません)などとやっているのですから、まことに不毛きわまりないとしか言いようがありません。

他にも、韓国言論が何やらそれらしい主張を唱える時に引き合いに出す理論や論文なども、多くの場合韓国らしい「似非」解釈で歪められていることが往々にしてあります。

韓国の歴史には「似非」義士が、慰安婦問題では「似非」証言が、竹島問題では「似非」資料や「似非」解釈がと、韓国の「似非」を数え始めればきりがありません。

かつて「朝鮮と書いて「似て非なるもの」と読む」という記事を書きましたが、今回は、「韓国に関する一切を見る時は、必ず全て似非であると心得て見るべし」と唱えたいと思います。

韓国を見たら似非と思うようにすれば、韓国の「似非」に取り込まれずに済むでしょう。



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「その先」を考え始める時期

5月の朴槿惠韓国大統領に随行していた報道官が、在米韓国大使館のインターン女性にセクシャルハラスメントを行ない、問題が公になりそうになった途端に職務を放棄して韓国へ逃げ帰った件で、当該前報道官に対し、アメリカの警察が逮捕状を出したとか。なかなか法に基づく手続きとは、時間がかかるものです。

セクハラ事件程度でもこれほど時間が掛かるのですから、サンフランシスコ空港におけるアシアナ航空の着陸失敗事故の原因究明も、おそらく年単位で時間がかかることと思われます。

さて参院選が終わりましたが、今回の選挙では日韓断交を公然と掲げた候補が出ました。今回は落選されたようですが、日韓国交断絶を初めて公に議論の俎上に載せたことは、日韓断交実現に向けての意義ある一歩と言えるでしょう。

もちろん、日韓国断交自体はまだまだ現実的というには程遠いのですが、それでも「韓国とはまともな議論が成立しない」という認識が、徐々に日本人の間で共有されつつある兆しを感じます。

それに加えて、韓国人の主張する【日韓友好】が具体的にどのようなものであるかということを、有田芳生参議院議員と「レイシストをしばき隊」やその賛同者が具体的に行動で示してくれたおかげで、「韓国人の考える友好とはどういうものか」という認識も、まことに緩やかではありますが、日本人の間に広まりつつあるのではないでしょうか。

これらの認識が無事に日本人の間に定着するまでには、まだまだ多くの時間が必要でしょうけれど、それでも種子が芽吹いたことには、大きな期待を寄せたいと思います。

しかし、問題は「その先」です。

前々から言ってることではありますが、「日韓断交」とは、日韓両国の間にシャッターが降りて一切の交通が途絶し、互いの存在が見えなくなるということではありません。日韓断交が実現しても、民間レベルの交流は普通に続くでしょう。それは日本と台湾や北朝鮮との関係を見れば、間違いありません。

ですが日韓断交が実現すれば、韓国は確実に大きな打撃を受けます。少なくとも、韓国経済は深刻なダメージを被るでしょう。

韓国側が表立って、例えば大統領談話としてそれを前面に押し出して日韓国交の継続を求めるということは多分ないでしょうけれど、事務レベルぐらいまでであれば、それを匂わせることで日本側の寛恕を求めるということは、おそらく今も日常的に行なわれています。韓国人と言うか、朝鮮人お得意の「我が身を質にして相手に迫る」交渉術です。

また日本側としても、日韓断交が韓国に及ぼすダメージについては悩ましいのです。

私のような一般人ならば、気楽に「韓国など見捨てれば良い」と言えますが、国際社会の一員としての日本の立場を鑑みれば、日本が韓国を見捨てることは無責任と見られる恐れが多分にあります。何しろ、今まで手取り足取り面倒を見、一度は併合までしたのです。距離的にも近いし、欧米から見れば見分けも付きにくく、下手をすれば韓国を日本の一地方と思っている欧米人もいることでしょう。

日本国内に住む日本人でさえ、韓国に対する嫌悪や警戒心を理解出来ない人が少なくないのに、海を挟んだ文化も人種も異なる人々であれば尚更というものです。

これまで熱心に面倒を見てきた日本が、突然韓国を突き放し、その結果として韓国が経済的に破綻することになれば、日本国内からは当然として、欧米諸国からもその責任の一端を日本に求める声が上がる可能性は大いにあります。日本政府がそれを懸念するのは当然というものでしょう。

日本にとっての韓国は必要な存在ではありませんが、韓国にとっての日本は、生命線と言っても過言ではありません。日本も韓国も、それを熟知しています。そういう意味で、韓国は日本に依存していると言えます。

これまでにも弊ブログではしばしば日韓を共依存の関係にあると唱えてきました。共依存は、他人から見ると依存する側と依存される側があるように見えるのですが、実は依存される側も、「依存されることに依存している」状態なのです。依存される側は、依存されることに自らの価値を見出し、また依存する側を見捨てることに罪悪感を持ちます。

例えばもし、日韓断交が実現したとして、その結果韓国が経済破綻することになれば、日本はどうするでしょうか。韓国とは国交がないから知らないよと言えるでしょうか。現時点の日本を見ていて、私にはとてもそうは思えません。必ず韓国の経済破綻に関する「日本の責任」を追及する声が、日本政府内からも上がることは疑う余地がありません。

日韓国交断絶が現時点では現実的と言えないのは、そういう懸念が日本政府にあるのも、理由のひとつではないでしょうか。

日韓国交断絶は、実現すればそこでオシマイ、メデタシメデタシということにはなりません。それによって発生する諸問題に対応していく必要が生じます。

その対応に関する国民の理解や議論、それらに関する手間や手続きと言った面倒を思うと、いろいろ問題があるにしても、既にルーティンワークが成立している現状を維持する方が楽だと考えるのは、お役所ならば無理もありません。

日韓断交を主張するのは簡単です。しかし、「その先」に関する国民の議論と考察と理解がなければ、日本政府は決して日韓断交に前向きになることはないでしょう。

夢物語としての日韓断交ではなく、現実としての日韓断交を考えるのであれば、そろそろ「その先」についても考え始めなければならない時期に来ているのではないかと思う次第です。



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日韓の国交は両国に毒

参院選は大方の予想通り自民党の圧勝で終了し、ようやく衆参のねじれは解消されたようです。いよいよこれからが本番です。安倍政権には、勝利に驕ることなく慎重に、しかし粛々と政策を実行して行っていただきたいものです。

当然、有権者はそれに対する監視の目を緩めてはなりません。民主主義国家における政治は、政治家だけに責任があるのではなく、その政治家を選んだ有権者にも責任があることを、私たち有権者は常に心に刻んでおく必要があります。

さて、産経新聞の名物記者黒田勝弘氏による外信コラム「ソウルからヨボセヨ」に「子供が反日むき出し」と題するコラムが掲載されました。

少し前に「韓国では日本人狩りが行なわれている」というまことしやかな記事が、やはり産経系のZAKZAKに掲載されたことから、黒田勝弘記者のコラムはそれを補足するかの如きイメージとなりましたが、実際には韓国における年少者の反日剥き出しは、かなり昔から普通にありました。

弊ブログでしばしば引き合いに出したことのある、「脳足りん君」と呼んでいる日本語の読み書きが堪能な反日工作員と思しき韓国人も、親戚の子供に「兄ちゃんは、独島が大変なのに、何で日本語を習ってるの?」と聞かれてまともな返事が出来なかったというエピソードをブログに書いておりましたように、韓国における子供の反日意識は、昨日今日始まったことではありません。

関川夏央著の「「ただの人」の人生」でも述べられていたように、韓国人の日本に対する認識は「悪い国」であり、日本人に対する感情は常に必ず「悪い人」です。韓国では子供たちにも、少なくとも日韓国交正常化以後から徹底してそう教えておりました

今はと言えば、そう教えられて育った世代が現在の韓国の子供たちを教える世代となり、現在の韓国では、「日本は絶対悪」という観念が道徳的正義であり社会規範となっていることは疑う余地がありません。

韓国人の間では、日本人への評価が高まれば高まるほど、反日を強めざるを得ません。日本人を認める発言をした者は「親日=民族の裏切り者」として、韓国社会で徹底的に糾弾されるからです。

では韓国人の間で日本人への評価が下がればどうなるかと言えば、反日は多少弱まるかもしれませんが、その分、侮日が強まるでしょう。反日侮日のどちらにしても、日本の立場では大差ありません。

昔はそれでも、日帝時代を自身の体験として知る韓国人が多く居て、韓国人がどんなに激しい反日を示したとしても、決して口には出せなくとも、どこかに「日本は必ずしも悪いばかりの国ではなかった」という暗黙の対日共通認識があったのではないでしょうか。

韓国関連の書籍を読み漁ればそれを伺わせる記述は決して少なくなく、日帝統治を体験した韓国の老人たちとの会話においてもそういうニュアンスは明らかにあり、それが日本と韓国を結ぶ蜘蛛の糸だったのではないかと思います。

韓国人はウラオモテが無く率直だなどという嘘を、ほかならぬ韓国人自身が一番信じておりますが、実は韓国人のウラオモテは、日本人の「ホンネとタテマエ」とは趣きを異にして激しく明確にあります。

日本に対して反発や抵抗を見せることは韓国人の正義であり、それなしで日本との合意や協力は許されないという感情は韓国人にあったかもしれません。それを韓国人の「オモテ」とすれば、韓国人の「ウラ」の部分では、日本に強い好感を持ち、日本のやり方を取り入れることを強く望んでいたことは、日本のあらゆる文物を韓国が盗もうとし、また実際に多数の文物を盗んでいることからも明らかです。

日韓国交正常化直前の日本側では、韓国に対して「ついこないだまで同じ国であった」という意識があったかもしれません。日本と韓国(日韓併合当時は朝鮮)は戦争をしたわけでもなく、その併合は極めて平穏に行なわれ、その統治も終始比較的穏やかでした。

当時の朝鮮にも、反日分子は確かに存在したでしょう。どれほど富み栄えた平和で穏やかな社会であっても、不満を持つ人や反社会分子は必ず存在します。ましてや、韓国人が「不幸探し」を好むこと甚だしいのは、今に始まったことではありません。

韓国人はどんなに恵まれていても、常にささやかな不満を探し、その不満を全てに引き当てて、自分は不幸だと思い込みたがり、且つそう吹聴したがります。

日韓併合当時は、日本本土も必ずしも豊かではありませんでした。地域によっては、極めて貧しかったところも少なからずありました。そのため日本本土内にも不満分子や反社会分子は普通に存在し、時に騒動があったのは歴史にも記されています。

ですから朝鮮に不満分子や反社会分子が存在していても、さほど驚くべきことではありません。それを勘定に入れた上で、全体としては極めて平穏な統治であったというのが、日本側の認識であったでしょう。

それに朝鮮の独立も、朝鮮人が自ら望んで勝ち取ったものではありません。だからこそ、朝鮮人は抗日神話を作らなければなりませんでした。その神話を国民に信じさせるためにも、韓国人は一貫して反日であったことにしなければなりませんでした。

韓国のそういう事情は、当時の日本人と韓国人の指導者層の間では暗黙の了解事項であったでしょう。韓国が防共の砦ということも大いにありましたが、そういう日韓相互の「暗黙の了解」が、日韓国交正常化に少なからぬ作用をもたらしたであろうことは、容易に想像出来ます。

しかしもはや日帝時代を自身の体験として知る世代は全て現役を退いています。現在は、観念としての反日を刷り込まれた人々が韓国社会を動かし、韓国子供を教育しているのです。

現在の日本人に、かつて日本が韓国(正確には朝鮮)を併合していたという事実がピンと来ないのと同様、現在の韓国人に、日韓併合を自身の体験として知る韓国人のような、複合的な反日意識はありません。あるのは道徳的正義や社会規範及び教養としての、純粋培養された反日意識なのです。

仮に韓国が明日、反日方針を改め、自国民から徹底的に反日意識を抜く方向へ舵を切ったとしても、その効果が現れるのは早くて30年後でしょう。しかも、その転舵は容易ではありません。その影響をどれほど少なく見積もっても、韓国は国民の反発で国家が大きく傾き損なわれることは間違いないでしょう。

もちろん、日本としても韓国の親日への転舵が決して望ましくないことはかつて述べたとおりです。

「恨」を好む韓国人にとって、日本の存在は民族的な「恨」です。そういう意味で、「反日」は「恨日」でもあると言えるのです。ですから彼らは反日を手放すことは出来ません。韓国人の現実感のない観念としての反日は、今後より潜在化すると同時に純化されていくでしょう。

日本は日韓国交正常化以後、韓国を「価値観を共有する重要な隣国」というタテマエで厚遇し続けてきました。それに対する韓国の答えは、「千年不変の恨」です。日本が韓国と付き合いを続ける限り、彼らの日本に対する「恨」は募ることはあっても、減ることも解かれることもないでしょう。

日本にとって、韓国との交流はデメリットの方が多いとこれまで縷々述べて参りました。韓国にとっても、日本との交流は薬にもなりますが、その副作用も決して小さくはありません。しかも年々潜在化し、蓄積され続けているのが現状です。やがてそれは必ずどこかで、韓国自身を傷つける形で噴出することになるでしょう。もしかすると今現在、既に噴出しつつあるのかもしれません。

日韓の国交は日韓双方にとって悪影響甚だしいものであることが明らかになってきた以上、日韓の発展的関係解消を前向きに検討し、実現に向けて真摯に議論する時期に来ていることを強く提言する次第です。



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朝鮮人のような真似をすれば即ち朝鮮人なり

サンフランシスコ空港におけるアシアナ機着陸失敗事故の件で、「アメリカのテレビ局が操縦士の名前を人種差別的に揶揄して報じた」として、アシアナ航空がテレビ局を提訴するのしないのと言ってた件がありましたが、アシアナ航空側は、どうも勝てる見込みがないということで提訴を断念した模様です。

それとは別に、事故機の乗客83人がボーイング社を相手取り、自動速度維持装置の故障が事故の原因との主張で損害賠償請求訴訟を起こしたそうです。

現在のところ、当該事故の原因はまだ断定されておりませんが、もし事故原因が機材故障によるものではないと断定された時、彼らは振り上げた拳をどこにおろすのかが見ものです。

それはともかくとして、とりあえず今回の事故の調査も一段落し、今後の展開を見守る段階に入ったのではないかと思います。今回の事故は、米中という日本以外の大国に対して、韓国がどのような態度を示すかを観察出来る貴重な機会ですので、当面ウォッチは続けるつもりです。

さて本日のお題です。

弊ブログや月見チャットには時々「朝鮮人のような真似」をする御仁が現れることがあります。またリアルやネットでそういう人物を見かける機会も、残念なことに珍しくありません。

そういう時に気になるのが、「あれは本当に日本人なのだろうか?」「あれは日本人のふりをした朝鮮人なのではないだろうか?」ということです。事実、月見チャットなどで「あれは朝鮮人ではないか?」と質問されることもたまにあります。

私も少し前まで、それが気になってしかたなかった時期がありました。特に日韓チャットでは、日本人のふりをした韓国人が引きも切らず、それを如何に迅速に見破って蹴り飛ばすかに躍起になっていたこともあり、ネットやリアルで遭遇する、それと思しき相手にはずいぶんナーバスになっていた時期があったと思います。

しかし今では、あまり気にならなくなりました。というのも、一般人の立場では、それを突き詰めてもあまり意味がないことに気づいたからです。

繰り返しになりますが、リアルであれネットであれ、朝鮮人のような真似をする人物に遭遇することは、案外珍しくありません。その都度、あれは朝鮮人だろうか、それとも日本人だろうかと思い悩み、あるいはその人物の血統や国籍を調べたり探ったりして、仮にいずれかが判明したとしても、入国管理官等でもない限り、結局その人物への対応は変わらないのです。

その人物が日本人のふりをした朝鮮人であったとしても、あるいは朝鮮人のような真似をしている生粋(笑)の日本人だとしても、その人物がすることは「朝鮮人のような真似」です。血統的にも国籍上も日本人であっても、朝鮮人のような真似をする人物には、血統的にも国籍上も朝鮮人であり且つ朝鮮人のような真似をする人物と同じ対応と評価で臨むしかありません。

それが日本人であれ朝鮮人であれ、「朝鮮人のような真似をする人」に手加減や容赦を与えればどうなるかは、朝鮮人を知っている人ならば誰にでも容易に想像がつくでしょう。「朝鮮人のような真似」をする人に対し、「国籍や血統が日本人だから」などという理由で手加減や容赦を与えるつもりであるならば、それは大変危険で愚かな行為です。血統や国籍が何であれ、朝鮮人のような真似をする者は一律に朝鮮人と考えて、それに見合った対応をするのが無難で賢明な行為と言えるでしょう。

たとえその人が純粋な日本血統と正式な日本国籍を持っていたとしても、「朝鮮人のような真似をする人」に日本人としての矜持や常識を求めても無駄です。何故なら、日本人としての矜持や常識があれば、そもそも「朝鮮人のような真似」などしないでしょうから。

高校の古文の授業で習ったことのある人も多いと思いますが、徒然草の八十五段に「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」という有名な一節があります。「狂人の真似だと言って大通りを走る者は、(狂人の真似をしている者ではなく)そのまま狂人である」という意味です。この後「悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり」と続きます。解説は不要でしょう。

これと同じく「朝鮮人のような真似をする者は、即ち朝鮮人である」と考えれば、何も思い悩む必要はありません。その人が純粋な日本人血統であるならば、それは純粋な日本人血統を持った朝鮮人であり、日本国籍を持っているならば、日本国籍を持っている朝鮮人と考えれば良いだけの話です。

そう考えるようにすれば、判明しても特別何の役にも立たないその人物の国籍や血統の詮索に血道をあげる時間や労力が必要なくなりますし、また自分自身を振り返る時にも、「朝鮮人のような真似をしてはいないか」という基準で考えれば良いので、いろいろ捗るのではないかと思います。



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韓国が絡んだ事故や事件は、韓国を知る優れた教材

今月6日に起きたサンフランシスコ空港におけるアシアナ機着陸失敗事故の件で、韓国は国をあげての総ヒステリー状態になっています。

もちろん、ごく一部にはこの事故について冷静な分析と考察を行なっている韓国人も、探せばいるのでしょうけれど、総体としての韓国人は「冷静な分析と考察」なんかに耳を貸さないどころか、うっかり「冷静な分析と考察」以前の客観的な事実を並べるだけでも、激昂した韓国人から袋叩きに遭いかねない雰囲気が韓国全体を覆っているようです。

ところで今回の事故には、韓国らしさが凝縮されていると言っても良いでしょう。

まず事故の直接の原因については、韓国人以外の関係者は操縦士の操縦ミスで概ね見解が一致していると仄聞します。ところが、韓国人だけが、これを頑なに認めようとしていません。事故の直接の原因を認めないのですから、そこへ至る理由、例えば今回のフライトは操縦士の訓練を兼ねたものだったそうですが、その訓練プログラムに問題はなかったのかとか、指導教官の資質や指導に問題はなかったのかということも追及出来ません。

更には、自分たちの非を棚に上げて、他人の非を重箱の隅をつつくようにして探し、あげつらいます。そうすることで、自分の非は打ち消され、責任は他人に移ると信じているのでしょう。

あるいは、やって当然のことを殊更に素晴らしいことをしたかのように誇り散らかすことで、自らの非を相殺しようとするだけではなく、それを打ち消して有り余る称賛を得ようとします。

どうしても責任から逃れられないとなれば、口からでまかせの嘘をついたり、仮病を使います。

自分たちに非があることを認めないのですから、失敗を教訓とすることは出来ません。だから彼らは、何度でも同じ失敗を繰り返すのです。この「失敗を教訓とすることが出来ない」というのも、韓国らしさの大きな特徴のひとつと言えるでしょう。

また、一般に文明国といわれる国では、高い地位や権威を持つ人はそれに見合った義務と責任を負うのが当然とされています。しかし韓国は違います。高い地位や権威を持つ者ほど、多くの義務や責任を免れる特権を持つと、韓国では理解されているのです。

ですから韓国では、地位や権威を持つ者は、義務や責任を自分の部下に押し付けます。部下たちはその義務や責任をババ抜きのように押し付けあいます。身内での押し付け合いに限界が来れば、どこかの他人になすりつけようとします。今回の事故ではこの様式も遺憾なく発揮されています。

韓国人の上昇志向の凄まじさはつとに有名ですが、それはこういう韓国の社会構造も理由のひとつかもしれません。韓国では、少しでも上位にいなければ、いつまでたっても貧乏くじを引かされ続けることになるのです。

今回の事故は、アメリカで起きた韓国人が加害者の事故ですが、かつて韓国で起きたアメリカ人が加害者の事故がありました。この時の韓国人の興奮は凄まじく、事故によって死亡した二人の中学生を「アメリカ兵に殺害された」と主張し、韓国全土で米軍に対する抗議デモが行なわれました。当時、これに否やどころか、ささやかな疑問を唱えたり、被害者側の過失について言及する韓国人は、ただの一人も見たことがありません。

この時の韓国人のアメリカ軍に対する誹謗中傷は、今回アメリカで言われるような、ブラックジョークに紛らせた類のものとは比べものにならないほど酷いものでしたが、それを問題視する韓国人は一人もいませんでした。

他には、2007年12月に起きたHebei Sprit号原油流出事故も参考になります。これは韓国で起きた韓国人が加害者の事故ですが、この際も韓国人の責任転嫁や嘘、逆切れなどは遺憾なく発揮されました。

更には事故によって流出した重油の除去と清掃に多くのボランティアが貢献したことを殊更に強調して、「ノーベルお掃除よく出来ましたで賞」を与えるべきだと主張するなどしたのも、今回のアシアナ航空の客室乗務員が当然の業務として為すべき乗客誘導をしたことを、英雄行為として殊更に褒め称えているのに似ています。

日本が絡んだ事例であれば、2005年に起きたシンプン号立入検査忌避事件が比較的わかりやすいでしょう。これは日本で起きた韓国人が加害者の事件ですが、韓国では当然のように韓国人が被害者であると主張し、日本を非難しました。

韓国が絡んだ事故や事件を見れば、誰にでもそこに現れる共通点が見えてきます。それが韓国と韓国人の正体なのです。

韓国が絡んだ事故や事件は、日本では何故か極めてあっさりとした控えめな報道になるのが一般的です。それは、単なる事実の羅列程度の報道であっても、韓国と韓国人の正体が誰の目にも明らかになるほど浮き彫りにされるからでしょう。

20年前であれば、日本のマスコミが情報を隠蔽してしまえば、日本の国民が事実を知ることは極めて難しいものでした。しかし今日では、日本のマスコミに頼らずとも、ネットを通じて世界中のメディアを閲覧することが出来ますし、現地にいる人とリアルタイムで情報交換することも出来ます。それによって、日本のマスコミがどういうフィルターを掛けているかまでもが見えてきます。

そうやって日本のマスコミがかけたフィルターを通さずに韓国が絡んだ事故や事件を見れば、日本の嫌韓は「韓国を悪く言ってる」のではなく、「韓国が悪い(あるいはずるい)ということを言ってる」のだということが誰にでもわかるはずです。

自力で情報を得るのは、垂れ流される情報を漠然と受け取るのと比べればちょっと面倒ですし、だいたい韓国なんて興味ないし自分には関係ないしと思ってる人も多いと思いますが、相手の方でもそう思ってくれるとは限りません。それどころか韓国に無知な日本人は、韓国人から見れば鴨葱鍋炭七輪なのです。

何も韓国のすべてを知り、すべてを諳んじるまでになれと言うわけではありません。基本事項を知り概略に目を通しておけば、あとは適宜必要に応じて調べれば良いのです。そういう時、ネットは強い味方になってくれるでしょう。



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「嫌いになるため」では続かない

サンフランシスコ空港におけるアシアナ機の事故は、韓国の国家を挙げての責任転嫁劇の様相を呈して参りました。この事故の被害者の方々には大変お気の毒でしたが、これによって世界が、少なくともアメリカが、韓国という国と韓国人という生き物について、より正しく知ることが出来るようになるかもしれません。

日本人にとっても今回の事故は、日本がほとんど関係しない分、韓国と韓国人の異常さが客観的に見れる貴重な事例ではないかと思います。

ところで韓国について語る時、私はいつもどうしようもないもどかしさを覚えます。おそらくは、読み手の方でもそう感じる人がいるのではないでしょうか。

何しろ韓国についてひとつ調べると、いつもそれを否定するようなものや相反するものが同時に出てきます。例えば韓国人は韓国には半万年の歴史があるとか、酷いと9000年だとか、更に調子に乗って72390年とまで言うこともありますが、大韓民国の建国年数は今年で65年です。

韓国人は、彼ら固有の文字であるとしてハングルを誇ること甚だしく、彼らが専らに用いる文字も当然ハングル尽くしです。そのくせ韓国が漢字文化圏から逸脱していると言われると、何故か非常に憤り強く否定します。

韓国は、先進国クラブと言われるOECDにも加盟していますし、経済力では、ここのところ15位前後と少々低迷しているものの、過去には世界11位にまで達したこともありますし、何しろ世界で七番目に20-50クラブとやらに加わりましたし、クラブと言えば自国の人工衛星を自国から自力で打ち上げた宇宙クラブの11番目の加入国ですし、インターネットの接続速度では世界最速のIT強国であると胸を張ります。

そのくせ当の韓国人でさえ胸を張って堂々と「ウリナラは先進国ニダ」とは言えなくて、「中進国」などという意味不明な言葉を用いています

「先進国」「後進国」の「先進/後進」は、「先輩/後輩」や「先生/後生(ゴショウではなくコウセイと読む。ex:「後生畏るべし」)」などと同じ用法ですから、「中輩」や「中生」などという言葉があり得ないように、「中進」という言葉も本来あり得ません。

「中進国」という言葉は、「先」と「後」の間だから「中」という安易な連想で作られた言葉なのでしょうけれど、何につけウリナラ最高と言いたがる韓国人にしては腰の引けた表現の言葉にすがっている辺りに、彼らのジレンマが透けて見えます。

宇宙クラブとやらについても、当初は羅老号を「純国産ロケット」と吹聴してた癖に、一度目の打ち上げに失敗するや「共同開発したロシアのせいニダ」と言い出すわ、二度目も失敗するわ、三度目でようやく成功するも、北朝鮮に先を越されてしまって「10大宇宙クラブ」と言えなくなり一気にトーンダウンするわという、念の入った間抜けっぷりを披露しておりました。

IT強国に至っては、単にインターネットの接続速度が速いだけの話で、それさえもしばしば国家規模の障害が発生しておりますし、韓国が保有するスーパーコンピュータの性能は2013年のスーパーコンピュータ国際会議で世界91位と92位というお粗末さです。

韓国のガイドブックや紹介サイトを見れば、林立するきらびやかな高層建築や活気に満ちた人混みや小綺麗な飲食店の画像で溢れかえっていますが、そこに漂う、慣れる以外に逃れようのない独特の臭気に言及したり、道路脇のそこかしこにわだかまるゴミの山や、すれ違いざまにわざと肩をぶつけようとする韓国人を描写することはほとんどありません。ましてや、その近代建築で埋め尽くされた通りのすぐ裏手に、瓦礫の山と見紛うような建物が密集するスラムが存在することなど、どこにも書かれてはいないでしょう。

そもそも「知れば知るほど嫌いになる」という時点で相当ねじれています。何であれ普通は、知ろうとする時点で、大抵の人はその対象に好意的なものですし、知れば知るほど好きになるものです。

それに「知る」ためには、それなりの努力が必要です。その努力を、「嫌う」というネガティブな目的のために行なう人は普通はいませんし、いても長くは続けられません。単純なのにややこしい韓国を理解するだけでも大変なのに、その結果が「嫌いになる」では、モチベーションが続く方が不思議というものです。

それを続けていけるのは、多分「日本が好きだ」というポジティブな気持ちがあるからだと私は思っています。

私の世代の日本人は、「日本を嫌う教育」を受けてきました。学生時代の私たちにとって、「日本を否定すること」は即ち正義でした。それは非常に韓国人の反日意識と共鳴しやすいものでしたが、韓国を知らない間は、それが韓国人の反日意識と共鳴するということさえも知りませんでした。

韓国と韓国人を知ることで彼らの反日・侮日意識を知り、その根源や事実を探ることで、彼らが日本について如何に素っ頓狂なことを言ってるのかを知り、実際の日本はどうだったのかということを知ることになりました。

韓国を知ることは、韓国が貶めようとしている私たちの日本を知るということにつながっていたのです。

私たち日本人にとってかけがえのない祖国である日本を、韓国は国を挙げて罵り蔑み貶め陥れようとしています。それを少しでも防ぎたい、日本に対する韓国の誹謗中傷や加害行動に対抗する知識を蓄えたいというのが、現在の私の、韓国を知るためのモチベーションのひとつになっております。

日本に対する韓国の攻撃に屈しないために、韓国のことを知る必要があり、韓国を知るという寄り道をすることで、多少遠回りにはなりますが、その分日本に対する知識も立体的になり得ます。

おそらく近い将来に韓国は、これまで何度もそうだったように、日本人から忘れ去られるでしょう。知るまではややこしくても、知ってしまえば単純で、しかも知れば知るほど不快感や嫌悪感を催す国と生き物ですから、記憶に残したいと思わないのは当たり前です。しかし日本人が忘れ去っても、ネットの海に流れ出した記録は残ります。今の私たちが残す記録が多ければ多いほど、将来それが必要になった時に役立つ記録も増えるでしょう。

韓国を嫌うためではなく、日本に対する韓国の攻撃に屈しないために、日本人は韓国と韓国人を知り、それを記録に残しておく必要があるのだとしみじみ思う今日この頃です。



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韓国は中国に任せた

参議院選挙公示とほとんど同時に猛暑の日々ですが、選挙運動で全国を走り回っている方々はさぞや大変だろうと思います。

しかし選挙と言っても「この人に投票したい」と手放しで思える候補者は滅多におらず、もしいても自分の選挙区から出るとは限らず、毎度毎度投票所では頭を抱えております。

そういう意味で、選挙の度に「誰に投票したら良いのか教えろ」と言いたくなる気持ちは本当によくわかります。ただ、私はどうしても「自分で考えて」投票して欲しいのです。それが有権者の義務であり、責任だと思っております。

誰に、あるいはどこに投票したら良いか迷う人は、まず消せる選択肢は全部消しておくと、選択肢が多少なりとも絞れますので、お勧めです。消せる選択肢は、だいたい好きか嫌いかで決めて良いと思いますが、とっさに思いつかない人は、とりあえず民主党を消しておけば良いと思いますw

さて参院選関連はこれぐらいにして、暑さに煮えた頭で考えるのが億劫になってきた韓国関連に参ります。

現地時間の6日午前、アメリカのサンフランシスコ空港で、韓国のアシアナ航空が着陸に失敗し炎上するという事故を起こしました。事故の原因等はまだはっきりしておりませんが、総合的に見て操縦士のミスではないかという見方が強いようです。

韓国系の航空会社は、軍隊出身者がパイロットだから操縦が上手いという俗説がまことしやかに流されており、昔は私もそれを信じていた時期がありました。ただ、それを信じていた頃に韓国で国内線に乗った際、離陸時に客席の窓から見える外の風景が、それまで見たこともないほど急角度であったのに驚いたことは、今も強く印象に残っております。

その後、日韓チャットで「韓国系航空会社のパイロットは、軍隊出身だから操縦が上手いと聞いた」という話をすると、「お前は軍隊で操縦する戦闘機と、大型旅客機の操縦が同じだと思ってるのか」と一笑に付されました。要するに韓国系の航空会社のパイロットが、仮に本当に戦闘機乗り出身だったとしても、必ずしも旅客機の操縦が上手いとは限らないということと、その韓国軍の戦闘機乗りも、マンホールに撃墜される腕前というのを知って、その後韓国系航空会社は出来るだけ忌避するようになりました。

ですので今回のアシアナ機の事故がパイロットの操縦ミスだったとしても、私個人としてはそんなに不思議には思いません。またこの件に関して、韓国側が必死で操縦士以外の、機材や空港等に事故の原因を求めようとしているのも、韓国関連では毎度毎度の様式です。

ところで今回は、事故本体とは別に、この事故を報道した韓国のテレビ局「チャンネルA」のニュースキャスターが、「(この事故による)死亡者2人が中国人と確認された。私たちとしては幸いだった」とコメントしたことが中韓両国で問題になっているようです。

日本と中国、日本と韓国の仲が冷え込むのに比例するように、中国と韓国はこのところ急速に関係を深めており、先だっての朴槿惠韓国大統領の訪中以後は蜜月ムードとさえ言われておりました。その雰囲気に水を差すが如きニュースキャスターの発言に、まず韓国内からこのニュースキャスターの発言を問題視する声があがったのは、中国に対する配慮というのももちろんあったでしょう。

ただ思うのは、このニュースキャスターの発言も、韓国人としては偽らざる心境だっただろうということです。それは非難を受けた「チャンネルA」が釈明として出した「(死者が)韓国人ではなくて幸いである旨の発言だ。意味が歪曲されて送信されており、当惑している」というコメントからも明白です。

別にこの発言をした韓国人ニュースキャスターを庇うつもりは毛頭ありませんが、このニュースキャスターに中国人を侮蔑する明確な意図は、おそらくなかったのではないかと思います。

あったのは、中国人に対する韓国語で言うところの「無視」という意識でしょう。

韓国人にとって「無視」は「侮蔑」や「罵倒」より悪いということを思い出していただければ、このニュースキャスターの発言に韓国内から非難の声が上がったのは、韓国人の中国人に対する「無視」という意識を暴露してしまったという部分も、大いにあるのではないでしょうか。

日本のように「侮蔑」や「罵倒」を浴びせられるのと、中国のように「無視」されるのとであれば、どちらが良いのかと言えば、正直どちらも遠慮したいというのが本心です。韓国とは、親しくても険悪でも、接する機会がある限り、不快にさせられることからは免れないのでしょう。

その不快を補って余りあるメリットがあるならばともかく、その不快に追い討ちをかけるが如きデメリット満載の韓国との付き合いは、韓国の旧宗主国であり、朝鮮人の御し方も熟知している中国に全て任せて、この機会に日本は、更に韓国から遠ざかるのが吉だと思います。



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そうだ選挙、行こう

一昨日、参議院選挙が公示されました。投票日は7月21日(日曜日)、期日前投票は昨日5日から始まっており、投票日前日の7月20日までです。

今回の参院選から、インターネットでの選挙運動が解禁となっております。これによって、マスコミの恣意の入らない候補者や政党の主張が見聞き出来るようになるのではないでしょうか。

それでも次は誰に、あるいはどこに入れたものかと迷っている人は多いでしょう。マスコミの恣意が入らなくても、立候補者や政党はいつも大衆に耳触りの良いことしか言わないものですし、政治家特有の言い回しや表現にごまかしや欺瞞を感じる人は少なくありません。

選挙に際し、私は弊ブログや月見チャットなどで「だれそれ(あるいはどこそこ)はダメだ」と言うことはあります。例えば、親韓・媚韓の候補者や政党に票を投じるのは、やめておいた方が良いとは言います。

この場合の「親韓」とは、韓国ドラマを見てるとか、韓国料理が好きだとか、韓国語を習っているとか、日韓議員連盟に所属しているなどというものではありません。

韓国を知らずに韓国を嫌う人は、韓国を知らずに韓国に好意的な人と、方向性が異なるだけで同じものだと私は考えています。韓国を知るためには、どうしても韓国人と接したり、韓国の情報に触れる必要があるのは、当然です。

私にしても、韓国ドラマはほとんど見たことがありませんが、ハングルはひと通り読めますし、門前の小僧で片言の朝鮮語もわかりますし、発音の良し悪しを問わなければ、旅行会話程度なら話せます。韓国人の知人もいます。

我が家には朝鮮関連の書籍が何十冊とありますし、日韓チャットには年単位で入り浸っておりました。韓国に住んだことこそありませんが、訪れたことは何度かあり、その経験と合わせて韓国事情にはそれなりに詳しいと自負します。そのため、半ば揶揄も込めて「よっぽど韓国が好きなんですね」とは、頻繁に言われます。

ですが、韓国は知れば知るほど嫌いになる国です。韓国に接しながらも、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で考えれば韓国の正体は自ずから見えてきます。普通の日本人の感覚で韓国の正体を知れば、嫌悪感を催すのが自然であり健康だと思います。

逆に韓国人のような所業や考えに染まってしまったり、あるいは韓国人の口車に乗せられるなどして、自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の頭で考えない人に韓国の正体は見えませんし、仮に見えても正しく認識出来ません。

ですから親韓か否かは、韓国との関わりの多寡とは必ずしも一致しません。

では親韓か否かをどのように判別するかと言うと、まず韓国に親しみおもねる政治家は、必然的に反日になります。ならざるを得ません。何故なら、韓国の国益に利するには韓国人の国民感情に迎合する必要があり、そのためには必ず日本の国益を損なわなければならないからです。あるいは逆に、反日だからこそ親韓ということもあるかもしれません。どちらにしても韓国におもねる人々は、どこかでそういう教育でも受けたのか、口をそろえて日韓友好は日本の国益に利すると言いますが、それは嘘です。

何しろ韓国人は、100%純粋に韓国のためになるものでなければ、それがどれほど韓国の国益に寄与することであっても、決して評価しません。日本と韓国が共同で行なう事柄に、もしわずかでも日本の利になることが混ざっていれば、全て悪と判断します。たとえその事柄において韓国が全く一切の損をしなかったとしても、日本が0.1mm、0.1gでも得をするようなことがあれば、韓国人の主観ではそれは韓国の損になるからです。これは日帝統治に関する韓国人の主張で、既に明白です。

全てを上下優劣勝敗で考える韓国は、相手がどこの国であろうと、Win-Winの関係が築けない国ですが、それが日本相手であれば、尚一層というものです。

それを知らずに韓国と互恵関係を結ぼうとする日本の政治家がいるとすれば、その政治家は無知の謗りを免れませんし、もしそれを知った上で韓国と互恵関係を結ぼうとする日本の政治家がいれば、その政治家は国賊の謗りを免れません。

ただし国会議員と言えば、日本を代表する立場の人です。相手が韓国であろうとなかろうと、正当な理由があろうとなかろうと、目立って攻撃的な態度を示すのは、その理由をよく知らない、興味も関心もない人から見れば下品に見えるものです。相手が韓国で、そうせざるを得ない理由を知っている私が見ても、例えば行動する保守の一部の言動は上品とは言えません。

たとえそれが韓国に対してであっても、とうてい上品とは言い難い言動を国会議員という立場の人間がするべきではありません。そういうことは、行動する保守や私どものような、草莽の嫌韓に任せておけばよいのです。

国会議員や、国会議員になろうという立場の人であれば、あくまでジェントルに、しかし毅然と、決して情に流されず理を貫き非を退け、何よりも日本の国益を最優先に考えるだけで、韓国に対する姿勢としては十分だと私は考えています。

ですから、日韓友好の美名を掲げて日本の国益を韓国の国益の次以下に置くような候補者や政党があれば(と言うか、ありますねw)、それらは票を投じる対象から外して良いと思います。しかし、そこまで露骨な親韓・媚韓の政治家は、さすがにそんなに多くありません。

たいていは、バレないように日本向けの態度と韓国向けの態度を使い分けています。今まではそういう候補者や政党を見分けるのはなかなか難しいことでしたが、これもインターネットの普及に伴って、そういった情報も比較的容易に入手出来るようになりました。

そういう比較的わかりやすい候補者や政党も投票の選択肢から外すとしても、一人の有権者が投じ得るのはたった一票ですから、まだまだ選択肢を絞り込む必要があるでしょう。そういう時、ふと「誰に入れたら良いのか、誰かが教えてくれれば楽なのに」という考えが頭をよぎることもあるかもしれません。

かつて弊ブログで私が「こういう候補者に票を投じてはいけない」と書いたのを見て、「じゃあ誰に入れたら良いと言うのか」という意味のコメントをした人がいましたが、そう言いたくなる気持ちもわからなくはありません。

けれど私が選挙に際し、「だれそれ(あるいはどこそこ)に入れろ」と言うことは決してないでしょう。それは、私がかつて某宗教団体関係者から何度かそう言われたことがあり、それに強い不快感を覚えた経験があるからです。たった一票ですが、だからこそかけがえのない私の権利の行使を、ほとんど見も知らぬ赤の他人に不躾に指図されるということが、あれほど不快に感じるとは体験してみるまで知りませんでした。

それから責任の問題もあります。私は私の判断で、誰に、あるいはどこに投票するかを決めます。その判断は、私には妥当性がありますが、万人にあるかどうかはわかりません。投票した選挙の結果が私の意に染まないものであっても、有権者のひとりとして自ら判断して票を投じた分の責任を負う覚悟はありますが、私の判断を鵜呑みにして票を投じた人の分まで責任を負うほどの覚悟はありません。

それに前回記事に書いた通り、私は他人を「洗脳」しようとは思っていませんし、今後もするつもりはありません。私は私の知り得た知識や情報、それらに基づく見解や考察を弊ブログで示しはしますが、他人にそれをそのまま鵜呑みにしろと強要しようとは、全く思っていないのです。

人の考えはそれぞれ異なります。異なるからこそ、複雑な現実に対応出来るのだと思います。人の考えが全て「正しいお手本」たる「ウリ」に集約されることの危うさを、私たちは韓国人を見ることで知っています。

私たち日本人は、それぞれが自分の頭で考え、その考えを持ち寄り、擦り合わせ、時には戦わせることで、より良い考えへと発展させることが出来るということを知っているはずです。

選挙は、人々の多様な意見を集約するための最初の第一歩であり、全ての有権者が自分の意見を持ち寄ることの出来る最大の機会でもあります。

どうか一人でも多くの有権者の方が、わずか一票という小さな意思であっても、かけがえのない自らの考えを示すために、この貴重な機会を無駄にせず投票に赴くことを、心より願う次第です。



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洗脳ではなく広報

時々、「リアルで韓国人から危害を加えられたわけでもないのに嫌韓になる人は、ネット世論に洗脳されたからだ」といった意見を見かけます。それは一見、フェアでリベラルでニュートラルな意見に見えます。

そういった意見を見かけると、嫌韓ブログを書いてネットで公開している私などは、清純無垢な人々を嫌韓という悪意と敵意の渦巻くドロドロとした世界に引きずり込もうとする極悪人のような気分になれます。

あるいは、「韓国人の言うことやることを何でも否定的に受け取るのではなく、肯定的に考えてはどうか」というご意見も、ブログを始めた頃からどころか、日韓チャットを始めた頃から度々聞かされております。

その度に、私は自分が韓国人のやることなすことを全て悪意に取る狭量で卑屈な人のように思えてきます。

日本人はもっとおおらかで寛容で柔軟な人々ではなかったのか、韓国人の一挙手一投足をあげつらい、全て悪意に解釈して敵視するのは、日本人の美徳に悖るのではないかと言われることも珍しくありません。

それに、韓国人の言うことやることを何でも悪意に取って、いちいち敵意と警戒心を逆立てるのは、あなた自身の精神衛生上も良くないのではないか、という深い配慮に満ちたお言葉も度々頂戴します。

どれも、それなりにもっともなご意見に見えます。

しかし、ならば「リアルで韓国人から危害を加えられるまで」、日本人は韓国人に対して無防備無警戒でいるべきなのだろうかという疑問が浮かびます。

例えばこれは韓国ではなく中国ですが、数年前に中国産毒入り餃子事件がありました。以来、中国産の食品に対して警戒心を持つ日本人は、それ以前と比べれば相当多くなっているはずです。

ですが、中国産食品に警戒心を持つ日本人の内、どれだけの人が「リアルで毒餃子を食らった人」でしょうか。「リアルで中国産毒餃子を食らったわけではないのに、中国産食品に警戒心を持つのは、メディアに洗脳されたからだ」と言われれば、日本人はすんなりとその理屈に納得しなければならないのでしょうか。

危険な食品ということでは、今のところ重症者や人死にがあったという報告は聞きませんが、韓国産の食品も決して中国産に負けていないのは、生ゴミ餃子事件を見れば明らかですし、それ以外でも韓国産食品の偽装表示や異物混入は頻繁に起きています。

それに対して「リアルで生ゴミ餃子を食べたわけでもないくせに、韓国産食品に警戒心を持つなんて、ネットに洗脳されている」とか「たまたまそういう食品が稀に見つかっただけの話で、全ての食品がそうではありません。一部を見て全体を判断しないでください。物事は肯定的に考えるべきです」などと言われれば、日本人は素直にそれに従うべきなのでしょうか。

あるいは、「韓国産食品で人死にが出たわけでもあるまいし、たとえ韓国産食品を食べてちょっとぐらい具合が悪くなっても、病は気からと言うぐらいだから、気にせずおおらかに、日本人的寛容を発揮して柔軟に受け容れれば良い」と言われれば、日本人は韓国産食品をモリモリ食べるべきなのでしょうか。

また「韓国産食品に偽装表示や異物混入が多いからと言って、いちいちそれを気にして、韓国産食品を警戒するのは、精神衛生上よろしくないからおよしなさい」と言われれば、それもそうだなと納得して気にしないでいられる日本人は多いのでしょうか。

しかも、事は食品に限りません。あらゆる事柄で、韓国は日本を侵蝕しようとしており、全ての韓国人がそのために動員されております。

「日本侵蝕のために全ての韓国人が動員される」と言うと、「大袈裟」とか、「例外もあり得る」と言う人がきっといるでしょう。けれど残念なことに、これは全く大袈裟ではありませんし、例外もあり得ません。

何故なら、たとえその韓国人当人に日本を侵蝕しようとする意識が皆無であっても、韓国全体として、その韓国人が日本侵蝕に有効であると考えれば、彼らはその韓国人を日本侵蝕のために利用することに躊躇がないからです。それは韓国人に限りません。韓国が「日本侵蝕に有効である」と考えれば、韓国人でない人をも積極的に利用していることは、有田芳生マイク・ホンダなどを見ればお分かりいただけるでしょう。

相手に悪意も敵意もなく、接点もなければ、こちらも相手に対して悪意や敵意、警戒心を持つ必要はありません。しかし、相手に悪意や敵意があり、接点もある場合は、たとえ実際に被害が発生する前であっても、相手の悪意や敵意に応じた意識をこちらも持っておくべきですし、必要であれば周囲にそれを訴えておくことも重要です。

その訴えに対して、「まだ実際に危害を加えられたわけでもないのに」とか、「もっと肯定的に考えた方が良いのでは」とか、「悪く考えることはあなたの精神衛生に良くないよ」などと言ってたしなめることは、悪意や敵意を持つ相手に加担し、被害を拡大させることになるということは、時々報じられるストーカー殺人事件を思い出せば、ご理解いただけるでしょう。

「実際に危害を加えられてから」では遅いのです。と言うか、既に日本はかなりの度合いで韓国に侵蝕されており、その痛みに耐えかねてネットを飛び出したのが、在特会を始めとする行動する保守団体であることを、私たち日本人は我が事として知っておかなければなりません。オール日本で考えれば「リアルで韓国人に危害を加えられたわけではない」日本人など、いないと言うことも出来るのです。

良い韓国人も話が通じる韓国人も、探せばいるかもしれません。でもその「良い韓国人」「話が通じる韓国人」が最大限に日本に好意的になったとしても、韓国の反日に賛成の意を示さず沈黙するのが精一杯なのです。

何故なら韓国では、「親日派」という言葉は「売国奴」「民族の裏切り者」という意味です。つまり「日本に好意的になれ」と韓国人に言うのは、「売国奴になれ」と言うのと同じ意味になるのです。仮に「良い韓国人」「話が通じる韓国人」がいたとしても、そういう韓国人に、「売国奴になれ」「民族の裏切り者になれ」と要求するのは、私はあまりにも酷だと思います。

韓国で「親日派」という言葉から「売国奴」や「民族の裏切り者」という意味が完全に払拭されない限り、日本人が夢見るような日韓友好は絶対に成立し得ず、また韓国人の意識から反日が消滅することもないでしょう。

結局意識的であれ無意識的であれ、日本に対し韓国人が悪意や敵意を持っていることは疑う余地がありません。しかも彼らが日本につきまとうこと極めて甚だしいのは、少しでも韓国ウォッチの経験がある人には常識です。

そういう相手に対し最低限の警戒心を持つべきだと周知することは、「洗脳」というネガティブなイメージを持つ言葉で表現されるようなものではなく、日本と日本人にとって必要な知識の広報であると確信して、私はこのブログ月見櫓を書き続けております。



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