日帝時代を知らない韓国人の反日
韓国では、日帝時代を知ってる世代は反日だが、そうでない若い世代は全く反日なんかではない、と主張する韓国人は非常に多く、日韓チャットでも10代から20代辺りの韓国人は、ほとんどがそう言い張っていました。
彼らがそう思っているのは、日帝統治を知識としてしか知らない自分たちでさえ日本に対してこれほどの怒りと恨を持つのだから、日帝統治を実際に体験した人たちは、尚一層の怒りと恨を抱いていないはずがないという考えているからでしょう。
もちろん、韓国の老人側にも問題がないわけではないでしょう。「わしの若い頃は大変だった」とか「若い頃は苦労した」と言いたがる老人は、日本でも珍しくありません。それは別に韓国に限ったことではなく、また老人に限った話でもありません。世界中ではるか昔から言われている「今どきの若いものは」のバリエーションのひとつなのですが、韓国の場合そこに日本を絡ませるために、話がややこしくなるのです。
例えば、とあるマンガに載っていた話ですが、日本に出稼ぎに来ている若い反日韓国人青年が、自分の祖父の話をしておりました。
その韓国人青年の祖父は、日帝時代に戦闘機の設計をしていたと自慢していたといいます。その名残か、祖父の家には戦闘機の模型がたくさん飾られていました。出稼ぎ韓国人青年は子供の頃、祖父の目を盗んで持ち出した模型の飛行機で遊んでいたのですが、うっかり転んで模型の飛行機を壊してしまいます。
祖父の大切な飛行機模型を壊してしまったことを泣きながら謝り、もう一度作ってと頼む孫に、祖父は苦笑しながら言います。「おじいちゃんは、もう作れないのだよ」と。その韓国人青年の祖父には、両腕がなかったのです。
日帝時代に青年期を過ごした祖父は、戦争が激しくなってくると勤労動員に駆り出され、睡眠時間を削っての軍需工場勤務を強いられます。お国のためとがんばって作業に勤しみますが、ある時睡魔に負けて作業中にうとうとした弾みに、部品を落としてしまいます。あわてて落ちた部品を拾おうとした時、丁度そこを通りかかった日本人と思しき軍人のブーツに、油まみれの自分の手を擦り付けてしまうのです。
日本軍人さまのブーツを汚した非礼を詫びようと顔を上げた若き日の祖父が見たのは、すらりとサーベルを抜き放つ日本軍人の冷酷な顔でした。祖父に腕がないのは、そのためだったのです。
この話は、そのマンガの作者の純粋な創作ではなく、作者が日本にいる韓国人に取材して聞いた話を参考にしたものだと、作者の方から直接伺ったことがあります。このエピソードのおかげで、親韓からも嫌韓からもブーイングを浴びたそうですw
私はといえば、そのエピソードを読んだ時、ああ、これは本当だろうなと思いました。本当と思ったのは、祖父のエピソードではありません。出稼ぎ韓国人青年のエピソードの方です。
祖父のエピソードの方は、突っ込むのも面倒なぐらい齟齬が多過ぎて全く信ずるに足りません。エピソード内の出稼ぎ韓国人青年すら、祖父が日本の戦闘機の設計をしていたのはホラだと思うと言ってたぐらいです。なのに「日本の軍人が祖父の両腕を叩き切った」という話なら、どんなに不自然でも韓国人はすんなり信じてしまうのです。私はそこに、この話のリアリティを強く感じたのです。
韓国では、身体障碍者は人間扱いされません。でもそれが、日帝の被害者であれば話は別です。少なくとも、同情はしてもらえるのです。だから出稼ぎ韓国人青年の祖父は、日本人に腕を落とされたと言っていたのでしょう。自分の不注意や事故による切断であれば、同情さえしてもらえませんから。
「いわゆる従軍慰安婦」についても、これと全く同じ話です。あれほどたくさんいても、韓国では売春婦は被差別対象です。たとえ性労働者と言い繕っても、デモで声を枯らして売春させろと叫んだり、パンツ一丁で大路を駆けても、彼女たちが素顔を徹底して隠していたのを見ればお分かりいただけるでしょう。
しかし売春婦も、「日帝被害者」ならば話は別なのです。ただの「元売春婦」では、誰も手さえ握ってはくれませんが、「いわゆる従軍慰安婦」ならば、裏では普通の元売春婦同様に蔑まれてはいても、表立っては同情してもらえ、抱き合って泣いてくれることさえあるのです。その温もりを知った元売春婦の老婆たちにとっては、「いわゆる従軍慰安婦」の真実が明らかにされることは、死ぬよりつらいことに違いありません。だからこそ彼女たちは、事実も理屈も抜きにして、死ぬまで自分たちが日帝被害者であることを主張し続けないわけにはいかないのです。
韓国も核家族化が進み、老人はどうしても孤独になりがちです。昔はそれでも、老人は老人であるだけで敬われなければならないという儒教的社会圧がありましたが、今はそれさえも危ういのです。
韓国人の妙なところは、「儒教にとらわれない」と言いながら、わざわざ儒教的道徳に背くようなことを、見せ付けるようにすることがあるところでしょう。「あえて儒教的道徳に背く行為をする」ことこそが、儒教にとらわれている証拠なのですが、彼らには理解出来ません。最近の若い韓国人の老人虐待も、ある意味韓国における儒教の反作用という部分があるのかもしれません。
いずれにせよ、90代の老人など、突っ転ばせるだけでも致命傷になりかねないのに、30代の男が杖で殴打すれば、命に別状ないわけがなく、未必の故意がなかったとは決して言えますまい。
ウリナラチラシの報道によると、犯人は泥酔していて心神耗弱の状態にあったと主張し、情状酌量を求めたそうですが、裁判所は日帝に対する賞賛を聞いて逆上する程度には状況判断力があったと判断し、懲役5年の実刑を宣告したといいます。故意に人を殺してわずか5年の刑で済むとは、韓国における反日愛国の威力は凄まじいものがあります。ある意味、日帝に対する賞賛を聞いて逆上するのは正常な判断力がある証拠であり、且つ人を殺す理由として十分なものであると韓国の裁判所が認めたということになるのではないでしょうか。
今回は、犯人が酔っていたために歯止めが利かず殺害にまで至ったのかもしれませんが、殺害まではいかずとも、傷害程度であれば、日本で報じられていないだけで実はこれまでにもよくあったことなのかもしれません。事実私にしても、ソウルの老人会館で日帝老人と談笑していると、日帝統治を知らない世代の老人がやってきて、怒鳴り散らされた経験があります。
今回の事件で明らかになったように、日帝統治を体験した韓国人の反日と、日帝統治を知らない韓国人の反日は、明らかに質が違います。「日帝統治を知る韓国人の反日」は、韓国から消えつつあるのかもしれませんが、その代わりに「日帝統治を知らない韓国人の反日」が着実に増えているのですから、日本人から見れば「反日」という意味では同じです。
それどころか「日帝統治を体験した韓国人の反日」よりも、「日帝統治を知らない韓国人の反日」の方が、日本人にとっては深刻で危険と言うことも出来るでしょう。
ちなみに今回殺された老人に対する韓国人の感想は「その老人は、日帝時代当時、親日派だったんだろ」「日本を賛美する時点で犯罪者なのだから、殺されて当然だ」というものが主だったことを、最後に付け加えておきます。