在日を知るには、まず朝鮮人を知るべし
日韓チャットにも在日が訪れることはありましたが、数はさほど多くありませんでしたし、彼らは思考も発言も日本語ですから、文字面だけで見ている限りでは日本人と区別が付きませんでした。
更に私個人の現実の体験としても、学生時代、身近に在日がいたという確たる記憶がありません。実際にいたのかいなかったのかもわかりませんが、少なくとも私の同級生に、朝鮮名を名乗っていた者は一人もいませんでした。
子供の頃の朝鮮関連の記憶と言えば、小学校4年か5年ぐらいの頃でしたか、どういう話の流れからだったかは全く覚えていませんが、同級生に「チョーコー(朝校=朝鮮学校)の奴らとだけは喧嘩するな。あいつらすぐナイフ出してくるからな」と言われたことがあるのと、中学生になったばかりぐらいの頃に、半グレの同級生から「なんやワレ、パチキ入れんぞゴルァ」と凄まれたことがあったぐらいでしょうか。
ちなみにこの時私は、「パチキ」という言葉の意味がわからなかったので、肩を怒らせ斜に構え、巻き舌で精一杯のドスをきかせた同級生に、「なぁ、パチキって何?」と執拗に尋ね続け、相手を大いに閉口させました。おそらくですが言った当人も「パチキ」の正確な意味を知らずに、グレ仲間から聞いた言葉をそのまま受け売りで使っていたのではないかと思います。
「パチキ」が、朝鮮語で「頭突き(박치기)」の意味だと知ったのは、成人後の話です。
社会人になってからは、同じ会社に通名を用いていた在日や朝鮮名を名乗っていた在日がいたことはいました。しかし彼らについて、朝鮮人という意味で印象に残ったエピソードはありません。
日本の社会問題としての在日問題については、指紋押捺拒否騒動辺りから知ってはいましたが、自分の身近に在日がいなかった(いたとしても認識されていなかった)ので、基本的には他人事でした。
ただその頃、新聞を読みながら「日本に住むんだったら、日本の法律に従うのが当たり前」「日本の法律に従うのが嫌だったら、自分の国に帰れば良い」「日本に住み続け、日本の法律を変えたいと思うんなら、日本人になってからするのが筋」とは思いました。この「日本に住むなら日本の法律に従え」「日本の法律に従うのが嫌なら祖国へ帰れ」「日本の法律に口出ししたいなら、帰化しろ」という考えは、今も変わりません。
こう言うと、最後の「日本の法律に口出ししたいなら、帰化しろ」という部分に、激しい拒否反応を示されることが、特に最近はしばしばあります。
「冗談じゃない、朝鮮人なんかに日本国籍を安易に渡すべきではない!」と。
これについても、以前きちんと述べたことがありますが、私は「朝鮮人を安易に日本に帰化させろ」などとは全く考えていません。
日本への帰化条件を十全に満たし、且つ厳正な審査を経て、もちろん当人の日本への忠誠心も厳重に確認した上で帰化を認めるべきです。今の日本は、まずそれが全く出来ていません。それはもちろん、日本人が在日らの圧力に屈したためですが、何故日本人は在日らの圧力に屈したのでしょうか。
それはひとえに、日本人が朝鮮人という生き物について無知過ぎたためとしか言いようがありません。
日本人同士なら、「おたがいさま」や「おもいやり」が通じます。こちらが譲れば、相手も譲ってくれます。暗黙のうちに借りと貸しの帳尻を、相互に合わせようとします。
ですが朝鮮人が相手の時は、「おたがいさま」や「おもいやり」などは一切通じません。こちらが譲れば、未来永劫譲り続けることを要求されます。彼らに貸せば借り倒され、彼らから借りるようなことが一度でもあれば、何度返しても何倍にして返しても、永遠に債務を負わされることになります。
それは日本語で思考し、日本語で表現する在日であっても変わらないということを、日本人は長らく知りませんでした。もしかすると、今でも「在日朝鮮人と本国朝鮮人は違う」と思ってる日本人は多いかもしれません。
それは「朝鮮人」を知らない日本人ほど、「日本語で考え、日本語で話すなら、きっと日本人と同じなのだろう」と無意識に思い込んでしまうからでしょう。ですから、まずは「朝鮮人」というものを十分理解しなければ、「在日」を理解することは難しいのではないだろうかと思うのです。
「韓国人」は、「朝鮮人」の中では今のところ最も数が多く、最も多く日本と接触する機会があります。よって「韓国人」を十分に知れば「北朝鮮人」はもちろん、「在日」あるいは「中国朝鮮族」または「在米韓国人」などについても自ずから理解が容易くなりますが、「在日」だけに焦点を当てて「韓国人」を知らなければ、「在日」の行動原理や思考は、まず理解出来ません。
現在の日本では、韓国人に対する理解は一昔前と比べればずいぶん深まりました。しかしそれでも、まだまだ十分とは言えません。そういう現状で、いきなり「在日」に議論の焦点を当てても、意見も考察も対策も散漫になるだけではないでしょうか。
日本人としては、日本国内に棲み着き、日本に仇為す在日がどうしても気になるという気持ちは十分にわかります。とりあえずは日本国内の在日を何とかすれば、その他の朝鮮人なんか所詮国外のことじゃないかというのも、全くの間違いとは思いません。
けれど日本人が朝鮮人を知らずに対処してきた結果が、現状なのです。その結果、在日自身が自らを朝鮮人とは思わなくなりつつあります。それは在日自身による「俺たちは韓国人でもなく、北朝鮮人でもなく、在日という新しい民族なのだ」という戯言に現れています。
それを真に受けて「朝鮮人ではなく、在日に焦点を当てて考えるべきだ」ということになれば、それは在日が意図したことではないとしても、現実的には日本人に対する目眩ましと言うか、猫騙しの効果を発揮することになります。
改めて強調しておきますが、在日はれっきとした朝鮮人の一種です。そのことを周知徹底するには、やはり「在日」に焦点を当てるのではなく、「朝鮮人」に対する理解を深めることから入っていくのがベストではないかと私は考えています。