歴史は繰り返す
張成沢は金正日の妹婿であり、金正恩の叔父に当たります。金正日の三男であり、若年の正恩が後継者となるに当たっては、張成沢の強力なバックアップがあったとされ、先月までは北朝鮮の実質的なナンバー2と言われていました。
張成沢は失脚が趣味のようなところがあり、過去にも2度ほど派手に失脚しています。しかしその都度、ほとぼりがさめるとしれっと中央に復帰しており、今月頭に張成沢の失脚と側近の公開処刑が報じられた際にも、私は「失脚が事実としても、殺されていないなら復権の可能性はあるだろう」と考えていました。
しかしその後あっさりと死刑になったところを見ると、北朝鮮の国内情勢というのは私たちが想像する以上に混沌としているのではないかと思われます。
日本は北朝鮮とは国交がなく、故に現地に日本大使館も存在せず、現地事情を収集整理する外交官ももちろんいません。即ち、日本政府としては公的且つ直接的に北朝鮮の国内情勢を知ることが出来ない状況にあり、全ては伝聞に頼るしかないというもどかしい状態ではあります。
もっとも、国交があって現地に大使館も領事館もあり、当然現地駐在の外交官や調査官も居ながら、今までの日本政府が韓国をどの程度理解していたかには甚だ疑問がありますが。
それはともかくとして、今のところ北朝鮮の国内情勢というのは、これまで同様不透明なままです。もちろん、伝聞と垣間見を想像力でつなぎあわせて憶測を組み立てることは可能ですし、既にそれを行なっているブログもあるでしょう。
ですが私個人としては、その作業にはあまり食指が動きません。何故なら憶測が当たっても外れても、どの程度当たったのか、どの程度外れているのかがわからないからです。
そこで伝聞と垣間見を想像力でつなぎ合わせたものよりも、単純に今回の件で思ったことを述べて見ようと思います。
今回の件で、私は遠い過去に朝鮮半島で起きたある事件を彷彿としました。
それは滅亡した百済の復興のために、日本で人質となっていた百済王の世子豊璋が、鬼室福信に担ぎ上げられ、滅亡した百済を復興しその王となるべく朝鮮半島へ戻った後に、何故か自身を担ぎ上げた鬼室福信を殺害した事件です。
鬼室福信は、百済の第三十代の王である武王の甥に当たります。即ち、百済第三十一代王である義慈王とは従兄弟であり、百済第三十一代王の世子である豊璋から見れば、従兄弟伯叔父(傍系尊属)に当たります。
それは今から1350年ほど昔の話です。当時、日本と百済は同盟関係にあり、その証として王子二人が日本に献上されていました。その内の一人が、百済王世子である豊璋です。
西暦660年、百済は唐の侵攻によって滅亡します。百済の遺臣であり、前述した通り彼自身も百済王家に属する鬼室福信は、百済再興のために日本で人質となっていた豊璋を担ぎ上げると共に、日本に加勢を求めます。
西暦663年、日本は百済遺民と連合し、白村江で唐・新羅の連合軍と決戦することになります。歴史に名高い白村江の戦いです。この直前、どんな確執があったのか、豊璋は鬼室福信を殺害します。
周知の通り、結果は日本・百済遺民連合軍の大敗となり百済は完全に滅亡、豊璋は唐へ連行され、歴史から消え去ることになります。
この一連の歴史物語の中で、自身を王として推戴しようとした有力な家臣、しかも傍系とはいえ自らの尊属を殺害したという点が、今回の金正恩による張成沢粛清を彷彿とさせました。
そればかりではありません。日本に人質として献上されていた王子は二人いたのです。
豊璋は鬼室福信に担ぎ上げられて半島へ戻りましたが、弟であるもうひとりの王子善光(禅広とも)はそのまま日本に残り、子々孫々に渡って長く平穏安楽に暮らしたという記録が残っています。それが、金正男を連想させるのです。
もちろん、何もかもが当時と同じではありません。百済の時は兄が王に推戴され、弟が日本に残りましたが、北朝鮮は弟が独裁者の後継となり、兄は帰国することが出来ず外国暮らしというように兄と弟が逆転しておりますし、日本と北朝鮮の関わりは、当時の日本と百済の関わりとは全く比較にならないぐらい稀薄です。中国が韓国と連合して北朝鮮を武力侵攻するということも、まずないでしょう。
それでも、1350年余の時を経て、多少の相違はあるにせよ、似たような人間関係の相克が再び繰り広げられるというのは、何かを暗示するのではないかと思ってしまうのです。
歴史は繰り返すといいます。再びあの頃の人間模様が、役者や背景を変えて再現されることになるのかもしれません。
そうなった時、日本がどの役をやり、どういう出番を与えられるかまではわかりませんし、北朝鮮と連合せずに韓国と連合すれば良いというほど単純な展開になることもないでしょう。
一番良いのは、半島で如何なる事態が勃発しようとも、日本は一切の関与を拒むという姿勢を貫くことだとは思いますが、言うは易く行なうは難しと言うとおり、それが出来れば苦労はしないというものです。
1300年以上も昔から日本の隣に朝鮮半島があるということは、日本にとっては頭痛の種と言うよりは災いの根源であり、今回の北朝鮮の粛清騒動を見る限り、それは今も変わらないということを痛感させられる出来事ではないかと思います。