靖國問題という試薬
私は個人的には、靖國参拝問題について日本国内で日本人同士が賛否を戦わせるのは全く問題がないと思っています。しかし、中国や韓国、及びその他の国からのイチャモンにまで、真面目に対処する必要は、全くないとも思っています。
理由は単純です。靖國参拝問題は完全に日本の国内問題だからです。よって、靖國参拝是非論が日本人同士によるものであったとしても、反対論者の主旨が「中韓への配慮」であれば、討議に値しないと思っています。
今回の安倍総理の靖國参拝についても、批判の多くは中韓の反発や批判を主眼に置いています。では日本の総理大臣が靖國参拝しなければ、日本と中韓の関係は良好を保てるのかと言えば、それは全く保証されません。と言うか、靖國参拝をしなかった間の日本と中韓の関係は、決して良好とは言えませんでした。特にここのところの日本と中韓との関係悪化は、清々しいほどでした。
つまり、日本の総理大臣が靖國参拝をしてもしなくても、中韓は日本を批判するのです。むしろ、日本が中韓の批判に全力的に配慮するという姿勢を示せば、彼らはそれを上回る配慮を求めて、日本に対するイチャモンを増やすだけでしょう。
そもそも要人による靖國参拝の是非は日本の国内問題なのですから、中韓のイチャモンなど徹頭徹尾無視しても良いはずです。なのにそれに配慮し、その結果として更に中韓との外交関係を複雑化させることになっているというのが、現状でしょう。
真っ当に考えればバカバカしいにも程があります。しかも日本の反日マスコミは、そのバカバカしい話で紙面を埋めているのですから、購読料を払って読んでいる者はたまったもんじゃありません。
靖國参拝を報告した安倍総理のフェイスブックには「いいね!」が今朝の時点で5万を超えたといいます。日本国民の多くが、安倍総理の靖國参拝に理解と共感を示している証拠と考えて良いでしょう。
即ち、日本国民の理解と共感に対し、中韓の言いがかりと反発というのが、靖國問題の外見的構図といえるでしょう。これまでは、後者を必要以上に重視し配慮した対応であったわけですが、今回の安倍総理は、日本国民の理解と共感を重視したのです。日本人ならば、前者と後者のどちらを重視するのがより望ましいのか、考えるまでもありません。
それでも尚、中韓の批判がどうの配慮がこうのと言いたいのであれば、まずは日本がこれまでに行なった中韓への配慮に見合うだけの配慮を、中韓が日本に行なってからの話でしょう。
一方的且つ永遠に、日本だけが中韓その他の国からの批判を傾聴し、あるいは配慮し、その見返りは一切求めてはいけないなどという片務的で消極的な対応を続けることが日本の国益になると思っている日本人がいるとすれば、その人は意識的か無意識的かはわかりませんが、精神的に中韓の忠実な下僕あるいは奴隷であり、そんな人の主張に国ぐるみで従えば、日本が国ぐるみで中韓の忠実な下僕あるいは奴隷にさせられてしまいます。
そうなることこそが日本の国益なのだと真顔で堂々と言い放つぐらいならいっそ潔いというものですが、仮に本当にそう言われたとしても、その主張に同調する気には全くなれません。
日本人が日本の祖先を祀った神社に参拝することに、外国人が口出しする権利はありません。まさにNot your businessなのです。
今回の安倍総理の靖國参拝は、日本と中韓との友好関係回復を妨げたと主張する連中も少なくないようですが、そういう日本国内からの脅迫的批判こそが、中韓に対日批判の燃料を提供しているのです。
歴史的背景や中韓の民族性などについての知識が全くなく、それゆえに反日マスコミの煽りに乗せられてしまったという人も多分たくさんいるだろうとは思うのですが、確信犯的にそういうことをする連中は、血統や国籍はともかく精神的には日本人ではなくて、支那・朝鮮人に近いかそのものだと考えて良いと私は断言します。
靖國問題はある意味、そういう連中をあぶり出す試薬的問題と言うことが出来るかもしれません。