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互恵好きな日本人

日本人はWin-Winが好きです。自分だけが勝てば良いという考えをする日本人もいなくはありませんが、自分が勝つと同時に、相手も多少なりとも利益を得るという選択肢があれば、それを選ばない日本人は圧倒的少数派と言い切っても良いでしょう。

大岡裁きを題材にした「三方一両損」という噺があります。あらすじはこうです。

ある男が三両入りの財布を拾いました。拾った財布を番所に届けると、落とした男が見つかりました。そこでめでたしめでたしになるかと思いきや、江戸っ子の意地なのか見栄なのか、財布を落とした男は三両を受け取らないと言います。落としたものは拾った男のものだと言うのです。

拾った方も拾った方で、俺は乞食じゃないんだから、ただ拾っただけなのに丸々三両もらうわけにはいかないと突っぱねます。額が三両と奇数なので、半々にするにも一両を崩さなければならないのが、これまた江戸っ子には気に入らなかったようです。

三両を間に挟んで双方譲らないので、話はとうとうお白洲までもつれ込みました。

双方の話を聞いた大岡越前守は、「ならばその三両に奉行が一両足して、四両にしよう」と言いました。そうすれば落とした方拾った方、双方にかっちり二両ずつ分けることが出来ます。それを受け取って互いに収めよというわけです。

落とした方は、三両戻ってくるところが二両になり、拾った方も黙ってもらっておけば三両もらえたものが二両になり、奉行は話に関わったせいで一両供出する羽目になりました。つまり三者がそれぞれ一両ずつ損したということで、三方一両損、というお噺です。

これは見方を変えれば、三者が三様に得をした話でもあります。だからこそ、このお噺が大岡裁きとして広く日本人に知られるようになったのでしょう。

長年韓国人を観察してきた経験から言わせていただくと、韓国人にこういう話に共感する感性はないように思われます。少なくとも、相手が日本人の場合にはないと断言して良いでしょう。

それは、例えば日帝統治についての彼らの感想を聞けば明らかです。

彼らは言います。「日帝統治で、確かに日本は多大な投資をして韓国のインフラを整備・充実させたかもしれない。しかしそれは日本の得になるからやったことであって、純粋に韓国のためだけを思ってやったことではない。だから日帝統治で韓国が発展したのが仮に事実だとしても、韓国人としてはそれを評価したり、ましてや感謝するわけにはいかない」と。

日本人ならば、たとえ相手が得をするためであったとしても、自分にも得になれば、それで良いと思うことが出来ます。しかし韓国人は自分にとって得になることであっても、他人(特に日本人)にとっても得になることであれば、それを良いと思うことは出来ないのです。

弊ブログでは、しばしば「それは日本だけの利益ではなく、韓国にとっても利益になるはずだ」という表現を用いています。ですがそれは別に、日本は韓国の利益を常に確保しなければならないと考えているわけではありません。

「日本だけの利益になれば良い。そのためなら韓国が大損をしても気にしない。むしろそうなれば良い」という考えに共感出来る日本人は、そう多くないでしょう。ましてや韓国についてさほど詳しくない日本人がそういう主張を聞けば、たちまち「サベツ!!」と脊髄反射しかねません。

弊ブログで「韓国のためでもある」ということが書かれていても、それは「韓国のため」を思ってのことではありません。第一に考えているのは、常に日本と日本人のことです。ですが、私も日本人である以上、「日本だけが得をする」という選択肢と、「日本の得になると同時に、韓国にとっても得になるか、少なくとも損にはならない」という選択肢があれば、後者の方を好ましいと考えてしまうのです。

またもし「日本は利益を得るが、韓国は損をすること」という選択肢があれば、「それを選んではいけない」と考える日本人は少なくないでしょう。これは韓国人が、「日本の損になることなら、韓国の損になっても良いからやるべき」と考えるのと本当に好対照と言えます。

互恵的関係を好むのは日本人だけではないかもしれませんが、韓国人が互恵的関係を理解しない生き物であることを知らず、あるいは知っていてもなお、韓国人との互恵的関係を模索しようとするのは、日本人だけではないかと思います。

弊ブログでしばしば「韓国のためにもなる」という表現を用いているのは、そのためであるということをご理解いただければ幸いです。



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急がば回れと言いますし

私の住む地域では、陽当りの良いところにある桜の木はちらほらと咲き始めました。

日中の最高気温も20度に迫る勢いで、今月上旬辺りまでは積雪を気にしていたとは思えないほど、あっという間に春らしくなってきました。

しかし花冷えという言葉もある通り、この時期は突然寒くなる日もあって、体調を崩しやすい時期でもあります。読者諸姉諸兄におかれましては、くれぐれもご自愛くださいませ。

さて、いつ頃からそういうことになったのか、嫌韓とは韓国を汚い言葉で感情的に罵るものだという先入観が、ネットの巷にはあるようです。しかしながら弊ブログではそういう表現を極力用いないようにしております。そのためか弊ブログはしばしば、韓国に対して「優しい表現」とか「冷静な考察」とか「上品な文章」などと評されることがあります。

月見チャットにお越しいただけばたちまちバレるというか、もとより隠しているつもりは全くないのですが、私自身は決して冷静な方ではありませんし、上品と言われるのも何やらこそばゆいものがあります。ただし優しいということは否定しませんw

確かに、嫌韓系ブログでは韓国や朝鮮人に対する激しく汚い罵倒語が用いられることが珍しくありませんし、ネットばかりではなく、リアルにおける嫌韓デモのシュプレヒコールも同様でした。

私も嫌韓を自ら名乗る者ですから、韓国に対して激しく汚い罵倒語が出てくる心情は十分に理解出来ます。それでも弊ブログでは、あえてそういう表現を用いないようにしています。

それは何故かというと、まず弊ブログは「今まで韓国のことをそんなに知らなかった人」に向けて書いてる部分が大きいからです。

韓国をある程度知っている者ならば、韓国をどれだけ汚い言葉で罵っても足りないという気持ちは理解出来るでしょう。そういう人とだけ、韓国について話をするならば、思いつく限りの汚く激しい表現を用いる方が共感を得やすくもあると思います。

しかし韓国を知らない人に、いきなりそういう表現を用いて話をすれば、軽蔑されるのは韓国ではありません。そういう表現を用いて話をした者の方です。

しかもただ軽蔑されるだけで済むなら、まだ傷は浅いと言えます。困るのは「軽蔑すべき人間」の言は共感を得づらいということです。逆に言えば、「軽蔑すべき人間」の主張は反感を買いやすいとも言えます。

話を聞いてもらうためにブログを書いているのに、反感を得て耳を貸してもらえなくなってしまえば本末転倒です。自分の主張を聞いてもらいたいと思っているのであれば、何をおいてもまず、自分の主張を聞かせたいと思う相手に耳を貸してもらえなければ話は始まりません。

弊ブログの場合、「既に韓国について十分に詳しい人」には、さほど強く訴えておりません。「韓国についてほとんど知らなくて、最近興味を持った」「今度、初めて韓国に行くから情報収集」というような方に、真っ先にお伝えしたいと思っています。

ですから弊ブログでは、韓国に対してあからさまで汚い罵倒語は、出来るだけ用いないように心がけています。すると今度は、「ブログ月見櫓は、丁寧な(あるいは「上品な」、または「優しげな」)言葉で韓国を罵倒している」と言われることも、時々あります。

これもまた、実は心外な評価です。もし弊ブログの表現にそう思えるものがあったとしても、それは別に韓国を罵ろうと思って言ってるわけではありません。単に韓国についての事実を書いているだけなのです。もしそれが韓国に対する侮蔑や罵倒に見えるとすれば、それは私が韓国を罵ったり蔑んだりしていることを伝えたいのではなく、韓国人が自ら貶め蔑まれるようなことをしていることをお伝えしているだけの話なのです。

つまり弊ブログでは、基本的に事実を連ね、それを見て各人で判断してもらいたいと思っています。もちろんそれは、私という主観を通して見聞き考え、文章化したことですから、神の視点のように絶対的に中立公正とは言えないでしょう。だからこそ、私的な感情を表に出して共感をねだるのではなく、出来る限り淡々と事実を提示し、それを読む人の判断で是非を決定してもらいたいと思っているのです。

こういう表現方法は、既に韓国をある程度知っている人から見れば、実にもどかしくまどろっこしく、お上品を気取った鼻持ちならないものなのかもしれません。しかし韓国をろくに知らない人にはこれでもまだ、反感を覚えるほど酷く罵ってるように見えるようなのです。

更に、私は今もまだ嫌韓を名乗ってはいますが、実は既に嫌韓の域を抜け始め諦韓に差し掛かりつつあります。ぶっちゃけ、私にとってもはや韓国など罵るにも値しません。彼らに意識を向ける時間すらもったいないと思うこともあります。

そうなってくると、彼らが如何に酷いかということを強調するために、日本語の罵倒語を探したり考えたりする労力が惜しくなってきます。そんなことに思考力や文章構成力を割く気力は、今の私にはほとんどありません。

彼らが酷いということは、あえて酷く汚い侮蔑語や罵倒語を用いずとも、ただ彼らが行なった事実を連ねるだけで、普通の理解力がある人には必ず理解出来ると私は確信しています。

逆に普通の理解力を持たない人、即ち韓国に関する事実を知ってなお韓国や韓国人が酷いということが理解出来ない人には、どんなに酷い罵倒語を用いて説明しても、決して理解出来ないでしょう。

そんなわけで、弊ブログでは、韓国に対し出来るだけ感情的で刺激的な侮蔑語や罵倒語を用いないようにしております。韓国の酷さを一刻も早く日本国民に周知徹底したいと願う方には、私のやり方はあまりにも遅い歩みに見えるかもしれません。

ですが、たとえ歩みは遅くとも、その分長く続けることで、帳尻を合わせているつもりだということをご理解いただければと願う次第です。



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稀少種は鑑賞用

徒然草に「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」という有名な一節がありますが、今の時期、桜の枝先がほんのり淡紅色を呈しているのを見ると、これから咲くであろう桜花への予感と期待は、満開の桜を見て抱く感慨に優るとも劣りません。

あと数日もすれば、ほろほろと桜の蕾が解け始めるでしょう。まもなく春本番です。

さて、日本人から見ると、韓国人は疑う余地のない反日ですが、韓国人にその自覚は極めて薄いということは、これまでにも何度かご説明しております。彼らにとって反日とは、既に常識であり良識だからです。

即ち、日本を非難したり批判することは、常識と良識を備えた韓国人であれば当然のことなのです。逆に言えば、日本を擁護したり、ましてや日本の主張に理解を示したりする者は、韓国ではどんなに高い学識を備えた者であっても、その時点で非常識な無法者ということを証明することになります。

韓国にも、日本を擁護したり、日本の主張を理解する者がいないわけではありません。というか、実は結構います。ですが彼らは、絶対に表立っては出てこないということは、これまでにも何度か述べました。

では、そういう韓国人が、高い地位にあればどうかという質問を頂戴しました。

周知のとおり、韓国人は上下や優劣といった関係を重視します。だから上位あるいは優位にある者が日本を擁護したり理解を示して見せたりすれば、下位劣位にある韓国人は雪崩を打ってそれに従うのではないかというご意見です。

しかし私はそのご意見に頷くことが出来ませんでした。何故なら、例えばもし韓国大統領が親日的な発言や政策を行なえばどうなるかが、容易に想像出来るからです。

おそらくは、たちまち大統領に対する糾弾の輿論が噴出し、夜毎ロウソクを持った市民が街を埋め、北朝鮮の工作員が嬉々として反政府運動を煽動するでしょう。大統領が自ら発言を撤回し、政策を中断し、国民が満足するだけの釈明と謝罪を行なうまで、大統領府は機能を停止せざるを得なくなることでしょう。

日本を「絶対悪」と定義する彼らにとって日本擁護は、キリスト教の信者が悪魔を擁護するのにも等しいとも言えます。

キリスト教の牧師や神父が、ある日突然、「悪魔を理解し、信奉せよ」と説き始めればどうなるかを想像してみてください。その牧師や神父が、それまでどれほど信者の崇敬を集めていたとしても、「悪魔を理解し、信奉せよ」という主張を行なうことによって、それまでの崇敬は一瞬にして崩壊し、その反動は最悪の場合強烈な憎悪となってその牧師や神父を襲うことになるでしょう。

韓国の指導者による親日主張がもし実際に行なわれれば、それに近いことが起きるだろうと私は考えています。

ですから、どんなに上位優位に在る韓国人であっても、いや上位優位に在れば在るほど、おおっぴらに日本を擁護したり理解を示したりすることは出来ないでしょうし、ましてやそれを韓国社会全体に受け入れさせることなど、普通のやり方では不可能です。

もしどうしてもそれをやるとすれば、国民の抵抗力を完全に奪った上で、恐怖と抑圧を以って無理やり従わせるしかありません。

しかし、国民から抵抗されることがなくなった韓国人指導者(あるいは独裁者)が、あえて親日思想を国民に説くなどということがあり得るとも思えません。

つまり韓国が韓国人あるいは朝鮮人の治める国である限り、韓国から反日が消滅することはあり得ず、また韓国人の中から日本擁護や日本に対する理解を説き広めるカリスマなどというものが出てくることもあり得ないと考えるのが妥当ではないでしょうか。

韓国が韓国人あるいは朝鮮人の治める国でなくなればあるいはということならばあり得るかもしれませんが、そうなった場合、その国は韓国とは言わなくなるのではないかということがまずひとつと、「日本擁護」や「日本に対する理解」を条件とした、韓国人ではない韓国社会の指導者像を想像すると、「併合おかわり」というとても嫌な想像しか浮かびません。

匿名であれば日本に理解を示し、日本を擁護する韓国人は今でもそれなりに存在しますが、彼らは謂わば観賞用です。

彼らが韓国に向けて何らかの作用や影響を及ぼすことが出来るなどという期待は一切しない方が、日本としては道を過たないのではないかと考える次第です。



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日韓は相互に不幸な存在

日米韓首脳会談が決定したようです。日本が飲めるはずもない条件を提示して高飛車に出た韓国でしたが、やはり折れました。日米韓首脳会談の決定に、実際にはほっとしている韓国人が多いでしょうが、強い反発もあるようです。

個人的には、韓国がどこまで突っ張り続けられるかを見てみたかったのですが、日本だけを相手にするならともかく、アメリカにまで逆らう根性は、韓国にはなかったと見えます。そうでなくともこのところ威信低下気味のアメリカです。わざわざ日韓の仲介役を買って出てやったのに、韓国が意地を張ってそれを無碍にすれば、更なる威信低下は必至です。そうなればアメリカがマジ切れしても不思議ではありませんw 

今回の日米韓首脳会談では、日韓問題には触れないということになっているようですが、韓国は「約束」を守らないのが「お約束」です。どうせ素っ頓狂なことを言い出すでしょう。そうなればネタゲットだぜと内心皮算用をしていることは内緒です。

さて、今月25日に行なわれるという日米首脳会談が今後の日韓関係にどのような影響を及ぼすかを楽しみにしつつ、毎度おなじみのグダグダ韓国考察をしたいと思います。

世界には、韓国人と同じ程度や、それ以上に素っ頓狂な人種や民族は珍しくないといいます。私もその意見を否定するつもりはありませんが、だからと言って韓国人の素っ頓狂を免罪したり許容する気にはなれないという話は、これまでにもしたことがあります。

今回はこれを一歩進めて考えてみました。

韓国人は確かに素っ頓狂です。ですが世界の人々はおそらく、日本人ほど韓国人の素っ頓狂さを気にしてはいないでしょう。それどころか日本人だって、つい最近まで、韓国人の素っ頓狂を全然気にしていませんでした。

それはひとつには、韓国人という生き物について関心がなかったからです。関心がなければ、その対象は存在しないのと同じです。

韓国人、というか朝鮮人によく似た人々ということで、アルメニア人が取り上げられることがあります。アルメニア人の素っ頓狂さは、韓国人のそれと通じるところがあるようです。ネットで調べてみると、ほうほう、なるほどと思うことは確かにあります。

ではアルメニアやアルメニア人について、韓国程度に調べてみようと思うかと言えば、それは全く思いません。アルメニアが地球上のどこにあるのかさえ、興味がありません。国名の語感的に、多分トルコかその辺りにあるんじゃないかなあと思うぐらいで、それ以上調べてみようとは思いませんし、仮に調べても頭に入らないでしょう。

何故韓国人の素っ頓狂さだけが、これほどまでに日本人の関心を引くのでしょうか。それはひとえに、韓国人の意識が日本に向いているからに他なりません。

仮にそれが好意や善意であっても、日本人に向けられた韓国人の意識は、日本人にとって害となることがあります。ましてやそれが、明確な敵意や悪意であれば尚更というものです。現在の日本における、悪い意味での韓国に対する関心の高まりは、それに対する危機感と警戒心が大きいと言えるでしょう。

ではもし韓国が、中国の内陸部にあったとすればどうだったでしょうか。あるいは、中国の内陸部には少数民族による自治区や自治州がたくさんあります。その中に、韓国人程度に素っ頓狂な民族も、もしかしたらあるかもしれません。中国も反日教育を行なっていますから、それらの民族の敵意や悪意が日本に向いている可能性も、決して否定出来ません。

でもそういう話は全く聞こえてきませんし、仮に聞こえても「へー」で終わるでしょう。日本人にとって韓国が危機感や警戒心の対象なのは、近くて、渡航が容易だからということがあまりにも大きいと言えます。

それを逆に言えば、韓国人の素っ頓狂さは、日本があまりにも近く、且つ容易に渡航可能であるがために増幅されている部分があると言えるのではないでしょうか。

日本にとって韓国が近くにあることが不幸であることは言うまでもないことですが、韓国にとっては幸運だったという側面は確かにあります。しかしそれは物質的な面だけであって、精神的及び民族的には、日本が近くにあるということは韓国にとっても不幸なことだったのではないでしょうか。

そう考えてみれば、距離的には韓国とほぼ同じ位置にあり且つ同じ言語を話す同民族である北朝鮮人が、物質的には貧しくとも、精神的及び民族的には韓国人よりもずっと安定しているように見えるのは、日本と交流がなく渡航も容易ではないためかもしれないとも思えます。

だとすれば、やはり日本と韓国が発展的に関係を解消し、相互に交流を断っていくことは、ひとり日本のみならず、韓国の精神的民族的幸福にも大きく寄与することになるのではないかと愚考する次第です。



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父娘二代二冠?

現在の日韓関係は、順調に悪化の一途をたどっています。今月下旬にオランダのハーグで行なわれる核安全サミットの際に、アメリカを交えての日米韓首脳会談の実現が模索されているものの、韓国側の姿勢は依然攻撃的です。朴槿惠韓国大統領は日本が絶対に応じるはずがない条件を提示して、「これを飲まなければ日米韓首脳会談には応じない」とふんぞり返っています。

呆韓論」には、以下の様な記述があります。
 韓国人同士の交渉事では、どちらも最初は高飛車に出る。弱く出たら、付け込まれるだけだと韓国人は思っている。
 ともに高飛車に出たら、いつまでも突っ張り合い、折れるのは、どちらも困り果てた時に、同時にだ。
 そういう交渉戦術が「日本にも通じる」、いや「日本人も同じ交渉術を取っている」と、多くの韓国人は思い込んでいるようだ。
 朴槿惠大統領も、そうした韓国人の1人なのだろう。
(呆韓論p.54~55)

今回の日米韓首脳会談に関する展開を見る限り、この分析は極めて正鵠を射ていると言えるでしょう。

こういう状況が続けば、日韓断交も決して嫌韓の夢物語とは言えなくなってきます。と言うか、日韓関係がこの状態で安定するはずがありません。いつかは必ず、悪化か雪解けかのどちらかに傾くでしょう。

嫌韓としては日韓関係の悪化は歓迎しますが、日本政府としては必ずしも悪化を望んでいるわけではないと思います。ですが韓国のワガママにこれ以上付き合う気も、少なくとも現在の安倍政権にはなさそうです。

日本政府としては、韓国がワガママを抑えて、普通に冷静に話が出来るのであればいつでも関係改善に向けて動くつもりはあるという姿勢で一貫しています。それに対し韓国は、床にひっくり返ってのたうちまわり、超音波のような声で泣き喚きながらおもちゃをねだる子供のように、いつまでも駄々を捏ね続けています。

韓国人や親韓日本人は、しばしば「政府と国民は別だ」などと言います。日本に対して韓国政府や韓国大統領が攻撃的な発言を行なっても、それは決して韓国民の総意ではないという主張です。

もちろんそれはただのおためごかしです。韓国政府や韓国大統領が韓国民の目を意識した上で、パフォーマンス的に対日強硬姿勢を打ち出していることは疑念の余地がありません。

日本との協力関係は何が何でも維持したいという点では、韓国政府も国民も一致しているでしょう。しかしそれは決して韓国政府が頭を下げてのことであってはならない、という無言の圧力が韓国民から発せられています。

その圧力がなくならない限り、韓国政府は対日強硬姿勢を崩すことが出来ません。ましてや韓国では「親日(=反民族=売国奴)」とされている父を持つ朴槿惠大統領です。少しでも対日融和姿勢を示せば、たちまち「やっぱり娘も親日(=反民族=売国奴)か」と、総攻撃を食らうでしょう。

そう考えれば、少なくとも朴槿恵が大統領である間は、韓国が対日強硬姿勢を更に過激にすることはあり得ても、その逆は極めて考えづらいものがあります。

反面、政府の対日強硬姿勢によって韓国経済も大きな打撃を被ります。これまで日本の温情的支援と協力によって、韓国経済は多大な恩恵を享受してきました。「政冷経熱」などと言って、国家間の政治的な関係は悪くても経済的な関係は良好であるとされてきました。

しかし何事につけ、政治を絡めるのは韓国の病のひとつです。そうでなくとも政治と経済は密接な関係があります。これまで日韓が「政冷経熱」であったのは、単に日本側が政治的にも経済的にも、韓国に大幅に譲歩していただけの話なのです。

もし日本の譲歩がなくなれば、日韓政治の冷え込みに合わせて日韓経済も冷え込まざるを得ません。それが今、現実となっているのです。

かつての日本政府であれば、日本国民の韓国に対する無関心を良いことに、韓国に安易に譲歩することは難しくありませんでした。しかし嫌韓が台頭し、韓国関連情報に対する日本国民の関心が高まっている現在、韓国に対する安易な譲歩は日本の政権の屋台骨を揺るがしかねないという事情もあります。

日本が譲歩しなければ、韓国は強硬姿勢を崩せません。韓国が強硬姿勢を続ける限り、日本は譲歩するわけにいきません。正に膠着状態です。

これを打破するために、アメリカを仲介者とする日米韓首脳会談を提案したのでしょうけれど、韓国は事実上これを蹴ったことになります。

こうなると、今後取れる策は限られてきます。このまま朴槿惠大統領の任期が終了するまで、日韓関係を低位安定させるのが今考えられる最も穏やかな案ですが、どんなに楽観的に考えても、これが実現する可能性は極めて低いでしょう。

現実的に考え得る可能性としては、まず韓国がこのまま駄々を捏ね続け、正式な日韓国交断絶とまでは行かずとも、事実上それに近い状態になることです。それに合わせて、韓国は中国への依存を強めるでしょう。そうしなければ韓国経済はたちまち干上がるからです。そうなれば中国と覇を争うアメリカとしては面白くないというだけではなく、東アジア情勢が不安定になる危険性が高まります。

それが朴槿惠大統領の任期である2018年まで続くことになるのです。それまで気長に待つという手もなくはありませんが、関係諸国の指導者がそこまで気長で無能とも思えませんし、それまでに事態が取り返しのつかないところまで悪化する恐れも多分にあります。何より韓国経済が持たないでしょう。

であれば、「朴槿惠大統領の早期退任」という手が考えられます。現在の日韓関係の障壁は明らかに朴槿惠大統領その人であり、彼女が駄々を捏ねなければ日本はもとより対話に前向きです。韓国としてもお得意の「前任者に全ての責任を引っ被せて頬かむりする」という手が使えます。

問題は、如何にして朴槿惠大統領を早期退任させるかでしょう。

朴槿惠大統領は韓国史上初の父娘二代大統領ですが、もしかすると韓国史上初めて罷免される大統領になるか、あるいはもう一つの父母娘二代を実現させてしまうかもしれないと、現在の日韓関係を見て懸念する次第です。



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海によって選別された日本人

最近、古代日本に関する本を読んでいて思ったのですが、日本人は、特に古代に関してはとにかく「全ての文化は支那・朝鮮から渡来した」と考えている節があります。更にその考えは、韓国人の日本に対するイメージに大きな影響を与えているように思えます。

韓国人の対日イメージは複雑です。激烈な反日意識と一緒に、ぬぐい難い親日意識も抱えています。対象を愛するあまり、その対象と自分自身を同一化しようとし、それが叶わないのであれば対象を殺して自分がその対象そのものに成り代わろうとする人格障害者がいますが、日本人に対する韓国人の意識にはそれを彷彿とさせるものもあります。

もちろんそれだけではありません。彼らが常識として備えている対日イメージのひとつに、「日本人は未開で野蛮」というものがあります。

これは華夷思想に基づくイメージでしょう。古代中国の先進性は、当時の世界では突出していました。その中国に近ければ近いほど、その先進性の影響を濃厚に受けます。朝鮮は中国と地続きであり距離的にも極めて近く、また民族的にも文化的にもその関係性が密接であることは議論の余地がありません。中国の第一の子分であることを誇りとした朝鮮は、自ら小中華と名乗っていたほどです。

そのためか「日本人など、ウリが文化を伝え教えてやらなかったら、今でも腰蓑一丁に木の槍持って、ウッホウホ言ってたはずだ」という確信に近いイメージを、韓国人は持っています。

しかし、考えてみればそれは矛盾したイメージです。何故なら、日本列島で人類は発祥していないからです。つまり日本人は全て例外なく渡来人の子孫のはずなのです。

余談になりますが、「日本人は全て例外なく渡来人の子孫である」と言うと、激烈な反発を頂戴したことがあります。日本列島で人類が発祥していないのは、少なくとも現在の考古学的見解では確かなこととされているのに、何故こんなに反発されるのかと不思議に思ったのですが、どうやらその人の中では「渡来人」=「支那・朝鮮人」と定義していたようです。

私がここで言う「渡来人」とは、漢字の意味の通り「渡り来たる人」であって、その中に今で言う支那や朝鮮の域から渡り来た人々がいたであろうことは否定しませんが、だからと言って特定の国や民族、人種を指すものではありません。

その当時の人々には、「国」や「民族」という意識どころか、その概念も存在しなかったでしょう。だから支那や朝鮮の域から日本に渡り来た人々を、今の支那・朝鮮人の祖先とイコールで考えることには、私は否定的です。

さてアフリカで発祥したとされる人類は、長い長い時間を掛けて世界中に拡散しました。日本は、アジアに向かった人類の最終到着地だったと推察されます。

中国大陸と日本の間には海があります。航空・船舶技術の発達した現在ではさほどでもありませんが、人工的な動力機関を持たない古代には、この海は極めて大きな障壁でした。このことに異論を唱える人はいないでしょう。

すると、日本に渡ってきた人々とは、この極めて大きな障壁を突破してきた人々とも言えます。事故などで偶然、波風に乗せられ運ばれ流されてきたという人もいなくはないでしょうが、意思を持って海を乗り越えてきた人々の方が圧倒的に多かったでしょう。

この極めて大きな障壁を乗り越えるには、意思だけではなく、ある程度の、その当時としては最先端の知識や技術が必要であったはずです。と言うか、ある程度の知識や技術のなかった人々の多くは、海の藻屑となったでしょう。

ある意味、この海が支那や朝鮮半島に残った人々と、日本に渡り来た人々とを選別することになったのではないでしょうか。

特に朝鮮半島は、決して恵まれた土地とは言えません。それがために、領土的野心の猛烈な支那でさえ、あえて朝鮮半島を自国に組み入れようとはしませんでした。

そういう土地に満足出来なかった人々は、来た道を引き返し、既に多数の競争者の居る大陸内での勝ち抜き戦に参加するか、さもなければ先住者のいない、あるかないかも定かでないフロンティアを目指して、未知の海に漕ぎ出だしました。

当時はまだ、国も民族もありません。その中である限りの知恵と勇気を振り絞り、更に幸運に恵まれた人々だけが日本列島に到達出来たのでしょう。日本列島で人類が発祥していない以上、例外なくそういう人々が、現在の日本人の祖先であることは間違いありません。

現在の韓国人は、日本人を「ウリが文化を伝え教えてやらなければ、チョッパリなど今でも未開な野蛮人なのだ」と言いますが、実は日本列島に渡り来た人々よりも、朝鮮に残った人々の方が、知恵も勇気もない怠惰な人々だったのではないでしょうか。

近い距離にあり且つ地続きの中国は、大朝鮮と揶揄される程度には朝鮮と似ているところがありますが、近いながらも海を隔てた日本と朝鮮の人々が、真逆と言っていいほど異なるのが、その証左と言えなくはないだろうかということを、古代日本史に関する本を読みながら考えた次第です。



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ハングルは意味を持たない

日韓関係の改善に向けて、アメリカが仲立ちしようとしているようですが、韓国側は相変わらず日本の歴史認識を理由に駄々をコネているようです。

個人的には、韓国がそのままずっと駄々をコネ続けてくれる方が良いと思っておりますが、国際社会のお付き合いの上ではそうもいかないのでしょう。ま、韓国がアメリカのメンツを潰す度胸があるのかどうかが今回の見どころかなあと生暖かくウォッチを続けようと思います。

さて、現在の韓国人がハングルを誇ること甚だしいのは、つとに有名です。ハングルは15世紀半ばに李氏朝鮮四代目の王、世宗が命じて制定させた朝鮮固有の文字です。

日本語のひらがな、カタカナが漢字を由来とすることから、韓国人は「ウリハングルはオリジナルだが、チョッパリ文字は漢字のパクリwwwww」などと言うことがあります。しかし実際には、ハングルもさまざまな国の文字を参考にしており、厳密な意味での朝鮮オリジナルとは言えません。

しかも中華に事大する朝鮮においてハングルは、必ずしも尊重されてはいませんでした。どころか、「犬文字」「便所文字」などと呼ばれるほどに軽侮されていたのです。

そのハングルが脚光を浴びるようになったのが日帝統治期であることは、案外知られていません。

現在の韓国では、日帝統治期にハングルが弾圧されたと教え込まれています。ですが実際には、日帝統治期にもハングルが盛んに用いられていたという史料は枚挙に暇がありませんし、当時の日本が、朝鮮人に対して比較的積極的にハングル教育を行なっていたこともわかっています。

日韓併合からある程度の時間が過ぎて、朝鮮半島における日本語教育が浸透するにつれ、ハングル教育の優先度が下がったということはあったでしょう。今も昔も彼らは、何事につけ上下優劣で物事を考えようとしたでしょう。統治した国の言葉と統治された国の言葉であれば、当然前者が上位優位とみなされるでしょうし、実利的な面でも、統治国の言語である日本語を習得する方が何かにつけ有利だったはずです。必然的且つ朝鮮人の性格的に、日帝統治下の朝鮮においては、日本語と比較すると朝鮮語やハングルはないがしろにされることになったでしょう。

それを日本の強制だったと現在の韓国人は主張し、またそう信じていますが、私は必ずしもそうではなかったと考えています。現在の韓国人の性格から鑑みても、また日帝統治期を生きた朝鮮人が遺した記録を見ても、当時の朝鮮人は比較的喜んで日本語を学び、進んで習得しようとしていたと考えるのが自然なのです。

当時、日本語を習得した朝鮮人は、本当の日本人に一歩近付いたと考えたでしょう。その「本当の日本人に一歩近付いた朝鮮人」が、そうではない朝鮮人を侮り蔑んだことは想像に難くありません。

ですから日本の統治が終了するまでの朝鮮では、ハングルは用いられてはいても、尊重されていたとは言えなかったでしょう。

それが一転したのは、日本の統治が終了してからのことです。日本に対して極めて従順であった朝鮮人たちは、自分たちが従順であったことを自らの意思ではなかったということにしました。彼らが喜んで学んだ日本語も、全て強制されたことにしました。日本語を否定すると相対的に、朝鮮語とハングルが尊ばれるようになりました。

更に彼らの歪んだ自尊心は、彼らに漢字を捨てさせました。

戦後の日本でも、漢字を廃する意見がありました。実際に政府主導で漢字を廃する方向に誘導しようとする動きもありました。しかし、日本では庶民がこれを拒んだのです。日本においては、段階的に漢字廃止を進めるために当用漢字を定めたものの、結局当用漢字の方が廃されてしまいました。

翻って韓国では、漢字廃止を庶民は拒みませんでした。むしろ歓迎しました。その理由はひとつではないでしょう。日帝統治期になかなか漢字を覚えられず、親や教師に叱られ、同級生に蔑まれた反動という者もいたでしょうし、単純に漢字を覚えずに済むのが楽だと考えた者も少なからずいたでしょう。そもそも彼らに、文章を読んでその意味を正しく理解するという文化や習慣がなかったということもあるかもしれません。

いずれにせよ、韓国人が漢字廃止を進んで受け容れたのは、歴史的事実と言えます。

韓国における漢字廃止は、即ちハングル専用を意味します。ハングルの欠点はいくつかありますが、やはり最大のものは、文字そのものが意味を表さないことでしょう。ですからハングルだけで書かれた文章は、極めて誤解の余地が多くなります。

ハングルの優秀性を説く時、いの一番に持ち出されるのが、その表現する音素の多さです。これは私の勝手な想像ですが、もしかするとかつての朝鮮語においては、音素の組み合わせによって意味を表すことが出来たのかも知れません。もしそうであれば、ハングルだけの文章でも意味を表すことは可能だったのでしょう。

しかし、今日の韓国語においては、音素の組み合わせによって意味を表現出来ているとは思えません。

しかもそのご自慢の多様な音素も、実は徐々に減ってきています。百年前の朝鮮語と現代韓国語では、かなりの語彙に音素的な変化があります。

現在の韓国語及びハングルに残っているのは、テープレコーダー的な「音を文字で表現・記録する」という機能だけと言っても過言ではありません。その上彼らが文章や単語に期待するのは、「意味の伝達」ではなく、「意思や感情の伝達」なのです。

言語は思考と密接につながっています。普通の日本人ならば、文章や単語に意味を見出そうとするでしょう。しかし普通の韓国人は文章や単語から、意味ではなく意思や感情を見出そうとするようです。

日本語と韓国語は逐語訳が容易なために、日本語に翻訳された韓国人の文章を読むと、ついつい翻訳された日本語通りの意味だと勘違いしがちです。しかし、ウリナラチラシの日本語版を見ればわかるように、彼らの書く文章は必ずしも意味的に筋が通るものばかりとは限りません。その根底にある「意思」や「感情」に気づかなければ、なんだかちぐはぐな文章だと感じるものが圧倒的に多いはずです。

韓国人にとっては、文章で表される「意味」などより、そこに現れる「意思」や「感情」の方がずっと重要なのでしょう。だから私たちが読めば意味的に違和感を覚える文章であっても、その文章から意思や感情が発せられてさえいれば、韓国人には受け容れられるのでしょう。

そのことを良いとか悪いとか言う気はありません。彼らには彼らの言語と思考活動があります。しかし、それが日本と関わる場合は別です。

日韓は似ていると言われる言語分野においても、その働きにこれほどの違いがあることの「意味」を、韓国人が理解するのは無理としても、少なくとも日本人側だけは知っておく必要があるのではないでしょうか。

それを知らないまま、日本人が彼らの書く文章や単語をどれほど読んでも、成立するのは日韓相互誤解だけです。



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日本が自虐史観から脱却するためには

現在の日本人の歴史観を、よく「自虐史観」などと言います。これには、戦後GHQによって行なわれたというウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムが大きく作用していることは想像に難くありませんが、同時に日本人の「謙遜を美徳とする」という道徳観も少なからず作用したのでしょう。

いずれにせよ現在の日本人が、過剰とも言えるほどに自国とその歴史及び自民族を低く評価したがる傾向があるのは事実です。

その反動か、最近では「日本スゲー」という意見や主張もしばしば見かけるようになりました。その中には、日本人自身による賞賛ばかりではなく、日本好きな外国人の言を借りるものもあります。

それを見て、時に「いや、そこまで言ったら贔屓の引き倒し」と思うことはなくもありませんが、日本や日本人が賞賛されることは素直に嬉しく思います。ですが、自虐史観の刷り込みを持つ日本人にとっては、自国とその歴史及び自民族の賞賛はずいぶん神経を逆撫でされるものらしく、「日本スゲー」という意見や主張を見て、嫌悪感を持つ人は、まだまだ多いようです。

翻って韓国ですが、産経新聞の黒田勝弘氏が彼らの歴史観を「よく頑張った史観」と呼ぶように、彼らは自らの歴史を極めて高く評価しています。

前述したとおり、日本の国や歴史や民族を褒めちぎると苦々しい顔をする日本人は少なくありません。ですが、同じ人に外国の賞賛を聞かせると、割と素直に聞き入り、感心して賞賛に同調するから不思議です。韓国人から「よく頑張った史観」に基づいた臆面もない自国賞賛を聞かされても、それを素直に信じ込み、しかも再配布する日本人は結構多いのです。

確か呆韓論だったと思いますが、その中に「ハングルはあらゆる音を表現出来る」という主張が、韓国のことをほとんど知らない日本人にも浸透していて驚いたということが書いてあったと記憶します。

この説は、私もまだ韓国のことをほとんど知らない中学生の頃に聞いた記憶があります。しかも私が聞いたのは「ハングルはあらゆる音を表現出来る」というのに加えて、「ハングルは音だけではなく、意味も表現出来る」というものでした。

今ならこの「ハングルはあらゆる音を表現出来る」というのが全くのデタラメで、更に「ハングルは意味も表現出来る」というのも、ハングルが漢字と対応するように作られていることを勘違いしたものだろうと理解出来ますが、当時まだ中学一年生か二年生ぐらいだった私がそんなことを知るはずもありません。素直にそれを信じ込んで、ハングルに興味を持ったのが、私が韓国に積極的な関心を持ち始めた最初の第一歩だったように思います。

この「韓国スゲー」論は、もちろんハングルにとどまりません。韓国の歴史教科書を見れば、「韓国スゲー」論のオンパレードです。時系列的な事実を教えることよりも、檀君神話を「事実」として教えることに始まり、韓国(朝鮮)が優れた文化を極めて早い時期に確立していたと主張することに力を注いでいます。

かつて日韓チャットで、「ウリナラは15世紀に自撃漏という自動の水時計を発明したニダ」と自慢する韓国人がいたので、「その割には現在の韓国人は時間にルーズだな。もしかしてその自撃漏とやらを今も使ってるのか?」と突っ込んだら発火したことがありました。

この「自撃漏」は、韓国人にとってはかなりのご自慢のタネらしく、当然歴史教科書にも載っています。朴永圭著の「朝鮮王朝実録」によれば、「この自撃漏は、蒋英実が金銚とともに製作したもので、中国とアラビアのものを比較研究して、新しく考案したものだった」とあります。これを今風に言えば、「中国とアラビアのものをベンチマークして、新しく考案したものだった」となるでしょうか。

韓国の歴史教科書における自国褒めは、もちろんこれだけではありません。これでもかこれでもかと、韓国の優秀性を列挙します。ウリナラ、ウリ民族はこんなに素晴らしく優れているのだと国民に刷り込んでいるのです。

日本人が自国とその歴史及び自民族を貶めるような意識を刷り込まれているのと本当に好対照で、日韓はこういうところも真逆です。

その上、韓国でも日本を見下す教育を行なっています。そのためか、日本人は韓国人が日本に対して持つ侮蔑意識に違和感を持たない人が多いようです。それどころか、韓国人に同調する者さえいます。

近年、日本では行き過ぎた自虐史観を改めようという動きがあります。それに強く反発する某朝日新聞が、まるで中韓に言いつけ口でもするように批判的な報道を行ない、中韓を始めとする外国勢力を使ってその動きを止めようとしています。中でも、韓国が極めて強く激しく日本の教科書問題に反応し干渉しようとしていることは、韓国ウォッチャーならずとも周知のことでありましょう。

こういうところでも、日本と韓国は共依存に陥りやすいのです。日本が自虐史観から脱却し、正当な自国評価を持てるようになるには、韓国からの干渉を全てシャットアウトする必要があるのではないでしょうか。もし日本が韓国からの干渉を断てないならば、ハングルについての誤認識を日本人に広めたように、彼らは日本人が自虐史観から抜け出せないようなサブリミナル的工作を、反日日本人と連動して、今後も行ない続けることでしょう。



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韓国人が一律的な訳

3月に入って、ほの暖かくなったと思ったら、案の定寒の戻りがやってきました。一旦緩んだ寒さがもう一度締め付けられると、気温的には以前と同じでも、一層強烈に感じられます。あと二十日もすれば桜の便りが聞こえてくると思って耐えるばかりです。

ところで先日、韓国内のデモで、アンネ・フランクの写真がプラカードに掲げられ、それが踏みつけにされているシーンが報道されたそうです。また都内の図書館や書店で、「アンネの日記」が毀損される事件が起きているそうですが、これを韓国人(在日含む)の仕業と憶測する向きもあるとやら。

それを受けて、何故韓国人がアンネ・フランクに対して憎悪するのかと、何故それを反日と絡めているのかについてご質問頂いたのですが、正直私にも全く意味がわかりません。

あえてこじつけて考えるとすれば、彼らは「人類史上最悪の植民地支配を受けた被害者」であると自ら主張しております。即ち、地球上で最も同情され、最も配慮され、最も優先されるべき被害者である自分たちと同じ程度か、それ以上に同情される「被害者」が他に存在することが許せないのかなと思ったりもしますが、「それが何故、よりによってアンネ・フランクなのか」という疑問の答えにはなりません。

日韓チャットで韓国人に、この件についてインタビューしても、多分腑に落ちる答えは得られないでしょう。と言うか、そもそも韓国人がアンネ・フランクを知っているかどうかすら疑わしいものがあります。

もちろんアンネ・フランクを知っている韓国人も皆無ではないでしょう。けれど決して多数派でもないと思います。基本的に彼らの関心は、「ウリ(=自分自身)」にしかありません。「ウリ(=自分自身)」に関することであれば、例えばアンネ・フランクに関することが受験に必須であるとか、就職に有利であるとか、あるいは他者からの尊敬を得られることならば、韓国人の誰もが知っているということはあり得ます。しかしとてもそうは思えません。

ですので今回の件については、「韓国人はそういうことをする生き物である」と理解する以外にないのではないかとしかお答えのしようがありません。あしからずご了承ください<(_"_)>

さて今回は、「韓国人は何故一律的なのか」について考えてみました。

そのきっかけは日韓対談本「悪韓論VS悪日論」です。この本の中で、韓国人の金慶珠氏は、韓国人の日本に対する思いは多様で複雑であると幾度か主張しています。

それはそうかもしれません。ある韓国人は「日本が大好きだ」と億面もなく言うでしょう。かと思えば別の韓国人は「日本なんか大嫌いだ」と吐き捨てるかもしれません。あるいは「日本に気を使わない(=関心がない)」と嘯く韓国人も多いでしょう。

多分一番多いのは「日本については好きなところもあるけど嫌いなところもある」という意見だと思います。例えば、「日本の文化は好きだけど過去に日本がウリナラにしたことは許せない」とか、「日本人は好きだけど日本政府は嫌い」とか、「日本人は嫌いだけど日本円は好き」とか言う韓国人が最も多いのではないかと思います。

韓国人と言っても、それなりに知能の高い動物ですから、そういう細かい差異はあって当然です。そこに注目すれば、韓国人だってそりゃ複雑多様と言うことは出来ます。

にも関わらず、多くの日本人が韓国人を一律的と感じるのは事実です。それは何故なのでしょうか。

韓国人が一律的に感じられるのは、彼らが日本に対することに限らず、あらゆる物事に必ず「正解」が存在すると考えているからだと私は考えています。

特に日本に対する「正解」は、韓国においてはきっちりと決まっています。「日本=絶対悪」というものです。

金慶珠氏が言うとおり、また前述したとおり、韓国人の対日感情は必ずしも一律とは限りません。日本人が「日本大好きです」という韓国人に遭遇する確率は案外高いのです。グループ内の自分以外のメンバーが全て日本人だけであれば、無邪気に楽しげに日本に対する手放しの愛を語る韓国人だって、実は結構いるのです。

ところがそこへ別の韓国人がやってくれば、それまで「無邪気に楽しげに日本に対する手放しの愛」を語っていた韓国人は、即座に口をつぐみます。もし新たにやってきた韓国人が日本を非難するようなことを言い出せば、良くて沈黙か離席、悪ければ同調して共に日本を非難し始めます。

私たちはこの現象を「韓国人は一人なら親日、二人以上で反日」と呼んでおります。これはおそらく、韓国人には極めて一般的な現象でしょう。私もネットだけではなく、実際に体験したことがあります。

対日意識に限らず、韓国人にも個々に複雑で多様な意見というものがあるのかもしれません。しかし韓国ではそれがそのまま表現され、受け容れられるということがありません。必ず「正解」が求められ、それ以外の回答や意見は、「間違い」として切り捨てられます。

結果として、「韓国人の意見は一律的」となってしまうのです。

その「正解」が、客観的な根拠や理由に基いて導き出されるものであればまだしもですが、多くの場合そうではありません。韓国人の考える「正解」とは、「韓国人の情緒に沿うこと」が最大の条件になっております。

日韓チャットで韓国人が「韓国人の情緒に沿わない意見」を言えば、「お前はそれでも韓国人なの?!」と責められるのが常でした。それは即ち、「韓国人であればこう考えるのが当然」という意識が韓国人に共有されている証左と考えて良いでしょう。

個々の韓国人がどんなに複雑多様な考えを持っていようと、韓国人社会がひとつの「正解」しか認めない以上、韓国人が一律的に見えるのは当たり前ですし、実際一律的なのです。

それに気づいていないのか、気づいていながらあえて無視しているのかはわかりませんが、そのことを度外視した上で「韓国人だって複雑多様だ」と言うのもまた、韓国人にはよく見られる現象であることを、最後に申し添えておきたいと思います。



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三一節大統領演説に現れた韓国の焦り

3月に入って、ほんのり暖かくなったような気がします。多分また寒の戻りがあるのでしょうけれど、今月下旬には桜の便りも聞こえてくるかと思うと、少し心が浮き立つような気がします。

さて、日本統治下の朝鮮で1919年3月1日に起きた反日暴動を記念して、韓国では3月1日を三一節という祝日と定めております。

この日は韓国大統領による反日演説が恒例となっており、昨年の朴槿惠大統領は「日本が加害者で韓国が被害者という立場は千年変わらない」という迷言を発して、日韓の間に大きなクサビを打ち込みました。

就任後2度目となる今年はどんなインパクトを与えてくれるのかと期待していたのですが、残念なことに昨年には及ばない凡庸な内容であったようです。

ただ演説の中で、日本政府が河野談話の検証を行なおうとしていることに、現在の韓国が強い危機感を示していることが目を引きました。韓国では、河野・村山談話が日本を牽制あるいは攻撃するための有力な武器として用いられているからでしょう。検証によってその有力な武器を無力化されてしまっては困るので韓国は必死になっているのです。

河野談話とは、正式名称を「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」と言うとおり、「いわゆる従軍慰安婦問題」に関するものです。

「いわゆる従軍慰安婦問題」は、韓国人が言うところの「良心的日本人」によって世に放たれました。当初は、内容のあまりの荒唐無稽さに、韓国人からも否定されていましたが、徐々に日本を非難するための材料として韓国や反日日本人に活用されるようになりました。

軍隊に売春婦は付き物です。それは何も旧日本軍に限った話ではなく、およそ軍隊のあるところには必ず売春婦がいると思って良いでしょう。よって「いわゆる従軍慰安婦問題」とは何が問題かと言うと、「旧日本軍が慰安婦を用いたか否か」が問題なのではなく、「慰安婦の調達や管理に旧日本軍が組織的に関与していたか否か」が問題となっております。

以前から何度も述べている通り、「日本は絶対悪」というのが韓国における常識であり良識です。それに則れば、日本兵に自ら春を鬻ぎに行く朝鮮人女性など、決して居てはなりません。もし居るとすれば、それは当人の意思に反し、強制的にさせられたものでなければならないのです。

よって韓国人の主観では、「旧日本軍が利用した朝鮮人従軍慰安婦が居るとすれば、それは日本や日本人によって強制的に慰安婦にさせられた女性である」ということになったのでしょう。

その韓国人の主観に基づいて作られたストーリーに従って、「いわゆる従軍慰安婦問題」は作られたものと言えます。つまりは創作ですから、そのストーリーを裏付ける証拠は何ひとつ出てきません。唯一、慰安婦を名乗る当人の証言を除いて。

その当人たちの証言も、実はボロボロのグダグダであることは、今でこそかなり広く知れ渡っていますが、河野談話が作られた当時はほとんど知られていませんでした。

それを良いことに、「河野談話」は極めてずさんな調査に基いて作られました。これについては昨年、産経新聞が盛んに取り上げていたのでご存知の方も多いでしょう。

当時の日本政府の考えとしては、泣く子にアメを与えて黙らせるぐらいのつもりであったのでしょう。日本政府が韓国の要求に従って頭を下げてやれば、韓国もそれ以上騒がないと言ってるのだから、そうすればいいじゃないかと軽く考えていたに違いありません。その後それが日韓間の大きな禍根となるとは露ほども思わずに。

韓国人は喧嘩をするときには、決してひっそりとやりません。必ず第三者の目のあるところで、大騒ぎしながらやるといいます。ギャラリーを味方に付けるためです。

ギャラリーを味方に付けるためには、同情を買うのが一番手っ取り早く、彼らがしばしば自ら被害者を名乗るのも、そのためでしょう。

日韓併合や朝鮮征伐も、日本を加害者とし韓国を被害者とするものですが、これらは第三者にアピールするには、少々インパクトが足りませんでした。何しろその当時はそれが当たり前の時代でしたし、欧米は更に過酷な植民地支配や奴隷制度を行なっていたからです。

それらと比べれば、どんなに日本に厳しく見ても日本は実にジェントルでしたし、どれほど韓国に甘く見ても韓国は恵まれていたことになってしまいます。

それならばと、韓国は竹島問題を振りかざしてみましたが、これもギャラリーの反応が今ひとつです。ということで、韓国は今持っている対日カードの最後の切り札として、慰安婦問題を持ち出しているのでしょう。

この韓国の切り札を切り札たらしめているのが河野談話なのです。つまり河野談話が否定あるいは撤回されれば、「いわゆる従軍慰安婦問題」は振り出しに戻ります。少なくとも慰安婦問題に関する日本政府によるお墨付きを、韓国は失うことになります。

そうなれば韓国は、また新たな対日カードを探さねばなりませんが、今のところ慰安婦問題よりも効果がありそうなカードは見当たりません。だから韓国としては、何が何でも慰安婦問題を死守したいのでしょう。それが今年の三一節の韓国大統領の演説に現れたわけです。

しかし、事実に基づかないことを認めることは、日本にとってはもちろんのこと、韓国にとっても決して良いこととは言えません。短期的には良いかもしれませんが、長期的には必ず帳尻が合わなくなります。丁度シャツのボタンの穴をひとつ間違えてはめてしまうように。それを直すには、一度全てのボタンを外さなければならないのです。

よって日本は、韓国がどんなに泣いても喚いても暴れても、「ならぬものはならぬのです」と言って、粛々と河野談話の見直しをするべきであり、それこそが正しい日韓関係の促進に大きく寄与するものであると考える次第です。



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月見櫓 韓国 日韓
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