日本が自虐史観から脱却するためには
いずれにせよ現在の日本人が、過剰とも言えるほどに自国とその歴史及び自民族を低く評価したがる傾向があるのは事実です。
その反動か、最近では「日本スゲー」という意見や主張もしばしば見かけるようになりました。その中には、日本人自身による賞賛ばかりではなく、日本好きな外国人の言を借りるものもあります。
それを見て、時に「いや、そこまで言ったら贔屓の引き倒し」と思うことはなくもありませんが、日本や日本人が賞賛されることは素直に嬉しく思います。ですが、自虐史観の刷り込みを持つ日本人にとっては、自国とその歴史及び自民族の賞賛はずいぶん神経を逆撫でされるものらしく、「日本スゲー」という意見や主張を見て、嫌悪感を持つ人は、まだまだ多いようです。
翻って韓国ですが、産経新聞の黒田勝弘氏が彼らの歴史観を「よく頑張った史観」と呼ぶように、彼らは自らの歴史を極めて高く評価しています。
前述したとおり、日本の国や歴史や民族を褒めちぎると苦々しい顔をする日本人は少なくありません。ですが、同じ人に外国の賞賛を聞かせると、割と素直に聞き入り、感心して賞賛に同調するから不思議です。韓国人から「よく頑張った史観」に基づいた臆面もない自国賞賛を聞かされても、それを素直に信じ込み、しかも再配布する日本人は結構多いのです。
確か呆韓論
この説は、私もまだ韓国のことをほとんど知らない中学生の頃に聞いた記憶があります。しかも私が聞いたのは「ハングルはあらゆる音を表現出来る」というのに加えて、「ハングルは音だけではなく、意味も表現出来る」というものでした。
今ならこの「ハングルはあらゆる音を表現出来る」というのが全くのデタラメで、更に「ハングルは意味も表現出来る」というのも、ハングルが漢字と対応するように作られていることを勘違いしたものだろうと理解出来ますが、当時まだ中学一年生か二年生ぐらいだった私がそんなことを知るはずもありません。素直にそれを信じ込んで、ハングルに興味を持ったのが、私が韓国に積極的な関心を持ち始めた最初の第一歩だったように思います。
この「韓国スゲー」論は、もちろんハングルにとどまりません。韓国の歴史教科書を見れば、「韓国スゲー」論のオンパレードです。時系列的な事実を教えることよりも、檀君神話を「事実」として教えることに始まり、韓国(朝鮮)が優れた文化を極めて早い時期に確立していたと主張することに力を注いでいます。
かつて日韓チャットで、「ウリナラは15世紀に自撃漏という自動の水時計を発明したニダ」と自慢する韓国人がいたので、「その割には現在の韓国人は時間にルーズだな。もしかしてその自撃漏とやらを今も使ってるのか?」と突っ込んだら発火したことがありました。
この「自撃漏」は、韓国人にとってはかなりのご自慢のタネらしく、当然歴史教科書にも載っています。朴永圭著の「朝鮮王朝実録」によれば、「この自撃漏は、蒋英実が金銚とともに製作したもので、中国とアラビアのものを比較研究して、新しく考案したものだった」とあります。これを今風に言えば、「中国とアラビアのものをベンチマークして、新しく考案したものだった」となるでしょうか。
韓国の歴史教科書における自国褒めは、もちろんこれだけではありません。これでもかこれでもかと、韓国の優秀性を列挙します。ウリナラ、ウリ民族はこんなに素晴らしく優れているのだと国民に刷り込んでいるのです。
日本人が自国とその歴史及び自民族を貶めるような意識を刷り込まれているのと本当に好対照で、日韓はこういうところも真逆です。
その上、韓国でも日本を見下す教育を行なっています。そのためか、日本人は韓国人が日本に対して持つ侮蔑意識に違和感を持たない人が多いようです。それどころか、韓国人に同調する者さえいます。
近年、日本では行き過ぎた自虐史観を改めようという動きがあります。それに強く反発する某朝日新聞が、まるで中韓に言いつけ口でもするように批判的な報道を行ない、中韓を始めとする外国勢力を使ってその動きを止めようとしています。中でも、韓国が極めて強く激しく日本の教科書問題に反応し干渉しようとしていることは、韓国ウォッチャーならずとも周知のことでありましょう。
こういうところでも、日本と韓国は共依存に陥りやすいのです。日本が自虐史観から脱却し、正当な自国評価を持てるようになるには、韓国からの干渉を全てシャットアウトする必要があるのではないでしょうか。もし日本が韓国からの干渉を断てないならば、ハングルについての誤認識を日本人に広めたように、彼らは日本人が自虐史観から抜け出せないようなサブリミナル的工作を、反日日本人と連動して、今後も行ない続けることでしょう。