fc2ブログ
管理画面

ハングルは意味を持たない

日韓関係の改善に向けて、アメリカが仲立ちしようとしているようですが、韓国側は相変わらず日本の歴史認識を理由に駄々をコネているようです。

個人的には、韓国がそのままずっと駄々をコネ続けてくれる方が良いと思っておりますが、国際社会のお付き合いの上ではそうもいかないのでしょう。ま、韓国がアメリカのメンツを潰す度胸があるのかどうかが今回の見どころかなあと生暖かくウォッチを続けようと思います。

さて、現在の韓国人がハングルを誇ること甚だしいのは、つとに有名です。ハングルは15世紀半ばに李氏朝鮮四代目の王、世宗が命じて制定させた朝鮮固有の文字です。

日本語のひらがな、カタカナが漢字を由来とすることから、韓国人は「ウリハングルはオリジナルだが、チョッパリ文字は漢字のパクリwwwww」などと言うことがあります。しかし実際には、ハングルもさまざまな国の文字を参考にしており、厳密な意味での朝鮮オリジナルとは言えません。

しかも中華に事大する朝鮮においてハングルは、必ずしも尊重されてはいませんでした。どころか、「犬文字」「便所文字」などと呼ばれるほどに軽侮されていたのです。

そのハングルが脚光を浴びるようになったのが日帝統治期であることは、案外知られていません。

現在の韓国では、日帝統治期にハングルが弾圧されたと教え込まれています。ですが実際には、日帝統治期にもハングルが盛んに用いられていたという史料は枚挙に暇がありませんし、当時の日本が、朝鮮人に対して比較的積極的にハングル教育を行なっていたこともわかっています。

日韓併合からある程度の時間が過ぎて、朝鮮半島における日本語教育が浸透するにつれ、ハングル教育の優先度が下がったということはあったでしょう。今も昔も彼らは、何事につけ上下優劣で物事を考えようとしたでしょう。統治した国の言葉と統治された国の言葉であれば、当然前者が上位優位とみなされるでしょうし、実利的な面でも、統治国の言語である日本語を習得する方が何かにつけ有利だったはずです。必然的且つ朝鮮人の性格的に、日帝統治下の朝鮮においては、日本語と比較すると朝鮮語やハングルはないがしろにされることになったでしょう。

それを日本の強制だったと現在の韓国人は主張し、またそう信じていますが、私は必ずしもそうではなかったと考えています。現在の韓国人の性格から鑑みても、また日帝統治期を生きた朝鮮人が遺した記録を見ても、当時の朝鮮人は比較的喜んで日本語を学び、進んで習得しようとしていたと考えるのが自然なのです。

当時、日本語を習得した朝鮮人は、本当の日本人に一歩近付いたと考えたでしょう。その「本当の日本人に一歩近付いた朝鮮人」が、そうではない朝鮮人を侮り蔑んだことは想像に難くありません。

ですから日本の統治が終了するまでの朝鮮では、ハングルは用いられてはいても、尊重されていたとは言えなかったでしょう。

それが一転したのは、日本の統治が終了してからのことです。日本に対して極めて従順であった朝鮮人たちは、自分たちが従順であったことを自らの意思ではなかったということにしました。彼らが喜んで学んだ日本語も、全て強制されたことにしました。日本語を否定すると相対的に、朝鮮語とハングルが尊ばれるようになりました。

更に彼らの歪んだ自尊心は、彼らに漢字を捨てさせました。

戦後の日本でも、漢字を廃する意見がありました。実際に政府主導で漢字を廃する方向に誘導しようとする動きもありました。しかし、日本では庶民がこれを拒んだのです。日本においては、段階的に漢字廃止を進めるために当用漢字を定めたものの、結局当用漢字の方が廃されてしまいました。

翻って韓国では、漢字廃止を庶民は拒みませんでした。むしろ歓迎しました。その理由はひとつではないでしょう。日帝統治期になかなか漢字を覚えられず、親や教師に叱られ、同級生に蔑まれた反動という者もいたでしょうし、単純に漢字を覚えずに済むのが楽だと考えた者も少なからずいたでしょう。そもそも彼らに、文章を読んでその意味を正しく理解するという文化や習慣がなかったということもあるかもしれません。

いずれにせよ、韓国人が漢字廃止を進んで受け容れたのは、歴史的事実と言えます。

韓国における漢字廃止は、即ちハングル専用を意味します。ハングルの欠点はいくつかありますが、やはり最大のものは、文字そのものが意味を表さないことでしょう。ですからハングルだけで書かれた文章は、極めて誤解の余地が多くなります。

ハングルの優秀性を説く時、いの一番に持ち出されるのが、その表現する音素の多さです。これは私の勝手な想像ですが、もしかするとかつての朝鮮語においては、音素の組み合わせによって意味を表すことが出来たのかも知れません。もしそうであれば、ハングルだけの文章でも意味を表すことは可能だったのでしょう。

しかし、今日の韓国語においては、音素の組み合わせによって意味を表現出来ているとは思えません。

しかもそのご自慢の多様な音素も、実は徐々に減ってきています。百年前の朝鮮語と現代韓国語では、かなりの語彙に音素的な変化があります。

現在の韓国語及びハングルに残っているのは、テープレコーダー的な「音を文字で表現・記録する」という機能だけと言っても過言ではありません。その上彼らが文章や単語に期待するのは、「意味の伝達」ではなく、「意思や感情の伝達」なのです。

言語は思考と密接につながっています。普通の日本人ならば、文章や単語に意味を見出そうとするでしょう。しかし普通の韓国人は文章や単語から、意味ではなく意思や感情を見出そうとするようです。

日本語と韓国語は逐語訳が容易なために、日本語に翻訳された韓国人の文章を読むと、ついつい翻訳された日本語通りの意味だと勘違いしがちです。しかし、ウリナラチラシの日本語版を見ればわかるように、彼らの書く文章は必ずしも意味的に筋が通るものばかりとは限りません。その根底にある「意思」や「感情」に気づかなければ、なんだかちぐはぐな文章だと感じるものが圧倒的に多いはずです。

韓国人にとっては、文章で表される「意味」などより、そこに現れる「意思」や「感情」の方がずっと重要なのでしょう。だから私たちが読めば意味的に違和感を覚える文章であっても、その文章から意思や感情が発せられてさえいれば、韓国人には受け容れられるのでしょう。

そのことを良いとか悪いとか言う気はありません。彼らには彼らの言語と思考活動があります。しかし、それが日本と関わる場合は別です。

日韓は似ていると言われる言語分野においても、その働きにこれほどの違いがあることの「意味」を、韓国人が理解するのは無理としても、少なくとも日本人側だけは知っておく必要があるのではないでしょうか。

それを知らないまま、日本人が彼らの書く文章や単語をどれほど読んでも、成立するのは日韓相互誤解だけです。



人気ブログランキング FC2ランキング

本日もクリックありがとうございます<(_"_)>
スポンサーサイト




月見櫓 韓国 日韓