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韓国旅行の楽しみ方

いよいよゴールデンウィークに入り、海外旅行に出掛けるという方も多いのではないでしょうか。中には、韓国旅行を計画しているとか、既に韓国に旅行中という方もいらっしゃるでしょう。

韓国旅行については、以前から申し上げている通り、個人的にはお勧めしません。お勧めしない理由は、私が嫌韓だからではなく、先般のセウォル号沈没事故が象徴するように、韓国は安全・危機管理面に重大な問題がある国だからです。

上っ面だけなら、韓国は先進国然としています。

近未来的な高層ビルが立ち並び、広い舗装道路には車が溢れかえっています。人々は一見瀟洒に装い、誰もが携帯電話どころかスマートフォンを手にしています。インターネットの普及率や速度を誇り、自らIT強国とさえ名乗っています。

ですが、見る人が見ればそれらは彼らの精一杯の虚勢であることがわかります。背伸びどころではありません。電信柱の上で竹馬に乗っているようなものです。ほんの少しでもバランスを崩せば、たちまち真っ逆さまです。しかもその際、彼らは他人を巻き込むことを躊躇しません。どころか積極的に、自分の身代わりにしようとさえします。

彼らが期せずして起こす事故だけが問題ではありません。彼らが期して起こす事件や、事件と言うほどではない小さな、しかし当事者になれば不快で面倒な事態に巻き込まれることも少なくないのです。その上日本人に対してならば、彼らは何をしても免罪されるべきと考えています。

旅行目的が探検や冒険であり、事前に万全の対策と準備を整えた上での旅行であるならば、韓国旅行もそれなりに意義があるものになるかも知れません。しかしそれがもし普通の観光旅行であれば、韓国はあまり価値のある旅行先とは言い難いでしょう。

旅行目的と言っても、人によって様々です。金に糸目をつけず、最先端の設備と洗練されたサービスを堪能する旅行もあれば、可能な限り予算を切り詰め、現地の人々と直接触れ合い、その地の空気にどっぷりと浸りきることを楽しむ旅行もあります。

そこまで両極端な旅行ではなく、そこそこの予算のパッケージツアーを選択するという人は、圧倒多数でしょう。そこそこのパッケージツアーを選択する人は、そこそこの宿とそこそこの食事が提供され、無理のない旅程と、その旅程をスムースに消化するための手配が確実に行なわれていることを期待すると思います。

韓国という旅行先は、この三種類の旅行スタイルのいずれにも不適当です。

まず韓国には、超の付く一流ホテルがありません。一流ホテルならばかろうじてありますが、「金に糸目をつけない」と言う人が満足するようなホテルとは言い難いのです。

更に「洗練されたサービス」の提供が、韓国では極めて難しいのです。どんなに訓練しても、「洗練されたサービス」を身に付けることが出来る韓国人は、極めて稀でしょう。

サービスは、ある意味チームプレーです。ホテルならば、支配人やフロントマンだけが洗練されたサービスを身に付け、提供出来れば良いというものではありません。ポーターやルームメイド、普段客前に出ることのないメンテナンスに至るまでが「洗練されたサービス」の意識を持っていなければ、客には「洗練されたサービス」を提供する超一流ホテルとは認識されないものです。

そのためには、表に立たない下支えの人々も、自分が超一流ホテルの洗練されたサービスを身に付け提供する一員であるという自覚と誇りを持つ必要があります。

ところが、韓国では下支えの人々がそういう自覚と誇りを持つことは出来ません。表に立つ人々は、(下手をすれば客を見下しかねないほどw)尊大なのですが、下支えの人々は表に立つ人々に蔑まれ、当人たちもその蔑みを当然と思い卑屈になっています。そういう人々が、誇りを持つことなど不可能です。

これは運輸機関でもそうです。先だってのセウォル号沈没事故を引き合いに出さずとも、韓国における交通機関の安全性や安定度は低いのは、目立つ部門の人は激しく偉ぶり、そうでない部門の人は徹底的に蔑まれ、卑屈になっているためとも言えます。

韓国でKTXが開通して間もない頃、日本の鉄道マンがKTXを見学しに韓国へ行った話を読んだことがあります。日本の鉄道マンが何より驚いたのは、韓国のKTXの運転士が極めて尊大に振る舞うことと、駅員や整備や保線といった、運行を支える人々が極めて卑屈に振る舞うことだったといいます。

列車は、運転士が運転するだけで運行出来るわけではありません。駅員や整備や保線が万全の仕事をしてくれなければ、スムーズな運行は望めません。事実、韓国では鉄道の運行は必ずしもスムーズとは言えません。

韓国が金にあかせた大名旅行を望めない国ならば、バックパックツアーのようなチープな旅行が楽しめる国かと言えば、それも無理です。何しろ韓国は物価が高いのです。

韓国は、交通費だけは安いと言われていますが、まず空港と市内を結ぶ空港バスは、ふざけるなと言いたくなるほど高いのです。

韓国のタクシーは、高校生が通学に使うほど安いと言いますが、外国人ならばボッタクリに遭う恐れがあります。路線バスは確かに安いのですが、ハングルが読めて、且つ韓国語が理解出来て、更にその地域の地名に詳しくなければ行き先表示も路線図も理解出来ません。鉄道系は、比較的安くて利用しやすいことはしやすいでしょう。ただし、安全面で疑問があるのは、前述したとおり韓国における全ての交通機関に共通することです。

旅の楽しみのひとつに、食事があります。旨い不味いはさておき、韓国の食事の価格は、店にもよるので一概には言えませんが、日本語や英語が通じる店ならば決して安くはありません。日本人向けメニューのある店ならば、日本人向け価格(二重価格)を設定していることもよくあります。

また食事に関しては、サービスの一環というよりは基本事項になりますが、日本人と比べると韓国人の衛生観念は極めて低いことも留意する点のひとつになるでしょう。腹を下す程度で済めばまだしも、韓国の国民病とも言われる肝炎に感染させられたら、一生もののダメージになります。

宿は、安ければ安いほど危険です。物や金を盗まれるだけではなく、身体的な危害を加えられる恐れも小さくありませんし、火災や崩落等の、施設の安全性の問題もあります。

そこそこの価格のパッケージツアーで、それなりの旅行を楽しむというのも、韓国の場合は果たして価格に見合った旅行になるかどうか疑問です。韓国のサービスの類がそろってイマイチなのは前述したとおりですが、名所旧跡なども、その多くは粉飾され、元の趣きを失ってしまっています。良い例が2008年に焼失し、2010年に再建された崇礼門(通称南大門)です。

金を掛けても掛けなくてもそこそこ掛けても、韓国への旅行は一般的な旅行の楽しみを満足させるものとは言い難いのです。ですから、もし韓国へ行くならば、一般的な旅行の楽しみを一切期待せず、韓国ならではの楽しみ方を期待するのが最も適切でしょう。

かつては、韓国旅行と言えばキーセンツアー、即ち買春旅行のことでした。その道徳的是非はともかくとして、韓国への旅行目的としては適切なものだったと言えます。

しかし現在の韓国では、売春は違法となっています。もちろん、違法だからと言って韓国で売買春が行なわれていないわけではありませんが、わざわざ韓国へ行って違法行為を働かなくても、東京の鶯谷を始め日本国内で買える場所がいくらでもあります。何しろ一説によると、日本における韓国人売春婦の数は五万人を数えるというぐらいですから。

となれば、残る韓国旅行の楽しみ方と言えば、後は酔狂な韓国ウォッチャーの好奇心を満たすツアーぐらいでしょう。弊ブログで言う韓国の「薄くて浅くて上っ面」と、その一皮下の彼らの素顔を垣間見るという目的であれば、韓国はそれなりに楽しめる国かもしれません。

ただしそんな目的で、わざわざ旅行代金が高いゴールデンウィークに韓国に行くというのは、あまりにももったいないという気はやはり拭えませんが。



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何故韓流にハマる日本人がいるのか

先だって月見チャットに、かつて韓流ブームにハマっていたという方がお越しになりました。弊ブログのコメント欄には、しばしばかつて韓流ファンだったと仰る方がコメントを投じておられますが、月見チャットにお越しになる方は、何故かあんまりいらっしゃいません。別に噛み付かないので、お時間のある方はどしどしお越しいただきたいと思いますw

さておき数年前の日本では、仕掛けられたものとは言え、韓流ブームと呼ばれる現象がありました。

「冬のソナタ」というドラマから始まったと言われるこの現象は、明らかにマスコミによる煽動が行なわれていました。それが韓国の国をあげての戦略であり、また日本のマスコミ内部に韓国人や親韓及び反日勢力が一定数存在するためであっただろうということはかなり濃厚に推察されますが、仕掛けられた、煽動されたとは言っても、それにまんまと引っかかった日本人が一定数いたことは、事実です。

嫌韓気運が高まっている現在でも、いまだに韓国に傾倒する日本人はいます。

タデ食う虫と言ってしまえばそれまでではありますが、韓国をある程度知った者から見ればゲテモノ食いが過ぎると思います。しかし当人にそれを伝えても、なかなか耳を貸してはもらえません。どころか、下手な言い方をすれば、サベツだ蜂の頭だと憤慨されて、逆効果になることもあります。

何故韓流にハマる日本人がいるのでしょうか。

何よりもまず、韓国に対する無知というのがかなり大きな部分を占めると私は考えます。今でこそ韓国については、その実態がかなり広く知れ渡りつつありますが、それでもまだよく知らないという日本人や、知っても俄かに信じられないという日本人は少なくありません。

日本人の見た目と韓国人の見た目が、他の異民族と比べれば似ているというのも災いしています。よく知らない相手でも、自分とよく似た風貌であれば心理的障壁はかなり小さくなりますし、「似ている」というだけで自分に近い考え方をするだろうと、無意識に思ってしまうものです。

そこへ持ってきて、韓国人は押しが強烈です。かつて仕掛けられた韓流ブームを振り返ればおわかりいただけると思いますが、とにかく彼らは自己アピールが猛烈です。

初対面で臆面もない自惚れを展開したりされたりということは、日本人同士ならそんなに多くはありません。せいぜい、就職面接の時ぐらいでしょう。

スレた面接官は、聞いてる方が恥ずかしくなるような美点だらけの自己アピールの裏を読むように、韓国人をある程度知っていれば、彼らの猛烈で臆面のない美点だらけの自己アピールも、話二割程度に聞いておけば良いとわかります。ですが、韓国人を知らなければ、彼らが吹き散らかす駄法螺に騙されてしまう人は、日本人ならずとも多いのです。

更に彼らの「薄くて浅くて上っ面」に目がくらむ日本人も、大変多いのではないかと思われます。

近くに寄ってじっくり観察すればともかく、遠目やぱっと見には、なかなかそれがハリボテとはわからないものです。おまけに、日本人的には「そこをハリボテにするの?!」というような部分がハリボテになってることも珍しくないので困ります。

加えて、日本人の謙譲と自虐に付け入るのも、義務教育を受けた韓国人なら当然持っているスキルです。

初対面の日本人にいきなり謝罪を求めるというのは、現在ではかなり廃れたアプローチ手法ですが、10年ほど前の韓国人には、非常にポピュラーな手法でした。

アプローチ手法としては廃れましたが、今でも韓国人には「日本はウリナラに酷いことをした国」という共通感覚があります。だから日本人は、ウリに謙るのが当たり前と彼らは確信しています。その確信に、日本人の謙譲と自虐癖が呼応してしまうのです。

弊ブログではたびたび「韓国人は出会い頭にとりあえず殴っとけ」と主張しています。もちろん、本当に物理的に殴れと言ってるのではありません。そもそも、ネットでは物理的に殴るということは出来ません。「殴る」というのは、韓国人が何か主張し始める前に、こちらの主張を投げつけて、飲み込ませておけという意味です。

そうしなければ、彼らの方がいきなり「殴ってくる」のです。それを上手くさばいて殴り返せる自信があるならば、彼らに好き放題言わせておいてからおもむろに反撃するというやり方もありますが、面倒な割に効果が薄いので、酔狂でやるのでなければお勧めしません。

ともあれ、韓国についてよく知らない段階で、彼らは強烈な刷り込みを私たちに仕掛けてきます。その「刷り込み」を素直に受けてしまった日本人が少なくなかったのが、かつての韓流ブームだったのでしょう。

今、嫌韓気運が高まっているのも、「韓国のことをよく知らない」日本人に、李明博前韓国大統領と朴槿惠現韓国大統領の言動が周知されてしまったからです。韓国の大統領が、韓国民の直接選挙で選ばれるということは知らなくても、韓国民を代表する立場の人物であることを知らない日本人はいません。

その「韓国民を代表する人物」が、擁護の余地もない反日行動や発言を行なったことは、「韓国をよく知らない」日本人には強烈な印象と衝撃を与え、そこから芋づる式に「韓国の事実」が知られ始めたのが、現在の日本における嫌韓気運の高まりの端緒です。

それでもなお、いまだに韓流にハマったり、かつての韓流ブームから脱け出せないままの日本人はいます。嫌韓からしてみれば、馬鹿げているし害にもなるから止せば良いのにと思いますが、当人にそれを言ってもなかなか伝わりません。

人間誰しも、自分が信じたものを否定されれば、不快になるものです。それは自分自身の判断を否定されることだからです。韓流ブームにハマっている人に、韓国を否定するようなことを言えば、やはり強く反発されるのが普通でしょう。

韓流ブームにハマったある人は言います。「私は別に韓国なんか好きじゃないし評価していない。単にホニャララ(「ホニャララ」の部分には、適当な韓国芸能人の名前や韓国文化を当てはめてください)が好きなだけだ。それがたまたま韓国人(あるいは韓国文化)だっただけだ」と。

またある人は言います。「あなたがそんなに韓国の悪口を言うのは、韓国に対するサベツだ」と。

あるいは韓国人よろしく火病る韓流ファンもいるでしょう。

いずれにしても、好ましい結果にはなかなか至らないものです。下手をすれば、人間関係にヒビが入ることもあります。

だからと言って、まんまと韓国人の思惑にハマっていくのを見過ごすのは、それが親しい相手であればあるほど、悩ましいものです。韓国人の思惑にハマって、金銭的な損害を被るだけなら、授業料と割り切ることも出来ますが、身体的精神的に取り返しのつかないダメージを被る恐れも多分にあるからです。

韓国の正体を知った者からすれば、そうなる前に一刻も早く洗脳を解いてあげたいと思う気持ちはよくわかります。

しかし、焦っても良い結果にはつながりません。当人が自ら気付こうとしない限り、どれほど押し付けても、受け入れてもらえないだけなら御の字で、反発を招いて逆効果になることもあります。

まずは「韓国の事実」を周知することです。これを間違える人が多いのですが、「韓国の事実を周知すること」とは、「韓国はこんなに酷い国なんだよ」とか、「韓国人ってこんなに変な生き物なんだよ」という主観や結論を押し付けることではありません。ただ淡々と、「韓国の事実」を告げることです。

参考として、自分の主観や意見を述べることはもちろんかまいませんが、韓国に対する最終判断は、それを聞いた当人に任せるのです。

その結果、それでも韓国が好ましいと判断する人も、中にはいるかもしれません。それでも韓国に対して無知なまま韓国を好ましいと思い込んでいるよりは、ずっと良いのです。

それが嫌韓であろうと親韓であろうと、押し付けは不快や反発を招きます。押し付けるのではなく、必要な情報を提供して、適正な判断を促すやり方が、最善とまでは言えないかもしれませんが、穏やかで副作用の少ないやり方だと私は考えています。



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刹那しかない民族

現在の韓国は、セウォル号沈没事故一色という印象がありますが、韓国人はいつまでこの事故を記憶していられるでしょうか。

今回のセウォル号沈没事故は、数百名もの死者・行方不明者を出した大惨事ということもありますし、また万事につけ韓国らしさ、韓国人らしさに満ち溢れた事故でした。しかも事故発生から一週間経った現在も収束しそうにもない状態です。

普段、自ら反省するということを知らない韓国人ですが、国と国民をあげての失態と評するのも生温いほどの醜態に、今回は幾分しおらしい意見が出てはいます。

ですが、そのしおらしい意見がどの程度彼らの間で共有されるかは激しく疑問ですし、更なる疑問は、彼らがこの事故をどの程度記憶していられるかということです。

韓国では、安全及び危機管理を怠った結果の事故というのは、珍しくありません。かつてソウルの地下鉄全駅にホームドアが導入されたことを受けて、「ソウルに学ぶ安全・安心国家」などとほざいた親韓日本人もいましたが、彼らは万事につけ常に上っ面を飾り立てるばかりで、実が伴うということがありません。そんな彼らに安全及び危機管理について学んだ日には、大変なことになります。

しかも彼らは、失敗を教訓とすることがありません。何故なら、彼らの主体である「ウリ」は失敗しないからです。

彼らは、仮に失敗することがあったとしても、それを「ウリ」のせいだとは決して思いません。必ず他人のせいにします。たいていの場合は、それで彼ら的には丸く収まるのです。哀れな生贄に失敗の責任を背負わせ、「ウリ」から弾き出し、屠ることで彼らは満足します。

しかし常に必ず他人のせいに出来ることばかりではありません。どうあがいても、「ウリ」にも責任の一端があるということがあります。今回のセウォル号沈没事故の被害者の多くが修学旅行中の高校生だったということもあって、被害者当人よりもその周辺の人々に大きな責任があるということは、いくら責任転嫁主義者の韓国人でも、認めざるを得ないのでしょう。

韓国では、交通機関の事故は極めてありふれています。自動車事故は言うまでもなく、鉄道や船舶、航空機の事故も比較的多いと言えるでしょう。ですから交通関連の事故に韓国人は鈍感なのかもしれません。

今回の沈没事故にしても、当初韓国人がそろって楽観していたのは、おそらく間違いないでしょう。「楽観」と言えば聞こえは良いのですが、実際には「無関心」に近かったと思います。それは恐ろしいことに、事故に直接関わることになった人々さえそうだったと思われる節があります。

この事故には、韓国におけるさまざまな立場の人物が関わることになりました。韓国大統領も例外ではありません。ですが韓国大統領を始めどの立場の人々も、韓国的交通関連事故不感症のためなのか、どこか他人事のように思っている風情が漂っていました。

被害者の家族の焦燥と悲嘆は本物であったでしょうけれど、そうではない韓国人は、事故の関係者であっても、事故をまるで祭りかイベントのように感じている風に見えました。

それが私の思い込みや思い過ごしでないことは、韓国における防災を担う安全行政省の監査官(局長級)が、被害者の家族が集まる現地の家族支援室の前で記念撮影をしようとしたことからも窺えます。

今回の事故は、事故そのものもそうですが、それに関わる人々やそれに対する韓国人の反応を見ても、あらゆる部分で韓国らしさを煮詰めて精製したかのようでした。

それを見て、相互不信社会というものの凄まじさを思い知らされたというのは、前回書いたとおりです。日本人が「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方が良い」と言えるのは、日本が相互信頼社会だからなのです。韓国のような相互不信社会では、信じることで傷つくだけならまだ幸いというもので、淘汰されることさえあるのです。

それでも幾つかのウリナラチラシが書いているように、今回の事故で韓国人が本当に自らを省みて、記憶することで今後の教訓とするならば、見殺し同然となった被害者もまだ浮かばれるかもしれません。

ですが喉元過ぎれば、彼らはこの事故を忘れるに違いないという確信が私にはあります。彼らは、自らの非や過ちを記憶することが出来ないのです。だからこそ彼らは常に無謬なのです。少なくとも彼らの主観ではそうなのです。

彼らも、目の前に自らの非や過ちを突き付けられ、そこから目を逸らすことを許されなければ多少はしおらしくなることもあるようですが、目前の事態はやがて時間の経過と共に過去へと押し流されます。

自らの非や過ちが目前から流されてしまえば、彼らは自らに非や過ちがあったことそのものを容易く、むしろ積極的に忘却するのです。

「歴史を忘れた民族に未来はない」と彼らは言いましたが、歴史どころか自らの実体験さえも忘れ去る彼らには、未来も過去もなく、ただただ目の前に現れるその刹那刹那しかないのかもしれません。



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相互不信社会というものの凄まじさ

今月16日に起きた韓国における旅客船沈没事故では、「相互不信社会」というものの凄まじさを見せつけられた思いがしました。

運行に安全が求められるのは全ての交通機関で言えることではありますが、中でも飛行機と船は、それぞれ空中と水上を移動するのですから、地上を移動する交通機関よりも更に慎重で厳格な安全管理と運用が求められます。そのためには、機長や船長、操縦士といった花形役者だけではなく、地味で目立たない部門を担当する者も含めた、運用に関わる者全ての相互の信頼が必要不可欠でしょう。

信頼とは、「信じて頼る」と書きます。では信じるということは、どういうことでしょうか。いろんな解釈や説明が可能でしょうけれど、端的に言えば「疑わないこと」と言えるかもしれません。

疑わないというのは、無条件では出来ません。無条件の信用は、実際には信用ではなくただの怠惰です。信じるためには、その根拠や担保が必要なのです。

初対面、あるいはそれに近いぐらいの関係の相手から、「俺を信用出来ないのか」と言われた経験をお持ちの方は、結構いらっしゃるのではないかと思います。そこまで好戦的ではなくとも、もう少し穏やかに「私を信用してください」と言われることも、よくあります。

私の経験から言って、本当に信用出来る人は、絶対にこういう類の台詞を言いません。本当に信用出来る人は、自ら疑われないようにするからです。

「俺を信用出来ないのか」「私を信用してください」という台詞を吐く時点で、その人は「信用されていない=疑われている」ということを自覚しているわけです。その人が本当に信頼出来る人であれば、無条件の信用を他者に強要することは絶対にありません。必ず進んで疑いを晴らす為の努力をしようとするものです。

それをせずに「俺を信用出来ないのか」「私を信用してください」と言う人は、ある意味「私は信用出来ない人間です」と自己紹介しているようなものと言って良いでしょう。

信用を得る、換言すれば疑われないためには、長く地味な努力を数多く積み重ねなければなりません。その反面、信用を失うのは一瞬一度で十分です。ですから相互信頼社会に属する人々は、得た信用を失わぬ為に努力しますし、また信用を得ることの難しさを知っているからこそ、信用を得る為の努力をしている人を信じることも出来ます。これが相互信頼社会の基礎になっているのだろうと、私は考えます。

相互信頼社会では、信用を失ったり、人から疑われると生きていけない、あるいは極めて生き難くなるという意識が共有されます。人から信用してもらうための努力が、快適に生きてくための努力とも言えるのです。

また人々が相互に信頼出来る社会は、スムーズ且つ安定的に運営されます。言葉を換えれば、無駄が少なく効率的な社会とも言えます。

何だかんだ言いながら日本は、相互信頼を前提とした社会と言うことが出来るでしょう。常識ある日本人なら、信用を得ることの難しさ、失うことの恐ろしさを知っているのが普通です。だからこそ誰もが信用してもらう為の努力を、面倒だと思いながらも当然のこととして行なうのです。

日本にも初対面にもかかわらず「俺を信用出来ないのか」と叫ぶ人が時々いるように、相互信頼社会の利便性にただ乗りしようとする人は、一定数いるにはいます。ですが今のところそういう人々が日本社会の主流になる兆しは、幸いにしてありません。

そういう人々が主流である社会が、まさに韓国なのです。彼らは無条件に自分は信用されるべきと思っているので、信用を得るための努力はしません。それどころか、韓国において信用を得る為の努力をする者は、常に貧乏くじを引かされることになります。

貧乏くじを引かされ続けても尚、信用を得る為の努力を続ければ、韓国ではその人は生存さえ危うくなるでしょう。人を騙し、裏切り、自分が蹴落とされる前に他人を蹴落とす努力をする者だけが、韓国における生存競争の勝者となり得るのです。

私も長く韓国ウォッチを続けていますから、韓国が相互不信社会であることは、それなりに知っているつもりでした。過去にそういう記事を書いたこともあります。

しかし今回の事故ほど、相互不信社会というものの恐ろしさをまざまざと見せつけられたと思ったことはありませんでした。

何事もなければ、相互不信社会でもそれなりに平穏に回っていくこともあるでしょう。もしかするとそういう社会を、信用を得るために費やすコストが不要な点から、優れていると言う人もいるかも知れません。ですが相互不信社会においては、一旦何か起こればその影響がどこまで及ぶか計り知れないのです。

それが韓国内だけで行なわれ、韓国内だけで留まることであれば、日本人がとやかく言う筋合いではありません。彼らが相互不信をこじらせて、再び同胞同族同士で殺し合いを始めても、日本を巻き込まない限り、勝手に思う存分やれば良いことです。

ですが彼らは世界中に拡散し、その場所で相互不信社会を構築しようとする習性があります。

日本人は、韓国がそういう国であり、韓国人がそういう人々であることを知りませんでした。日本政府も、いまだに韓国を指して「日本と価値観を共有する国」などと言って澄ましています。

ばかりではありません。サベツやジンケンを盾にする彼らの棲息域を、日本国内に求められるがままに増やしてしまっております。その結果として、日本の中枢部分にまで韓国人が多数入り込み、日本に韓国のような相互不信社会を構築しようとしています。

もし日本が韓国人をこれ以上野放図に受け入れる場合、旧日本軍のマニュアル(と呼ばれているもの)ではありませんが、常に日本人二人以上で韓国人一人を監視し、指導・教育するのでなければ、彼らによって引き起こされるモラルハザードが、日本全体を相互不信社会にしてしまう恐れは杞憂ではありますまい。

そんなリスクやコストを払ってまで、日本が韓国と交流を持ち続ける理由もしくはメリットがあるのかどうか、日本人一人一人が冷静に考える必要があるのではないかと、切実に考えさせられた今回の韓国旅客船沈没事故でした。



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韓国における蒙塵の精神

昨日、韓国で旅客船が沈没し、多数の死者・行方不明者が出るという事故がありました。

この報を私は、当日の午後2時頃に知りました。その時点では、「死者は2名、乗客368人が救出され、行方不明者は100名ほど」という報道でした。

この時私は「4月で幸いだったな」と思いました。海水浴にはまだずいぶん早いけれど、これが先月なら気温も水温も今よりずっと低く、海に落ちれば長くは持たなかったでしょう。今の時期なら、たとえ海に落ちても1時間ぐらいは耐えられるだろうと思ったからです(ちなみに、韓国人にカナヅチが多い事は、この時失念しておりました)。

また船の沈没速度はかなり緩やかだったようで、報道の中には、「現在沈没中」という見出しのものまでありましたから、救助に必要な時間的余裕は十分と思っていました。実際、「乗客のほとんどは救助された」という報道もありました。

ところがその後報道は二転三転します。現在も情報は錯綜しており、事故の原因も、座礁ではないかと言われていますが、定かではありません。

はっきりとわかっていることは、沈没する船からの避難が滞り、数百名の乗客が沈んだ船に取り残されたらしいということだけです。しかも沈没した船の船長は、乗客の避難を確認することなく、いち早く船から脱出したといいますから、誠に韓国人らしい所行です。

「蒙塵」という言葉をご存知でしょうか。読みは「もうじん」、字義としては「塵(ちり)を蒙(こうむ)る」です。

辞書を引くと、【《「春秋左伝」僖公二十四年から。天子が行幸するときは道を清めてから行くが、変事の際はその余裕がなく、頭から塵(ちり)をかぶる意》天子が、変事のために難を避けて、都から逃げ出すこと。みやこおち。】とあります。

過去に朝鮮の王は、この蒙塵を頻繁に行ないました。都の周辺で戦乱や騒動が起きると、朝鮮王は民衆の安全を確保することも安否を確認することもせずに、真っ先に安全な場所へと逃げ出したのです。

現在の韓国でも、「最も偉い人」は「非常時に最初に逃げ出す人」でもあります。今回の沈没船の船長が真っ先に船から脱出したのも、この蒙塵の精神でしょう。

この行為に韓国でも非難の声が上がっているそうですが、現実問題としてこれに類する話は韓国ではしばしば聞きます。非難の声を上げている韓国人にしても、自分が船長の立場であれば、躊躇なく蒙塵したでしょう。

平時や安全地帯でならば、彼らもご立派なことを言います。それだけを聞いていれば、彼らはまるで日本と価値観を共有するかのように聞こえます。

ですが非常時や危急の事態になれば、彼らは極めて自らの本能に忠実です。彼らは「人間らしさ」に価値観を見出しており、「自らの本能に忠実であること」こそが「人間らしさ」だと思っていますし、彼らにとって最も大切なのは「ウリ=自分自身」だからです(なお「ウリ」という朝鮮語は、普通「私たち」と翻訳されますが、実際には「自分自身」であるということについては、以前に述べております)。

今回の事故では、船長を始めとする船員のほとんどは、乗客に「その場を動くな」というアナウンスをしておきながら、自分たちはとっとと船から逃げ出したと言われております。400名もの乗客が我先に避難しようとすれば、大混乱は必至だからでしょう。日本人の常識では、その大混乱を落ち着かせた上で、乗客を迅速に避難誘導するのが船長を始めとする船員の務めなのですが、韓国ではそうではないのです。

もちろん、表向きは日本と同じでしょう。韓国の船の規則にもおそらく、船員は非常時に乗客の避難誘導をするよう、明文化されているのではないかと想像します。ですが事故が現実になれば、そんな文章など彼らには何の拘束力も持ちません。

それは船に限ったことではありません。かつて韓国の地下鉄で火災が起きた時も、確か運転士は乗客を避難させる前に脱出し、結果車内に閉じ込められた乗客に多数の死傷者が出ました。

また運輸機関だけの話でもないでしょう。おそらく、地下街や建物内で火事やガス漏れなどが起きた場合でも、同じようなことが起きるでしょう。

これを非難するのは容易ですが、そのことにあまり意味はあるとは思えません。韓国とはそういう国であり、韓国人とはそういう生き物だからです。非難や苦言でそれが改まることは、絶対にありません。

彼らは非常時には、自らが負った責務よりも自分自身の安全を最優先します。それが韓国では当たり前なのです。今回の件についても、口を極めて船長や船員、船会社を非難する韓国人がほとんどでしょうけれど、それは彼らが安全地帯にいるからなのです。

韓国に行くということは、そういうところへ行くということを、私たち日本人は知るべきでしょう。韓国は、何も問題が起きなければ、比較的安全に過ごせる国かもしれませんが、一旦何か問題が起きれば、誰も助けてはくれません。自力で避難しようにも、韓国における案内表示のほとんどはハングルですし、非常時のアナウンスもおそらくは朝鮮語だけです。しかも韓国は休戦中の準戦時国家であり、北朝鮮との局地的な交戦もしばしばある国なのです。

韓国では、非常事態になれば誰もが我先に自分の安全を確保しようとし、そのためなら躊躇なく他人を踏みつけるでしょう。その「他人」が外国人であれば、躊躇の無さは倍増します。ましてやそれが日本人ならば、踏みつけることに何らの罪悪感も持たないどころか、むしろあえて率先して踏みつけに来るでしょう。

今回の事故は、彼らの「蒙塵」の精神を如実に示して見せました。私たち日本人がすべきは、今回の事故に対する非難などよりは、「韓国とはそういう国である」という認識を深め、共有することでしょう。



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日韓がそれぞれ持つ呪縛

このところの弊ブログでは数回に渡って、韓国や韓国人についてというよりも、日本、殊に日本人について述べてきました。それを踏まえた上での、前々回の「戦い方は人それぞれ」という記事でした。

この記事に対し、明確に異論を唱えたコメントは2件でしたが、コメントしなかっただけで潜在的な反発はきっともっと多かったのではないかと思います。

既に皆様ご承知の通り、弊ブログでは異論反論を歓迎しております。その理由も既に幾度か述べている通り、議論をより広く深く行ないたいからです。賛同ばかりでは薄っぺらな議論にしかなりません。異論反論があることで、より掘り下げた重厚な議論が可能になると思っています。

ですので、異論反論を歓迎してはいますが、それに無条件で迎合するものではないということも、幾度かお断りしている通りです。

もっともブログに限らずオピニオン系の記事は、基本的には筆者の主張に共感する人が読みにくるものです。中には、痛い内容のブログをウォッチするという目的でご覧になっておられる方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう人はあまり異論反論をコメントしたりしません。

そういう点から、異論反論コメントについては、基本的にありがたいと思っております。もちろん、賛成や共感のご意見も嬉しくありがたいと思っておりますが、異論反論コメントは、荒し目的のものは別として、賛成や共感のコメントよりもずっと勇気の要るものだと思うからです。

政治や社会的な問題についての意見を述べるのは、結構勇気が要るものです。政治の話は、宗教の話と並んで、初対面の人との話題にはするべきではないと言われるほどセンシティブなテーマです。更に日韓問題というのも、ややこしい感情が絡んでくるテーマです。

弊ブログは開設が2005年の9月ですから、今年で10年目に入りました。総記事数は、今回の記事を入れて1296件になります。これだけ書いていれば、自分の主張を公開することにも、もうすっかり慣れただろうと言われるかもしれませんが、実はそうでもありません。

何しろ私がブログ月見櫓を始めた頃は、「アメリカを嫌いと言うことは出来ても、韓国を嫌いと言うことは出来ない」と言われていたのです。嫌韓気運が高まっている現在でも、毎回記事を公開する毎に「炎上したらどうしよう」と不安になります。新しいコメントが入るたびに、通信簿を見る小学生のような気分でそれを読んでおります。

弊ブログは、本当にさまざまな方がご覧です。私などよりもずっと優れた知識や見解をお持ちの方も、少なくないはずです。それは弊ブログに投じられるコメントを見ていればわかります。記事を書き、推敲を終え、公開ボタンを押す時、私の意見は果たしてどの程度の説得力を持つのだろうとか、何か寝言を書いてしまってはいないだろうかとか、思いもかけない反論が来たらどう答えようとか、毎度毎度胃がせり上がるような思いがします。

弊ブログに荒し目的ではない異論反論コメントをする方も、きっと同じような気持ちではないかと思うのです。ですから、その気持ちを振り払って異論反論コメントを投じて下さる方にも、共感や賛同のコメントを下さる方と同じく、心からの感謝の気持ちを捧げたいと思います。

さておき、今回の反応で思ったことは、日本人には強い呪縛がかかっているのだなということでした。

以前「愛国心」について述べた際に、とにかく何が何でも是が非でも、日本人は愛国心を持つべきではないと頑なに思っている方が日本には少なくないということに、結構愕然としましたが、今回もそれに近い感想を抱きました。

つまり、どんなに「いい人」では韓国人に食い物にされるだけだと言われても、その通りだと理屈の上では分かっていても、実際に「いい人」ではない行動をすることに対して、強い抵抗を感じるのが日本人なのです。

これはもう理屈ではどうしようもありません。今回、異論コメントに反駁はいたしましたが、私も日本人ですから、実はその気持ちもよくわかるのです。

翻って韓国人には「日本を良いと思ってはいけない」という非常に強い呪縛がかかっています。歴史を客観的に眺めれば、日本側の主張に正当性があるということが理解出来ても、「日本は良いこともした」と言ったり納得したりすることに、韓国人は極めて強い抵抗を感じているのでしょう。

それがどの程度の強さの抵抗なのかは、現在の日本人が持つ「日本人は愛国心を持ってはいけない」「日本人は聖人君子でなければならない」という呪縛の強さを思えば、想像出来るのではないでしょうか。

愛国心の方はともかくとして、日本人が「日本人は聖人君子でなければならない」という呪縛から解き放たれる日は、おそらく来ないでしょう。それは韓国人に対してのみならず、他人種他民族に対する弱点になり得るとしても、同時に日本人の美点であり、また日本人を日本人たらしめる意識でもあるからです。もし日本人が「日本人は聖人君子でなければならない」という意識を完全に失えば、日本人は日本人ではなくなるでしょう。

それと同様に、韓国人が歴史を客観的に眺め、日本側の主張を受け入れる日が来ることもないでしょう。もしそうなれば、韓国人は韓国人ではいられなくなるからです。

ですが、「聖人君子でなければならない」日本人と、「日本は絶対悪」と信じる韓国人とは、決して相容れることが出来ません。日本人が日本人であることが、韓国人が韓国人であることが、互いに相容れない最大の理由なのです。

もし両者がそれぞれのアイデンティティを捨てれば、あるいは両者でなくともどちらか片方が自らのアイデンティティを捨て去れば、日韓友好は成立するかもしれません。

ただそうなった後に成立する友好に、「日韓」を冠しても良いかどうかは、甚だ疑問ではあります。



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何度も同じ事を言うようですが

4月も中旬に差し掛かり、昨日辺りは夏日を記録した地域もあったそうですが、まだまだ朝晩は冷え込みます。私は花粉症ではないのですが、どうも血管運動性鼻炎のようで、この季節はティッシュの消費量が増大します。

私の場合、垂れるというよりは流れ出る鼻水に対応するには、ティッシュを丸めて鼻の穴に詰めるのが一番です。ただし、そうするためには家に引きこもるか、マスクを付けっぱなしにする必要があります。

昨今はマスクを付けっぱなしにすることに社会が寛容なので非常に助かっているのですが、時々鼻の穴にティッシュを詰めていることをうっかり忘れてマスクを外してしまうという悲劇が起きることもあります。

私の場合、それを逆手に取って「一発芸」と言って皆の前でマスクを一瞬外して見せ、笑いを取ったりしているのですがw

さて、前回記事に対するコメントを見て思ったのは、本当に日本人は「いい人」でいたい人が多いのだなあということです。日本人が「いい人」でいようとしたがるのは、自らが汚れることを忌み嫌う日本人の潔癖さも大きく作用しているのでしょう。

対する韓国人は、不潔に対して極めて鈍感と言うか、寛容です。と言うよりも下半身に関すること、中でも排泄物に対する執着は、甚だしいものがあります。そういう生き物と対峙するならば、大なり小なりこちらも汚れることを覚悟する必要があるのは、当たり前のことだと思っています。

弊ブログでは、いつも当たり前のことを書いているつもりです。観察対象がアレですから、素っ頓狂な内容になりがちということは否定しませんが、意識して奇を衒っているつもりはありません。

前回の記事についても同様です。前回記事で私は、これまでにこのブログで述べてきたことを覆すようなことを一切書いていません。私は在特会を消極的ではありますが支持しており、それはこのブログに在特会のバナーを常設することで明らかにしております。

そもそも弊ブログは、年寄りの繰り言の如く、同じようなことを何度も繰り返し述べております。前回記事についても、2007年11月19日付の記事で、非常によく似た内容のことを書いています。

ですからコメントで「こりゃ、初めてだ。 月見櫓で、共感を覚えないのは」と言われて、私の方が驚きました。驚いたのは、共感を覚えていただけなかったからではありません。以前にも似たようなことを書いているのに、「こりゃ、初めてだ」と言われたからです。

「こりゃ、初めてだ」と言うのが、「一昨日(あるいは先週、または先月、さもなくば去年でも良いのですが)以来、初めてだ」と言うならばまだしも、何の断りもなく「こりゃ、初めてだ」と言われれば、「ブログ月見櫓開設以来初めて」と受け取ってしまうのが自然でしょう。

私の記事に共感を覚えていただけないのは、残念ではありますが仕方のないことだと思います。人にはそれぞれ考え方があり、それに基づいた行動があります。私の考えと相容れないという方がいるのは、当たり前のことです。

また「いい人でいたい」「他人からいい人と思われたい」という気持ちもよくわかります。怒声や罵声を耳にすれば、それがまるで自分に向けられたもののような気がして、嫌悪感や不快感を催す気持ちも、非常によくわかります。汚い言葉を使わなくても、嫌韓を周知することは出来るはずだという主張も、否定しません。

ですが、何事にもTPOというものがあります。

ブログ月見櫓では、比較的汚い言葉を用いず韓国に関する考察を行ない、韓国についての情報の共有に努めております。それが良いと仰ってくださる方も、そこそこおられます。では嫌韓デモで、ブログ月見櫓の記事を朗読すれば、どの程度の人に私の考えが伝わるでしょうか。

デモなどのシュプレヒコールは数秒、せいぜい数十秒のうちに主張を込める必要があります。いきおい、簡潔で刺激的な言葉を用いることになります。そもそもデモ自体が、さほどの時間を持っておりません。詳しいことは知りませんが、正式に届け出たデモに許可される時間は、せいぜい2時間程度でしょう。

その短い時間内に、伝えたいエッセンスだけを瞬間的に表現するには、刺激的で攻撃的な言葉を使ってしまうのも無理はありません。立場の左右を問わず、デモとはそういうものです。

デモという戦い方があり、それで一定の効果をあげている以上、それが自分の意に染まぬとしても、矢面に立って自らが汚れ傷つくことも厭わず戦っている人を後ろから撃つような真似だけはするまいということは、「こちら側」に立っている人なら誰にでも理解出来る「当たり前」のことだと私は考えています。前回記事で言っていることはそういうことであり、それが理解出来ないということは、その人は「こちら側」ではない人としか考えようがないのです。

こちらでもあちらでも、どちらに立とうとそれはその人の自由であり、私はそのことに干渉するつもりは全くありません。ただし、その人が「こちら側」を名乗りつつ、「あちら側」に利するようなことを言い、しかもそれを「こちら側」に強いようとするならば、話は別です。

その人は「「あちら側」に利するつもりなど全くない。むしろ「こちら側」の尊厳を守る為に言ってるのだ」と言うかも知れません。それは本心かも知れません。ですが韓国人という生き物はそこに付け入り、それを踏み台にしてこちら側を攻撃してくるのだということを、私はこれまでに幾度も述べているはずです。

それでも尚、「たとえ韓国人に付け入られ、踏み台にされても良いから、自分は自分の尊厳を守る為に、韓国人に対しても徹頭徹尾日本人の美徳を貫き通す」と言うならば、それはそれで、その人の信念として評価しても良いでしょう。

しかし、「だからおまいらもそうしろ」とか、「そうしないと日本はホロン部!」と言われても聞けません。「あちら側」の人たちに「ヘイトスピーチ!!」と言われ蔑まれることよりも、韓国人に付け込まれ利用されることの方が、汚されたり傷つけられる度合いは激しく大きいのですから。



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戦い方は人それぞれ

一言で嫌韓と言っても、実に多様です。実体験として韓国人との関わりを持ったがために嫌韓になった人もいれば、報道やネット、書籍などの情報だけで嫌韓になった人もいます。

実体験に基いて嫌韓になったという人でも、子供の頃、近所の在日や朝鮮学校の生徒との抗争が原体験という人もいれば、大人になってから仕事や近所づきあいで韓国人と関わったことから嫌韓になったという人もいるでしょう。

ネットによる韓国体験にも、日韓翻訳チャットや日韓翻訳掲示板のように、日韓双方向からの直接応答が発生するものもあれば、某巨大匿名掲示板やそのまとめブログなどで見る間接的情報を鵜呑みにしているだけの人もいます。

また嫌韓のレベルも様々です。当然、考え方や感じ方も人によって違いますし、立場や対人関係も千差万別です。

最近はさほどでもないようですが、一年ほど前には盛んに在特会等の「行動する保守」団体による嫌韓デモが行なわれ、それに対する批判が噴出していました。「ヘイトスピーチ」という言葉が盛んに言われるようになったのも、その頃からです。

韓国語は、世界で一番罵倒語が豊富な言語です。韓国では、どれほど他人を酷く罵れるかの優劣を競う習慣でもあるのか、最も酷い(=優れた)悪罵を吐いた人は、周囲の人々からの共感や賞賛を集められるようです。

ですから韓国人は、知っている限りの語彙を総動員して、更にそれらをマジェマジェにして、日々凄まじい悪罵を考案し、実際に使用しています。韓国ではどんなに凄まじいヘイトスピーチも、その対象が「ウリ」でなければ、さほど問題にされません。もしその対象が日本ならば、絶大な共感と賞賛を集めるでしょう。

対する日本語は、罵倒語のバリエーションが非常に貧弱です。数少ない罵倒語も、韓国語のそれらと比較すれば実におとなしく上品です。かつての「行動する保守」による嫌韓デモで問題になった「ヘイトスピーチ」とやらでさえ、韓国の反日デモで叫ばれる悪罵と比べれば、圧倒的におとなしく上品と言えるでしょう。ただ、たいていの日本人は韓国語を解さないので、その事実を知らないだけなのです。

前述したとおり、日本では酷い罵詈雑言を吐けば、言われた者より言った者の方が非難や軽蔑の対象になりますが、韓国では酷い罵詈雑言を吐けば、言った者は共感と賞賛を得られます。ですから日本語の罵倒語が発達することは今後もないでしょうし、韓国語の罵倒語は今後もより強烈で攻撃的で卑劣なものが考案され増え続けるでしょう。

そういう相手に、おとなしく上品な日本人的非難や罵倒は通じません。韓国人に理解させるためには、韓国人にわかるやり方でやる必要があります。

「行動する保守」団体が、何をどこまで考えて「ヘイトスピーチ」と呼ばれるような罵詈雑言を使っていたのかまでは、「行動する保守」団体の中にいない私は知りません。ですが結果的に「行動する保守」団体による嫌韓デモが韓国人に通じ、一定のダメージを与えたことは事実です。

デモは「示威」であって、「自慰」ではありません。通じさせたいと思っている相手に通じさせなければ意味がないのです。そういう意味では、「行動する保守」団体が「ヘイトスピーチ」と非難されるような言葉を使った意図がどうであれ、結果は成功だったと言えるでしょう。

それによって「行動する保守」団体にもダメージがあったのではないかと言う人がいるかもしれません。「行動する保守」だけではなく、日本人全体の品格も損なったのではないかと言う人がいるでしょう。

ですが戦いとはそういうものです。自分は全くダメージを被らず、相手にだけダメージを与えるような戦いなどありません。古来より「肉を切らせて骨を断つ」という言葉があるではないですか。

もちろん、全ての人がそういう戦い方をするべきとまでは言いません。向き不向きもあります。覚悟と確信がなければ、そういう戦い方は出来ません。

中には、戦いそのものが嫌だと言う人もいるでしょう。しかし残念ながら、日本は既に韓国の仮想敵国であり、現実的に韓国人はさまざまな形で日本に工作を仕掛け、攻撃を画策しております。戦わないのであれば、日本人は自動的に敗者となるだけです。

上下や優劣でしか対人関係を理解出来ない韓国人相手に敗者となるということはどういうことなのか、想像力を働かせてください。もし想像出来ないのであれば、スポーツなどの日韓戦で日本が負けた際の韓国人の反応を、ネットで良いので調べてみてください。

もっとも日韓の現状は、表向きにはまだ交戦状態ではありません。実際の戦争になれば、戦い方にも指揮や統制が必要になるでしょうけれど、今の段階では戦い方は人それぞれで良いと思います。戦っている人を応援するのもまた、ひとつの戦い方と言えるでしょう。逆に言えば、「戦っている人の足を引っ張ること」は、相手側に立った戦い方と言えます。

日本と韓国、どちらの立場でどちらに向かって戦うつもりなのかを、少なくとも嫌韓を自認する日本人は、自覚する必要があります。今はその自覚に基いて、それぞれが自分なりの戦い方を選べば良い時期なのではないかと私は考えております。



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日本人が日本人であるためには

桜前線は今どの辺りまで北上しているのでしょうか。この辺りでは桜も満開を過ぎましたが、花冷えのおかげで桜吹雪が降りしきるということもなく、比較的穏やかに花の季節を終えようとしております。

さて国際的に見ても、日本人という人々はかなり評判が良い方です。もちろん、良いも悪いも解釈次第ではありますから、悪く解釈しようと思えばどんな美点も欠点や短所にすることが出来ます(その逆も然りなのは、就職活動で志望動機や自己アピール文を書いたことがある人には、自明のことでしょう)。

それでも、日本人という人々の性質を好ましいと感じる人は少なくありません。

それは実は韓国人も同様だったりします。日本人のイメージを韓国人に聞くと、国際社会で言われているような「勤勉」とか「正直」「親切」といったイメージも、かなりの韓国人が持っております。ただ韓国人の場合、そこへ韓国独自ともいうべき悪く汚いイメージをかぶせていることが多いのです。

そのイメージは多くの場合、韓国人自身の姿を投影したものです。日本人に対して韓国人がそういう複合的な意識を持つ所以は、つまるところ「日本人と韓国人の相性が悪い」ということなのは、これまでに幾度も述べてきました。

どれほど日本人側が譲歩しようとも、どれほど努力して彼らを理解し受け容れようとしても、韓国人側がそれに増長することはあっても、呼応しようとするということはあり得ません。

彼らは日本人側が譲歩すれば譲歩した分だけ押し込んできますし、日本人側の努力は当たり前のことと思っています。日本側が与えれば与えるほど、与えたものを吸い取って肥え太り、与えるものだけでは飽き足らず、私たちの領域を侵食しようとします。

このことは、韓国を知れば知るほど明白になります。日本人が、韓国と韓国人を知れば知るほど嫌いになると言われる理由のひとつと言えるでしょう。

弊ブログではしばしば述べていることですが、そんな韓国と韓国人であっても、地球の裏側にあればさほどの問題ではありません。

世界中に、韓国人に比肩し得る素っ頓狂民族や国家は存在し得ます。しかし、韓国人についてあげつらったり観察したりするように、そういう民族や国家を、いちいち取り上げてあげつらったり観察したりはしません。

それは何故かというと、そういう人々は私たち日本人と関係や接点がないか、極めて希薄だからです。逆に言えば、韓国人をあげつらったり観察したりするのは、日本と韓国が濃厚に接触しているからなのです。

日本人は、身びいきを抜きにしても美点の多い人々です。しかし韓国人が絡む場合、その美点の多くは弱点となります。

日本人が韓国人と接点を持ち続けるならば、日本人としての美点をかなぐり捨てるか、さもなければ 日本人としての美点を持ったまま韓国人に食い物にされて、日本人の存在そのものを危うくするかの二択しかありません。

そのどちらも嫌だというのであれば、残る道は韓国人との接点を限りなくゼロに近づけるしかないのです。

美味しいものを食べたい時に食べたいだけ食べて、運動もせず、健康を保ちながら太りたくないという人がいれば、誰だってそれは無理と思うでしょう。日本人が、韓国人との友好を促進しながら、且つ韓国人に侵食されることなく、しかも日本人としての美点を維持し続けるというのは、そう願うことに近いものがあります。

ひとつの望みをかなえるためには、手放さなければならない望みというものがあります。自分の抱くあらゆる望みが、万全にかなえられることを期待するのは全ての人々に共通することでしょうけれど、更にそれを当然と考えるのは韓国人の特徴です。

現実問題として、あらゆる望みが万全にかなえられるなどということはあり得ません。その結果として、韓国人は「恨」を抱え、「恨」によって韓国人は更に歪んでいくというスパイラルにはまっています。

対する日本人には、「諦」という知恵があるはずです。以前にも書いたことがありますが、「諦」とは自暴自棄になることではありません。物事を明らかに見て、正しい知恵をもって正しい判断をすることです。

出来ることはやれば良いし、やるべきです。しかし人間には、どれほど努力しても出来ないことがあります。やるべきではない努力もあります。それを悟り、無駄な努力で人生を浪費しないための知恵が「諦」なのです。物事を正しく見聞き考えた上で、無理なことは無理と悟り、無理な道に拘泥せず、別の道を模索することで、人間は前に進んでいくことが出来ます。

日本人としての美点を維持しながら、韓国人との友好を構築することは、少なくとも日本人側の努力だけでは絶対に不可能です。

では韓国人側が自ら日韓友好のために努力するかと言えば、日本人と韓国人の日韓友好観がまるで異なるために、それも絶対に望めません。日本人の日韓友好観を韓国人に持たせることは、犬に代数を解かせるよりも更に困難でしょう。

ならば選択肢はふたつしかありません。

日本人が日本人らしさを損なうことを前提として日韓関係を維持継続するか、さもなければ日本人が日本人らしさを守るために、日韓関係を可能な限り断絶するかのどちらかです。

日本人が日本人らしさを保ちつつ、韓国との善隣関係を築くなどということは、韓国人が変わらない限り夢物語でしかありません。韓国人が変わることを望むのは、チンパンジーがシェイクスピアの一節をタイピングするようになるよりも、なお薄い望みです。そのことに気付き始めた日本人が増えたことが、昨今の日本における嫌韓気運の所以でしょう。

しかしいまだに、夢を見続けようとする日本人も少なからず存在します。美しい夢の中が心地良いことは私もよく知っていますが、永遠に眠り続けるのでなければ、いつまでも夢の中に安住することは出来ません。

日本人が日本人であるためには、日韓関係を諦める必要があるということを、夢見る日本人にも周知したいと思う今日この頃です。



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「いい人」でいたい日本人

私の住む大阪ではこの数日大変暖かく、桜も満開を迎えておりますが、天気予報によれば4日からは花冷えになるようです。

さて、日本人には「いい人」でいたいという願望の強い人が多いように思います。おそらく「他人に迷惑を掛けてはいけない」という道徳観が強く作用しているためでしょう。

日本人のそういった傾向は、国際的な日本人全体の評価を高めているという現実もあります。反面、それに付け入る人種というものも、確実に存在します。そのため日本人が海外で犯罪のカモにされやすいという事実もまた、揺るがぬ現実のひとつです。

例えば、日本人はすぐ「すみません」と言います。明らかに自分が悪くなくても言います。「すみません」は、語義としては謝罪の言葉ですが、実際には感謝や単なる呼びかけとしても頻繁に用いられているからです。この言葉を用いることで、日本人同士ではコミュニケーションが円滑になります。大変便利な言葉と言えるでしょう。

そのため、海外でも「すみません」のつもりで「Sorry」という言葉を使ってしまう日本人が少なくありません。しかしこれは時に非常に大変で厄介なことになります。

よく言われるのが、海外で交通事故の当事者になった場合です。日本人はとりあえず、自分に過失がなくても「すみません」のつもりで「Sorry」と言ってしまうことがあります。しかし交通事故の当事者になった場合、「Sorry」と言ってしまうと「過失は全て自分にあります」と認めたことになり、後で大変に不利になります。

これは交通事故に限りません。私が実際に聞いた話では、海外のある店で商品を見て回り、気に入った品物がなかったので店を出たところ、店員に呼び止められたという人がいました。

何かと思えば、「店内の商品が破損していた。状況的にあなたが壊したとしか考えられないから弁償しろ」ということでした。

この人は即座に「心当たりがない」と突っぱねましたが、店側も簡単には引き下がりません。

しばらくすったもんだした挙句に店側が「あなたは海外旅行傷害保険に入っているだろう?海外旅行傷害保険には損害賠償の項目があるから、それで払ってくれれば良いのだ」と言い出したそうです。「あなたの懐が痛むわけではないから良いじゃないか」と。

要するに、店側は保険金詐欺を目論んだのです。

幸か不幸か、この人は海外旅行傷害保険に加入しておらず、しかも店側の要求額が日本円にして数十万円という高額だっため、断固拒否するという姿勢を貫き、とうとう店側が引き下がったそうですが、もしこの人がついうっかり、「Sorry」と言ってしまっていればどうなったかは、想像に難くありません。

これは私の想像ですが、その店はそれまでにも、日本人相手に同様の手口で首尾よくカネを騙し取ることに成功していたのでしょう。そうでなければ、「海外旅行傷害保険で払え」などという台詞は出てきません。

弊ブログをご覧の方なら、この辺りで全ての方が同じ事を思い浮かべるのではないでしょうか。

そう、「いわゆる従軍慰安婦問題」も、構図としては全く同じなのです。

日本人同士であれば、「いい人」と評価されることが有利に働くことはあるかもしれません。しかし日本人同士であっても「いい人」は時にカモにされてしまうことがあります。

ましてや相手が、「日本は絶対悪」と考えている韓国人であれば、どれほど日本人が「いい人」であろうとしても、彼らにとっては「都合のいい人」でしかありません。

私たちが日韓チャットで、韓国人には出会い頭にガツンと食らわしているのを目撃して、私たちに嫌悪感を持った日本人は少なくありませんでした。

弊ブログで反日を見れば韓国人と思えだの、韓国人が殊勝なことを言ってもどうせそれは工作だのと書いてるのを見て、「そこまで疑ってかからなくても・・・」と感じている方も、少なからずいるはずです。

信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方が良い」という歌の文句がありますが、そうありたいと思う気持ちには、私も共感します。

その上で私は言います。韓国人相手にその心情は全く通じないと。

日本人が「いい人」と思われたい人々だとすれば、韓国人は「どんなことがあっても、自分だけはいい人」と確信している人々です。たとえ人を騙しても傷つけても殺しても裏切っても、法を破っても破倫しても、韓国人にとってそれは「自分の事情ではしかたなかった」ことであり、許されて当然のことです。

しかもそれは「自分だけ」のことです。もし他人が同じことをすれば、韓国人はここを先途と咎めたて責めたて、追い詰めるでしょう。「自分がすればロマンス、他人がすれば不倫」です。その相手が「絶対悪」の日本人であれば尚更というものです。

故に、日本人がどんなに韓国人に対して「いい人」であろうとしても、それは日本人側の自己満足であり、韓国人にとっては絶好の対日工作材料でしかありません。

繰り返しになりますが、他人から「いい人」と思われたいという気持ちは十分理解出来ます。私だって例外ではないからです。ですが、その相手は選ぶ必要があります。

相手によっては、「いい人」と思われることが、自分のみならず日本人全体を傷つけることになるということを、私たち日本人は知る必要があると考える次第です。



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月見櫓 韓国 日韓
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