「いい人」でいたい日本人
さて、日本人には「いい人」でいたいという願望の強い人が多いように思います。おそらく「他人に迷惑を掛けてはいけない」という道徳観が強く作用しているためでしょう。
日本人のそういった傾向は、国際的な日本人全体の評価を高めているという現実もあります。反面、それに付け入る人種というものも、確実に存在します。そのため日本人が海外で犯罪のカモにされやすいという事実もまた、揺るがぬ現実のひとつです。
例えば、日本人はすぐ「すみません」と言います。明らかに自分が悪くなくても言います。「すみません」は、語義としては謝罪の言葉ですが、実際には感謝や単なる呼びかけとしても頻繁に用いられているからです。この言葉を用いることで、日本人同士ではコミュニケーションが円滑になります。大変便利な言葉と言えるでしょう。
そのため、海外でも「すみません」のつもりで「Sorry」という言葉を使ってしまう日本人が少なくありません。しかしこれは時に非常に大変で厄介なことになります。
よく言われるのが、海外で交通事故の当事者になった場合です。日本人はとりあえず、自分に過失がなくても「すみません」のつもりで「Sorry」と言ってしまうことがあります。しかし交通事故の当事者になった場合、「Sorry」と言ってしまうと「過失は全て自分にあります」と認めたことになり、後で大変に不利になります。
これは交通事故に限りません。私が実際に聞いた話では、海外のある店で商品を見て回り、気に入った品物がなかったので店を出たところ、店員に呼び止められたという人がいました。
何かと思えば、「店内の商品が破損していた。状況的にあなたが壊したとしか考えられないから弁償しろ」ということでした。
この人は即座に「心当たりがない」と突っぱねましたが、店側も簡単には引き下がりません。
しばらくすったもんだした挙句に店側が「あなたは海外旅行傷害保険に入っているだろう?海外旅行傷害保険には損害賠償の項目があるから、それで払ってくれれば良いのだ」と言い出したそうです。「あなたの懐が痛むわけではないから良いじゃないか」と。
要するに、店側は保険金詐欺を目論んだのです。
幸か不幸か、この人は海外旅行傷害保険に加入しておらず、しかも店側の要求額が日本円にして数十万円という高額だっため、断固拒否するという姿勢を貫き、とうとう店側が引き下がったそうですが、もしこの人がついうっかり、「Sorry」と言ってしまっていればどうなったかは、想像に難くありません。
これは私の想像ですが、その店はそれまでにも、日本人相手に同様の手口で首尾よくカネを騙し取ることに成功していたのでしょう。そうでなければ、「海外旅行傷害保険で払え」などという台詞は出てきません。
弊ブログをご覧の方なら、この辺りで全ての方が同じ事を思い浮かべるのではないでしょうか。
そう、「いわゆる従軍慰安婦問題」も、構図としては全く同じなのです。
日本人同士であれば、「いい人」と評価されることが有利に働くことはあるかもしれません。しかし日本人同士であっても「いい人」は時にカモにされてしまうことがあります。
ましてや相手が、「日本は絶対悪」と考えている韓国人であれば、どれほど日本人が「いい人」であろうとしても、彼らにとっては「都合のいい人」でしかありません。
私たちが日韓チャットで、韓国人には出会い頭にガツンと食らわしているのを目撃して、私たちに嫌悪感を持った日本人は少なくありませんでした。
弊ブログで反日を見れば韓国人と思えだの、韓国人が殊勝なことを言ってもどうせそれは工作だのと書いてるのを見て、「そこまで疑ってかからなくても・・・」と感じている方も、少なからずいるはずです。
「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方が良い」という歌の文句がありますが、そうありたいと思う気持ちには、私も共感します。
その上で私は言います。韓国人相手にその心情は全く通じないと。
日本人が「いい人」と思われたい人々だとすれば、韓国人は「どんなことがあっても、自分だけはいい人」と確信している人々です。たとえ人を騙しても傷つけても殺しても裏切っても、法を破っても破倫しても、韓国人にとってそれは「自分の事情ではしかたなかった」ことであり、許されて当然のことです。
しかもそれは「自分だけ」のことです。もし他人が同じことをすれば、韓国人はここを先途と咎めたて責めたて、追い詰めるでしょう。「自分がすればロマンス、他人がすれば不倫」です。その相手が「絶対悪」の日本人であれば尚更というものです。
故に、日本人がどんなに韓国人に対して「いい人」であろうとしても、それは日本人側の自己満足であり、韓国人にとっては絶好の対日工作材料でしかありません。
繰り返しになりますが、他人から「いい人」と思われたいという気持ちは十分理解出来ます。私だって例外ではないからです。ですが、その相手は選ぶ必要があります。
相手によっては、「いい人」と思われることが、自分のみならず日本人全体を傷つけることになるということを、私たち日本人は知る必要があると考える次第です。