日韓がそれぞれ持つ呪縛
この記事に対し、明確に異論を唱えたコメントは2件でしたが、コメントしなかっただけで潜在的な反発はきっともっと多かったのではないかと思います。
既に皆様ご承知の通り、弊ブログでは異論反論を歓迎しております。その理由も既に幾度か述べている通り、議論をより広く深く行ないたいからです。賛同ばかりでは薄っぺらな議論にしかなりません。異論反論があることで、より掘り下げた重厚な議論が可能になると思っています。
ですので、異論反論を歓迎してはいますが、それに無条件で迎合するものではないということも、幾度かお断りしている通りです。
もっともブログに限らずオピニオン系の記事は、基本的には筆者の主張に共感する人が読みにくるものです。中には、痛い内容のブログをウォッチするという目的でご覧になっておられる方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう人はあまり異論反論をコメントしたりしません。
そういう点から、異論反論コメントについては、基本的にありがたいと思っております。もちろん、賛成や共感のご意見も嬉しくありがたいと思っておりますが、異論反論コメントは、荒し目的のものは別として、賛成や共感のコメントよりもずっと勇気の要るものだと思うからです。
政治や社会的な問題についての意見を述べるのは、結構勇気が要るものです。政治の話は、宗教の話と並んで、初対面の人との話題にはするべきではないと言われるほどセンシティブなテーマです。更に日韓問題というのも、ややこしい感情が絡んでくるテーマです。
弊ブログは開設が2005年の9月ですから、今年で10年目に入りました。総記事数は、今回の記事を入れて1296件になります。これだけ書いていれば、自分の主張を公開することにも、もうすっかり慣れただろうと言われるかもしれませんが、実はそうでもありません。
何しろ私がブログ月見櫓を始めた頃は、「アメリカを嫌いと言うことは出来ても、韓国を嫌いと言うことは出来ない」と言われていたのです。嫌韓気運が高まっている現在でも、毎回記事を公開する毎に「炎上したらどうしよう」と不安になります。新しいコメントが入るたびに、通信簿を見る小学生のような気分でそれを読んでおります。
弊ブログは、本当にさまざまな方がご覧です。私などよりもずっと優れた知識や見解をお持ちの方も、少なくないはずです。それは弊ブログに投じられるコメントを見ていればわかります。記事を書き、推敲を終え、公開ボタンを押す時、私の意見は果たしてどの程度の説得力を持つのだろうとか、何か寝言を書いてしまってはいないだろうかとか、思いもかけない反論が来たらどう答えようとか、毎度毎度胃がせり上がるような思いがします。
弊ブログに荒し目的ではない異論反論コメントをする方も、きっと同じような気持ちではないかと思うのです。ですから、その気持ちを振り払って異論反論コメントを投じて下さる方にも、共感や賛同のコメントを下さる方と同じく、心からの感謝の気持ちを捧げたいと思います。
さておき、今回の反応で思ったことは、日本人には強い呪縛がかかっているのだなということでした。
以前「愛国心」について述べた際に、とにかく何が何でも是が非でも、日本人は愛国心を持つべきではないと頑なに思っている方が日本には少なくないということに、結構愕然としましたが、今回もそれに近い感想を抱きました。
つまり、どんなに「いい人」では韓国人に食い物にされるだけだと言われても、その通りだと理屈の上では分かっていても、実際に「いい人」ではない行動をすることに対して、強い抵抗を感じるのが日本人なのです。
これはもう理屈ではどうしようもありません。今回、異論コメントに反駁はいたしましたが、私も日本人ですから、実はその気持ちもよくわかるのです。
翻って韓国人には「日本を良いと思ってはいけない」という非常に強い呪縛がかかっています。歴史を客観的に眺めれば、日本側の主張に正当性があるということが理解出来ても、「日本は良いこともした」と言ったり納得したりすることに、韓国人は極めて強い抵抗を感じているのでしょう。
それがどの程度の強さの抵抗なのかは、現在の日本人が持つ「日本人は愛国心を持ってはいけない」「日本人は聖人君子でなければならない」という呪縛の強さを思えば、想像出来るのではないでしょうか。
愛国心の方はともかくとして、日本人が「日本人は聖人君子でなければならない」という呪縛から解き放たれる日は、おそらく来ないでしょう。それは韓国人に対してのみならず、他人種他民族に対する弱点になり得るとしても、同時に日本人の美点であり、また日本人を日本人たらしめる意識でもあるからです。もし日本人が「日本人は聖人君子でなければならない」という意識を完全に失えば、日本人は日本人ではなくなるでしょう。
それと同様に、韓国人が歴史を客観的に眺め、日本側の主張を受け入れる日が来ることもないでしょう。もしそうなれば、韓国人は韓国人ではいられなくなるからです。
ですが、「聖人君子でなければならない」日本人と、「日本は絶対悪」と信じる韓国人とは、決して相容れることが出来ません。日本人が日本人であることが、韓国人が韓国人であることが、互いに相容れない最大の理由なのです。
もし両者がそれぞれのアイデンティティを捨てれば、あるいは両者でなくともどちらか片方が自らのアイデンティティを捨て去れば、日韓友好は成立するかもしれません。
ただそうなった後に成立する友好に、「日韓」を冠しても良いかどうかは、甚だ疑問ではあります。