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相互不信社会というものの凄まじさ

今月16日に起きた韓国における旅客船沈没事故では、「相互不信社会」というものの凄まじさを見せつけられた思いがしました。

運行に安全が求められるのは全ての交通機関で言えることではありますが、中でも飛行機と船は、それぞれ空中と水上を移動するのですから、地上を移動する交通機関よりも更に慎重で厳格な安全管理と運用が求められます。そのためには、機長や船長、操縦士といった花形役者だけではなく、地味で目立たない部門を担当する者も含めた、運用に関わる者全ての相互の信頼が必要不可欠でしょう。

信頼とは、「信じて頼る」と書きます。では信じるということは、どういうことでしょうか。いろんな解釈や説明が可能でしょうけれど、端的に言えば「疑わないこと」と言えるかもしれません。

疑わないというのは、無条件では出来ません。無条件の信用は、実際には信用ではなくただの怠惰です。信じるためには、その根拠や担保が必要なのです。

初対面、あるいはそれに近いぐらいの関係の相手から、「俺を信用出来ないのか」と言われた経験をお持ちの方は、結構いらっしゃるのではないかと思います。そこまで好戦的ではなくとも、もう少し穏やかに「私を信用してください」と言われることも、よくあります。

私の経験から言って、本当に信用出来る人は、絶対にこういう類の台詞を言いません。本当に信用出来る人は、自ら疑われないようにするからです。

「俺を信用出来ないのか」「私を信用してください」という台詞を吐く時点で、その人は「信用されていない=疑われている」ということを自覚しているわけです。その人が本当に信頼出来る人であれば、無条件の信用を他者に強要することは絶対にありません。必ず進んで疑いを晴らす為の努力をしようとするものです。

それをせずに「俺を信用出来ないのか」「私を信用してください」と言う人は、ある意味「私は信用出来ない人間です」と自己紹介しているようなものと言って良いでしょう。

信用を得る、換言すれば疑われないためには、長く地味な努力を数多く積み重ねなければなりません。その反面、信用を失うのは一瞬一度で十分です。ですから相互信頼社会に属する人々は、得た信用を失わぬ為に努力しますし、また信用を得ることの難しさを知っているからこそ、信用を得る為の努力をしている人を信じることも出来ます。これが相互信頼社会の基礎になっているのだろうと、私は考えます。

相互信頼社会では、信用を失ったり、人から疑われると生きていけない、あるいは極めて生き難くなるという意識が共有されます。人から信用してもらうための努力が、快適に生きてくための努力とも言えるのです。

また人々が相互に信頼出来る社会は、スムーズ且つ安定的に運営されます。言葉を換えれば、無駄が少なく効率的な社会とも言えます。

何だかんだ言いながら日本は、相互信頼を前提とした社会と言うことが出来るでしょう。常識ある日本人なら、信用を得ることの難しさ、失うことの恐ろしさを知っているのが普通です。だからこそ誰もが信用してもらう為の努力を、面倒だと思いながらも当然のこととして行なうのです。

日本にも初対面にもかかわらず「俺を信用出来ないのか」と叫ぶ人が時々いるように、相互信頼社会の利便性にただ乗りしようとする人は、一定数いるにはいます。ですが今のところそういう人々が日本社会の主流になる兆しは、幸いにしてありません。

そういう人々が主流である社会が、まさに韓国なのです。彼らは無条件に自分は信用されるべきと思っているので、信用を得るための努力はしません。それどころか、韓国において信用を得る為の努力をする者は、常に貧乏くじを引かされることになります。

貧乏くじを引かされ続けても尚、信用を得る為の努力を続ければ、韓国ではその人は生存さえ危うくなるでしょう。人を騙し、裏切り、自分が蹴落とされる前に他人を蹴落とす努力をする者だけが、韓国における生存競争の勝者となり得るのです。

私も長く韓国ウォッチを続けていますから、韓国が相互不信社会であることは、それなりに知っているつもりでした。過去にそういう記事を書いたこともあります。

しかし今回の事故ほど、相互不信社会というものの恐ろしさをまざまざと見せつけられたと思ったことはありませんでした。

何事もなければ、相互不信社会でもそれなりに平穏に回っていくこともあるでしょう。もしかするとそういう社会を、信用を得るために費やすコストが不要な点から、優れていると言う人もいるかも知れません。ですが相互不信社会においては、一旦何か起こればその影響がどこまで及ぶか計り知れないのです。

それが韓国内だけで行なわれ、韓国内だけで留まることであれば、日本人がとやかく言う筋合いではありません。彼らが相互不信をこじらせて、再び同胞同族同士で殺し合いを始めても、日本を巻き込まない限り、勝手に思う存分やれば良いことです。

ですが彼らは世界中に拡散し、その場所で相互不信社会を構築しようとする習性があります。

日本人は、韓国がそういう国であり、韓国人がそういう人々であることを知りませんでした。日本政府も、いまだに韓国を指して「日本と価値観を共有する国」などと言って澄ましています。

ばかりではありません。サベツやジンケンを盾にする彼らの棲息域を、日本国内に求められるがままに増やしてしまっております。その結果として、日本の中枢部分にまで韓国人が多数入り込み、日本に韓国のような相互不信社会を構築しようとしています。

もし日本が韓国人をこれ以上野放図に受け入れる場合、旧日本軍のマニュアル(と呼ばれているもの)ではありませんが、常に日本人二人以上で韓国人一人を監視し、指導・教育するのでなければ、彼らによって引き起こされるモラルハザードが、日本全体を相互不信社会にしてしまう恐れは杞憂ではありますまい。

そんなリスクやコストを払ってまで、日本が韓国と交流を持ち続ける理由もしくはメリットがあるのかどうか、日本人一人一人が冷静に考える必要があるのではないかと、切実に考えさせられた今回の韓国旅客船沈没事故でした。



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