理解より離間が現実的
特亞擁護の甚だしい朝日新聞にこういう記事が載ったということは、日本の嫌韓気運に韓国人が強い危機感を抱き始めており、どうにかして日本を再び韓国に甘々な国に戻したい考えているということなのでしょう。
ネットのない頃であれば、日本を代表する大新聞社のひとつである朝日新聞が音頭を取れば、それに引き摺られる日本人は非常に多かったと思います。朝日新聞としてもその頃の全能感が忘れられないのでしょうけれど、メディアリテラシーが高まり、同時に既存マスコミに対する不信感が増大している今日では、どこまで彼らの工作(あえてこう言います)が通用するかは疑問です。
と言うわけで、既存巨大マスコミの強大な工作に、今日も一匹のゴマメが歯ぎしりで対抗してみようと思います。
韓国人は客観的に見れば(少なくとも彼らの意識の対象となっている日本人から見れば)、疑う余地のない反日ですが、韓国人の主観としては、全く反日ではないということは、弊ブログでもこれまで繰り返し述べてきました。
韓国人から見れば、日本は絶対悪です。この「日本絶対悪」という思想について韓国人は様々な理屈を捏ねていますが、いずれの理屈もこじつけでしかありません。もし日本が過去から現在に至るまで、一度も過ちを犯したことがなく、完全に善良であったとしても、彼らは日本を絶対悪と決め付けるでしょう。
呉善花女史の著書によると、韓国のキリスト教では、日本人について「まるで神のように振る舞おうとする」と評することがしばしばあるといいます。「神のように振る舞う」というのは、神様のように慈悲深く正しくあろうとするということのようです。
一瞬、日本人を褒めてるのかと勘違いしますが、実はこれは、日本人を強く非難しているようなのです。曰く「人間は神ではない。神ではない身で、神のように振る舞おうとすることは、傲慢で身の程知らずも甚だしい」ということなのだとか。
では日本人が悪魔のように振る舞えば韓国人は納得したり評価したりするのかと言えば、答えは当然否です。現実に韓国人は歴史認識において日本人に対し悪魔同然の印象を持っており、全力でそれを糾弾し非難していることは、嫌韓ならずとも周知の事実でしょう。
ならば日本人が神でも悪魔でもなく、人間らしく振る舞えば韓国人は認めるのかと言えば、それも怪しいのです。
「人間らしさ」というものが極めて曖昧で幅が広く定義しづらいものであるということもありますが、そもそも日本人の考える「人間らしさ」と、韓国人の考える「人間らしさ」に大きな乖離があります。日本人は、いつでも今も基本的に「人間らしく」振舞おうとしているつもりなのですが、それが韓国人からは「神のように」振る舞おうとしているように見えているのです(逆に日本人から見れば、韓国人の言う「人間らしさ」は、むしろ「けだものらしさ」と言う方が良いような、理性よりも本能に忠実な振る舞いに見えます)。
結局、日本人がどのように振る舞ったとしても、韓国人にとっては悪なのです。
悪を指摘し、糾弾し、改悛させるべく指導、教誨することは、反発や反感などではなく、善行であり正義です。日本に対する韓国人の意識は、まさに日本が悪であることを指摘し、糾弾し、改悛させるべく指導、教誨していることなのです。よってそれは「反日」などでは絶対にないというのが、韓国社会において共有されている意識なのです。
日本に対する韓国人の意識が、それだけではないというのがまた、話をややこしくしております。韓国人は日本を絶対悪としながらも、同時に日本の凄さも知っています。厳密に言うならば、日本の凄さを正しく理解してはいないけれど、なんとなく感じてはいるといったところでしょうか。
何しろ日本がなければ、現在の韓国は存在しません。現在の韓国、即ち大韓民国の建国から発展、運営、維持、管理全ての分野において、日本の影響は甚大です。どれほど韓国人がそこから目を背けようとも否定しても、彼ら自身が日本の文物を切望し、実際に手にし、大喜びしているのですから、日本を否定し切ることは出来ません。
しかし日本が悪である以上、手放しに日本を肯定したり賞賛することは、韓国においては罵られるべき非道徳です。そのジレンマを解消するためにも、彼らは日本に対し「日本が悪であることを指摘し、糾弾し、改悛させるべく指導、教誨する」立場でなければならないのです。
何故ならその立場にある限り、日本がどれほど素晴らしくあろうとも、韓国はその師あるいは指導者として、日本から尊敬されるべき存在となり、日本が素晴しければ素晴らしいほど、ウリナラは更に素晴らしいことになるからです。
韓国の反日が本当に解消されるためには、この韓国人の意識を大転換させなければならないでしょう。ですが、それは極めて困難なことです。「日本絶対悪」の意識を転換するには、まず韓国人が韓国の歴史を客観視する必要があります。韓国の歴史を客観視することは、現在の韓国人のアイデンティティと言うか、尊厳を破壊することになります。
これも以前から弊ブログではしばしば述べていることですが、韓国人の脳内には「ウリ=自分自身=理想の韓国人」が存在します。
彼らの脳内の「ウリ」と、現実の「自分自身」に齟齬がある場合(と言うか、常に普通にあるのですが)、彼らが優先するのは脳内の「ウリ」の方です。彼らの理想と異なる現実の自分自身は、何かの間違いか誰かの陰謀です。自分は本当は小さく醜いアヒルの子なんかではなく、誰からも賞賛される美しくて大きな白鳥なのだと信じていなければ、彼らは生きていけません。韓国人のそういう認識を根底から変えることは、韓国という国を一度潰して作り直すよりも更に困難でしょう。
冒頭に書いたとおり、昨今の日本の嫌韓気運の高まりは、韓国にも伝わりつつあります。それに危機感を抱く韓国人も、徐々に増えてはいるでしょう。冒頭の記事の通り、いろいろ調べたり分析する韓国人も出てくるでしょう。
それもでも韓国人は、何故日本で嫌韓気運が高まっているのかを正しく理解出来ません。彼らの理解はどこまで行っても、「それは誤解です、理解してください」に留まると私は断言します。
「日本の嫌韓は、韓国が反日という誤解に基づくものだ。日本を好きな韓国人も多い。日本を評価している韓国人も多い。日本に学ぶべきと考えている韓国人も多い。だから日本人は韓国に対する誤解(=嫌韓)をやめるべき」というのは、別に昨日今日出てきた主張ではありません。少なくとも私が日韓チャットを始めた10年以上前から現在に至るまで、微塵も変わらぬ韓国人の極めて一般的な考え方です。
今から10年前なら、いや5年前でも、韓国人の「誤解です理解してください」でコロコロ騙されていた日本人は多かったでしょう。今でもゼロではないでしょう。しかし、一時期日本で吹き荒れた韓流捏風は、韓国が見せたがり、実際に見せつけた薄くて浅くて上っ面だけではなく、その一皮下に蠢く彼らの実態をも知らしめることとなりました。日本の嫌韓は、韓国人が考えているような「反日に対する反発」も皆無ではないのかもしれませんが、中心でも主要でもありません。
以前に「嫌韓?反韓?」という記事で述べたとおり、日本人の韓国に対するネガティブな意識は、韓国に対する反発が理由ではないと私は考えています。
そもそも日本人は、反日に対して極めて寛容な国民です。どこかの国が反日であっても、それを理由にその国や国民を敬遠することはあっても、反発したり嫌悪したりすることはないでしょう。仮にそういう日本人がいても、それが主流になることは、普通ありません。
事実、日本は韓国に対しても長らくそういうスタンスでした。韓国人の反日に接しても、それに対して「誤解です、理解してください」と掻き口説く日本人の例を、私は知りません(逆に、韓国人の反日に共感し、同調する日本人の例ならたくさん知っていますがw)。たいていの日本人が、韓国人が喚くように主張する反日の理由を聞けば、「だったらしかたないよね」と一定の理解を示していたのです。
現在の日本の嫌韓気運は、韓国の反日が理由ではなく、韓国人が自ら進んで見せつけた薄くて浅くて上っ面と、その一皮下の無礼で醜悪で不潔な正体とのギャップに対する忌避と嫌悪からです。それを韓国人が理解しない限り、日韓関係の齟齬は永遠に解消されることがないでしょう。
では日本の嫌韓気運の理由を韓国人が正しく理解すれば、日韓関係の齟齬は解消され得るでしょうか。
個人的には「日本の嫌韓気運の理由を韓国人が正しく理解する」ということそのものが、韓国人にとっては限りなく果てしなく困難だとは思いますが、仮にそれを乗り越え得たとしても次なるステップ、即ち「日本の嫌韓気運の理由」を韓国人が省みて是正することは、一層困難と言うか、現実問題としては不可能だと思います。それを実現するには、韓国人を全員一度無に返して、新たに作り直すぐらいの勢いが必要でしょう。
そんな大掛かりな民族浄化をやるよりも、日本人が日本人であり、韓国人が韓国人である限り、日韓は相容れない存在同士と悟ることの方が、最も現実的な日韓関係の改善策なのではないでしょうか。互いの姿も見えず声も聞こえないようになれば、いがみ合うことも争うこともなくなるでしょう。
日韓は互いにそれを悟り、互いに可能な限り距離を取ることこそが、双方にとって最もストレスのない関係になると私は確信しています。
もっとも韓国にそれを悟れと言うのもまた、彼らの能力を超えた要求かもしれませんが。